連載小説
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ある騎士の追走
「いい加減、強情を張るのはよしたほうがいいんじゃないのか?」
「……」
「もう、一ヶ月は物を食ってないはずだ。いくら勇者でも本当に倒れてしまうぞ」
「……」
「はあ……全く、何が貴様をそうまでさせるんだ」
「……すまない」
「だから、私が欲しいのは謝罪でなくてだな……」

 暗くよどんだ空気のなか、私、デュラハンであるディルフィナは小さくため息をついた。
 目の前にいるのは、先日捕らえられた反魔物国家ヴォールの勇者 ロラン。
 短い金髪に空ろな蒼い瞳が特徴的な男だ。

「お前に幸せになって欲しいだけだ。飯を食って、身だしなみを整えて。素敵な伴侶を作って静かに暮らす……勇者なんぞやって、自分をすり減らすよりよっぽど生産性が高いと思うのだがな」
「……すまない」
「はあ……」

 彼の前に置かれた皿を片付け、上に乗った冷めたシチューに再びのため息をつく。
 魔界食材が使われたこれは強情な勇者に使われるもの、食べれば直ぐにとは言わないものの精のマイナス化を引き起こす。女性勇者であれば魔物娘に、男性であればインキュバスに。
 そうして変化が進んだ頃には私達の存在を受け入れ新たな人生を歩み始めるのだ。
 食事の誘惑に抗えるものなど殆ど居ない。まして教団国家において人間ではなく兵器扱いをされてきたものなら尚更だ。食事が唯一の楽しみと言った勇者に会ったときなど思わず涙すらしたものだ。
 そうして、私が牢番を行っている間殆どの勇者はどんなに強情でも3日ほどで食事にありつくようになる。この牢獄に長居するなどと言う事態は殆どないのだ。
 唯一、ここに居る例外を除いて。
 そう、彼と、私の付き合いは既に一ヶ月を超えていた。
 長らく食事を取っていない影響かほほはこけ、呼吸はやや苦しそうに行っているほどに疲弊している。
 しかし、その目は死んでおらず、前を静かに見つめる勇者のそれのままであった。もし今の彼が牢から出れば間違いなく勇者として私に牙を向けると確信出来る程に。
私には知り得ない「何か」が彼を支えていた。 

「食事、無駄にしてしまった」
「……自覚あるんだったら、食ってくれ。いい加減、見てて辛くなってきた。せめて、その強がりの理由くらい教えてくれ」
「……」
「だんまり、か」

 何も喋るまいと強い瞳でこちらをみる勇者から踵を返し、牢を出る。
 今日もまた、無駄骨だったようだ。
これから書く日誌の内容を考えて私は肩を落とした。



−−−−−


「貴様らっ!そこで何をしている!」

私がその異常に気がついたのはそれから十数分の後のこと。
 監守室で感じた妙な違和感が、原因だった。
 誰何の声に答えるものはなかったが、間違いなく『何か』がいた、そんな疑念が頭から離れなかったのだ。

「気付かれた……っ!と、とにかく来て下さい!貴方を待っている人が居るんですから!」
「あ、ああ……」

 嫌な予感という者は当たるものだ。
 目の前に居るのは、牢から出るドッペルゲンガーと、その手を引かれる勇者ロラン。
 どうやら、彼を逃がそうと言う心積もりらしい。

「させるかっ!」
「……っ!」

 魔界銀のサーベルを抜き放ち、二人に向けて一閃。
 理由を聞くのは後、そこにいる男はまだ勇者をやめては居ない。
 町に出したら何をやらかすのか分からない。
 とにかく無力化する……!

「何ッ!?」

 だが、放たれた一撃は硬質な金属音によって阻まれる。
 見れば、いつの間にかドッペルゲンガーを護るように立っていたロランがその剣を素手で受け止めていた。
 その手に輝くのは蒼い光。長い年月を研鑽に費やした勇者のみが持つ強力な守りの術だった。

「守りの、魔術だけは得意なんだ。誰かを護ることしか−−俺には脳がない」
「ちぃ……!」
「……ノイエ、といったか」
「は、はいっ」
「案内してくれ。その人のところに」
「逃がさんっ!」

 二撃目を避けながら、逃げ出す二人を追いかける。
 長い長い追走劇の始まりだった。


−−−−−−−



「はぁ……っ、待てっ……!」
「こっちです!早く!」
「分かった!」
「逃げられると思うなよ……っ!」

 アンデッド『眠らずの国』、その城下町はかなりの広大さを誇る。
 旧時代から新時代に移り変わり国が安定してからは特に人口の増加が激しく、都市の外縁部ではやや無計画な拡張が行われている。
 路地が複雑に入り組み、地元のものでも知らない場所に入れば一瞬で迷う。
 城を出た二人が逃げ込んだのはそんな下町の一角であった。
 たしかに逃げ込むのには最適な場所だろう。

「こっちだよー!」
「……はぁ、はぁ……また、新手か……!」
「逃がさんっ!」

 しかし、こちらは捕獲のプロだ。
 応援を要請し、的確に追い詰めていく。
 ゴーストの機動力、グールの体力、そして私達デュラハンの執念。
 それらが合わさって捕まえられないものなど殆どない。

「……っ!袋小路、か」
「これで、終わりだ。抵抗をやめて大人しく牢に帰るんだな」

 そして、追う者、追われるものでは負担が違う。
 何時間にもわたる逃走で疲弊した二人を袋小路まで追い詰めるのは、もはや自明の理であった。

「……ノイエ。俺が時間を稼ぐからお前はとっとと逃げろ」
「イヤです」
「その可能性を知っただけで、それだけでいい。捕まるのは、俺一人で充分だ。だから」
「イヤです。もう、取り返しがつかないことですし−−ここで逃げたら。わたしは、わたしじゃなくなりますから」
「そういうところだけ、本当にあいつに似てるな。人の話聞かないところーーけど」

 じりじりと包囲網を狭める私の前に、再びロランが立ちはだかる。
 あいかわらずの、やせて、くたびれた姿は長い逃亡でさらにひどいものとなっていた。
 しかし、それでも。
 彼は、未だに勇者の目をしていた。
 
「燃えて、来た」

 サーベルと、守りの魔術が交錯する音が夜の四十万を破った。




−−−−−−−


「逃げられた、か」

 荒い息をつきながら、路上にへたり込む。
 長い、我慢比べのような戦いは彼に軍配が上がった。
 一瞬の隙をついて、ドッペルゲンガーを抱えて走り抜けていったのだ。
 長い戦いの中でも、目的を忘れない。恐らく、私では荷が重い相手だということだけは、実感できた。

「……しかし、どうしたものか」
「……そうだな」

 ゆっくりと立ち上がる私に、後ろからかけられた声。
 少年と呼んでも差し支えのない透き通った声色。
 それはこの国に住むものであれば誰もが一度は耳にするもの。

「……っ!ベルフィード陛下!申し訳ございません。私が至らぬばかりに」
「良い。そなたは役割をきちんと為している。責める事等せん。あの勇者が厄介者だったというだけだ」

 いつの間にか、私の後ろに立っていたのはこの国の王。
 ワイトの中のワイト、『腐敗の王者』、ベルフィード陛下だった。

「しかし、このままでは……!」
「良い。余が追おう」

 失態を詫び、跪く私に彼女はその整った顔を、稚気の混ざった笑みの形に歪めたのだった。
16/08/21 23:54更新 / くらげ
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