巨人の復活 − the legend ー
洋の東西を問わず酒場はという場所は常に物語の舞台となった。
フランスの画家ロートレックはムーランルージュに夜な夜な通いその短い人生に彩りを添えた。長谷川利行は名もなき安酒場で居合わせた客にマッチ箱の裏に絵を書き酒を呷った。
仲間と楽しむ楽しい酒もあれば、自分の気持ちと向かい合うために酒の魔力に頼ることもある。
そして・・・・。
別離の悲しみを乗り越えるために飲むこともある。
ー 「Barペイパームーン」 −
いつものように様々な人魔が集い、各々が自分の「時間」を楽しんでいた。
「・・・・」
座り心地の良い革張りのスツールに腰を掛け、一人の男が一人静かにウィスキーの水割りを飲んでいた。
男は一言も発さずただ静かに水割りを飲み、時折客の「魔物娘」を一瞥するだけ。ペイパームーンには伴侶を求める独身の魔物娘の常連も多い。無論、独身の男性も彼らとの出会いを求めている。魔物娘たちは皆美女揃いだ。彼らと知り合い、あわよくば付き合いたいと思う男性もいる。
しかし彼が彼女たちに向ける視線はそういった熱のこもったものではなかった。強いて言うなら「諦め」。自分ではどうしようもない、諦観に満ちたものだった。
「グランマ・・・あの客ってもしかして・・」
店員である「ウィルオー・ウィスプ」の「夏樹伽耶」がオーナー・バーテンドレスであるサキュバスの「グランマ」に話しかける。
「・・・猪名川淳一ね。怪談師の」
ー 「怪談師」猪名川淳一 −
元インダストリアルデザイナーという異色の経歴を持ちながら、ドラマやバラエティでは芸人張りの身体を張ったネタを披露。伝説の「やられ役」として名を馳せた。
またその豊富な人生経験から来る、軽妙でありながらもツボを押さえた怪談はもはや職人芸の域に達している。
だが近年はスランプ気味だった。
原因は「穴」、「外地」の存在だった。
魔物娘の中にはゴーストやゾンビなど、怪談のある意味主役ともいえる存在がある。
「穴」という転移門が開き、魔物娘の存在を受け入れた「日本」では彼らは人を怖がらせる存在ではなくなってしまった。
廃屋を探検しようとしたら住人である「ゴースト」に不法侵入で訴えられたり
小学校の骨格標本がホンモノの「スケルトン」で、夜中に理科準備室を抜け出して意中のショタが使用したリコーダーを舐めまわす、ついでにマ〇コに挿(件のスケルトンは逮捕されました)
高速道路のパーキングエリアでは、ヘルメットを脱ごうとして一緒に首まで抜けてしまったデュラハンが全裸で暴走族を追いかけ回す事件が週一で報道される
こんな世の中じゃ、淳一のような「怪談師」は居場所を失うのは必然だった。
「輪」、「ラブホテル霊」でスターダムにのし上がった彼の友人の一人である仲田監督は元々AV監督であった経歴を生かして、「魔物娘AV」で第一人者になっている。
〜人生を練り直す時期に来ているのかもしれない 〜
彼がこの場所に足を向けたのはその友人である仲田監督からの紹介だ。人魔が集うこの店なら何かを掴むことができるかもしれない。
そう、淡い期待を抱いて。
コトッ
彼の目の前に小ぶりのグラスが置かれる。中は琥珀色のウィスキーと水とが混じり合わず分離して入れられていた。
「ウィスキー・フロートか。頼んでないけど?」
「この店では初めての客には一杯おごることにしているの。友人は教えてくれなかった?」
そう言うと、グランマは淳一に微笑んだ。
「私はいつも言ってるんだ。怪談は怖いだけじゃないんだって。でも皆は怖い話を望んでいる・・・」
そういうとショットグラスの中に注がれたジョニーウォーカー12年を一気に呷る。
「そう。貴方はもう答えを知っているのね」
「へ?」
淳一があっけにとられる。その様子をグランマは楽しそうに見ていた。
「幻の火星人襲来がただのオーソンウェルズのラジオドラマだったように、視線を変えれば怪談も笑話になるわ」
「ああ、その話は知っていますよ。確か、1938年のアメリカで・・・・・」
彼の脳髄。その片隅が震えた。
更にグランマが言の葉を紡ぐ。
「ウィスキー・フロートは言うなれば水割りと同じ。ただ魅せ方が違うだけよ」
その言葉と共に彼の身体を電流のように衝撃が走った。そう、彼は既に苦悩の答えを「知っていた」。それにやっと気づいたのだ。
「そうか・・・!その手があったか!!」
淳一は勢いよくスツールから立ち上がる。そして財布から数枚の札を取り出すとそのままグランマに渡した。
「釣りはいいから。今すぐこの構想を形にしなければ!!!」
そこに数刻前の諦めた表情の淳一はいなかった。
暗い、照明の落とされた舞台
その中央には縁台が置かれ、和服を着た一人の男が座っていた。勝負服に着替えた猪名川淳一だ。
「さて人生には色々な出会いがあります。楽しい出会いに予想もつかない出会い。では彼らの場合はどうだったのでしょう・・・」
徐々に舞台に光が灯され、彼を照らし出した。
「名前はそう、A君ということにしましょうか。このA君は酒屋の倅でウチの事務所の打ち上げをする時は、いつもビールサーバーを持ってきてくれていて、飾らない性格で私も時折お小遣いを渡したりしてたんだ」
「そのA君も大学へ通うことになって物件を探していて、運よく見つかったんだがそこがまぁ古いアパートで。IHヒーターや風呂、エアコンもついて家賃もギリギリ予算内。ただどうしてもひっかかる」
BGMがゆっくりとした、それでいて不安を掻き立てるような旋律へと変わる。
「どうも臭いんだ。何か腐ったような臭いとかじゃなくて、こう・・・言われないとわからないような違和感。そんなものを感じていたんだ。A君は」
「でもこの物件以上の場所は時期的に見つからない。しかたなく入居を決めたわけだ」
「引っ越しの挨拶は重要と父親から聞いていたA君は、引っ越しを終えた後ビールを引っ越しそば代わりに配り挨拶をしていた。その時、一人の住人が気になることを言ったんだ」
「ああ、あの角部屋か。とりあえずビールは開けたままにするなよ」
「え?とA君は聞き直そうとしたが、その住人はそそくさとビールを受け取るとドアを閉めた」
「なんだよ、とA君は思ったがチャイムを鳴らして聞き出すわけにもいかず、他にも挨拶回りが残っていたのでその部屋を後にした」
「腑に落ちない気分で挨拶回りを終え自分の部屋のある階に戻ると、安いLEDライトに照らされて髪の長い女が廊下に立っていた」
「ひゃぁぁっぁぁぁ!」
「思わず声をあげそうになるが、よく見ると足がある。どうも今帰宅したばかりの別の部屋の住人らしかった」
「A君は冷静を装うと女の人に今度越してきたことを伝え、ビールを取り出すとその女の人に渡した。するとその場で缶を開けて一気飲みしたんだ」
「びっくりして面食らったが、たぶん喉が渇いていたんだろうとA君はそのまま自分の部屋に戻った」
再び淳一の姿をライトが照らす。
「さて、皆さん一人暮らしと聞くと何を期待しますか?A君もやはり健全な男子、やっぱりエロビデオを見るわけです」
「とは言ってもそこはアパート。どこで誰かが聞いているかわからない。それなりにセーブしていたわけですが、それですっきりした次の日の朝。例の女の人がどうもよそよそしい」
「イヤホンをしているってのに聞こえるわけがないんだ。どう考えても。それにおかしいことはそれだけじゃない」
「部屋で感じた違和感。それが段々強くなってきている」
暗転し淳一を闇が塗りつぶす。
「意を決して、A君は引っ越しの挨拶で意味深なことを話した住人に会いに行くことにした」
「意外にもその住人は特にA君を追い出すことはなかった」
「その住人が話すにはA君の部屋は角部屋で湿気が溜りやすく、カビやナメクジが出たって住人がころころ変わっていたそうだ」
「だからか。A君が感じた違和感の原因は湿気だとわかって安心したA君は意気揚々と部屋に戻った」
「その日は安心してA君はビールを飲んで寝た。明日の合コンを楽しみにしながら」
「ズズズ・・・ズズズ・・・・」
「暗闇の中で何かを引きずるような音が聞こえてくる」
舞台で淳一が耳を澄ますような仕草をする。
「どうせ隣の部屋で何かをしているんだろう。そう思ってA君はふとんを被った」
「いや、まてよ」
「これって・・・・。あまりにも音が近いんだ」
「ズズズ・・・ズズズ・・・・」
「音が近づいてくる。段々、段々と」
BGMも徐々に大きくなってくる。
「A君の寝ている布団に近づいてくる。意を決したA君は布団をはねのけ入り口に向かう!」
「だが、足が何かに滑りその場に転んでしまった」
「ゆっくりと布団がずり落ち、そこには・・・・」
フラッシュが走り、舞台上に恐ろしげな影が浮かびあがった。
「ひゃぁぁっぁぁぁ!」
舞台は暗転し、観客も悲鳴をあげた。
テーテッテテーーーー!
軽快なBGMがなり、舞台全体が光に照らされた。
「さて皆さまお楽しみになられたでしょうか?」
いつの間にか着替えたのだろう。淳一が往年のお笑い芸人のような衣装で現れる。
「紹介が遅れました。A君こと有明君とその妻のおおなめくじの徳子さんです」
紹介を受けた二人が頬を赤くしながら舞台袖から現れる。
そう。
淳一が考えた方法とは人魔カップルの出会いをホラー仕立てに紹介し、その後本人達が登場し二人の結婚や性生活などを語るトークショーを開催することだった。
彼は怪談師と呼ばれる前はバラエティ番組の司会もしていたので、その経験も存分に生かすことができた。
とはいえ、いくら人間に好意的な魔物娘でも自分と伴侶との出会いを怪談風味にアレンジされたら人間的な感覚では怒るだろうと思うが、しかし魔物娘の中には自分が人間よりも強い存在であることを誇りにする者や、愛する伴侶との生活を自慢したいという本能がある。
この新しい形のトークショーはその要求を満たすにはうってつけだった。
「実は有明さんと初めてあったあの日、疲れすぎてカラカラに乾きそうだったんです。その時によく冷えたビールをくれて・・・」
徳子と呼ばれたおおなめくじが顔を伏せる。
「つまりは有明君の優しさにころりといっちゃったわけだ」
頬を赤く染めながら頷く。
「私はおおなめくじだし、やっぱりデビルバグ並みに嫌われるかもって思うとなかなか言い出せなくて。でも、あの日週末に合コンがあると聞いてしまい居ても立ってもいられなくなって・・・」
「で、醤油一瓶飲んで縮小化して天井から侵入したと。健気なコだね有明君」
「最初は怖かったのだけど、やっぱり一途に愛してくれるとかわいく見えて・・・」
「そのままゴールインしたわけか」
「はい・・・」
今度は有明君が頬を染める番だ。
「さて、はたから見ると怪談にしか見えない彼らの出会い。確かに魔物娘のおかげで不可思議なこともそれなりに理解できるようになりました。でも・・・・」
舞台の照明が落とされる。
「果たしてこの世界から不可思議なことは本当になくなったのでしょうか?これは私が検査でとある病院に入院していた時にナースから聞いた話です」
「さて、検査のために入院していても退屈になるわけだ。テレビも面白くないし。そうなると、時折ナース相手に怪談をすることがあるんだ」
「そりゃまぁ、私も男だから若いナースがキャーキャー言って喜ばないわけがない。そうやって騒いでいると年嵩の婦長がやってくるわけだ」
「でもその婦長は怒るようなことはしなかったね。でもやはり立場ってものもあるわけだ」
「怒るわけでもなく、静かにこう言ったんだ。Bさん、確か明日の夜勤だったよね。じゃあ聞きなさい・・・って」
「その婦長がまだペーペーの新人だった頃の話だ。有料個室、所謂VIPルームに一人の老婆が入院していた」
「こいつはまたわがままで入院のルールは守らないわ、暴言は言うわ他のナース達から嫌われていたんだ」
「特に昼だろうが部屋のデスクライトを点けっぱなしにするのは参った」
「理由を尋ねても黒い人がいるからとしか言わない。斑痴呆があったので特に気にされなかった」
「VIPルームだしあんまり強くは言えない。消灯前にやんわりとライトを消すように言った後勤務に戻った」
「巡回時、そのおばあちゃんの部屋が珍しく消灯していた」
「そっとドアを開けて見るとおばあちゃんも寝息を立ててベットに横になっている」
「珍しいこともあるもんだと思って婦長はナースステーションに戻った。でも翌朝」
「おばあちゃんが息を引き取っていた」
「老人の突然死なんて病院じゃありふれたもの。でもどうしても腑に落ちないことがある」
「それはあのライトが点いたままだったこと」
「ドクターの検死でおばあちゃんが亡くなったのは深夜の巡回の後。どう考えてもおばあちゃんが再びランプを点けられるはずがない」
「おい待てよ。なんで消灯されているのにおばあちゃんが寝てるってわかったんだ?」
「あれは寝息じゃなくて呻き声だったんじゃ・・・。あんな小さなデスクライト、前に人が立っていたら光は隠される・・・。まさか!」
「おばあちゃん、あの時とうとう黒い人に会っちゃったんですね」
「じゃあ、Bさん当直がんばってねとその婦長さんはナースステーションに戻っていきした」
「魔物娘でも幽霊でもない黒い人、皆さんどう思いますか?」
淳一の静かな語りとともに舞台は闇に包まれた。
フランスの画家ロートレックはムーランルージュに夜な夜な通いその短い人生に彩りを添えた。長谷川利行は名もなき安酒場で居合わせた客にマッチ箱の裏に絵を書き酒を呷った。
仲間と楽しむ楽しい酒もあれば、自分の気持ちと向かい合うために酒の魔力に頼ることもある。
そして・・・・。
別離の悲しみを乗り越えるために飲むこともある。
ー 「Barペイパームーン」 −
いつものように様々な人魔が集い、各々が自分の「時間」を楽しんでいた。
「・・・・」
座り心地の良い革張りのスツールに腰を掛け、一人の男が一人静かにウィスキーの水割りを飲んでいた。
男は一言も発さずただ静かに水割りを飲み、時折客の「魔物娘」を一瞥するだけ。ペイパームーンには伴侶を求める独身の魔物娘の常連も多い。無論、独身の男性も彼らとの出会いを求めている。魔物娘たちは皆美女揃いだ。彼らと知り合い、あわよくば付き合いたいと思う男性もいる。
しかし彼が彼女たちに向ける視線はそういった熱のこもったものではなかった。強いて言うなら「諦め」。自分ではどうしようもない、諦観に満ちたものだった。
「グランマ・・・あの客ってもしかして・・」
店員である「ウィルオー・ウィスプ」の「夏樹伽耶」がオーナー・バーテンドレスであるサキュバスの「グランマ」に話しかける。
「・・・猪名川淳一ね。怪談師の」
ー 「怪談師」猪名川淳一 −
元インダストリアルデザイナーという異色の経歴を持ちながら、ドラマやバラエティでは芸人張りの身体を張ったネタを披露。伝説の「やられ役」として名を馳せた。
またその豊富な人生経験から来る、軽妙でありながらもツボを押さえた怪談はもはや職人芸の域に達している。
だが近年はスランプ気味だった。
原因は「穴」、「外地」の存在だった。
魔物娘の中にはゴーストやゾンビなど、怪談のある意味主役ともいえる存在がある。
「穴」という転移門が開き、魔物娘の存在を受け入れた「日本」では彼らは人を怖がらせる存在ではなくなってしまった。
廃屋を探検しようとしたら住人である「ゴースト」に不法侵入で訴えられたり
小学校の骨格標本がホンモノの「スケルトン」で、夜中に理科準備室を抜け出して意中のショタが使用したリコーダーを舐めまわす、ついでにマ〇コに挿(件のスケルトンは逮捕されました)
高速道路のパーキングエリアでは、ヘルメットを脱ごうとして一緒に首まで抜けてしまったデュラハンが全裸で暴走族を追いかけ回す事件が週一で報道される
こんな世の中じゃ、淳一のような「怪談師」は居場所を失うのは必然だった。
「輪」、「ラブホテル霊」でスターダムにのし上がった彼の友人の一人である仲田監督は元々AV監督であった経歴を生かして、「魔物娘AV」で第一人者になっている。
〜人生を練り直す時期に来ているのかもしれない 〜
彼がこの場所に足を向けたのはその友人である仲田監督からの紹介だ。人魔が集うこの店なら何かを掴むことができるかもしれない。
そう、淡い期待を抱いて。
コトッ
彼の目の前に小ぶりのグラスが置かれる。中は琥珀色のウィスキーと水とが混じり合わず分離して入れられていた。
「ウィスキー・フロートか。頼んでないけど?」
「この店では初めての客には一杯おごることにしているの。友人は教えてくれなかった?」
そう言うと、グランマは淳一に微笑んだ。
「私はいつも言ってるんだ。怪談は怖いだけじゃないんだって。でも皆は怖い話を望んでいる・・・」
そういうとショットグラスの中に注がれたジョニーウォーカー12年を一気に呷る。
「そう。貴方はもう答えを知っているのね」
「へ?」
淳一があっけにとられる。その様子をグランマは楽しそうに見ていた。
「幻の火星人襲来がただのオーソンウェルズのラジオドラマだったように、視線を変えれば怪談も笑話になるわ」
「ああ、その話は知っていますよ。確か、1938年のアメリカで・・・・・」
彼の脳髄。その片隅が震えた。
更にグランマが言の葉を紡ぐ。
「ウィスキー・フロートは言うなれば水割りと同じ。ただ魅せ方が違うだけよ」
その言葉と共に彼の身体を電流のように衝撃が走った。そう、彼は既に苦悩の答えを「知っていた」。それにやっと気づいたのだ。
「そうか・・・!その手があったか!!」
淳一は勢いよくスツールから立ち上がる。そして財布から数枚の札を取り出すとそのままグランマに渡した。
「釣りはいいから。今すぐこの構想を形にしなければ!!!」
そこに数刻前の諦めた表情の淳一はいなかった。
暗い、照明の落とされた舞台
その中央には縁台が置かれ、和服を着た一人の男が座っていた。勝負服に着替えた猪名川淳一だ。
「さて人生には色々な出会いがあります。楽しい出会いに予想もつかない出会い。では彼らの場合はどうだったのでしょう・・・」
徐々に舞台に光が灯され、彼を照らし出した。
「名前はそう、A君ということにしましょうか。このA君は酒屋の倅でウチの事務所の打ち上げをする時は、いつもビールサーバーを持ってきてくれていて、飾らない性格で私も時折お小遣いを渡したりしてたんだ」
「そのA君も大学へ通うことになって物件を探していて、運よく見つかったんだがそこがまぁ古いアパートで。IHヒーターや風呂、エアコンもついて家賃もギリギリ予算内。ただどうしてもひっかかる」
BGMがゆっくりとした、それでいて不安を掻き立てるような旋律へと変わる。
「どうも臭いんだ。何か腐ったような臭いとかじゃなくて、こう・・・言われないとわからないような違和感。そんなものを感じていたんだ。A君は」
「でもこの物件以上の場所は時期的に見つからない。しかたなく入居を決めたわけだ」
「引っ越しの挨拶は重要と父親から聞いていたA君は、引っ越しを終えた後ビールを引っ越しそば代わりに配り挨拶をしていた。その時、一人の住人が気になることを言ったんだ」
「ああ、あの角部屋か。とりあえずビールは開けたままにするなよ」
「え?とA君は聞き直そうとしたが、その住人はそそくさとビールを受け取るとドアを閉めた」
「なんだよ、とA君は思ったがチャイムを鳴らして聞き出すわけにもいかず、他にも挨拶回りが残っていたのでその部屋を後にした」
「腑に落ちない気分で挨拶回りを終え自分の部屋のある階に戻ると、安いLEDライトに照らされて髪の長い女が廊下に立っていた」
「ひゃぁぁっぁぁぁ!」
「思わず声をあげそうになるが、よく見ると足がある。どうも今帰宅したばかりの別の部屋の住人らしかった」
「A君は冷静を装うと女の人に今度越してきたことを伝え、ビールを取り出すとその女の人に渡した。するとその場で缶を開けて一気飲みしたんだ」
「びっくりして面食らったが、たぶん喉が渇いていたんだろうとA君はそのまま自分の部屋に戻った」
再び淳一の姿をライトが照らす。
「さて、皆さん一人暮らしと聞くと何を期待しますか?A君もやはり健全な男子、やっぱりエロビデオを見るわけです」
「とは言ってもそこはアパート。どこで誰かが聞いているかわからない。それなりにセーブしていたわけですが、それですっきりした次の日の朝。例の女の人がどうもよそよそしい」
「イヤホンをしているってのに聞こえるわけがないんだ。どう考えても。それにおかしいことはそれだけじゃない」
「部屋で感じた違和感。それが段々強くなってきている」
暗転し淳一を闇が塗りつぶす。
「意を決して、A君は引っ越しの挨拶で意味深なことを話した住人に会いに行くことにした」
「意外にもその住人は特にA君を追い出すことはなかった」
「その住人が話すにはA君の部屋は角部屋で湿気が溜りやすく、カビやナメクジが出たって住人がころころ変わっていたそうだ」
「だからか。A君が感じた違和感の原因は湿気だとわかって安心したA君は意気揚々と部屋に戻った」
「その日は安心してA君はビールを飲んで寝た。明日の合コンを楽しみにしながら」
「ズズズ・・・ズズズ・・・・」
「暗闇の中で何かを引きずるような音が聞こえてくる」
舞台で淳一が耳を澄ますような仕草をする。
「どうせ隣の部屋で何かをしているんだろう。そう思ってA君はふとんを被った」
「いや、まてよ」
「これって・・・・。あまりにも音が近いんだ」
「ズズズ・・・ズズズ・・・・」
「音が近づいてくる。段々、段々と」
BGMも徐々に大きくなってくる。
「A君の寝ている布団に近づいてくる。意を決したA君は布団をはねのけ入り口に向かう!」
「だが、足が何かに滑りその場に転んでしまった」
「ゆっくりと布団がずり落ち、そこには・・・・」
フラッシュが走り、舞台上に恐ろしげな影が浮かびあがった。
「ひゃぁぁっぁぁぁ!」
舞台は暗転し、観客も悲鳴をあげた。
テーテッテテーーーー!
軽快なBGMがなり、舞台全体が光に照らされた。
「さて皆さまお楽しみになられたでしょうか?」
いつの間にか着替えたのだろう。淳一が往年のお笑い芸人のような衣装で現れる。
「紹介が遅れました。A君こと有明君とその妻のおおなめくじの徳子さんです」
紹介を受けた二人が頬を赤くしながら舞台袖から現れる。
そう。
淳一が考えた方法とは人魔カップルの出会いをホラー仕立てに紹介し、その後本人達が登場し二人の結婚や性生活などを語るトークショーを開催することだった。
彼は怪談師と呼ばれる前はバラエティ番組の司会もしていたので、その経験も存分に生かすことができた。
とはいえ、いくら人間に好意的な魔物娘でも自分と伴侶との出会いを怪談風味にアレンジされたら人間的な感覚では怒るだろうと思うが、しかし魔物娘の中には自分が人間よりも強い存在であることを誇りにする者や、愛する伴侶との生活を自慢したいという本能がある。
この新しい形のトークショーはその要求を満たすにはうってつけだった。
「実は有明さんと初めてあったあの日、疲れすぎてカラカラに乾きそうだったんです。その時によく冷えたビールをくれて・・・」
徳子と呼ばれたおおなめくじが顔を伏せる。
「つまりは有明君の優しさにころりといっちゃったわけだ」
頬を赤く染めながら頷く。
「私はおおなめくじだし、やっぱりデビルバグ並みに嫌われるかもって思うとなかなか言い出せなくて。でも、あの日週末に合コンがあると聞いてしまい居ても立ってもいられなくなって・・・」
「で、醤油一瓶飲んで縮小化して天井から侵入したと。健気なコだね有明君」
「最初は怖かったのだけど、やっぱり一途に愛してくれるとかわいく見えて・・・」
「そのままゴールインしたわけか」
「はい・・・」
今度は有明君が頬を染める番だ。
「さて、はたから見ると怪談にしか見えない彼らの出会い。確かに魔物娘のおかげで不可思議なこともそれなりに理解できるようになりました。でも・・・・」
舞台の照明が落とされる。
「果たしてこの世界から不可思議なことは本当になくなったのでしょうか?これは私が検査でとある病院に入院していた時にナースから聞いた話です」
「さて、検査のために入院していても退屈になるわけだ。テレビも面白くないし。そうなると、時折ナース相手に怪談をすることがあるんだ」
「そりゃまぁ、私も男だから若いナースがキャーキャー言って喜ばないわけがない。そうやって騒いでいると年嵩の婦長がやってくるわけだ」
「でもその婦長は怒るようなことはしなかったね。でもやはり立場ってものもあるわけだ」
「怒るわけでもなく、静かにこう言ったんだ。Bさん、確か明日の夜勤だったよね。じゃあ聞きなさい・・・って」
「その婦長がまだペーペーの新人だった頃の話だ。有料個室、所謂VIPルームに一人の老婆が入院していた」
「こいつはまたわがままで入院のルールは守らないわ、暴言は言うわ他のナース達から嫌われていたんだ」
「特に昼だろうが部屋のデスクライトを点けっぱなしにするのは参った」
「理由を尋ねても黒い人がいるからとしか言わない。斑痴呆があったので特に気にされなかった」
「VIPルームだしあんまり強くは言えない。消灯前にやんわりとライトを消すように言った後勤務に戻った」
「巡回時、そのおばあちゃんの部屋が珍しく消灯していた」
「そっとドアを開けて見るとおばあちゃんも寝息を立ててベットに横になっている」
「珍しいこともあるもんだと思って婦長はナースステーションに戻った。でも翌朝」
「おばあちゃんが息を引き取っていた」
「老人の突然死なんて病院じゃありふれたもの。でもどうしても腑に落ちないことがある」
「それはあのライトが点いたままだったこと」
「ドクターの検死でおばあちゃんが亡くなったのは深夜の巡回の後。どう考えてもおばあちゃんが再びランプを点けられるはずがない」
「おい待てよ。なんで消灯されているのにおばあちゃんが寝てるってわかったんだ?」
「あれは寝息じゃなくて呻き声だったんじゃ・・・。あんな小さなデスクライト、前に人が立っていたら光は隠される・・・。まさか!」
「おばあちゃん、あの時とうとう黒い人に会っちゃったんですね」
「じゃあ、Bさん当直がんばってねとその婦長さんはナースステーションに戻っていきした」
「魔物娘でも幽霊でもない黒い人、皆さんどう思いますか?」
淳一の静かな語りとともに舞台は闇に包まれた。
20/08/23 20:09更新 / 法螺男