吹奏楽のための
天界のとある地方に住む私、イリスはヴァルキリーとして創られた天使であるが、正式に任命されるまで剣なんて持ったこともなく、天使学校では学科はそれなりで音楽や美術といった科目では自信があったが、運動や魔法の成績は常に低空飛行を維持し続けた。課外活動で中等部では吹奏楽、高等部ではオーケストラでトランペットに打ち込んだおかげか肺活量と音感はあるものの持ち前の運動音痴振りで天界の中枢部から指導に来た主神直属のエリートヴァルキリーから嫌味ごとを言われ、泣かされることもあった。そんな私にも勇者候補を導くよう中枢部から命令が来らしい。最も主神が魔王と一応の妥協をしてから数百年たち、少ないながらも魔物からも男児が生まれつつある今の時代、魔物に襲われてもエロい目にあうだけで死ぬことは無く、それ以上に教団や魔物が関与できない人間同士の紛争や神や魔物の力を大きく超えた自然災害の方が危険という認識が主神の影響が少ない地方の神や天使たちの間には常識であり、頑なに近代化しない教団国や天界の中枢部のくだらない見栄のためにヴァルキリーと言うものは中世から変わらない青を基調としたプレートメイルと主神を象った大剣という時代錯誤な装備で勇者と魔物討伐と言う名の国外追放をされている気もするが。最も、ここは表向きは主神寄りな地方ではあるが、「ミサイル一つで一国が魔界化する時代に何やってんだろww」と掲示板に愚痴をこぼしながら剣術の指導を受ける後輩のヴァルキリーや地上から持ちこまれたテレビゲームの技を見て、「はっ!、とう!、ていっ!、虎牙破斬!、爪竜連牙斬!、終わらせます!魔に墜ちた穢れし者に神の浄化を!聖閃洸破陣!!」とヴァルキリーの装備を使い、私よりもずっとすごい剣術や魔法を駆使してやたら派手な動きやエフェクトまで再現したものを録画し、動画サイトに投稿して反応を楽しむエンジェル、勝手に地上に降りては最新の円盤や漫画を持ってくるアークエンジェル、さらにあまりの楽しさに公務以外は引きこもってこの惑星の連合軍兵士になり、侵略エイリアンやそれが復活させた旧世代の魔物から惑星を取り戻すSFファンタジーMMOFPS廃神と化した領主の神など、その実態は中枢部のいいように使われる主神の教えよりも世界中に点在するクラウドからの情報や地上のサブカルチャーを楽しむ地方である。だが、そんな地方でも中枢部から監査が入ると鍛え抜かれた偽装工作技術と地上の機器を用いた仕事の効率化による成績で真面目そうに見せ、今なお、潰されていない。(まぁみんなで堕天使なるならそれはそれで楽しそうだが)その為に私は犠牲になったとも言えるだろう。出発の日、天使たちや領主の神の申し訳なさそうな顔は今も覚えている。一応何か一つだけ装備以外に地上に持って行っても良いとのことだったことから私は20万Gほどつぎ込んで買った愛用のトランペットを迷わず選び、中枢部にて化石みたいな降臨の儀式を迎えた。
教団国の教会に降り立った私は司祭やシスターたちにはできるだけイメージに近いヴァルキリーとして振る舞い、しばらくするとエディク・ローランと名乗る勇者候補の少年が呼ばれた。見たところ勇者と言う柄ではなさそうなのが気になるところだが大勢の司祭やシスターに囲まれる中、私は練習した通り一通りの儀式を行う。
「ともに魔を滅し、神の御光を」
うわ、昔のヴァルキリーはこんな自分でも恥ずかしくなるようなことを平気で言ってたのだろうか。エディクも相当練習してきたようで、緊張しつつも過去の勇者のような体裁を保とうとしているのがわかる。司祭のやたら長い演説に欠伸を我慢しつつ、二時間ほどで儀式は終わり、案の定放り出されたが、特に目的は無いことからエディクにサボることの素晴らしさや主神の名をいいように使う今なお中世な天界の中枢部のクソさについて教えつつ、教団国ではさすがに気が重いため近くの中立国を拠点にすることにした。教団から支給されたものを確認すると、500G、通行手形、その他怪しい魔法薬などこれまた博物館クラスである。全く、リアルに一昔前の剣と魔法のファンタジーRPGやってるんじゃないんだぞ。あれだけ儲けているならよく教団がやってる賄賂みたいに500万Gくらいは支給してほしいものだ。幸い、堕天しても大丈夫なように地上の国際銀行に貯金してあったこともあり、しばらくは資金には困らなさそうだが。一応ヴァルキリーの能力である神の声を聞くことを試してみたものの、「まぁ、適当にやってて。今神アプデがきて忙しいし。よし、これで10キル目!」と、後ろから銃声やグレネードか炸裂魔法と思われる爆発音がし、途絶えた。初めからあてにはしていなかったが、これにはさすがにため息をついた。
さて、中立国に入った私たちはいきなり窮地に陥った。昼食後、公園でエディクに頼まれ一曲吹いていると、アルトサックスを持った最上級淫魔と名高いリリムが私に合わせてきた。ジパング人風の顔つきと魔力から王族ではなさそうだが、到底私やエディクではかなわないだろう。もう少し天使で居たかったなどと思っていると彼女は私達に微笑んだ。
「もしよかったら一緒に練習しない?あなたの持ってるのこっちじゃ見ない形だけどトランペットでしょう。私たち最近吹奏楽団結成して今メンバー集めてるの」
私はてっきり襲われ、魔物にされると思っていたが、その言葉に拍子抜けした。まぁどうせこの旅には目的も無いしいいだろう。ついでにエディクにもいずれなにか楽器させたかったし。
「私はリエ・ナカムラ。アルトサックスをやってる。初代魔王第九十何だったかの王女の系統の母とのジパング人の父とのハーフよ」
「イリスです。天使なので姓はありません。トランペット歴は8年、剣も魔法もダメダメなヴァルキリーですが、音楽では強いですよ」
久しぶりに吹奏楽ができるとうれしくなった私はリエと意気投合し、警戒するエディクを引っ張りつつ、練習場へ向かった。
私たちが案内されたのは町のホールとしても利用される聖堂のリハーサル室であった。まだ練習が始まる前ながら集まった団員たちは思い思いにウォームアップを行っている。団員の女性の多くは魔物のようだ。エディクは未だに魔物たちを警戒していたが、リエはその視線が部屋に置いてあったフルコンサートグランドピアノに向いているのを見逃さなかった。
「弾きたいんでしょ?」
エディクがゆっくりと頷くと、リエは受付にレンタル料を払い、ピアノにかかっていた保護魔法を解除する。
「あ、ありがとうございます。では・・・」
エディクはピアノに向かい、構える。
「すげぇ・・・」
エディクが演奏した曲は世界的に人気の高いクラシックのピアノ曲であり、同時に難曲であったが、本人はいたって涼しく弾き、ドヤ顔になっている。
「ブラボー!!」
いつしか団員達もその演奏に聞き入っており、拍手が鳴った。後で聞くと、エディクはかつて修道院の少年合唱団に所属しつつ、賄賂や買収が横行しがちな教団主催のピアノコンクールのジュニア部門で実力で入賞したこともあったが、天界に勇者の素質があるとされ、修道院育ちのため断れず勇者にならざるを得なかったようだ。
「やっぱりね。私みたいな運動音痴にヴァルキリーなんかさせるし。最近の天界中枢部は人選がおかしい気がする」
「でも、そのおかげで、あきらめて堕落もしやすいんじゃない?」
リエの言葉に私は苦笑する。
「多分すると思うけど、リエが言うとシャレにならないよ」
「私リリムだけど今の魔王様とは遠縁すぎるし、見た目以外はただのサキュバスよ。この国では強引な魔物化とか強姦は重罪だから、望まなければダークヴァルキリーにはならないし、それにイリスちゃんは今のままの方がかわいいかもね」
教団や中枢部が聞いたら発狂するようなことをヴァルキリーとリリムが話す時代が来るとは。いつしか魔物や人間たちも笑っていた。
「よし、始めるか〜」
どうやら練習が始まるようだ。団長で指揮者のおじさんが手を叩くと音がぴたりと止み、静かになるところは世界共通の吹奏楽人であるものの性なのだろう。
「今日の合奏は3時から。曲は前に配ったやつ」
「ハイ!!」
「それと今日は天界の騎士様と勇者様がなんと私たちの楽団にゲストで来ていただきました。天界のトランぺッター、イリスさんと天才ピアノニスト勇者、エディク・ローラン君です」
リエが冷やかすと、団員たちから歓声が上がる。エディクは恥ずかしがっていたが、私は調子に乗り、
「神の騎士、ヴァルキリーの名に懸けて、そこそこの演奏をすることをここに誓おう!」
と剣の代わりにトランペットを掲げ、昔のヴァルキリーのように見栄を切る。
「いいぞ、ねーちゃん!」
男性陣の野次が飛び、再び笑いに包まれた。
「いきなり1stで悪いけど、これが今日の合奏曲や」
パートリーダーのおじさんから譜面が渡される。
「ンタタタタータカター、ここは16分の次を強調した方が良さそうか」
私は少しずつ歌い、譜読みをしていく。それにしてもなかなかかっこいい曲で、ジパニズムファンタジー活劇を連想させる。エディクもピアノでマレットのパートを練習しているようで、パーカッションのドラゴンの少女と楽しそうに話していた。
「そこは少しためる感じで、そうそう、上手い上手い」
パートリーダーのおじさんが歌い方の説明をする。現役の時は男性はいなかったけどこんな感じだったっけ。
「よし。じゃあ次はこのセクションをみんなで行こうか。1,2,3,4」
3度や4度に分かれるハモリが心地よい。この感覚も久しぶりだ。
「響きは悪くないけど、なんだかなー。メロディーが見えないというか・・・、2ndもう少し抑えれる?ここ全員でフォルテシモだからつい出したくなるけど」
「ハーイ」
そんなこんなで、試行錯誤したり雑談するうちにあっという間に時間が過ぎていく。そしてそろそろ合奏が始まるようだ。
「まずチューニングから。442でAグループからどうぞ」
Aグループとはバスクラリネット、バリトンサックス、ファゴット、チューバ、バストロンボーン、コントラバスで構成される低音パートである。あまり目立たないかもしれないが、全体の響きを支える上で最も重要となることからこのグループにより演奏の印象も変わってしまうこともある。続いてトロンボーン、ホルン、ユーフォニアム、テナーサックス、アルトクラリネットによって構成されるBグループ。このグループはおもにハーモニーを担当することからサウンドのブレンドが重要で、Aグループと共に迫力の強奏も求められることから様々な音色を使い分ける必要がある。大体揃うと次は私のCグループに回ってくる。このグループはトランペット、アルトサックス、B♭クラリネットで構成されるいわば花形だ。私はハーモニーディレクターの音を基準にイメージし、軽く吹く。少し高かったか。管を抜き、再度吹く。今度は大丈夫そうだ。全員で吹くと時折ずれるもまぁこんなものだろう。最後はピッコロ、フルート、オーボエ、E♭クラリネットのDグループ。これも主にメロディー担当だが、その高音ゆえ嫌でも耳に入り、音程を合わせるのも難しい。バランスやハーモニーを考える上で悩みどころとなりやすい。
「せーの!」
指揮者が合図を出すと、バンド全体でチューニングB♭を奏でる。まぁまぁだな。悪くはないが、今一つ鳴りきっていないのが惜しい。つづいて、バランスや曲の調に合わせたロングトーン、ハーモニーなどの基礎合奏を経て、いよいよ曲に入る。
「まず、頭から。1,2,3,4」
木管の中低音により、静かに主題が奏でられる。やがてそれに木管高音が加わり、トゥティーに向かうが、早速止められた。
「9に入る前のピッコロ、もっと3連に気を使って風を感じるように。タッタカタター!」
指揮者がピッコロのワイトに歌って見本を見せる。
「そこのアルトサックスはね・・・」
たとえどんなに上級な種族であっても同じ音楽を奏でる際、平等であることが前提である。それがまた楽しい。
「だいぶ良くなった。じゃあ続き行こうか」
しばらく曲を進め、再び止められる。
「イリス、そこもう少し下げれる?そう、その音程。ついでにもっと鋭い音で」
私は指揮者の指示をメモしつつ、再度演奏する。
「いいぞ、52からトランペットとホルンでやってみてくれ。上手くいったら次は・・・」
「最後に通して終わろうか」
「ハイ!」
すでに2時間近くが経ち、疲れも見え始めるが、集中する。
木管の中低音により主題が奏でられる。木管高音が加わると一気にクレッシェンドし、そのままフォルテでトゥッティーに入り、ジパングのドラムが力強く刻む。それが過ぎると木管セクションやジパングの神楽鈴という美しい鈴により哀愁を帯びた旋律が展開し、軽快なフルートソリ、トランペットソロなどプレイヤーたちの技が光る。再び、トゥッティーに入りユーフォニアムのソロが伸びやかに歌うと曲は一旦締めくくられる。テンポが遅くなり今まで以上に哀愁を感じさせ、ピッコロのソロが静かに響く。民謡風のリズムに主題が乗り、金管が独特の雰囲気を醸し出すとやがて壮大な響きへと変化する。再びテンポが速くなり、主題がより力強さを増して再現されると一度静かになり、長めの盛り上げを経て全員でフォルテシモへ。そしてその勢いのまま締めくくった。
部屋の残響が心地よい。指揮者が降り、一気に緊張が和らぐ。
「うん。良かった良かった。もう少し音程合わせれればいいけど雰囲気はよく出てる。じゃあ終わろうか。お疲れ様」
練習が終わり、団員たちはそれぞれ後片付けを始める。
「ふー。この曲細かい動き多いから指が疲れる」
「アンタ、途中から何か所かやり過ごしたでしょ」
「え、バレてた?」
「そのおかげでカバーすんの大変だったんだから。お詫びに今夜付き合ってもらうから」
「えー。今夜は家で前から楽しみにしていたジパングの萌えアニメの再放送を・・・」
「はぁ?アンタ私と言うヒロインがいながら何二次元の女に何うつつぬかしてんの?」
「そりゃ君じゃ心ぴょんぴょんできないし・・・。あー!!」
クラリネットパートのラミアと青年がそれぞれスワブを通しながら言い争っている。ラミアはふくれっ面になると青年に巻きつき始めた。
「はいはい。ここは公共の施設なので続きは宿泊室のベッドでどうぞ」
聖堂のダークプリーストでホールの職員が二人を引っ張り退室していく。青年も満更ではなさそうで、やはり中枢部や保守的な教団の言っていることはどうかしている。
「もしよかったら、今日から私の所で暮らさない?」
唾を抜き、クロスで磨いているとリエから不意に声をかけられた。
「え?」
「魔王様から『勇者とかエンジェルを見かけたらできるだけ保護してあげてほしい』って上級種族を中心に勅命があってね。それに私バカ兄貴とこの町で音楽カフェやってるんだけど人手が足りないし、それにエディク君にはうちの専属ピアニストになってもらいたいの」
私はそれを断る理由がなかった。
「えー、リエさんひどいですよ。エディクは私が先に目を付けたお宝なのに。これからは私のためだけに演奏してもらうんです」
エディとすっかり仲良くなったパーカッションパートのドラゴンの少女がエディに抱き着いている。
「あらお若いことで。でも独り占めは駄目よ。時々は私のカフェでも・・・」
「あの〜、僕の意見は・・・」
エディクを無視した話し合いの末、レンタル料としてカフェのカップル向けメニューであるタワーパフェ無料と言う結果で落ち着いたらしい。ドラゴンの少女はエディクを抱えると山の方へ飛び去っていく。
「じゃあ私たちもそろそろ」
町が夕暮れに染まる中、私とリエは聖堂を後にした。
リエのカフェは小さいながらも良くまとまっており、奥にはミニコンサート用のステージもある。
「これはこうやって、うん、できた」
私の剣と盾が壁に掛けられる。確かにデザインは美しく、良いインテリアになりそうだ。
「よう、君がリエの言ってたヴァルキリーか。ここのマスターでヴァイオリン奏者のキョウヤだ。よろしく」
黒髪に赤眼のインキュバスの青年が奥から出てきた。リリムの兄と言うこともあってなかなかのイケメンである。挨拶もそこそこに家の中へ通された。
「ここがリビング。そしてこっちが兄自慢のDTM部屋。DAWはSinger Tools X5、楽譜ソフトはfinalius 9が入ってる。なんか思いついたら適当にうちこんでいいけど私のハードディスクは覗いちゃダメよ。シャワー室があっちで、あっ、そうそうこの部屋空いてるから使って」
私は部屋に通されると鎧を脱ぐ。忘れてたけど今日これ着たまま演奏してたんだ。仕事着だから着てると結構落ち着くけど。
「あっ」
翼を見ると輝きが無くなり、ただ白いだけになっていた。まさか初日から堕天するとは。天界で仲間たちともう騒げないのは残念だがいつか会えること信じてメールを送ることにした。
『どうも、イリスです。人間や魔物たちと演奏したら初日から堕天してしまいました。勇者君もかわいらしいドラゴンにお持ち帰りされ、私もこれからリリムの兄妹のカフェでお世話になることにしました。人間も魔物もみんなやさしいので楽しくやっていけそうです』
最後にリエと共に演奏している写真を添付する。そこには再び本当の剣を手にした天界の騎士とかつて魔界の王女とよばれた種族が一つの音楽を奏でる姿が映し出されていた。
教団国の教会に降り立った私は司祭やシスターたちにはできるだけイメージに近いヴァルキリーとして振る舞い、しばらくするとエディク・ローランと名乗る勇者候補の少年が呼ばれた。見たところ勇者と言う柄ではなさそうなのが気になるところだが大勢の司祭やシスターに囲まれる中、私は練習した通り一通りの儀式を行う。
「ともに魔を滅し、神の御光を」
うわ、昔のヴァルキリーはこんな自分でも恥ずかしくなるようなことを平気で言ってたのだろうか。エディクも相当練習してきたようで、緊張しつつも過去の勇者のような体裁を保とうとしているのがわかる。司祭のやたら長い演説に欠伸を我慢しつつ、二時間ほどで儀式は終わり、案の定放り出されたが、特に目的は無いことからエディクにサボることの素晴らしさや主神の名をいいように使う今なお中世な天界の中枢部のクソさについて教えつつ、教団国ではさすがに気が重いため近くの中立国を拠点にすることにした。教団から支給されたものを確認すると、500G、通行手形、その他怪しい魔法薬などこれまた博物館クラスである。全く、リアルに一昔前の剣と魔法のファンタジーRPGやってるんじゃないんだぞ。あれだけ儲けているならよく教団がやってる賄賂みたいに500万Gくらいは支給してほしいものだ。幸い、堕天しても大丈夫なように地上の国際銀行に貯金してあったこともあり、しばらくは資金には困らなさそうだが。一応ヴァルキリーの能力である神の声を聞くことを試してみたものの、「まぁ、適当にやってて。今神アプデがきて忙しいし。よし、これで10キル目!」と、後ろから銃声やグレネードか炸裂魔法と思われる爆発音がし、途絶えた。初めからあてにはしていなかったが、これにはさすがにため息をついた。
さて、中立国に入った私たちはいきなり窮地に陥った。昼食後、公園でエディクに頼まれ一曲吹いていると、アルトサックスを持った最上級淫魔と名高いリリムが私に合わせてきた。ジパング人風の顔つきと魔力から王族ではなさそうだが、到底私やエディクではかなわないだろう。もう少し天使で居たかったなどと思っていると彼女は私達に微笑んだ。
「もしよかったら一緒に練習しない?あなたの持ってるのこっちじゃ見ない形だけどトランペットでしょう。私たち最近吹奏楽団結成して今メンバー集めてるの」
私はてっきり襲われ、魔物にされると思っていたが、その言葉に拍子抜けした。まぁどうせこの旅には目的も無いしいいだろう。ついでにエディクにもいずれなにか楽器させたかったし。
「私はリエ・ナカムラ。アルトサックスをやってる。初代魔王第九十何だったかの王女の系統の母とのジパング人の父とのハーフよ」
「イリスです。天使なので姓はありません。トランペット歴は8年、剣も魔法もダメダメなヴァルキリーですが、音楽では強いですよ」
久しぶりに吹奏楽ができるとうれしくなった私はリエと意気投合し、警戒するエディクを引っ張りつつ、練習場へ向かった。
私たちが案内されたのは町のホールとしても利用される聖堂のリハーサル室であった。まだ練習が始まる前ながら集まった団員たちは思い思いにウォームアップを行っている。団員の女性の多くは魔物のようだ。エディクは未だに魔物たちを警戒していたが、リエはその視線が部屋に置いてあったフルコンサートグランドピアノに向いているのを見逃さなかった。
「弾きたいんでしょ?」
エディクがゆっくりと頷くと、リエは受付にレンタル料を払い、ピアノにかかっていた保護魔法を解除する。
「あ、ありがとうございます。では・・・」
エディクはピアノに向かい、構える。
「すげぇ・・・」
エディクが演奏した曲は世界的に人気の高いクラシックのピアノ曲であり、同時に難曲であったが、本人はいたって涼しく弾き、ドヤ顔になっている。
「ブラボー!!」
いつしか団員達もその演奏に聞き入っており、拍手が鳴った。後で聞くと、エディクはかつて修道院の少年合唱団に所属しつつ、賄賂や買収が横行しがちな教団主催のピアノコンクールのジュニア部門で実力で入賞したこともあったが、天界に勇者の素質があるとされ、修道院育ちのため断れず勇者にならざるを得なかったようだ。
「やっぱりね。私みたいな運動音痴にヴァルキリーなんかさせるし。最近の天界中枢部は人選がおかしい気がする」
「でも、そのおかげで、あきらめて堕落もしやすいんじゃない?」
リエの言葉に私は苦笑する。
「多分すると思うけど、リエが言うとシャレにならないよ」
「私リリムだけど今の魔王様とは遠縁すぎるし、見た目以外はただのサキュバスよ。この国では強引な魔物化とか強姦は重罪だから、望まなければダークヴァルキリーにはならないし、それにイリスちゃんは今のままの方がかわいいかもね」
教団や中枢部が聞いたら発狂するようなことをヴァルキリーとリリムが話す時代が来るとは。いつしか魔物や人間たちも笑っていた。
「よし、始めるか〜」
どうやら練習が始まるようだ。団長で指揮者のおじさんが手を叩くと音がぴたりと止み、静かになるところは世界共通の吹奏楽人であるものの性なのだろう。
「今日の合奏は3時から。曲は前に配ったやつ」
「ハイ!!」
「それと今日は天界の騎士様と勇者様がなんと私たちの楽団にゲストで来ていただきました。天界のトランぺッター、イリスさんと天才ピアノニスト勇者、エディク・ローラン君です」
リエが冷やかすと、団員たちから歓声が上がる。エディクは恥ずかしがっていたが、私は調子に乗り、
「神の騎士、ヴァルキリーの名に懸けて、そこそこの演奏をすることをここに誓おう!」
と剣の代わりにトランペットを掲げ、昔のヴァルキリーのように見栄を切る。
「いいぞ、ねーちゃん!」
男性陣の野次が飛び、再び笑いに包まれた。
「いきなり1stで悪いけど、これが今日の合奏曲や」
パートリーダーのおじさんから譜面が渡される。
「ンタタタタータカター、ここは16分の次を強調した方が良さそうか」
私は少しずつ歌い、譜読みをしていく。それにしてもなかなかかっこいい曲で、ジパニズムファンタジー活劇を連想させる。エディクもピアノでマレットのパートを練習しているようで、パーカッションのドラゴンの少女と楽しそうに話していた。
「そこは少しためる感じで、そうそう、上手い上手い」
パートリーダーのおじさんが歌い方の説明をする。現役の時は男性はいなかったけどこんな感じだったっけ。
「よし。じゃあ次はこのセクションをみんなで行こうか。1,2,3,4」
3度や4度に分かれるハモリが心地よい。この感覚も久しぶりだ。
「響きは悪くないけど、なんだかなー。メロディーが見えないというか・・・、2ndもう少し抑えれる?ここ全員でフォルテシモだからつい出したくなるけど」
「ハーイ」
そんなこんなで、試行錯誤したり雑談するうちにあっという間に時間が過ぎていく。そしてそろそろ合奏が始まるようだ。
「まずチューニングから。442でAグループからどうぞ」
Aグループとはバスクラリネット、バリトンサックス、ファゴット、チューバ、バストロンボーン、コントラバスで構成される低音パートである。あまり目立たないかもしれないが、全体の響きを支える上で最も重要となることからこのグループにより演奏の印象も変わってしまうこともある。続いてトロンボーン、ホルン、ユーフォニアム、テナーサックス、アルトクラリネットによって構成されるBグループ。このグループはおもにハーモニーを担当することからサウンドのブレンドが重要で、Aグループと共に迫力の強奏も求められることから様々な音色を使い分ける必要がある。大体揃うと次は私のCグループに回ってくる。このグループはトランペット、アルトサックス、B♭クラリネットで構成されるいわば花形だ。私はハーモニーディレクターの音を基準にイメージし、軽く吹く。少し高かったか。管を抜き、再度吹く。今度は大丈夫そうだ。全員で吹くと時折ずれるもまぁこんなものだろう。最後はピッコロ、フルート、オーボエ、E♭クラリネットのDグループ。これも主にメロディー担当だが、その高音ゆえ嫌でも耳に入り、音程を合わせるのも難しい。バランスやハーモニーを考える上で悩みどころとなりやすい。
「せーの!」
指揮者が合図を出すと、バンド全体でチューニングB♭を奏でる。まぁまぁだな。悪くはないが、今一つ鳴りきっていないのが惜しい。つづいて、バランスや曲の調に合わせたロングトーン、ハーモニーなどの基礎合奏を経て、いよいよ曲に入る。
「まず、頭から。1,2,3,4」
木管の中低音により、静かに主題が奏でられる。やがてそれに木管高音が加わり、トゥティーに向かうが、早速止められた。
「9に入る前のピッコロ、もっと3連に気を使って風を感じるように。タッタカタター!」
指揮者がピッコロのワイトに歌って見本を見せる。
「そこのアルトサックスはね・・・」
たとえどんなに上級な種族であっても同じ音楽を奏でる際、平等であることが前提である。それがまた楽しい。
「だいぶ良くなった。じゃあ続き行こうか」
しばらく曲を進め、再び止められる。
「イリス、そこもう少し下げれる?そう、その音程。ついでにもっと鋭い音で」
私は指揮者の指示をメモしつつ、再度演奏する。
「いいぞ、52からトランペットとホルンでやってみてくれ。上手くいったら次は・・・」
「最後に通して終わろうか」
「ハイ!」
すでに2時間近くが経ち、疲れも見え始めるが、集中する。
木管の中低音により主題が奏でられる。木管高音が加わると一気にクレッシェンドし、そのままフォルテでトゥッティーに入り、ジパングのドラムが力強く刻む。それが過ぎると木管セクションやジパングの神楽鈴という美しい鈴により哀愁を帯びた旋律が展開し、軽快なフルートソリ、トランペットソロなどプレイヤーたちの技が光る。再び、トゥッティーに入りユーフォニアムのソロが伸びやかに歌うと曲は一旦締めくくられる。テンポが遅くなり今まで以上に哀愁を感じさせ、ピッコロのソロが静かに響く。民謡風のリズムに主題が乗り、金管が独特の雰囲気を醸し出すとやがて壮大な響きへと変化する。再びテンポが速くなり、主題がより力強さを増して再現されると一度静かになり、長めの盛り上げを経て全員でフォルテシモへ。そしてその勢いのまま締めくくった。
部屋の残響が心地よい。指揮者が降り、一気に緊張が和らぐ。
「うん。良かった良かった。もう少し音程合わせれればいいけど雰囲気はよく出てる。じゃあ終わろうか。お疲れ様」
練習が終わり、団員たちはそれぞれ後片付けを始める。
「ふー。この曲細かい動き多いから指が疲れる」
「アンタ、途中から何か所かやり過ごしたでしょ」
「え、バレてた?」
「そのおかげでカバーすんの大変だったんだから。お詫びに今夜付き合ってもらうから」
「えー。今夜は家で前から楽しみにしていたジパングの萌えアニメの再放送を・・・」
「はぁ?アンタ私と言うヒロインがいながら何二次元の女に何うつつぬかしてんの?」
「そりゃ君じゃ心ぴょんぴょんできないし・・・。あー!!」
クラリネットパートのラミアと青年がそれぞれスワブを通しながら言い争っている。ラミアはふくれっ面になると青年に巻きつき始めた。
「はいはい。ここは公共の施設なので続きは宿泊室のベッドでどうぞ」
聖堂のダークプリーストでホールの職員が二人を引っ張り退室していく。青年も満更ではなさそうで、やはり中枢部や保守的な教団の言っていることはどうかしている。
「もしよかったら、今日から私の所で暮らさない?」
唾を抜き、クロスで磨いているとリエから不意に声をかけられた。
「え?」
「魔王様から『勇者とかエンジェルを見かけたらできるだけ保護してあげてほしい』って上級種族を中心に勅命があってね。それに私バカ兄貴とこの町で音楽カフェやってるんだけど人手が足りないし、それにエディク君にはうちの専属ピアニストになってもらいたいの」
私はそれを断る理由がなかった。
「えー、リエさんひどいですよ。エディクは私が先に目を付けたお宝なのに。これからは私のためだけに演奏してもらうんです」
エディとすっかり仲良くなったパーカッションパートのドラゴンの少女がエディに抱き着いている。
「あらお若いことで。でも独り占めは駄目よ。時々は私のカフェでも・・・」
「あの〜、僕の意見は・・・」
エディクを無視した話し合いの末、レンタル料としてカフェのカップル向けメニューであるタワーパフェ無料と言う結果で落ち着いたらしい。ドラゴンの少女はエディクを抱えると山の方へ飛び去っていく。
「じゃあ私たちもそろそろ」
町が夕暮れに染まる中、私とリエは聖堂を後にした。
リエのカフェは小さいながらも良くまとまっており、奥にはミニコンサート用のステージもある。
「これはこうやって、うん、できた」
私の剣と盾が壁に掛けられる。確かにデザインは美しく、良いインテリアになりそうだ。
「よう、君がリエの言ってたヴァルキリーか。ここのマスターでヴァイオリン奏者のキョウヤだ。よろしく」
黒髪に赤眼のインキュバスの青年が奥から出てきた。リリムの兄と言うこともあってなかなかのイケメンである。挨拶もそこそこに家の中へ通された。
「ここがリビング。そしてこっちが兄自慢のDTM部屋。DAWはSinger Tools X5、楽譜ソフトはfinalius 9が入ってる。なんか思いついたら適当にうちこんでいいけど私のハードディスクは覗いちゃダメよ。シャワー室があっちで、あっ、そうそうこの部屋空いてるから使って」
私は部屋に通されると鎧を脱ぐ。忘れてたけど今日これ着たまま演奏してたんだ。仕事着だから着てると結構落ち着くけど。
「あっ」
翼を見ると輝きが無くなり、ただ白いだけになっていた。まさか初日から堕天するとは。天界で仲間たちともう騒げないのは残念だがいつか会えること信じてメールを送ることにした。
『どうも、イリスです。人間や魔物たちと演奏したら初日から堕天してしまいました。勇者君もかわいらしいドラゴンにお持ち帰りされ、私もこれからリリムの兄妹のカフェでお世話になることにしました。人間も魔物もみんなやさしいので楽しくやっていけそうです』
最後にリエと共に演奏している写真を添付する。そこには再び本当の剣を手にした天界の騎士とかつて魔界の王女とよばれた種族が一つの音楽を奏でる姿が映し出されていた。
14/08/12 21:53更新 / 低音奏者