連載小説
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第三幕 女帝と囚人:後編
 鉄仮面が大墳墓迷宮にやって来て早いもので一週間が過ぎた。最初は地下の住人らも男の風貌を怪しく思い、通り過ぎる度にぎょっとした顔をしたものだが、次第に慣れたのか今は気さくに話しかけられる事が多くなった。

 それには男の人柄や言動が大きく影響した事は言うまでもない。魔物嫌いで知られた教国出身とは思えないほど、彼は住人たちに分け隔てなく接していた。王はもちろん、書記官のメティトや下働きのケプリに至るまで、彼の穏やかで腰の低い振る舞いは誰にも好印象を与えるものだった。いつしか不気味な甲冑は男の単なる装飾品として見られ、いつしか他人を威圧する物ではなくなっていた。

 だがその人あたりの裏に隠された闇を、ネフェルキフィは見てしまっている。

 肉体も、人格も、精神も、これまで己が歩んで来たであろう人生も……己から派生する何もかも一切を、何の迷いもなく塵屑と断言するその確信。誰にも必ず備わっているはずの自負心、プライド、自己愛というものが致命的に欠損してしまっている。「最低最悪の汚物」……彼は自身をそう称する。

 劣等感ではない。彼の中にはそもそも、他者と比較してどうこうという基準をまず持たない。泥と宝石では明らかに後者が価値ある物であるように、彼はあらゆるカテゴリにおいて自身を最底辺に置くことを前提としている。糞が汚く、泥が無価値なように……鉄仮面は己の全てを比べるまでもなく、いや比べる事自体が罰当たりとさえ考えているのだ。

 その証拠に、彼は自ら行動することは決してしない。誰かと会話を楽しんでいるように見えても、実際は聞き手に専念し相槌を打っているに過ぎず、絶対に自分から話しかけたりする事はない。試しに一日中、あの黄金の寝室で過ごさせてみたが、入浴や食事で動く以外はその殆どを隅で所在なさげに膝を抱えているだけだった。当然、会話など無い。

 泥が乾いて土となり、やがては風化して砂になるように……消え去ることのみを切望している。

 「哀れな……なんと哀れな」

 頂点に立つ支配者としてではなく、同じ屋根の下に生きる一人の女として……鉄仮面の生き方に憐憫を覚えずにはいられないネフェルキフィ。

 実を結ばない徒花の生き方。いや、花ならばまだ良い方だ、美しければ愛でられもする。だがこの男は愛でられる事を拒む。己以外の全てを等しく崇高なものであると捉えるその精神は、「素晴らしき人々が、最悪の汚物である己を気にかけることで汚されてはいけない」と考えている。花開くつぼみは無骨な仮面で覆い隠され、未だその真実をさらけ出そうとしない。なまじその魂が美しき波動を放つからこそ、女王の憐憫は絶えず男に注がれていた。

 「如何ともし難い、か」

 迷える子羊なら救うことも出来よう。だが当の本人が罪人を自称し救われることを拒んでいる以上……。

 「この世に生きる事を望まぬ命があるものか」

 我欲あってこその命、生命一番の欲望とは生きること。闇に沈んだ魂を引き上げるのは、太陽の輝き。

 「汝れの闇……このネフェルキフィが払って見せようぞ」





 と密かに啖呵を切ったものの、そんなすぐに妙案が思いつくはずもなく、日がな一日玉座でふんぞり返りながら思案を続ける時間を送っていた。宴の翌日から行う執務は、臣下から寄せられてくる報告を元に指示を下すことだ。

 「以上、各地のオアシス水位の変化についてです」

 「水不足、砂漠の宿痾か」

 王が復活したとは言え、領土は未だ砂に覆われた不毛の地だ。国造りにおいてまず何よりも治水が重要になってくるが、現在の帝国はその治めるべき水を欠いている。魔物はともかくとして、ヒトは水が無ければ生きられない。その事はかつて人間だったネフェルキフィこそ十二分に理解していた。

 地下水脈を組み上げて地道に緑化するという手段もあるが、樹一本育てるのに更に百年も待つ余裕はない。このまま地下で日の当たらぬ日陰者として生きる屈辱だけは味わいたくなかった。

 「陛下ぁ〜、もうそろそろイイんじゃないですかぁ? あの人とスることしないと、この国はいつまで経っても……」

 「分かっておる……分かっておるのだ、そんなことは」

 「だったらぁ」

 「もう良い、下がれ。汝れの言葉は臣民を代表するものとして胸に留めておく」

 そう言って半ば強引に臣下を下がらせた。

 ネフェルキフィとて分かっている、このままでは砂漠の環境を保つだけで精一杯だと。昔日の繁栄を取り戻すには、この砂漠を生命溢れる魔界に変える必要があり、その為には人間の男と情を交わし愛を誓い合わなければならない。現状、今すぐにでもそれが可能な相手は一人だけだが……。

 「迷われておいでなのですか」

 新たに玉座に現れたアヌビスのメティトが見透かしたようにそう問う。その言葉が先ほどの臣下以上に自分を責めるように思えて、ネフェルキフィは僅かに目を伏せた。

 ふと、足を組んでその右足を向ける。

 「メティトよ、『舐めろ』」

 「御意」

 王の命令に一切の逡巡も無く、跪いたメティトは王の足の指に舌を這わせる。親指から小指、整った爪の先から一本一本の指の間まで、温かい粘膜の塊が丹念に這い回り、その高貴な御足を清める。

 「そのままで良い。メティトよ、余は何だ?」

 「ホルアクティ朝の絶対王者、偉大なる帝国の統治者、我らの希望……太陽です」

 「太陽か。あの男にもそう言われた。余は太陽の如く強く、美しく、優しいとな。初めて会ったその日に、あやつは余にそう言ってくれたのだ」

 「王の人徳の成せる業、あるいはあの者の慧眼かと。本質を見抜く目を持ち合わせているのは良いことです」

 「その眼力を持つ者が言うのだ……己は塵だと、この世で最も汚らわしいのだと。汚らわしい自分は王のそばにいることすら間違っていると」

 卑屈でも悲観でもなく、事実ありのままを淡々と告げるように男はそう言った。あの時の得も言われぬ不気味な雰囲気、だがそれ以上に王の心を締め付けるものがあった。

 「否定することが出来なかった。余は何も言うことが出来なかった。滑稽とは思わんか。太陽の如きと称えられておきながら、名も顔も知らぬ相手を一人慰める事すら出来なかったのだぞ」

 そんなことはない、一言それが言えなかった。何故なら、彼女は知らないからだ。男が最低最悪と自虐するのを前にしても、彼が「そうであるか」「そうでないか」を知らないネフェルキフィには、否定も肯定も出来るはずがないのだ。太陽の如きとその本質を見抜いた鉄仮面に対して、女王は無知ゆえの無言を貫くことしか出来なかったのだ。

 「常勝のネフェルキフィが聞いて呆れる。余は恥じているのだ、あやつを知らぬまま受け入れようとしていた己の愚を。何も知らぬまま情を交わそうとしていた浅ましさを。余は知っておかねばならぬ、いずれ伴侶となる男の全てを。そしてその全てを知って、その上で受け入れると。でなければ、あやつの慧眼に報いることが出来ないままに終わってしまう。それだけは嫌なのだ……」

 「王は……何故そこまで彼を気にかけられるのです?」

 「あやつの血で蘇ったと知った時、余は運命を感じた。五千年の眠りから余を解き放ってくれた男、こやつはきっと余と出会う為にここに来て、余もこやつと出会う為に目覚めたのだと根拠もないのに確信した。高鳴る胸、熱くなる血潮、全身を駆け巡る命の脈動……今己に流れる血を目の前の男がもたらしてくれたと知った時から、余は……余は……」

 顔が上気し目が潤い、呼吸が深くなる。走ってもいないのに心臓は早鐘を打ち、全身から汗が噴き出る。だがその汗は決して不快によるものではなく、湧き上がる衝動に肩を抱いて身を震わせるその顔はまるで……。

 「恋を、しておられるのですね」

 「嗚呼そうか、これが恋か……。なんと、何と甘美な心地と響きよ!!」

 両手を広げて玉座から立ち上がり、満天下に歌い上げるように女王は高らかに叫んだ。腹の底から湧き上がる感情の爆発を抑えず、むしろまだ足りないとばかりにはしゃぎ回る。その姿はメティトが言ったように、身を焦がす恋に喜び踊る少女そのものだった。

 「余は、余は嬉しい!! あの男に巡り合えたこと、あの男の血を受け入れたこと、そしてあの男に恋を出来たこと! 世界の全てが輝いて見えるぞ!! そうか、ハハハ! これが恋というものか!!」

 ひとしきり笑った後、少し呼吸を整えてネフェルキフィは確かめるようにこう言った。

 「余はあやつを愛している。どう愛し、何故愛しているかなど瑣末事、そんな事はこれから決めてゆけば良い。唯一つ確かなのは、余の心臓を動かす血液、その血を熱く滾らせる熱……この気持ち、まさしく愛よ!」

 「是非、あの方にそれを伝えて差し上げるべきです」

 「うむうむ! だがその為にはやはり、あやつの全てを知る必要がある。知った上で余は奴を受け入れ、その全てを愛そうぞ! 汝れにも礼を言おう、メティト。汝れのおかげで余は己の心の在り方を決めることが出来た」

 「お褒めに与り恐悦の至りです。引き続き調査を行います」

 「励め! 余も成すべきと思ったことをする!」

 恋は人を変える力がある。戦場では百戦錬磨の猛将も初心な少年になり、地上全土を平定した女王もただの少女となる。誰も彼も自分の心が持つ最も奥の部分、飾らぬ生の自分が熱く滾る想いを燃料に激しく駆動するのを抑えられないから。

 恋は盲目。盲目大いに結構、盲た者らしく女王は何も恐れはしないと決意したのだった。





 一方その頃、調査対象となっていたレスカティエ国内ではある一人のサキュバスが重大な情報を握ろうとしていた。名は伏せるが、彼女はメティトの指示で教国に潜り込んだスパイの一人で、もう半世紀ほどこの国で活動しているプロである。

 教国はかの「落日事件」の影響で、それまで魔物娘の地獄と評されたかつての面影は無くなり、多くの魔物が国内外を行き来するようになった。その結果、未だ皇女デルエラと女王フランツィスカ以外で国政に直接関わる者はいないが、それでもかなりの数が国や組織の上層部に公然と顔を並べ、人にも魔物にも住みやすい国家への舵取りをサポートしている。

 そのサキュバスが潜伏先として派遣されたのは、教会。反魔物派筆頭の組織と思われがちだが、実際そこは大半が親魔に染まっており、魔物代表とも言えるサキュバスが堂々とお茶汲みとして活動していても咎められない快適な環境が維持されていた。活動内容は教会内部に未だ残る反魔物派の内情や弱み、特に帝国に直接関わりがありそうなものを逐一報告することだった。

 話を戻そう。

 実は彼女こそが「牢獄の鉄仮面」の事をメティトに報告した者なのだ。鉄火面はその身柄を牢獄の最奥に置かれながら、国家を揺るがす大罪人という名目で流刑に処されたのが一週間前のこと。一連の経緯を不自然に思ったサキュバスは独自の情報網を用いて密かに調査を続けた結果……。

 世帯や個人ごとの出生記録をまとめた名簿を発見しそれを調べ続け、ここ二十年の間に獄中で生まれた者を突き止めた。そのほぼ全員は名前が記されていたが、たった一人だけ名前の欄が空白になっている人物がいた。事前に聞いていた鉄仮面の情報と記録にある生年を照らし合わせた結果、恐らくはこの人物が鉄仮面であると確信したのだが、そうなるとある一つの線が浮上する。

 「『鉄仮面』は生まれも育ちも牢獄……?」

 名簿には育児期間を経て孤児院に入れられたという記録は無く、ただ生年月日が記載されているのみ。しかも刑の執行には教会が関与したと思しき部分もあり、何らかの理由で鉄火面の身柄が法務ではなく教会の管理下に置かれていた事を匂わせていた。

 だが分からない事もある。名を与えず顔を隠し、その身を衆目に晒さぬよう獄に封じ込めておきながら、何故今さら刑を執行する必要があったのか? それも断頭台送りという一番確実な手段ではなく、低くても生き残る可能性があり、実際その通りになった流刑を選んだ理由は?

 「本当なのか、それは!!?」

 「っ……!」

 前触れなく書庫に何者かが入ってくるのを感じ、サキュバスは奥へと身を隠す。相手は教会の司教、それが数人も集まって書庫に駆け込むように進入し、何か密談をし始めた。どうやら相当切羽詰っているらしく、神父たちの激論は加熱さを増し、聖職者には不似合いな物騒な言葉も聞こえ始めた。

 「死体を見つけられなかったとは、どういう事だ!? 貴公が言ったのだぞ、砂漠に放逐すれば放っておいてもいずれはと……」

 「私はただ、この国から厄介の種を取り除く手段を提案したまでのこと。心配せずとも、母の胎内から引きずり出されて約二十年、外界を知らずに育ってきた世間知らずが幸運だけで生き残れるほど、あの砂漠は優しくはない」

 「『鉄仮面』……いっそ刑場に引っ立てられれば、その方が確実だったろうに!」

 鉄仮面という単語に物陰のサキュバスは驚愕した。そして真相を、この司教達こそが鉄仮面を亡き者にせんと画策した者たちだと確信を得る。

 「首を刎ねれば兜が外れる。それでは何の為に姿を隠してきたか分からぬではないか」

 「左様! あくまで正体は伏せたまま、我々の手も汚さず、そうするには国外追放がベストだったことは誰もが認めた事実だろう。死体が見つからないのも、おおかたハゲタカについばまれたか砂に埋もれているだけだ」

 「だとしても、確証が無い以上は最悪を想定すべきだ! もしあれの身柄が他国に渡れば、我らレスカティエ正教会、ひいては教皇庁の威信は地に落ちるぞ!」

 「ならばどうするべきと?」

 「今からでも遅くはない、捜索隊を編成してその死体を確認する! その上で死体があれば良し、なければ生存を前提に砂漠狩りを行う!」

 「不可能だ。第一、あの広大な砂漠で人ひとりを見つけ出そうなど……」

 「いや、可能だ。お忘れか、我ら子飼いの隊には北の大国より預かった……」

 「なるほど、ゲオルギアの犬か。確かにあれらなら……ん、誰かいるのか!?」

 気配に勘づいた司教が書庫の奥を覗く。そこには既に誰の姿もなく、彼らの杞憂に終わっただけだった。

 だが実際は隠遁の術で姿を隠した上で書庫を脱出しており、上官のメティトにこの事を報告すべくサキュバスは帝国へと急いでいた。

 「気のせいか。しかし、この事を他の者らは?」

 「無論、知らぬ。だからこそ、今の内に確実に処理せねばならぬのだ」





 教国から刺客が迫る事を知ったメティトはその事をネフェルキフィに報告しなかった。もちろん、それは職務怠慢によるものではなく、今は鉄仮面との逢瀬を楽しむ彼女の邪魔をしたくなかったからだ。

 「王の手を煩わせるまでもない。招かれざる客は全てこちらで処理する。砂漠を哨戒する者らを地下へ戻し、地上の出入り口全てを封鎖しろ!」

 メティトの命令は迅速に遂行され、一時間と掛からず砂漠に十数カ所設けられた出入り口は封鎖された。それに伴い最も侵入される確率が高い数ヶ所に全戦力を配置、完全なる迎撃態勢を敷き事態に臨む構えを取った。

 周辺は砂漠、地の利がこちらにあることを考えれば有利なのは確かだが、相手は無辜の民から名と顔と人生を奪い、更にその上亡き者にしようとしている相手だ。どんな手を使ってきても不思議ではないし、最悪ここを突き止められれば小競り合いでは済まなくなるだろう。

 それに、気になる情報もある。

 「ゲオルギアか……」

 革命の後に複数の国家群が寄り集まって出来た北の大国、ゲオルギア共和人民連邦。万民平等という、掲げられる錦の美旗とは裏腹に、国際的には黒い噂しか聞かない危険な国だ。近頃は軍部にて何やら怪しい動きがあるとは聞いていたが……。

 「まさか教国に戦力を貸しているとは。あの国はいつから傭兵業など始めたのか」

 下手を打てば連邦まで巻き込んだ三つ巴になりかねない。あちらもここに古代の国があるとは思っていないだろうが、もし激突すれば国家間での戦争も……。

 「いや、よそう。最悪の想定などしていてはキリが無い。今はただ静かに過ぎ去ることを祈るだけだ」

 帝国は未だ完全に復活していない。復活もせず滅びる無様は避けなければならない、何があってもこの国を守る、それがメティトが貫く「正義」だ。

 王と鉄仮面、未だ奥から戻っては来ない。





 「メティトめ、要らぬ気を遣いおって。だが良い。後で褒めて遣わそう」

 臣下の心の内など距離があっても分かるとばかりに、メフェルキフィの耳は上で起こっている事を察知していた。

 どうやら事前に危惧していたように教会が何らかの弱みを持っていて、自分達はそれに触れてしまっている事がこれで確定した。隠し通せればそれでいいが、見つかれば面倒な事態は避けられない。教国と事を構えることがではない。常勝の王の戦歴にはかの国以上の難敵も含まれている、その気になればここの手勢だけでも戦争に勝つ自身が彼女にはあった。

 だが、それ以上に厄介なのは……。

 「王様?」

 「……いや、何でもない」

 教国からの刺客は彼を、鉄仮面を狙っている。箱入り御曹司が抜け出したから迎えに来たという雰囲気ではない事だけは確かだ。恐らくは拉致、もしくは殺害、どちらにせよ全面的に抵抗するつもりだ。

 だがその意図を、この鉄仮面にだけは悟られてはいけない。

 自己肯定の意識が皆無に等しい彼だが、今はまだその精神が破滅へと向けられていない。何故ならば、汚らわしい己が自死を遂げる事すら烏滸がましいと捉えているからだ。そして、こんな汚らわしい自分を誰かが救ってくれるとは、そんな希望的な考えは微塵も抱いていない。

 だからこそ、「救ってくれる」相手が現れれば、当然その心は容易く傾く。それが「汚らわしい自分を始末する」というものであっても、自分なんてこの世から消えて無くなってしまえばいいと本気で思っているから……。

 「ここへ汝れが来て、もう七日が過ぎた。何か困っていることは無いか? お前は無欲で何の要求もせぬから、働き甲斐がないとケプリたちがボヤいておったぞ」

 「何か頼み事をした方が良かったでしょうか?」

 「いや、何も無ければ良いのだ。余は何をおいても汝れの身の回りを整える事を最優先にしておる。汝れが満足しているのなら、余としても喜ばしい」

 「あの……王様は、どうして自分なんかの為に……」

 もじもじと指を絡ませる仕草、本来なら男に似合わぬ可愛らしさとからかう所だが、それが針のむしろの上で辛うじて自己を保つ行為だと誰が気付くだろう。この『希望的なまでに絶望に慣れてしまった』その魂は、救われない事を受け入れてしまっている。いやむしろ、“救われない”事こそを“救い”と感じている節すらあるぐらいだ。

 「以前、汝れは余を太陽と称したな。その通り、余は太陽だった。ホルアクティ……『地上の太陽』と名付けられた国を支配する王として、余は常に光り輝き続けることで天下万民を照らしてきた。いつしか地上の太陽とは帝国ではなく、余そのものを指し示す言葉になった。誰もが余の治世を賞賛し、稀代の名君と誰もが讃えた」

 「流石は王さ……」

 「だが、それは間違いだ。余は初めは民を統べ導くつもりなど、欠片も無かったのだ」

 「え……」

 「少し違うな。正直に言おう……余は、国というものを心底嫌悪しておった。いや、そんな程度は生易しい……憎んでいたと言ってもいい。敵は言わずもがなだが……何よりも余はこの国を、余自身が築き上げたこの国こそを疎んでいた。国を、土地を、歴史を……余は一度として愛した事はない」

 それは衝撃の告白だった。王という立場にあるまじき言い分……国を支配する者が、支配している国を欠片も愛していなかったという事実。メティトや他の臣下はもちろん、恐らくは五千年前の誰もがそんな事を露とも知り得なかったはずだ。領土を拡大し、民に豊かな暮らしを与えた王の心は、太陽とは真逆に冷め切ったものでしかなかったなどと。

 「……昔話をしたい。付き合ってくれ」

 そう言ってネフェルキフィは己の過去を語り始める。

 かつて国という概念が希薄だった時代、まだ都市や部族ごとに暮らしを形作り、そして争っていた時代に彼女は生まれた。父はとある部族の長で彼女はその何番目かの子供。族を率いる長の家系ということもあり幼い頃から不自由ない暮らしを送ってきた。

 だがとある都市との戦争に負けてから、彼女の人生は大きく変わってしまった。

 「敗者は勝者に全てを奪われる、地位も、名誉も、財産も……。余は名を奪われ、奴隷となった。兄上たちは人夫としてこき使われ、部族の大半が無益な労働に従事させられた。余と姉上たちは…………」

 「おう、さま?」

 「余とて女だ、奴隷女がどんな仕打ちを受けるかなど……察してくれ」

 「……!」

 当時幼かった彼女はそうでもなかったが、その姉たちは違った。皆が望まぬ「寵愛」を受け、人としての尊厳すら踏み躙られて生かされた。体を開き、心を捨て、誇りを切り売りさせられる、そんな姉たちの破滅してゆく姿を目の当たりにした時、彼女の心には唯一つの炎が燃え盛る事になった。

 権力者への嫌悪、支配者への敵対心、奪う者への激しい怒りと憎しみ……それら全てを混ぜ合わせたドス黒い感情が、彼女の生きる原動力となった。それは自分たちを奴隷にした者だけでなく、この世の全ての力ある者へと向けられていた。

 「余が王になったのは統治するためではない。奪われたものを取り返す戦いを続ける内に、辿り着いた場所がたまたま玉座だっただけの話だ」

 男に股を開き、娼婦の真似事をした。

 敵対勢力に情報を売り、売国の徒にもなった。

 力を得る為に愛してもいない男に擦り寄り、何番目かの后の地位も手に入れた。

 他の競争相手を闇で蹴落とし、寵愛を受ける者が自分一人だけになるよう仕向けた。

 そして時の権力者が没した時、彼女はまんまと国を手に入れた。

 「胸が透くような気分だった。我ら兄弟姉妹を陵辱せしめた憎き相手を消し、その首をすげ替えることに成功し、地位も名誉も財力も、かつて以上のものを余は手に入れることが出来た。もはや我が望みは叶ったも同然だった」

 本来なら、名を奪われた奴隷の物語はここで終わりを迎えるはずだった。

 「だが、余は満たされなかった」

 望みは叶った、奪われたものは取り返した、奴隷から王へと輝かしい転身も果たした。

 それでも、彼女の胸に空いた穴は埋まらなかった。民や臣下からの称賛、豊かな大地の恵み、黄金の玉座、全てが空虚なものにしか見えなかった。統治に興味がなかった事もあって政に関心が薄く、やがては暗君と成り果てて国は滅びゆくのを待つだけとなるはずだった。

 だが転機は再び訪れる。

 「ある時、それまで友好的だった隣国が手の平を返して余の国にちょっかいを出してきた。女の王が治める国などと、侮られたのであろうな。不遜にも我が領土を犯し、財を奪おうとしたのだ」

 その姿はまさしく、かつて自分たちから不当に全てを奪い尽くした男達を想起させる振る舞いだった。

 許せない、また自分から奪い取るのか……冷たい玉座に座る内に冷めていた彼女の心は、その事態を前に再び燃え盛る。

 「だから滅ぼした。家々を壊し、畑を焼き、煌びやかな装飾で着飾る者全てを撫で斬りにした。許せなかったのだ、他人から奪い取る事しか、搾取しか能の無い連中が民草の上に立っているという事実が。そんな連中が支配する国が存在していることが。そして何より、余自身がそんな輩共と同類になろうとしていることが」

 全てを滅ぼし灰の上に立った時、空虚な女王はひとつの真理を得る。それは天啓、ある種の悟りにも似た境地にあった。

 王は暴力によって支配し、支配者とは搾取する者であるのなら、『奪い取る者から奪えば』いいと。全ての王を名乗る者は我が怨敵、そう見定めたその日からネフェルキフィの終わりなき戦いは幕を開けた。

 「戦い、闘い、斗い続けた……。侵略と蹂躙と征服を繰り返し、敵からは戦争狂と恐れられ、味方からは暴君と罵られても、余は戦い続けた。そうしている間は己の存在意義を確かめられたから、火のように激しく、太陽の如く苛烈に、余は大陸に戦火を撒き散らし、奪い取った全てを己の物とした。物も、土地も、人の命でさえも……もう二度と誰かに奪い取られぬように」

 そうした戦いの歴史が十年、二十年と続き、遂に女王は大陸を統一せしめた。それまで国外の闘争に明け暮れていた暴君の目が国内に向けられれば、きっと暴虐の嵐が起こると、臣民は誰もが恐れていた。女王の名を聞けば泣く子も黙り老人は恐怖で衰弱死するとさえ言われていた。

 しかし、実際はそうならなかった。

 「余は次に、『与える』ことをした。今まであらゆる方向から奪い尽くした財という財、その全てを下々に分け与えた。単純よな、たったそれだけの事で余は一転して名君と持て囃される事になるのだから」

 「どうして、一度は奪われたのに……」

 「決まっている。余の支配する国では、余こそが絶対強者。我が領域で弱者に更なる搾取を目論む者は、地上の太陽たる余の権能によって裁かれる。この地上において好きに奪い、思うまま支配する権利を持つのは唯一人、このネフェルキフィをおいて他にはいないと天下万民に知らしめるためだ」

 あらゆる善も悪も唯一人だけが執行する権限を持つ世界。そのたった一人が略奪も搾取も許さぬ限り、そこは民の平和が確約された地上の楽園となる。事実、女王が統治した百年は戦とは無縁の稀に見る平和な時代が続き、偉大なファラオの下で民はその暮らしを謳歌していた。

 「余は与え続けた。与えて、与えて、惜しみなく、己が身を燃料に輝く太陽のように、民草に光を与えた。そうして与え続け…………余には何も残らなかった」

 「何も……」

 「ああ、何も。それどころか、最後は結局奪われて終わった。時間は若さを、病は健康を、死は命を奪った。奪われて……戦って……与えて……そしてまた奪われて……。その時気付いたのだ。余は……本当は、『与えられたかった』のだとな」

 太陽の如きと讃えられた女王は、ただ奪われた取り返す事だけでも、絶対の王者として弱者を守ることでもなく、その本質はただ誰かに「与えられる」ことを切望していた。少女たちが白馬の王子を夢想するように、いつか誰かが遣る瀬ないこの境遇から自分を救ってくれると信じ、信じる思いは己を騙しその心に厚いベールを掛けていた。

 冥府の川で己の生を振り返り、その時間の大半を捧げて造り上げた国があっけなく崩壊する様を、彼女はどんな思いで見つめていたのだろう。

 「汝れは言ったな、余との出会いは運命などという高尚なものではないと。それは違う、汝れと余の邂逅はまさしく運命であったのだ。与えられる事を望んでいた余に、汝れは『命』を与えてくれた、新しい『生』を与えてくれた。分かるか? 総身を流れる血潮に宿る熱は全て、汝れが灯してくれた火なのだぞ」

 「自分の……。でもそれは、王様には……」

 「汚らわしくなどない。いや、例え汝れの身が穢多の極みにあったとしても……」

 広げられたネフェルキフィの手が鉄仮面を抱き締める。柔らかい胸が押し当てられ、甘い香りが甲冑を通して男の鼻をくすぐった。拒むように身を捩って逃げ出そうとしたが、そんな弄らしい抵抗は許さぬとばかりに女王の腕は強く、そして優しく彼の体を抱き留めて離さなかった。

 「余は愛そう、その全てを」

 幾度拒まれようとも、ネフェルキフィの心は変わらない。もはや全てをさらけ出した、隠すことも偽ることもなく、余計なもの全てを放り出した裸の気持ちを伝えた。太陽の光が折れず曲がらず地に降り注ぐように、一片の曇りもない誠心誠意を……。

 「教えてくれ、汝れの真を……」





 「自分は……自分は……っ」

 鉄仮面の腕は自由だ、ネフェルキフィを突き放す事もできれば、抱き返すことだって出来る。だが彼には分からない。こんな時どうすればいいのか、何と言えばいいのか、どうやって答えるのが正しい事なのか。分からない……誰も教えてくれなかったから、暗く湿った石壁と鉄格子だけで出来た鳥かごが世界の全てだったから。

 「汝れは余だ、かつての余だ。名を、誇りを、歴史を、己を己たらしめる全てを奪い尽くされた虚な者。この気持ちに憐れみや同情の心が無いとは言わぬ。だがそれでも、汝れに救われた心に嘘はない。この気持ちに偽りは無いのだ」

 「でも、自分は……無意味で、無価値で、誰のためにもなれなくて……」

 「余が聞きたいのはそんな事ではない! 語れ、その心を! 晒せ、己の芯を! 今己が何を求め何を欲し、何を成したいのかを!! その言葉で語って見せい!!」

 冷たく固い甲冑に覆われた男の心に、太陽の言葉が染み込む。それは命令する言葉でありながら、全てを包容する優しさを持ち、諦めと絶望の氷に閉ざされた鉄仮面の胸を溶かしていく。

 鉄仮面は恐れた。絶望で麻痺していたその心は、生まれて初めてこの事態に恐怖していた。

 自らの心の内を暴かれるのを人は恐れる。それが、ただの一度も理解しようとする者さえいなかった者ならば、今この状況は心臓に刃をを突き立てられるような危機感を覚えずにはいられないものだった。

 「やめ、やめて……やめて、入ってこないで。自分の中に……入ってこないで。やっと、やっと独りでも構わないって……そう思えるように、なったのに……」

 胸の奥底に押し込められた汚泥の氷河、それが入り込んだ熱で徐々に溶かされて、更にその奥に隠された原初の感情を呼び起こす。とっくの昔にそれを表す事をやめ、冷たい仮面を被ると同時に封印し続けたその心は……。

 「……さみしい……」

 悲しみ。

 「……こわい……」

 恐怖。

 「……くらい……」

 そして絶望。

 「寂しい、さみしぃ…………出してぇ……! ここから、出して!! 怖い、怖いよ、誰か……誰か、助けて……。外に……出して…………出してよォォォ!!!!」

 生まれ落ちたその瞬間より冷たく暗い獄に押し込められ、一度も与えられる事を知らぬまま生きてきた、名も無き男の悲しき叫び。牢獄から追放された今なお、その魂は未だ暗黒の奥底に封じられたまま自由を欲し叫び続けているのだ。

 決壊した感情のまま泣き叫ぶ鉄仮面、その体を強く強く抱き締め、ネフェルキフィは宣誓する。

 「余が必ず連れ出そう。約束する……明るくて、暖かくて、誰からも蔑まれる事のない天地へ。だが、その為には……」

 抱き締める腕が離れ、ネフェルキフィは“女”から“王”の顔へと変わり天井を、遥か地上の砂漠へと灼熱の視線を向ける。双眸に宿る意志は戦意、地上に跋扈し領土を犯す不埒者たちへと向けられたものだった。

 「メティト!!」

 「ここに」

 「余はこれより前へ出る。具足を持て」

 「王自らお出ましになるほどでは……」

 「北方の狂犬に手を焼いている事ぐらい、この余が気付かぬと思うてか。余の領域を土足で踏み荒らし、我が財宝たる臣民を傷付けたその不届き……余が直々に裁いて見せよう」

 ヘカ杖と魔術刻印をあしらった金細工を身に付け、万夫不当の女帝が今戦場へと向かう。国を愛さぬ王が、愛する者を守る為に、今一度その力を振るう。

 鉄仮面には分からない。さっきこの女王は、国を愛してなどいないと言っていたではないか。それなのに何故……。

 「何故この国を守ろうとする、もう全てが砂に埋もれてしまったこの国を……か? 汝れは愛い阿呆よな。言うたろう、余は全てを手中に収めた……奪われぬようにと。一度は与えて手を離れしも、この世の全ては我が物であることに変わりは無い! そこに生きる全ての命は、それらが築いた財は、積み重ねた歴史さえも、未来永劫余すことなく余のモノである」

 それが王、それこそが万物を統べる者の矜持、支配するとは是れまさにこの事よ。

 「魅せてやろう、余の全てを。余の言葉に嘘偽りなど無いことを証明し、それを以て汝れへの永久の愛の誓いとする。汝れの欲するままに、余は全てを与えよう」

 讃えよ、その名……ネフェルキフィ。

 愛する者を侵す輩を、女帝は決して許さない。





 ゲオルギア連邦では近年、『ある存在』を倒すため軍部で積極的な活動が行われてきた。動きを掴んだ各国は魔王打倒を掲げるのではと注視していたが、かつての行き過ぎた反貴族・反魔物・反宗教の流れを反省したのか、特に何か目立った動きも見せず実際は「何か企んでいる」という部分だけに留まっていた。

 しかし、かの国は既にその雛形を完成させつつあった。

 砂漠を行進する聖騎士たちの列に一人だけ、明らかに浮いている者がいた。行軍する者らとは違って鎧兜は身に付けず、他の者が疲れを見せ始めているのに、その男だけは炎天下の砂漠を涼しい顔をして散歩でもするような足取りで追従していた。

 「はっけーん。鉄仮面さんは間違いなく、このルートを行ったよ」

 「本当か!?」

 「ノンノン、ミィは嘘言わない。ミィの鼻は確かにターゲットの臭いがその場所に行った事を示してる」

 鼻に包帯を巻き付けヘラヘラと胡散臭い喋り方をする男。この男こそ、『ある存在』を倒すためにゲオルギアが創り出した“超人”の一体だ。まだ研究段階の試作品という扱いだが、既にその性能は常人とは比較にならない域に達している。

 「でもご注意。四十メートルかな、結構な数の魔物がいるよ? ミィたちの足元にも五体、あの砂丘を越えた先の流砂に三、岩の陰は出入り口かな、そこには数珠繋ぎでいるよ」

 「そんな事まで分かるのか?」

 「ミィを侮ってもらっちゃ困るね。ターゲットの臭いはそのまま地下に続いてるところを見るに、たぶん下の魔物たちが匿ってるね。この辺に魔物の地下集落があるとか無いとかって噂、本当だったんだぁ」

 砂の大地に立つ男は足下を忙しく動き回る気配を、一つ一つ正確にその位置と数を把握していた。発達した聴覚と触覚は地面の振動を通じてあらゆる情報を掴み、その眼は地下に張り巡らされた迷宮の全容さえ完全に見通していた。もし彼が暗闇の大迷宮に置き去りにされたとしても、幾多も用意された罠の全てを突破して生還を果たすだろう。

 だが彼には端から地下に入るつもりなど毛頭なかった。

 「ではでは、早速……」

 「何をしている?」

 「見てお分かりにならない? 魔法陣ですよ、魔法陣。少々お待ち! ちょちょーいっとこれと同じのを七つほど仕上げますので!」

 そう言いながら男は砂地に指先で陣を形成していく。聖騎士はそれが超攻撃的な効果を持つものであることを瞬時に見抜いていた。

 「貴様ッ、何を……!?」

 「契約その一、対象の身柄を確保し教国へ送還すべし。その二、鉄仮面が何者であるか詮索しない。その三、任務遂行に当たりこれを邪魔する者は実力行使で排除せよ。その中には対象も含むものとする。だったらいっそ……みんな殺しちゃえばオールオッケー! ミィは満足、ヴィも満足、みんな幸せで大団円だと思わなーい」

 ケラケラと笑いながら描く魔法陣は、陣の中から魔力が続く限り石脳油を垂れ流し続けるという代物。しかも召喚するのは地表ではなく地下、閉鎖された空間に満ちる油は成分の揮発と共に猛毒のガスで生物を窒息させ、更に一度火が放たれれば燃料が完全に燃え尽きるまで火炎が全てを埋め尽くす。後には骨どころか燃えカスも残らないだろう。

 自分達の足の下でこの世の地獄を生み出そうとしている、それを笑顔でさぞ面白いことのように実行しようとする“超人”に、屈強な聖騎士たちは破綻者に近い恐怖を感じ誰もそれ以上の追及をしようとはしなかった。こんな不可解な任務は早く終わらせたいとさえ願っていたのは容易に想像できた。

 「さーてと、それじゃそろそろ……」

 「それ以上、我が領地を荒らす行為は許さぬぞ」

 「あい?」

 突如、砂漠に轟く声にその場の全員が周囲を見回す。そして砂漠の中で一際巨大な砂丘、その頂点に立つ二つの影を見た。太陽を背に逆光の中で外敵を睥睨する赤い瞳だけがはっきりと見えていた。

 「アヌビスと……へー、こりゃ珍しい! ファラオなんてそうそうお目にかかれるものじゃない。まとめて始末するのは中止して、貴重なサンプルってことで祖国にお持ち帰りしようか」

 「誰が人語を話して良いと言った。貴様は犬畜生だ、人様の庭に土足で踏み入り我が財を漁るその愚……断じて許せぬ、万死に値しよう」

 「で? で? で? お偉いファラオさまはミィたちに何をなさるおつもり? 身も心も魔物に落ちたあなたは、ミィたち人間を害することなんて出来やしませんよーだ」

 「ならば力尽くで追い払うまで。何度でも、何度でもな!」

 ヘカ杖が唸りを上げて振るわれ、神気を宿す魔力がその先端に集まる。それが振り下ろされた瞬間、二人が立つ大砂丘が爆散した。

 重厚な装備を身につける聖騎士が軽々と宙を舞い、錐揉み状に落下して砂に突き刺さる。何人かは砂丘の向こう側にある流砂に落下し、体の半分以上が埋まって抜け出せなくなった者もいた。

 今のは魔術でも何でもない。ただ単に魔力を腕と杖に集中させ生み出した怪力による叩きつけでしかない。かつては魔術によって全身の魔力を操作していたが、魔物となり不死を得た今は呼吸をするだけでかつての十倍もの力を自在に振るうことが出来る。もしネフェルキフィが全力で暴れでもしたら、この砂漠の砂は全て海に落ちるだろう。

 「よもや、今の一撃で倒れぬ奴がいようとはな」

 「ボージェ・モイ。神代の魔物はこれだから油断ならない」

 「貴様もこうなりたくなければ、早々に消え失せよ。北の国の犬めが」

 距離で言えば一番近くにいたはずの男……“超人”は平然と地に立っていた。この場の全員を吹っ飛ばすつもりで杖を振るったはずが、何故かそいつだけが無傷で同じ場所に留まっている光景に、ネフェルキフィは密かに不気味なものを感じていた。顔にこそ出さなかったが、今この男と矛を交えるのは回避した方がいいと、本能が警鐘を鳴らしていた。

 だが、底知れぬ“超人”は古代の女王を前にして恐るどころか、むしろ薄気味悪い笑みを浮かべて王とその従者を嘲っているようだった。一向に後退する気配は無い。

 「愚かな」

 再び杖に魔力を込める。その総量はさっきの倍以上、振り下ろされれば岩盤まで到達する威力となる。

 「それではヤバいので、こーしましょう」

 「なにっ!?」

 杖を振り下ろさんとしたまさにその瞬間、ネフェルキフィとメティトの体が砂中より出現した鎖に絡め取られる。突然現れた魔法陣から召喚されるそれは、触れた者の魔力を吸い上げて大気へ発散させる効果を持ったマジックアイテムで、魔力によるブーストを掛けていた二人の体から急速に力が失われていく。

 更にそれが十、二十と出現し、二人は雁字搦めに絡め取られてしまった。

 「何でもかんでも力だけでどうにかなると思いましたかぁ? 思ってたんでしょうねぇ、滑稽ですねぇ。第一、ミィたちはあなた以上の『怪物』を相手取るために設計されてるんです」

 「下郎がァ……!!」

 「おぉお、怖い怖い! そんな怖い魔物は、油をかけて燃やしちゃいましょーね」

 近寄った“超人”の手から石脳油が溢れ出し、二人の体を汚していく。鼻をつく重くベタつく悪臭と、魔力を抜かれた体に重く伸し掛る質量、二人の体力は削られる一方だった。

 「ヒヒ……」

 指先に火を灯し、それを徐々に近づけてくる。二人は魔物だから火で炙られたぐらいで死にはしない。だがそれが何十分も何時間も、あるいは何日も焼かれ続ければどうなるか……。骨も内臓も炭になり、再生する魔力も生成できないまま、やがては灰になって消え砂漠の一部になってしまうことは簡単に想像できる。アンデッドでもあるネフェルキフィに至っては、本当にゲオルギアまで連行されサンプル扱いの憂き目を逃れられなくなるだろう。

 「皮が焼け肉が爛れ落ち、骨だけになろうとも……その喉笛噛み切ってくれる!」

 「あーはいはい、そういうのイイから。ちゃっちゃと灰になって。その後、下の連中もまとめてそっちに送ってあげましょう」

 指先の火が近付く。全身に炎が燃え移るまで秒読み、二人の命運は決したも同然になった。

 「おい、聞きたいことがある」

 「なに? もうすぐ終わらせますから、あんまり茶々入れるのは……」

 「ゲオルギアはどっちだ?」

 「はあ? 地図見れば分かるでしょうに。北ですよ、北!」

 「そうか。なら…………おまえが案内しろ」

 「だから、何を言って────」



 刹那、“超人”の体が天を舞った。



 「は?」

 「へ?」

 太陽輝く晴天に飛翔し、一瞬の内にその大きさが豆粒より小さくなる。遅れてやって来た衝撃波が砂塵を飛ばし、ネフェルキフィとメティトが間の抜けた声を漏らしてしまった。

 “超人”に問い掛けていたのはこの二人ではない。声の主はその背後に音もなく現れ、そして音を彼方に置き去りにした蹴撃でそれを蹴飛ばし、物理的に星にしてみせた。正体不明の新手の乱入者、この者の正体とは……?

 「ネフェルキフィ王か?」

 「い、いかにも!」

 白髪に赤眼、身に纏う雰囲気は一騎当千の古兵。恐らくはここに攻め入った者達、いや地下で控えている帝国の民全てが束になって掛かろうと絶対に勝てない……そんな確信を抱かせる男だった。

 身を縛っていた鎖を片手で容易く引きちぎり、自由になったその手に封蝋がされた手紙をねじ込んできた。それと同時に、蹴り上げられた“超人”がたっぷり十秒かけてやっと落下し、頭から砂地に突っ込んだ。

 「王魔界より魔王陛下の親書を預かっている。確かに渡した」

 「ま、待て! 汝れは……」

 「悪い、人を待たせている。では」

 すげなく去って行く使者。上半身丸ごと埋まっていた“超人”をまるで大根のように引っこ抜いて肩に担ぎ、悠然と砂の海を往く姿はこの国で起きた些事にまるで興味など無いとばかりだった。

 「それと、そちらが保護している男について心配は要らない。全て皇女殿下が執り成してくれる」

 「皇女? デルエラのことか」

 「そう。たぶん、教国がそちらに手を出す事はもう無い」

 それを最後に使者は砂漠を去る。地平線には連れと思しき影が見え、アラクネにも似た多脚が砂の大地を踏み締め使者を見守る姿に、恐らくは伴侶なのだろうと推察する。そして王魔界からの来訪者は嵐の如く砂漠から消え去った。

 渡された親書には新たな魔界国家としてホルアクティ朝の新生を祝福する旨が書かれており、この日図らずも魔界国家として半ば正式に国家承認が成される事になったのだった。





 そもそもの始まりは、教国の宗教面でのトップである教皇が急逝した事に端を発する。

 前教皇は人徳溢れる聖職者で知られ、妻帯する神父が珍しくなくなった昨今、古き良き清貧と純潔を重んじる昔気質な人物だった。さりとて原理主義に走る反魔物という事もなく、保守的でありながら時代の流れを読んだスタンスは多くの人心を掴んだ事は周知の事実だった。

 だが死去した教皇の周辺を整理していた時、ある疑惑が浮上した。

 密かに所有していた日記に何度も出てくる女性の名は、明らかに情を交わした男女の間柄を匂わす熱を帯びており、その女性の身元と現状を知った時に疑惑は事実へと変わっていた。

 前教皇の隠し子。しかもそれが親子どころか孫ぐらいに歳の離れた女との落胤と知られれば、信徒を始めとする民衆の心は更に教会から離れてしまい、教皇庁の権威は失墜する。

 教皇庁始まって以来の大スキャンダルに情報を知った一部の司教たちは密かに結託し、真実を闇に葬る事にした。女について記した日記を焼き、存在を匂わせる遺品を処理し、そしてまだ腹が膨らんだままの女に姦通罪を適用して獄に押し込めた。

 生まれ出てくる子供を殺さなかったのはせめてもの慈悲か、あるいは自らの手を汚すことを嫌ったからか。だが母親は劣悪な環境で子を産み落とした後、肥立ちが回復しないままこの世を去った。

 そして子は名前を与えられず、いずれ出てくる父親の面影を衆目に晒さぬよう封じられ、陽の光すら当たらぬ牢獄に繋ぎ留め、二十年も封印し続けた。

 だが人の口に戸は立てられず、鉄仮面の噂が蔓延することを重く見た司教たちの画策により遂に教皇の息子は生まれ故郷を追いやられた。最後まで己たちの手を汚そうとせず、砂漠に放逐しハゲタカの餌にしてしまおうとしたのだ。

 そして仮面の男は砂漠の女王と出会った。





 「美しい……。そうは思わんか?」

 「はい、とっても」

 砂漠で一番大きなオアシスに二人はいた。この時期は隊商も通らず、澄んだ水を湛えた砂漠の楽園は二人だけが占拠していた。

 時刻は夕方。オレンジ色の太陽が西に沈むまさにその瞬間を、運び出した天蓋付きベッドの上で二人は眺め続けた。涼しく穏やかな風がベールを揺らし頬を撫でる中、少しずつ沈んでいく太陽の有様を二人静かに肩を寄せて眺めていた。

 やがて日は完全に沈み地平線の残光が紫を空に映す頃、東の空には星々が瞬き始めた。オアシスの水鏡もそれを映し出し、砂漠の星空が天地に宿る幻想的な光景に鉄仮面は言葉もなく感動を覚えていた。

 「これで汝れは自由だ。もう何もその肉体を、その魂を、その未来を縛るものは無い。余と、余が治めるこの空と大地が保証しよう」

 「はい。でも……少し不安です」

 今までは何をどうすれば良いなんて考えなかった。考える必要がなかったし、何よりそれを許されていなかった。首輪を解かれ枷を外された今、唐突に降って湧いた「自由」は素直な喜びより戸惑いの気持ちの方が強かった。

 今の男は、自分の足で立つことを覚えた幼子だ。どこへでも行けるが、どこへ行けばいいのか分からずにいる。

 怖がる男の仮面に、そっと手が触れる。

 「恐るな、余がいる。約束したろう? 汝れが求める限り、余は与え続けよう」

 固く閉じた甲冑の留め具をゆっくり、一つずつ外していく。

 「身も……心も……」

 全ての固定が外され軽くなった兜を、長い間男を縛り続けていた封印を……解き放つ。

 「ハァ……美しい」

 ネフェルキフィの見立てに間違いはなかった。今まで目にしたどんな宝物より美しく、今まさに二人で眺めた夕日よりも輝いて見えた。

 美醜の感覚それ自体はごく普通だ。金の髪、碧い眼、白い肌、僅かに童顔だが教国に多い典型的な大陸人の特徴そのままの顔立ちをしていた。街中を歩けばよほど奇抜な格好をしていない限り誰の目にも留まらないだろう。

 だが王の眼力はその奥にある魂を見据える。生まれた瞬間から外との繋がりを断ち切られた魂魄は、俗世の穢れを一切知らぬ純真無垢な輝きを放っていた。真っ直ぐ見つめていると目が潰れそうなその光輝は、まるで人知れず地の底で磨き抜かれた金剛石の如し。太陽の輝きにも勝るその光はネフェルキフィのそれすら足元には及ばぬものだった。

 そしてその汚れ一つない純白のシーツをこれから自分の色で染め上げることを想像してしまい、興奮が抑えられなくなる。

 「余に汝れを『愛させてほしい』」

 「……はい。王様、どうか自分に……愛を教えてください」

 「心得ている」

 これではどっちが抱く側か分からないな、そう呟きながらネフェルキフィは優しくその肩を押し、その唇に触れながら折り重なるようにベッドに倒れ込んだ。

 徐々に冷める気温に抗い、その身を抱き合い熱を与え合う。その様子を月だけが覗き見していた。





 ネフェルキフィは120まで生きた。魔術による延命を重ね老化を抑制し、愉楽の限りを尽くした彼女は最初の夫を含め生涯に男女数十人の愛人を囲ったという。どうすれば相手が悦び、何をすれば悦びを得られるかなど手に取るように分かっている。

 だが、かつてここまで甘美な口付けがあっただろうか。

 「ン……んン……っ。んくっ……ちゅ。はぁっ、甘いな……男の味がかくも甘いものとは、知らなんだ」

 「自分もです……王様」

 「ネフェルキフィ、と呼べ。いや……『呼んでほしい』」

 「……は、い。ネフェルキフィ」

 「〜〜〜ッ!!?」

 今まで誰にも閨で自分の名を呼ばせた事は無かった。ただ名前を呼ばれるという行為それだけで、全身が総毛立ち背骨から震えが起こり無意識に腰をくねらせてしまう。どれだけ力を得ても自分の生まれを、“女”であることを思い知らされてしまう。

 「フフ……良いことを教えてやろう。砂漠に生きる民にはそれぞれ名に意味を持つ。余の名、『ネフェルキフィ』もまた同じ。知りたいか?」

 「……はい」

 「『ネフェル』とは“美しい”、“高貴な”という意味だ。『キフィ』とは……これだ」

 そう言ってこれ見よがしと胸を上げて寄せる。胸の布がはち切れんばかりに膨れ上がり、肉のつぼみがくっきりとそこに盛り上がる。

 「“胸”だ。『美しい胸を持つもの』、それが余の名である。触れて良いぞ、押して良いぞ、引いて良いぞ、吸って良いぞ……愛でても良いぞ?」

 薄い布がぱさりと落ち、褐色の双丘が露わになる。見るのは二度目だがやはり美しい。メスとしての淫靡さより、整った彫刻の如き美の極致が二重螺旋に刻まれた黄金比を惹きつけて離さない。名は体を表すの言葉のままにネフェルキフィの実りは美しかった。

 「汝れのも見せよ。ほれ、遠慮するな」

 「ああ、ちょっと……!」

 「ほっほぅ、これはこれは!」

 下着を脱がせた瞬間、手で引っ張り出す無粋な真似をせずとも男のソレは激しい自己主張をしていた。オンナどころか性もまともに知らないだろうことが、香しい匂いを嗅いだだけで分かる。

 「汝れもオスよな。愛い奴め! その可愛さに免じて、特別に余が奉仕してくれる……この自慢の胸でな」

 豊満な膨らみを掻き分けて作った隙間、開かれた瞬間にオスとメスの汗臭さがフェロモンとなって漂う場所、その熱を帯びた隙間にネフェルキフィは男のオスを挟み込んだ。

 「どうだ、余の乳房の圧は? もうこれだけで果てそうか? ん? どうなんだ?」

 「ぁ、はあぁ……だ、駄目です! 何かっ、動いて……ッ!!」

 「いや、余はまだ動いておらんのだが」

 「ああ……ああっ、あっ! もう、だめ、あっ、あああぁぁぁーーーッ!!?」

 切迫する叫びの後に下半身が硬直し、挟み込んだ先端から白濁が迸る。それは突き上げるような勢いある噴出ではなく、濡れたタオルを絞ったみたいな染み出るような射精だった。トプトプと音を立てながら出続けた精液はネフェルキフィの谷間を埋め尽くし、隙間から漏れ出て褐色の肌に白い大河を作るほどだった。

 指で白濁を掬い取り舐めると糖蜜にも似た甘さを覚える。そしてネフェルキフィは理解した。

 「汝れ……余の胸の鼓動だけでイキおったな? 心の臓が打つ音色、それを男根に感じて果てたな?」

 「はぁ、はぁ、はぁ……は、はい……。ごめんなさい」

 「〜〜〜ゥゥゥっ、このっ、愛い奴! 愛い奴! 愛い奴!! ああもう、可愛いなあ汝れはぁっ!!」

 だんだん目の前の男のことが愛らしい小動物に思えてきて、感情の発露に任せネフェルキフィは抱きつきの勢いのまま頬擦りをする。右左、右左、男性にしては柔らかい頬をひとしきり堪能した後は、流れるようにそのままディープキス、閨事を極めた女王の猛攻を前に男はもう陸に揚げられた魚も同然だった。

 「ハハハ、さあ、これで終わりではないぞ。余と汝れはもはや一蓮托生、共に互いを貪り合おうぞ」

 仰向けのまま呆然としている男に跨り、未だ屹立するその分身を女陰に導くと……。

 「ほれっ!」

 「ふあ、ああぁあああぁぁ!!?」

 五千年ぶりの交わりにも関わらず、ネフェルキフィの孔は何の抵抗もなく男を迎え入れた。顔に似合わない立派な得物はすぐに最奥に到達し、体重が掛かる騎乗位は子宮から脳天へ一直線に駆け上がる快楽電流を生み出した。思わず膣肉にも力が入ってしまう。

 「あ、またっ、で……る! 出ます!!」

 そしてたったそれだけの圧力で、またも男は屈服してしまった。びくっと中で震えて、先走りのような少量の精液が漏れ出るのを感じる。

 「汝れは早いな。そんなに余の膣内が良いか?」

 「は、はい!」

 「素直で良い。では、余も遠慮なくッ、動かせてもらおうか……!」

 ネフェルキフィの腰が上がり、結合部から精液と愛液が混ざった物で濡れた肉棒が現れる。そのどこかグロテスクかつ淫猥な形がゆっくりと膣から引き抜かれ、抜ける寸前まで互いの陰部が離れる。

 そしてそこから一気に腰を降ろす。

 「ははっ、ははははッ! どうだっ、良いか? 良いのかぁ!? 余はっ……ァア、心地よい快楽をっ、ンウ、感じておるぞ!!」

 一突きごとに全身の神経が歓喜に打ち震え、意思とは別に内股が閉じる。くわえ込んだ獲物を決して離さないワニの口、女王の肢と女陰はまさに猛獣の顎そのものだった。噛み、舐り、吸い上げる、産道だけでなく太ももの動きを加えた絶妙な圧搾は、俗世の穢れを知らない男には強烈すぎた。

 「うあぁ、あああっ、かぁぁぁ……!!」

 「おいおいっ……汝れのイチモツはあれかぁ、ヤギの乳かぁ? 少し力を入れただけでぇっ、フフ、余の胎内に噴き上げておるぞ! ハーハハハッ、もっとぉ、もっとだ! もっと余のカラダをぉ……アァ、満たしてくれぇ!!」

 快楽電流の昂ぶりと共にネフェルキフィの生命力が強まる。その勢いは天井知らずに跳ね上がり、アンデッドゆえ肉体に限界が無く、文字通り無限大に発生する生命力が体から溢れ出して止まらなくなる。それは体表から蛍のごとく燐光となって放たれ、鮮やかな青や緑を帯びた命の輝きが星を覆い隠さんばかりにオアシスを照らし出す。

 冥府より蘇ったファラオは愛しき伴侶と共に新たな国を始める。神話に語られる国造りに同じく、今や二人の体から溢れる力はこの死に満ちた砂漠に再び命をもたらそうとしていた。

 放出される命の光は更に輝きを増し、それは二人の肉体が真の絶頂へと昇り詰める様を表していた。

 「ほぉら、イケッ、またイケっ! 余も……余も、もうすぐ……ハアッ、ァアッァっ!!」

 「ネ、ネフェルキフィぃ……!!」

 「愛している……愛しているぞっ!!! 余は、ああああぁぁぁぁーーーッ!!!」

 青と緑の燐光は真昼の太陽さえ霞ませる光に膨れ上がり、そしてそれは遂に────、

 弾け飛んだ。

 「あ゛あ゛あ゛あ゛っっ!!? イッ、クウウウウウウウぅぅ、っアアアアアアアアァァァァァァーーーーーーッッッ!!!」

 陰と陽が交わり生じたそれは互いに全く同時に迎えた絶頂を起爆剤に、溜め込んでいた生命力を一気に爆発し、その輝きを天地に降らせた。光は二人の体から無限に湧き出し、それらが幾百幾千にも分離して砂漠全土に流星のごとく飛翔していった。

 流星群が落下した場所は新たな命が芽吹き、一瞬にして草木が生い茂り木々が根を張り巡らせ、枯れ果てた大地が数千年ぶりの緑に覆われ始める。地下の水脈も戻ってきた精霊の力で増加し、地層を押し上げそれまで流砂だった場所は皆オアシスへと変貌を遂げた。

 空が、水が、大地が……二人が結ばれたことを祝福するように瑞々しい生命に溢れ、遥か神代の昔に失われた地上の楽園を今ここに再臨して見せたのだった。

 「『ネフェルカ』……それが汝れの名だ」

 「ネフェルカ……美しい、何です?」

 「“魂”……転じて、『高貴な心を持つもの』。汝れの心はこのオアシスよりも澄み、どんな金銀財宝より輝いておる」

 ネフェルキフィの唇がキスをする。額に、目に、鼻に、耳に、頬に、そして唇に……愛しい夫・ネフェルカの再誕を祝し、その愛を更に確かなものと実感するように。

 「ネフェルカ、我が良人よ……愛しておるぞ」

 「ネフェルキフィ、美しい王……愛しています」

 与える者と与えられる者、二人は永遠に離れぬ連理の誓いをここに交わした。





 一夜で西方大砂漠が緑生い茂る大森林へ変貌した事件は、瞬く間に東西南北を駆け巡った。東の王国と教国、南の海洋国家はもちろん、北方のゲオルギアでさえその事態に驚きを露わにし、大陸の各国がこぞって調査の人員を編成し、図らずも連合調査団じみた組織が組まれる事態に発展した。

 だが既に統治する者の存在を知った彼らは干渉を止め、触らぬ神に何とやらと早々に手を引いた。唯一隣国のアルカーヌムだけが同盟の話を持ちかけ、ネフェルキフィの快諾により建国から早くも両国の国交が樹立することになり、幸先の良いスタートに帝国は安定した将来を見ることができた。

 王魔界の使者が言ったように、教国からの干渉は一切なくなり、それどころか裏の支配者である大淫魔デルエラからも商業や貿易業など一部の益のある関係を持ちかけられ、主神教を布教させないことを条件にそれを呑んだ。

 元々少ないながらも商人のルートがあった帝国はこれを期に通商ルートの拡大に乗り出し、各地を開拓するついでに開墾も行い、農作物の生産に力を注いだ。食糧はもちろん、ファラオの魔力の影響で伐採した端から成長する木々を木材に変え、質の良い木材の仕入れ先として王国共々大いに利益を上げたという。

 更に数年後には地下深くに金の鉱脈を発見し、地下大墳墓を拡張する形で鉱脈を掘り進め、大陸一の金産出国として『ネベウ・ホルアクティ』、「黄金の国ホルアクティ」の名で知られる事になる。

 統治者であるネフェルキフィは大陸で最も美しい王として知られ、その卓越した政治手腕を存分に活かして国内の支配体制を確立し、自らを絶対の支配者として崇めることを国民に示した。だが独裁者にありがちな圧政や恐怖政治のイメージは全くなく、こちらが応える分だけ恵みを与えるその王はいつしか「施しの王」と呼ばれ、後の世に長く崇拝されることになる。

 美と才を極めた女王、そのそばにはいつも穏やかな笑みを浮かべた王婿の存在があった。炎のように苛烈で知られたネフェルキフィだが、その熱情の大半は夫である彼に向けられたものであり、彼もまた妻を公務では一歩退きながらもそれを支え、プライベートでは逆に甘えたりしながら実に仲睦まじい夫婦だったことが知られている。だが実際にベタ惚れなのは女王だともっぱらの噂だった。

 後にそれを証明するように夫妻の間に百人を越す子供に恵まれる事になろうとは、この時はまだ誰も────当の本人たち以外は────予想もしないことだった。

 砂漠の女帝は生を与えられ、無銘の囚人は愛を与えられた。互いに与え、与えられを繰り返す二人の姿は理想の夫婦像として知られ、長く国民に愛される事になるのだった。





 そして時が過ぎ……。

 「メティト、汝れのこれまで働きは目を見張るものがある。臣として抱える余も鼻が高い」

 「ありがたきお言葉」

 「うむ。では、これより余直々の王命を下す故、心して聞け」

 「はっ!」

 「ホルアクティ朝第一の臣、メティト! 汝れのこれまでの功績を讃え、その信賞を大なるものとし……」

 「はは!」

 「我が同盟国、アルカーヌム連合王国への留学をここに許可するものとする! 余の臣民として、そして我が国の代表として、その務めを全うすることをここに期待する。存分に励むがよい」

 今再び、次なる者の運命が回りだす……。
15/11/23 01:11更新 / 毒素N
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■作者メッセージ
 自分の知ってる限りの王様キャラのごった煮、それがキフィ様。
 ゲオルギアの話は今後たま〜に出て来ます。王魔界の使者くんもまた再登場します。
 次回は大正義メティトちゃんが主人公。

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