「学園」が生まれた日 ― 蟷螂の斧 ―
魔王が勇者と共に手を取り「絶対的強者」である「主神」を敗走させた事実は多くの国に衝撃を与えた。当然のことながらその事実は入念に箝口令が敷かれたが、しかしいずれはバレてしまう。
主神についていた多くの国は主神にそのままつくことを選んだが、しかしながらどの世界においても要領の良い人間はいるものだ。
― 医術大国「アリスアリア」 ―
かつては様々な国に優れた衛生兵を輸出していたが、主神教の威光に陰りが見え始めるとあっさりと信仰を捨て親魔国に変わった。親魔国の中には移住の際にある程度選別を行うことがあるが、アリスアリアにそれはない。
それどころか、移住したばかりの魔物娘には国からある程度の支援があることもあり、移住先に選ぶ魔物娘は多かった。
その国の「実際」を知らぬまま・・・・。
「ハァハァ・・・・!」
薄暗い廊下を一人の男が走る。その目は血走り、身に着けていた白衣も所々破れ煤けていた。
カツ―ン・・・カツ―ン・・・
男を追うようにゆっくりとした足音が背後から響いていく。
「もう来やがった!!」
男は騒然と並ぶドアの一つを乱暴に開き中に身体を滑り込ませた。内部には子供一人くらい入るポッドが犇めいていて、そのポッドの一つをこじ開けると、男はそこから何かを引きずり出した。
「来るな!!!」
暗闇に向かって男が叫ぶ。
男の腕の中、ポッドの中で中で生育されていたまだ幼い「マンドラゴラ」が拘束されていた。その細い首筋には鋭いメスがあてられている。
「うぅぅっ・・・・」
押し付けられた拍子に皮膚を切ってしまったのだろう。少女の首筋に赤い線がゆっくりと伸びていく。
「黙れクソ虫が!殺されてぇのか!!!」
移住する魔物娘を選別せず、移住した魔物娘には厚い支援が受けられる「アリスアリア」。その現実。
それは・・・。
― 魔物娘の効果的な「断種」 ―
アリスアリアでは魔物化を止める研究が秘密裏に行われていた。そして将来的には人類に有用な魔物娘のみを残し、他の有害と判断された魔物娘を絶滅させることすらも考えていたのだ。
魔王軍が親魔国を侵略することはタブーだ。そんなことをすれば他の親魔国にも影響を与えかねない。
幸いまだ人魔に死傷者は出ていないが研究を続ければいずれはそうなる。だからこそ魔王軍とは関係ない独立勢力である「赤フン天狗」がこの国の悪根を断つために攻め入ったのだ。
「貴様・・・・その血を見て何も思わないのか?」
カツ―ン!
男を追っていた影が闇よりその姿を現した。
素肌に赤褌のみの少年だった。しかし、その少年から放たれる「圧」は幾つもの修羅場を潜り抜けた益荒男のそれと変わらない。
緋色の瞳に怒りを込めて少年が男を見る。
「血?植物が血を流すわけないだろうが!!」
「ソイツを離してやれ。痛がっている」
「何を言ってやがる!!そうだ俺の身の安全を保障しろ!!そうすればコイツを放してやるよ!!」
男ががなり立てる。
「本当に、お前は何も思わないんだな・・・・」
少年が目を瞑る。
〜 よいか公介よ。刃を捨てよ。己が身体を刃に変え悪鬼を滅するのが本道 〜
彼の師匠の教えが脳裏に浮かぶ。
〜 そして怒れ。怒りは力なり 〜
「汝、人に非ず!!!」
公介は地面を蹴り、男に肉薄する。
「皐月流奥義!!国崩!!!」
魔物娘すら葬る必殺の一撃が放たれた。
諸兄は「ウシオニ」の存在はご存知と思う。
「外地」ジパングに生息する固有の魔物娘であり、比較的人間に友好的な魔物娘が多いことで知られるジパングでも「危険」とされる存在だ。
魔物娘が人間を超える知力、体力を誇るのは常であるが、ウシオニの危険性はそれだけに留まらない。
その特性はウシオニの「血」にある。
ウシオニの血を男性が浴びると発情を抑えられなくなり、人間の女性が浴びるとウシオニに「成ってしまう」。
ではウシオニを倒すことは不可能なのだろうか?。
否。
単純なことだ。
ウシオニの体外から衝撃を与えて出血の間もなく体内の「心臓」を破裂させればいい。
皐月流奥義「国崩」はその考えから生まれた。
対象の心臓に向かって掌底による衝撃を与えて対象に疑似的な「心不全」に陥らせ心臓に血を溜める。
そして対象を蹴り上げ衝撃が足を伝って地面に逃げないようにした上で、膝打ちと同時に強い打撃を対象に撃ち込み心臓を「破裂」させる。「皐月流」が「殺鬼流」とかつて呼ばれていた所以である。
理論上、確かに倒すことができるだろう。
しかし、これには一つ「仕掛け」が施されていた・・・。
少年が掌底を撃ち込みそのまま男を蹴り上げる。
「悔い改めろぉぉぉぉぉ!!!!!」
両手を特殊な組み方で組み、男に鉄槌の如く振り下ろした。
バシュッ
「ガハッ!」
肺臓から汚い息の塊を男が吐き出す。
「安心しろ。人の子である俺にお前を殺せない」
少年はそう宣言した。もっとも男は死の恐怖から失禁し口から泡を吹いて気絶していたが。
「奥義」と言うと一子相伝の技を想像しがちであるが、流派によって実際は大きく異なる。開祖が読んだ短歌や教訓など、実際は心構えを説いたものの方が多いのだ。
一つ、不肖私めがとある流派に伝わる「秘伝」を伝授しよう。
「刀は鍔で斬る」
武術、それも軍刀操術である「戸山流」などの抜刀術について知らない者なら全く理解不能だろう。
これは刃で斬ろうとすると力が切っ先に集中してしまい命を断つほどの斬撃にはならないが、刀の鍔を意識して振れば手が自然と円を描き刀身全体で対象を両断することができることを表している。
皐月流奥義「国崩」。
その隠された意味とは
― 魔物娘の伴侶を持たない「人間」では技を発動できず、伴侶を得た「インキュバス」ではリミッターがかかり命を断つほどの威力はでない ―
つまり、この技は「魔物娘」が再び「魔物」に戻らない限り、決して「完成」しないのだ。
「あらあら派手にやったわね公介」
赤い褌とサラシを身に着けたデーモンが少年に声を掛ける。
「道理を知らぬ外道にはこれしかない」
「確かにね・・・」
公介と呼ばれた少年がマンドラゴラの少女を見る。
「こ、殺さないで・・・・」
少女は怯えていた。男にも、そして・・・・「公介」にも。
「レームおねえちゃん・・・・。あの娘を頼む」
「わかったわ」
レームがマンドラゴラに治癒魔法を施しながら公介を見る。
「・・・貴方は正しいことをした。胸を張りなさい。獅子の心を持つ少年よ」
「・・・・・・」
公介はレームに振り向かずその場を後にした。
「まぁ、その夜にぐっすり寝た俺に寝フェラして師匠にたっぷりボコられた挙句、破門されたんだっけ?レームおねえちゃん」
「フェラならセーフ!セーフよ」
レームが慌てて言いつくろう。
「で、なんでこの世界に?」
「そうねぇ、いわゆる婚活かしら」
「キツイ冗談はよしてくれ」
「あら婚活は事実よ。アチラの男日照りは深刻でね。選りすぐりの優秀な娘達を連れて来たわ」
「それはそれはご苦労な事で。ところであの写真の事を教えてくれないか?」
「そうね・・・・、あれは魔物娘としてのお節介よ」
「お節介?」
「何、かわいい弟弟子の息子に会いに行ったら、その息子の恋人に会ったのよ」
「アイツらはまだその段階じゃないと思うが?」
「私たち魔物娘は生まれながらに精の存在を感知できる。当然、異性に対する好意もね。あの響って娘の子宮の辺りに豆粒のような人間のものとは異なる精を感知したわ」
「それで・・・・?」
「部下に命じ子飼いの医師に彼女の診察をさせた。結果は言わなくてもわかるでしょ?」
「まぁな。そこまで把握しているなら心配はない」
「あの娘にはあらかじめホルスタウロスのミルクを投与しているから、完治はしないけど取り合えずは彼女の中で寄生虫が暴れだすことはない」
レームが公介に顔を近づける。
「これからはビジネスの話よ」
「ビジネス?」
「私達の活動拠点になるペーパーカンパニー。それと国が保有する指定難病患者リストが欲しいわ。当然見返りは大きいわよ?」
「リストをどうするつもりだ」
「公介、私達がお節介なのはよく知っているでしょ?いくら私がデーモンでも死にゆく人間を見捨てる様なことはしないわ」
「響のことも頼めるか?」
「当然そのつもりよ。でも少し時間が必要だわ。最高のタイミングで最大の結果を見せてあげるわね」
「期待しておくよ。なら・・・・」
公介がレームと目を合せる。
「ふーん、門の向こうにも脅威があると知れば列強は手を出さない、か。考えたわね。いいわ、やってあげる」
静かに公介が頷く。
「大丈夫よ。私を甘く見ないで」
レームはそう言うと不敵に笑みを浮かべた。
戦国時代、日本はスペインと交易を行っていた。
当然のことながら、スペイン本土からの宣教師たちも多くいて熱心にキリスト教の教えを説いていた。
しかしながら、彼らは宗教家と同時に「侵略の先兵」という一面もあった。
豊富な金を持つ日本は彼らの「獲物」だったのだ。
だが、史実において彼らが日本を侵略することはなかった。
日本人がただの蛮族ではなく、自分達と同様の知性と対抗しうる力を持つ存在であることが判明したからだ。
戦国時代、大砲は無くとも日本にある火縄銃の数は世界一だったこともあるが。
「コンキスタドール、ピルグリムファーザーズ、レコンギスタにゴールドラッシュ。人類の歴史は侵略と収奪に彩られている。抑止力は必要だ」
レームが公介に近づく。
「・・・・証が欲しいわ」
「何なら尻にキスでもしようか?レームおねえちゃん」
「古風ね。それよりも・・・」
レームが公介の唇に自らの唇を重ねた。
「これで契約成立よ。それと・・・」
パサッ
レームが公介に何かを手渡した。それを見た瞬間、公介の表情が変わる。
「・・・・・!これは!」
「これは手付代わりよ。貴方達、いいえこの世界なら魔物娘や人間の犠牲者を出さずにこれを完成できるはずだわ」
それはかつて「アリスアリア」で行われていた「抗魔物化実験」の報告書だった。
― 日本、「収容所」地下 ―
何もない白い空間。そこに一人の男がただ立っていた。
「・・・・・・・」
南壮一が見上げるその先。そこには彼の最愛の妻である「南宮子」が氷漬けにされ人工冬眠についていた。
あの日の夜、マタンゴ化の始まった宮子はジルの手によって意識を失い、そのまま「静止の術」がかけられた。
そして予定をキャンセルし、三人は門の向こう、「日本」に密かに帰還した。
明緑魔界であっても魔界。アチラでは宮子のマタンゴ化が進行してしまう恐れがあったからだ。
当然、このことは「収容所」で働く技術者の多くは知らない。それを知っているのは彼らを送り出した「斎藤公介」一人。
この場所は地下に作られていた倉庫を転用したもので、今は即席の無菌室となっている。
しかし、それは壮一は宮子を治療する上で他者の支援を受けられないことを意味していた。
― なぜ彼女、南宮子はマタンゴに感染したのか? ―
人体には常在菌が無数に存在し、それが感染症の原因となることもあるが同時に感染症にならない免疫ともなっている。
無人探査機「ウカノミタマ」が調べるかぎり、人類の生存を脅かすようなウィルスは一切検出されていなかった。しかし、それが「魔力」を持つ胞子なら話は別だ。
マタンゴの胞子は魔力を検出できない人類にとってはただの菌糸類の胞子にしか見えなかった。故に「危険なし」とされた。
実際、マタンゴは移動を好まず、「外地」でもごく限られた場所の生息が確認されているのみで、ボローヴェ、それも人の立ち入れる場所には生息していない。公介もジルもその事は熟知していた。だからこそ二人に「外地」での探索を許可したのだ。
数日前、宮子は採集活動の際に溺れていた一人の少女を助けた。それは人として当然の行為であり彼女には何の落ち度もなかった。しかし救命の基本である心肺蘇生法を行ったことにより何らかの要因で少女が取り込んでいたマタンゴの胞子が宮子に寄生したのだ。
彼らはこの世界で育った人間ではなく免疫を得ることはなかった。そして連日の雨という、湿度の高い環境がマタンゴの生育を後押しした。
― 「それじゃ宮子はどうなるんです!このまま手をこまねくしかないんですか!」 ―
― 「そのための静止の術じゃ。この氷の中では死ぬこともなく体は保存される」 ―
― 「・・・・・・!」 ―
― 「よく聞いてくれ。宮子はこの中にいる限り人間のままじゃ」 ―
「氷の中にいる限り人間のまま」
つまりジルの力でも宮子のマタンゴ化を止めることはできないと言うに等しい。
そもそも魔物にとって魔物化は祝福であり、魔物がそれを止める手段を研究することはなかった。
ジルでも知らないのだ。
魔物化を食い止める方法を。
ジルから壮一に明示された方法は
「マタンゴの胞子を分離できる方法が見つかるまで壮一ともども宮子をこのまま冷凍保存する」
「全てを受け入れマタンゴと化した宮子と余生を送る」
壮一の目には氷の中の宮子は時々ミスはするが天真爛漫でひたむきな、いつもの宮子にしか見えなかった。
ギィ・・・・
壮一は静かに無菌室を後にした。
「・・・もうしばらく待ってくれ宮子」
彼の手にあるもの。それは「魔物化の段階と阻害実験について」と表記されたファイルだった。
話は数時間前に戻る。
― 「収容所」の地下、壮一の研究室 ―
倉庫に据え付けられた仮眠室。表向きは「外地」で研究を行っていることになっているため、この仮眠室は臨時の研究室となっていた。
「斎藤さん、頭をあげてください!そんなことは求めていません!!」
壮一の前で深々と頭を下げる公介。
「だが、君たちを外地に送り出したのは私だ。糾弾されても仕方がない」
「確かに斎藤さんが許可を出しました。でもそれを承諾したのは私達です。それにこれは誰の責任でもありせん!これを見てください!」
そう言うと、壮一は公介にタブレット端末を見せた。画面には二種類の菌糸類の胞子が表示されていた。
「これは日本でも見かけるツキヨタケとマタンゴの胞子です。よく見てください。どちらも同じです」
「確かにそうだ・・・」
「我々はまだ魔力を検知することができません。この映像だけじゃ、ジルさんも恐らくマタンゴとは気が付かないでしょう」
「・・・・君たちを外地に送ってしまったのは浅はかな間違いだったのか」
「違います!私達じゃなくても何れは誰かがそうなったのかもしれない。これは誰の責任でもないんです!!」
壮一が声をあげる。
「・・・・ジルは君に何て言っていた?」
「完全体になるのを止めることは可能だが、宮子を再び人間に戻すことは不可能と・・・・」
公介が壮一を見る。
「でも私は医者です!きっと・・・きっと宮子を治療してみせます!!」
― 蟷螂の斧 ―
カマキリが前脚をあげて大きな車に向かってきたという「荘子」の故事から、弱小のものが、自分の力量もわきまえず、強敵に向かうことのたとえとされている。
そうだろうか?
カマキリは逃げることも出来たのに立ち向かった。決して勝てないのに、だ。
人は困難に対してそうして立ち向かってきた。その戦いを「愚か」と切り捨てるのは挑戦に敬意を払わない「驕り」だ。
人類は「未来」を信じ戦い「種」を存続させてきたのだから。
「・・・・君の助けになればいいが。これを」
頑丈な革ケースを壮一に手渡した。それを開いて中を見た壮一の顔が驚きに染まる。
「魔物化の段階とその阻害実験について・・・!これをどこで!」
「魔物娘も一枚板ではない。これはとある組織に属する魔物娘から得たものだ。どうかどうやって手に入れたかは詮索しないでくれ」
「でも・・・ジルさんは・・・・」
「ジルでもわからないことはあるさ。生粋の魔物娘が魔王の意に反する抗魔物化を研究することはしないだろう」
「これなら宮子を助けられる・・・!」
「壮一、そう喜ぶのは早い。よく読めばわかるがあくまでこれには観察結果に対する考察と仮説しか書かれていない。だから実行するかどうかは君に委ねられている」
彼の決意は固かった。その瞳に宿る決意を見た公介はジュラルミンケースを彼に手渡した。
「?!」
そのあまりの重さに壮一は驚く。まるで鉛の塊が入っているかのようだ。
「ダイヤルナンバーは君たちの結婚日に合わせてある。今、君たちにしてやれることはこれしかない」
キリキリ
半信半疑の彼が言われた通りにダイヤルを回すとカチリと小気味いい音と共にケースが開く。
「!」
「好きに使ってくれて構わない。ポケットマネーの範囲だ」
それはケースにみっちりと詰められた「金の延べ棒」だった。
「君達のレポートを読ませてもらったよ。君の発明品である魔界銀フィルターはきっと宮子さんの治療に役立つ。こんなものしか用意できなかった俺を笑ってくれ」
そう公介は自嘲するように呟いた。
主神についていた多くの国は主神にそのままつくことを選んだが、しかしながらどの世界においても要領の良い人間はいるものだ。
― 医術大国「アリスアリア」 ―
かつては様々な国に優れた衛生兵を輸出していたが、主神教の威光に陰りが見え始めるとあっさりと信仰を捨て親魔国に変わった。親魔国の中には移住の際にある程度選別を行うことがあるが、アリスアリアにそれはない。
それどころか、移住したばかりの魔物娘には国からある程度の支援があることもあり、移住先に選ぶ魔物娘は多かった。
その国の「実際」を知らぬまま・・・・。
「ハァハァ・・・・!」
薄暗い廊下を一人の男が走る。その目は血走り、身に着けていた白衣も所々破れ煤けていた。
カツ―ン・・・カツ―ン・・・
男を追うようにゆっくりとした足音が背後から響いていく。
「もう来やがった!!」
男は騒然と並ぶドアの一つを乱暴に開き中に身体を滑り込ませた。内部には子供一人くらい入るポッドが犇めいていて、そのポッドの一つをこじ開けると、男はそこから何かを引きずり出した。
「来るな!!!」
暗闇に向かって男が叫ぶ。
男の腕の中、ポッドの中で中で生育されていたまだ幼い「マンドラゴラ」が拘束されていた。その細い首筋には鋭いメスがあてられている。
「うぅぅっ・・・・」
押し付けられた拍子に皮膚を切ってしまったのだろう。少女の首筋に赤い線がゆっくりと伸びていく。
「黙れクソ虫が!殺されてぇのか!!!」
移住する魔物娘を選別せず、移住した魔物娘には厚い支援が受けられる「アリスアリア」。その現実。
それは・・・。
― 魔物娘の効果的な「断種」 ―
アリスアリアでは魔物化を止める研究が秘密裏に行われていた。そして将来的には人類に有用な魔物娘のみを残し、他の有害と判断された魔物娘を絶滅させることすらも考えていたのだ。
魔王軍が親魔国を侵略することはタブーだ。そんなことをすれば他の親魔国にも影響を与えかねない。
幸いまだ人魔に死傷者は出ていないが研究を続ければいずれはそうなる。だからこそ魔王軍とは関係ない独立勢力である「赤フン天狗」がこの国の悪根を断つために攻め入ったのだ。
「貴様・・・・その血を見て何も思わないのか?」
カツ―ン!
男を追っていた影が闇よりその姿を現した。
素肌に赤褌のみの少年だった。しかし、その少年から放たれる「圧」は幾つもの修羅場を潜り抜けた益荒男のそれと変わらない。
緋色の瞳に怒りを込めて少年が男を見る。
「血?植物が血を流すわけないだろうが!!」
「ソイツを離してやれ。痛がっている」
「何を言ってやがる!!そうだ俺の身の安全を保障しろ!!そうすればコイツを放してやるよ!!」
男ががなり立てる。
「本当に、お前は何も思わないんだな・・・・」
少年が目を瞑る。
〜 よいか公介よ。刃を捨てよ。己が身体を刃に変え悪鬼を滅するのが本道 〜
彼の師匠の教えが脳裏に浮かぶ。
〜 そして怒れ。怒りは力なり 〜
「汝、人に非ず!!!」
公介は地面を蹴り、男に肉薄する。
「皐月流奥義!!国崩!!!」
魔物娘すら葬る必殺の一撃が放たれた。
諸兄は「ウシオニ」の存在はご存知と思う。
「外地」ジパングに生息する固有の魔物娘であり、比較的人間に友好的な魔物娘が多いことで知られるジパングでも「危険」とされる存在だ。
魔物娘が人間を超える知力、体力を誇るのは常であるが、ウシオニの危険性はそれだけに留まらない。
その特性はウシオニの「血」にある。
ウシオニの血を男性が浴びると発情を抑えられなくなり、人間の女性が浴びるとウシオニに「成ってしまう」。
ではウシオニを倒すことは不可能なのだろうか?。
否。
単純なことだ。
ウシオニの体外から衝撃を与えて出血の間もなく体内の「心臓」を破裂させればいい。
皐月流奥義「国崩」はその考えから生まれた。
対象の心臓に向かって掌底による衝撃を与えて対象に疑似的な「心不全」に陥らせ心臓に血を溜める。
そして対象を蹴り上げ衝撃が足を伝って地面に逃げないようにした上で、膝打ちと同時に強い打撃を対象に撃ち込み心臓を「破裂」させる。「皐月流」が「殺鬼流」とかつて呼ばれていた所以である。
理論上、確かに倒すことができるだろう。
しかし、これには一つ「仕掛け」が施されていた・・・。
少年が掌底を撃ち込みそのまま男を蹴り上げる。
「悔い改めろぉぉぉぉぉ!!!!!」
両手を特殊な組み方で組み、男に鉄槌の如く振り下ろした。
バシュッ
「ガハッ!」
肺臓から汚い息の塊を男が吐き出す。
「安心しろ。人の子である俺にお前を殺せない」
少年はそう宣言した。もっとも男は死の恐怖から失禁し口から泡を吹いて気絶していたが。
「奥義」と言うと一子相伝の技を想像しがちであるが、流派によって実際は大きく異なる。開祖が読んだ短歌や教訓など、実際は心構えを説いたものの方が多いのだ。
一つ、不肖私めがとある流派に伝わる「秘伝」を伝授しよう。
「刀は鍔で斬る」
武術、それも軍刀操術である「戸山流」などの抜刀術について知らない者なら全く理解不能だろう。
これは刃で斬ろうとすると力が切っ先に集中してしまい命を断つほどの斬撃にはならないが、刀の鍔を意識して振れば手が自然と円を描き刀身全体で対象を両断することができることを表している。
皐月流奥義「国崩」。
その隠された意味とは
― 魔物娘の伴侶を持たない「人間」では技を発動できず、伴侶を得た「インキュバス」ではリミッターがかかり命を断つほどの威力はでない ―
つまり、この技は「魔物娘」が再び「魔物」に戻らない限り、決して「完成」しないのだ。
「あらあら派手にやったわね公介」
赤い褌とサラシを身に着けたデーモンが少年に声を掛ける。
「道理を知らぬ外道にはこれしかない」
「確かにね・・・」
公介と呼ばれた少年がマンドラゴラの少女を見る。
「こ、殺さないで・・・・」
少女は怯えていた。男にも、そして・・・・「公介」にも。
「レームおねえちゃん・・・・。あの娘を頼む」
「わかったわ」
レームがマンドラゴラに治癒魔法を施しながら公介を見る。
「・・・貴方は正しいことをした。胸を張りなさい。獅子の心を持つ少年よ」
「・・・・・・」
公介はレームに振り向かずその場を後にした。
「まぁ、その夜にぐっすり寝た俺に寝フェラして師匠にたっぷりボコられた挙句、破門されたんだっけ?レームおねえちゃん」
「フェラならセーフ!セーフよ」
レームが慌てて言いつくろう。
「で、なんでこの世界に?」
「そうねぇ、いわゆる婚活かしら」
「キツイ冗談はよしてくれ」
「あら婚活は事実よ。アチラの男日照りは深刻でね。選りすぐりの優秀な娘達を連れて来たわ」
「それはそれはご苦労な事で。ところであの写真の事を教えてくれないか?」
「そうね・・・・、あれは魔物娘としてのお節介よ」
「お節介?」
「何、かわいい弟弟子の息子に会いに行ったら、その息子の恋人に会ったのよ」
「アイツらはまだその段階じゃないと思うが?」
「私たち魔物娘は生まれながらに精の存在を感知できる。当然、異性に対する好意もね。あの響って娘の子宮の辺りに豆粒のような人間のものとは異なる精を感知したわ」
「それで・・・・?」
「部下に命じ子飼いの医師に彼女の診察をさせた。結果は言わなくてもわかるでしょ?」
「まぁな。そこまで把握しているなら心配はない」
「あの娘にはあらかじめホルスタウロスのミルクを投与しているから、完治はしないけど取り合えずは彼女の中で寄生虫が暴れだすことはない」
レームが公介に顔を近づける。
「これからはビジネスの話よ」
「ビジネス?」
「私達の活動拠点になるペーパーカンパニー。それと国が保有する指定難病患者リストが欲しいわ。当然見返りは大きいわよ?」
「リストをどうするつもりだ」
「公介、私達がお節介なのはよく知っているでしょ?いくら私がデーモンでも死にゆく人間を見捨てる様なことはしないわ」
「響のことも頼めるか?」
「当然そのつもりよ。でも少し時間が必要だわ。最高のタイミングで最大の結果を見せてあげるわね」
「期待しておくよ。なら・・・・」
公介がレームと目を合せる。
「ふーん、門の向こうにも脅威があると知れば列強は手を出さない、か。考えたわね。いいわ、やってあげる」
静かに公介が頷く。
「大丈夫よ。私を甘く見ないで」
レームはそう言うと不敵に笑みを浮かべた。
戦国時代、日本はスペインと交易を行っていた。
当然のことながら、スペイン本土からの宣教師たちも多くいて熱心にキリスト教の教えを説いていた。
しかしながら、彼らは宗教家と同時に「侵略の先兵」という一面もあった。
豊富な金を持つ日本は彼らの「獲物」だったのだ。
だが、史実において彼らが日本を侵略することはなかった。
日本人がただの蛮族ではなく、自分達と同様の知性と対抗しうる力を持つ存在であることが判明したからだ。
戦国時代、大砲は無くとも日本にある火縄銃の数は世界一だったこともあるが。
「コンキスタドール、ピルグリムファーザーズ、レコンギスタにゴールドラッシュ。人類の歴史は侵略と収奪に彩られている。抑止力は必要だ」
レームが公介に近づく。
「・・・・証が欲しいわ」
「何なら尻にキスでもしようか?レームおねえちゃん」
「古風ね。それよりも・・・」
レームが公介の唇に自らの唇を重ねた。
「これで契約成立よ。それと・・・」
パサッ
レームが公介に何かを手渡した。それを見た瞬間、公介の表情が変わる。
「・・・・・!これは!」
「これは手付代わりよ。貴方達、いいえこの世界なら魔物娘や人間の犠牲者を出さずにこれを完成できるはずだわ」
それはかつて「アリスアリア」で行われていた「抗魔物化実験」の報告書だった。
― 日本、「収容所」地下 ―
何もない白い空間。そこに一人の男がただ立っていた。
「・・・・・・・」
南壮一が見上げるその先。そこには彼の最愛の妻である「南宮子」が氷漬けにされ人工冬眠についていた。
あの日の夜、マタンゴ化の始まった宮子はジルの手によって意識を失い、そのまま「静止の術」がかけられた。
そして予定をキャンセルし、三人は門の向こう、「日本」に密かに帰還した。
明緑魔界であっても魔界。アチラでは宮子のマタンゴ化が進行してしまう恐れがあったからだ。
当然、このことは「収容所」で働く技術者の多くは知らない。それを知っているのは彼らを送り出した「斎藤公介」一人。
この場所は地下に作られていた倉庫を転用したもので、今は即席の無菌室となっている。
しかし、それは壮一は宮子を治療する上で他者の支援を受けられないことを意味していた。
― なぜ彼女、南宮子はマタンゴに感染したのか? ―
人体には常在菌が無数に存在し、それが感染症の原因となることもあるが同時に感染症にならない免疫ともなっている。
無人探査機「ウカノミタマ」が調べるかぎり、人類の生存を脅かすようなウィルスは一切検出されていなかった。しかし、それが「魔力」を持つ胞子なら話は別だ。
マタンゴの胞子は魔力を検出できない人類にとってはただの菌糸類の胞子にしか見えなかった。故に「危険なし」とされた。
実際、マタンゴは移動を好まず、「外地」でもごく限られた場所の生息が確認されているのみで、ボローヴェ、それも人の立ち入れる場所には生息していない。公介もジルもその事は熟知していた。だからこそ二人に「外地」での探索を許可したのだ。
数日前、宮子は採集活動の際に溺れていた一人の少女を助けた。それは人として当然の行為であり彼女には何の落ち度もなかった。しかし救命の基本である心肺蘇生法を行ったことにより何らかの要因で少女が取り込んでいたマタンゴの胞子が宮子に寄生したのだ。
彼らはこの世界で育った人間ではなく免疫を得ることはなかった。そして連日の雨という、湿度の高い環境がマタンゴの生育を後押しした。
― 「それじゃ宮子はどうなるんです!このまま手をこまねくしかないんですか!」 ―
― 「そのための静止の術じゃ。この氷の中では死ぬこともなく体は保存される」 ―
― 「・・・・・・!」 ―
― 「よく聞いてくれ。宮子はこの中にいる限り人間のままじゃ」 ―
「氷の中にいる限り人間のまま」
つまりジルの力でも宮子のマタンゴ化を止めることはできないと言うに等しい。
そもそも魔物にとって魔物化は祝福であり、魔物がそれを止める手段を研究することはなかった。
ジルでも知らないのだ。
魔物化を食い止める方法を。
ジルから壮一に明示された方法は
「マタンゴの胞子を分離できる方法が見つかるまで壮一ともども宮子をこのまま冷凍保存する」
「全てを受け入れマタンゴと化した宮子と余生を送る」
壮一の目には氷の中の宮子は時々ミスはするが天真爛漫でひたむきな、いつもの宮子にしか見えなかった。
ギィ・・・・
壮一は静かに無菌室を後にした。
「・・・もうしばらく待ってくれ宮子」
彼の手にあるもの。それは「魔物化の段階と阻害実験について」と表記されたファイルだった。
話は数時間前に戻る。
― 「収容所」の地下、壮一の研究室 ―
倉庫に据え付けられた仮眠室。表向きは「外地」で研究を行っていることになっているため、この仮眠室は臨時の研究室となっていた。
「斎藤さん、頭をあげてください!そんなことは求めていません!!」
壮一の前で深々と頭を下げる公介。
「だが、君たちを外地に送り出したのは私だ。糾弾されても仕方がない」
「確かに斎藤さんが許可を出しました。でもそれを承諾したのは私達です。それにこれは誰の責任でもありせん!これを見てください!」
そう言うと、壮一は公介にタブレット端末を見せた。画面には二種類の菌糸類の胞子が表示されていた。
「これは日本でも見かけるツキヨタケとマタンゴの胞子です。よく見てください。どちらも同じです」
「確かにそうだ・・・」
「我々はまだ魔力を検知することができません。この映像だけじゃ、ジルさんも恐らくマタンゴとは気が付かないでしょう」
「・・・・君たちを外地に送ってしまったのは浅はかな間違いだったのか」
「違います!私達じゃなくても何れは誰かがそうなったのかもしれない。これは誰の責任でもないんです!!」
壮一が声をあげる。
「・・・・ジルは君に何て言っていた?」
「完全体になるのを止めることは可能だが、宮子を再び人間に戻すことは不可能と・・・・」
公介が壮一を見る。
「でも私は医者です!きっと・・・きっと宮子を治療してみせます!!」
― 蟷螂の斧 ―
カマキリが前脚をあげて大きな車に向かってきたという「荘子」の故事から、弱小のものが、自分の力量もわきまえず、強敵に向かうことのたとえとされている。
そうだろうか?
カマキリは逃げることも出来たのに立ち向かった。決して勝てないのに、だ。
人は困難に対してそうして立ち向かってきた。その戦いを「愚か」と切り捨てるのは挑戦に敬意を払わない「驕り」だ。
人類は「未来」を信じ戦い「種」を存続させてきたのだから。
「・・・・君の助けになればいいが。これを」
頑丈な革ケースを壮一に手渡した。それを開いて中を見た壮一の顔が驚きに染まる。
「魔物化の段階とその阻害実験について・・・!これをどこで!」
「魔物娘も一枚板ではない。これはとある組織に属する魔物娘から得たものだ。どうかどうやって手に入れたかは詮索しないでくれ」
「でも・・・ジルさんは・・・・」
「ジルでもわからないことはあるさ。生粋の魔物娘が魔王の意に反する抗魔物化を研究することはしないだろう」
「これなら宮子を助けられる・・・!」
「壮一、そう喜ぶのは早い。よく読めばわかるがあくまでこれには観察結果に対する考察と仮説しか書かれていない。だから実行するかどうかは君に委ねられている」
彼の決意は固かった。その瞳に宿る決意を見た公介はジュラルミンケースを彼に手渡した。
「?!」
そのあまりの重さに壮一は驚く。まるで鉛の塊が入っているかのようだ。
「ダイヤルナンバーは君たちの結婚日に合わせてある。今、君たちにしてやれることはこれしかない」
キリキリ
半信半疑の彼が言われた通りにダイヤルを回すとカチリと小気味いい音と共にケースが開く。
「!」
「好きに使ってくれて構わない。ポケットマネーの範囲だ」
それはケースにみっちりと詰められた「金の延べ棒」だった。
「君達のレポートを読ませてもらったよ。君の発明品である魔界銀フィルターはきっと宮子さんの治療に役立つ。こんなものしか用意できなかった俺を笑ってくれ」
そう公介は自嘲するように呟いた。
19/05/19 12:40更新 / 法螺男
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