読切小説
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竜騎士への道
ザイラス王国は、数十年前まではやや魔物よりの中立国だったが、竜皇国ドラゴニアと友好条約を締結したことにより親魔物国となった。
そのような経過から、ドラゴン属やリザード属などの魔物娘が多いのが特徴であり、自前の竜騎士団も備えていた。
旧魔王時代に比べれば非常に行きやすくなったドラゴニアだが、魔界ということで尻ごみするものもまだ多い。
一部では第二のドラゴニアとも呼ばれるこの国には、ぜひ一度ドラゴンをこの目で見てみたいという観光目的で来る人が多く、その他に竜騎士にあこがれる若者も少しいて、その中にフェンはいた。


フェンは酒場の入り口に立っていた、手に持っている観光用パンフレットには独身の魔物娘に会うならここが一番と書かれていた、もちろん独身の魔物娘たちにより結成された観光協会が作成したパンフレットである。
店に入ろうとしたところ、中から怒号と悲鳴と大きな物音が聞こえて一人の男性が泣きそうな顔で店の外へ飛び出した、ぶつかりそうになったのを余裕で避けたフェンの耳に「弱い奴に私の背中に乗る資格なんて無いわよ!覚えておきなさい!」という女性の大声が聞こえた。
次に飛び出してくる人がいないことを確認して入店したフェンに視線が集まった、注目を浴びることは覚悟していたので気にせずまっすぐカウンターに向かった。
「ミルクをくれないか、できればホルスタウロスミルクで無いのを、あれは濃すぎるから苦手なんだ」
フェンはカウンター席に座りマスターに注文した。
「お客さんは禁酒主義なんですか?」男性のマスターは珍しい種類の客からたまにある注文を受けて作り始めた。
「親父の遺言だよ、酔っぱらって川に落ちて水死だからね」
「それはそれは、ところでこの国には観光で?」
「この格好で観光に来たように見えるかなあ」
フェンは腰に剣を下げ、軽装の鎧を着ていた、傭兵や用心棒といった職種なら良くある姿だった。
「それではなんかの仕事で?」
「この店の他の人間の客と同じだよ、竜騎士になりに来たのさ」
「はい?」
マスターは聞き違いかと思った。
「ところでさっき大声で騒いでいたのは誰なんだい?」
フェンの質問に対してマスターが示した先のテーブル席にドラゴンが座っていた。
この店には他にもドラゴンはいたが、彼女は他に比べて目つきが鋭く近寄りがたい雰囲気を漂わせていた。
「ケンカの理由はなんだったの?」
「ノーナ様は『自分より強くなければ絶対背中には乗せない』という方で、軽い気分で声をかけると先ほどの様になるのですよ」
「名前はノーナか…、ところで『様』付けということは貴族かなんかなの?」
「ノーナ様は我国の竜騎士団長ジムス様の一人娘です」
「竜騎士ジムス!?」
フェンは驚きの声を上げた。
「ご存知でしたか?」
「ご存じも何も…、竜騎士になろうという人間が竜騎士ジムスの名を知らなかったらモグリか、にわかだろうが…」


ドラゴニアと異なりザイラス王国の竜騎士団長はドラゴンの夫が務めていた、それはこの国の最初の竜騎士ジムスの事情による。
ジムスはザイラス王国の歴史ある武門の次男として生を受けた、小さいころより武芸に優れていて、戦乱の世の中なら彼が後を継ぐと評されていた。
しかし、戦らしい戦はあまりなく『兄上は武芸以外のすべてで私より優れている』と、兄弟仲も良かった。
兄が一族の当主についた時、ジムスは竜騎士になるという長年の夢をかなえるためドラゴニアへ旅立ち、あるドラゴンに勝負を挑み、ドラゴニア闘技場での死闘の末勝利を収めた。
このことはドラゴニア内外に衝撃を与えた、人間がドラゴンに純粋に武力で勝つということはここしばらく無かったからだ。
ジムスはそのドラゴンと結ばれ、竜騎士になり、さらにドラゴニア女王デオノーラから『ドラゴンスレイヤー』の称号を与えられた。
ザイラス王国にドラゴンとともに帰還したジムスは英雄として迎えられ、国王によって竜騎士団長に任命され、兄と協力してドラゴニアとの友好条約締結に成功した。
旧魔王時代も含めて有名無名様々な竜騎士がいるが、とくに有名な竜騎士たちの一人に数えられている。


「よし決めた!」
フェンは意を決してカウンター席から立ち上がった。
「決めたって、何をです?」
マスターが怪訝な顔をして尋ねた。
「ここで会ったのも何かの縁!彼女を俺のドラゴンにして竜騎士になる!」
「さっきのは本気だったんですか!?」
「冗談を言う時と場所はわきまえている」
「いくら本気でもお客さんが竜騎士になれるわけが…」
フェンはマスターの声を無視してノーナの席に近づいた。


「ちょっといいかな」
「何か用?」
声をかけたフェンに対してノーナは不機嫌そうな声で答えた、これが他の客なら返事もしなかったろうが、この店ではあまり見かけない種類の客だったので多少の好奇心もあり相手をした。
「俺は竜騎士になりたいんだ、俺のドラゴンにならないか?」
「えっ?今何といったの?」
マスターと同じくノーナも聞き違いかと思った。
「俺は竜騎士になりたいんだ、俺のドラゴンにならないか?」
フェンは先ほどと一字一句同じことを言った。
「………」
ノーナはその言葉を理解するのに少々時間がかかった。
「あんた…本気?いや正気?」
「自分では正気だと思っているけどね、あとあんたではなくフェンという親からもらった名前がある」
この時の相手がフェンではなく先ほど追い出した男みたいな奴だったら、同じく叩き出したところだが、全く想定外の相手だったのでノーナは混乱していた。
「マスター今日は帰るわ、ここに置いておくわね」
ノーナは目の前の現実を受け入れられず店を出て行った。
ノーナは自分では正常だと思っていたが、通いなれたはずの自宅までの道を2回も間違えた。


ようやく自宅についたノーナはいつも通りに両親に帰宅のあいさつをした。
「お父様、お母様ただ今戻りました」
「お帰りノーナ」
彼女の父親でザイラス王国竜騎士団長ジムスは優しく答えた。
「ノーナ、あなたまた店で暴れたそうね」
彼女の母親でドラゴンのヨユヤはきつい声で叱った。
「実力もないのに声をかけるのが悪いのです」
ノーナは悪びれず答えた。
「それだけでなく、次に声をかけた相手を無視してそのまま帰ったそうね」
ヨユヤは重ねて叱った。
「誰から聞いたのですか?」
今日の酒場には母親に告げ口するような客はいなかったことに気付いた。
「この方ですよ」
この時ノーナは初めて両親以外に、客用のソファに一人座っていることに気付いた。
「さきほどの返事は決めてくれた?」
フェンだった。


「ななななんであんたがここにいるのよ!」
「早く返事をもらいたいと思って」
混乱気味に問い詰めたノーナに対し、フェンはあっさりと答えた。
「何でここが分かったのよ!」
「竜騎士団長閣下の御自宅はどちらですかと聞いたらたいていの人は知っていたから」
「ノーナ、落ちつきなさい!」
ノーナとフェンのやり取りにヨユヤが口を挟んだ。
「あなたが帰っているずっと前にフェンさんが来て、竜騎士になりあなたの背中に乗りたいと私とお父さんに申し込んだのよ」
「お父様とお母様はこんなふざけた話を黙って聞いたのですか!」
「ノーナ、落ちつくんだ」
ジムスが少し疲れを感じさせる声で娘をたしなめた。
「フェン君の話を聞いた時は私も母さんもたぶんお前と同じくらい驚いた、だがドラゴンに乗り竜騎士になりたいという意思は間違いなく本物だ」
ジムスはフェンと向き合った。
「だが前例がないということは君も分かるだろう?」
「前例はあります『白銀の竜騎士ハン』や『赤毛の竜騎士ファーム』はジムス様もご存じのはずです」
「それは旧魔王時代の話だが…」
ジムスはフェンの言うことに一理あることを認めざるを得なかった。
「いずれにせよ最終的にはノーナの意思による、親だからと言って無理やり押し付けるつもりはない」
「解りました」
フェンはうなずき、ノーナに対峙した。
「あらためて申し込む、俺のドラゴンになってほしい」
「やだ」
ノーナは不愉快な顔と口調で答えた。
「では決闘を申し込む、勝てば問題は無いだろ?」
「あんたほんとに正気なの?お父様を除いて人間がドラゴンに勝てるわけがないでしょ!」
「そんなこと言って負けるのが怖く……、あ、解った」
「なによ」
「本当は好きな男がいるのだが、自分から告白できずうじうじしてるんだろ?俺は構わないよ、俺のドラゴンになってくれるのならその男と結婚しても気にしないから」
「ふざけるな!」
激怒したノーナは次の瞬間、先祖がえりをして魔物娘の姿から旧魔王時代のドラゴンの姿になった。


「やめなさいノーナ!」
ヨユヤは先祖がえりはしなかったが、実の娘以上のドスの利いた声で止めた。
「止めないでください!」
「この家のローンはまだ残っているのよ、あなたが全部払ってくれるの?」
「……!」
ノーナの動きが止まった。
「本物のドラゴンをこんな身近で見たのは生まれて初めてだ、なかなかすごいな」
フェンは好奇心旺盛な目つきでノーナの周りを回った。
「ドラゴンのうろこはこんなに硬いのか、これは大変だ」
ノーナの背中にぺたぺた触った。
「触るな!」
ノーナが腕を振り上げたのでフェンは距離を取った。
「ノーナ」
ジムスは娘に真剣な口調で声をかけた。
「お前はフェン君に決闘を申し込まれた、よほどのことがなければ断るわけにはいかないということは解るな?」
騎士にしろドラゴンにしろ、自分が強いということにプライドを持っている者にとっては決闘とは重要なものであり、時には断っただけでも恥になることはあたりまえのことだった。
「……決闘を受けます」
「では日時は2週間後の正午、場所はこの国の闘技場ということで異議は無いかね?」
フェンもノーナも異議は無かった。
「ではノーナは部屋に戻りなさい」
ノーナは釈然としない顔で自分の部屋に戻った。
「ところでフェン君、勝ったらの話だがこの国で竜騎士になることを望むかね?」
ジムスはフェンを座らせて聞き始めた。
「はい、できるのならそれを望みます」
フェンは緊張して答えた、これが採用面接であるということに気付いたのだ。
「フェン君はどこの出身だね?」
質問に対してフェンはある反魔物国の名前を答えた、ジムスには聞き覚えがあった。
「たしかあの国はあの竜騎士の出身地だったな」
もっとも有名な竜騎士の出身地として良く知られた国だった。
「はい、ですから幼いころからずっと憧れていました」
「家族はこの国に来ることには反対しなかったのかね」
「母は小さいころに亡くなっています、兄弟はいません、父が亡くなったのがこの国に来るきっかけです」
「そうか…、父上は君が竜騎士を目指すことに反対だったのかね?」
「反対というか『お前には無理だ』と大笑いされました」
「まあ…な」
ジムスはフェンの父親の気持ちが良く理解できた。
「武術で得意なのは剣かね」
フェンの腰に下げている剣を見て尋ねた。
「剣は得意ですがその他に槍、弓矢、素手、その他の武器も学びました」
「誰から?」
「父です、父は道場を開いていました」
「父上は騎士や兵士だったのかね?」
「宮仕えはしていません、若いころは世界中を旅して武者修行をしたというのが自慢でした」
「では霧の大陸やジパングにも行ったのかね?」
ジムスは興味深そうな表情をした。
「行ったとは言っていましたがどこまで本当の話かはわかりません、ただ複数の国を渡り歩いたの間違いないです」
「話は変わるが、試合の日まで滞在するところは決まっているかね」
「宿は既に取っています」
「訓練をする場所は?」
「これから探します」
「兵士たちの訓練場を使用する許可を出しても良いがどうかね」
「よろしいのですか!?」
フェンは思いがけない好意に驚いた。
「訓練所を担当しているのは竜騎士副団長のジョムスだ、手紙を書くから明日にでも尋ねたまえ」
手紙を受け取ったフェンは何度も礼をして屋敷を後にした。


「あなた、ずいぶんフェンさんを気に入っているようね」
フェンが帰った後ヨユヤはジムスに話しかけた。
「度胸はある、ノーナをわざと怒らせて先祖がえりさせ、体の大きさ、うろこの硬さ等を調べたんだ」
「それにドラゴンを目の前にして全然緊張も恐怖もしていなかった、昔のあなたみたい」
「そうだ、昔の俺に良く似ている」
ジムスは深い自嘲のため息をついた。
「無謀と勇気の区別がついてないところなんか本当にそっくりだよ」
「でもあなたは私に勝てた、ノーナも昔の私に良く似ているから変則的だけどいいパートナーになれるかもしれないわね」
「今の魔王様になってから初めてのことだろうな」


この国の闘技場はドラゴニアの物に比べると小さくはあるが、集会や演劇等様々なイベントに使われることが多いので施設は整っていた。
人間とドラゴンの決闘に使われるのは久しぶりということもあり、大勢の観客でごった返していた。
「それにしてもドラゴンと結婚したいのならドラゴニアに行った方が早いと思うんだがなあ」
「お前何も知らないんだな」
「何を?」
「見りゃわかるよ」
観客席の中で特に贅沢な装飾がほどこされている一角に、威厳と美しさを兼ね備えたドラゴンが現れると、それに気付いた観客たちから歓声が上がった。
「ドラゴニア女王のデオノーラ様だ!ドラゴニア竜騎士団長のアルトイーリス様もいるぞ!」
「わざわざ見に来たのか」
「向こうでも話題になっているそうだ」
 

「我が国にご訪問いただきありがとうございます、デオノーラ様」
ジムスはデオノーラに対し訪問への感謝を述べた。
「うむ、たまには国外に出た方がいい男が見つかるかなと思った(友好国への訪問は当然の義務だ)」
デオノーラは威厳に満ちた表情で答えた。
「は?」
「デオノーラ様、建前と本音が逆です」
侍女から突っ込まれた。
「デオノーラ様は失言が多すぎます『黙っていれば美人』と国民たちにうわさされているのをご存知ですか?」
侍女から再度追及を受けたデオノーラはうろたえながら答えた。
「わ、分かっているぞ」
「本当ですか?」
「『しゃべればもっと美人』ということだろ?」
侍女はため息をしながら全てをあきらめたかのような表情をした。


「アルトイーリス様、今回は審判を引受けていただきありがとうございます」
デオノーラから少し離れたところでヨユヤとアルトイーリスが会話をしていた。
普段はジムスが審判を行うが、今回は実の娘が当事者なので辞退した。
「今回の決闘はドラゴニアでも話題になっているからな、見に来る口実ができてちょうど良かった」
アルトイーリスはニヤリと笑いながら続けた。
「それにしても随分と丸くなったなヨユヤ、かっては『狂竜』とあだ名されるほど礼儀知らずで喧嘩っ早かったのが嘘のようだ」
「そのかわりノーナがあの頃の私に似てしまって…」
ヨユヤは恥ずかしそうに答えた。
「気にするな、あのフェンという者が勝てれば良くなるだろう、ところであの者の実力はどれほどなのだ?」
「訓練所の教官によると通常の入隊希望なら即採用のレベルだそうです、反魔物国なら勇者候補になれる実力があるとも言っていました」
「ほう、なかなか面白い戦いになりそうだな、開始時間が近いからいってくるぞ」


軍楽隊のファンファーレが鳴り響き、闘技場の中央でフェンとノーナが向かい合い、審判のアルトイーリスが開始の宣言をして決闘が始まった。
ノーナは始まった直後に先祖がえりして、フェンにドラゴンブレスを吐きかけた、フェンは落ち着いて大きめの盾で防いだ。
「なるほどサラマンダーのうろこの盾か、あれならたいていの炎は防げる、ひょっとしてお主のアドバイスか?」
来賓席のデオノーラはすぐ近くに座っていたジムスに尋ねた。
「いえ違います、ただ竜騎士団員達にはフェン君に質問された時はなるべく正直に答えるようにと指示しました」
「なるほど」
ドラゴン属との戦いについて一番詳しいのは彼女らの夫たちだった。
ブレスにあまり効果がないと判断したノーナはフェンに近づき爪のはえた手で攻撃した、それに対しフェンは剣や盾で受け止めようとせずにひたすら避けた。
「ノーナは動きに無駄が多いな、あまり戦いの経験は積んでいないようだなヨユヤ、そなたと異なり本気の喧嘩はあまりしていないと見える」
デオノーラは今度はヨユヤに尋ねた。
「ドラゴニアにいた時の私は何の権力もない一匹のドラゴンでしたが、今のあの子はこの国の有力者の一人娘です、本気で喧嘩ができる相手はいません」
ヨユヤはどことなくさびしそうに答えた。
「そなたかジムスが相手をすれば良いのではないか?」
「私たちの前では『いい子』なんです」
「いろいろあるのだな、それはそうとフェンは軽装だな、布の服の上に軽装の鎧だ、一撃でも受けたら終わりだ」
ドラゴニアでもザイラスでもドラゴンと戦う者は重装備の鎧をまとうのが一般的だった。
「守りより速さを選んだか、両立できる鎧もあるのだがな」
「それは高すぎます、家一軒建つほどですから」
「身も蓋もない」
ジムスの返答に対しデオノーラは苦笑いした。


フェンはノーナの爪による攻撃を少しずつ後退しながらかわしていたが、ついに観客席との間にある堀のところまで追い詰められた。
この闘技場では堀に落ちたら敗北というルールのため、観客たちはフェンがこの状況をどう切り抜けるか見守った。
ノーナはフェンを蹴り落として終わりにしようと考え、右足を上げフェンに迫った。
フェンはこの動きに対してブレスを受けるのに使っていた盾を両手で構えて、自分を蹴り落とそうとするノーナの足の裏に盾をくっつけた。
両者の力は大差があるのでフェンが押し返そうとしても押し負けるのは確実だったが、フェンは盾を残したまま真横に飛んだ。
勢いよく飛んだため着地に失敗し転倒したフェンを視界の隅に捕えたノーナは上げた右足を戻してフェンの方向へ体を向けようとしたところ、右足に違和感を覚えた。
「おい、ノーナ様の右足の裏に盾がくっついたままだぞ」
「右足を振っているけど…、とれないな」
「盾の表に接着剤を塗ったんじゃないか?」
苛ついたノーナはもっと激しく足を振ったが盾は外れなかった、その姿を見た観客席から笑い声が上がった。
「あれは…いいのか?」
デオノーラは笑いをこらえる表情でジムスに聞いた。
「私に…あれを非難する資格はありません、今だから言うのですがヨユヤと戦った時に盾に同じ仕掛けをしてました、使わずにすみましたが」
ジムスの告白を聞いたデオノーラは吹き出した。
「まあ、審判が判断することだがな」
盾を外すことをあきらめたノーナはフェンが体勢を立て直す前に右足を地面につけようとした瞬間、右足が思いっきり滑って転びそうになり、観客席からまた笑い声が上がった。
「盾の裏には滑りを良くするワックスを塗っていたのか!」
デオノーラは周りの目も気にせず笑い転げ、ジムスとヨユヤは自分のことのように恥ずかしくなった。
アルトイーリスは判断に迷っていた、これが人間同士、ドラゴン同士の戦いなら卑怯と判断したかもしれないが、人間とドラゴンという最初から実力差のある戦いだ、こういう場合小細工に足をすくわれることが多いということは良く知っていた、少し考えた結果ノーナに油断があるのが悪いということで問題なしとした。


先に体勢を立て直したフェンは、ノーナが二本の足で立つのが精いっぱいの状況であることを見抜くと自分が来ていた軽装の鎧を外し始めた。
「おい、何で鎧を外すんだ?」
「さあ…」
鎧を脱ぎ棄てたフェンはその下の布の服も脱ぎ始めた。
布の服を脱ぐ瞬間、観客席から何かを期待するような歓声が沸いたが、それはすぐ驚きの声に変わった。
フェンは布の服の下にほぼ同じ服を着ていたが、服と服の間に鉄の鎖を体に巻きつけるかたちで装備していた。
「あれは…まさか鉄鎖術!?」
「知っているのか雷電!…じゃなくてジムス!」
何か知っているらしいジムスにデオノーラは尋ねた。
「南方大陸の奴隷たちが鎖に繋がれたまま戦うために編み出した武術です、父親が世界中を旅したというのは本当だったのか…」
フェンはそれまで持っていた剣を鞘に納めて、体に巻きつけた鎖を両手で持つと一瞬で外した、ノーナは予想外の展開に判断が一瞬遅れた、それで充分だった。
フェンは鎖の一端を頭上で回してノーナに向けて勢いよく投げた、その鎖はノーナの右肘のあたりに巻きついて絡んだ。
あわてたノーナは鎖の絡んだ右腕を後ろに引いた、前にも述べたがドラゴンと人間には力の差がありすぎる、引っ張り合いをしたらフェンが確実に負ける。
観客たちにはフェンがノーナとの引っ張りあいに負けたかのように見えたが、むしろフェンはノーナの力を利用して勢い良く走って近づいた。
ノーナに近づいたフェンはズボンのポケットから何かを取り出しノーナの顔にめがけて投げた、それはノーナの顔の前で破裂した。
「何を投げた!?」
「あれはびっくり玉だな、大したものではないぞ」
びっくり玉とは爆発系魔法の中でも最下級のもので、素人でも2、3日学べば使える魔法だ。
小石にかけて投げつければ乾いた爆発音と少しの煙が出る、破壊力は限りなく無しに近く、人間の赤ん坊でも傷付けることはできない。
しかしノーナの視界を一瞬奪うだけなら十分だった、両目を閉じた後開けたノーナの視界からフェンは消えていた。
『ノーナ、うしろうしろ!!』
ノーナに観客たちからの声が聞こえた、フェンはノーナの視界を奪った瞬間、ノーナの右腕の下を潜り抜け後ろに回っていた。
振り向いたノーナには鎖のもう一端を投げるフェンが見えた、その鎖はノーナの左膝のあたりに巻きついて絡んだ。
ノーナの右肘と左膝に絡んだ鎖は、ノーナの背中を斜めに横断して結ばれた状態になった。


ノーナは混乱していた、右腕と左足が鎖で結ばれているのでそれぞれ自由に動かせない、鎖が目の前にあれば左手の爪で切断することができたが、背中にあるのでそれができない、全力で引っ張れば引きちぎることもできたが、この体勢では全力を出せなかった。
右足の下には滑りやすい盾があるので両足で踏ん張ることもできなかった。
「ノーナ、まず左手で右腕の鎖を外しなさい!」
ヨユヤは思わず大声を上げていた、それが聞こえていれば鎖は外せたかもしれないが、フェンは残りのびっくり玉を投げつけてノーナに冷静な判断をさせなかった。
なんとか判断力を取り戻しかけたノーナは飛ぶことによりフェンと距離を取って、体勢を立て直すことにした。
ドラゴンが飛ぶ時は、地面に両足をつけたまま背中の羽をはばたかせて飛ぶ力を得るのが通常のやり方だが、急ぐ時には両足の力でジャンプするのと羽をはばたかせるのを同時に行うというやり方があった。
ノーナはこのやり方は何度もやったことがあるので今回も成功すると思いジャンプした。
「ノーナ、それはだめ!」
ノーナの考えを正確に読み取ったヨユヤはこの後の展開も予測して思わず叫んだ。
ノーナの誤算は二つあった、一つ目は左足の鎖と右足の下の盾のせいでジャンプによる十分な高さがとれなかったこと、二つ目は背中を斜めに横断していた鎖が背中の羽の動きを邪魔したことだった。
結果、飛ぶことに失敗したノーナは着地しようとしたが、つい右足から着地しようとして足を滑らせて地響きを上げて派手に転倒した。
ノーナは距離を取ることに失敗したので、転倒した所はフェンのすぐ近くだった。
絶好のチャンスをフェンが見逃すわけはなく、剣を抜きノーナの懐に飛び込み、ドラゴンの最大の弱点―逆鱗―を一気に刺し貫いた。


フェンも含めドラゴンと生活を共にしていない者には断末魔の悲鳴にしか聞こえない声をノーナが上げると、審判のアルトイーリスはフェンの勝利を宣言した。
歓声が鳴り響く中、意識を失いぐったりしたノーナは魔物娘の姿に戻ったが、気絶したままだった。
不安に思ったフェンは万が一に備えて待機していた医療班を呼ぼうとしたが、アルトイーリスから単なる気絶だからお前が起こせと言われたので、ノーナの上半身を抱き起した。
観客たちからの期待の視線を浴びたフェンは、ノーナに目覚めのキスを……せずに、往復ビンタをあびせた。
観客席からは脱力した期待外れの声が上がった。
「あ…あ」
「起きたか」
ノーナは意識を取り戻してすぐ両頬の痛みを感じたが、次の瞬間目の前にフェンの顔があったので痛みを忘れた。
「おい、大丈夫か(頬以外にも)顔が赤いぞ」
「だだだ、大丈夫よ」
「決闘はおれの勝ちだ、おれを背中に乗せる約束はおぼえているな?」
「忘れてないわよ」
「人の目を見て話せよ」
「落ちつくまでちょっと待って!」
観客たちはノーナがメストカゲになったことを理解した。


「やっとノーナのかたがついたな」
ジムスは長年の懸案が解決して安心した。
「あなたは一生ノーナのパートナーが見つからないかと心配していたからね」
ヨユヤは苦笑して答えた。
「しかし、孫の顔を見るのをあきらめることになるのか…」
「あら、二人目、三人目を作ればいいじゃない、さっそく今晩にでも…」
ジムスは妻もメストカゲの顔をしていることに気付いた。
「いや、大丈夫だ」
デオノーラの発言にジムスとヨユヤは驚いた。
「私から魔王様にお願いしてみる、ノーナとフェンの間に子供ができるようにな、きっと何とかしてくれるだろう」
こうして、今の魔王になってから初めての女性竜騎士が誕生した。
17/01/22 14:27更新 / キープ

■作者メッセージ
お久しぶりです、魔物娘の中には自分より強い相手でないと結婚しないというのがわりといますが、それが女性だったらどうするのだろうというのが長年の疑問でした。
女性勇者が当たり前に存在する世界観ですので、良くある話だと思います。
考えてみましたが、百合がダメとはどこにも書いてないのでこういう展開もありということにしました。
今回初めてバトルに挑戦してみましたがいかがだったでしょうか?

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