序章 「彼らは如何にして敗北したか」
物事には必ず、原因がある。火のないところに煙が立たぬように、原因無くして結果が発生することはない。水は高きから低きに流れ、高所より落ちた器は砕け散るが定め。
原因から生じ、過程を経て、結果に至る。人、これを「因果」と云う。
長ったらしく講釈をするつもりはない。あらゆる言葉に意味はなく、もはやこの題名が全てを表している。
“彼ら”は敗北した。圧倒的に、絶望的に、そして何の言い訳も許されないほど完膚なきまでに。単純に“彼ら”が弱く、“敵”が強かった、突き詰めて得られる結論とは真実それ一つきりである。
だから、ここでは何故敗北したかは語らない。代わりに「どのようにして敗れたか」を語ろう。
始まりは、そう……氷に閉ざされた絶海での事だった。
それは大いなる神代の断片。
『彷徨える島』。
それは神話に挑まんとした人類の窮極。
『再造計画』。
それは神々すら忘れ果てた遺産。
『神代の地層』。
それは遥か千年先まで続く対決の戦端。
『十二星の使徒』。
そしてこれは、いずれ来たる「滅び」に抗う者たちを描く、その“前日譚”である。
極北の海は荒れる。
大洋の嵐とは違い、波風立てて大揺れになる事はない。そもそも一年を通しその殆どが分厚い氷に閉ざされた北海は、あらゆる船舶の行き来を拒む。ここでは文明どころか、およそ命の熱すら許さぬ凍てつく風が支配し、多くの生命は死に絶えるより他に選択肢を持たない。
しかし、ここにも僅かながら生命の痕跡があり、それを存続させる営みがある。それが行き着けば集団を生み、集団は社会となり、社会は国を形成する。
ゲオルギア共和人民連邦。群れを成すように小国しか存在しなかった北の大地に突如として覇を唱え、それまで貴族による支配が常だった北の国々は新たな思想に感化され各地で革命が勃発、それらが統一され人民による統治を是としたのがこの大国の前史だ。
それまでの貴族制を廃し、身分による支配を過去のものとしたこの国は、しかしてその成り立ち故か過激な思想に取りつかれていた。
人民の、人民による、人民の為の統治。博愛を是とし、平等を重んじ、公正であることを愛する。なるほど、聞こえは悪くない。だがその実態は旧態を打破するという名目で興った革命思想が未だ蔓延る、燻り続けるタバコの傍にある火薬庫のような状態だった。
政治に革命を。宗教に革命を。人種に革命を。
国内の貴族を打倒し、その懐に蓄えていた富を再分配した人民の欲望は、それまで極寒の気候に押さえつけられていた反動のように飛び火した。その勢いは小国同士がまるで喰らい合うように吸収合併を繰り返した連邦の成り立ちから見ても容易に分かる。
そして雄大なるドラクトル山脈以北の大地を喰らい終えた後、その食指は当然のように南に伸ばされる。まるで、「お前たちの分も本当なら俺たちの物だったんだ」、「だから今ここで返せ」とでも言うように。
それが、連邦と、山脈以南の国々の確執の始まりだった。
天然の要害たる山脈の存在があったからこそ、直接の戦火は起こらなかった。だがそれでも、それを挟んだ南の二ヶ国、レスカティエ教国とアルカーヌム王国を同時に相手取り、要求という名の無茶な圧力を頻繁にかける事からいつしか「狂犬の国」とまで呼ばれる始末。当然、国家間の関係は最悪。特に王族の支配を是とする王国とは不倶戴天の間柄だった。
だがある時、その関係は一変する。
反貴族主義が国是だった連邦はトップの代替わりをきっかけに、それまで冷戦状態だった教国と王国に対し融和政策を展開。三ヵ国の関係は一気に改善され、それぞれを結ぶトンネル開通事業の成功と共に長い蜜月に入ることになる。
この急転直下の方向転換は、後世において大陸史を語る際に連邦最大の謎として多々取り上げられる。一時期は油断させておいて背後から、という在り来りな腹黒い思惑を疑われていたが、それが結局は根も葉もない疑惑に終わった事は歴史が証明してくれた。
敵対国だった当時を知るある者は曰く……。
「敵対していた者が急に仲良くなる、それも下心なしで? そうする理由は二つ……。『仲良くする必要ができた』か、あるいは『敵対する理由が無くなった』のどちらかだ」
あるいはその両方。
元々、革命思想は熱しやすく冷めやすいもの。それを国政方針として掲げ続けることで無理にその熱意を持続させてきたのが連邦の実態だ。トップの代替わりによって舵取りが変われば、必然その熱も冷める。
だが……本当にそれだけなのか。
そもそも、連邦が敵対していたのは何だったのだ? 南の国々を狙っていたのは、富の収奪と再分配だけが目的だったのか?
本当は、『もっと恐ろしい何か』と相対していたのではないか?
「真実は、一つきり。“奴ら”は敗北した」
夏の盛り、濃緑の色彩に覆われた山中。獣道だけが続くその場所に建つ一軒の家に、男はいた。
「何十年も前の事を今更……。聞く相手が違うのである」
木漏れ日が差し涼風が舞い込むベランダで、男は不機嫌そうに頬杖をつきながら応対する。とても遠路遥々やって来た客人に対する態度とは思えないが、これがこの男の平常運転だ。
「当事者の一人として我輩を突き止めたまでは褒めてやらんでもないが……正直、昔話に興じていられるほど暇ではないのである。この後に会合が……」
そこで客人が口を挟む。男が『会長』を務める会合、そこの『副会長』から今日一日の時間をいただいていると説明した。
「あの馬鹿弟子が」
続きを、と客人が促す。
「……少し、いや、かなり長くなる。家内に言って泊まりの準備をさせよう」
それほどですか、と驚く客人。
「当然である。これから我輩が語るのは『物語』。大いなる神話の、その序章である。一朝一夕で語り終えるなどと思わんことだ」
魔術で動くテーブルとティーセットが瞬く間にベランダを茶会に変える。いつ発動させたかも分からない術はとっくにポットの中身を温め、芳醇な香りの茶を嗜みながら魔術師は語り始めた。
「事の発端は、連邦がとある“敵”と対峙した事から始まった。今にして思えば、あんなものに戦いを挑んだ時点で“奴ら”が敗れ去ることは自明の理だったのかも知れぬ」
見計らったように風が止み、刹那の静寂が訪れる。
それが、『物語』の始まりを告げた。
「『白鯨』……それが、かつて北海を地獄に突き落とした怪物の名である」
原因から生じ、過程を経て、結果に至る。人、これを「因果」と云う。
長ったらしく講釈をするつもりはない。あらゆる言葉に意味はなく、もはやこの題名が全てを表している。
“彼ら”は敗北した。圧倒的に、絶望的に、そして何の言い訳も許されないほど完膚なきまでに。単純に“彼ら”が弱く、“敵”が強かった、突き詰めて得られる結論とは真実それ一つきりである。
だから、ここでは何故敗北したかは語らない。代わりに「どのようにして敗れたか」を語ろう。
始まりは、そう……氷に閉ざされた絶海での事だった。
それは大いなる神代の断片。
『彷徨える島』。
それは神話に挑まんとした人類の窮極。
『再造計画』。
それは神々すら忘れ果てた遺産。
『神代の地層』。
それは遥か千年先まで続く対決の戦端。
『十二星の使徒』。
そしてこれは、いずれ来たる「滅び」に抗う者たちを描く、その“前日譚”である。
極北の海は荒れる。
大洋の嵐とは違い、波風立てて大揺れになる事はない。そもそも一年を通しその殆どが分厚い氷に閉ざされた北海は、あらゆる船舶の行き来を拒む。ここでは文明どころか、およそ命の熱すら許さぬ凍てつく風が支配し、多くの生命は死に絶えるより他に選択肢を持たない。
しかし、ここにも僅かながら生命の痕跡があり、それを存続させる営みがある。それが行き着けば集団を生み、集団は社会となり、社会は国を形成する。
ゲオルギア共和人民連邦。群れを成すように小国しか存在しなかった北の大地に突如として覇を唱え、それまで貴族による支配が常だった北の国々は新たな思想に感化され各地で革命が勃発、それらが統一され人民による統治を是としたのがこの大国の前史だ。
それまでの貴族制を廃し、身分による支配を過去のものとしたこの国は、しかしてその成り立ち故か過激な思想に取りつかれていた。
人民の、人民による、人民の為の統治。博愛を是とし、平等を重んじ、公正であることを愛する。なるほど、聞こえは悪くない。だがその実態は旧態を打破するという名目で興った革命思想が未だ蔓延る、燻り続けるタバコの傍にある火薬庫のような状態だった。
政治に革命を。宗教に革命を。人種に革命を。
国内の貴族を打倒し、その懐に蓄えていた富を再分配した人民の欲望は、それまで極寒の気候に押さえつけられていた反動のように飛び火した。その勢いは小国同士がまるで喰らい合うように吸収合併を繰り返した連邦の成り立ちから見ても容易に分かる。
そして雄大なるドラクトル山脈以北の大地を喰らい終えた後、その食指は当然のように南に伸ばされる。まるで、「お前たちの分も本当なら俺たちの物だったんだ」、「だから今ここで返せ」とでも言うように。
それが、連邦と、山脈以南の国々の確執の始まりだった。
天然の要害たる山脈の存在があったからこそ、直接の戦火は起こらなかった。だがそれでも、それを挟んだ南の二ヶ国、レスカティエ教国とアルカーヌム王国を同時に相手取り、要求という名の無茶な圧力を頻繁にかける事からいつしか「狂犬の国」とまで呼ばれる始末。当然、国家間の関係は最悪。特に王族の支配を是とする王国とは不倶戴天の間柄だった。
だがある時、その関係は一変する。
反貴族主義が国是だった連邦はトップの代替わりをきっかけに、それまで冷戦状態だった教国と王国に対し融和政策を展開。三ヵ国の関係は一気に改善され、それぞれを結ぶトンネル開通事業の成功と共に長い蜜月に入ることになる。
この急転直下の方向転換は、後世において大陸史を語る際に連邦最大の謎として多々取り上げられる。一時期は油断させておいて背後から、という在り来りな腹黒い思惑を疑われていたが、それが結局は根も葉もない疑惑に終わった事は歴史が証明してくれた。
敵対国だった当時を知るある者は曰く……。
「敵対していた者が急に仲良くなる、それも下心なしで? そうする理由は二つ……。『仲良くする必要ができた』か、あるいは『敵対する理由が無くなった』のどちらかだ」
あるいはその両方。
元々、革命思想は熱しやすく冷めやすいもの。それを国政方針として掲げ続けることで無理にその熱意を持続させてきたのが連邦の実態だ。トップの代替わりによって舵取りが変われば、必然その熱も冷める。
だが……本当にそれだけなのか。
そもそも、連邦が敵対していたのは何だったのだ? 南の国々を狙っていたのは、富の収奪と再分配だけが目的だったのか?
本当は、『もっと恐ろしい何か』と相対していたのではないか?
「真実は、一つきり。“奴ら”は敗北した」
夏の盛り、濃緑の色彩に覆われた山中。獣道だけが続くその場所に建つ一軒の家に、男はいた。
「何十年も前の事を今更……。聞く相手が違うのである」
木漏れ日が差し涼風が舞い込むベランダで、男は不機嫌そうに頬杖をつきながら応対する。とても遠路遥々やって来た客人に対する態度とは思えないが、これがこの男の平常運転だ。
「当事者の一人として我輩を突き止めたまでは褒めてやらんでもないが……正直、昔話に興じていられるほど暇ではないのである。この後に会合が……」
そこで客人が口を挟む。男が『会長』を務める会合、そこの『副会長』から今日一日の時間をいただいていると説明した。
「あの馬鹿弟子が」
続きを、と客人が促す。
「……少し、いや、かなり長くなる。家内に言って泊まりの準備をさせよう」
それほどですか、と驚く客人。
「当然である。これから我輩が語るのは『物語』。大いなる神話の、その序章である。一朝一夕で語り終えるなどと思わんことだ」
魔術で動くテーブルとティーセットが瞬く間にベランダを茶会に変える。いつ発動させたかも分からない術はとっくにポットの中身を温め、芳醇な香りの茶を嗜みながら魔術師は語り始めた。
「事の発端は、連邦がとある“敵”と対峙した事から始まった。今にして思えば、あんなものに戦いを挑んだ時点で“奴ら”が敗れ去ることは自明の理だったのかも知れぬ」
見計らったように風が止み、刹那の静寂が訪れる。
それが、『物語』の始まりを告げた。
「『白鯨』……それが、かつて北海を地獄に突き落とした怪物の名である」
17/06/13 01:20更新 / 毒素N
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