いのちの電話 ― one more chance ―
― 青木ヶ原の樹海 ―
山梨県富士河口湖町・鳴沢村にまたがって広がる広大な森で、富士山の北西に位置する。
なぜ「樹海」と呼ばれるかと言えば、一説には富士山に登攀し山頂からこの地を眺めると木々が風になびく様子があたかも海原でうねる波のように見えることから名付けられたと言われている。
風光明媚な場所であるが、しかしながら今日多くの人々はこの地を忌まわしいものと捉えている。
曰く、この場所には何千何万の自殺者や死体が埋まっていると。
そう「自殺の名所」であると。
しかしながら昔からこの場所が自殺の名所と呼ばれていたわけではない。
青木ヶ原の樹海が「自殺の名所」と扱われ始めたのは１９６０年代頃のからである。
当時、売れっ子小説家だった松本清張の「波の塔」が映画化されてから自殺者は増加した。ヒロインが樹海へと消える結末をテレビや低俗な雑誌が面白おかしく報道した結果、樹海で自殺を試みる人間が増え青木ヶ原の樹海は「自殺の名所」となったのである。
この世に見切りをつけた自殺者でも「仲間」が欲しいのだ。
「もう・・・アイツから逃げるには死ぬしかない」
１人の青年が仄暗い気持ちを抱きながらゆっくりと山道を歩く。樹海が自殺の名所として有名になるにつれ自殺者は増えていく。少しでも自殺者を減らすために近隣の有志ボランティアが定期的に巡回パトロールを行っている。
当然のことながら誰でもなじみ深い場所が自殺の名所呼ばれるのは嫌だからだ。
彼はただの登山客であるとボランティアに説明するために、なけなしの金で買った本格的な登山着を身に付けていた。
なぜ、彼は自殺するのにわざわざ樹海に行くのか？
それは「彼をここまで追い込んだアイツをより苦しませるため」だ。
青木ヶ原の樹海では定期的に遺体の回収が行われている。アパートも家族のいる実家でも自殺しようとしたら、きっとアイツの手で止められてしまう。
怖くて調べたことはないが、アイツなら盗聴盗撮くらいはやってもおかしくない。
しかし、ここならアイツの手が及ばない。尾行はされていないようだから流石に探偵までは雇っていないだろう。
今しかない。
昏い決意を持って彼はこの地へと赴いたのだ。
「・・・・・」
ふと、彼が遊歩道の端に今では見慣れなくなった電話ボックスを見つけた。そしてその近くにはお決まりの言葉が書かれた看板。
― 命は親から頂いた大切なもの ―
「・・・・・・・ハハッ」
青年は乾いた笑みを浮かべるとその電話ボックスに入った。
ガシャ・・・
青年は引き戸を開き中に入る。
こんな場所に置かれていても内部は落ち葉や得体の知れない虫の死骸など落ちておらず、すえた不快な臭いもない。寧ろ上等な香水にも似た香気がする。ふと見ると黄緑色の電話機の隣には十円玉が入れられたインスタントコーヒーのビンが置かれていた。そして「いのちの電話」の電話番号が書かれた張り紙。
彼はそのビンから数枚の十円玉を失敬すると電話機の投入口に入れた。
ポチポチポチ
目の前の張り紙に書かれた電話番号を ― スマートフォン全盛では逆に珍しい ― 硬めのプッシュボタンを押し、おもむろに受話器を耳に当てた。
誰かにこの悩みを聞いて欲しいわけじゃない。ただ、折角だから使っても悪くないのではないか、と彼が考えただけだ。
プルルル・・・プルル・・・
クラシカルな呼び出し音が鳴り、暫くして繋がった。
「元気ですか――――――――！！！！！」
野太い男性の声が鼓膜をつんざくように響く。
「？？？？？？」
彼が受話器を外し目の前の張り紙を見る。
― いの「き」の電話 ―
「ダジャレかよ！！！！！！！」
言いようのない怒りが彼を満たす。しかし、その張り紙をよくよく見ると「いのきの電話」以外にも「いのちの電話」番号が表記されていた。
「畜生・・・・・」
彼は気を取り直して再びプッシュボタンを押して受話器を耳にあてる。
プルルル・・・プルル・・・
再びクラシカルな呼び出し音が鳴り、暫くして繋がった。
「・・・・・・・・」
録音の無機質な返答すら聞こえてこない。
「あの・・もしもし・・・」
彼が意を決して声を出した時だ。
「お１人様ごあんな〜〜〜い！！」
間延びした若い女の声が響いた瞬間、電話ボックスの床に漆黒の文様がボワッ浮かぶとともに、まるで蟻地獄のように床が彼を飲み込むかのように流動する。
「え？！えぇぇぇぇ！」
慌ててドアのところに向かうが、底なし沼のように足をとられてしまう。
「助けてくれぇぇぇぇぇぇ！！！！！」
彼は突如、溶け始めた床に飲み込まれながら悲鳴をあげる。
死ぬつもりで青木ヶ原の樹海まで来たというのに助けろとは如何に？と、突っ込みたくなるが当人としては必死だ。
数刻後、そこにはただの「電話ボックス」があるだけだった。
「クソクソ！！！息ができない！！！暗い！！！！」
ジタバタと彼がもがくにつれ、暗闇は彼の四肢にまとわりつく。それは上等な羽毛布団のように・・・・・。
「？！」
彼は動きを止め、意を決して立ち上がると闇はスルリと彼の身体を滑り落ちた。
そこは、一言で言い表すのなら「安い風俗店のプレイルーム」だった。間接照明が照らし出すピンク色の部屋の中にはベットとシャワー、そして小型冷蔵庫。ベットサイドのテッシュ箱には「お約束」過ぎて笑ってしまったが。
何者かの突き刺さるような視線を彼は感じた。
「！」
最初は影だと思った。だが、それは影ではなかった。それは黒い服を着た「女性」だった。
「だ、誰だ！！！」
この異常な状況ではそう叫ばざるを得なかった。
「・・・・・」
彼女は声を出すことはなかった。そしてそのまま消える。
次の瞬間だった。
ギュッ！
柔らかく暖かなぬくもりが彼を背後から包み込む。
「クッ！離せ！！！」
成人男性である彼の力を以てしても「彼女」を引きはがすことはできない。
女は彼を抱きしめる以外に何もしなかった。
「何で・・何で放してくれないんだ・・・・俺は・・」
「ここにアナタを傷つける物も者もいない。私はあなたを傷つけない。私はジェリコ、バンシーのジェリコ」
ジェリコと名乗る彼女はまるで幼子をあやすような優しい声で彼に声を掛けた。
やがて彼の抵抗は弱まっていた。
「・・・良かったら貴方の話を聞かせて」
「面白くない話だ」
ジェリコと名乗るバンシーは静かに頷いた。
「いや〜〜無理言ってごめんね〜〜。花金といったら彼女とデートとか予定があったんじゃないかい？双塚くん？」
「いえ自分はまだまだ若輩者で恋人なんてとてもとても」
相手を持ち上げその肥大したプライドをくすぐる、それなりに場数を踏んだ俺、「双津聡」はそう心得ていた。
豚のように膨れた腹、「台所の黒き稲妻」ことゴキブリのようにテカテカと光る脂ぎった肌。
形容するなら「ザ・キモオヤジ」が俺の目の前に座っていた。
ここは都内ホテルにある高級レストラン。しがない営業である俺ではとてもじゃないがグラス一杯すら払うのがやっとだろう。
ヤツは取引先の社長だ。大手商社、しかも営業の仕事には休みはない。オフでもお得意様の機嫌を取るのも仕事だ。仕事の話ではアポを取ることすらできないが、「趣味」のお誘いであれば会ってくれる。
それはゴルフでもサバゲ―、果てはテーブルトークRPGでも。時には一日中麻雀をさせられることすらあった。必要経費はなんとか会社持ちだったが。
しかしそれもあくまで常識の範疇だ。その点では相手も常識人だったといえるだろう。
だが・・・その日は違った。
「今日は君のために貸し切りにしたんだよ。君、こういったところは初めてだろう？」
上級国民という連中は基本的に金の使い方のベクトルが違う。奴らは信じられないようなモノでも大金を湯水のように使い、自分が誰よりも特別な存在であることを自慢したがる。別口でゴルフに付き合わされた時に目にした金メッキされたパターなんて悪趣味過ぎて思わず笑ってしまったくらいだ。
俺は適当に相槌を打ちながら適当に話を流す。大概は自分の自慢に関することばかりで、あまり実がないのだ。
この時、もう少し警戒心があれば俺は・・・・。
キモオヤジに勧められるまま、一本ウン十万円の高級シャンパンを飲んだ時だ。
「クッ・・・な・・なんだこれ・・・！」
身体が焼けるように熱い。それどころか意識が朦朧とし始めた。視界がぐにゃりと歪む。
急いでその場を逃げようと立とうしても両脚に力が入らない。
「な・・何を飲ませた・・・？」
やっとのことで口を開く。
「君が素直になれるクスリだよ」
ブヨブヨと脂肪のついた指が俺のズボンに潜り込みソレを掴む。
「ここは熱々だね〜〜〜」
「クッ！」
俺はキモオヤジの手を払いのけようとするが力が入らない。
「さて、部屋に行こうか？ペントハウスをとってあるんだよ」
この脂肪の塊のどこにこんな力があるのだろうか、キモオヤジは俺を軽々と持ち上げた。
「は・・はは・・・・・」
俺は豪華なキングサイズのベットの端、シミ一つない白い壁に身を委ねていた。
ペニスは力なく萎れるかのように垂れ下がり、こびりついた精液が放つ青臭い臭気が辺りに立ち込めていた。
そしてベットの上には・・・。
「ジェニファーと呼んでダーリン」
パツキンのズラをつけ短すぎるセーラー服を着込んだキモオヤジがウットリとした瞳で俺を見ていた。
おまけにキモオヤジは上半身を地面に押し付け、お尻をキュッと天に突き出すセクシーなポーズ、いわゆる「例のポーズ」をとっていた。ジャックオーチャレンジである。
「あんなにアナルに種付けして〜〜。孕んだらどうするのよ〜〜」
そう。
俺は・・・・・。
「・・・掘っちゃったのね」
「中々締まりは良かったです」
キモオヤジに掘られるのも地獄だが、キモオヤジを「掘る」のも地獄だなと思うジェリコであった。
「でも本当の地獄はそれからでした」
いくら女を抱こうとも
いくらオナニーをしようとも
「ウッ！」
イク瞬間にセーラー服を着たキモオヤジのアへ顔が脳裏に再生されてしまうのだ。
「生き地獄でした。こんな地獄のような日々を終えようと、ここへ・・・」
不意に彼を暖かなぬくもりが包んだ。
「かんばったわね・・・・！」
「ジェリコさん・・・」
彼女の柔らかな胸が彼を覆い包む。
「全てのわだかまりを捨てて・・・ラクになろ？」
彼がジェリコに身を委ねようとした時だ。
何かが爆発した。
「うわっ！！」
砂煙に覆われ視界が封じられる。
真闇の奥で何かが動いた。
「やっと見つけたわダーリン」
鈴の鳴るような声が響く。
徐々に煙が晴れていく。そこには一人の「女性」が立っていた。
女性が身に纏ったレオタードは大理石のように白い高級なレースを惜しげもなく使用し、淫靡でありながらも清楚でまるで「ウェディングドレス」のようだった。
金を溶かし込んだかのように輝くブロンド
豊かでありながらも下品ではない乳房
マイセンの陶器人形のような白い肌
抱きしめたら折れてしまいそうな細いウェスト
個々のパーツを見るのなら間違いなく「美女」だ。
だが
だが一つだけ
その紅玉のような瞳の奥には枯れた井戸の奥底のヘドロにも似た何かが渦巻いていた。
「ジェ、ジェニファー・・・・・・！」
あの運命の日、彼に「犯された」ジェニファーこと、あの「キモオヤジ」が絶世の美女サキュバスに転化して立っていたのだ。
「うふふ、覚えていてくれてうれしいわダーリン」
そう言うとジェニファー（仮）がウィンクする。
とある天パが見ればチャーミングと形容するだろうが、今の彼からすれば混乱を際立たせるだけだ。
「クロノと名乗る魔物娘に全財産を投げ打って理想の姿を手に入れたのよ。これも愛ね」
「なにが愛だ！あの日以来俺は女に・・・・ウッ！」
何時の間にか目の前に現れたジェニファー（仮）が人差し指で彼の唇に当てる。
「ダーリンは勘違いしているわ。現にダーリンのダーリンはどうなっているかしら？」
「！」
彼のソレは固く燃え滾る様に熱くなっていた。
「そんな・・ハズは・・・・・」
「もう気付いているでしょ？。そう・・・・、ダーリンは私のアナルでしかイケない身体になっていることに！！！！！」
ジェニファーは上半身を地面に押し付け、お尻をキュッと天に突き出すセクシーなポーズ、いわゆる「例のポーズ」をとっていた。ジャックオーチャレンジその２である。
「さあ私のアナルでキャッチザフィーチャー！！！」
・・・・ナニをキャッチするのだろうか。
「一に用意！二に構え！三、四が無くて、五にカンチョー！！！！！！」
ズボッ！
柔らかなナニかを突き破る音が木霊する。
「新世界！！！」
ジェリコのカンチョーが決まる。会心の一撃である。白目をむいてアヘるジェニファー（仮）。
「いきなりアナルセックスに誘うような不埒者は沈みましたわ。さぁ続きを・・・・」
清楚な仮面は既に脱ぎ捨てジェリコが聰を押し倒す。
「隙あり！！トルネードアナル！！！！」
「はうっ！」
ジェニファー（仮）の尻尾がジェリコのアナルに突き刺さる。
「うふふ。お堅い女はアナルが弱いって本当ね」
「あへあへあへぇぇぇぇぇぇぇ！！！」
ぐりぐりと尻尾を動かすジェニファー（仮）。そしてそれに合わせてアへるジェリコ。マジ汚ねぇラジコンである。
その場をそっと逃げ出す双津。
背後からは
「七年殺し！！！」
「フィストファー―――ク！！！！！」
と、なかなかに香ばしいパワーワードと共に、ローションでズルズルになったスポンジを絞るような湿度の高い音が響く。
今はお互いが争っているが、その矛先が自分に向けられたら・・・・。
「こんな色んな意味で危ない場所に居られるか！俺は逃げる！！」
― 館モノの序盤あるあるである ―
双津は恐怖に慄きながらも想像を絶する暗黒カンチョー大会会場となったヤリ場所から逃げようとする、が。
「「逃げられるとでも？」」
アナルに目覚めたジェリコとアナルマスターこと、ジェニファー（仮）が双津を捕まえる。
お互い鼻水やよだれまみれの顔でにっこりと彼に微笑んだ。
「「一緒にニューワールドへ！！！！！！！！！！！！」」
彼に今できること。
それはただ乾いた空虚な笑みを浮かべること。
それのみだった。
青木ヶ原の樹海が「自殺の名所」と呼ばれていたのは遥か昔。
現在はスケルトンやゾンビなどが集う「青木ヶ原市」となっていた。
事の起こりは数年前、好いた男を追いかけて一人のサキュバスがこの地を訪れたことから始まる。
「彼女」はその卓越した手腕でかの地の魔物娘達をまとめ一種の互助団体ともいえる共同体を立ち上げた。そしてかつて「自殺の名所」と呼ばれていた地の利を生かし、他ではない特色として人間をアンデッド属の魔物娘へと転化させる「アンデッドハイイロナゲキタケ」の大規模な農場をも造成した。
その実績をもとに青木ヶ原を「青木ヶ原市」とし新たな市町村として日本国政府に認めさせた。
スケルトンやゾンビは魔物娘であるとはいえ、「死体」が転化することから消し去り難い忌避感があるがこの地では通常の魔物娘よりも多く住んでおり、ある意味アンデッドの楽園とも呼ばれている。
また、希少なアンデッドハイイロナゲキタケの栽培のみならず、夏場にはスケルトンやゾンビといったある意味「本職」が多数出演する樹海全体を使ったお化け屋敷などは毎年多くの観光客が訪れる夏の風物詩ともなっている。・・・・当然のことながらお化け役に見染められてそのまま婿られる殿方も一定数いるのだが。
「全ては愛の為に、よ」
そう言うと現青木ヶ原市市長である「ジェニファー」は微笑んだ。
山梨県富士河口湖町・鳴沢村にまたがって広がる広大な森で、富士山の北西に位置する。
なぜ「樹海」と呼ばれるかと言えば、一説には富士山に登攀し山頂からこの地を眺めると木々が風になびく様子があたかも海原でうねる波のように見えることから名付けられたと言われている。
風光明媚な場所であるが、しかしながら今日多くの人々はこの地を忌まわしいものと捉えている。
曰く、この場所には何千何万の自殺者や死体が埋まっていると。
そう「自殺の名所」であると。
しかしながら昔からこの場所が自殺の名所と呼ばれていたわけではない。
青木ヶ原の樹海が「自殺の名所」と扱われ始めたのは１９６０年代頃のからである。
当時、売れっ子小説家だった松本清張の「波の塔」が映画化されてから自殺者は増加した。ヒロインが樹海へと消える結末をテレビや低俗な雑誌が面白おかしく報道した結果、樹海で自殺を試みる人間が増え青木ヶ原の樹海は「自殺の名所」となったのである。
この世に見切りをつけた自殺者でも「仲間」が欲しいのだ。
「もう・・・アイツから逃げるには死ぬしかない」
１人の青年が仄暗い気持ちを抱きながらゆっくりと山道を歩く。樹海が自殺の名所として有名になるにつれ自殺者は増えていく。少しでも自殺者を減らすために近隣の有志ボランティアが定期的に巡回パトロールを行っている。
当然のことながら誰でもなじみ深い場所が自殺の名所呼ばれるのは嫌だからだ。
彼はただの登山客であるとボランティアに説明するために、なけなしの金で買った本格的な登山着を身に付けていた。
なぜ、彼は自殺するのにわざわざ樹海に行くのか？
それは「彼をここまで追い込んだアイツをより苦しませるため」だ。
青木ヶ原の樹海では定期的に遺体の回収が行われている。アパートも家族のいる実家でも自殺しようとしたら、きっとアイツの手で止められてしまう。
怖くて調べたことはないが、アイツなら盗聴盗撮くらいはやってもおかしくない。
しかし、ここならアイツの手が及ばない。尾行はされていないようだから流石に探偵までは雇っていないだろう。
今しかない。
昏い決意を持って彼はこの地へと赴いたのだ。
「・・・・・」
ふと、彼が遊歩道の端に今では見慣れなくなった電話ボックスを見つけた。そしてその近くにはお決まりの言葉が書かれた看板。
― 命は親から頂いた大切なもの ―
「・・・・・・・ハハッ」
青年は乾いた笑みを浮かべるとその電話ボックスに入った。
ガシャ・・・
青年は引き戸を開き中に入る。
こんな場所に置かれていても内部は落ち葉や得体の知れない虫の死骸など落ちておらず、すえた不快な臭いもない。寧ろ上等な香水にも似た香気がする。ふと見ると黄緑色の電話機の隣には十円玉が入れられたインスタントコーヒーのビンが置かれていた。そして「いのちの電話」の電話番号が書かれた張り紙。
彼はそのビンから数枚の十円玉を失敬すると電話機の投入口に入れた。
ポチポチポチ
目の前の張り紙に書かれた電話番号を ― スマートフォン全盛では逆に珍しい ― 硬めのプッシュボタンを押し、おもむろに受話器を耳に当てた。
誰かにこの悩みを聞いて欲しいわけじゃない。ただ、折角だから使っても悪くないのではないか、と彼が考えただけだ。
プルルル・・・プルル・・・
クラシカルな呼び出し音が鳴り、暫くして繋がった。
「元気ですか――――――――！！！！！」
野太い男性の声が鼓膜をつんざくように響く。
「？？？？？？」
彼が受話器を外し目の前の張り紙を見る。
― いの「き」の電話 ―
「ダジャレかよ！！！！！！！」
言いようのない怒りが彼を満たす。しかし、その張り紙をよくよく見ると「いのきの電話」以外にも「いのちの電話」番号が表記されていた。
「畜生・・・・・」
彼は気を取り直して再びプッシュボタンを押して受話器を耳にあてる。
プルルル・・・プルル・・・
再びクラシカルな呼び出し音が鳴り、暫くして繋がった。
「・・・・・・・・」
録音の無機質な返答すら聞こえてこない。
「あの・・もしもし・・・」
彼が意を決して声を出した時だ。
「お１人様ごあんな〜〜〜い！！」
間延びした若い女の声が響いた瞬間、電話ボックスの床に漆黒の文様がボワッ浮かぶとともに、まるで蟻地獄のように床が彼を飲み込むかのように流動する。
「え？！えぇぇぇぇ！」
慌ててドアのところに向かうが、底なし沼のように足をとられてしまう。
「助けてくれぇぇぇぇぇぇ！！！！！」
彼は突如、溶け始めた床に飲み込まれながら悲鳴をあげる。
死ぬつもりで青木ヶ原の樹海まで来たというのに助けろとは如何に？と、突っ込みたくなるが当人としては必死だ。
数刻後、そこにはただの「電話ボックス」があるだけだった。
「クソクソ！！！息ができない！！！暗い！！！！」
ジタバタと彼がもがくにつれ、暗闇は彼の四肢にまとわりつく。それは上等な羽毛布団のように・・・・・。
「？！」
彼は動きを止め、意を決して立ち上がると闇はスルリと彼の身体を滑り落ちた。
そこは、一言で言い表すのなら「安い風俗店のプレイルーム」だった。間接照明が照らし出すピンク色の部屋の中にはベットとシャワー、そして小型冷蔵庫。ベットサイドのテッシュ箱には「お約束」過ぎて笑ってしまったが。
何者かの突き刺さるような視線を彼は感じた。
「！」
最初は影だと思った。だが、それは影ではなかった。それは黒い服を着た「女性」だった。
「だ、誰だ！！！」
この異常な状況ではそう叫ばざるを得なかった。
「・・・・・」
彼女は声を出すことはなかった。そしてそのまま消える。
次の瞬間だった。
ギュッ！
柔らかく暖かなぬくもりが彼を背後から包み込む。
「クッ！離せ！！！」
成人男性である彼の力を以てしても「彼女」を引きはがすことはできない。
女は彼を抱きしめる以外に何もしなかった。
「何で・・何で放してくれないんだ・・・・俺は・・」
「ここにアナタを傷つける物も者もいない。私はあなたを傷つけない。私はジェリコ、バンシーのジェリコ」
ジェリコと名乗る彼女はまるで幼子をあやすような優しい声で彼に声を掛けた。
やがて彼の抵抗は弱まっていた。
「・・・良かったら貴方の話を聞かせて」
「面白くない話だ」
ジェリコと名乗るバンシーは静かに頷いた。
「いや〜〜無理言ってごめんね〜〜。花金といったら彼女とデートとか予定があったんじゃないかい？双塚くん？」
「いえ自分はまだまだ若輩者で恋人なんてとてもとても」
相手を持ち上げその肥大したプライドをくすぐる、それなりに場数を踏んだ俺、「双津聡」はそう心得ていた。
豚のように膨れた腹、「台所の黒き稲妻」ことゴキブリのようにテカテカと光る脂ぎった肌。
形容するなら「ザ・キモオヤジ」が俺の目の前に座っていた。
ここは都内ホテルにある高級レストラン。しがない営業である俺ではとてもじゃないがグラス一杯すら払うのがやっとだろう。
ヤツは取引先の社長だ。大手商社、しかも営業の仕事には休みはない。オフでもお得意様の機嫌を取るのも仕事だ。仕事の話ではアポを取ることすらできないが、「趣味」のお誘いであれば会ってくれる。
それはゴルフでもサバゲ―、果てはテーブルトークRPGでも。時には一日中麻雀をさせられることすらあった。必要経費はなんとか会社持ちだったが。
しかしそれもあくまで常識の範疇だ。その点では相手も常識人だったといえるだろう。
だが・・・その日は違った。
「今日は君のために貸し切りにしたんだよ。君、こういったところは初めてだろう？」
上級国民という連中は基本的に金の使い方のベクトルが違う。奴らは信じられないようなモノでも大金を湯水のように使い、自分が誰よりも特別な存在であることを自慢したがる。別口でゴルフに付き合わされた時に目にした金メッキされたパターなんて悪趣味過ぎて思わず笑ってしまったくらいだ。
俺は適当に相槌を打ちながら適当に話を流す。大概は自分の自慢に関することばかりで、あまり実がないのだ。
この時、もう少し警戒心があれば俺は・・・・。
キモオヤジに勧められるまま、一本ウン十万円の高級シャンパンを飲んだ時だ。
「クッ・・・な・・なんだこれ・・・！」
身体が焼けるように熱い。それどころか意識が朦朧とし始めた。視界がぐにゃりと歪む。
急いでその場を逃げようと立とうしても両脚に力が入らない。
「な・・何を飲ませた・・・？」
やっとのことで口を開く。
「君が素直になれるクスリだよ」
ブヨブヨと脂肪のついた指が俺のズボンに潜り込みソレを掴む。
「ここは熱々だね〜〜〜」
「クッ！」
俺はキモオヤジの手を払いのけようとするが力が入らない。
「さて、部屋に行こうか？ペントハウスをとってあるんだよ」
この脂肪の塊のどこにこんな力があるのだろうか、キモオヤジは俺を軽々と持ち上げた。
「は・・はは・・・・・」
俺は豪華なキングサイズのベットの端、シミ一つない白い壁に身を委ねていた。
ペニスは力なく萎れるかのように垂れ下がり、こびりついた精液が放つ青臭い臭気が辺りに立ち込めていた。
そしてベットの上には・・・。
「ジェニファーと呼んでダーリン」
パツキンのズラをつけ短すぎるセーラー服を着込んだキモオヤジがウットリとした瞳で俺を見ていた。
おまけにキモオヤジは上半身を地面に押し付け、お尻をキュッと天に突き出すセクシーなポーズ、いわゆる「例のポーズ」をとっていた。ジャックオーチャレンジである。
「あんなにアナルに種付けして〜〜。孕んだらどうするのよ〜〜」
そう。
俺は・・・・・。
「・・・掘っちゃったのね」
「中々締まりは良かったです」
キモオヤジに掘られるのも地獄だが、キモオヤジを「掘る」のも地獄だなと思うジェリコであった。
「でも本当の地獄はそれからでした」
いくら女を抱こうとも
いくらオナニーをしようとも
「ウッ！」
イク瞬間にセーラー服を着たキモオヤジのアへ顔が脳裏に再生されてしまうのだ。
「生き地獄でした。こんな地獄のような日々を終えようと、ここへ・・・」
不意に彼を暖かなぬくもりが包んだ。
「かんばったわね・・・・！」
「ジェリコさん・・・」
彼女の柔らかな胸が彼を覆い包む。
「全てのわだかまりを捨てて・・・ラクになろ？」
彼がジェリコに身を委ねようとした時だ。
何かが爆発した。
「うわっ！！」
砂煙に覆われ視界が封じられる。
真闇の奥で何かが動いた。
「やっと見つけたわダーリン」
鈴の鳴るような声が響く。
徐々に煙が晴れていく。そこには一人の「女性」が立っていた。
女性が身に纏ったレオタードは大理石のように白い高級なレースを惜しげもなく使用し、淫靡でありながらも清楚でまるで「ウェディングドレス」のようだった。
金を溶かし込んだかのように輝くブロンド
豊かでありながらも下品ではない乳房
マイセンの陶器人形のような白い肌
抱きしめたら折れてしまいそうな細いウェスト
個々のパーツを見るのなら間違いなく「美女」だ。
だが
だが一つだけ
その紅玉のような瞳の奥には枯れた井戸の奥底のヘドロにも似た何かが渦巻いていた。
「ジェ、ジェニファー・・・・・・！」
あの運命の日、彼に「犯された」ジェニファーこと、あの「キモオヤジ」が絶世の美女サキュバスに転化して立っていたのだ。
「うふふ、覚えていてくれてうれしいわダーリン」
そう言うとジェニファー（仮）がウィンクする。
とある天パが見ればチャーミングと形容するだろうが、今の彼からすれば混乱を際立たせるだけだ。
「クロノと名乗る魔物娘に全財産を投げ打って理想の姿を手に入れたのよ。これも愛ね」
「なにが愛だ！あの日以来俺は女に・・・・ウッ！」
何時の間にか目の前に現れたジェニファー（仮）が人差し指で彼の唇に当てる。
「ダーリンは勘違いしているわ。現にダーリンのダーリンはどうなっているかしら？」
「！」
彼のソレは固く燃え滾る様に熱くなっていた。
「そんな・・ハズは・・・・・」
「もう気付いているでしょ？。そう・・・・、ダーリンは私のアナルでしかイケない身体になっていることに！！！！！」
ジェニファーは上半身を地面に押し付け、お尻をキュッと天に突き出すセクシーなポーズ、いわゆる「例のポーズ」をとっていた。ジャックオーチャレンジその２である。
「さあ私のアナルでキャッチザフィーチャー！！！」
・・・・ナニをキャッチするのだろうか。
「一に用意！二に構え！三、四が無くて、五にカンチョー！！！！！！」
ズボッ！
柔らかなナニかを突き破る音が木霊する。
「新世界！！！」
ジェリコのカンチョーが決まる。会心の一撃である。白目をむいてアヘるジェニファー（仮）。
「いきなりアナルセックスに誘うような不埒者は沈みましたわ。さぁ続きを・・・・」
清楚な仮面は既に脱ぎ捨てジェリコが聰を押し倒す。
「隙あり！！トルネードアナル！！！！」
「はうっ！」
ジェニファー（仮）の尻尾がジェリコのアナルに突き刺さる。
「うふふ。お堅い女はアナルが弱いって本当ね」
「あへあへあへぇぇぇぇぇぇぇ！！！」
ぐりぐりと尻尾を動かすジェニファー（仮）。そしてそれに合わせてアへるジェリコ。マジ汚ねぇラジコンである。
その場をそっと逃げ出す双津。
背後からは
「七年殺し！！！」
「フィストファー―――ク！！！！！」
と、なかなかに香ばしいパワーワードと共に、ローションでズルズルになったスポンジを絞るような湿度の高い音が響く。
今はお互いが争っているが、その矛先が自分に向けられたら・・・・。
「こんな色んな意味で危ない場所に居られるか！俺は逃げる！！」
― 館モノの序盤あるあるである ―
双津は恐怖に慄きながらも想像を絶する暗黒カンチョー大会会場となったヤリ場所から逃げようとする、が。
「「逃げられるとでも？」」
アナルに目覚めたジェリコとアナルマスターこと、ジェニファー（仮）が双津を捕まえる。
お互い鼻水やよだれまみれの顔でにっこりと彼に微笑んだ。
「「一緒にニューワールドへ！！！！！！！！！！！！」」
彼に今できること。
それはただ乾いた空虚な笑みを浮かべること。
それのみだった。
青木ヶ原の樹海が「自殺の名所」と呼ばれていたのは遥か昔。
現在はスケルトンやゾンビなどが集う「青木ヶ原市」となっていた。
事の起こりは数年前、好いた男を追いかけて一人のサキュバスがこの地を訪れたことから始まる。
「彼女」はその卓越した手腕でかの地の魔物娘達をまとめ一種の互助団体ともいえる共同体を立ち上げた。そしてかつて「自殺の名所」と呼ばれていた地の利を生かし、他ではない特色として人間をアンデッド属の魔物娘へと転化させる「アンデッドハイイロナゲキタケ」の大規模な農場をも造成した。
その実績をもとに青木ヶ原を「青木ヶ原市」とし新たな市町村として日本国政府に認めさせた。
スケルトンやゾンビは魔物娘であるとはいえ、「死体」が転化することから消し去り難い忌避感があるがこの地では通常の魔物娘よりも多く住んでおり、ある意味アンデッドの楽園とも呼ばれている。
また、希少なアンデッドハイイロナゲキタケの栽培のみならず、夏場にはスケルトンやゾンビといったある意味「本職」が多数出演する樹海全体を使ったお化け屋敷などは毎年多くの観光客が訪れる夏の風物詩ともなっている。・・・・当然のことながらお化け役に見染められてそのまま婿られる殿方も一定数いるのだが。
「全ては愛の為に、よ」
そう言うと現青木ヶ原市市長である「ジェニファー」は微笑んだ。
21/10/18 14:57更新 / 法螺男