連載小説
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第1話 超人兵士【ゾディアーク】
 「『白鯨』。それが諸君が倒すべき敵の名だ」

 某所に構えられたホール。その中央にて一人の軍人が告げる。言葉は空間を反響して響き渡り、オペラ歌手でもないのにその声は隅々まで届いた。

 「諸君の最終目標は『白鯨』の迎撃、及び討伐だ。捕獲でも、撃退でもない。討伐だ。駆除と言い換えてもいい」

 しかし、訓示を聞かされる兵士の数はあまりにも少なかった。ホール一つを丸ごと貸し切ってまで訓示を行うには到底及ばない人数。壇上で手を後ろに組み足を肩幅に開いて「休め」の体勢を取る兵士の数は、四人のみ。小隊規模の人数しかここにはいない。

 「目標の我が領内への到達予想時間はおよそ七十二時間。諸君に課せられた任務は、その限られた時間内に目標を発見し、迎撃。これを討伐することにある。何か質問は」

 「はい」

 「許可する」

 上官の許可を得て、それまで傾注の姿勢だった兵士の一人が質問する。

 「その七十二時間は、確かな情報なんですか?」

 「それについては【リブラ】の観測結果に基づいている。何ら問題はない」

 「【リブラ】ぁ……?」

 上官の返答に対し、質問した者とは違う兵士が怪訝そうな声を上げる。許可されていない発言に上官及び周囲の兵士らから批難がましい視線が向けられるが、当の発言者はそんな事は露とも気にしていないようだった。明らかな仮名、コードネームで呼ばれたその【リブラ】なる人物に対し不信感のような物を抱いているのは確かだ。

 「栄えある国家戦略情報室サマも落ちぶれたもんだ。戦場の眼も今は昔、あんな胡散臭い輩に実権を渡した上にその口車に乗せられるなんてな」

 「口を慎み給え、【タウロス】。その“胡散臭い”者のおかげで、貴官含む諸君の『ロールアウト』が予定より早まったのも事実だ。彼には信用に値するだけの実績がある」

 「実績ねぇ。そんな出来た野郎が、なんでまた折角の訓示をサボタージュなんかしてんだろうねぇ」

 「貴官が言うところの、“落ちぶれた”戦略情報室が彼の持ち場だからだ。彼には彼の任務があり、貴官には貴官の任務がある。既に『後期型』もロールアウトを目前に控え、現在は最終調整段階だ。間もなく諸君と轡を並べる時も来るだろう」

 「それまでに私たちが『白鯨』を討てれば、後輩たちはお役御免ってこと?」

 二人目の発言者は、召集された面々で唯一の女性。腰まで届きそうな長髪を束ね、僅かに首を振るだけでもその先が揺れ動く。

 「その意気だ、【ヴァルゴ】。だがあくまで『白鯨』の討伐は足掛かり、諸君にはその後も引き続き我が軍の先鋒として従事してもらう。ゆくゆくは、来たる南下侵攻作戦においても旗印となって奮迅の活躍を期待するものだ」

 「要は戦意高揚のアイドルにしようって事だ」

 「否定はしない。だが今回の任務は諸君にとっては良き試金石となるだろう」

 「お任せください。必ずや同志の期待に応えてご覧に入れます」

 リーダー格らしき兵士が気を付けの姿勢となって上官の前に一歩進み出る。そして軍規に記されているようなぐらいにきっちり綺麗な敬礼の後、下された特務を拝命する旨をここに宣誓する。



 「我ら“超人”小隊・ゾディアークは、真の革命の礎にならんことを誓います」





 後世に曰く、大陸の革新的技術の多くは連邦によりもたらされたと言う。

 大陸の国の必然として、多くの国々は拡大や縮小、あるいは離合集散を繰り返す。その過程でそれまで別々の国やコミュニティで培われていたものが流出や流入を繰り返し、その結果サラダボウルのように新たなモノを作り上げる。

 アルカーヌムがそれにより「文化」を発展させたのに対し、ゲオルギアは「技術」を進歩させた。これからの時代を生き抜くのに必要なのは大衆文化による娯楽でも、宗教による堅苦しい信仰でもなく、堅実な積み重ねによって得られる技術なのだと言いたいようだった。

 そして多くの技術とは得てして、戦時や軍事的な領域から生じることが多い。

 「超人」……それがゲオルギア連邦が生み出した禁断の技術、その内のひとつだ。

 読んで字の如し、「人」を「超え」た人間を創り出し、それを兵士に仕立て上げる一連のプロセス。連邦はこの革新技術を元に多くの超人兵士を生み出し、それらを実戦配備することで各国に対し軍事的アドバンテージを手に入れようとしていた。

 それらの技術は周辺国との関係改善を境に全てが破棄された。一説には、その「製造方法」があまりにも人道を外れたものであり、内容が各国の知るところとなれば国際的な批難を受けると危惧した上層部が意図的に消去したと噂されている。

 だが厳然たる事実として連邦の歴史にあって超人は確かに存在し、彼らの多くは次世代の兵士としてその活躍を大いに期待されていた。

 その超人兵士の中でも特に能力に秀でた第三世代型超人兵科こそ、連邦軍が誇る技術の粋を決して創造した希望の星。

 『十二星徒』……通称、ゾディアークである。





 「よお、【アクエリウス】。この後ヒマかよ」

 訓示が終わり各自自由な時間が設けられた。任務までの僅かな休息だが、軍で言うところの自由時間とは即ち「いつでも動けるよう準備しておく」ための時間である。決して自堕落にするためではないし、ましてや娯楽に興じるなどもってのほかである。

 しかし、そんな軍の堅苦しい常識など知らぬとばかりに、【タウロス】というコードネームを授かった青年は早速仲間を誘って街に繰り出そうとしていた。

 「ヒマか、ヒマだよな、ヒマだろおい。ちょっと付き合えや」

 「あ、えっと、その……」

 強引な【タウロス】の誘いに、【アクエリウス】と呼ばれた少年はしどろもどろになる。体格的にも一回りの差がある両者の絡みは、まるで大の大人が小動物を弄り倒しているような印象を受けた。

 「やめないか、【タウロス】。僕らに残された時間は僅かだ。今は装備を整え、英気を養う事こそ先決だ」

 「お堅いねぇ、【アリエス】は。これを逃せば今度はいつ自由時間もらえるか分かったもんじゃない。実際、休暇なんて貰ったこと無いわけだしな」

 「僕らは連邦軍、並びに真の革命を待ち望む全ての人民の希望を背負っている。休む暇など無い、今は少しでも前進するんだ。その為の……」

 「その為のゾディアーク、ってんだろ? 聞き飽きたよ、お題目は」

 つーかよぉ、と心底面倒臭そうな態度を隠しもせず【タウロス】の標的はいつの間にかリーダー格らしき【アリエス】になっていた。

 「ゾディアーク、ゾディアークってんならよお、ここにいる面子じゃ数が足りてねえわな。十二宮星座(ゾディアック)の名が泣くってもんじゃねえのかよ」

 第三世代型の超人兵士は、「予定」を含めて十二の枠が設けられている。それに因んでかどうかは不明だが、早い段階で彼らを十二宮の星座に例えてゾディアークと呼称するようになり、いつしかそれが正式なコードネームとなって採用されるまでにもなった。

 だが、現在ロールアウトを迎え実戦配備されているのは五体のみ。

 【アリエス】。

 【タウロス】。

 【ヴァルゴ】。

 【リブラ】。

 【アクエリウス】。

 更に現在この場にはいない【リブラ】を除外すれば、実際に現場で動けるのは四体のみ。十二の数、その三分の一しかここにはいない。後は皆、「稼動予定」とラベルの貼られた顔すら見たことのない面々ばかりだ。

 「残りはいつ来る? この作戦に間に合うのかよ」

 「それを君が知る必要性が? ゾディアークは兵士だ、兵士は上の命令にただ従えばそれでいい」

 「つまりはお前も知らないって事かよ。そんなお前が、いつまで偉そうに俺らのアタマ張ってるわけだ、あ?」

 「ゾディアークは対等だ。作戦状況、戦術、戦略……必要性に応じてポジションが変化する。今の僕は先行配備された『前期型』を、不在の指揮官に代わり暫定的に統率する立場でしかない」

 「なら、今すぐその場所を代われよ」

 「断る」

 「あぁん?」

 対峙する【アリエス】と【タウロス】の間に不穏な、固い沈黙が横たわる。二人の不仲は他の三人も知るところだ。主に【タウロス】が難癖をつけて口論になり、優等生然とした【アリエス】が正論でそれを叩き潰すというのがお決まりの展開だ。

 「君は物事を直線的に捉えすぎる。結果、感情的になりやすい。端的に言って指揮官に最も不向きなタイプだし、君自身そのように“設計”されていない」

 「随分と上からな物言いだな、おい。お情けで暫定隊長の座をもらってるに過ぎねえ奴が……」

 「ならその時点で君が上に立つに相応しくないという証明はされている。話は以上。早急に任務の準備に取り掛かるといい」

 「……喧嘩売ってんのか?」

 「君がそう思うのなら、それは君の勝手だ。もういいだろうか、時間が惜しい」

 話は終わったとばかりに踵を返す【アリエス】。いつも通りの終わり方に【アクエリウス】は心底ほっとしたような表情で溜息を吐いていた。

 だが、今日はいつもとは違っていた。

 「ゾディアーツは対等……そう言ったなぁ?」

 「ああ、言った」

 「対等っつーことはよぉ、どっちが上だとか下だとかは無いんだよなあ?」

 「ああ、そういう事になる」

 「そうか。なら丁度よかったぜ」

 再び、息が重苦しくなる。さっきの比ではない、空間を満たすこの波動は……殺気。発信源は言わずもがな、【タウロス】だ。

 「いい加減、どっちが“上”か証明しようぜ?」

 ゴキリ、と硬質な音が鳴り響く。指や首の関節の音とは決定的に違う、有機的で、それでいてどこか無機質さすら伴った歪な音色。およそ「まっとうな人体」からは到底出せないであろうその音は、まるで血に塗れたゴングのように両者の間に緊張を走らせた。

 この場合厄介なのは、対する【アリエス】の方も決してそれを咎めようとしていない事だった。

 「面白い。君のその鈍重な拳が僕を捉えられると?」

 「ナメくさりやがって……!」

 二人が貴族なら、ここでどちらかが手袋を投げ付けて決闘の合図となる。だがここはゲオルギア、貴種の途絶えた地。ましてや二人は兵士だ、貴き身分のやるような遊戯で互いの優劣を付けるつもりは毛頭ない。

 「…………」

 「…………」

 双方の足が一歩踏み出され、互いの腕が掴み上げようと伸び……。

 「ストップ」

 その手を別の細腕が遮った。一触即発、燻る火薬庫の如き状況にあった二人を止めたのは、それまで静観に徹していたチームの紅一点、【ヴァルゴ】であった。

 「喧嘩はよくない。仲直りして」

 「横槍入れてくんじゃねえよ、【ヴァルゴ】! これは男同士の……」

 「仲直りして」

 「お前なあ……!」

 「仲直り、して?」

 有無を言わせぬ静かな迫力に、次第に【タウロス】の勢いも尻すぼみになっていく。【アリエス】など利口なもので、もうとっくに矛を収めて明後日の方角を向いていた。こうなるとバツが悪いのは【タウロス】唯一人になる。

 「わぁーったよ、やめりゃイイんだろ。おめえのガン飛ばしは相変わらず怖ぇんだよ!」

 「分かったなら、いい。ほら、飴食べる?」

 「うむ、いただこう」

 「けっ! 胸糞わりい、行くぞ【アクエリウス】」

 結局、大柄な男に引きずられる少年という、人身拉致にも等しい状態で二人は先に行ってしまった。後に残ったのは物静かな二人のみ。

 「行かせちゃっていいの?」

 「構わないさ。どうせ行くところは分かっている」

 「そう……」

 ならばそれ以上言う事はないと、飴玉を口に放り込みながら【ヴァルゴ】も何食わぬ顔で流した。

 「にしても、意外だったよ。君が僕たちの間に割って入るなんてね」

 「別に。羊と牛の喧嘩なんて、みっともないと思っただけ」

 男の意地の張り合いを幼稚と捉える、女性特有の冷静な態度に【アリエス】も苦笑しながら同意するしかなかった。





 【タウロス】は気が短い。元来、我慢強い性格ではないのは自他共に認めるところだが、こと【アリエス】絡みとなると途端に意地の張り合いに発展してしまう傾向にあった。

 「いいか、最初に言っとくがな、俺はあいつの部下になってるわけじゃねえ。俺があいつの下に『ついてやってる』だけだ。そこんとこ間違えんなよ、【アクエリウス】」

 「は、はい」

 真冬のゲオルギアは殺人的な寒さに包まれる。それは首都から離れ北極圏に差し掛かる街、「キートムィース」では特に厳しさを増す。殆ど雪原と流氷の境目が判別出来ないほど、大地は氷に覆われ、人々は皆冬眠のクマの様に毛皮を二重三重にも着込み、何とかして寒さをやり過ごしていた。

 キートムィースは元々、街と呼べるほど規模が大きな場所ではなかった。田舎を通り越して僻地と呼ぶに相応しい場所、それがかつての街だった。十年前を境に軍の重要施設がここへ移転しなければ、ここはいつまでもそのままだっただろう。

 そしてその「重要施設」の中には当然、ゾディアークに関わるものもある。

 「つまり俺が言いてえのはだな……おい、話聞いてんのかよ」

 「ご、ごご、ごめんなさい!」

 「いいか。ゾディアークは、いや、第三世代は俺から始まった。俺が最初だ。あの鼻持ちならねぇ【アリエス】も、温室で白衣なんか着て講釈垂れてる研究者どもも、俺が居なけりゃ何も出来なかった。いいか、俺が始まりなんだぞ」

 正式に軍採用された規格の超人兵士、つまりは第三世代と呼ばれた最初のボディ、それが彼の自負だ。

 つまり順番で言えば彼こそが十二星徒の長であり、簡単に言えば「自分を差し置いて別の誰かをリーダーに据えている現状が気に食わない」という、つまりはそれだけの事なのだ。

 だが彼という成功例と、そのデータを下地に残り四名が作られたのも事実であり、彼の自負も全くの筋違いではない。

 「だってのに、あの野郎……。少しは先達に対する敬意ってのをだな」

 「あのぉ、【タウロス】さん。さっきからぼくたちはどこに向かってるんですか?」

 「あん? どこって、そりゃお前……イイとこに決まってんだろ」

 小村だったキートムィースは軍施設の移転に伴って居住区が拡大し、街は複雑に入り組んだ構造をしている。施設を出てから早五分、もう何回目の角を曲がったのか覚えていないが、当の【タウロス】には通い慣れた道のようだった。

 意味深にそう呟く【タウロス】に、純朴なのか【アクエリウス】は疑うこともせず後に続く。軍施設がある街の中心部分からどんどん離れ、そこそこ活気のあった通りからも外れ、冬の寒さが沁透る路地を抜け……。

 「うわっ……!?」

 「ほぉれ、ついたぞ」

 入り組んだ路地裏は途中で開けた場所に繋がり、そこには背徳的な雰囲気が広がっていた。恐らく誰もがここへ足を踏み入れれば、ここが「そういう場所」だと理解できる。

 「夜に来ればまた違ったんだろうがな」

 ここは色街。商売女が逢引や連れ込みに利用し、そこに巣食う色欲の住処。むせ返るような安物香水の香りが増幅処理された五感に存在感を訴えてくる。

 ゲオルギアは抑圧の国だ。生産性第一、余興や娯楽など横道にそれる要素は徹底的に排除され、それら無しに国が回るようプランニングされている。文化は制限され宗教は廃絶され、結果残るのは歯車の如き正確さと堅実な利益のみ。人民がいるから国家が成り立つのではなく、国家があるから人民が存在できる、という全体主義の権化がこの国の実態だ。

 当然、快楽を売買するこのような商売は違法だが、そこはそれ、押さえ付けてばかりでは立ち行かないと理解しているのか、「抜け道」を用意することでそれらを黙認している。

 「ここは軍の連中御用達、ぶっちゃけそういう事だ。あそこから出てく奴見ろ、お前も何度か顔見たことあるはずだ」

 どことなく上機嫌で宿から出て行く男性は、確かに軍の関係者だ。本来なら法に従い節制に励む第一の人民であるはずの軍人が、まさかこんなところでその法度を破っているとは思わず、純粋な【アクエリウス】は目を白黒させている。

 「ここでお前をオトナにしてやる」

 「おと……え? ええ? えっ!?」

 【タウロス】に導かれるまま【アクエリウス】はぐいぐい引っ張られて一軒の宿屋に連れ出される。もちろん、宿屋という体裁にはなっているが、実際宿は宿でも売春宿だ。当然、「店番」はそういう事になる。

 「おーっす! 男一人な。初めてなんで、優しくしてやってくれ」

 「あーらぁ、お兄さんはイイのかしらぁ? 遠慮なんかしなくていいのに」

 「俺はいーのいーの。ああ、二階の子って今暇な感じだろ? 早いとこ上げてやってくれよ」

 「はぁい! お一人様ごあんなーい!」

 あれよあれよと手を引かれて奥に吸い込まれる無垢な少年。それをニヤニヤと見送る【タウロス】は一人外で待つようだった。

 「ねぇ、本当にお兄さんはイイのぉ? 今なら少しお手頃にしてもいいわよ?」

 「やあ、俺ってほら、こんな服着てるわけだろ? だからここで昼間からイチャコラやってっと上官の覚えが悪くなるわけよ」

 そう言って服の襟元を掴んで見せつける。客の中にも同じ服装の人間を見たことがある娼婦たちはそれだけで彼も同じ「得意先」の人間なのだと理解したようだ。

 「でもよぉ、あのチビ助も俺と同じなんだが、あの歳でもう兵士やらされてんだぜ? これから男として何も楽しいこと知らないで生きてくとか、ちょいと可哀相だと思ってよ。せめて初陣飾る前にイイ思いさせてやろうとな」

 「あーら、何て後輩思いなのかしら。ステキ、濡れちゃうわぁ」

 「はいはい。さーて、今頃あいつは服脱がされて、初めて見る女のカラダに面食らって……」

 引きずり込まれた同僚がいるであろう部屋の辺りを眺めながら、【タウロス】は胸元から飴玉を取り出す。【ヴァルゴ】が好んで口にするそれを口内で転がしながら、中で起きている出来事を予測し……



 次の瞬間、窓が割れて中から人が飛び出した。



 ガラスの割れる音に一瞬遅れ、降り注ぐ破片と共にそれは地面に激突した。突如発生した事態、その全容を把握した時、娼婦たちの絹を裂く様な悲鳴が路地裏に響き渡った。

 人が、落ちた。急転直下の分かり易い非日常の襲来に女たちは何も出来ない。ただ戸惑い、怯え、目の前の現状に叫び声を上げるだけだ。

 ただ一人、【タウロス】だけが落ち着き払っていた。

 「おいおい、大丈夫かよ姉ちゃん。なんだよ、客と喧嘩か? 痴情のもつれか? ていうか、大丈夫か。おーい!」

 地面に投げ出された女性の体をつま先で小突き、石を返すように仰向けにさせた。殆ど裸に近い全身が露わになる。辛うじて息があり、全身を打った衝撃で半ば気を失いかけていたが、まだ生きていた。

 「おーおー、すげえな姉ちゃん。死んでねえどころか、『かすり傷ひとつ無い』なんざラッキーだな。っつーことはだ……」

 すっと視線が上を向けば、その先には割れた窓。その奥はついさっきまで女性が客を取ろうとしていた部屋で、そこから覗く顔が一人。

 「【タウロス】さん、その人……“ダメ”ですよね?」

 「ああ、“ダメ”だなぁ」

 それは娼婦に導かれ宿に消えたはずの【アクエリウス】。状況からして彼がこの飛び降りに関わっていることは間違いない。しかしその様子はまるで動じる風もなく、そもそも眼下に横たわる女の惨状など見えていないかのように振舞った。あまつさえ、【タウロス】との会話においても心配する素振りすら見せない。

 「で、だ。こういう場合、どうすりゃいいか教えられてるだろ?」

 「ええ、まあ」

 「てなわけでだ」

 続く言葉は事も無げに、こう告げた。

 「“喰って”いいぞ」

 「いただきます」

 刹那、小さな体が飛び出す。重力に逆らうこと無く両足からすとんと降り立ち、そして初めからそうするつもりであったような素早さで、その手が娼婦の首を掴み上げた。

 「ぐっが……!?」

 小柄な少年が己より大きな相手を片腕で持ち上げるという矛盾めいた光景。それは即ち、この娼婦を地上に叩き落とした犯人がこの少年であるという何よりの証拠。表情どころか顔色ひとつ変えず更なる痛めつけを敢行するその姿に、周囲は叫ぶことさえ忘れ恐れ慄いていた。

 次なる異変が現れる。

 「あぁあ、ぁあああああああああああーーーっ!!?」

 絶叫と同時にもがき苦しむ娼婦。全身を打ち激痛がもたらされている、そんな状態にありながらいっそ悍ましさを感じさせるほど激しく抵抗し、【アクエリウス】の魔手から逃れようと必死だった。

 首を絞められているだけにしては激しすぎる抵抗に、周囲も只事ではないと確信する。しかし確信するだけで何も出来ず、ただ目の前で起きている出来事に対し目を白黒させることしか出来ない。何よりも、この異常事態を引き起こしているであろう【タウロス】と【アクエリウス】の存在が、彼女らに何のアクションも許そうとはしなかった。

 「ごちそうさまでした」

 時間にして僅か数秒、その間ずっと悶絶し抵抗していた娼婦は糸が切れたように沈黙した。必死に逃れようと相手の腕を掻き毟っていた手もダラリと下がり、口は半開きのまま物言わぬ人形と化したのだった。

 「やっちまったか?」

 「いえ、少しだけ“残して”おきました。じゃないと『委員会』の人たち困りますもんね」

 「上出来だ。女の色香にコロっといっちまうかと心配だったんだが、よくやった」

 【タウロス】の言葉を受けてやっと女性は拘束から解かれた。再び地面に倒れ込むと、その姿にはそれまでとは明らかに異なる変化があった。

 まず頭部。それまで髪飾りすら付けていなかったはずの頭には、ヤギの物にも似た歪に捻じ曲がった角が生えていた。背中には翼のような何か、そして臀部からはスルリと伸びる尻尾。その姿はまさしく、この大陸世界において非常に、恐らく最もよく知られた、そして最も人類に対し友好的な異種族。

 「んだよ、サキュバスか。しかも……“なりかけ”かよ。つまんねぇ、これじゃ大した評価になりゃしねえ」

 サキュバスには二種類ある。生まれついて根っからの淫魔と、人間女性が魔力に汚染されて変生する者。後者の場合、すぐにサキュバスになってしまうのではなく、その前段階としてレッサーサキュバスという中間形態を取る。この娼婦はまさにその状況であり、もはや肉体は人間の造りから逸脱していた。

 「まだ成ってから日が浅いですね。“つがい”の方はどうしますか?」

 「そこはうちにいる尋問のプロって奴に任せるぜ。ま、吐かせるまでもねえわな。どうせここ最近満足に客を取っちゃいねえだろうし、そこから辿ってきゃ自ずと分かるってもんよ。問題はこいつを淫魔に仕立て上げた大本だが、そこも追々って感じか」

 「取り敢えずこの人は身柄確保ってことでいいですよね」

 ぐったりと横たわる体をまるで土嚢を担ぐように肩に負い、【タウロス】は今や淫魔となった娼婦を何処かに連れ去ろうとした。

 「ちょ、ちょっと待ってよ!!」

 「あん?」

 “こういう事”は、何も初めてではない。これまでにも幾度か兵士が訪れては娼婦を連れ去っていくことがあった。拉致、ではない。ゴロツキ崩れが強奪するようなそれではなく、まるで犯罪者を連行するように彼らは娼婦を、いや正確には「娼婦だった女」を何処へと連れ去って行くのだ。

 それは決まって、魔物化を起した女性に限っていた。

 「どこへ連れて行こうってのさ! その子は、もうすぐ金が貯まって故郷に帰れるんだよ! 将来を約束した男だって……!」

 「あー、あー、いいから。聞いちゃいねえんだよ、そういうの。つか、俺らにこれっぽっちも関係ねえし」

 擁護の声をまるで無視した【タウロス】の物言いに娼婦たちが鼻白む。そんな彼女らの気配を察したのか、盛大に長い溜息を吐きながら心底面倒そうに【タウロス】は言い放った。

 「ここはゲオルギア、ゲオルギア共和『人民』連邦だ。人間の国だ、背中に羽生やした蝙蝠モドキの住処じゃねえ」

 「っ……!」

 「魔物は見つけ次第、家畜舎送り……今時ガキでも知ってるぜ?」

 ゲオルギア。そこは抑圧の国。

 万民平等を謳った革命は貴族を排斥した。

 実利に重きを置いた思想は宗教を廃絶した。

 そして、人類こそを至上とするその常識は国内全ての異種族を屠殺した。

 反貴族、反宗教、反魔物。知恵ある者の驕りここに極まれり。先進する技術とは真逆に、蔓延る思想は紙面に滲む油の如く国土を侵し、今や国の中枢はその考えに染まって久しい。

 その思想の結実が、ゾディアークを完成形とする超人兵士の存在に他ならない。

 然もありなん。

 そもそもからして彼ら超人は、魔物の駆逐を目的として創造されているのだから。





 「改めて、今後の動きについて確認しておきたい」

 四体の超人は【アリエス】を筆頭に集まり、明日から始まる作戦に向けて再度の念入りな確認を行っていた。と言っても、既に上官を通じ上層部から通達があった内容を今一度そのまま確かめるだけなので、退屈な【タウロス】と【ヴァルゴ】は早々に余所を向き、真面目に聞いているのは【アクエリウス】だけとなった。

 「まず僕ら超人小隊が先行して雪原を渡る。時刻は日の出、行き先は首都、距離はざっと十数里。なに、僕らに掛かれば二時間少しの散歩道だ」

 実際のところ、沿岸部のキートムィースから内陸の首都の間に広がる雪原は決して平坦とは言い難く、特に今の時季の踏破は運悪く吹雪に見舞われればその瞬間に命を落としかねない。

 だが彼らに掛かれば不可能ではない。装備が整えば大陸有数の難所として知られるドラクトルの山々でさえも二日で横断するだろう。

 「首都に入りまずは【リブラ】と合流する。そして同時に、現在最終調整中の『後期型』のロールアウトをもって、ゾディアークとしての本格的な作戦行動が可能となる」

 「最終調整、そんな簡単に終わるのかよ」

 「【リブラ】が主導となって行っている以上、行程は最大限にまで効率化されている。計算では会敵にギリギリ間に合うとのことだ」

 「ギリギリ、ねぇ」

 「それと、【リブラ】との合流に伴い、山脈西方に向けて調査活動を行っていた調査班が……『ドクタル』が戻ってくる。以後は僕ら小隊の経過観察及び最終報告の為に同行することになる」

 その言葉に、それまで話半分に聞いていた【タウロス】と【ヴァルゴ】が反応する。驚きと、期待と、恐れと、やはり驚きが入り混じった複雑な表情をしている。

 「へえ! 柄にもなく学士様が山篭りしてるなって思ってたが、遂に帰ってくるのかよ。しかも調査活動って、内容はただの“発掘作業”って話だったじゃねえか」

 「穴掘り、終わったのかしら?」

 「掘り当てたモノが何であるにせよ、それは今の僕らには関わり無いことだ。その後、僕は隊の指揮権を【リブラ】に譲渡する。以後は彼の指示に従うこと。ここまでで質問は?」

 「…………」

 「…………」

 「…………」

 「無いようだな。では、予定確認はここまで……」

 「失礼するっ!!」

 解散を告げる【アリエス】の言葉とタッチの差で部屋のドアが開け放たれた。ずかずかと入り込む伝令兵は火急の用件を抱えているらしく、突然の進入に謝罪の言葉も無いことに【アリエス】も特に咎める事はしなかった。

 「中央から……伝令鷹……急を要すると」

 「拝見します。任務ご苦労様、下がってください」

 受け取った手紙は遠方との連絡を取るため飼い慣らした鷹、その足に括り付けられた物。内容は高度な暗号によって関係者以外には分からないようになっている。情報漏洩を防ぐ意味でも、伝令兵を労い【アリエス】は退室を促した。

 辞書一冊を数十分で丸ごと記憶するその脳髄は、瞬く間にこの文章に合致する暗号を洗い出し、そしてそこに記された確かな情報について……。

 「ば、かな……」

 初めてそのすまし顔が崩れた。見開かれた目は中空をさ迷い焦点は定かではなく、力が抜け下がった手から暗号文が落とされた。

 冷静を絵に描いたような普段の【アリエス】を知っているからこそ、もたらされた情報が途轍もない何かだと他の三人も静かに察した。その上で何も発言せず、暫定隊長の彼が平静を取り戻すまで待った。

 「……諸君、舌の根も乾かない内に申し訳ない。だが……すまない、予定が大幅に変わった。変わらざるを得なくなった」

 「どうでもいいから要点を言えよ。てめぇがそんな狼狽えて、似合わねえ」

 「ああ……そうだな、その通りだ。だが……きっと君もそうなるぞ」

 「ああ?」

 「中央管区、陸軍総司令部からの通達。今からおよそ四時間前……首都で、反体制勢力が蜂起した」

 抑圧を体現する連邦では、全ての人間がそれに甘んじているわけではない。体制の変化を望み、かつての人民が貴族に対しそうしたように、武器を手にそれを促す者らが少なからず存在する。レジスタンスとなった彼らは各地に散在し、時折行動を起こしては軍の手を煩わせて呆気なく鎮圧されてきた。

 今回の件も過去のそれらと同様のものだったが、首都で行動に出たのは初の事だった。それだけ相手が工作を念入りに行ったか、あるいは兵の警備が杜撰だったのか、どちらにせよ起きてしまったのは事実だった。重要なのはその経過と結果だ。

 「鎮圧は間もなく完了し、賊は全員捕縛した」

 「ならいいじゃねえか」

 「良くはない、少なくない被害が出た」

 「被害?」

 「情報によれば、連中は蜂起の際に中央のある施設に対し攻撃を仕掛けた。事前にその動きを察知できなかったこちらは、その初手で甚大な被害を被ったという」

 「だから、それはどこなんだよ?」

 察しの悪い【タウロス】に苛立ちを隠せない【アリエス】。その冷静さを欠いた姿に三人は続く言葉を待った。

 そして……。

 「襲撃があったのは……国家戦略情報室、第三分室……」

 沈黙が痛い。室内だというのに下がる温度は、彼らの中で起きた不安を感じる心によるものか。

 「大量の火薬、および揮発油……どこから用意したかは不明だが、そんなことは重要じゃない」

 そう、すでに起きてしまった原因など些事だ。些末事だ。そんなものは心底どうでもいい。



 「【リブラ】が死んだ。事後処理に赴いた調査官らによって、遺骸は確認済みだ」



 ここが分岐点。言わばターニング・ポイント。

 戦略の眼、善悪両支のアストライア。自らの陣営から『天秤宮』を失ったこの時既に、彼らの命運は決していたのかも知れない。

 既に、敗北へのカウントダウンは始まっている。
17/07/19 10:50更新 / 毒素N
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A.コ マ ン ド ー

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