連載小説
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初日
「アタシに、出来そうな仕事かあ」
 次の日の朝、商店街に出た瞳はきょろきょろと周囲の建物を見回した。
 先日、リリムから、仕事を斡旋する場所を聞いておいたのだ。
 以前は山中の洞窟で一人暮らししており金に縁のない生活であったが、こちらの世界ではそうは行かない。土地勘もない、頼るコネもないとあれば、生活するうえで、それなりに先立つものは必要なのだ。
「えっと、ここだったか」
 商店街の端、古びた本屋のドアを開ける。
 普通の視点で見ればただの古本屋だが、看板の模様は実際には魔界の文字で書かれており、その意味は『職業斡旋所』である。
「いらっしゃいませ」
「おう。ここを教えられてきたゲイザーなんだが……何か、仕事を斡旋してほしいんだが」
 店主であるサキュバスの言葉に頭を下げつつ、本題を切り出す。
「ゲイザーさん?」
「ああ、催眠とかそういうのだったら出来るぜ」
「なら、丁度良い仕事があるわよ。時給1100円は出るわ」
「お、ホントか?」
 難色を示すであろうと思っていたが中々にスムーズな反応に、瞳は顔を輝かせる。
「ええ、今貴女の力が必要なのよ。先方は今からでも手が欲しいって言ってたし」
「そいつは渡りに船だな」
 金の算段がついてホクホク顔の瞳を見つつ、サキュバスは取引先に電話をかける。
(べ、別に悪い事しているわけじゃないものね)
 たしかに悪いことでもないし、大切な仕事なのは間違いがない。
 そして、人員不足が切実な問題となっている職場だった。
 付け加えるなら、ゲイザーとしての瞳の能力もその仕事にぴったりだ。
「あ、職業安定所の……」
 自分を正当化すべく何度も頷きつつ、受話器からの言葉に答える。
 彼女の顔には、少しばかりの悪い汗が流れていた。




−−


(授業は退屈……とはいえ、サボるわけにもいかないよな)
 大学での午前中の授業を終え、要は小さく伸びをした。
 普段どおりの、退屈な授業。言われるがままに板書を写し、メモを取り、時折マーカーで参考書にチェックを入れるだけだ。
(あー、微妙に眠いな)
 午後も行われる変わらないルーティーンを欠伸とともに思い浮かべつつ、食堂に歩く。整備されたばかりで若干きれいであり、普段弁当しか食べない要にとっても中々に嬉しい場所である。
「あれ?瞳、どうしたんだ?」
「よお、センダイ……」
 食堂の端、食券機の前では疲れた様子の彼女が食品サンプルを睨みつけていた。
 数時間前、玄関口で見送ったときに比べ、なかなか劇的なやつれ具合であった。美しい蒼色の瞳の下には既に隈すら出来始めていた。
「ここに就職が決まったんだけどよ……まさか、初日からこんなに飛ばすなんて思わなくてな」
「そいつは、大変だな」
「とはいえ、こいつで家賃が払えるってモンだ……で、センダイ」
 不意に食券機から目を外した彼女は要の方を向き、小さく頭を下げる。
 彼女の長い黒髪が、さらりと彼の手に触れた。
「ここのお勧めって何だ?全部食ったことないメニューだからわかんねえんだ」
「俺のおすすめは、きつねうどんかな?俺は基本的には弁当なんだけど」
「きつね?……狐で出汁でもとったのか?」
「……あーそうか、知らないか。人種がどうとか言ってたもんな」
「むう、何だそのかわいそうな人をみるような目は」
「ま、食ってみれば分かるよ。ヒントは……そうだな、狐って油揚げが好きってこと」
「……分かった」
 要の言葉に若干むくれつつ、瞳は食券機に千円札を投入する。
 彼女のポケットの中には、もう二枚の千円札。仕事の結果、すでに資産が3倍である。
 数分後、彼女の前にほかほかと湯気を立てるきつねうどんがトレイに置かれていた。
「なるほど、確かに狐の尻尾みたいだな」
 箸ではなくフォークでつんつんと油揚げをつつき、口に入れる。
 じんわりと染み出てきた暖かい出汁が疲れた身体に染みとおる感覚に、瞳はほっと息を吐いた。
「うん、こりゃ妖孤の好物になるわけだ」
 うんうんと頷く彼女。
 疲れでぽろっと魔物である妖孤のことを口にしていたが、要は幸いな事に『洋子という友人がいるんだろう』程度にしか思わなかった。
「昨日センダイの家で食わせてもらった料理にはかなわねえけど、うん。中々だ……って要。どうしたんだ?」
「箸、やっぱり使いづらかったりするのかなーと」
 スパゲッティを食べるように麺をフォークで巻き取っては口に入れていく彼女と対照的に、要はずるずると箸でうどんを啜っていた。弁当とは違う作りたての暖かい味に、たまには食うのも悪くないかと考える程度には旨い味だった。
「む、そうやって食うのか」
「いや、食べやすいやり方でいいと思うけどな俺は」
「けど、なんかカッコいいなそれ」
 要に釣られ、箸を取り出した瞳は麺を啜るべく何度か箸を掴み……。
 見事に、容器の中に落下させていた。
「……」
「……そ、その。そういえばさ!」
「う、うう……どうした?」
「ここで仕事って言ってたけど。何やってるの?」
「……催眠だよ」
 流れる微妙な雰囲気を払拭すべくつとめて明るい声を出した問いに、瞳はなんとなく疲れた目を向けた。さっきの空気とは違う独特の疲れた感触が伝わってきて、要は内心でミスったなとうな垂れた。
「その辺、得意だからな。アタシ」
「ああ、なるほど」
 思い出したのは、昨日の蒼色。
 見られただけで吸い込まれ、縫いとめられるような感覚が蘇る。
 たしかに、そういう内容の研究だったら引く手がある才能なのだろう。
「……と、オマエも大分疲れてるじゃねえか」
 顔を上げると、記憶と同じ彼女の蒼色が要の奥を覗き込んでいた。
 それはやはり、吸い込まれるような独特の色をしていた。
 数瞬の硬直。
 直後、午前中のけだるさが嘘のように消えていた。
「午後の授業、寝るなよ?眠気、ふっ飛ばしておいてやるからさ」
「……暇じゃなかったら、ね」
 要の様子を確認してきししと笑う瞳に、彼はやや生意気な笑みを浮かべる。
 時計を見れば午後の授業はもうすぐだった。


−−

「ふう、ただいま帰ったぜ」
 その晩、瞳はふらふらと要の家のドアを開けた。既に時計は9時を回っていた。
「……あれ、誰も居ない」
 要の両親は飲み会に行くと言う話だったのは聞いていた。要本人は恐らく自室で音楽でも聴いているのだろう。そう勝手に当たりをつけつつ廊下を歩く。
 長いこと働いていたので眼がクラクラする。さらに今日も桜島に火山灰を振りまかれた結果、髪がどことなくじゃりじゃりとするのが不快だ。
「まあいい、今のうち早めに風呂、借りっかな。返事もなかったし。今なら風呂に誰もいねえだろ」
 疲労は残っているものの長い仕事を終えた開放感のおかげか足取りは軽い。
 帰り道によったスーパーの袋を台所に置いた後、風呂場に向かって一直線に歩く。
 ずるずると汗まみれになってしまった服をぬぎつつ、風呂場のドアを開ける。
「……お、帰ってきたんだ」
「お、おう。ただいま」
 風呂場では、風呂上りの要が今まさに服を着ている最中だった。
 ブラを見せたまま唖然とする彼女の前で、彼はのんびりドライヤーをかける余裕すらあった。
「風呂、使うだろ?そのかっこだと。早く入りたいんだろ?」
「あ、ああ。使わせて貰うぜ……の、覗くなよ?」
(こ、これじゃ、逆じゃねえか!?)
 真っ赤になりながら、後ろで服を脱ぎ、浴室に入る。
 服を着なおすのはなんとなく負けた気分だし、なにより早く身体を洗ってしまいたかった。
 適当に操作してシャワーを浴びると湯の温かさが心地良い。
「覗かないよ、ラノベじゃないんだから」
「……ラノベ?新種の春画か?」
「春画って……。いや、そういうのじゃなくて、物語。まあ、18歳未満の奴でも読める奴な」
「物語、かあ。もしかして18歳以上だとそれ以上のがあるのか?」
「そういう需要にこたえるのはエロゲーってやつかな」
「エロゲーか。大学で聞いたぜ」
 風呂場の扉越しに、のんびりと話す。
 エロゲーについては、大学での仕事仲間から聞いた。
 疲れていたからうろ覚えだったが、普通では味わえないシチュエーションを妄想しつつ耽溺するものだと、同僚のナイトメアがやたら強調していたことを思い出す。
「……ふう、湯がしみるぜ」
 石鹸で髪を洗い、適当に流してから湯の中に入る。
 魔術で隠していても、火山灰は容赦なく触手の先端にまで入り込んでいた。
「毎日、風呂ってのも良いもんだな」
 元の姿に戻りちくちくする目をぱしゃぱしゃと洗い流す感覚が心地良い。
 風呂場の窓からはやや異形の影が見え隠れするが、そちらを見ていない要は気付きもしなかった。



−−


「良い湯だったぜ」
「そいつは良かったな」
 風呂上り、Tシャツに下着というラフな格好で瞳は台所に立つ。
 火照った身体に、風が心地良い。歩くとふわりと、石鹸の匂いが舞った。
「そういや、センダイ。夕飯食ったか?まだだったら何か作るぜ」
「悪い、流石にもう食っちまった」
「そっか、じゃ。一人で食わせてもらうぜ」
 スーパーで買ってきた袋からキャベツを取り出して、彼女はにやりと笑う。
 この世界の冷蔵、運搬技術というのは中々に凄まじい。地元の品だけでなく、国内、否、世界各地から集められた新鮮な食材が簡単に手に入る。
「料理、上手いんだ?」
「いや、別に得意って訳じゃないな」
 油慣らしをする必要のないテフロン加工されたフライパンに北海道と書かれたバターを放り、キャベツを炒める。
 どんな肉や野菜、魚でもとりあえず炒めたり蒸したりして火を通し、塩胡椒すれば大体食えるというのが瞳のモットーである。
「腕に自信がないなら無茶やらかして自滅しなけりゃ良いだけだからな。それだったら簡単なものを作れば良い」
「たしかに、普通そうだね」
「よし、出来たぜ」
 笑う彼を尻目に、炒めキャベツに卵を割りいれて塩胡椒。ちょっと熱を通してキャベツの卵とじを作る。
 出来上がったそれを史フライパンのまま食卓に置く。皿に盛ると皿を洗うのが面倒というずぼら振りである。
 隣に半額セールで手に入れた食パンを置き、冷蔵庫から出したケチャップを隣にどんとおけば、夕食の完成である。そこそこの手抜き料理だがバターの力は偉大で、ふんわりと良い香りが食卓に広がった。
「キャベツの卵とじに、アホみたいにケチャップをかけてパンに挟んで食うと旨いんだ……センダイも少し食ってみるか?」
「一口もらおうかな」
 もしゃもしゃとパンを齧る瞳に釣られるように要も、卵とじを一口食べる。
 口に広がる春キャベツとケチャップ、卵の素朴な甘さ。そして炒められたバターの香りがパンに良くあっていた。
「食えない味じゃないだろ?」 
「上手いな。カロリーが気になるところだが……」
「ま、働いてるから大丈夫だろ。こんくらい」
 旨いと言う言葉に反応して、彼女はにひひと口の傍にケチャップをつけながら笑って見せたのだった。


−−


「そういや、センダイは大学でどんなことやってるんだ?」
「 どんなこと……ね。ただ、 授業を受けてメモして、飯食って。暇ができたら小説書くなりゲームするなり。そんな感じかな」
「うーん。授業っていっても色々あるだろ?大学って色々好きな事学べるって聞いたぜ」
「んー、心理学とか、医学とかかな。あと単位のために経済学とかも入れてたかな」
「そいつは、幅広いな」
 要の部屋、二人でのんびりと話す。一日しか経ってないと言うのに、かってしったる我が家のごとく部屋に入ってくる彼女に苦笑しつつも、要はそれを受け入れていた。
「しっかし、心理学か。そいつはスゲー学問だな。アタシには人間の心なんて全然わからねえのに」
「まぁ、俺の場合ちょっと心そのものに興味があったもんだから」
「心に?」
「……うん。小中といじめ紛いのことされてたからさ。そのせいで、少しばかり、捻くれたことを考えるようになったってやつかな」
 だから、こんなことも、話すことが出来た。
 小学校と、中学校のころに受けたイジメ。
 それは、ちょっとしたからかいのような物だったのだろう。苛めた奴は、次の日にはけろりと友達面をしているのだから。
 今では殆ど気にもしないようなそれは、進路を決める一つの理由にはなっていた。
「……それは、悪いこと聞いちまったな」
「ま、気にしないでくれって」
 頭を下げる彼女を見ながら、自嘲気味に笑う。話を振ってきたのは彼女とは言え、随分と答えにくいことを話してしまったものだ。
「だとしても、あんまり良い記憶じゃねえだろ。−−誰だってさ。嫌われるのは嫌なもんだ」
「そうだな。嫌われるのが嫌で、独りが好きになるやつも居るもんなあ。俺とか」
「バーカ。そりゃ一人が好きになってる気になってるだけだ」
 ため息をつき、椅子の背もたれに体重を預ける要に、彼女はちろりと舌を出して見せた。
 蒼色が、ゆらゆらとゆれる。
「そうでなきゃ、アタシにこんな優しくしないっての」
「……まあ、な」
 彼女に釣られるように、要は小さく笑った。
 久々の、気分だった。
「さて、そとそろ寝るかねえ」
「おっと、ちょいとばかし寝る前に見せてもらうぜ?」
 昨晩と同じように、蒼の瞳に目の奥を覗き込まれる。
 先日よりも強く、内側にもぐりこんでいく、光。
「風邪はちゃんと治ってる。それに授業中に寝てなかったみたいだな、エライエライ」
「へえ、そんなことも分かるのか?」
「そうだなあ、授業中とか無理な姿勢で寝てるから変な所にアザが出来るんだよ」
 彼女が目を閉じると、急激な眠気が襲い掛かってくる。
 普段よりも、安らかで深い睡魔だった。
「−−ほれ、先に寝ちまいな」
「ああ、そうさせて、もらう……」
 ベッドにもぐりこんでから、数秒と持たず要は眠りについていたのであった。


ーー


「ん、あっ……」
 その晩、夢を見た。
 夢だと分かる夢、所謂明晰夢というやつだった。
「……んんっ!」
 下半身の方から、ぴちゃりぴちゃりという水音。 
 何かが、下半身に張り付いて、彼の性器を舐めあげていた。
 それに合わせて断続的な快楽が身体に襲い掛かる。
 何かを舐めるようなその音が響くたびに、背筋がぞくぞくとする。鳥肌が立つ。そしてぴくりと勝手に動く全身の筋肉。
 明晰夢は自分で塗り替えられると聞いたはずなのに、まったく身体の自由がきかない。
 まるで、彼女の目に捉えられたときのように縫いとめられている。そして動けないと言う事実が快楽の逃げ場を奪い、高みへと意識を吹き飛ばしていく、
「うっ、くっ……」
 そして、夢の中で絶頂する。
 止まらない射精の感触。スリットを舐めあげられるたびに、甘い声が漏れ、またとぷとぷと液が流れ出していく。
「はぁっ、はあっ……」
 そして、下半身に取り付いた何かは、それを舌で味わうように、一滴も逃さぬように、情熱的に吸い上げる。その感触だけで、また絶頂を迎えてしまう。
「……っ」
 一際大きな絶頂がおきた。
 身体が大きくはねあがり、股間に張り付いたものがかろうじて見えた。 
 そこに見えたのは。
 一つ目の−−バケモノだった。
16/05/11 00:11更新 / くらげ
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