連載小説
[TOP][目次]
幕間の物語 ― overture ―
― Bar ペイパームーン ―

カランカラン

初夏のうららかな日差しの中、クラシカルなカウベルが乾いた音を響かせながらドアが開く。
時間は15時。通常、訳ありの「常連客」が来ない場合この時間はペイパームーンはバーではなく、カフェとして営業している。

「いらっしゃい、若葉さん」

ペイパームーンのオーナー・バーテンドレスのグランマが若葉に声を掛ける。「グランマ」がいつからこの街でペイパームーンを開いているのか、客の中でも一際付き合いの長い若葉でも知らない。
唯一わかっているのはグランマが魔物娘の中でもオーソドックスな「サキュバス」であること、のみだ。もっとも時折グランマが見せる「凄み」はサキュバスのそれとは全く別物だが。
若葉が上質な革を使用したカウンターのスツールに腰を掛けると、持っていた包みを開き、熟練した職人の手によりしっかりと装丁されたアルバムを開いた。

「それ、この前のドラゴニア旅行の時の写真かい?」

グランマと同じくバーテンドレス姿の「ウィルオー・ウィスプ」がアルバムを覗き込む。

「あらあら、伽耶ちゃん。こういうことはちゃんと若葉さんに一言断りを入れるものよ?」

グランマがペイパームーンの店員の一人である、ウィルオーウィスプの「夏樹伽耶」を窘めた。一般的に魔物娘の「ウィルオー・ウィスプ」というとその容姿は黒のナイトドレスと、男性を捕獲しその魂すらも束縛するスカートと一体になった黒鉄の檻が特徴ではあるが、彼女はアンデッドの特色の一つである青白い肌以外はいたって普通の姿をしている。

「いいんですよグランマ。今日はみんなと見るために持ってきたんですから」

「悪いわね若葉さん」

「ところでクーラとアーシアさんは?」

「今日はセシルさんと三人で調査に出ているわ。なんでも大食漢の多いドラゴンでも満足できる店を見つけるとか・・・」

「確かにね・・・・」

ドラゴニア旅行中、若葉達は日本では見たことも聞いたこともない様々なドラゴニアの郷土料理に舌鼓をうったが、しかしながら二人が楽しく食べられたのは三日くらいだ。ドラゴニアの料理が決してマズいわけではない。ただ・・・・あまりにも量が多いのだ。それもその店の一人前を若葉と彰、二人で分けて食べても満腹になるくらい。その為、結局は若葉も彰もドラゴニアに居ながら、ドラゴニア唯一のラーメン屋である「紅白亭」に入り浸るのが多かった。
ドラゴニア竜騎士団に復帰したクーラに料理について一度尋ねてみたが、竜種の多く住むドラゴニアではこのくらいの量はごくごく「普通」なのだそうだ。

「そういえば、伽耶さんは学園へは行かなくてもいいの?」

「ああ、私はついこの前、認定のための基礎科目は終えたからね・・・。今は試験休みさ」

ウィルオー・ウィスプである夏樹伽耶と若葉は浅からぬ因縁がある。伽耶が自ら命を断ちウィルオー・ウィスプに転化したばかりの時に若葉の夫であり、伽耶の親戚でもあった「斎藤 彰」を衝動のまま犯そうとしたのだ。愛の女神の加護やワイバーンのクーラの協力もあり、若葉はなんとか愛する夫を取り戻すことができた。もっとも伽耶と若葉がギスギスしていたのは一月くらいで、グランマの取り成しで既に和解は済んでいる。現在伽耶と若葉は良好な関係が築けていた。

「そうか・・・・。伽耶さんは学園を出てからの将来は決めているの?」

「一応ね、私、学園に残って心理カウンセラーの免許を取ろうと思うんだ」

「カウンセラー?」

「うん、魔物娘専門のね。いや、私って自殺してからウィルオー・ウィスプに転化したクチでしょ?。学園にもそんな境遇の人が結構いてね、その人たちのカウンセリングもパオラ先生が一手に引き受けているんだ」

リッチである「パオラ・クライン」。双子の姉である「パメラ・クライン」と一緒に「学園」でスクールドクターとして勤務する傍ら、人間では執刀不可能である困難な手術を受け持つすることが多い。いくら休息を必要としないアンデッドであっても彼女達の手で救える人間の数はたかが知れている。以前彼女達の手により生還したリビングドールの「リサ」が助手としてサポートしているが、それでも彼女達の負担は大きい。

「私は転化したばっかりで右も左もわからなかったところをグランマ達に救われた。苦しんでいる人間を助けたいとかそんなもんじゃない、ただ傍らに寄り添いたいのよ」

「すごいわね伽耶さんは・・・・・」

そう言うと若葉は目を伏せる。

ギュッ!

不意に感じた暖かな感触で若葉が顔をあげるとグランマが彼女を抱きしめていた。

「たった一人でも誰かを幸せにできるってことはそれだけでもすごいことよ、若葉さん」

「グランマ・・・」

「ドラゴニア旅行の事を話してくれないかしら?私もましろさんと紅さんのことも知りたいしね」

「ええ」

「伽耶ちゃん。コーヒーを三つお願いね」

「了解!」

伽耶はコーヒーを入れるためにカウンターに向かった。
グランマが若葉の角にそっと触れる。彼女は過激派のテロによりホルスタウロスに転化した。その為、若葉は種族の特徴である二つの牛の角を持っている。

「大分傷は薄くなったわね・・・」

若葉の右の角、その根本近く。よほど注意深く見ないとわからないが、そこには確かに一本の白い線が残っていた。刃付けの悪い刃物を使用したのだろう、白い線に沿って引き攣れた跡も見える。

「・・・あの時は心配をかけてすみません」

「いいのよ。あの頃は学園もできたばっかりで、人々の魔物娘に対する偏見の目は多かった。それに若葉さんはまだまだ子供だったしね。あ、今もかしら?」

そう言うとグランマが悪戯っぽく笑って見せる。

「そんな〜私ももう大人です!」

「あらあら?アーシアさんから聞いているわよ。飛行船内でクーラを逃がそうと彰さんと二人でドラゴニア特殊工兵隊の精鋭と孤軍奮闘したって」

「そ、それは・・・」

若葉が思わずたじろぐ。

「私は嬉しいわ。だって理由はどうであれ自分の友人を見捨てず助けようとしたのだもの。貴方は魔物としての本能を人間の理性で御して今を生きている。それは奴隷のようにただ誰かの言いなりになって生きているってことじゃないわ。自分の意思で考え決断することができる、それは素敵なことよ」

グランマがインテリアとして置いてある魔界銀製のチェスセットを見る。盤上では今まさにサキュバスを象ったクィーンが王冠を頭に乗せたキングの首元に剣を突き立てようとしていた。若葉はあまりチェスゲームには詳しくないが、それでも絶望的な戦況であることは理解できる。
前に一度客の一人がこのチェスボードに興味を持ち友人と一局チェスゲームに興じようと駒をとろうとしたが、まるで接着されているかのようにボードから動かなかった。その時のグランマの話によると、元々このチェスボードは「ゲーム好きな親友」の持ち物であり、一種の魔道具なので所有者の彼女がいないと駒すら動かせないのだそうだ。盤上の布陣も親友との最後の一戦が決着をつけられず、そのまま残されているらしかった。
この店、ペイパームーンにその「親友」が来てくれることを願いながら・・・・。

「人は眠れる運命の奴隷と言う人もいるわ。眠りから覚めることがない奴隷はただ渋々自分の運命に従うだけ。それは宿命とも言い換えられるわ。」

「眠れる運命の奴隷・・・・ですか?」

「そう。でも貴方はその深い眠りから覚めて自分の意思で立ち上がった。だから若葉さんは自分に自信を持ちなさい。自分は人間、であると」

グランマは若葉を自らの子供のように優しく見つめていた。



「コーヒー三つ、おまちどうさま」

伽耶が注文のコーヒーを三つトレイに乗せて運んでくる。暖かな湯気に混じってコーヒーの香りが漂う。

「今日は少し暖かいからウォータードリップ(水出し)のダッチコーヒーを出しているの。自家製のブランデーシロップを入れて飲むと美味しいわよ」

「いただきます」

若葉はグランマから切子のシロップ入れを受け取ると少量、マイセンのコーヒーカップにおとした。
コニャックを始め、数種のブランデーをブレンドし風味を失わないように加減しながら注意深くアルコールを飛ばしたのだろう、ブランデー特有のアルコールのツンとくる刺激はなく、それでいて芳醇なブランデーの香りを存分に堪能できた。

「美味しい・・・!」

「ありがとう若葉さん。作り手にとって素直な感想程嬉しいものはないわ」

ペラ・・・

グランマが若葉が持参したアルバムを開く。

「ましろさんも元気だった?」

「ええ。あちらで産んだお子さんの世話で大変と話していましたよ。それにしてもびっくりしましたよ、ましろさんがグランマの妹だったなんて」

サキュバスという種は一般的に「人間」から「レッサーサキュバス」、そして「サキュバス」へと進化する。無論、これはあくまで一般的な例だ。魔力特性の高い人間の場合はレッサーサキュバスを経ずにサキュバスへと変わることもある。
そして、サキュバスという種においては、転化させた見習いサキュバスとも言えるレッサーサキュバスを自分の妹分として扱う。これは「姉妹」よりかは「徒弟制」ないしは「内弟子制度」に近く、「妹」は師匠ともいえる「姉」よりサキュバスとして必要な知識や戦闘術を教え込まれ晴れてサキュバスとして完成するのだ。

「私はただ苦しんでいる彼女に対して自分にできる最善の行動をとっただけよ?自分の幸せをつかんだのは彼女自身。それは若葉さんも同じでしょ?」

「ええ。グランマに出会うことができなかったら私・・・・」

グランマが若葉の手に自分の手を重ねる。

「過去の過ちを教訓にするのは大切よ。でもそれに捕らわれていたら今の幸せに気付くことはできないわ。それにうじうじしていたら伽耶さんに彰さんを盗られちゃうわよ?」

「そ、そんな〜〜〜」

「幸せになりなさい。それが今を生きる貴方の義務よ」

そういうとグランマが若葉を抱きしめた。



「・・・で、そこで彰くんがアーシアさんに足払いをかけて体勢を崩して投げ飛ばしたのよ!」

「確かに叔父さんから皐月流を教え込まれたって聞いていたけど、相手は軍隊、それも特殊部隊の隊員だったんだろ?彰はよく足止めできたな」

― 皐月流柔術 ―

これは元々は「殺鬼流」とも称され、平安時代都中の男児が女の鬼にかどわかされるということがあった。時の帝より討伐の命を受けた彰のご先祖が白い髪の物の怪より伝授された技で見事その「女の鬼」を討ち取り、その技を元に生み出されたのが皐月流の源流とされている。もっともそのご先祖はその後、件の「物の怪」にかどわかされてしまったと伝承にあるので本当の事かはわからない。

「多分、あの時はアーシアさんも本気じゃなかっただろうし、それにあの狭い船室じゃ翼を持つワイバーンの方が不利よ」

若葉がコーヒーカップに口をつける。

「そのあと騒ぎを聞きつけた特殊工兵隊のタロンさんやジギーさんが来て、私達に事情を説明してくれたの。事情を知らなかったとはいえアーシアさんの邪魔をした以上、正直ブタ箱送りかと思っていたけど私達の事を知ったアルトイーリスさんの計らいで滞在中は竜騎士団の詰め所で過ごしたわ。何でも元々が貴族の邸宅だったらしくてね、中はホテルみたいだったよ。ジャグジーもあったし」

ペラッ

「ン?」

伽耶が捲ったページには子供の頃の彰の写真と成人した若葉が写っている写真や、竜のようになった若葉がハルバードを構えた写真が収められていた。

「これは・・・・?」

「それは・・・・・・・。聞きたい?」

グランマと伽耶は静かに頷いた。

「その・・・実はね・・・・・」



― これは「幕間」の物語 ―

― 二人は何事もなさず、ありがちな御伽噺のように世界を救うこともない ―

― でも ―

― 二人にとってはかけがえのない、大切な思い出 ―

18/06/28 23:01更新 / 法螺男
戻る 次へ

■作者メッセージ
お待たせしました。
若葉のドラゴニア旅行記、始まります。

TOP | 感想 | RSS | メール登録

まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33