連載小説
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中篇 影
「本日は担当の者が風邪のため−−」

 事前に考えておいた言葉を紡ぎ、頭を下げます。
 騙してしまうことに心が痛みますが、元から嘘を吐いているのですから仕方のない話です。

 結局新月の日に対するわたしの対策は『開き直って変身先を風邪と偽る』というものでした。
 社長さんが聞いたら「もっと攻めなさいよ」と言われそうですが、わたしにそんな勇気はありません。

「−−お大事にと伝えて置いてください」
「承知しました、お伝えしておきます」

 お大事に、という言葉だけで、わたしは思わず嬉しく感じてしまいました。
 それだけ想われていると感じただけで、わたしが役に立っている事を実感できました。
 −−その分、今日も姉の姿で現れられなかった事に悲しみを感じます。
 次回はちゃんと御奉仕できるよう、心に刻み付けておきます。

「『魔界風オムライス』ですね、かしこまりました」

 注文を受け取り、綺麗に整備されている厨房へ向かいます。
 オムライスは運よく、この日のために何度も何度も練習したメニューでした。
 ドッペルゲンガーの変身は記憶や、手癖なども複写できます。
 とはいえ、そうして得た経験は変身が解ければなくなってしまう仮初のもの。
 今の姿で同じ味を出すために、事前にメモをとったり他の人に味見をしてもらったり。味見をしてくれたワームのお姉さんにはしばらく頭が上がりません。

「……よし」

 炒めたチキンライスに、黄色の薄焼き卵。
 上からとろりとケチャップをかければ、木の葉型のオムライスが目の前にありました。
 思ったとおりの出来に思わず小さなガッツポーズをしてしまいます。

「−−お待たせしました、魔界風オムライスとなります」

 冷めないうちに食卓に運んで一礼をします。

「凄く、懐かしい味がする」
「……ありがとうございます」

 できるかぎり、できる限りボロを出さないよう、慎重に受け答えをします。
 こちらも頑張ってシュミレーションをしたおかげで、そつなく舌は動いてくれました。
 あくまで、わたしは彼にとっての他人であり、彼の姉とは関係ない。そう振舞っていきます。

 上手く騙せている。
 私は心の中でそう考えていました。

 しかし、数十分後。
 オムライスを食べ終えた彼から告げられた言葉は残酷なものでした。

 「次回の予約は……なしでお願いします」

 周囲の景色が、暗く落ちていきます。
 一体なにがよくなかったのでしょうか。
 それ以降、何を話したのかわたしは思い出すことが出来ませんでした。

 ただ、別れる直前の彼の表情。
 何かを振りきった様な、泣いているような。
 そんな顔だけは、ずっと記憶に焼きついて消えませんでした。


−−


「−−ねえ、大丈夫?生きてる?」
「……はい」
「その返事は、明らかに大丈夫じゃないわね」

 乱暴にドアをノックされる音で、わたしは薄い目を開けました。
 彼が次回の予約はなしと宣言してから数ヶ月。
 わたしはひたすら部屋の中に引きこもっていました。
 最初の数週間こそ、なんとか働くことが出来たのですが、二ヶ月を過ぎたあたりからもうダメでした。
 普段の予約だったら来てくれるはずの時間が来るたびに、自分が情けないことをしてしまったのだと実感して、心がずきりと痛みを訴えました。
 それから、店に行こうとしても、いけなくなってしまいました。
 ロミ・ケーキの内装を思い出すたびに、ご主人様のことも−−思い出してしまって。
 そうしたら、もうダメでした。
 何をしようとしても、予約を断ったときの彼の顔がちらついてしまい何もする気がおきませんでした。
 起きて、寝て、起きて、泣いて、ほとんど何も食べずに、そんなことを繰り返していました。

 引きこもりだした最初の日こそ、休むと連絡しましたが、それ以降は完全な無断欠勤です。
 随分と大きな迷惑をかけてしまっていると理解してしまうと、暗い気持ちがさらに沈んでいきます。

「ねえ、食事もとっていないみたいだし、出てきなさい」
「……はい」
「ほら、さっさと開けなさい。命・令・よ」
「……はい」

 よろよろと立ち上がって、鍵を開けるとばんっ、という大きな音とともに扉がひらかれます。
 ドアを開けたのは銀髪の美しい女性。ロミ・ケーキの社長こと、魔王の娘−−リリムである有澤様が風圧で倒れたわたしをため息混じりに見ていました。

「本当、酷い有様ね−ー窓、開けさせてもらうわよ」

 社長はずかずかと部屋に踏み入ると、閉められていたカーテンと窓を一気に開きました。
 部屋に差し込む久しぶりの日の光が眩しく、思わず目を塞いでしまいます。
 それと同時に新鮮な空気が流れ込むのを感じました。

「目を開けなさい」
「……」

 眩しさに慣れた目に、社長の顔が映ります。
 普段のおどけてみせている顔と違う、とても真剣な表情。

「女の涙は貴重なの。そう簡単に見せるものじゃないわよ?」
「でも」
「でももこうもなし。面と向かって嫌いっていわれたわけでもないでしょう?だったらまだまだ大丈夫よ」
「……」
「−−もう店に予約を取ってもらえてないし来てくれないかもしれない?そんなの愛の前には瑣末な物。貴女のご主人様への想いはその程度で潰える物かしら?」

 社長の問いに、わたしは小さく首をふりました。
 たとえ、姿を変えていても。
 嘘をついていたとしても。
 わたしは……ご主人様と繋がっていました。
 ご主人様の事を、考えない日はありませんでした。

「……だったら、こんな所でめそめそしてたらダメよ?」
「は、はい」

 社長の目を見て大きく頷くと、彼女は相好を崩しました。
 釣られてわたしまでちょっぴり笑顔になってしまいます。

「さ、その涙でひどい顔を洗って。シャワーを浴びたら。行ってらっしゃい−−ご主人様に会いに、ね」
「……はい。でも店で休んでいた分の仕事は……」
「そんなの気にしないの!」
「ひゃあっ!?」

 ぱんっ、とシャワー室に向かって背中を押され、思わず頓狂な声を出してしまいました。
 あたふたしている間に上着を脱がされ、下着にまで手をかけられます。

「−−成功報酬は、良い報告で結構よ」
「ほ、本当にそれで良いのでしょうか……?」
「ええ」

 わたしの下着をきっちりはぎ終えた社長は、にやりとキメ顔になります。

「リリムっていうのはね−−恋する女の子の味方なんだから」




−−

 それから、数時間後。
 わたしは、隣町の交差点の上にいました。
 社長のリサーチによると、このあたりにご主人様の家があるらしいとのことでした。
 いきなり訪れて話せることがあるとは思えません。下手したらストーカー扱いです。
 でも、わたしはそれでも−−、ご主人様に逢いたくて仕方がありませんでした。

「−−『お前の父親はオレ』なんだからよお!」

 不意に、大きな声が聞こえてわたしはそちらを振り返ります。
 そこに居たのは、ご主人様と、ご主人様の姪の洋子ちゃんと−−彼の義理の兄でした。
 かつて、ご主人様の姉に化けていた時、わたしは彼についての記憶も持っていました。
 最初は、希望に燃えていた芸術家志望だったこと。
 色んな作品をつくったけれど、評価されていなかったこと。
 私生活はダメダメで、いつも妻がサポートしていたこと。
 それでも足りなくて、ご主人様や実家に良く無心していたこと。
 しかし、それでも二人は幸せだったこと。

 そして−−

「あ?お前のせいだったんだよ!全部、全部テメエが……!」
「ひっ!?」
「やめろっ!」
「風俗通いは黙って居やがれ!お前が、俺からあいつを奪ったんだ!」

 洋子、彼女が産まれてから。
 全ての歯車が狂ってしまったこと。

「お前が産まれてから、あいつは俺だけを見なくなった……!それからだ、それから全部狂っちまった!」
「ーー違う、それは洋子のせいじゃない!」

 子供が産まれてから、彼女は子供にも時間を割くようになりました。
 ミルクをあげたり、おしめをかえたり。
 子供は、手と愛情がかかるものです。
 そして、彼は−−それが気に食わなかった。

「違わない……!あの下らない生活の果てに俺はあいつに聞いた。俺と、洋子ーーどっちが良いってな。そしたらあいつは−−逃げやがった」
「お、お前……」

 ご主人様が、一歩距離を取ります。
 彼の手には−−鈍い輝きを持つナイフが握られていました。
 
「……お前の生涯なんて、意味はねえんだよ。実際その見かけだけ立派な野郎も風俗に逃げているんだからよお……」
「おじ、さん……」
「違うっ!私はもう……」
「あ!?何が違うっていうんだよ」

 ナイフを持って、じりじりと、彼は歩み寄ります。
 そして、後一歩という所で、突き刺す姿勢をとったのが分かりました。

「死ねっ!俺からあいつを奪った−−この疫病神が−−!」

 洋子ちゃんに向かって、ナイフが突き出されます。
 割って入ろうとするご主人様の姿が見えました。

「−−やめてくださいっ!」

 しかし、それよりも先に−−。

「が……はっ……」

 飛び込んだわたしの身体に、深くナイフがめり込んでいました。
16/04/14 13:30更新 / くらげ
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