読切小説
[TOP]
告発
「主神様おはようございます」
「おはよう、フォルス」
まだ緊張感が残るあいさつの言葉に対して、主神は慈愛にみちた笑顔で答えた。
主神の最も身近なところでお世話をするのが役目であるエンジェルのフォルスは、ごく最近この任務についた。
それまで経験豊富な複数のエンジェルたちがその役目についていたが、彼女たちが魔物との戦いの最前線に投入されることになったので、フォルスが後任に選ばれた。
この人事に一番驚いたのは本人だった、自分は経験の浅い新米エンジェルだと思っていて、周辺も同様に認識していたからだ。
当初は断ろうと考えていたが、主神による指名と聞いて受け入れた、彼女は主神に対してとても強い敬愛の念をもっていたからだ。
「主神様、昨日は申し訳ありませんでした!」
朝のあいさつの次にフォルスは深く頭を下げた、昨日彼女は主神に対して言い訳しようのないミスをしてしまった、先輩たちからはさんざん責められたが、主神はにっこり笑って許してくれたのだ。
「そのことはもういいのよ、次からはがんばってね」
「はい!」
寛大な主神に対してフォルスはより一層尊敬の気持ちを深めた。

主神に、部屋の隅にある箪笥から服を持ってくるように言われたフォルスは壁沿いに歩いて向かった、部屋の真ん中を歩いて行くのは失礼だと勝手に思っていたからだ。
壁をこするように歩いていたら、壁からでっぱったところに腕をぶつけてしまった。
「フォルス、大丈夫?」
それほど大きい音を立ててはいないはずだが、主神は気付いてフォルスに声をかけた。
「大丈夫です、主神様」
あわてて返事をした。
「それならいいのだけど、そのドアにはならべく触らないようにしてね、もちろん開けちゃだめよ」
フォルスが腕をぶつけたのはドアのノブだった、この主神の部屋に出入りする時に使うドアとは別に、部屋の片隅にもう一つドアがあった。
「分かりました、気をつけます」
フォルスがこの部屋に初めて入った時にも、同じような注意を受けていた、彼女はこのドアが開いたことは一度も見たことがなく、向こうに何があるのかは全く知らなかった。

次にフォルスは化粧鏡に向かって座っている主神の後ろに立って、主神の髪をブラシでとかし始めた。
主神の金髪はとても美しく、いいにおいがした、この時ほどお世話係になったことに幸福を感じたことはなかった。
しかしフォルスにはずっと気になっていることがあった、主神の金髪の中に一本だけ黒髪が混じっていたのだ。
その黒髪は他の金髪に比べて短く、奥の方にあるので普段は誰も気づかなかった。
この分だと主神本人も気づいてはいないだろうとフォルスは思っていたが、伝えてはいなかった。
些細なことではあるが、一度気になりだすと夢にまで出てくるようになる。
その日、ついにフォルスは小さなハサミでその黒髪を根元から切った、この程度のことはいちいちお伺いを立てるほどのことでもないだろうし、切る時にも主神に気付かれないように、最大限の注意を払った。
だが、次の瞬間フォルスには予想外の出来事が起こった。
椅子に座っていた主神が、全身の力が抜けたように横に倒れてしまったのだ。

「主神様!!」
あわてたフォルスは床に倒れた主神の体にさわろうとしたが、手を触れた瞬間違和感を覚えた。
ついさっきまで温かく、柔らかかったはずの主神の体が、冷たく、固くなっていたのだ。
「人形…?」
先ほどまで主神だったはずのそれは、今はどこからどう見ても主神そっくりに作られた人形以外の何物でもなかった。
「…?」
目の前の出来事が理解できず、フォルスはしばらく茫然と立ち尽くしていたが、誰かを呼ぶべきだとの考えに思い至り、あわてて呼び鈴を鳴らすためのボタンを押した。
しかしいくらボタンを押しても呼び鈴は鳴らなかった。
次にフォルスはこの部屋の入口に向かって走った、この部屋のすぐ外には常に護衛役のヴァルキリーが待機しているので、彼女たちに異変を知らせようとした。
だが、いくら扉を開けようとしても、鍵はかかっていないはずなのにどうしてもドアは開かなかった。
混乱したフォルスはドアを全力で叩いて、大声を上げて変事を知らせようとした、分厚いドアではあるが、すぐ外にいるヴァルキリーに聞こえないはずはなかった、だが、部屋の外からは何の反応もなかった。

「あー悪いけど、この部屋は結界を張ったから出られないし、外に知らせることはできないよ、びっくりさせてごめんね」
後ろから主神のものではない、聞き覚えのない声が聞こえたので、あわててフォルスは振り返った。
部屋の反対側、主神に開けてはいけないと言われていたドアが開いていて、見知らぬ女性が立っていた。
「まさかあの黒髪を切っちゃうとは思わなかったなあ、おかげで生き人形の術が解けちゃったよ、作るのに苦労したのに」
その女性は一目で天界の住人ではなく、人間でもないことが分かった。
「…リリム?…」
頭の角、赤い目、白い肌、漂わせている淫らな気配、どこからどう見てもリリムにしか見えなかった。
「そのとおり、リリムのライよ、よろしくね♪…と言える雰囲気ではないよね」
何故天界の主神の部屋にリリムがいるのか、フォルスには全く理解できなかったが、このリリムが異変と何らかの関係があることだけは理解した。
「主神様を…どこにやった…」
「うーんとね、あなたの大好きな主神は生きているから安心して、と言われても安心できないよね…」
「主神様をどこにやった!」
フォルスはリリムを捕まえようと駆け出した、もう少しで届くというところで、リリムが何かつぶやいていることに気付いた瞬間、意識を失った。

「悪いことしちゃったなあ、本当にごめんね」
意識を失い、床の上で倒れているフォルスというエンジェルに対して、私は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
この子の主神に対する忠誠心と尊敬の気持ちは疑いようがないものだったので、監視していてずっと後ろめたさを感じていた。
「さてと、まずするべきことは…、母様への報告か…、気が進まないなあ…」
どう言い訳しようか考えていたら、すぐ後ろから声がした。
「ライ、その必要はないわよ、私もずっと見ていたから」
「母様?…」
私が入って来た入り口から、魔界の支配者にして、主神の敵対者、全てのリリムの母である魔王が入って来た。

「母様もずっと見ていたのですか?」
「そうよ、あなたの考えがいつまでうまくいくのかと思ってね」
母様は嬉しそうだった、何故かというと私が提案し、実行した作戦が失敗したからだ。
この人はいつもこうだ、私が失敗しても決して怒ったり叱ったりはしない、喜ぶだけだ。
「とりあえず、代わりの『主神』を用意しないとね、どの子にしようかな」
母様は以前自分が考えた策を実行する気のようだ、それだけは何としても防がなければならない。

私は母様のもとでずっと表に出ない影の仕事を行っていた、何故なら魔界でただ一人、私だけが母様の本性を知っているからだ。
父様と他の姉妹、魔物娘たちが知っている母様は外面(そとづら)にすぎない、本性は旧魔王の誰よりも策士で、他人の失敗や不幸を喜び、悩み苦しむのを楽しむというまさに悪魔だ。
しかし魔王としての実力は本物だ、誰にも気づかれないうちに主神を捕まえてしまったのだから。
主神は現在、魔王城のいちばん深いところにある地下牢に監禁されている、その扱いたるやとてもここに記せるようなものではない。
生きてはいるが、あれを生きているというのなら、私は喜んで死を選ぶ。
母様が主神を捕まえた時に私はその場に居合わせた、これで長い戦いが終わると思ったから今まで汚れ仕事も引き受けてきた。
だがその後の展開は私も母様にも予想外だった、主神を捕まえたというのに、人間と魔物娘の間に人間が生まれなかったのだ。
理由は分からなかった、しかしこのままにはしておけない、最悪人間が滅亡してしまうかもしれないからだ。
母様はこのことが表ざたになれば魔物娘たちからの信頼を失い、魔王の座から追放されてしまうことを恐れた。
そこで母様は、主神を捕まえたことは秘匿することにして、代わりの偽物の主神を用意し、魔王と主神の戦いは未だに続いていると皆に思わせることにした。

当初、母様はリリムのうちの誰か一人を偽物の主神として天界に送ることを考えた。
私はそれには反対した、天界の誰ひとり主神が捕らわれていることに気付いていない、もしそこで偽物であることがばれたら、間違いなく殺されてしまう、天界にはいまだ実力のあるエンジェルやヴァルキリーが大勢いるのだ。
母様は、リリムはたくさんいるのだから一人くらい別に良いじゃないと言った、母様の本性には慣れているつもりだったが、これには同調できなかった。
そこで私は、主神そっくりの人形を作り、生き人形の術で動かすことにした。
ばれる可能性を低くするために、それまで主神の世話係をしていたベテランのエンジェルたちを外し、新米のエンジェルをその役目に付けた。
そして主神の部屋の隣室に魔界直通のゲートを設置して、魔王城からずっと監視していた。

「良いこと思いついちゃった」
母様は実に嬉しそうだった、だがこういう時の思いつきがろくなものではないことを、私はよく知っていた。
「その子を使いましょう」
気絶しているフォルスを指差した。
「このエンジェルを?…」
「そう、この子に自分は主神だと暗示をかけて、主神を演じさせるのよ。天界の住人なんだからばれる可能性は低いし、尊敬している主神そのものになれるのだからこの子も本望でしょ」
確かにいい考えだ、だけどフォルスの一生を犠牲にすることになる、ずっと監視していたせいかこの子に保護者意識を持つようになってしまった。
「ライ、監視は引き続きお願いね」
せめて、偽物であることがばれたらすぐに安全なところに避難させるようにしよう。
「それより母様、人間が生まれない理由は未だに分からないのですか?」
嫌みの一つでも言いたくなってきた。
「分からないのよ」
母様は気まずそうな顔をした、少しは気が晴れた。
ひょっとして主神との戦いに勝てば、魔物娘と人間の間に人間が生まれるようになるという前提条件自体が間違っていたのではないか、という恐ろしい考えが頭に浮かんだ。
この考えは母様の前では絶対口にしないことにした、私だって命は惜しい。
代わりに以前から思っていたことを聞いた。
「この前ある魔王軍幹部が『主神や教団との戦いは有利に進めているのに、人間が生まれる気配が全く見えないのはなぜだろう』と言っていました。同じことを考えている者は思ったより多いようです、なんらかの対策を立てた方がよいのではないですか?」
「そうね…」
母様は珍しく考え込んだ、少しはまともなことを考えてくれればよいのだが。
「そうだわ」
母様はさっきよりもっと嬉しそうな顔をした、私は悪い予感しかしなかった。
「戦いを有利に進めすぎているのが良くないのよ、たまには派手に負けた方がいいわ」
またとんでもないことを考え付く。
「まさか魔王城まで勇者の大軍を連れてくる気ですか?」
「そんな私が危ないことはしないわよ、レスカティエを教団軍に攻めさせて陥落させましょう」
「レスカティエを陥落って…、住人たちやデルエラ姉さまはどうするつもりですか!?」
「派手に負けるからには全滅してもらった方がいいわね、あの子もレスカティエを落として以来なにかと調子にのっているから鬱陶しく思っていたところなのよ」
「……」
私はもはや声を出すこともできなかった、母様の本性は私が思っていたよりずっと邪悪なものだったのだ。

今まで私はすべての魔物娘と人間が幸福になるためと信じて、どんな汚れ仕事も引きうけてきた。
しかしその考えは間違っていた、母様は旧魔王たちに決して負けない邪悪な存在だったのだ。
ここに私はこの手記により母様を告発することにする、この手記が公表されたら私はもう魔界にはいられない、最悪この世にもいられなくなるかもしれない。
それでも私は母様の本当の姿を魔界の皆に知らせなければならないのだ。


























































































「で、反響はどうだった?」
「すごかったですよエルゼル様、今年のエイプリル・フールの嘘記事競争はわが『日刊魔界新報』の勝利で間違いありません!」
日刊魔界新報の記者でラージマウスのエフタは興奮しながら教えてくれた。
魔界では多数の新聞が発行されているが、毎年エイプリル・フールこと4月1日には各紙とも読者をあっと驚かせる嘘の記事を載せて、どれだけ注目を浴びるかで競っていた。
私も毎年楽しみにしていたが、日刊魔界新報はここ数年ぱっとしないというのが私の印象だった。
日刊魔界新報の内部でも同じ考えだったらしく、私のところにエフタが来て何か良いネタは無いかと相談を受けた。
多少過激なのでもいいからと言われたところ、同席していた夫のスクルが「本当は邪悪な魔王様」というネタではどうだろうかと提案した。
それでやってみようということになり、私が架空の「手記」を書き上げた、もちろんエンジェルのフォルスやリリムのライは架空の人物である。
出来上がった手記を見て、スクルは魔王様が怒りはしないかと心配したが、私は、お母様はしゃれや冗談が分かる方だから問題ないわよと答えたが、内心びくびくしていた。

4月1日が来て、それが過ぎてもお母様からは何も言ってこなかったので、やはりお母様はしゃれや冗談が分かる方だったのねと安心したが、違っていた。
お母様ご自身は例の手記を見てびっくりしたそうだが、お母様も毎年エイプリル・フールの嘘記事を楽しみにしていたので何も言えなかったそうだ。
しかし、主な部下、結構な数のリリム、お父様まで手記を読んで、エイプリル・フールの嘘記事と気付かずにお母様のもとに駆け付け、この手記について本当のことかと尋ねた。
お母様が、今日は何月何日かと聞き返すと、みんな「もちろん嘘記事だとわかっていましたよ」とか「最初からお母様を信じていたから」とか「こういうことは信じたふりをして楽しまなければねえ」などと白々しく笑いながら帰って行った。
お母様は、自分が思ったよりまわりから信頼されていなかったという事実を突き付けられ、しばらく落ち込んだそうだ。
16/04/01 04:26更新 / キープ

■作者メッセージ
「本当は邪悪な魔王」というテーマで書いてみようと思ったのですが、このままではここでは投稿できないので、エイプリル・フールのネタということにしました。
リリムのエルゼルとその夫のスクル、ラージマウスのエフタは私の別作品「エルゼルとスクルの魔界歴史学」に登場するキャラクターです。
エイプリル・フールの嘘ニュースといえばイギリスのBBCが有名ですが、欧米では硬派のメディアや企業も積極的に参加するようです、だったら魔界でも盛んということもありえると思いました。

TOP | 感想 | RSS | メール登録

まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33