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第五章 傲慢の勇者:後編
 ある女の話をしよう。

 そう、今回は「女」だ。

 女は貴族の家系に生まれた。長い長い歴史を持つ、国で最も古い一族の長女に生まれついた。女系の定めとしていずれは当主になる身、未来は約束されたも同然だった。

 そして、実際その通りだった。

 貴族とは即ち、「貴」き一「族」と書く。人々の上に立って導き、下々の規範となるべき支配者の格を備えている。備えていなければならない。個人の好悪ではなく、大局的に見た善悪によって物事を判断し一切の私心なくそれを実行し、尚且つ庇護にある者に利益を生み出してやらなくてはならない。

 女は幼き頃よりその為の教育を詰め込まれた。話し言葉や礼儀作法に始まり、庶民以上の教養、資産を運用する経営術、社会を賢く生きる処世術、いずれ家督を継いだ後に必要となるであろうリーダーシップの執り方など、貴族の当主に相応しい帝王学をその身をもって学び続けた。

 十年も経てば女はどこの夜会に出しても恥ずかしくない器量と教養を身に付け、親戚だけでなく付き合いのある他の貴族からも一目置かれ始めるようになった。王家と肩を並べる唯一の一族というプレッシャーが、彼女を「立派な当主」に変えさせたのだ。

 これで一族は安泰だ。

 民もきっと喜んでくれるに違いない。

 未だ少女と呼べる女の心は周囲の期待に応えられて満足だった。

 守るべき民など、もうどこにもいないというのに。

 領地も領民も持たず、重要な役職を与えられていないのに公爵であるその意味……それを理解した時、女は愕然となった。自分がまんまと鳥かごの中に囚われてしまったのだと気づいても、もはやどうしようもなかった。

 遥か昔にあった王族との確執。その争いに敗れた先祖が土地と引き換えに結んだ盟約。飼い殺しにされた死に損ないの一族……それが自分の中に流れる血の正体だと知った。王族と等しいと言えば聞こえは良いが、それはつまり仕えるべき主すら持たず国に何の貢献もできていないことを意味するのだ。

 女がこれまでしてきた努力は全て無駄になった。誰かに仰ぎ見られるわけでもなく、誰かに能力を認められるわけでもなく、にも関わらず周囲の勝手な期待だけが膨らみ続ける。何もできない自分に、常に最上であることを期待する……そんな矛盾した感情が常に自分に突き刺さった。

 己は華、王国に咲いた夜の華。肥料を与えられ、水を与えられ、丹念に手入れされ、美しく咲き誇り見る者を喜ばせるだけの華。

 それ以外には何の意味も持たない、ただの徒花。

 ただそこにいるだけ、まるで木石。いてもいなくても同じなのに、そこに根を張ることを強いられる。根無し草で揺蕩うことさえ許されない。

 花のように咲き、鳥のように歌うことを求められる。

 それ以外はただの飾りでしかない。

 いつしか生まれ育った屋敷は女にとって牢獄となった。何もせず、何も出来ず、ただその日その日を無為に過ごすだけの日々。それは人に必要とされる教育を受けた彼女にとって地獄の時間だった。

 「妾は……何のためにここにいる」

 答えてくれる者などいない。

 同じ悩みを抱えていたであろう先達は、既に壁を彩る肖像画になっている。

 いずれ自分もここの仲間入りをする。その時になってここを訪れるものは皆こう言うだろう。

 “ああ、先代のご当主も立派な方で在らせられた”、と。

 やめて……。

 何もできない自分に、そんなありもしない賛美の声をかけるのは。

 ここは苦界の生き地獄。

 己は道化。見る者を楽しませるだけの道化に過ぎない。

 自己に対する欺瞞と嘲笑の板挟みに合う押し花……それがアイリスという吸血姫の全てだった。





 国の歴史を紐解けば、そこには必ず隣国との諍いがある。利益を最優先に追い求める集団の最大単位が国家であるが故に、隣接する国同士は基本的に反りが合わない。常に互いに利益を貪り、不利益を押し付け合い、そして時にそれが戦争に発展したりする。

 アルカーヌムも例外ではない。現在王国が抱えている近隣問題は三つ。

 ひとつは、南の海峡を渡った先にある海洋国家。海峡の漁業権を巡って王国と裏で鎬を削っている。

 二つ目はレスカティエ。最近の頻度はそれほど高くはないが、建国以来ずっと魔物娘に対する扱いで「教会」から攻撃を受けている。

 そして三つ目。最近になって統治者が打倒され、新たな支配者を擁立したと聞く北側の諸国だ。三つの中で一番厄介な国がここになる。軍事国家と呼ぶほどでもないが、この北の国は殊の外王国に対して攻撃的になるのだ。

 この国はかつて王国と同じく貴族が支配していたが、搾取に甘んじていた労働者たちの不満が爆発する形で革命が起こり、貴族は粛清もしくは国外追放という結末になった。労働者は個人による富の独占を禁止し、国民の財産全てを国家が管理する国策を掲げるようになった。後の世に言うところの社会主義の始まりである。

 支配者の横暴に抗う形で反旗を翻した歴史から、富と権力を集中させる王侯貴族を何よりも嫌う傾向が強い。厄介なのは他国の貴族や支配階級も目の敵にしていることだ。いずれ王国に直接的なちょっかいを掛けてくるのも時間の問題と言われている。

 「妾をあのような狂犬の国に引き渡すのか?」

 貴族を嫌い、神など要らぬと説き、周辺国家全てに喧嘩を売る北の大地を、誰が呼んだか狂犬の国。そんなところへ王国を二分する貴族が亡命などすれば、如何に魔物娘とて身の安全は保証されないのではないのか。

 「爵位を捨て市井の民になればいい。かの国にはそうすることで難を逃れた元貴族もいる。調査で何度か足を運んだこともあるが、噂されているほどの国ではない。いい意味でも、悪い意味でも」

 「先祖代々継承してきた公爵の位を捨てろと?」

 「家も国も捨てる貴女が今更何を」

 小気味良いジョークでも聞いたように薄く笑うミゲルに、アイリスはただ顔を伏せる。

 二人は今、町民に変装をして王都の外へ向かっている。馬車を使うことも考えたのだが、もし途中で巡回中の憲兵に見咎められれば厄介な事態になると判断した。

 屋敷暮らしで体力があるのかと疑っていたミゲルだが、そこはやはり魔物娘、太陽の下でも移動する分には何の問題もないようだった。

 ただ何故か歩いている途中で周囲をキョロキョロと見回している。追っ手を警戒しているようでもないようだが……。

 「自分の生まれ育った街がそんな珍しいか」

 「いえ……ええ、そうかも。妾は庶民の住むところまで来たのは初めてだからな」

 「あまり視線を泳がせないことだ。でないと田舎者と思われる」

 「すまぬ。でも……本当に初めてなのだ」

 籠の中の鳥だったアイリスにとって、日中の街、それも貴族以外の者が住む場所を歩くのは生まれて初めての経験だった。見るもの全てが新しく、耳に入る音は何もかもが初めて聞くものばかりだ。田舎者というより、まるで子供のように目を輝かせている。吸血鬼の令嬢と言っても誰も信じないだろう。

 「それにしても、いざ口を開けば口数の多いことだ」

 「妾とて好きであのような戒律に従っているのではない。あれは先祖が王家に遅れを取らぬよう自ら付与した仮初の神秘性……単なる後付けだ」

 「つまり、意味はないと?」

 「恥ずかしいことにな」

 「長い歴史を持っても、大きくなるのはプライドばかりか」

 そしていずれは腐敗の一途を辿る。多くの貴族が断絶の憂き目にあうのもその為だろう。

 「それより、先ほどそなたが言ったことは……」

 「私を含め七名の勇者がこの国を壊すために各地に潜伏している。この国は人の治める地でありながら魔物と協定を結び、生活圏を重ねるという愚を犯している。よって、教会は審判の代行者として我々を遣わしたのだ」

 「ならば何故、ここで妾を始末しない?」

 「言ったはず。我々の目的は魔王でも魔物でもなく、この国そのものだ。貴女一人をどうこうして終わりという浅い仕事ではない。第一、貴女は魔界化に重要な役目を持っているとはとても言い難い。そんな貴女の首を頂戴したところでこちらには何の旨みも無い」

 「だから利用すると?」

 「王国随一の歴史を誇る貴族だった貴女が反貴族主義を掲げる隣国に亡命したとなれば、そのスキャンダルに周辺国はこぞってこの国を攻撃する。北の国はその勢いに乗じて内外に宣伝工作を行い、煽りを受けた国民は王国を見放し王の求心力は低下する」

 「そんな簡単にことが運ぶとでも……!?」

 「運ばせるのだ。戦争は二国間で勃発しても、そこに至るまでの過程に多くの思惑が絡む。我がレスカティエ正教会もそこに一枚噛ませてもらう。具体的には、裏から手を回して二国間の対立を煽る……とか。我々は昔からそうして神の威光を蔑ろにする輩に鉄槌を下してきたのだ」

 宗教のタチの悪いところは、その支配領域が国境に左右されないところだ。人々の思考を神の教えという型に嵌め、同じ考えの人間を量産するシステムである宗教は、誰かの発言や意図がそのまま周囲に伝播する。神の教義という唯一にして共通の規範を持つゆえに、そこから逸脱する存在は個人であれ集団であれ決して許しはしない。レスカティエが千年の長きに渡りその版図を維持できたのは、単なる政治や外交だけでない、そうした第三の力が働いていたからにほかならない。

 アイリスが亡命の声明を出せば王国の視線はレスカティエから北の国に向けられる。後でどんなに王国がレスカティエを問い詰めようと、問題は教国から北の国に移っている。教国は王国からの批難を躱しつつ、裏で北の国を援助するという流れになる。

 「本当にヒトとは……度し難い」

 「私もそう思う。国も、法も、宗教も、全ては人間が自分達の生活や環境をより良いものにするために作り出した仕組みに過ぎない。そして、その仕組みを維持することこそが正義。善悪の埒外にあるものがこの国を、いや、この世界を動かしている。そしてそれをまとめ上げる指導者は常にそれを意識していなければならないのだ。と、大上段で物を言ってみたが……貴女には詮無きことか」

 「…………」

 アイリスには耳が痛い話だった。守るべき民も、管理すべき土地も持たない彼女にとって、他の貴族が言うノブリスオブリージュはただひたすらに眩しいものだった。他者を律し、下々を導く、それが貴き者に課せられた使命。その使命を果たせぬままの自分は一体何なのか?

 「そなたも貴族なのか?」

 「私の代でちょうど十代。旧魔王の時代より続く名家だ。父祖の名に恥じぬよう務めを果たしたつもりだ」

 「うらやましい。妾もそなたのように生きられたなら……」

 「……少し早いが、そこで昼食でもどうか? クラーケンを奥方に持つコックが出すネーロが最高に美味と聞く。お代はもちろん、こちらが持とう」

 手を引かれて入ったレストランは昼前にも関わらず多くの客で賑わっていた。港町から仕入れた新鮮な魚介類を氷漬けにしてここまで運んでいるため、内陸でも美味い料理を出すと評判な店だった。もちろん、市井の民が出入りする店に入ること自体、アイリスには初めての経験だった。

 ちょうど勘定が終わった客が出て行ったので、入口に近い席に座ることができた。

 「ネーロを二つ」

 「あいよ、ネーロ二つぅ! お時間少々お待ちぃ!」

 「今日は少し混んでいるな。料理が出てくるまで、少しお話でもしよう。貴女のことを聞かせてほしい」

 「妾の何を話せと?」

 「なんだっていい。生まれた日、名前の由来、親姉妹、親戚、友人関係……これまでの事とかね」

 「…………」

 「話しにくければ私から……」

 こほん、と咳払いの後にミゲルが名乗る。

 「改めて、私の名は『ミゲル』。職業は貴族兼勇者。出身国はレスカティエ。生家は私で十代続いた名門で、他の者と同じく洗礼を受けて勇者となった。今は教会の命令で親魔物領への工作活動を主な任務としている」

 本来なら外部の者、それも任務の標的には決して喋ってはならない情報をベラベラと流すミゲル。だが周囲は昼食の喧騒に満ちており、彼の言葉を聞けた者は他にいなかった。

 「さあ、私は話しました。閣下もどうぞ」

 「妾を閣下と呼ぶな。……名は『アイリス』。名の由来は異国の虹の女神に由来すると聞く。姉妹はいない。母上は既に家督を譲られ、父上と共に隠居の身」

 「ご友人は? いらっしゃらない?」

 「それは嫌味ですか。昼日中に屋敷を出たことすら無い妾に、友人などおると思いますか」

 「パーティーには招待されたのに?」

 「あれは家同士の繋がりを確認する行事のようなもの。私個人と密な付き合いを持つ者など、おりませぬ。それに吸血鬼は孤高の存在、必要以上に群れることは恥なのです」

 「名ばかり貴族なのに、恥じ入る心だけはご立派か」

 「どうとでも言いなさい。もう……妾には関わりなきこと。ただ存在するだけの日々など、木石の如くそこに存在しているだけで過ぎていく日々など、妾は耐えられない」

 そう言って目を伏せるその姿を、ミゲルは「まるで飼い慣らされた獅子のようだ」と感じた。鋭い爪、大きな牙、この世で最も強く美しい獣である獅子。だがその獅子も首輪を掛け鎖で繋ぎ、檻に閉じ込めてしまえば犬猫と何ら変わりない。地を駆ける強靭な脚も、獲物を仕留める爪も、その強さを発揮できなければただの飾りでしかない。

 「だから捨てると。生まれ育った家を、自分を慕う者たちを」

 「妾に近付く者など、所詮は家柄と肩書きにすり寄るだけの者。そんな環境に未練など無い」

 見に纏わりついた無用な飾りを捨て去り、一個の自由な存在へと生まれ変わる。きっと誰しもが一度は思い描くこと。飢え、渇き、満たされない想いがジレンマに変わる時、サナギが蝶に羽化することを夢見ずにはいられない。手を掻っ切り首を括るのも同じこと、自己をここではないどこかに解放したいと強く願うからこそそうした行為も容易く行える。

 ああ、それはなんという……。

 「愚か者が」

 鼓膜を撫でるように聞こえたその声に、はっとなって顔を上げるアイリス。

 哂っていた。

 先程からずっと人の良い笑みを浮かべていたミゲルが、口元を隠し吹き出すものを堪えるような笑いを浮かべていた。まるでいつまでも自分の尻尾を追いかける犬を見かけたような、哀れみを多分に含んだ嘲笑いだった。

 「誰も生まれだけは変えられない。山に生まれれば山の行き方、海に生まれれば海の生き方をするしかない。同じ場所にずっといれば不平不満が出るのが世の常さ。あれがイヤだ、これがイヤだ、そんなことはしたくない……つくづく、脳足りんの知恵遅れが曰う阿呆な言い分だ。まずは自分を変えるという気概も見せない、度し難い意気地なしだよ」

 「だから……だから妾は、それを変えようと……」

 「なら貴女は何を犠牲にした? 変わりたい、身軽になりたい、自由になりたい……その願いを叶えるのに、貴女は何を対価に支払った。犬だって逃げ出す時は歯が欠けるまで噛んで鎖を切る。対する貴女は? 何も、貴女は何も捨てちゃいない。家? 位? 肩書き? 血筋? それらは別に貴女自身のものでも何でもない。自分は一切傷付かずに事を成し遂げようなど……あんまり図々しいので少し笑いがこみ上げたよ。貰い物ばかり身につけてオシャマに振る舞い、挙げ句の果てには無責任に放り出す……当代の当主がこれでは、先代、先々代の教育も底が知れるというもの……」

 「我が先祖を侮辱するかッ!!」

 ミゲルの物言いに立腹したか、テーブルに両手を叩きつけて凄まじい剣幕で怒るアイリス。周囲の客や店員もその怒号に注目し、場は一瞬静まり返った。

 「あー、ネーロ二つ、お待ちどう……」

 「ありがとう。そこに置いておいてくれ」

 仕上がった料理が二人の前に運ばれる。真っ黒にスミを絡め、湯気に乗ってほんのり磯の香りが漂ってくる。

 「すまなかった。他意は無かった。ただ……貴女のそんな僻み根性丸出しの姿を見ているのが、同じ貴族として我慢ならなかった。ただそれだけだ」

 「僻む? この妾が何にそんな……!」

 「貴女自身にだ」

 見透かした物言いにアイリスは喉元を掴まれたような気分になった。二の句が告げないとはまさにこの事、今目の前で優雅にパスタを巻いているこの男に何の反論もできない。

 「人は誰しも、変えようのない運命に縛られて生きる。鳥が空を飛び、魚が水に棲むように、不変の要素というものは確かに存在している」

 生の中にあっては口で説明できない、大いなる力が働いていることは何となくアイリスにも理解できた。極論すれば「生まれ」そのものが運命だ。貴族、平民、奴隷……どこかに生まれるかなど本人に決められるはずも無いのに、それぞれの間は天と地ほどに離れている。そして、不幸にもそこに生まれてしまえば自力ではどう足掻いても脱することはできない。

 「そう言った運命に折り合いをつけて生きるのが賢い選択……そう言いたいのか」

 「賢い、というより利口か。高きから低きに流れる水のように。それを横道逸れてわざわざ生き難くするのは、単に阿呆のやることだ。私は阿呆になりたくなかった……貴女はどちらかな?」

 流れる手つきでフォークを回し、巻き取ったパスタを口に運ぶ。ただそれだけの行為にも気品が宿る。

 同じようにアイリスもパスタを食する。初めは泥を捏ねた麺にしか見えなかったが、こうして口に運べばほどよく塩加減が利いていて美味だと分かった。小さな感動が胸に湧き起こる。

 「今の内に堪能しておくといい。北の国にネーロは無い。あそこの食事は、とても貧相だ」

 逃避行は続く。





 それから二人は王都の外を目指して歩いた。王宮を背に地平線と人ごみの向こうに隠れた城門へと、少しずつ歩を進めていった。

 市場を通り、市民が暮らす区画を通り、大通りの露店を横切り、噴水広場で宣伝の大道芸をするサーカス団を見物、時折巡回中の憲兵を避けながら、二人は誰にも知られない逃亡を続けていた。

 ふと、アイリスは気付いた。

 (男と出歩くのも初めてか……)

 自分を連れ出した彼の体温がまだ残っている手をさすり、物思いに耽る。

 幼き頃、母に何度も言い聞かされたことがある。人間は汚らわしく下賎な生き物、特に男は輪をかけて下等な存在。故に乱りに軽々しく接してはならない、と。ヴァンパイア特有のヒトを見下す典型だったが、そんな母も元人間である父には形無しだった。良き父と母だと胸を張って言える。

 だが自分の前を歩くこの男は、王国で最も古い血を引く己より遥かに貴族らしい。やっていることはともかく、その心構えはぐうの音も出ないほど理路整然としていた。それと同時に、彼の言葉が胸に深く突き刺さったまま離れない。

 『貴女は何を犠牲にした』

 (何も……捨てられずにいる)

 生を受け二十数年、与えられるだけの生を享受し続けた結果、その心は追い求めることを止めていた。口でどれだけ現状の不満を訴えても、何の行動にも移せていないのがいい証拠だ。実際は逃げるという行為ですら、こうして誰かに先導してもらわなければ満足に行えない有様だ。

 亡命という、ある意味最も簡単に思いつく案ですら彼に言われるまで気付かなかった。いや、本当は無意識に選択肢を削っていたのかもしれない。他国に逃げ込むということは、自国で得ていた全てを代償に捧げるということ。血統も、家柄も、歴史も、何もかもをドブに捨てて成り立つのだ。

 先祖代々……受け継いだ……伝統の……そんな美辞麗句をお題目のように心中で唱えながら、ずっと保身に走っていただけではないのか。纏わりついた無駄な物を引き剥がしたいと願いながら、本当は失うことを恐れているのではないか。

 捨てる覚悟があると言うなら、今ここで二本の牙を折ることが出来るか?

 (ミゲルよ、そなたは……)

 この男は違う。どんな人生を歩んだかなど露とも知らないが、その物言い、その心構え、どれも達観した老人のそれだ。物事全てを高みから座し全てを見通し受け入れているような、そんな感覚を覚えさせる。憶測だが、もし今ここで片腕を失うような事になったとしても、この男なら「さもありなん」と言ってのけそうだ。

 ただの運命論者とも違う、何か得体の知れないプレッシャーをひしひしと感じてならない。

 「このまま、まっすぐ王都の外へ向かう。外に行けば私の手の者が迎えの車を手配しているはずだ。国境越えの最短ルートも彼らが知っている。後は全てこちらに任せてもらおう」

 「…………」

 「閣下? どうされましたか」

 「その……閣下と呼ぶのはやめよ。屋敷を出た以上、もう私に公爵の位は無くなったも同然です」

 「少しはご自分の立場というものを理解できたようで安心だ。向こうの国に行ってまで血筋をひけらかしていたら、次の朝日を拝めない。今の内に庶民の態度を身につけておくべきだ。例えば、そう……さっき私達が食事をした場所、あそこの店主を思い出すといい」

 そう言われてアイリスの脳裏に浮かぶのは、店員たちに混じって注文を取ったり料理を運んでいた店主の顔だ。

 「あの店主、昔は海辺の小さな町を取り仕切る地主の息子だったとか。何年か漁の不作が続いて苦しみ喘いでいた地元の漁師を、彼が全ての資産をはたいて救済したはいいが、引き換えに財産は差し押さえられ家の者からも愛想を尽かされた。勘当された彼は行く宛もなく彷徨い続け、王都で生計を立てるところまで漕ぎ着けたのが、つい三年前のことだと聞く。昔はそこそこ不自由なく左団扇で暮らしていたのが、たった一度他人に親切にしてやったせいで全てを失い、今は額に汗して日々を送っている」

 「……だがあの男、何と言うかその、とても幸せそうだった。とても、それまでの全てを失ったような顔には見えなかった」

 「話には続きがある。男の体を張った救済のおかげで食いつなぐ事に成功した漁師たちは、町を去った彼に少しでも恩返しをと考え、自分達の獲った魚を使ってレストランを開くことを勧めた。同時に、彼に懸想していたクラーケンもその後を追い、めでたく二人は夫婦で料理店を営むことが出来たわけだ」

 話してしまえばそれまでだが、事実は小説より奇なり、一人の男の人生にもそこまでの経緯がある。

 「この街には様々な過去を持つ者がいる。私の部下もそうだ」

 空を見上げ呟くように言うミゲルは、それぞれの顔ぶれをそこに浮かべていた。

 「失った過去の意味を買い戻そうとする者。否定され傷付いた心を信仰で埋めた者。人の心を疑いながらも真実を諦められない者。無形のモノに意味を見出し形にしようとする者。どいつもこいつも狂人で、異端で、外道の集まりで、人の世の鼻つまみ者でしかない連中だ。彼らの行いなど、およそ余人の理解の及ぶ範疇をとっくに越えている。だが……」

 前置きの後に振り向き見せたその顔は、思わず見とれるほど爽やかで一片の曇りも無かった。

 「私は彼らに対し敬意を抱き、その信念を誇りに思う。彼らは皆真摯で、愚直で、そして真剣だ。それは社会的な正しさだとか、人としての道徳だとか、ましてや善悪では決して別けられない。人は誰しも変えられない運命を背負って生きる。だが、それと同時に譲れない信念を持つこともできる。運命は生まれで決まるかも知れないが、持てる想いに生まれは関係ない、貴賎など以ての外……私はそう考える」

 ミゲルのその言葉は掛け値なしの真実、彼は本当に面倒な部下四人に手を焼きながらもその胸の内に秘める熱を信奉していた。アイリスは知る由も無いが、その仰ぎ見る心は嫉妬の勇者が持つ不純なものとは全く違うものだった。

 「そなたは運命を信じているのではなかったのだな」

 「信じてはいる。だが、それを言い訳に何の努力もせず腐っているだけの輩など、もはや生きている価値がない。魚は水に住み、鳥は空を飛ぶ。だが、羽根を得た魚がいれば、飛ぶことをやめて地を駆ける鳥もいる。要は何が出来て何が出来ないかを自覚することが肝要なのだ」

 「そなたは……一体、何者なのだ?」

 「勇者……という、返事を求めているのではなさそうだ」

 「二十年、三十年しか生きていない、それもたかだが人間がそこまでの考えを身につけるなど……」

 「人間ごとき、という考えは視野狭窄が過ぎる。人には人の、ヴァンパイアにはヴァンパイアの領分がある。私のことが気になるのであれば、自分語りというのは気恥ずかしいが語って聞かせることはできます。ですが、その為にはせめて貴女にも同じ境地に立っていただかなくては」

 「どうすれば……」

 「振り返るのだ、今までの自分の生を。自分がどう生き、誰に生かされてきたのかを」

 今の自分に言えるのはそこまでだとばかりに、ミゲルはそれから一切口を開かなかった。

 そして、言われて初めてアイリスは我が身を省みる。

 (妾は……何も知らぬ)

 市井を歩いて分かるのは、日々を生きるその苦労だ。それと同時に、生まれ育った我が家の暮らしぶりを思い返す。

 自分達一族が暮らすのに、彼らが納めた税が割かれていることは知っていた。だがその税を生み出す過程で下々の者らがどれだけ日々を慎ましく生きているのかを、アイリスは己の小さな頭の中でしか知らなかった。こうして昼間外に出なければ永遠に知り得なかったことだろう。

 そして、彼ら一人ひとりにある生に思いを馳せる。さきの料理店の店主がそうだったように、人には人それぞれの人生がある。今こうして太陽の下で笑い合っている者達も、その背中にどれほどの過去を背負っているかは分からない。

 広場で遊んでいる子供は親を亡くしているかもしれない。

 通りで店を開いている夫婦は借金に苦しんでいるかもしれない。

 窓際で日を浴びている老人は既に肺を蝕まれ余命幾ばくも無いのかもしれない。

 それでも、誰一人として生きることを止めない。

 皆真剣で、一途で、誠実に、この日々を生きている。

 流れ出る汗は命の結晶。咲き誇る笑顔は日々の喜び。

 その笑顔の上に自分が成り立っていると自覚する。自分だけではない、上流階級と持て囃されている者は皆例外無く下々の暮らしの上に立っている。貴族の教養とは保身のため身に付けるのではなく、本来はそう言った者達の規範となるべく修めるもの。彼らの日々を守るために身に付けるもの。

 だが頭では納得していても、自分が何をすれば良いのかが分からない。

 得心を得た分だけ悶々とした気持ちが募る。

 (この男のようになりたい……)

 出会ってまだ十数時間、名前しか知らないこの男の背中に……アイリスは眩しい光を見た気がした。





 昼を過ぎ、時折休憩を挟みながら歩み続け、街がオレンジ色になる夕暮れ時に二人は遂に城壁すぐ近くまでやって来た。見上げるような混凝土の壁は西から差す陽光を受けて暖かなオレンジ一色に染まり、今や今日最後となった陽の光を思う存分に浴びて光り輝いていた。

 「衛兵用の出入り口もあるにはあるが、見咎められると厄介だ。このまま堂々と行こう」

 懐から偽造した通行証を取り出し、それを街と外の境を守る衛兵に渡す。衛兵は人間ではなく、人間の半身と四足の物体が融合した魔物娘、「ソルジャービートル」だ。全身を覆う甲殻は鍛え上げられた鋼よりなお硬く、手に持った突撃槍は大の大人二人分ほどの全長を誇り、その手はそれを軽々と持ち上げていた。

 「通行証……」

 「ほら、これだ」

 「ん……」

 澄んだ瞳。澄みすぎて眼底の奥まで見えそうなそれが瞬きひとつせず通行手形をまじまじと確認し、二度三度それとミゲルの顔を見比べた後……。

 「ん」

 それを返した。偽造はバレなかったようだ。

 間もなく王都との繋がりは断たれる。日が完全に地に沈むと同時に城門は閉じられ、次の朝日が昇るまで開かれなくなるのだ。衛兵らも今のうちから閉門の準備をしている。

 「馬車は街道を進んだ先にある。さあ、急ごう」

 「いや、しばし……しばし、待って欲しい」

 アイリスの言葉は宙に溶ける。彼女の視線はミゲルではなく、それまで自分が歩いてきた王都に注がれていた。遥か彼方の王宮、その背に日が沈んでいく光景を見つめ、時折忘れていたように溜息を漏らす。それは美しさに息を呑んだからか。少しするとまばらに灯りが見え始め、文明と自然が調和した景色に見とれていた。

 「美しい。生まれも育ちも王都だが、妾は今までこの美しさを知らなかった。いや、以前の妾が見てもこの景色の『先』に思いを馳せることは無かったろう。その壮大で優美な光景の中で、どれだけの民の生が成り立っているのか……今日、初めてそれを知れた」

 「昨夜より良い顔になっている」

 「そうだとすれば、それはそなたのお陰だ。そなたが気付かせてくれた。そなたが妾を連れ出してくれなければ……」

 「私は貴女に感謝されたくてしたわけじゃない。私の行動の結果としてそうなっただけに過ぎない」

 「だとしても、礼を言わせて欲しい……本当に、ありがとう。この美しさを知れただけでも、妾にとっては何よりの僥倖」

 そうだ、この国はこんなにも美しい。箱庭、鳥籠と蔑んでいた自分が恥ずかしく思えてくる。むしろ今は、同じ恥でも自分がこの美しさに何一つ関わりを持てなかった事が恥ずかしかった。

 だがそれでも良かった。自分などいなくても、この国の美しさは変わりない。

 「これで心置きなく、この国を去れる」

 心に少し寂寥感があるが、今はそれでいいと納得して──、



 「まだそんな事を言っているのか」



 現実に引き戻された。

 「貴女は生まれがどうとか運命が云々という前に、もっと根本的な部分を知っておくべきだ。『現実』というものをな」

 一迅の風が吹き流れ、その後に城門が完全に閉まる。日が遮られ陰になり、衛兵の目が無くなったと同時にミゲルが剣を抜いた。そしてそれを掲げ宣言する。

 「私はこの国を滅ぼす」

 それは彼に、彼と六人の部下に与えられた教国の至上命令。揺るがぬ現実。

 「花を焼き、鳥を撃ち、獣を殺し、人々を死の淵に追いやる。この国の経済を掌握し、この国を活性化させる者を殺し、国を舵取る要人を殺す。王の血は穢れ、宮殿には売国奴が蔓延り、隣国の兵士が我が物顔で国境を侵す。三流の外交官が戦争を引き起こし、民は住処を追われ、揃って生まれ故郷を捨てて隣国に渡り、やがては皆飢えて死に絶える。そうなればもはやこの国は立ち枯れるだけの巨木、火を放てば瞬く間に戦火がこの地を覆い尽くし、この地に国が栄えたという事実すら消え失せるのだ!!」

 国が潰れるきっかけとはそんなものだ。瓦解した国を周辺諸国がハゲタカの如く切り取り、全ての利益をかっ攫う。それを人為的に引き起こす起爆剤として送り込まれた故に、彼らは決して容赦しない。

 「貴女はこの国を美しいと言った。私もそう思う。だが我らはその美しい国を粉々に破壊するべく遣わされた使徒。この地に生きる者の都合など知ったことではないと蹂躙し、陵辱し、侵攻するのが我らが使命! 神の名の許に我らの行いは全てが正当化されるのだ!!」

 今、アルカーヌム連合王国は見えない悪意によって蝕まれつつある。放置すればシロアリに食われた家屋の如く、この国は内から滅び亡国の末路を辿るだろう。

 それが現実。

 今この国を、この国に生きる民を、その未来を脅かす歴とした「現実」なのだ。

 「我らは悪意の権化。放置すれば確実にこの国に災厄をもたらすモノ。この国の民を大勢殺すモノ。…………そんな我らを前にして、貴女はどうする? 今この時点でこの事実を知る者は貴女のみ。貴女だけが悪意の権化、その首魁たる私と今、ここで、こうして対峙している。貴女は……どうする?」

 故郷を、祖国を、そこに生きる人々を脅かす巨悪。それに対し湧き上がるモノは……義憤。

 その義憤に駆り立てられれば、することは一つだけ。

 「……させぬ」

 「何を?」

 「この国を侵すなど……させぬ」

 「させぬさせぬと、口で威勢良く言ったところで何をどうする? 貴女がそんな所で大の字になって通せんぼしたところで、我々の行く手を阻むことなど出来ない!」

 「ならば……!!」

 「ならば? なんとする?」

 目の前にいるのは賊の頭領。計画を知るのは己一人。

 つまり……つまり、そういうことになる。

 「妾がそなたを倒す! この国を、この国に生きる民草を、決して傷つけさせはせぬ!!」

 「よく言う! ついぞ今さっきまで故国を見捨てて一人逃げようとしていた世間知らずが。何も知らず、何も成せず、何も得られない……そんな貴族にあるまじき、いや、もう生きている価値そのものが無きに等しい分際でありながら、烏滸がましくも一国を守ってみせるなどとよく吠える気になれたものだ!」

 「何とでも言え! 今やっと気付けた……貴族とは他に規範を示し、下々を守り導く者だ。だが妾はずっと民がいないことに不満を抱いていた。愚かしいことよ! 民を守るのが貴族の役目、だが妾はずっと民を『守ってやる』と思っていた。とんだ上から目線。妾の地位は妾のものではなく、遥か昔に民草がそう望んだからこそ得られたもの。大恩ある者らの末裔に大上段で『守ってやる』などと……本当に、愚かしかった!!」

 「ならば貴女は何のためにここに立つ? 愚かしい貴女は何故逃げることを止め、私に立ち向かうのだ?」

 「決まっている……そんな事ッ!!」

 剣を構えるミゲルに対し、アイリスの白い指先が突き刺さる。

 「妾が『守りたい』からそうするのだ!! 誰に頼まれたわけでも、誰から強要されたわけでもない、資質を持つ己が進んでそれをやらずにいることなど、それこと悪以外の何物でもないわッ!!!」

 範を示すとは即ち、そういう事。能力を持つ者が自らの意志でそれを為してこそ、真の意味での規範が成り立つ。それこそ貴族、それこそノブリスオブリージュ……持てる者の責務というものだ。

 吸血姫の高らかなる宣誓。ここが街の広場か劇場なら万雷の拍手で耳鳴りを起こしただろう。百数十年の時を経て、飼い慣らされたヴァンパイアの姫は遂にその牙を取り戻したのだ。

 貴族の在るべき姿を取り戻したアイリス、そんな彼女の新生を寿ぐミゲル。

 「昨夜とはまるで別人だ。なればこそ……この私が引導を渡すに相応しい」

 予備の剣を投げよこす。手袋の代わりに投げられたそれを拾うということはつまり……。

 「抜きたまえ、決闘だ! 戦場のつもりで挑めとは言わん。ここは既に死地なれば、剣を抜き敵を切り伏せてこその決着だ!」

 「望むところ!」

 すらりと抜かれた二本の剣が、東から昇る月に照らされて煌く。

 時刻は夜、つまりアイリスの力は全盛に戻っている。加えて今回は余すところなく本気を出しており、にらみ合いが解けたが最後、アイリスの剣がミゲルを両断するのは必定と思われた。

 しかし、そうは簡単に行きそうにない。

 「何故だ、腕が……しびれる!?」

 決して剣を落としてしまうほどではないが、切っ先は小刻みに震えだし既に小指の感覚が無くなっていた。それに両腕に感じる重さ、吸血鬼の剛腕なら決してこの程度で弱音など吐かないはずが、今は力一杯でないと持ち上げていられない。

 まるで太陽の下で動くみたいな不自由さ。しかし太陽は既に沈み、時間はアイリスに味方しているはずだった。

 体の方にに魔術の力は感じなかった。であれば、その原因は自ずと絞り込める。

 「その剣……何のカラクリだ?」

 「ご明察。私の部下には魔術に通じた者がいる。その者がわざわざ吸血鬼用にと作ったのだが、貴女は月が太陽の光で輝いているとご存知か。この剣は月光に含まれる太陽の力を最大限に引き出し、ヴァンパイアがこれと相対すれば昼間並みに弱体化を迫れるという代物だ。いかに貴女とてそう簡単に抗えまい」

 「ええ、その通り……! だが、光栄だ……そこまで妾を、脅威に思ってくれているとは……!!」

 「相対した者には最大限の敬意と敵意を、それが私の流儀だ」

 垂れ下がろうとする切っ先を奮い立たせ、太陽の聖剣に真っ向から捉えられてなおアイリスの戦意は衰えなかった。守るべきものが後ろにあるからこそ、彼女の足は一歩も下がらない。

 勝負は一瞬、時の運で全てが決する。

 ジリジリと互いの間合いが接近する。足裏を地面に当てたまま歩を進めるその動作は東方の剣術に見られる動きによく似て、奇しくも剣を握った腕は全く動かず静止して気を窺う姿は一流の剣客同士の読み合いそのものだった。

 動けばどちらかが倒れる。それが分かっているからどちらも不用意には動けない。

 「…………」

 「…………」

 風が流れる音だけが聞こえてくる。間合いは既に一撃必殺の距離、互いに剣を振り下ろせば切れるのは確実だった。

 静止して五分か十分か、それとも一時間か……もはや数えることを止めた二人に時間の感覚はない。研ぎ澄まし、堰止めた感覚が最高の一打を与えることだけに集中する。

 そして、一際大きく風が吹いたその瞬間──、

 「たぁーッ!!!」

 動いたのはアイリス。その刃がミゲルに迫り、彼もそれを迎え撃った。

 つばぜり合う二本の剣。本来ならヴァンパイアであるアイリスが一枚上手のこの勝負だが、太陽の聖剣の力で今のアイリスは全ての力を発揮できない。一見力強く打って出たように見えても、実際は剣の重さに任せてそのまま振ったに過ぎないことをミゲルは見抜いていた。

 ミゲルは己の勝利を確信した。このまま押し切れば自分の剣が彼女を切り裂くと。この吸血鬼を屠り、任務を達成できると……。

 その確信のもとに彼の手は一瞬力を入れた重さを感じ──、



 次の瞬間、斬られていたのは彼の方だった。



 左肩から右脇腹にかけての袈裟斬り一閃、鎧もろともにアイリスの剣がミゲルを両断した。吹き出る血が鎧の中に満ち、隙間からボタボタと漏れ出す。

 「な、ぜ……!!?」

 「天は妾に味方していた。見よ」

 アイリスの指が差す方向、そこに輝く月が……陰っていた。

 僅かな、ほんの僅かな切れ端のような雲がミゲルと月の間を遮っていた。動かずにいたのは気が熟すのを待っていたからだったのだ。月が隠れ太陽の力が途切れたその刹那、アイリスはヴァンパイアの力を取り戻すことに成功したのだ。

 太陽の聖剣はその力の前に砕け散り、もうその力を欠片も発揮しない。ミゲルの完全なる敗北である。

 「ハ、ハハ……ハハハハッ!」

 だが敗北の傷を負ったミゲルに悔しさは無かった。それどころか引き攣る痛みも関係ないとばかりに哄笑する。その表情はとても満足そうだった。

 「それでいい……。為すべき事とは、人それぞれの内に存在している。為すべきと思った事を成す……それこそが…………」

 それこそが、貴き血の宿命──。

 それこそが、「貴族」──。

 最後にそう言い残し、ミゲルは目を閉じた。





 目を覚ました時、ミゲルは自分がまだ生きていることを意外に思った。あの時受けた一撃は至高のもので、鎖骨と肋骨を粉砕し肺を切り裂くほどの深みに達していた。勇者の加護があっても死ぬことは免れないはずだった。

 その答えはすぐ近くにあった。

 「ここはそなたが用意した荷馬車の中だ。そなたの連れだと言ったら簡単に乗せてくれたぞ」

 鎧を脱がされ、上半身を纏う物は血の滲んだ包帯だけ。だがその血はミゲルだけのものではない。

 「すまぬ。そなたを助けるにはこうするしかなかった」

 心臓の位置にかざされたアイリスの白い指。その指の腹は切れており、滴り落ちる血がミゲルの傷を覆う包帯に垂れていた。

 東方のウシオニは血を浴びせるだけで人間を魔物に変えるという。ヴァンパイアの血はそこまででもないが、それでも体内に直接血を受け入れることになれば……。

 「……何故私を助ける?」

 「そなたが言ったはず。己のことを語って聞かせると。さあ、聞かせてくれ。妾にそなたの真実を……なぜそこまで気高くいられるのかを」

 「…………ええ、分かりました」

 上半身を起こす。傷は既に塞がるまで回復しており、痛みは感じるがそこまで辛くはなかった。

 そして、隣に座るアイリスに語って聞かせる。ある一人の貴族の話を。

 「あるところに……双子の兄弟がいた。兄弟は貴族の家に生まれ、その家は父の代で九代も続く名家だった。歴史と伝統、そして何より貴族としての責務を果たす為の教育を、二人は必死に学んだ。いずれどちらかが家督を継いだその時は、もう片方はそれを支えるのだと誓い合うほど……二人は仲が良い兄弟だった」

 眺める目が遠く昔の日々を思い返しているのか、初めて見るミゲルの横顔にアイリスは黙って耳を傾けていた。

 「兄弟は何もかも同じだった。髪や顔、声はもちろん……身長体重、歯の並び、耳の僅かな凹凸から、体にあるホクロの数まで……何もかもが一緒だった。双子なのだから当たり前だ。同じ父の種を受け、同じ母の胎から生まれ出て、その両親ですら見分けがつかないほどだった。だがひとつ、そう唯一つだけ、兄と弟を別けるモノがあった……。何だと思う」

 その先にある答えが漠然とだが予想がついてしまう。アイリスのそんな気配を感じてか、ミゲルも鼻で笑うことで肯定した。

 「弟は兄よりも優れていた。その能力は全てにおいて僅かに、紙一重だが兄より上手だったのだ」

 それこそまさに、運命の悪戯。

 「弟自身も自分が兄より優れていることを自覚していた。自分の方が兄より優れている、自分は兄より凄い、兄を超えられる……そういった驕りが心に表れるのも、時間の問題だった。そして弟は自分こそが次期当主に選ばれるとばかり思い込んでいた」

 双子の兄弟で片方が有能ならばそちらに跡目を譲る……それ自体に不思議はない、むしろ理に適っているとさえ言えた。

 だがそうはならなかった。

 「当主の指名を受けたのは兄だった。理由は、『長男だから』。先に生まれた男児が家を継ぐ、これはどの家でも昔からある基本原則だ。だから兄もそれに倣って次期当主を確約された。家族も、親戚も、使用人も、忠誠を誓った王も、皆が兄の将来を祝福し寿いだ」

 「だが、それでは」

 「そう……弟だけは納得しなかった。容姿も体型も同じ、それどころか家長として重要な能力はこちらが優っているのに……自分こそが、この家を継ぐに相応しいと確信していただけに、弟の落胆ぶりは凄まじいものだった。その日を境に兄弟の運命は天と地ほどに離れてしまった。たかが数分、母の胎から出てくる時間が違っただけでな」

 人は生まれと賽の目だけは変えられない。それはつまり、その弟が万能の存在であっても過去を変えることだけは出来なかったということだ。

 「兄は家督を継ぐ為の教養を積んだ。逆に弟はどうなったと思う? 同じ、家督を継ぐ兄と全く同じ教育を受けさせられた。礼儀作法、騎士の叙勲、必要な経営術、もうお役御免のはずが何故そんな無駄なことをさせられたと思う? 兄と全く同じことを、だ」

 アイリスも似たような話を聞いたことがあった。同じ貴族の間でもある種の都市伝説、眉唾ものの話だが、いつの世も必ず存在しているあるひとつの噂。

 「影武者だよ。いずれ家長となる兄は様々な危険の矢面に立たされる。そうなった時、それを体を張って身代わりになる役が必要とされた。通常は姿形を似せるだけでも一苦労だが、双子という特異性がそれを後押しした。弟が身に付けた教養やスキル、肩書きは……兄の代理という形でしか発揮されなくなった。兄の予備で、身代わりで、日陰に生きる影……それが弟が背負った運命だった」

 昨日までの貴女と同じだ、とミゲルは嘯いたが……その運命は籠の鳥のアイリスなど比較にならないほど、過酷で陰惨なものだったに違いない。兄以上の素質を持っていながら、自分より劣る者の影になって生きることを強要される。己の惰性で無為に生きるのではなく、無為に生きることを強いられる日々だったのだろう。

 やがて時は移り変わり、国同士の争いに兄弟二人は駆り出される。共に騎士として剣を携え、片や兄は部隊の長を、片や弟は副官という名のやはり影武者を、それぞれの役目を負って戦地へと向かった。

 陣営で指示を下すときは顔を隠し傍らに控え、陣頭に立ち剣を振るう時は入れ替わりあたかも己こそが兄であるように振舞った。栄誉を捨て、危険だけを背負い込む、それが影武者というものだ。

 そして、二度目の運命の悪戯が始まった。

 「混戦だった。多方向からの同時奇襲に合い、旗印も見えない装備の装飾で辛うじて敵味方が区別できる、そんな大乱戦になった。刃と刃、鎧と鎧がぶつかる音、投石が耳元をかすめ、雄叫びと断末魔が入り乱れ……ひどかった、とても」

 誰が敵で味方かすぐには分からず、同士討ちもあっただろうそんな地獄。

 唯一つ分かるのは、互いの隣にいるのが血を別けた兄弟ということだけ。

 だがその兄弟も混戦の中でその姿を見失い、丸二日続いた戦闘は両陣営ともに屍山血河を築き上げる結果に終わった。その事後処理に追われて死体を片付けていた時……。

 「兄が……死んでいた。投石を頭に受け倒れたところを、周りの兵士が気付かず踏み付けて通った。名誉の戦死でもない事故死、不慮の死だ。高貴な騎士ともあろう者が、足蹴にされて命を落としたとあっては末代までの恥だ。親兄弟ですら悲しむふりをしながら見放すだろう。だが……弟はそうじゃなかった」

 自分より先に生まれた兄。自分より劣る兄。自分にとって邪魔だった兄。

 「嬉しかったぁ……」

 目の上のタンコブが消えて無くなった時、弟の前途は開けた。

 「やっと……やっと自分の生を掴めた気がした。己が本来生きるはずだった輝かしい未来を取り戻せたと、柄にも無くはしゃいだものだ。生きるはずだった者が死に、死ぬはずだった影武者が生き残った、ならば……どうなるか想像がつくだろう」

 「ああ……分かる」

 「顔も声も背丈も、何もかもが同じの双子。弟は外では顔を隠し、両親ですらその違いを見分けられなかった。兄が死んだ時も弟と入れ替わり、奇妙な言い方だが兄は弟になっていた。だから弟は乱戦で死んだのは自分だと偽り、自身は素知らぬ顔で兄に成り代わった。元々兄以上だった能力を遺憾なく発揮し、バラバラになった部隊を纏め指示を下し、隊を勝利に導いた。兄には出来なかったことだった」

 勝利に湧く隊を見た時、弟はこれから自らが歩む道の先を幻視した。輝かしい、栄光に満ちたその道を見たのだ。

 やがて戦争が終わり故郷に帰る時、弟は陣地で兄弟が使っていた部屋を片付けた。その時、弟はある物を発見したのだ。

 「遺言状、戦地に向う者が故郷の親族宛に書く物だ。本来なら親の名前が書かれているはずが、どういう事か弟の名前が書かれていた。子供の時分ならいざ知らず、互いに運命が別れた今になって何故……そう思いながらも指は遺書を開いていた」

 そして弟は、兄の真意を知る。

 「兄はとっくに知っていたのだ……自分が実の弟より劣っていることを」

 遺書は自分が死んだ後に弟が中を見ていることを見越して書かれてあり、その内容は……。

 「私に……全てを託していた。自分が先に死んだ時にはお前が成り代わって、隊長になり、当主になれと。影でなければ生きられない生を脱し、本来歩むはずだった輝かしい人生を生きろ……自分の代わりに、と」

 兄もまた、常々思っていたのだ。本当に優秀なのは弟なのに、生まれの順だけで不遇な運命を背負わされている。そして自分は弟より劣っているにも関わらず、のうのうと約束された未来を生きようとしている。

 兄はそんな己を深く恥じていた。弟に望まぬ生を強いる、無能な自分の存在を呪っていた。己こそが影に生きればとさえ思っていたのだ。

 彼もまた苦悩していた。

 「弟が日々その存在を疎ましく感じる傍らで、兄はずっと弟のことを案じてくれていたのに……」

 最後は自ら弟に扮し、影武者の任を全うしたと見せることでその名誉を守った。兄は死してなお弟の未来の礎にならんとしてくれたのだ。

 「恥じた。悔やんだ。そして何より……恨んだよ、自分自身を。だから戒めとして私は名を捨てた。傲慢に塗れ汚れ切ったかつての名を捨て、兄の名を……『ミゲル』を名乗るようになった」

 傲慢の化身は既に死に絶え、その名は過去と共に捨て去った。今ここにいるのは、亡き兄に成り代わりその全てを受け継いだ二代目の「ミゲル」だけだ。

 「その時に気付いた。貴き意志というものは血や家柄、能力や資質ではなく、誰の胸にも等しく宿るものなのだと。己ではなく他人の名誉を重んじ、義心を美徳とし不義を恥じる心があれば、誰でもその精神は気高くいられる。兄はそれを気付かせてくれた。兄は決して運命を言い訳にはしなかった。その兄に恥じぬよう私はこれからも務めを果たす。例えそれが茨の道だとて躊躇いもない」

 「自分ではなく他人の名誉を……か」

 「今の貴女なら理解できるはずだ。もっとも、私が成長した貴女の姿を見ることは無いだろうが」

 「何故?」

 「私はこの地に人々に害を為す魔物がいると聞いて征伐に訪れた。だがそんなものがいた痕跡は無く、そこには貴き意志に目覚めた将来有望な貴族がいるだけ……魔物を倒すだけが能の勇者など必要ない。サバトを医者の組合に転職させた時のように、デビルバグの群れを地下水道に誘導した時のように、デーモンとその夫を魔界の奥深くへ逃がした時のように、ドラゴンを山向こうに通じる坑道に案内した時のように……倒すべき敵を失った勇者は、ただ去るのみだ」

 それは即ち、二人の男女が住む世界を別けるということ。ほんの一昨日までのように互いに関わり合うことをやめるということ。

 「今の貴女なら、我々のような輩をきっと食い止める一助となるだろう」

 もう二度と、互いの道が交わらないということ。

 「…………な」

 「はい?」

 「……く、な。行くな……どこにも、行かないでほしい」

 「……私は所詮、遣われの身。その望みには応えられない」

 「妾はまだ知らぬことばかり。もっと、もっと、そなたに教えてほしい」

 「私は……ッ!?」

 なおも拒絶の言葉を吐こうとしたミゲルの口を柔らかいものが塞ぐ。

 少しの息苦しさを感じた後にそれは離れ、透明な粘液の架け橋が二人を繋いでいた。

 「はしたないと言ってくれるな……自分が一番良くわかっている」

 「……今が昼間だったなら、貴女の顔をもっとよく見られたのに」

 「……」

 ここまで来ておいて今更何を恥ずかしがるのか、薄暗がりの中でそっぽを向いたことだけは分かった。僅かにそれだけの仕草が妙に可愛らしく思える。

 そう、可愛らしいのだ。萎れていた花が水を得て再び花開いた時のような、新鮮で瑞々しく、それでいて気取らない美しさ。それを女性に対し使う時、「可愛らしい」以外の何と表現するのか。

 そして、女性にここまで言わせておいて何も感じないほどミゲルも朴念仁ではなかった。

 「……東方にこんな格言がある。『据え膳食わぬは男の恥』、出された料理は食べ尽くすのが礼儀というものだと。転じて……女性の好意を受け入れぬ男は、もはや男ではないという意味でもある」

 「わ、妾は別にそなたを好いておるわけでは……!」

 「接吻までしておいて?」

 「わっ、妾のことはもうよい! そなたはどうなのだ!? そなたは……自分から迫るような女を……」

 「ええ、はしたない。とてもとても、下品なことだと思う」

 「うぐぐ……!」

 「だが……下品も品の内だ」

 「ぁ……」

 頬を覆われ僅かに硬直した瞬間、今度はミゲルがアイリスに不意打ちを与えた。その勢いのまま押し倒した彼女の上に覆い被さる。

 「傷に響く、無理をするな!」

 「ああ、とても痛い。でも、それが今夜今ここで貴女と情を交わす事と何の関係が?」

 「心のっ、準備とっ、いうものがっ……!!」

 「安心するといい」

 そっと耳元で囁かれると強張っていた体が一瞬和らぎ……

 「私よりは痛くない」

 また強ばった。





 ヴァンパイアは高貴なる種族。ゆえに乱りに人間、特に男とは関わりを持つべからず。

 それが今、破られていた。

 「はぁっ、母上は……っ、お許しにならないだろう、ンッ!」

 「母君は怖いか?」

 「とても……っ、ああっ!!」

 狭苦しい荷馬車は二つの熱源が互いを高め合うせいで蒸し暑く、動く度に下の車輪もギイギイと揺れて耳障りな音を立てた。だが音を発生させている当の本人達はあるで聞こえておらず、既に繋がりを果たしたことに深い悦びを覚えている真っ最中だった。

 「良い、とても。数多の勇者が魔界に寝返るのも道理だ。こんなのを味わってしまえば、人間界の娯楽なんてただの児戯でしかない。ああ、もっと早く貴女と出会うべきだった」

 「とんだ不良勇者だ。う、ンンッ!! 少し、キツいィ……!!」

 初めてだから締めつけが強くて当たり前なのだが、そこで痛いとは欠片も言わず、もちろん感じてもいない辺りが実に魔物娘らしい。

 ミゲルの雄々しい「大剣」をくわえ込んだ「鞘」はしとどに濡れ、傷に響かない程度に腰を動かしただけで敏感な反応と共に蜜が溢れ出る。着衣のままコトに及んだことが今更ながら悔やんでしまう。

 だがそんな些末事など知ったことではなく、今や獣となった二人は辿たどしくも確かに快楽を求め合っていた。

 握る両手指は複雑に絡み合い、鼻先が触れ合う距離で二人は息を交換するように荒々しく呼吸を繰り返す。瞬きすることさえ忘れた目は互いの目を捉えて離さず、熱のこもった視線が更に欲情を駆り立てる。

 「もっと……もっと、激しく! ミゲルぅ!!」

 「貴女も無茶を言う!」

 「あァん、名前でぇ……名前で呼んでよぉ! アイリ……って、呼んでぇッ!!」

 「アイリ……! ああ、アイリ……!!」

 「アァアアァっ!!?」

 両親以外誰にも呼ばせたことのなかった愛称、それを初めての男に呼ばれた瞬間、アイリスの膣内が激しく律動した。

 本人の理性とは無関係の軽い絶頂。だがそのせいで感度は増し、意図せずアイリスの牝を引き出していく。そして魔物娘であり、ついさっきまで生娘だった彼女はその衝動に耐え切れなかった。

 「も、もうダメぇ……! わりゃわ、もう、ダメぇぇぇ!」

 「なら、ラストスパートだ!」

 「ひあゃーうンッ!?」

 抱き起こし互いに正面を向いての対面座位。重力と体重によってより深く繋がる形になり、素っ頓狂な悲鳴がアイリスから飛び出る。その恥ずかしさを誤魔化すためか、快楽と羞恥で真っ赤に染まった顔をミゲルの肩に埋めて押し付けた。

 「うぅ、ううううぅぅぅうう〜〜!!」

 「何を唸っている。アイリも協力……!」

 「ひぃっ、ど、どこに指を!? まさ、か……そなた!?」

 ミゲルの右指がさわさわと下着を潜り尻の割れ目に伸び、その根元に伸びる。何かを探るように動いていた指先が一点を捉えたその刹那、躊躇うことなく中指は……不浄の穴を貫いた。

 「〜〜〜〜〜ッッッ!!!?」

 「うむ、無理に腰を動かせない分、こちらを刺激した方が効果的だ」

 「ひ、ぎっ……やめ、あが……!? ぐうううぅぅぅゥゥゥ!!」

 突っ込んだだけに飽き足らず、間接を容赦なく曲げて掻き回してくる。未知の感覚にアイリスは身を捩って逃げようとするが、芯のつっかえ棒を二本もぶち込まれた肢体はもはや言う事を聞かない。それどころか元来別の機能を持つはずのその秘部を、ミゲルの指裁きは僅か十数秒で見事に性感帯に開拓してしまった。その証拠に指の動きだけで膣の方が反応してしまっている。

 「あっ!、あっ!、あっ! はあぁぁああぁあぁぁぁッッ、イ……ク! イック、イってしまうぅぅぅぅゥゥゥッ!!!」

 「いい! イけ! 思う存分イけ、アイリ!!」

 「ぁああぁあああぁーッ、はぐぅぅゥゥ!!」

 絶頂を迎える直前、アイリスはミゲルに一矢報いようと、それまで一度も使わなかったヴァンパイア最大の武器……己の牙を彼のむき出しの肩に突き入れた。

 刹那、互いの牡と牝が激しく痙攣し──、

 「ぐ、ンゥゥゥゥーーッ!!!!」

 オーガズムの衝動に全身の筋肉がブルブルと震え、それを受け入れながら彼女の牙は深く深く、ミゲルの肉に突き刺さりその血を貪るのだった。





 「変態め……」

 事が終わっても二人は馬車から降りなかった。朝にならなければ城門は開かれず、それまではここで待つしかなかった。

 待っている間ずっとアイリスは恨めしげな視線をミゲルに突き刺していた。その手はさっきからずっと己の臀部を撫でているが、まだ「後ろ」の違和感が残ったままなのを恨んでいるのだ。

 「すまなかった。今度からはアイリの許可を得てから試す」

 「そう言う問題ではないわ!! 乙女の、し、しり……尻穴を、何と心得る!?」

 「その割には結構乱れていたな」

 「〜〜! もう、知らん!」

 「本当に悪かったと思っている。今度は二度としない、約束しよう」

 「…………次は、もっと優しくしろ」

 まだむすっとした顔をしているが肩に頭を預けてくるところを見ると、一応許したのだろう。金色の髪をミゲルが優しく撫でる。

 窓から見える月を共に見上げながら、二人してしばらく無言のまま時を過ごした。沈黙を破ったのはアイリスだった。

 「そなたは良かったのか。妾はそなたの秘密を知ったままだ」

 「別に構わない。私個人として、こう言う任務は性に合わない。このままこの国を潰したところで、民が飢えるだけだ。そんなことは勇者のやる仕事ではない。私はいずれ、七人の勇者をそれぞれ解体するつもりでいる」

 「大丈夫なのか?」

 「私がどうこうせずとも、いずれそうなる。私がアイリと出会ったように、彼ら『五人』もそれぞれの運命と出会う時が来る。それが楽しみだ」

 「そなたも大概悪人だな」

 「それほどでも。それより今は、私達の未来について話し合おう」

 「ああ、共に運命を受け入れ……」

 「そして、変える為に……」

 吸血の姫と貴族の勇者は、互いに交わりあった道の先を天の月に見出していた。

 どんな険しい道も、貴き意志が導いてくれると信じて──。





 全てが終わってしばらくの後、アイリス姫が婚姻を交わしたと大々的に発表した。お相手は然る国の名家の元当主で、若くして家督を親戚に譲って隠居を決め込んでたんだが、どこで繋がりがあったかご成婚! 名家同士がくっついた事で国同士も繋がりが出来て、いやぁめでたいねぇ!

 この婿旦那がすんげぇやり手でなぁ、何と! 王国の土地を買ってそこに国をおっ立てた! 国王はアイリス姫だが、建国に当たっての面倒事はその旦那が全部こなしたって話だぜ! んまぁ、国って言ってもこの王都よりちょいと大きいってぐらいの、超ちっせえ国なんだがな。

 あん? 建国するのによく王国が許したなってぇ? 

 お客さんや、ここは元々姫様の先祖が治めてた土地だぜ? 当時の領民の子孫だってここにはいる。姫様が先祖代々家を守っていたように、血が薄れてもまた元の主が治める地に戻りたいという志を継いだ奴はたくさん居たってことだ!

 王国もそういう連中を連れて独立してもらうことを望んでたんだが、昔やらかした手前そんなことも言い出せず、姫様の家も律儀に盟約とやらに従って動かず……まあ、悲しいすれ違いってやつかな。

 そういう事情もあって王国もすんなりと承認してくれたってわけ! 民を失った主と、主を失った民、それらが長い時間かけて一つところに集まることが出来たってこった。めでたしめでたし! この話の裏を取りにわざわざ行ったんだぜ、公国。

 ん、例の勇者はどうしたって?

 さあなぁ、アイリス姫に手ぇ出したって辺りからぷっつり音沙汰なしだ。どこかで勇者してるのか、あるいは野たれ死んだか、それすらも分からない。

 ただ、ひょっとしたら……。

 愛しい誰かとの間に出来た子供達に、貴き意志とやらを教え込んでるのかもしれねえな。
15/09/05 06:41更新 / 毒素N
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■作者メッセージ
 初めは東條悟みたいな、中二病と英雄願望をこじらせたキャラにするつもりだった。でもそうすると七人に誰一人として常識人がいなくなるから…。

 小熊「次はやっと俺の出番か。ぶっちゃけこの第五章で出てきてるから、名前隠す意味ないんだけどさ」
 小熊「てか団長、『五人』て。最後の一人ハブってやるなよ。まあ俺だってアレを数に入れたかないけど…」

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