黒狼奮迅
例えるならまるで、天災のようだ。
あまりにも暴力的で、あまりにも圧倒的なその力は、一個団体の騎士達をまるで紙切れのように破り捨てていく。
長い黒髪を振り乱しながら、地を駆け躍動する人狼は、嘲笑しながら紅い瞳を輝かせる。
誰もが、その力に恐怖し、慄いた。
だが、飢えた狼はそれを見逃すわけもなく、すべてを肉片に変え、その牙に血を吸わせた。
そして、最後に残った六騎士・・・ウィル・メッセンジャ―は、苦虫を噛み潰した表情で、口を開く。
『何故・・・貴様がここにいる?』
『欲しい物があるんだ・・・』
浴びた返り血を気にもとめずに、微笑みながらアギト・フェンリルはそう答えた。
『・・・この剣が狙いか?』
『うーん、私が本当に欲しい物はそれじゃあないんだよ。確かに、“あれ”を手に入れるためにはまずはそれが必要なんだけどね・・・』
『何が目的だ・・・?』
『これから死ぬ人間に答える義理はないよ・・・。ウィル・メッセンジャー』
ウィルは龍剣バルムンクを所持していながらも、本来の使い方を知らないため、剣の性能を限界まで引き出す事ができないでいた。
確かに、バルムンクは使いやすい・・・羽のように軽く、岩をも簡単に切り裂ける切れ味を誇っている名剣だ・・・。
しかし、何かが足りないのだ・・・。
神具に数えられるべき決定的な要素が・・・。
『君はそれを完璧に使いこなす事ができていないようだね・・・』
『・・・黙れ』
アギトの言葉に、苛立ちを覚えて反論するが、それはまごうことなき事実・・・。
バルムンクを構えて、反撃にでるが、彼にとって、それはあまりにも無謀な策・・・。
『遅すぎるよ・・・おやすみ』
それが、ウィルの耳に入った最期の言葉だった。
「ふざけるな!!」
世界の教会、大聖堂、教皇の執務室にて、六騎士マイト・メッセンジャーは怒りに満ちた怒声を上げた。
「ウィルが殺されだと!?どこのどいつに!?」
「・・・おそらく魔王軍元帥アギト・フェンリルに間違いないでしょう。近郊を捜索していた兵士達が、彼女とその部下達の姿を目撃しています」
机に両肘をかけて、顔の前で指を組んだ教皇エリュシオンは重々しく口を開く。
そのやるせない返答に、マイトは只でさえ、煮えきったはらわたが、それを通り越して蒸発するような錯覚を覚えた。
「何故手を打たねえんだ!敵の所在地は明らかなんだろう?」
「手を出せないのですよ。後数日もすれば、字無し率いる反乱軍が攻め入ってきます。ミッドガルド中の同士達の援軍が来るまで外壁をすべて封鎖して、篭城しなければ、三日と経たないうちにこの首都は陥落することになるでしょう。最強の騎士と謳われた貴方達六騎士も、残り三人・・・これ以上戦力を減らす事は自殺行為に等しいのです」
「ハッ・・・冗談じゃねえ!敵の位置がわかっているのなら黙って見過ごすわけにはいかねえな!」
マイトはそう言い放つと教皇に背を向け、扉へ向かって歩き出す。
「どこへいこうというのです・・・」
「決まってるだろうが!アギト・フェンリルを討伐して、バルムンクを奪い返す!」
「ウィルが敵わなかった相手に、貴方が勝てるとでも?その病み上がりの身体で?」
ぴたりと、エリュシオンの言葉を聞いたマイトは出口に向けたその足を止める。
「確かに、無謀かもしれねえ・・・。だがな・・・」
そして、振り返り、鋭き眼光を向けて言葉を紡いだ。
「恩師を殺されて、黙っていられるほど温厚じゃねえんだよ・・・」
荒くれ者だった自分を栄誉ある六騎士へと導いてくれたウィルへの義理は何よりも堅い。
この時より、マイトは六騎士という栄誉を捨てて、復讐に燃える修羅と化した。
バタン、と音を立てて、執務室の扉が閉まる。
「どうやら聞く耳はないようですね・・・。これで残る手札は後二つですか・・・参りました」
沈黙が訪れた部屋で、教皇はただ一人、ため息をついた。
字無し率いる反乱軍、“リベリオン”・・・。
この強大で破格な力を誇る勢力は最早、教会軍、魔王軍に次ぐ第三の勢力となっていた。
彼等は、迷うことなく世界の教会のある首都へと、足を進めている。
人魔を問わない多種族混合の軍団は、圧倒的な戦闘力、一つとなった敗北者達の復讐心、そして、字無しのカリスマ的統括力・・・この三つの要素が世界の全てを揺るがす凶器となり、その矛先は無論、世界の教会へと向けられている。
「進め、復讐に身を燃やせ!」
その何万もの兵達の先陣をきりながら字無しは剣を振りかざし、馬を走らせ、向かい来る敵を打ち払う。
天空から響き渡る雷雨を味方につけ、声を張り上げ、味方の志気を高める。
その姿はまるで何者をも恐れない荒神―――。
その荒神に続くように、何も失うものは無いと、敗北者達が怒りを剥き出しにして、突撃する。
そのおぞましい気迫に、圧倒され、首都への足止めを任された教会軍は怖気づき、逃げ出す者まで現れた。
もとから数が圧倒的過ぎるため、最初から勝負を投げ出し、寝返る者まで出る始末。
挙句の果てには、字無しの操る豪雨が全てを牽制する。
対抗するべく、派遣された魔導師も、災害に勝る呪文など持ち合わせていない。
もはや、天災を味方につけた字無しを止める者など、この世界に存在しないのだ・・・。
“一握りの例外”を除いては・・・。
この日の戦も、字無し率いるリベリオンの圧倒的勝利で終わった。
思い思いに手に入れた戦利品を分配し、天幕を張ってある拠点まで戻る。
この辺りにいる教会軍はあらかた全滅したようで、明日からはまた、教会への進軍が始まる予定であった。
この様子で行けば後、数日で首都へと到着するだろう。
天幕の中で束の間の休息をとる字無し・・・。
これからの進撃に頭を巡らせていると、腰に掛けていた神剣が、甲高い音を立てて呼応するように震えだした。
何事かと、鞘から神剣を抜いてみると、刀身は青い光を帯びて、甲高い音色が更に大きくなる。
「神剣が反応している・・・。バルムンク・・・どうやらガセではなかったらしい・・・」
字無しは微笑を浮かべながら、青く輝く刀身を見つめていた。
「ようやく見つけたぜ・・・アギト・フェンリル」
ここは首都近郊の山岳・・・。
アギト・フェンリルを目撃したという部下からの情報を得て、マイトは魔物達のアジトへと足を運んでいた。
「別に隠れていたわけではないよ・・・」
アギトは山岳から見える首都を眺めてそう答える。
「むしろ、君が来るのを待っていたんだ」
「待っていただと、一体どういうことだ?」
その言葉に疑問を感じたマイトは即座に質問を投げかけた。
「簡単な事だよ。今の私の目的は世界の教会の陥落・・・。その為には幹部である六騎士や教皇を始末するのが手っ取り早い・・・。バルムンクはある目的のために必要なものだったが、ウィル・メッセンジャーが持っていたのは幸運だった。本当の使い方を知る前に、のこのこと私の前に姿を現してくれたんだからね。本人は試し斬りの為に出向いたつもりだったのだろうけど、相手が悪かったね」
アギトは質問に答えながら、背に掛けたバルムンクを片手で軽々と抜き放つと、その切っ先をマイトに向けて言葉を続けた。
「話によると、君はウィル・メッセンジャーの愛弟子だそうじゃないか。自らは命を落とし、バルムンクは奪われ、弟子さえも殺される事になるなんて・・・彼もうかばれな」
「黙れよ・・・糞犬!」
師への中傷をさえぎるように、マイトは剣を抜きアギトに斬りかかる。
甲高い金属音が辺りに木霊し、鍔迫り合いとなった。
「せっかちだなぁ・・・。ちゃんと相手をしてあげるからそんなにがっつかないでよ」
師を愚弄し、更には子供を相手にするような態度に、マイトの怒りはますます燃え上がる。
「一つ、てめえは間違った事を言っているぜ・・・」
ぎりぎりと、刃を交差させながら、マイトは口を開く。
「何かな?」
「ここで死ぬのは俺ではなくお前だって事だ!」
刃を押し出して、一旦後ろに下がり、下段から踏み込みながら切り上げる。
しかし、アギトにその一撃は読まれていたようで簡単にかわされた。
「フフッ・・・その殺意に満ちた怒り・・・。いい余興になりそうだ」
先ほど、マイトが吐いた言葉・・・それは単なる虚勢ではない、例え刺し違えてもアギトを倒す覚悟が秘められていた。
しかし、相手はウィルと一個団体の騎士を単独で葬った怪物。
その実力差はどう足掻いても埋めることは出来ない。
それは、マイト自身もわかっていた。
だが、彼の心が逃げる事を・・・師の敵を野放しにしておく事がどうしても赦せない。
0に近い勝機でも、彼は戦う事を選んだ。
例えその選択が自らを滅ぼす事になったとしても・・・それほどウィル・メッセンジャーの存在は彼にとってかけがえのないものであった。
全快したとはいえ、過去に字無しとの闘いで重症を負った、病み上がりの身体では従来の調子で戦う事は出来ない。
しかし、それを補う気力と覚悟が今の彼にはあった・・・。
だから・・・。
これから始まる絶望はそれだけ大きくなる。
暫く、斬撃を交じらせた双方だったが、明らかにアギトの剣技がマイトの剣技を圧倒している。
一旦、攻撃を止めて距離を取ったアギトはまるで遊びを思いついた子供のようにマイトに向かってこう答えた。
「うーん、これじゃあつまらないなぁ・・・。一方的すぎるからハンデをあげよう!」
おもむろにそう言い放つと、彼女は手元にあるバルムンクを地面へと突き刺して、その手を離した。
「これからは素手で戦ってあげるよ。君はそのまま剣を使って戦うといい」
あまりにも馬鹿にしたハンデをつけてきたアギトに対し、烈火の如く怒り狂いそうになるが、その重たい剣撃を受け切れなった事実と、疲労が冷静な判断をうながす。
挑発に乗るな・・・これはチャンスだ!
バルムンクを手放した今、油断すれば、一矢報いる事が出来るかもしれない。
そんな思いがマイトの頭を駆け巡る。
「そうかい・・・。それはうれしいね!」
そう答えると共に、丸腰のアギトへと斬りかかる。
勿論、バルムンクに手を掛ける暇など与えない。
しかし、次にアギトが取った行動はマイトの想像を遥かに上回るものであった。
深々と相手の肉を斬る感触は何時までも伝わってこない。
それどころか斬った感触がない、まるでかわされたかのように。
簡単な話だった。刃がへし折られたのだ。
彼女の素手によって・・・。
最早斬る機能を失った剣はただのガラクタとなった。
「うっ・・・うおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
あまりの力の差に最早半狂乱と化したマイトは一撃でもアギトへぶつけようと折れた剣を捨てて、拳を突き出す。
しかし、それは同時に放たれたアギトの拳によって阻まれた。
ごしゃり!とまるで鉄筋にぶつけたかのような音を立てて、マイトの右拳が潰される。
「っぐあああああぁ!」
「あーあ、やっぱり力比べでもお話にならないか・・・」
拳がつぶれた痛みで悲鳴を上げるマイト、それを見つめながら、呆れた声でアギトは呟いた。
「もうつまらないな・・・。壊してしまおう」
そういって彼女はマイトの左腕を掴むとその並外れた握力でそれを握りつぶした。
バキン!と音を立てて屈強な男の腕をいとも簡単にへし折った。
「っがーーー!!」
最早、痛みのあまり声にならない悲鳴を上げる。
「啖呵と悲鳴だけは一人前だね・・・」
生身の人間が魔物の巨躯に捕まる事は死を意味する。
マイトは痛みで朦朧としてきた意識の中、昔ウィルがそう言っていたのを思い出す。
ここまでか・・・だが、最期に・・・。
彼は、痛みに悶えて一歩後ろに下がった振りをして、勢いをつける。
アギトは両腕を潰され悲鳴を上げるマイトに対して、完璧に油断し慢心していた。
だからこそ、その騎士の最初で最期の一撃に気づけなった。
頭部へのダメージを抑えるため、銀の額宛を着用していたマイトは最期の力を振り絞って、その憎き黒狼の面へ頭突きをお見舞いする。
完璧に油断していたアギトは、まともにその一撃を喰らってしまう。
ゴシャリ!と鈍い音を立てて、アギトの顔面に衝撃が走った。
「っが!!」
野性的で整端な己の顔を傷つけようと目の前の騎士が最期の力を振り絞って反撃してきた事実に、アギトは慢心していた自分を恥じて、叱咤した。
「・・・は、はは・・・油断するからだ・・・くそいぬ・・・」
そして、瀕死の状態でも一矢報いたマイトは、息も絶え絶えで彼女を挑発する。
頭突きの衝撃はアギトの右上の頬にあざが出来る程度のものだったが、満身創痍の人間から傷を負ったという事実に彼女の中で怒りがこみ上げてくる。
同時に、過去に受けた字無しから受けた右手の古傷が疼いた。
主やファング以外の人間が、私を“傷物”にした!
当て馬如きがこの私に傷を・・・!
アギトは字無しからでも黒龍からでもない者から貰ったその“一撃”を与えたマイトを・・・。
心のそこから殺そうと思った。
「もういい・・・」
瞬時にマイトの身体はアギトに引き寄せられて、その腕の中に納まる。
死へ向かう抱擁・・・俗に言うベアハッグの状態だ。
「お前は楽には死なせない・・・」
耳元で冷たい声でそう呟かれたマイトは、死を悟るとともに、楽に死ねない事にも落胆し、怒りに満ちた彼女の声に、己の憎しみを上回る恐怖を覚えた。
べきべきべきと体が締め上げられ、呼吸も出来ない。
「ぐっ!あ・・・・あ・・・あ!ぁ!」
自分を押しつぶす圧力は徐々に強くなり、己をただの肉塊へと変えていく。
「・・・あ・・・がはっ!」
肋骨は折れて、内臓は潰され口からは大量の血を吐き出す。
最早悲鳴を上げる事が出来ない・・・。
だが、まだ痛みと苦しみは終わらない・・・。
マイトは地獄の抱擁の中で今までの人生が走馬灯のように脳内を駆け抜けていくのを感じながら地獄の抱擁を受け続ける・・・。
そして、その体が人形のように事切れたところで、アギトはようやく肉塊となった彼を手放した。
どしゃり、と音を立てて、マイトだったそれは、己の吐いた血の中に沈んでいく。
アギトはバルムンクを掴み、背に掛けると部下達に命じて、死体の処理を命じた。
「マイト・メッセンジャーよ。私を怒らせた人間はファングを除いてお前が初めてだ・・・冥土の土産話にもって行くことだね」
そう答えると、再び眼前に映る首都を見下ろした。
その首都へ侵入しようと、数万を超える反乱軍の大軍が、雄たけびを上げながら城壁付近まで進軍しているのが目に映ってきた。
同時にバルムンクは紅く輝き、甲高い音色を奏で始める。
「来たね・・・ファング・・・」
彼女は待ちわびていた者に対して、長い黒髪を靡かせながら黒く邪悪な笑みを浮かべた。
13/04/08 11:10更新 / ポン太
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