連載小説
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狙うはチーズ輸送船
輸送船はチーズを乗せて、大海原をゆらりゆらりと進んでいく。
輸送船の船長室で、パルメザン船長とルイ一等航海士は平和な航海に二人揃ってあくびを漏らしていた。

「ふぅ……航海は順調ですね、船長。順調すぎて私も甲板で指示することが無くなりましたよ」
「うむ。今回は何も起こらず済みそうだ。海の向こうですら欲しがる高級チーズだから、誰かに狙われると思ったが」
「はははっ、海賊のことですか? 海賊はわざわざチーズなんて狙わないでしょう。襲われたとしても武芸には自信がある者がいますのでね」
「そう……そうだな。ではこの平和な航海に乾杯するか。少し倉庫からチーズを拝借するとしよう」
「いけませんよパルメザン船長。売り物なんですから」
「なに、少し減ったところでバレやしない。知っているのは君と私だけだ」

パルメザン船長は気分よく立ち上がろうとすると、船乗りの一人であるチェダーが血相を変えて飛び込んできた。

「せ、船長!!」
「チ、チェダー君!? あ、いや、これは冗談だ、その」
「え? 何の話ですか?」
「む、違うのか」

パルメザン船長は安堵で胸を撫で下ろすが、船乗りの報告に再び顔色を変えることになる。

「海賊が出ました!!」
「「!!」」

パルメザン船長とルイ航海士はその報告を聞くと甲板上に飛び出し、あれだけ快晴だった空に霧が立ち込め始めている事にまず驚いた。
しかし、ルイ航海士は冷静に現状を確かめる。

「海賊はどこです?」
「あそこです!!」
「む、なんだあの旗は……ほんとに海賊か?」
「あ、あれは!?」
「知っているのか、ルイ君!?」
「え、ええ、あくまで噂ですが……黒い三つ丸鼠模様の下に剣が交差しているという、何処かの夢の国の著作権に触れそうな世にも恐ろしい旗を掲げ、ブリガンティン船とは思えぬ速さで鼠のように縦横無尽に海原を駆り、船員たちは皆チーズを奪う為にはどんな手も使ってでも奪うといわれる海賊ですよ。馬鹿らしい法螺話だと思っていたのですが、まさか実在していたとは……」
「そうだ……船にあるチーズの匂いを嗅ぎつけたんだ――あの、海賊ねずみ団が!!」

船員の一人サレールが放った可愛らしいネーミングに船員たちの気が抜けるが、サレールが顔を蒼白にして叫び、あの冷静沈着なルイ航海士までもが取り乱しているのだ。名前で気を抜いてはいけない相手ということだろう。

「面舵一杯! 進路変更! 逃げきれなかった場合を考え皆の者戦闘準備だ!! 砲台を用意しろ! 武器を取れ! チーズを奴らに奪わせるな!!」

パルメザン船長の一括により、それまでおろおろとしていた船員たちは、各々の役割を思い出し、甲板上を駆け回りはじめた。

●●●

一方、海賊ねずみ団と仇名された海賊船甲板上では、何十匹ものラージマウスたちが輸送船から漂う隠し切れないチーズの香りに狂喜乱舞し、せわしなく走り回っていた。

「おかしら! チーズのにおいがするふねがみえてきたよ!」
「ああ、うん、大丈夫だ。俺にはさっきからずっと見えてる」

お頭と呼ばれた男は目の前でぴょんぴょん跳ねるリルカを抑えながら、こちらに気付き進路を変更し距離を取ろうとするチーズ輸送船を遠眼鏡ごしに睨む。

「カレル、合図は?」
「た、たったいまおくりました! もうまもなくでしゅっ……です……うぅ」
「ふ、俺たちゃ、チーズさえ頂ければそれでいいんだ。悪く思うなよ――あと、噛んだからって落ち込まなくていいんだぞ、カレル」

海賊ねずみ団の報告係であるカレルはよく噛む。そしてすぐ落ち込む。報告係としては致命的だが、言い表せない愛嬌があるのでカレルの意思に関わらず各持ち場への報告係を任されているのだ。

「ねぇおかしらぁ、わたしは? わたしはなにすればいい?」

リルカは、興奮した様子で男の体をぐいぐい押している。ラージマウスの体格は個体差はあるが、皆一様に小さい。特にリルカはその中でも小さいので、男の丁度股間部分に顔を突っ込んで腕を回している状態になっているため、いろいろと問題がある。小さな耳と先の細いしっぽは激しく暴れるように揺れているし、今回は何時になく張り切っている様子で、活躍したいという意気込みをひしひしと男は感じてしまう。
男は適当にあしらうだけではリルカは離れてくれないと諦め、リルカに一つ役目を与えることにした。

「よし、ならお前は……そうだな。戦いが始まれば、戦闘後にスムーズにチーズが奪えるようチーズのある倉庫を探してきてくれ」
「え!? いいの!?」
「ああ、だが分かってると思うが、つまみ食いはなしだぞ。……そして、こっちが大事だが……お前一人で戦闘になる場合はまず逃げることを考えろ。俺たちの戦いの基本はスリーマンセル、銃口を向けられたら逃げる。よそ見すりゃ背後から飛びかかる。わかってるな?」
「うん! おかしら、わたしのだいかつやくみててっ!!」
「ちゃんと聞いてんのか……? 頼むから無理だけはするなよ」

男は張り切り過ぎるリルカに対し少し不安に駆られたが、いつまでもリルカの相手をしているわけにはいかない。男が指示を出さなければ、作戦も崩れてしまう為だ。

「おう! お前ら走り回ってないで、もう一度持ち場に着け! いい風吹いてんだからゲルンスルを緩めろ!」
「「「あいあいさーっ」」」

先程まで走り回っていた何人ものラージマウスがすぐさま縄に飛びつくと、息を合わせて引き締め帆を調節する。

「べス!」
「なんじゃ!!」
「奴らの右舷後方から風上に回り込むぞ! 例の合図まで奴らに砲撃をさせるな!!」
「承知した! リズ、右舷風上、面舵回すのじゃ!!」

見た目は幼女だが海賊団の古株航海士であるべスが、舵取のリズに指示する。するとリズは海賊ねずみ団特有の舵(別名、回し車)を、黙々と走って回転させた。船体が僅かに傾くと指示通りの軌跡で輸送船へと徐々に接近し、付かず離れずの位置をキープする。輸送船は一度確認の為か砲撃してきたが、こちらには届かない。

「相手にとって余所見する訳にもいかない良い距離だ。リズは相変わらず良い仕事をする……さて、もうじき決戦だぞ! お前ら武器を取れ!!」
「「「あいあいさーっ!!」」」
「はーい、こっちにじゅんばんにならんでー!」
「ひとりいっこずつだからねー? はやいものがちだよーっ!」

船の倉庫から木製の大箱を抱えてきた二人が声を挙げると、ラージマウス達は我先にと群がる。かわいい鼠の模様が彫られた小さなナイフと豆鉄砲を二人から手渡されていった。

「わー、これきれー……やったぁ」
「うぅ、これさきがおれてるやつじゃん……」
「これ……てっぽーのさきにチーズつまってるよー? ぅ……ちょ、ちょとだけ……れろり」

ラージマウス達は、手渡された武器がまだ大して使っていない綺麗なものであれば満足げな顔で、使い古された汚いものならば悔しそうな顔で、各々腰の小さなベルトに差し込んでいく。

「よし、全員武器を持ったか? 縄も各組で一つ持っておけよ」

やがて男はあらかた配り終わったと判断し声をかけると、いつも大人しいサラがとぼとぼと涙目で男の元に駆け寄ってきた。

「おかしらぁ、これ……さびてる……ほかのがいい……」
「……すまん、遠眼鏡買って金欠でな……今はそれしかないんだ。早い者勝ちだし我慢してくれ」

男がそう告げると、サラは目元から大粒の涙をぼろぼろとこぼし、くすんくすんと鼻を鳴らして泣き始めた。

「わっ!? ちょ」
「わ、わたし、ひっ……まえも、このさびてるやつで、うぇ、わつぃ、どんくさ、いから、うっ、うっ」
「わ、わかった!! じゃあ……これを貸してやる。俺のだ、ほら」

男は黒光りした小刀を懐から取り出すと、サラの手に握らせる。サラは持っていたナイフを放り投げ、愛おしそうに男の小刀を抱くと漸く泣くのをやめる。

「ありがとう……すごくだいじにする……」
「いや……使ってくれよ」

これで一件落着だと男は安心したが、しかし、これにはやはり他のものが黙っていなかった。

「ずるーい!! それならわたしもおかしらのがほしーい!!」
「そうだよ!! ボクのなんてホラ! ねもとからポッキリいっててもうナイフじゃないよ!!」
「「「ほしーい! ほーしい! ほーしい!!」」」

小さな体を目一杯動かして各々抗議と強請りの言葉を口にする。元々不満はあったのだろう。それ故先程のような不公平なことをすると、勿論非難は出る。
そもそも何故、普段から武器を自己管理せず、こういった配給制にしたかというと、自己管理だと紛失が非常に多いからである。喧嘩で壊したり、海に落っことしたり、船員は30人程いるのに、武器がナイフ三本だけの時はいったいどうやって海賊行為を行うか酷く頭を悩ましたものである。故に、戦闘行動と訓練時以外は武器を予め倉庫に仕舞っておくことにしたのだ。金が溜まり人数分が揃うまでは、無差別早い者勝ちのルールを取り決めたのである。結果は見ての通り、戦闘前にどうしても一悶着起こってしまう。
しかし、この争いに航海士であるべスが耐え切れずに前に出た。

「あーっ! うるさいのじゃ!! ナイフはあくまでも脅しじゃ! わしらは奴らを海に叩き落とす、もしくは縄で縛れば勝ちなんじゃ。殺しも殺されも厳禁。武器に不満があるものは縄係をすればよいじゃろう!」
「おお。そうだぞ、お前ら。べスの言う通りだ」

べスは一番の古株の割に落ち着きなく目立ちたがり屋で威厳がないのだが、こんな時は頼りになる。まあ必ずのようにしたり顔でビシッとポーズを決める姿に威厳を求めても仕方ないのだが、と男は嘆息する。

「そういうことで、合図が来るまで各役割を再確認だ。このまま奴らの船と並走すりゃ海軍の網にかかる。さっさとやるぞ」
「「「はーい……」」」
「よーし、小さいがいい返事だ。ではまず……アイはいつものように狙撃だ。今回も頼りにしてるぞ」
「くくっ……まかちぇろ……わたちのちょげきでやちゅらにじごくをみちぇてやる」

アイは身の丈より大きいマスケット銃を背負いマストを軽々と昇っていく。格好つけているつもりだろうが、舌足らず過ぎて全く締まらない。だが怒らすと狙撃されるのを知っているので男は何も言わなかった。

「カレルは、アイの横で弾込め役だ。三丁のマスケット銃を檣楼に備え付けてあるから、アイが撃った先から込めてってくれ」
「はい、まかせてくだしゃい! ください……うう」

カレルは気合と比例しない自分の饒舌さに意気消沈しながらマストを昇っていく。

「全く、あの滑舌悪いコンビが戦闘では相性いいというから驚きじゃ……ぢゅっ!?」

軽い銃声とともに小さなコルクがべスの頭を直撃した。

「むううう! アイの地獄耳め、滑舌が悪いのは本当の事――あたたたッ!!」
「おーい、一応火薬使ってんだからコルクの豆鉄砲でも無駄撃ちするな! べスには俺から言っておくから!」

男の言葉が聞こえたのだろう、弾はぴたりと途切れる。未だ涙目で憤慨するべスを抑えながら、他にも乗り込む順番や、戦闘での各役割を確認していく。ラージマウス達は迫る決戦の為か緊張した面持ちで男の話を聞いている。
突如、檣楼にて遠眼鏡を覗いていた報告係カレルが叫んだ。

「っ!! おかちら! あ、あいずでしゅっ!!」
「! リズ、輸送船に急速接近、接舷攻撃を仕掛ける! 横からぶつけて足場を不安定にしてやれ!!」

男の指示が聞こえると、リズは舵(回し車)の中を高速で走る。帆が追い風を掴むと、凄まじいスピードで海賊船は輸送船へ近づいていく。男は懐から遠眼鏡を取り出し輸送船の甲板上を覗き込むと、輸送船内は予想通り混乱に陥っているようだった。
男は腰に差した剣を抜き、叫ぶ。

「好機! 乗り込むぞッ!!」


●●●


輸送船のルイ一等航海士は噂以上の海賊を目にし、かつてない程に焦っていた。海賊は恐ろしい程卓越した操舵技術で瞬時に風上に位置取り、輸送船の隙を伺っている。通常の戦闘なら風上に位置取られた時点で、砲撃の的になる詰みの状態なのである。だが、相手は海賊。そんなことをすれば倉庫にあるチーズに危害が及ぶと分かっている為、あくまでも様子見を決め込んでいるのだ。ルイ航海士は、恐れからか早々に大砲へ着火させようとする砲撃手を諌め待機を命じた。
パルメザン船長はルイ航海士の傍で不安を隠し切れずついつい弱音を漏らす。

「救援はまだ期待できん……どうするべきかの……」
「……彼らは倉庫にあるチーズが目的ですから撃ってはこないでしょう。奴らが狙っているのは我が船への移乗攻撃。その為には必ずこちらへ体当たりを仕掛けてきます。砲台を片側に集中し、こちらにはファルコネット砲もあります。向こうも安易に攻めてはこない筈です」
「うむ……」
「とにかく、海軍の海路域まで侵入を拒めば勝ちです。このまま膠着状態を続けましょう」
(しかし、向こうもこのまま並走するつもりではない筈、いったい何を狙っている?)

この時、皆が海賊ねずみ団の行動に目を奪われていて、海中から何が迫っているかに気が付けなかった。それに遅くも気付けたのは、パルメザン船長の一言だった。

「……む? 船員が減っていないか?」
「――何ですって?」

ルイ航海士は当たりを見回すと、確かに先程まで居た筈の場所に船員が居ない箇所が複数あった。パルメザン船長は顎に手をやり、はっとしたように甲板に備え付けられている砲台の一つを指す。

「うむ、そうだ。チェシャーがあそこに先程まで居た筈だ」
「確かにおかしいですね……ん?」

ルイ航海士が物音がした方へ振り向くと――

「あっ、やば」
「ん゛む゛ーッ!!!」

そこには、八本の足を巧みに使い船員エポワスの口に触手を突っ込み体を拘束し、今まさに海へ引きずり込もうとしているスキュラが存在していた。ルイ航海士が拳銃を懐から取り出す前に、するりと隙間へ逃げ込むようにスキュラはエポワスを連れて海へ飛び降りてしまう。

「くっ、まずい! ここはスキュラの縄張りのようです!!」
「なんだと!? くそ、各自戦闘態勢を取れ! スキュラが――!」
「うわっ、な、なんだ!? ぬわーっ!!」

パルメザン船長が叫ぶ前に、甲板上へスキュラたちが一斉に飛び出し、船員たちを海へ引きずり込もうとし始める。

「ったく、どんくさいんだからマリーは! 見つかっちゃうなんて!」
「ごめーん。みんなの分も攫うからゆるして〜」

先程のスキュラも参加し、銃声と怒号の中で船員たちは一人また一人と海の底へ攫われていく。

「くそ、スキュラどもめ!」

船員の一人パニールは拳銃を構え、攫われかけている船員タレッジョを助けようとする。

「あら、銃なんて構えてどうするの? ほら?」

スキュラは瞬時に捕まえたタレッジョを銃口と自分の間に挟み盾にしてしまう。

「た、助けてくれ! パニール!」

パニールが一瞬の躊躇いを見せた瞬間、違うスキュラに襲われ、パニールとタレッジョは仲良く海へと引きずり込まれた。
一方、ルイ航海士はこの大混乱の中、卓越した戦闘技術で襲ってくるスキュラを凌いでいた。

「ふっ!」
「きゃっ足が……! このぉ、また生えてくるとはいえやってくれるじゃない!」
「……」

ルイ航海士は無言で拳銃を構える。スキュラは危険を感じ、するりと甲板上から逃げていった。

「ルイ君!! 助けてくれぇ! わしの、わしの足が引っ張られて……さ、裂けるぅう!」

ルイ航海士は再び別の纏わりつく触手を長剣で捌くと、二匹のスキュラから片足を触手で掴まれ取り合いされているパルメザン船長の元へ駆け寄る。

「どきなさい! 容赦しませんよ!!」

片方に発砲し、片方に斬りかかる。銃弾は触手で防がれるが、痛みはあるようでスキュラは海へと逃げていく。斬りかかられた方も避けはしたが、勝てないと悟り同じように海へ飛び込んだ。

「はぁ、はぁ、助かったよ」
「ええ、スキュラもあらかた逃げて……しまった!」

ルイ航海士がスキュラによって忘れさせられていた存在に気付き振り向いたときには、既に海賊ねずみ団の船体が極限まで迫っていた。

「総員耐ショック――ぐっ!!」

ルイ航海士が叫ぶ前に、海賊ねずみ団の船に体当たりされる。船体に傷はつけず、あくまで船を揺らす程度のものだが、混乱の中さらに足場が不安定になれば、体勢を立て直すのは困難だ。

「「「「それっ、のりこめーーーーっ!!!」」」」

海賊とは思えぬ気の抜けるような可愛らしい声で、大勢のラージマウス達が一斉に乗り込んでくる。海賊船と輸送船の間には手際よく長い板が何枚も掛けられ、ラージマウス達はさらに雪崩のように輸送船へ突撃して来ようとする。
船員の一人エダムが遅くも立ち直り、纏まった塊に向かってマスケット銃を構えるも即座に足を撃たれたのか発砲することなく地に倒れ伏す。そのままラージマウスに数人で抱えられ海に投げ捨てられた。

「狙撃手もいるのか……!!?」

しかも、発砲音からしてマスケット銃。マスト上からの狙撃と考えれば、足を正確に狙い撃った相手の狙撃手は相当の腕だとルイ航海士は恐怖を抱く。

「このままでは……っ!!」

そして予想通り甲板上はまさに地獄絵図。船員たちは各々発砲しようとするも、人間離れした速度で駆け回り飛び回るラージマウス達には一向に照準が定まらず、また同士討ちを恐れ躊躇いを見せれば即座に数人がかりで取り押さえられる。剣を持ったとしても、駆け回るラージマウス達は真っ向勝負を避け、背後から襲い掛かかり瞬時に縄で縛り船員を無効化していく。そして何より多数対一を徹底している、ただの海賊とは思えぬ完全に統率された動きであった。

「相手の船長はかなりやり手のようですね……!」
「ぬおおおーやめろー! そっちに腕は曲がらぬーッ!!」

パルメザン船長は早々にラージマウス達に捉えられ、暴れているうちに服が乱れ扇情的な縛られ方になりのたうち回っている。ルイ航海士は誰得なんだと見なかった振りをして、チーズのある倉庫に逃げ込む事に決めた。物陰で拳銃に弾を詰め、隙を伺う。

(チーズに危害が加わると思えば、彼らも取引に応じるでしょう……」

ルイ航海士は既に戦いで勝つことを諦めていた。甲板上では未だ戦闘行為は続いているものの、優秀な狙撃手と今になって再び攻めてきたスキュラもいる。こちらの船員たちの練兵度と相手の練兵度では比べ物にならない。一人二人狩ったところで、集団で襲い掛かられれば、ルイ航海士自身もすぐに捕えられてしまうだろう。最初に砲撃できなかった時点でこちらの負けは決まっているようなものなのだ。ならば、せめて船員達の無事ぐらいは確保しなければと、ルイ航海士は考えたのである。
そして、隙を見て倉庫へ続く扉の元へ駆け寄ろうとした時、扉は向こう側から勢いよく開き、中から一人の少女が満面の笑みで飛び出してきた。

「おかしらーっ!! チーズあったよ――っ!?」

銃を構え迫り来るルイ航海士に気付いた少女は蒼白となり、やがて来る銃弾に目を瞑る。
ルイ航海士は、少女の姿ではあるが、れっきとした魔物である存在に躊躇いはない。

(悪く思わないでくださいね、こちらも生きるか死ぬかの瀬戸際なんですよ……!)

引き金に指を掛け、思惑を遮る邪魔者を排除しようとする――が、その引き金は引かれることはなかった。いや、正確にはルイ航海士は引き金を引いたつもりだったが、自らの反射神経では捉えきれない何かによって既に自分の腕が切断されていたのである。

「!? がッ、あぐぅっ!!」

突如襲い掛かる激痛と喪失感にルイ航海士は甲板上をのた打ち回る。

「……ったく、肝を冷やしたぞリルカ」
「お、おかしら〜っ……ふぇぇん……!」
「おう、無事でよかった。……しかし、これだからシャニー以外の情報は困る。腕利きがいるんならしっかり報告しろよな……」
「ぐ……ッ!」

ルイ航海士は痛みに意識が飛びかけていたが、自分の腕を斬った者の正体を見ようと顔をあげる。そこには飄々とした風貌だが、修羅場を潜ってきただろう戦士の顔があった。
リルカと呼ばれた少女は恐怖と安心が一度に襲ってきたのか、顔をぐしゃぐしゃに歪めてお頭の元へ駆け寄り、男の太ももに顔を擦り付けて泣き始めた。
お頭と呼ばれた男は、そんな少女を振り払おうとはせず、少量の血が残る刀身を布で拭いながらルイ航海士の顔を覗き込む。

「腕落しちまって悪いな。……だがお前が悪いんだぜ? 俺の可愛い団員に手ぇ出そうとするから……首が繋がってることに感謝して欲しいくらいだ。……まあでもそのままじゃ失血死しちまうな……そうだ、スキュラさんよ。あんたらの持ってるあの珍しい薬塗ってやれよ」
「わかったわ。あ、でも包帯はそっちで用意して」
「お安い御用だ、ナンナいるかー!? 包帯持ってきてくれー!!」
「はいはーい、だれかけがしちゃったんですかー?」

全くサイズの合っていないだぼだぼの白衣に身を包んだラージマウスが男に駆け寄ってくると、小脇に抱えた薬箱から包帯を取り出す。

「ああ、こいつだ」
「ふむふむ? たしかにこれはこのままじゃしんじゃいますねー」

ルイ航海士は天使のような笑顔で死を宣告するナンナにビビりつつ辺りを見回すと、既に輸送船の船員全てが捕えられ、甲板上に並ばされていた。船員たちは各々、ラージマウスの持つおもちゃみたいなナイフや鉄砲で脅され大人しくしている。

「る、ルイ君大丈夫かね……?」

パルメザン船長も横に転がされ、腕を失ったルイ航海士を案じている。
ルイ航海士は自分が一矢報いることすらできずに負けたことを嘆いた。

「負け……ですか……」
「おう。命までは取る気はないから安心しろ。まあ、スキュラ達にお前らの身柄を引き渡すって約束だから、渡した後は知らんがな……おうお前ら!! 捕えたらもう構うこたねぇ! 面倒臭い海軍の領海にもう少しで入っちまうから、さっさとリルカが見つけたチーズ全部貰ってくぞ!!」
「「「やったーーーっ!!!」」」

ラージマウス達は我先にとリルカの開けた扉へ雪崩れ込んでいく。急ぎ過ぎて転んで泣き出すものもいたが、隠し切れないチーズの香りを嗅ぐとそんなことも忘れたように飛び込んでいった。やがて、倉庫から皆一様にチーズを脇に抱え、背負い、口に目一杯頬張り膨らませたラージマウス達が順番に海賊船へとチーズを運んでいく。

「おかしら……ごめんね?」
「謝らなくていい。だが、こういうのはもうこれっきりにしてくれよ、心臓がいくつあっても足りん……ほら、お前も最後の一仕事だ、行ってこい。俺はスキュラに話があるから」
「うん、おかしら……ありがと」

リルカは涙と鼻水で男の服をべちゃべちゃに汚して満足したのか、チーズを抱えて今にも歌い出しそうなラージマウス達の戦列に加わる。

「ほんとにこの人たちあたしらのモノにしていいのね?」
「ああ。いい働きだった。おかげでこっちは船がちょいと痛んだだけだ。ほら、あとは好きなようにしろ」
「そうさせてもらうよ。んーいい男いっぱいいるわね〜! どうしようかしら」
「ん……あら。あなた船長なの? 渋くていいわぁ……あなた私のね」

早速、妖艶なスキュラがパルメザン船長に目をつけると、触手で縄を解き代わりに触手を絡めると、海へ運んでいく。

「あわわ、そんな……わ、わしには故郷に残した妻と子供ともうすぐ孫が……ああっ!」

パルメザン船長は拒んでいたようだが触手がするりと体を撫でると、早くも陥落したようである。期待に満ちた顔で海へ消えていった。他の船員たちも、スキュラに気に入られた者は取り合いされながらも次第に海へと消えていった。
そしてルイ航海士の元にもついに一人のスキュラが現れる。それはルイ航海士の剣によって触手を一本失った者だった。

「……仕返しに来たのですか……?」
「……違うわよ。……あんたの手は生えないけど……血ぐらい止めてあげる。治るまでここで暮らしましょ……船は別に取っちゃわないでしょ? お頭さん」
「ああ、構わんぞ」

スキュラは男の返事を聞くと触手を器用に動かしルイ航海士の腕に見たこともない薬を塗り始めた。

(痛みが、消えていく……)
「どう? もう痛くない?」

止血が済むとスキュラは患部を包帯で隠す様に巻き始め、一本の触手がルイ航海士の口へ突っ込み、無理やり何かを飲ます。

「!? ごほっ!」
「出血しすぎたからね。それで大分楽になるよ」

ルイ航海士は口元に残る粘液に不快な表情になる。思ったよりも苦しそうに唸るルイ航海士を、心配そうな顔で覗き込むスキュラからルイ航海士は目を反らすと、海賊の頭である男を睨んだ。

「あなたは……人間の癖に魔物に味方するのですか……!」
「ん?」
「このように同族の人間を蹴落とし、魔物と仲良くするなど……」
「お前も魔物は嫌いな奴か……じゃあ聞くが、人間と魔物の違いって何だ? 本質がそれ程違うか? 俺には分からなくてなあ」

男は、ルイ航海士に対して面倒臭げに答えると、チーズを運んでいるラージマウスの一人に声をかける。

「あ、ノルン! 倉庫に酒はなかったか?」
「なかったよー」
「じゃあ、船長室から売れそうなもんと高そうな酒かっぱらってきてくれ」
「え〜」
「頼むよ、ほか数人に声かけてさ。後でなんかやるし」
「う〜、しょうがないなぁ」

とてとてと乗り気ではないようだが、数人に声をかけ船長室へ走っていく。
男はルイ航海士への答えの続きなのか、再び話し始めた。

「そういや、そうやって問われて思い出したが、腕っぷしを見せたら慕われたのが始まりだったな……どんな存在だって慕われりゃ邪険には出来ないだろ? それに……」
「それに……?」
「俺、ロリコンだし」
「………は? ろ、ろり?」
「それが一番でかい理由かもな、ははっ」

男は今まで見せたことのない朗らかな顔で笑う。ルイ航海士はこんな変態異常病気野郎に負けたのかと悲しくなった。

「そ、そんなことで、この私は……っ!」
「そんなことってなんだよ。あいつらの為なら何だってやる。その原動力はそこからだぜ?」
「……もういい、殺せ」
「んなことするか。……まあ、お前もそのスキュラと仲良くして、考えを改めな。時間はたっぷりあるしな」
「なるほど……あなたはやはり……私が今まで出会った中で一番恐ろしい海賊ですよ……!」
「……ほう、そりゃ光栄だね。海賊ねずみ団ってネーミングは可愛すぎるって俺は反対したんだが、あんたの太鼓判があるならこの名前もいいかもな」

この男と話していると疲れるとルイ航海士は黙る。もはや何を話したところで動けない以上魔物共の慰み者にされるのは決まっているのだ。

「おかちら! ん、んんっ……おかしら! ち、チーズはぜ、ぜんぶはこびおわるました! ……お、おわります! ……うぅ、ちがう、おわり、まし……ました」
「おう、わかった」

男は懐から取り出した拳銃で輸送船の舵を狙い撃つと、舵は銃弾を受けて傾き、輸送船は緩やかに進路を変更する。

「悪いな、ディーさん。二人の為に帆ぐらい畳んでやりたかったが時間がなくてな。ルイ……だったかな? 魔物との暮らしを楽しみなよ」

男は片腕でカレルを抱え、軽くルイ航海士に会釈すると、離れていく海賊船へ人間離れした跳躍で飛び乗った。すると海賊船は鼠のように軽やかに急速旋回し、早々に水平線へと消えていった。

(む、霧が……)

いつの間にか周りを取り囲んでいた濃霧は消えていることに漸く気付き、顔を上向けると強い陽光が瞼を焼いた。

「ん? どうしたの?」

再び覗き込んでくるスキュラで日の光は遮られ、美しい娘の顔がルイ航海士の目に入る。

「あっ、甲板がもしかして痛かった? 膝枕……というか触手枕してあげる」

するりと後頭部に触手が滑り込むと、柔らかい感触がルイ航海士を包んだ。

「……優しいですね」
「えっ!? な、なに突然」
「あ、あなたじゃありません。この空です」
「……ああそうなの、まあ、すぐに骨抜きにしてタコみたいにしてあげる。後それから私の名前はあなたじゃなくてディーだからね」

ルイ航海士は、ぶつぶつと言いながらも甲斐甲斐しく看病を止めないディーを目に収めながら、心地よい潮風と波音にふっと力を抜いて身を任す。
輸送船は二人だけを乗せて、広い海原の中をゆらゆらと漂っていった。


●●●


「今日は一人の怪我人も出ることなく、一仕事終えた。お前らよく頑張った!」
「ざんねんだなー。もしけがすれば、おかしらのいちんちつきっきりおいしゃさんごっこがまってたのにー」
「ねー」
「おいおい、そんなことで怪我されたら堪らんぞ。それに怪我したら俺じゃなくてナンナが付きっきりだ。……まあそれはおいといて、本当に全員無事で何よりだ。さあお待ちかねの高級チーズ、今日はたらふく食え! 海賊ねずみ団に……乾杯!!」
「「「「かんぱーい!!!」」」」

ラージマウス達は配られた飲み物に見向きもせず我先にとチーズに群がる。男がこの調子なら朝には無くなっているだろうなと感じる程のペースで、運び込まれた大量のチーズを消費している。皆一様に喜んでいるラージマウス達を眺めながら、男はパルメザン船長のものであるだろうワインに口をつけた。

「ふむ。うまいが……酒を飲めるのは俺だけってのはやっぱり寂しいな……まあでも飲ませると俺をチーズだっつって迫ってくるからなぁ……」

過去、襲った輸送船の中にチーズとともに大量のワインがあり、男が試しにと皆に飲ませたことがあった。結局幻覚が収まるのは丸一日かかり、その間、男はあらゆる部分を噛まれ舐められ、食われゆくチーズの恐怖を嫌というほどに理解し、一日中帆にしがみついて身を隠し難を逃れたのである。男はそれ以来、酒は自分の分だけ奪うことにしているのだ。

「まあでも、こんだけ馬鹿騒ぎの中一人で飲むのも、また乙なもんかな」

丁度、旨いつまみはいくらでも目の前に積まれているしなと、しばしの間この時間を楽しむことにした。


●●●


チーズが舞い、ねずみが跳ねる熾烈なパーティからは少し離れ、ちびちびとチーズを抓むベスとリルカはある話をしていた。

「ねぇ、べスさんって、おかしらとこのかいぞくだんをつくったんだよね」
「うむ。そうじゃ。あれは何年も前……」

年寄り特有の昔語りをリルカはふんふんと素直に頷きながら聞いている。べスも今まで素直に聞いてくれる相手がいなかったのか、その話はどんどんと白熱していく。

「そこでわしは言ったのじゃ。――チーズとお頭のどちらが大事じゃと? 勿論、チーズに包まれたお頭じゃ! とな」
「ほえ〜かっこいい〜……」

べスは興が乗ってきたのか顔を真っ赤にし、ある時は決めポーズを決めながら、ある時は百裂パンチを虚空に放ちながら、雄弁と戦いの日々を語る。しかし、ある戦いの話になった時、ふとべスの顔が歪んだ。

「え、どうしたの?」
「む? い、いや、何でもないぞ! そ、それでの? そこでわしは……」
「なにか……あったの?」

そういえばリルカには不思議に思うことがあった。べスの他にいる海賊団の古株は決して多くない。船というのは動いている船を動かすだけなら数人でもできる。しかし、止まっている船を動かすには何十人も必要になってくる。それに非力なラージマウスなら通常の倍は必要だろう。

(もしかして、そのときのなかまは――きょうのわたしのように……)

リルカは嫌な思いが拭えなかった。
べスはやがて決心したのか重い口を開く。

「……わしらは他の魔物娘より非力じゃからの、絶対に勝てると踏まねば戦ってはならぬ。その日も、そういう戦う力の無い輸送船の事は情報屋から聞いておったが、しかし、それは誤りだったのじゃ」

リルカはその先を聞くのが怖かったが、震える手を抑えて耳を傾ける。

「船に乗り込み、扉を開けた瞬間……なんとそこには――チーズではなく、バターがあったのじゃ……っ!!」
「…………は?」

リルカは一瞬聞き間違いかと思ったが、べスは拳をぷるぷると震わせ唇を噛みしめる悲痛な面持ちで話を続けている。

「あの時は、わしら皆が怒り狂った。港に着いた後、ハーピーの情報屋に詰め寄り乳製品ならなんでもいいと思うなよ!! と啖呵をきったシャニーは頼もしかったのう」
「ちょ、ちょちょ、ちょーとまって。だれかしんじゃったとかじゃ……ないの?」
「む?」

べスは可愛らしく首を傾げる。何を言われているか意味が分からないといった風だ。

「だ、だって、おかしら、わたしがきけんなめにあったときにすごくしんぱいしてくれて……」
「まあ、そりゃそうじゃろ。お頭はわしらのことを自分以上に大事にしとるからの」
「え、じゃ、じゃあ、なんでそのときのべスさんのなかまは、リズさんとか……アイさんとか……しかいないの? そのシャニーさんて人は?」
「む、そうか……リルカは知らんのか。初代メンバーの殆どは情報屋などになっておる」
「?? どういうこと?」
「えーと……つまりの?」

何でも、チーズではなくバターであった時の悲しみは半端ではなく、ハーピー等の情報屋には任せておけないと独自にチーズ輸送船の海路を特定する者がいるという。他にも武器の仕入れや食料の確保などを担当している者もいるらしい。

「先程話したシャニーなどはその筆頭じゃ。隠れ家でやる会議でよく会わんか?」
「でたことないからわかんない……」

リルカは海賊ねずみ団の隠れ家では大抵他の子達と遊んでいたりして参加したことがない。基本お頭に任せておけばチーズを食べれるという信頼の大きさと解釈すれば可愛いものだが。

「会議は、ほかにも古参が一同に会する場でもある。船に乗っている者だけが海賊団ではないということじゃよ。昔の海賊団を知りたければ、次から参加することじゃな」
「はあい……」
「そ、それでの? さっきの続きじゃが、そのあとがまた凄いんじゃ、なんとわしが……」

べスはもうリルカの質問には答えたと、中断していた話を再開させる。
リルカはべスの話を聞こうとしたが、一人こっそりと部屋から出ようとするお頭の姿を偶然視線の端に捉えた。

「あれ、おかしら?」
「む? どうした」
「ご、ごめんねべスさん。話はまたこんどきかせてっ!」
「あ、待つのじゃ、ここからが……」

リルカはチーズも大して食べぬまま、扉を開けてお頭を追いかける。
どうやらお頭は船長室に入ったようで、リルカも少し躊躇いながらも船長室の扉を開けて中に続いた。

「……おかしら?」
「ああ、リルカか。どうした」

男は急に入ってきたリルカに大して驚いた風もなく振り返る。

「ううん、どうしてとちゅうででていったのかなって……」
「俺チーズが特別好きってわけじゃないからな。あんなに濃い醗酵臭した部屋に長時間いたら気分悪くなるんだよ」
「あれ? でも、そのチーズは?」
「ん? ああ、船長室にあるチーズは手出し禁止の掟があるだろ? 隠れ家で留守番してる昔の奴ら用にここに仕舞っておくんだ」
「あ、シャニーさんとか?」

「そうそう、あいつらにチーズがないなんて事になったら俺が食われちまう。……ん?リルカはシャニーの事知ってたのか。会議出たことないから顔合わせたことないと思ってたぜ」
「あ、あははっ」

リルカは見透かされていたようで乾いた笑いしか出てこない。

「しかし、どうした? いつもの元気娘っぷりは? 今日のことでまだ落ち込んでんのか?」

お頭には何でも見透かされてしまうようだとリルカは素直に頷いた。まあ男にとってはラージマウス達がすぐ表情に出ることも大きいのだが。

「ごめんね、わたし、はりきりすぎちゃって……おかしら、だれもしなせたことなかったのに、はじめてしんじゃうとこだった……」

男は、俯いて唇を噛みしめるリルカの頭を撫でる。リルカは暖かい手で優しく触られる感覚に身を震わせ、ぐすぐすと再び泣き出してしまった。

「リルカは本番になるとやる気出すんだが、訓練はサボりがちだからな。二度とこういうこと起こしたくないんなら、訓練にはちゃんと出るんだぞ?」
「う、ん、うん……! ごっ、ごめんなさ、い」
「いいんだよ、謝らなくて……リルカは大事な船員の一人だからな。ほらはやく元気出せ」

リルカはしゃがんだ男の首元に腕を回して抱き付く。チーズの香りとは違うが、男の香りもまた本能を擽られる匂いがして言いようもなく酔ってしまう。リルカが暫く動かないでいると、男はまだリルカが泣いているかと思ったのか困ったように聞いてきた。

「なんだなんだ? 何をすれば元気が出るんだ?」

その時・・・・! リルカに圧倒的 閃きっ・・・・・・・!!

「――じゃ、じゃあ」
「うん」
「ばばぬきしたい……」
「うん……うん?」

ラージマウス種は、基本的に群れで一人の男を夫とする。つまり、一人占めしたくとも中々出来ないのである。今は他のラージマウスがチーズに気を取られていて、この船長室には二人の他に誰もいない。まだまだ遊び心満載のリルカは大好きなお頭とトランプするのが好きだった。しかし、いつもお頭の周りには数十人のラージマウスが群がっているため、トランプをしようと思えばすぐに大所帯となってしまう。それゆえの提案だったが、男はもっと違うことを要求されると思っていたのか、頭の上に疑問符を浮かべていた。

「そ、そんなことでいいのか?」
「うん」
「……まあそういうなら、つか二人でババ抜きして楽しいか?」
「え、楽しいよ?」
「……そうか、まあそれで元気が出るんなら……やるか!」

男は棚の引き出しから紙製のトランプを取り出すと、ヒンズーシャッフルからのリフルシャッフル、そして止めにオーバーハンドシャッフルでカードをかき混ぜた。リルカは卓越した紙捌きに感嘆し素直に賞賛する。

「わ! おかしらすごーい!」
「ふふふ、あいつらとの賭け事で覚えた技だ。やってみるか?」
「うん!」

こんなことでも素直に驚いてくれるリルカに男は微笑みながら、リルカの小さい手にトランプを握らせ、先程のヒンズーシャッフルから教えていく。

「ほら、こうやって上の部分を前方に動かしてだな……」
「うん……あっ! あぅ」
「んーやっぱり手小っさいから難しいのか……また今度もっと小さなトランプ買ってやるよ」
「ほんと!?」
「あ、ああ、約束だ」

大げさに喜ぶリルカに、男は今まであまり構ってやれなかった事を思い出す。苦悶の表情で未だヒンズーシャッフルに挑戦しているリルカの頭を撫でる。

「? どうしたのー?」
「いや、いつもリルカはどうやってシャッフルしてんのかと思ってな」
「あ、それはねー、こうやるんだよ」

リルカは嬉々としてトランプを一枚一枚別の場所に置いていく。やがていくつものパケットが出来るとそれを重ねていく。

(ああ、ディールシャッフルか)
「ね? こうやったらすっごく混ざるんだよ!」
「うん、凄いなリルカは、思いもよらなかった」
「へへへー、でしょ!? でしょ!?」

可愛く照れるリルカに男は悶えながらも、リルカに元気が出てきたことに安心する。しかし、このままではシャッフルだけで肝心のババ抜きをしないまま終わるので、リルカにカードを渡してもらうと、ジョーカーを二枚とも下に置いた。

「あれ? ジョーカーにまいとものぞくの?」
「ん? まあ二人でやるんだからちょっと特別ルールにしようと思ってな」

男はカードを一枚一枚交互に配りながら説明を始めた。

「まず、数字が揃ったら捨てるのは一緒だ。そしてジョーカーだが、交互に一枚持って二枚揃ったら揃えた方が負けだ」
「ええー!?」

基本的にババ抜きは二人でやるものではない。最後に二枚対一枚になるまで何の山もないことは決まっているので、最初から緊張感を持ってもらいたい為だ。男がそう提案するとリルカは幾分渋っていたが、面白そうだと感じたのかすぐに満面の笑顔で首を縦に振り、配られたカードを場に捨てていく。

「ほらほら、こんなにカードがへっちゃった!」
「……まあ、二人だからな」

場には山ほどカードが積まれているが、手元に残ったのは数枚だ。それでも嬉しそうにはにかむリルカに男は苦笑しながら、勝負を始めた。

「ほら、まずはリルカが引いてくれ」
「うん……えっとぉ」

男の持つカードを、真剣な表情で顎に手を当て首を傾げ見るリルカ。非常に可愛いく男は顔を綻ばせそうになるが男はポーカーフェイスを崩さない。
リルカがうんうんと唸り、カードの一つに手を当てちらりと男の顔を覗き見ても、どこ吹く風の男の顔があるだけだ。

「むむむ……これ!! ……やったあ!!」
「くそぉ〜、やるなリルカ」
「そうだ、勝った人は何でも一つお願いできるんだよ!」
「おいおい、有利になってからってのは卑怯だな」
「えー、だめなの?」

再びしゅんとするリルカに男は慌てる。

「わ、わかった。何でもな。賭け事の方が燃えるさ、うん」

リルカはそれを聞いて再びにこにこと上機嫌になる。男はどんなお願いがしたいのか気になったが、とりあえず勝負を進めることにした。

「さぁ、て。次は俺だな……これか?」
「……」

ポーカーフェイスを気取っているのだろうが、下唇を噛んで悔しそうな表情をしている。

「んじゃこれ」
「ああ……」

時間もかけず、すっとカードを引き抜くと、リルカは残念そうなため息を吐く。

「いやー、リルカはポーカーフェイスが上手いな。全然わからん」

そう煽てるとリルカは機嫌を直し、再びいそいそと男のカードを引き抜こうとする。先ほどの様にカードに手を当て、男の表情を見ている。

「むぅ〜ぜんぜんわかんない……」

諦めて引き抜こうとしたのがジョーカーのようだったので、別のカードに手が当たった時に、男はわざと顔を歪める。するとリルカは鬼の首でも取ったかのように、嬉々としてそのカードを引き抜いた。

「やたーっ!! にれんしょー!」

正確には勝ってはいないのだが、男は残念そうな表情を作ると、リルカは更に調子を良くしたみたいだ。

「ほら! おかしらのばんだよ!」

リルカはそういってずずいと手に持ったカードを差し出す。男はもう少し勝負は長引かせようと思っていた為、手を当てると歓喜の表情を浮かべるカードには触れなかった。しかし――

「……おかしらとちゅー、おかしらとちゅー……」

男に聞こえていないとでも思っているのか、リルカは願うようにぶつぶつと不穏な言葉を漏らしている。これでは男が勝つわけにはいかなかった。
男は先程歓喜の表情を見せたカードに手を当てると、リルカの耳やしっぽがぴんと跳ねた。口元の端に堪えきれない笑みが見える。男はしょうがなくそれを引き抜いた。

「うわーーっ、やったあああっ! おかしらにかったーっ!」

突如立ち上がり歓喜の踊りを披露するリルカを諌め、お願いを聞き出す。既に知ってはいたが、可愛いお願いは是非とも聞きたかった。何故なら男はロリコンだからである。

「んで、何が欲しいんだ?」
「ん……あの、そのね?」

先程とは一転もじもじと体をくねらせ恥ずかしげに男を見つめた。男は普段見せないリルカの顔に一瞬どきりとしながらも、言葉の続きを待った。

「あ、あのね!」
「うん」
「ちゅ、ちゅう、ちゅううをぉぉ」

口を突き出しちゅうちゅう鳴くリルカのさまに鼠を連想するが、目の前にいるのは紛うことなき鼠の耳としっぽ持つ少女なので気にしない。
羞恥からかぷるぷると体を震わせるリルカ。男はじっくりと言葉の先を待つ。

「ちゅー、して……」
「ありがとうございます」
「へ?」

思わず何かにお礼が出た男だったが、戸惑うリルカに構わず、優しく口付けしようとする。しかし、突如船長室の扉が開け放たれ、雪崩のようにラージマウスが転がり込んできた。

「ずるいのじゃリルカ! わしの話よりもお頭と乳繰り合うのが大事なのか!」
「「ずるーい、わたしらもおかしらとトランプしたーい!!」」
「連行じゃあ! 宴を途中で抜けた罰を償わせるのじゃあ〜っ!」

ベスの言葉を皮切りにわらわらと男の周りを取り囲み、抱きしめていたリルカごと大勢で抱え上げられる。

「お、おいお前ら離せ!!」

愛しい者たちに武器を抜く訳にもいかず、チーズの匂いで充満するあの部屋へと大した抵抗もできぬまま連れていかれる。しかし、その途中で、一緒に担ぎ上げられたリルカにこっそりと耳打ちする。

「元気、出たか? リルカ」
「あ、うん、ありがと……それでね? や、やっぱり、おねがいへんこうする……!」
「え、いいのか?」
「うん! またいっしょにトランプしよう?」

一瞬、驚いた表情を見せた男だったが、ふっと笑い答える。

「そうだな、また二人でしよう」

海賊ねずみ団はゆらゆらと海原を進む。船内からは月夜の静寂を掻き消すような、楽しい宴会の声がいつまでも響いているのだった。
13/10/01 21:51更新 / しとしと
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■作者メッセージ
誤って投稿した作品を消した時に誤って元作品も消してしまった為、このさいだと読切を新しくリメイク、一話完結型の連載にしたものの一作目です。
設定など多数追加しています。でも登場人物の名前は(元作品で登場していたリルカ、べス以外は)深く考えず適当です。特に輸送船の人たちは凄く美味しそうな名前です。
そして相変わらず一発ネタの域を出ませんが、初見の方も大分前に投稿したこのシリーズを覚えている方も楽しんで読んで戴ければ幸いです。


しとしと

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まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33