彰 イン ワンダーランド ― 最悪の日 ―
ジュゥゥゥゥゥ
使い込んだフライパンの上でバターが溶け、食欲を促す芳香が広がる。
それを焦がさないように注意しながら、耳を切り落とした食パンを置いていく。
食パンが程よくきつね色になると若葉は手早くそれを白い磁器の食器に乗せ、食卓へと運ぶ。
「お待たせ彰くん!」
「ありがとう若葉」
普段はトースターで簡単に済ませるところだが、今日は二人にとって特別な日だ。多少は手間がかかってもいい。
「美味しかったよ若葉」
少々手間のかかった朝食をとり彰は若葉を労う。
「うん。今日は特別な日だから頑張っちゃった」
食器を洗うために席を立った若葉を彰は優しく抱きしめた。ホルスタウロス特有の柔らかな感触が彼を優しく包み込む。
〜 若葉・・・! 〜
つい彼女をその場に押し倒したくなる。
彼らは既に夫婦であり、誰に断ることはなくこの場で「営み」を行っても問題はない。
とはいえ今日という一日をなし崩し的に性欲に塗れた一日にはしたくはない。
ひとまず彰は落ち着くためにテーブルに置かれていたミルクティーを一気に飲み干した。
ちなみに彰はどちらかと言えばコーヒー派ではあるが、何もコーヒー以外飲まないワケではないし紅茶も良く飲む。
「このミルクティー美味しい・・・」
彰がそう、呟いた。
その瞬間若葉の目が大きく開かれる。
「彰くん・・・・私、ミルクティーなんて用意してないよ・・・」
「え?!」
ぼふん!
― 嗚呼、やはり二人にとって「特別な一日」でも厄災の女神は彼らに微笑んだようだ ―
「キャァァァァ!!彰くんが!彰くんがァァァ!!!」
若葉が叫ぶ。
そう、今彼女にできることは叫ぶしかなかった。
「若葉、一体・・・・」
彰が自らの身体を触る。慎ましやかな胸、ボーダー柄のニーソ―、それはまるで・・・・。
「な、何でロリになってるのぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
そこには水色のエプロンドレスを着て女体化した彰が立っていたのだ。
往々にして人間という生き物は、脳が受け入れられる以上の情報をインプットされるとかえって冷静になるものだ。
しかしそれは当人の場合である。
「あ、彰くん可愛い!!!可愛いいぃぃぃぃ!!!早速、魔界銀製のぺ二バンを・・・・!」
― 若葉はこんらんしている ―
彼女の精神に大ダメージを与えてしまったのだろう。
口から涎を、そして鼻からは鮮血を垂らしながら彰に迫る若葉。完ッ全に変質者である。変な態度と書いて「変態」である。
「ヒッ!」
彰は若葉を愛している。それは変わらない。
だが、状態異常の若葉と一緒にいる勇気はなかった。
ゆっくり。
ゆっくりとその場を離れる。
「!」
「おやおや朝食に間に合わなかったかな?」
リビングには若葉と彰、そしてもう一人「いた」。
浅黄色のシルクハットに燕尾服。精緻な装飾の施されたジャケットからは豊満な乳房が彼が「彼女」であることを如実に語っていた。そう、テーブルについて優雅な手つきで紅茶をたしなむその人物はいわゆる「男装の麗人」だった。
その姿を目にした若葉は瞬時に状態異常状態から回復する。
「彰くん・・・離れて・・・そいつは!」
若葉から発せられた声に従い、その人物から距離をとる。
「ソイツとは酷いな〜〜。昔馴染みにむかってさ」
しかしながら麗人は意に介さず仰々しく、舞台俳優のような身振りをする。
「こう見ても結婚記念日のプレゼントを持ってきたというのに、ね」
「そう。ならそのままどっかに消えてくれない?渾身の頭突きを喰らいたくなければね」
チャッ!
若葉が魔界銀製の付け角を装着する。
「貴方は一体?」
事情の飲み込めない彰が恐る恐る問いかけた。
「これは然り。私はマッドハッターのフリスビー三世。以後お見知りおきを」
― マッドハッター ―
「異界」である「不思議の国」。そこに生息するマタンゴの変種である。
強大な魔力を保有するリリムである「ハートの女王」が、伴侶との交わりに夢中なマタンゴを「無視」されたと勘違いして魔法を放ち変異したとも、正気のマタンゴを見たいと魔物特有の我儘さで無理矢理変異させたとも言われている。
前述のとおり、マッドハッターは原種であるマタンゴと比べると話は通じるし、その博識さには舌を巻くだろう。だが、その本質はマタンゴと変わらずその思考は淫らに澱み、気がつけばマッドハッターの伴侶にされてしまう。
「彰くん、カビキラーを」
冷静に冷酷に死刑宣告をする若葉。
マッドハッターにカビキラーは効くのだろうか?、彰がそう思った瞬間だ。
「カビキラーはよしてくれ。それは私に効く。そんな事をしなくても消えるさ」
「え?!」
突如として空いた穴に彰が飲み込まれる。ひらめく水色のスカートの中身は「白パン」である。
「貴様!」
若葉が地面を蹴って間合いを詰めようとするが。
「!」
あえなく若葉も地面に飲み込まれてしまう。
「私からのプレゼントは不思議の国への招待さ」
フリスビー三世と名乗ったマッドハッターをそう呟くと笑みを浮かべた。
― 「不思議の国」 ―
高位の魔物は自らの魔力を持って「異界」を生成できるが、「不思議の国」は現魔王に連なるリリムが「ハートの女王」として統治する「異界」の一つである。
発狂しないマタンゴである「マッドハッター」や、常に発情している「ジャブジャブ」と生まれながらに発情している「ハンプティエッグ」。
どれも通常の魔界では見ない不可思議な生態を持つ魔物娘達だ。
「不思議の国」の特異性は何もそこに住まう魔物娘だけではない。不思議の国へは通常の方法で至ることはできない。不思議の国へは通常は「選ばれる」ことでしか行けないのだ。
故に、魔界や魔物を研究する学者や錬金術師たちにとって不思議の国は宝の山である。
・・・・人界に戻ることができれば。
「ここは・・・・?」
彰が身を起こすとそこは極彩色の植物が生い茂る森の中だった。
傍らを見るがそこに若葉はいない。
若葉の話しぶりからすると、あのフリスビー三世と名乗ったマッドハッターは若葉と顔見知りらしい。とはいえ若葉とのやり取りを見る限りではそんなにも良好な関係ではなかったようだが。
変化の後直ぐに異界送りにされてしまったのでチェックしていなかったが、どうやら「中」まで彰は完全に変わってしまっているようだ。
これには彰は安堵した。
なぜなら人界から隔絶した「不思議の国」では伴侶のいない男性の存在は非常に貴重だ。
もし彰が「ロリ」に変化していなければ「不思議の国」に生息する未婚の全住人に追われつつ若葉を探す羽目になっていたところだ。
「逃走中」なんて可愛いレベルではない。
その時だった。
「にゃはは〜〜〜!」
不意に笑い声が木霊する。
彰が振り向くと、何もない空間にニタニタといやらしい笑みを浮かべた口が浮かんでいた。
「!」
彰が「皐月流」の構えをとる。「皐月流」とは彰の実家に代々伝わる古武術であり、かつては「殺鬼流」と呼ばれていた。特徴は相手の力をいなし、その勢いに自らの力を添える「カウンター」技に重きを置いている。そのため単純な力では劣る人間でも魔物娘を手玉にとることも可能だ。その構えをとるという事は「当方に迎撃の準備あり」、すなわち彰が戦闘態勢に入ったことを表す。
「困るにゃ〜〜、にゃーはあくまで案内係なのにゃ。戦闘要員ではないにゃ」
再び声が響くと空間がぐにゃりと、まるで水飴のように歪みそれはゆっくりと人型をとった。
「自己紹介するにゃ。にゃーはチェシャ猫のチェザーレにゃ。よろしくお願いするにゃ」
イタリアのコメディア・デッラルテのストックキャラクターであるアルレッキーノのような、随所に菱形の意匠が盛り込まれた紫のドレスを着たワーキャットが立っていた。
― チェシャ猫 ―
ワーキャットは基本的に無邪気で享楽的だ。そこを「ハートの女王」が気に入り、特別に「眷属」としての力を与えられた存在で不思議の国に生息する固有種である。
「来訪者」をからかい、ちょっかいを出して楽しむのが「仕事」であり「来訪者」に不思議の国を案内するのは「趣味」であるとも言われている。
単純に害意や悪意がなく、ただただニタニタとした笑みを浮かべる彼女に闘争心を削がれるが、彰は構えを崩さない。
「だから困るにゃー。折角ネズミ―ランド以上のテーマパーク、ザ・不思議の国に来たのなら楽しむのが一番にゃ」
「申しわけないが悪ふざけに付き合えるほど僕は大人じゃない」
「にゃーはあくまでただの案内係にゃ。おみゃーの名前は彰でいいにゃ?」
「・・・・・」
素直に名前を明かすべきか、彰は逡巡する。古来より他者に名前を明かすことは呪術的な障壁を失うことに繋がる。ましてやここは理の通じない異界である「不思議の国」。科学の光が打ち消した迷信の闇も異界では力を取り戻す。どのようなトラップがあるかわからない。
だが、彰にわかることはあのマッドハッターが「フリスビー三世」というふざけた名前であることくらいしかわからなかった。
「僕が彰だ。若葉は何処だ?」
「若葉?ああ、おみゃーの尋ね人はここから少し離れた場所にいるはずにゃ。心配しないでもすぐ来るにゃ」
「じゃ。ありがと」
彰はそう言うと踵を返しその場から離れようとする、が。チェザーレに掴まれる。
ガシッ!
「ちょっとちょっと待つにゃ!おみゃ―に届け物があるにゃ!」
「届け物?」
彰が訝し気にチェザーレを見る。
「ほ、ほら、RPGでも初期装備というものがあるにゃ!だから受け取って欲しいにゃ!」
チェザーレが虚空を掴むとその手にはやたらとファンシーな包みが握られていた。
「これがお届け物にゃ」
「!」
彰が素早く確認すると送り主には二人を不思議の国に引きずり込んだ「フリスビー三世」とあった。
「このフリスビー三世とは一体?」
「あ?、フリスビー三世はマッドハッターなのにゃ。城勤めなのでにゃーもよく見かけるにゃ」
「城勤め?」
「そうにゃ。いくらスーパーフリーダムな不思議の国でもそれなりに治安を維持しなければいけないにゃ。だからフリスビー三世はその治安維持を受け持っているにゃ」
この不思議の国に有無の言わさず彰たちを引き込むくらいだ。城勤めなら頷ける。
高位の魔物であるのならそれなりに対策が必要となる。今手にあるのは若葉と揃いで作ったナックルダスターに変形させられる魔界銀製の指輪だけだ。衣服が変化してもこの指輪が残っていたのは僥倖だった。
辺りに麝香にも似た匂いが漂う。
〜 発情した魔物の匂い! 〜
咄嗟に身を翻す。
ガサッ
じゅぷじゅぷ?
じゅぷ・・・・
じゅぷじゅぷ!
〜 なんで水音で会話してるんだよ! 〜
と、思わず心の中で突っ込みを入れる彰。
闇の奥から現れたモノ。ピンク色の羽毛に覆われたハーピー種で、その表情は上気し歩くごとにポタリポタリと濃厚な蜜を滴らせていた。彼女もまた不思議の国の固有種であり「ジャブジャブ」と呼ばれている。それも一人二人ではない。六人ほどのジャブジャブが列をなして現れた。
彰は身構えるが、そのジャブジャブ達は良く見ると神輿のようなものを担いでいた。
「?」
その神輿の上には・・・・。
「わ、若葉?!」
そう彰の妻である「若葉響」が神輿の上の玉座に座っていたのだ。
「あ、彰くん」
こうして彰と愛する伴侶との出会いは不思議の国らしい、不条理に満ちたものになったのだ。
「いや〜無事でよかったぁ〜〜〜」
若葉は神輿を降りると彰を抱きしめた。
「若葉、状況がつかめないんだけど・・・・」
「それはね・・・・」
「チクショォォォォォォォ!!!」
若葉が飛ばされたのは不思議の国の森の中だった。隣に愛する彰はなく若葉は怒り心頭だ。
そもそも今日は二人の結婚記念日であり、二人でゆっくりと愛する予定だったのだ。
「あのクソキノコめぇ!捕まえたら焼き土下座に処してやる!!!」
激情のままに叫び怒り狂う若葉。
彼女は忘れていた。ここが「不思議の国」であることを・・・・。
「グフフ・・・」
ガサッ
「!」
若葉が異様な気配に振り向く。
「アハァ!獲物みっけ!」
― ジャブジャブ ―
不思議の国特有種のハーピーだ。記録によると、発情期になるまで男性を襲おうとしなかった奥手なハーピーに痺れを切らした「ハートの女王」が例の如く魔法をかけ変異させた存在だ。
特に男性の精に敏感であり、不思議の国に人間の男性が訪れた場合真っ先に騒ぎ始めるのがジャブジャブであるとされる。
ちなみに「ジャブジャブ」という名前は常に発情していて、そのヴァギナから滴り落ちる愛液の水音から名付けられたとする説もある。
「ねぇわたしと〜アソビましょ〜〜〜?」
そのジャブジャブは淫欲を纏った瞳で若葉を見る。
基本的に魔物娘に「同性愛」は存在しない。魔物娘はあくまで人間の男性と愛し合うことが「本能」として刻まれているのだ
しかし、魔物の中には「デビルバグ」、「リリラウネ」などその生態として「同性」との交わりを行うことがある。
もっとも、これらの種族における同性との交わりは、あくまで伴侶を持たない身体を持て余した魔物が耽る「自慰」のようなものであるといえる。
「アハァ〜、わたし〜〜オマンコがうずうずしているの〜〜ねぇ〜〜」
常に発情しているジャブジャブが「自慰」の相手に若葉を誘っているのだ。
「・・・・そうね。確かにスッキリしたいよね?あなたもスッキリ、したいよね?」
「そうそう〜〜」
若葉がジャブジャブ鳥に笑顔を向ける。
・・・「笑顔」とは攻撃的なものだ。餓えた獣が獲物に牙をむく時、それは「笑顔」にも似た表情を浮かべる。
「さぁ・・・・アソビましょ?」
結婚記念日を台無しにされた若葉を誘ったのが彼女の過ちであった。
「それでボコったらジャブジャブの群れが攻めてきて、ついでにボコッて」
怖ろしくヴァイオレントな武勇談を語る若葉。
彼女は日本において「第一世代」にあたる人間から転化した魔物娘だ。幼い頃よりいわれなき悪意や害意に曝されそれを自力で「解決」してきた。
若葉が卓越した戦闘技術を持っていることは彰は知っている。魔物娘は人を傷つけず同じ魔物娘も傷つけることはない。
しかし彼女達は武力を放棄しているわけではないのだ。
チェザーレと名乗ったチェシャ猫から包みを受け取ると、彰はその封印を開いた。
中にはやたらとカラフルな得体のしれない液体を入れた瓶とぬいぐるみが入っていた。ぬいぐるみはフリスビー三世と名乗ったあのマッドハッターにそっくりだった。
ギギギ・・・・
「ねぇ、彰くん。たしかライターを持っていたよね?」
内に秘めた怒りを押し殺し、油の切れたからくり人形のように振り向く若葉。あまりの迫力に彰はすぐさま愛用のイムコ・トリプレックスを取り出すと若葉に渡す。
若葉は静かに彰からライターを受け取ると・・・・。
「情け無用!ファイヤー!」
躊躇わずにぬいぐるみを燃やした。
『アチッアチチチ!!!』
ぬいぐるみは若葉の手から抜け出すと、炎を消そうと悲鳴をあげながらその場をのたうち回る。
『酷いな〜、話も聞かずに燃やすなんて』
どうにか火を消したぬいぐるみがその場に立つ。もっとも火あぶりを警戒しているのだろう、直ぐに逃げられるように彼らから距離をとっている。
「はぁ?現在進行形で一年に一度の結婚記念日を邪魔されてるんですけど!」
『だから私もプレゼントを・・・・』
「そう・・・・ギルティ!!!」
ライターを手に動き回るぬいぐるみを追いかけまわす若葉。その姿鬼の如し。
『プ、プレゼントはお城の中にあるし、ポータルも・・・・』
「・・・・・・」
ボォォォォォ・・・・
無言でぬいぐるみにライターを近づける若葉。
「流石にそれはやり過ぎじゃ・・・・・」
『そうだよ!私を火あぶりにしたら城まで行けないよ!』
彰を盾にぬいぐるみが叫ぶ。
「そうね・・・・そうよね?うふふ。本物の方が・・・・うふ、うふふ」
若葉を怒らすと危険が危ない、そう心に刻む彰であった。
使い込んだフライパンの上でバターが溶け、食欲を促す芳香が広がる。
それを焦がさないように注意しながら、耳を切り落とした食パンを置いていく。
食パンが程よくきつね色になると若葉は手早くそれを白い磁器の食器に乗せ、食卓へと運ぶ。
「お待たせ彰くん!」
「ありがとう若葉」
普段はトースターで簡単に済ませるところだが、今日は二人にとって特別な日だ。多少は手間がかかってもいい。
「美味しかったよ若葉」
少々手間のかかった朝食をとり彰は若葉を労う。
「うん。今日は特別な日だから頑張っちゃった」
食器を洗うために席を立った若葉を彰は優しく抱きしめた。ホルスタウロス特有の柔らかな感触が彼を優しく包み込む。
〜 若葉・・・! 〜
つい彼女をその場に押し倒したくなる。
彼らは既に夫婦であり、誰に断ることはなくこの場で「営み」を行っても問題はない。
とはいえ今日という一日をなし崩し的に性欲に塗れた一日にはしたくはない。
ひとまず彰は落ち着くためにテーブルに置かれていたミルクティーを一気に飲み干した。
ちなみに彰はどちらかと言えばコーヒー派ではあるが、何もコーヒー以外飲まないワケではないし紅茶も良く飲む。
「このミルクティー美味しい・・・」
彰がそう、呟いた。
その瞬間若葉の目が大きく開かれる。
「彰くん・・・・私、ミルクティーなんて用意してないよ・・・」
「え?!」
ぼふん!
― 嗚呼、やはり二人にとって「特別な一日」でも厄災の女神は彼らに微笑んだようだ ―
「キャァァァァ!!彰くんが!彰くんがァァァ!!!」
若葉が叫ぶ。
そう、今彼女にできることは叫ぶしかなかった。
「若葉、一体・・・・」
彰が自らの身体を触る。慎ましやかな胸、ボーダー柄のニーソ―、それはまるで・・・・。
「な、何でロリになってるのぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
そこには水色のエプロンドレスを着て女体化した彰が立っていたのだ。
往々にして人間という生き物は、脳が受け入れられる以上の情報をインプットされるとかえって冷静になるものだ。
しかしそれは当人の場合である。
「あ、彰くん可愛い!!!可愛いいぃぃぃぃ!!!早速、魔界銀製のぺ二バンを・・・・!」
― 若葉はこんらんしている ―
彼女の精神に大ダメージを与えてしまったのだろう。
口から涎を、そして鼻からは鮮血を垂らしながら彰に迫る若葉。完ッ全に変質者である。変な態度と書いて「変態」である。
「ヒッ!」
彰は若葉を愛している。それは変わらない。
だが、状態異常の若葉と一緒にいる勇気はなかった。
ゆっくり。
ゆっくりとその場を離れる。
「!」
「おやおや朝食に間に合わなかったかな?」
リビングには若葉と彰、そしてもう一人「いた」。
浅黄色のシルクハットに燕尾服。精緻な装飾の施されたジャケットからは豊満な乳房が彼が「彼女」であることを如実に語っていた。そう、テーブルについて優雅な手つきで紅茶をたしなむその人物はいわゆる「男装の麗人」だった。
その姿を目にした若葉は瞬時に状態異常状態から回復する。
「彰くん・・・離れて・・・そいつは!」
若葉から発せられた声に従い、その人物から距離をとる。
「ソイツとは酷いな〜〜。昔馴染みにむかってさ」
しかしながら麗人は意に介さず仰々しく、舞台俳優のような身振りをする。
「こう見ても結婚記念日のプレゼントを持ってきたというのに、ね」
「そう。ならそのままどっかに消えてくれない?渾身の頭突きを喰らいたくなければね」
チャッ!
若葉が魔界銀製の付け角を装着する。
「貴方は一体?」
事情の飲み込めない彰が恐る恐る問いかけた。
「これは然り。私はマッドハッターのフリスビー三世。以後お見知りおきを」
― マッドハッター ―
「異界」である「不思議の国」。そこに生息するマタンゴの変種である。
強大な魔力を保有するリリムである「ハートの女王」が、伴侶との交わりに夢中なマタンゴを「無視」されたと勘違いして魔法を放ち変異したとも、正気のマタンゴを見たいと魔物特有の我儘さで無理矢理変異させたとも言われている。
前述のとおり、マッドハッターは原種であるマタンゴと比べると話は通じるし、その博識さには舌を巻くだろう。だが、その本質はマタンゴと変わらずその思考は淫らに澱み、気がつけばマッドハッターの伴侶にされてしまう。
「彰くん、カビキラーを」
冷静に冷酷に死刑宣告をする若葉。
マッドハッターにカビキラーは効くのだろうか?、彰がそう思った瞬間だ。
「カビキラーはよしてくれ。それは私に効く。そんな事をしなくても消えるさ」
「え?!」
突如として空いた穴に彰が飲み込まれる。ひらめく水色のスカートの中身は「白パン」である。
「貴様!」
若葉が地面を蹴って間合いを詰めようとするが。
「!」
あえなく若葉も地面に飲み込まれてしまう。
「私からのプレゼントは不思議の国への招待さ」
フリスビー三世と名乗ったマッドハッターをそう呟くと笑みを浮かべた。
― 「不思議の国」 ―
高位の魔物は自らの魔力を持って「異界」を生成できるが、「不思議の国」は現魔王に連なるリリムが「ハートの女王」として統治する「異界」の一つである。
発狂しないマタンゴである「マッドハッター」や、常に発情している「ジャブジャブ」と生まれながらに発情している「ハンプティエッグ」。
どれも通常の魔界では見ない不可思議な生態を持つ魔物娘達だ。
「不思議の国」の特異性は何もそこに住まう魔物娘だけではない。不思議の国へは通常の方法で至ることはできない。不思議の国へは通常は「選ばれる」ことでしか行けないのだ。
故に、魔界や魔物を研究する学者や錬金術師たちにとって不思議の国は宝の山である。
・・・・人界に戻ることができれば。
「ここは・・・・?」
彰が身を起こすとそこは極彩色の植物が生い茂る森の中だった。
傍らを見るがそこに若葉はいない。
若葉の話しぶりからすると、あのフリスビー三世と名乗ったマッドハッターは若葉と顔見知りらしい。とはいえ若葉とのやり取りを見る限りではそんなにも良好な関係ではなかったようだが。
変化の後直ぐに異界送りにされてしまったのでチェックしていなかったが、どうやら「中」まで彰は完全に変わってしまっているようだ。
これには彰は安堵した。
なぜなら人界から隔絶した「不思議の国」では伴侶のいない男性の存在は非常に貴重だ。
もし彰が「ロリ」に変化していなければ「不思議の国」に生息する未婚の全住人に追われつつ若葉を探す羽目になっていたところだ。
「逃走中」なんて可愛いレベルではない。
その時だった。
「にゃはは〜〜〜!」
不意に笑い声が木霊する。
彰が振り向くと、何もない空間にニタニタといやらしい笑みを浮かべた口が浮かんでいた。
「!」
彰が「皐月流」の構えをとる。「皐月流」とは彰の実家に代々伝わる古武術であり、かつては「殺鬼流」と呼ばれていた。特徴は相手の力をいなし、その勢いに自らの力を添える「カウンター」技に重きを置いている。そのため単純な力では劣る人間でも魔物娘を手玉にとることも可能だ。その構えをとるという事は「当方に迎撃の準備あり」、すなわち彰が戦闘態勢に入ったことを表す。
「困るにゃ〜〜、にゃーはあくまで案内係なのにゃ。戦闘要員ではないにゃ」
再び声が響くと空間がぐにゃりと、まるで水飴のように歪みそれはゆっくりと人型をとった。
「自己紹介するにゃ。にゃーはチェシャ猫のチェザーレにゃ。よろしくお願いするにゃ」
イタリアのコメディア・デッラルテのストックキャラクターであるアルレッキーノのような、随所に菱形の意匠が盛り込まれた紫のドレスを着たワーキャットが立っていた。
― チェシャ猫 ―
ワーキャットは基本的に無邪気で享楽的だ。そこを「ハートの女王」が気に入り、特別に「眷属」としての力を与えられた存在で不思議の国に生息する固有種である。
「来訪者」をからかい、ちょっかいを出して楽しむのが「仕事」であり「来訪者」に不思議の国を案内するのは「趣味」であるとも言われている。
単純に害意や悪意がなく、ただただニタニタとした笑みを浮かべる彼女に闘争心を削がれるが、彰は構えを崩さない。
「だから困るにゃー。折角ネズミ―ランド以上のテーマパーク、ザ・不思議の国に来たのなら楽しむのが一番にゃ」
「申しわけないが悪ふざけに付き合えるほど僕は大人じゃない」
「にゃーはあくまでただの案内係にゃ。おみゃーの名前は彰でいいにゃ?」
「・・・・・」
素直に名前を明かすべきか、彰は逡巡する。古来より他者に名前を明かすことは呪術的な障壁を失うことに繋がる。ましてやここは理の通じない異界である「不思議の国」。科学の光が打ち消した迷信の闇も異界では力を取り戻す。どのようなトラップがあるかわからない。
だが、彰にわかることはあのマッドハッターが「フリスビー三世」というふざけた名前であることくらいしかわからなかった。
「僕が彰だ。若葉は何処だ?」
「若葉?ああ、おみゃーの尋ね人はここから少し離れた場所にいるはずにゃ。心配しないでもすぐ来るにゃ」
「じゃ。ありがと」
彰はそう言うと踵を返しその場から離れようとする、が。チェザーレに掴まれる。
ガシッ!
「ちょっとちょっと待つにゃ!おみゃ―に届け物があるにゃ!」
「届け物?」
彰が訝し気にチェザーレを見る。
「ほ、ほら、RPGでも初期装備というものがあるにゃ!だから受け取って欲しいにゃ!」
チェザーレが虚空を掴むとその手にはやたらとファンシーな包みが握られていた。
「これがお届け物にゃ」
「!」
彰が素早く確認すると送り主には二人を不思議の国に引きずり込んだ「フリスビー三世」とあった。
「このフリスビー三世とは一体?」
「あ?、フリスビー三世はマッドハッターなのにゃ。城勤めなのでにゃーもよく見かけるにゃ」
「城勤め?」
「そうにゃ。いくらスーパーフリーダムな不思議の国でもそれなりに治安を維持しなければいけないにゃ。だからフリスビー三世はその治安維持を受け持っているにゃ」
この不思議の国に有無の言わさず彰たちを引き込むくらいだ。城勤めなら頷ける。
高位の魔物であるのならそれなりに対策が必要となる。今手にあるのは若葉と揃いで作ったナックルダスターに変形させられる魔界銀製の指輪だけだ。衣服が変化してもこの指輪が残っていたのは僥倖だった。
辺りに麝香にも似た匂いが漂う。
〜 発情した魔物の匂い! 〜
咄嗟に身を翻す。
ガサッ
じゅぷじゅぷ?
じゅぷ・・・・
じゅぷじゅぷ!
〜 なんで水音で会話してるんだよ! 〜
と、思わず心の中で突っ込みを入れる彰。
闇の奥から現れたモノ。ピンク色の羽毛に覆われたハーピー種で、その表情は上気し歩くごとにポタリポタリと濃厚な蜜を滴らせていた。彼女もまた不思議の国の固有種であり「ジャブジャブ」と呼ばれている。それも一人二人ではない。六人ほどのジャブジャブが列をなして現れた。
彰は身構えるが、そのジャブジャブ達は良く見ると神輿のようなものを担いでいた。
「?」
その神輿の上には・・・・。
「わ、若葉?!」
そう彰の妻である「若葉響」が神輿の上の玉座に座っていたのだ。
「あ、彰くん」
こうして彰と愛する伴侶との出会いは不思議の国らしい、不条理に満ちたものになったのだ。
「いや〜無事でよかったぁ〜〜〜」
若葉は神輿を降りると彰を抱きしめた。
「若葉、状況がつかめないんだけど・・・・」
「それはね・・・・」
「チクショォォォォォォォ!!!」
若葉が飛ばされたのは不思議の国の森の中だった。隣に愛する彰はなく若葉は怒り心頭だ。
そもそも今日は二人の結婚記念日であり、二人でゆっくりと愛する予定だったのだ。
「あのクソキノコめぇ!捕まえたら焼き土下座に処してやる!!!」
激情のままに叫び怒り狂う若葉。
彼女は忘れていた。ここが「不思議の国」であることを・・・・。
「グフフ・・・」
ガサッ
「!」
若葉が異様な気配に振り向く。
「アハァ!獲物みっけ!」
― ジャブジャブ ―
不思議の国特有種のハーピーだ。記録によると、発情期になるまで男性を襲おうとしなかった奥手なハーピーに痺れを切らした「ハートの女王」が例の如く魔法をかけ変異させた存在だ。
特に男性の精に敏感であり、不思議の国に人間の男性が訪れた場合真っ先に騒ぎ始めるのがジャブジャブであるとされる。
ちなみに「ジャブジャブ」という名前は常に発情していて、そのヴァギナから滴り落ちる愛液の水音から名付けられたとする説もある。
「ねぇわたしと〜アソビましょ〜〜〜?」
そのジャブジャブは淫欲を纏った瞳で若葉を見る。
基本的に魔物娘に「同性愛」は存在しない。魔物娘はあくまで人間の男性と愛し合うことが「本能」として刻まれているのだ
しかし、魔物の中には「デビルバグ」、「リリラウネ」などその生態として「同性」との交わりを行うことがある。
もっとも、これらの種族における同性との交わりは、あくまで伴侶を持たない身体を持て余した魔物が耽る「自慰」のようなものであるといえる。
「アハァ〜、わたし〜〜オマンコがうずうずしているの〜〜ねぇ〜〜」
常に発情しているジャブジャブが「自慰」の相手に若葉を誘っているのだ。
「・・・・そうね。確かにスッキリしたいよね?あなたもスッキリ、したいよね?」
「そうそう〜〜」
若葉がジャブジャブ鳥に笑顔を向ける。
・・・「笑顔」とは攻撃的なものだ。餓えた獣が獲物に牙をむく時、それは「笑顔」にも似た表情を浮かべる。
「さぁ・・・・アソビましょ?」
結婚記念日を台無しにされた若葉を誘ったのが彼女の過ちであった。
「それでボコったらジャブジャブの群れが攻めてきて、ついでにボコッて」
怖ろしくヴァイオレントな武勇談を語る若葉。
彼女は日本において「第一世代」にあたる人間から転化した魔物娘だ。幼い頃よりいわれなき悪意や害意に曝されそれを自力で「解決」してきた。
若葉が卓越した戦闘技術を持っていることは彰は知っている。魔物娘は人を傷つけず同じ魔物娘も傷つけることはない。
しかし彼女達は武力を放棄しているわけではないのだ。
チェザーレと名乗ったチェシャ猫から包みを受け取ると、彰はその封印を開いた。
中にはやたらとカラフルな得体のしれない液体を入れた瓶とぬいぐるみが入っていた。ぬいぐるみはフリスビー三世と名乗ったあのマッドハッターにそっくりだった。
ギギギ・・・・
「ねぇ、彰くん。たしかライターを持っていたよね?」
内に秘めた怒りを押し殺し、油の切れたからくり人形のように振り向く若葉。あまりの迫力に彰はすぐさま愛用のイムコ・トリプレックスを取り出すと若葉に渡す。
若葉は静かに彰からライターを受け取ると・・・・。
「情け無用!ファイヤー!」
躊躇わずにぬいぐるみを燃やした。
『アチッアチチチ!!!』
ぬいぐるみは若葉の手から抜け出すと、炎を消そうと悲鳴をあげながらその場をのたうち回る。
『酷いな〜、話も聞かずに燃やすなんて』
どうにか火を消したぬいぐるみがその場に立つ。もっとも火あぶりを警戒しているのだろう、直ぐに逃げられるように彼らから距離をとっている。
「はぁ?現在進行形で一年に一度の結婚記念日を邪魔されてるんですけど!」
『だから私もプレゼントを・・・・』
「そう・・・・ギルティ!!!」
ライターを手に動き回るぬいぐるみを追いかけまわす若葉。その姿鬼の如し。
『プ、プレゼントはお城の中にあるし、ポータルも・・・・』
「・・・・・・」
ボォォォォォ・・・・
無言でぬいぐるみにライターを近づける若葉。
「流石にそれはやり過ぎじゃ・・・・・」
『そうだよ!私を火あぶりにしたら城まで行けないよ!』
彰を盾にぬいぐるみが叫ぶ。
「そうね・・・・そうよね?うふふ。本物の方が・・・・うふ、うふふ」
若葉を怒らすと危険が危ない、そう心に刻む彰であった。
20/06/22 20:50更新 / 法螺男
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