「彼女」の帰還 〜 艦これより 〜
最初、人類が「ソレ」を見つけた時はただの変異した水生生物と思っただけだった。往々にしてそういうものは、大概はホルマリン漬けにされてどこどこの研究室の標本室に置かれ忘れられるのがオチだ。
だからこそ人類は「見逃してしまった」。
これが後に、「駆逐艦イ級」と呼称されるものの幼生体であることをこの時は誰も知らなかったのだ。
ザザー・・・・
私は海面に浮かんでいた。
艤装は既に力を失い、私がパージしなければ今頃一昔前のマフィア映画に出てくる三下のように青ざめた顔をして海底で棒立ちになっていただろう。
今は辛うじて生きているが、それもあと数刻で終わる。
流された血で呼び寄せられた鮫に肉体を引き裂かれる?
力尽きて海中に沈む?
どちらにしても死ぬことは変わらない。こういう場合、自決用の拳銃や致死錠剤がないことが悔やまれる。
「提督・・・・・」
出撃の前夜の情事が蘇る。提督は私と身を重ねるのを拒んだ。それもそうだ。私は人ではあるが同時に「兵器」だ。いつ死んでもおかしくはない。でも私は提督との消えない絆を望んだ。たとえ、この身が海の泡になろうともこの想いは消えないのだから。
「貴方それでもいいのかしら?」
「誰!」
私が辛うじて動く首を声のした方向に向ける。
白い髪
赤い瞳
黒いドレスのようにも煽情的なビキニにも見える衣服
それはまるで・・・
「深海棲艦!!!!」
― 深海棲艦 ―
数年前に現れた未確認生物の総称だ。
その形態は駆逐イ級のような水生生物のようなものから、重巡リ級や戦艦ル級といった比較的人間に近いものまで様々だが、一様に人間と対話する意思はなく、ただただ海に出た人間を殲滅することを目的としていた。近年は、「姫級」や「鬼級」といった指揮官クラスの存在も確認されている。
彼らによってシーレーンを失った人類は人間をベースにした兵器である「海上歩兵」、通称「艦娘」を生み出した。「船霊」と呼ばれる、一種のエネルギー体を封じた「艤装」を適正のある人間に与えることにより生み出される彼女達「艦娘」の活躍により、日本は餓死者も出さず国家としての命脈を保っていた。
ギリッ!
「おお怖い怖い。でも私は深海棲艦じゃないわ、魔王が娘の一人リリムのラヴィベル。綺麗な顔が台無しよ?扶桑」
目の前の姫級から飛び出した艦娘としての名前に彼女の目が開かれる。
「時間が足りないわ。いい?一度しか言わないわ。扶桑、貴方は再び提督に逢いたくない?」
「私は・・・・・」
姉様が沈んだ。
姉様と言っても私と血縁関係などない。ただ私が適応した船霊の姉妹艦というだけだ。
今の時代、学がなく、コネもない女の行く先は見知らぬ相手に身体を許す売春婦か、艤装を背負って訳の分からない敵と戦う艦娘となるくらいしかない。
幸いにも私には戦艦種の適正があったおかげで艦娘となることができた。
別れを告げる友もなく、精一杯親らしく振舞う母の姿に私は幻滅した。見知らぬ男の種で孕んだ娘が「高値」で売れたんだ、母は喜びを隠しきれていない。私はそんな母も、故郷も捨ててこの鎮守府に来たのだ。
「貴方が山城ね。私が扶桑型一番艦、扶桑よ」
その時灰色だった世界が色づいたように私は感じた。
気が付くと私は誰かに強制されることなしに彼女を姉様と呼ぶようになっていた。
姉様は鎮守府の誰よりも強く、改二と呼ばれる強化処置を受けるのも誰よりも早かった。鎮守府最強の戦艦と呼ばれても姉様はそれを鼻にかけることすらなく、姉様は姉様としてあり続けた。そして姉様は提督と恋仲になった・・・・。
私としては扶桑姉様を盗られたように感じていたが、幸せそうな姉様を見ているとそんな後ろ暗い感情は消えうせた。
なのに・・・・
なのに!!!!!
姉様は僚艦を守るために盾になり、そのまま囮として海域に残って・・・・。
私は提督を詰った。なぜ扶桑姉様をあの海域に出したのか、他の戦艦はいなかったのかと。
・・・・わかっている
所詮あの時、空母ヲ級が潜んでいたなんて誰にも予測なんてつかなかった。でも・・・私はそうでもしなければ自分を保てなかった。
提督は反論せず、私の罵詈雑言を黙って聞いていた。そして、三日間行方不明になった・・・。
表向きは大本営に呼び出されたことになってはいるが、当日そのような予定は入っていない。
そして、三日後提督は一人の艦娘と一緒に鎮守府へと戻った。
「貴方が山城ね。私が扶桑型一番艦、扶桑よ」
沈んだ姉様と違う姉様と・・・。
「どうしたの?ぼぅとして・・・・」
僚艦である軽巡五十鈴が心配そうな顔で私を見ていた。
「ああ・・・少し考え事をしていて・・」
「扶桑さんのことで色々と悩んでるのはわかるけど、今は掃海任務に集中しなきゃ!終わったら酒くらい奢ってあげるから」
「・・・ありがとね五十鈴」
「お!酒盛りかい!!アタシもがんばっちゃうよ〜〜!!!」
「隼鷹〜〜?アンタ確か、鳳翔さんのお店でアキラ100%のマネをやらかして出禁になっていたっけ?」
「そ、それは・・・。鳳翔さんがアタシを黙らそうとスピリタスを飲ませたからで・・・」
※スピリタス ポーランド産のアルコール度96度のスーパーストロングウォッカ。ちなみにスピリタスというのはポーランド語で「精製アルコール」と、そのまんまの名前だったりする。
千代田や千歳など、軽空母は酒好きな艦娘が多い。特に軽空母の隼鷹はこの手の逸話に事欠かない。
「ソナーに感あり!!爆雷いきます!!!」
駆逐艦満潮が背中にマウントしてあるラックから缶コーヒー大の爆雷を掴むと眼前に投擲する。間髪おかずそれらは海中で爆発し、水柱が上がった。
「二匹取り逃した!!敵潜水艦は反転して逃げるつもりだよ!!」
隼鷹が警戒に出していた偵察機からの報告を私に告げる。
「逃がさない!!」
私は飛行甲板を構えると、艦載機である瑞雲を放った。私達から大分離れた海域で水柱が立つ、不快な、錆びた金属を擦り付けるような叫びと共に・・・・。
「山城さん?」
― ああ、まただ ―
あの日、提督と一緒に鎮守府にやってきた「扶桑」が心配そうに私を見る。
私達艦娘は「複数」いる。出身地もバラバラで、経歴や家族歴も千差万別だ。例えば駆逐艦吹雪だが、ズラッと並べたらそれぞれ別人と見分けることができる。しかし一人一人個別に見ると誰もが彼女達を「吹雪」と認識するだろう。目の前で私を心配そうに見ている「二番目の扶桑」も見れば見るほど、姉様そのものに見える。
「これから鳳翔さんの店で飲み会があるから。何か文句でも?」
「いいえ・・・」
「私に構っている暇があんなら、提督サマの汚ぇチンポでもしゃぶってれば?」
「・・・・・」
「何よ?文句があるんなら戦場に出て潜水艦の一匹でも狩ってみせな!」
私は最低だ。
「二番目」の扶桑は練度が足りない為、演習ばかりだということを彼女は気に病んでいた。
その傷を私は抉っていた。
「ごめんなさい・・・」
「謝るくらいなら私に構うな!」
そう言うと私は乱暴にドアを閉めた。
「山城ごめんなさい・・・・貴方に真実を告げられなくて・・」
彼女の呟きが寒々しい部屋に響く。
彼らのすれ違いはある日を境に解決した。ただし最も最悪な形で・・・・。
ガヤガヤ
「どいてどいて!!!!」
鎮守府付きの医療班がストレッチャーを押す。その表情に浮かぶのは焦り。
「どうした隼鷹!!!」
「てい・・・と・・く、申し訳ねぇ、待ち伏せだ。早く・・・早く!救援を!!山城のヤツが!!!」
隼鷹が咳き込むと同時にドロリとした血が提督の手を汚した。
「直ぐに増援を編成する。お前は自分の事に専念しろ!!!」
「面目ねぇ・・・・」
ガラガラ・・・・
運ばれていく五十鈴、満潮、皆大破ないしは中破の重傷を負っていた。
「早く治療を!!!」
提督が指示を叫ぶ。その時だった。
「提督・・・・」
艶やかな黒髪を靡かせ重戦艦「扶桑」が提督の傍らに立っていた。
「扶桑!山城のことは・・・」
「提督、私に行かせてください!お願いします!!」
「だが、そうすれば・・・・」
「機密を守ることよりも人の命の方が重要です!!」
「・・・俺は・・」
ギュッ!
扶桑が提督を強く抱きしめていた。
「提督・・・私は沈みません。そして山城も・・・・!」
「分かった、扶桑。第二格納庫の51番ハンガーに一式を置いてある。艤装には補給増設で新型高圧缶とボイラーを装備させている。金剛ほどじゃないが、かなりのスピードが出るはずだ。・・・・生きて帰ってこい扶桑」
「愛しているわアナタ」
急ぎ格納庫へと向かう、愛しき後姿を見ながら鎮守府の提督である「石川堂史郎」はスマートフォンを軽くたたくとそれを耳にあてた。
「間宮さん、申し訳ないが・・・・・」
― 提督の石川だ。皆に知らせがある。 ―
― 皆の楽しみの一つである甘味処間宮だが、冷蔵庫が壊れてしまったそうだ。このままではアイスが溶け切ってしまう。そこで、今回私はそれを全て買い取り皆に振舞いたいと思う。 ―
― また、海域に取り残された山城だが、丁度海域で演習を行っている友軍が助けに行ったので心配はない。以上だ ―
甘味処間宮は格納庫の反対側、艦娘寮の近くにある。提督の奇策により、人知れず一人の艦娘が抜錨したことには誰も気付きもしなかった。
「満身創痍ってヤツかしらね・・・」
敵の編成はフラグシップの雷巡チ級が二隻に軽巡ト級フラグシップが一隻。そして駆逐艦ハ級フラグシップが二隻。
なんとか隼鷹の天山がト級を葬ったが、直後にチ級の魚雷を喰らってしまった。満潮もハ級を一隻落としたがそれでも彼女には荷が重かったのだろう、生き残ったハ級からの砲撃で大破することになってしまい、中破だった五十鈴に二人を曳航させて海域を離脱させた。
私は中破で踏みとどまっていたが、元より低速の戦艦だ。一緒に撤退したらいい的になるにがオチだ。
今の私にできることは一分でも長くチ級を釘付けにすることだ。だが・・・それもお終い。先ほど喰らった魚雷で機関部が大破してしまった。航行はできるが鎮守府には戻れないだろう。後はじわじわと嬲り殺しにされるだけだ。
ギィィィィ!
金属の擦れる様な叫び声が聞こえる。恐らく、私をどう料理するか話し合っているのだろう。だが、私も艦娘だ。死ぬにしても一人でも多く道連れにしてやる。幸い、私の懐には満潮が装備していた爆雷がある。アイツらチ級は魚雷の塊だ。私が突撃して自爆すれば一人くらいは道連れに出来るだろう。
前を見る。幸いにも懐に隠した爆雷に奴らは気付いていない。
「扶桑姉様・・・あちらの世界でも、ご一緒に・・・・・」
私が奴らに組み付こうとした瞬間、何者かが私を後方に弾き飛ばした。その衝撃で懐から爆雷が転げ落ちてしまう。
「山城・・・大丈夫?」
白地に桜吹雪を思わせる赤い染め模様、白い鉢巻き。
私の目の前には「改二」となった扶桑姉様が立っていた。
これはきっと夢なのだろう、だって姉様はあの日あの海で・・・。
「山城!しっかりなさい!!」
「敵は・・・?」
「流石に戦艦二隻の相手は難しいとみて撤退していったわ」
「助かったの・・・?」
「取り合えず、はね」
言いたいことも、聞きたいこともあった。だが、今はその時ではないことを感じていた。
「・・・・・山城。真実を知りたいのなら今夜11時に執務室に来て」
私は無言で頷くしかなかった。
深夜の鎮守府。
日々戦いに明け暮れる艦娘たちが真の意味で羽根を休められる一時だ。
コツ―ン・・・コツ―ン・・
思いつめた表情で戦艦山城は鎮守府の廊下を歩く。
提督が裏で手を回していたのだろう、いつもなら夜戦夜戦と五月蠅い軽巡三姉妹の川内が今夜に限って静かにしている。
コンコン!
「戦艦山城、入ります」
ギィ・・・
軋みを立てながら重々しい執務室のドアが開く。
「待っていたわ山城」
「よく来てくれた」
執務室には扶桑と提督が待っていた。
「ッ!?」
執務室には微かな情事の香りがした。
「単刀直入に聞きます。扶桑は姉様か?」
「そうであるともいえるが・・・そうではないともいえるな」
私の中で何かが弾けた。
「テメェ!!いい加減にしろよ!!!なんだよそれは!!!」
アタシは無意識に執務机に近づき、その胸倉を掴んでいた。
「気が済んだか山城?」
その瞳には怒りの火は見えなかった。そう・・・あの日私が提督を詰った時と同じだ。
「山城・・・真実を教えてあげるわ・・・でも覚悟しなさい。目を背けることは許さない」
扶桑は目を伏せた。
ゆっくりと健康的な肌色は白く青ざめ、その艶やかな髪は色を失い月光のような銀色の髪へと変わった。
「これが本当の姿よ、山城」
「深海棲艦・・・・?」
「違うわ。ワイトという魔物娘よ」
「何よ・・・・魔物娘って・・・」
「それは・・・」
提督と山城が口ごもった。
― 私が教えてあげるわ ―
一瞬、執務室の闇が濃くなった。山城の本能が告げる、逃げろと。
ダッ!
内なる声に命じられるまま彼女は走りだした。しかし、二メートルの離れていないはずのドアにたどり着くことはできなかった。
「捕まえた」
白い髪をした悪魔が彼女を捕まえていたのだ・・・。
「落ち着いたかしら?山城さん」
今山城は執務室の上等なソファーに座っている。否、座らされているというべきだろう。
「あいにくと私は縄で縛られて憩えるほどイカれちゃいないんでね」
「貴方らしいわね」
「名前くらい名乗ったら?この変態コスプレ女!!」
「これは失礼。魔王の娘リリムが一人、ラヴィベルよ」
「魔王とか魔物娘とか、頭が湧いてんじゃね?」
「そうかも・・・ね!」
ラヴィベルが指を鳴らした瞬間だ。山城を拘束する縄が大蛇へと変わる。
「ヒィ!!や・・やめろ!!!」
大蛇は山城の衣服に潜りこむ。その冷たくぬめる感触に山城とて悲鳴を上げた。
「さてと、お仕置きはそこまでにして・・・」
彼女が再び指を鳴らすと蛇は消えうせた。
「愛する姉様に何が起きたのか知りたいのでしょ?」
山城は静かに頷いた。
目の前の深海棲艦 ― 本人はリリムと名乗っていたが ― が話す話は山城の理解を超えていた。
サキュバスに統治された愛に溢れた世界?
馬鹿げてる、そう否定するのは簡単だ
しかし、現実に扶桑姉様や目の前の変態コスプレ女がいる以上は山城とて信じざるを得ない。
「だが、それと目の前の状況がどう関係するんだ?」
「貴方はさっき言ったわよね?なぜ深海棲艦がここにいるかと・・・・」
「ああ、そうだが?」
「・・・・深海棲艦を生み出してしまったのは私達なのよ」
「?!」
「母上が魔王に即位して魔物は人を愛するようになった。でも人間が以前の魔物から受けた痛みや苦しみは消えることなく澱み続けた。そして、それは一つの形をとった・・・」
そこまで話すとラヴィベルは目を閉じた。
「イーヴィルオーブ、厄災の種よ。私達がその存在に気付いた時には既に遅かった。オーブは自らの意識で絶望と苦しむに溢れたこの世界に現れた後だったの・・・」
「・・・・結局はアンタらの尻拭いってワケか」
「心苦しく思っているわ・・・・。だからこそ、私は貴方達を守るためにこの世界に留まっている」
「守る?」
「オーブは力を持つ者、絶望した者に憑りついて変異させる。貴方も姫級を倒した時に見慣れない艦娘が発見される事があることを知っているわね?イーヴィルオーブは人間が魔物に対する恐怖、そのものが焼き付いている、だからこそオーブが寄り付いた艦娘が素体になった深海棲艦は私達魔物娘と同じ姿をしているのよ。絶望の記憶を撒き散らすために。ケッコン指輪は知っているわよね?」
「ソレが?悪趣味な名前だと思ったけどな」
「艦娘は言うなれば船霊という魔力を纏って戦っているわ。だからこそ常人以上にオーブの影響を受けやすい。ケッコン指輪は任意の男性と艦娘とに精神的な繋がりを持たせオーブの浸食に対する予防を担っているわ。それに・・・」
ラヴィベルが扶桑と提督を見る。
「あの二人のように、運命の軛によって引き裂かれようとした恋人を助けるためにも役立つわ」
ザザァ―
空は何処までも蒼く、海も深海棲艦の姿すらなく穏やかだった。
結局のところ、私は何処まで行っても山城で・・・・世界の命運を握るにはあまりにも非力だ。しかし、私には不幸と嘆く暇などない。
誰一人欠けることなく深海棲艦を打ち倒す、それしかイーヴィルオーブを消滅させる手段はない。
「山城・・・大丈夫?」
姉様は帰ってきてくれた。
「ええ大丈夫です!姉様!!」
大切な人が戻ってきてくれた。
今はそれだけでいい。
二隻の戦艦は大海原を征く。
愛しき扶桑姉様と暁の水平線に勝利を刻むために・・・・。
だからこそ人類は「見逃してしまった」。
これが後に、「駆逐艦イ級」と呼称されるものの幼生体であることをこの時は誰も知らなかったのだ。
ザザー・・・・
私は海面に浮かんでいた。
艤装は既に力を失い、私がパージしなければ今頃一昔前のマフィア映画に出てくる三下のように青ざめた顔をして海底で棒立ちになっていただろう。
今は辛うじて生きているが、それもあと数刻で終わる。
流された血で呼び寄せられた鮫に肉体を引き裂かれる?
力尽きて海中に沈む?
どちらにしても死ぬことは変わらない。こういう場合、自決用の拳銃や致死錠剤がないことが悔やまれる。
「提督・・・・・」
出撃の前夜の情事が蘇る。提督は私と身を重ねるのを拒んだ。それもそうだ。私は人ではあるが同時に「兵器」だ。いつ死んでもおかしくはない。でも私は提督との消えない絆を望んだ。たとえ、この身が海の泡になろうともこの想いは消えないのだから。
「貴方それでもいいのかしら?」
「誰!」
私が辛うじて動く首を声のした方向に向ける。
白い髪
赤い瞳
黒いドレスのようにも煽情的なビキニにも見える衣服
それはまるで・・・
「深海棲艦!!!!」
― 深海棲艦 ―
数年前に現れた未確認生物の総称だ。
その形態は駆逐イ級のような水生生物のようなものから、重巡リ級や戦艦ル級といった比較的人間に近いものまで様々だが、一様に人間と対話する意思はなく、ただただ海に出た人間を殲滅することを目的としていた。近年は、「姫級」や「鬼級」といった指揮官クラスの存在も確認されている。
彼らによってシーレーンを失った人類は人間をベースにした兵器である「海上歩兵」、通称「艦娘」を生み出した。「船霊」と呼ばれる、一種のエネルギー体を封じた「艤装」を適正のある人間に与えることにより生み出される彼女達「艦娘」の活躍により、日本は餓死者も出さず国家としての命脈を保っていた。
ギリッ!
「おお怖い怖い。でも私は深海棲艦じゃないわ、魔王が娘の一人リリムのラヴィベル。綺麗な顔が台無しよ?扶桑」
目の前の姫級から飛び出した艦娘としての名前に彼女の目が開かれる。
「時間が足りないわ。いい?一度しか言わないわ。扶桑、貴方は再び提督に逢いたくない?」
「私は・・・・・」
姉様が沈んだ。
姉様と言っても私と血縁関係などない。ただ私が適応した船霊の姉妹艦というだけだ。
今の時代、学がなく、コネもない女の行く先は見知らぬ相手に身体を許す売春婦か、艤装を背負って訳の分からない敵と戦う艦娘となるくらいしかない。
幸いにも私には戦艦種の適正があったおかげで艦娘となることができた。
別れを告げる友もなく、精一杯親らしく振舞う母の姿に私は幻滅した。見知らぬ男の種で孕んだ娘が「高値」で売れたんだ、母は喜びを隠しきれていない。私はそんな母も、故郷も捨ててこの鎮守府に来たのだ。
「貴方が山城ね。私が扶桑型一番艦、扶桑よ」
その時灰色だった世界が色づいたように私は感じた。
気が付くと私は誰かに強制されることなしに彼女を姉様と呼ぶようになっていた。
姉様は鎮守府の誰よりも強く、改二と呼ばれる強化処置を受けるのも誰よりも早かった。鎮守府最強の戦艦と呼ばれても姉様はそれを鼻にかけることすらなく、姉様は姉様としてあり続けた。そして姉様は提督と恋仲になった・・・・。
私としては扶桑姉様を盗られたように感じていたが、幸せそうな姉様を見ているとそんな後ろ暗い感情は消えうせた。
なのに・・・・
なのに!!!!!
姉様は僚艦を守るために盾になり、そのまま囮として海域に残って・・・・。
私は提督を詰った。なぜ扶桑姉様をあの海域に出したのか、他の戦艦はいなかったのかと。
・・・・わかっている
所詮あの時、空母ヲ級が潜んでいたなんて誰にも予測なんてつかなかった。でも・・・私はそうでもしなければ自分を保てなかった。
提督は反論せず、私の罵詈雑言を黙って聞いていた。そして、三日間行方不明になった・・・。
表向きは大本営に呼び出されたことになってはいるが、当日そのような予定は入っていない。
そして、三日後提督は一人の艦娘と一緒に鎮守府へと戻った。
「貴方が山城ね。私が扶桑型一番艦、扶桑よ」
沈んだ姉様と違う姉様と・・・。
「どうしたの?ぼぅとして・・・・」
僚艦である軽巡五十鈴が心配そうな顔で私を見ていた。
「ああ・・・少し考え事をしていて・・」
「扶桑さんのことで色々と悩んでるのはわかるけど、今は掃海任務に集中しなきゃ!終わったら酒くらい奢ってあげるから」
「・・・ありがとね五十鈴」
「お!酒盛りかい!!アタシもがんばっちゃうよ〜〜!!!」
「隼鷹〜〜?アンタ確か、鳳翔さんのお店でアキラ100%のマネをやらかして出禁になっていたっけ?」
「そ、それは・・・。鳳翔さんがアタシを黙らそうとスピリタスを飲ませたからで・・・」
※スピリタス ポーランド産のアルコール度96度のスーパーストロングウォッカ。ちなみにスピリタスというのはポーランド語で「精製アルコール」と、そのまんまの名前だったりする。
千代田や千歳など、軽空母は酒好きな艦娘が多い。特に軽空母の隼鷹はこの手の逸話に事欠かない。
「ソナーに感あり!!爆雷いきます!!!」
駆逐艦満潮が背中にマウントしてあるラックから缶コーヒー大の爆雷を掴むと眼前に投擲する。間髪おかずそれらは海中で爆発し、水柱が上がった。
「二匹取り逃した!!敵潜水艦は反転して逃げるつもりだよ!!」
隼鷹が警戒に出していた偵察機からの報告を私に告げる。
「逃がさない!!」
私は飛行甲板を構えると、艦載機である瑞雲を放った。私達から大分離れた海域で水柱が立つ、不快な、錆びた金属を擦り付けるような叫びと共に・・・・。
「山城さん?」
― ああ、まただ ―
あの日、提督と一緒に鎮守府にやってきた「扶桑」が心配そうに私を見る。
私達艦娘は「複数」いる。出身地もバラバラで、経歴や家族歴も千差万別だ。例えば駆逐艦吹雪だが、ズラッと並べたらそれぞれ別人と見分けることができる。しかし一人一人個別に見ると誰もが彼女達を「吹雪」と認識するだろう。目の前で私を心配そうに見ている「二番目の扶桑」も見れば見るほど、姉様そのものに見える。
「これから鳳翔さんの店で飲み会があるから。何か文句でも?」
「いいえ・・・」
「私に構っている暇があんなら、提督サマの汚ぇチンポでもしゃぶってれば?」
「・・・・・」
「何よ?文句があるんなら戦場に出て潜水艦の一匹でも狩ってみせな!」
私は最低だ。
「二番目」の扶桑は練度が足りない為、演習ばかりだということを彼女は気に病んでいた。
その傷を私は抉っていた。
「ごめんなさい・・・」
「謝るくらいなら私に構うな!」
そう言うと私は乱暴にドアを閉めた。
「山城ごめんなさい・・・・貴方に真実を告げられなくて・・」
彼女の呟きが寒々しい部屋に響く。
彼らのすれ違いはある日を境に解決した。ただし最も最悪な形で・・・・。
ガヤガヤ
「どいてどいて!!!!」
鎮守府付きの医療班がストレッチャーを押す。その表情に浮かぶのは焦り。
「どうした隼鷹!!!」
「てい・・・と・・く、申し訳ねぇ、待ち伏せだ。早く・・・早く!救援を!!山城のヤツが!!!」
隼鷹が咳き込むと同時にドロリとした血が提督の手を汚した。
「直ぐに増援を編成する。お前は自分の事に専念しろ!!!」
「面目ねぇ・・・・」
ガラガラ・・・・
運ばれていく五十鈴、満潮、皆大破ないしは中破の重傷を負っていた。
「早く治療を!!!」
提督が指示を叫ぶ。その時だった。
「提督・・・・」
艶やかな黒髪を靡かせ重戦艦「扶桑」が提督の傍らに立っていた。
「扶桑!山城のことは・・・」
「提督、私に行かせてください!お願いします!!」
「だが、そうすれば・・・・」
「機密を守ることよりも人の命の方が重要です!!」
「・・・俺は・・」
ギュッ!
扶桑が提督を強く抱きしめていた。
「提督・・・私は沈みません。そして山城も・・・・!」
「分かった、扶桑。第二格納庫の51番ハンガーに一式を置いてある。艤装には補給増設で新型高圧缶とボイラーを装備させている。金剛ほどじゃないが、かなりのスピードが出るはずだ。・・・・生きて帰ってこい扶桑」
「愛しているわアナタ」
急ぎ格納庫へと向かう、愛しき後姿を見ながら鎮守府の提督である「石川堂史郎」はスマートフォンを軽くたたくとそれを耳にあてた。
「間宮さん、申し訳ないが・・・・・」
― 提督の石川だ。皆に知らせがある。 ―
― 皆の楽しみの一つである甘味処間宮だが、冷蔵庫が壊れてしまったそうだ。このままではアイスが溶け切ってしまう。そこで、今回私はそれを全て買い取り皆に振舞いたいと思う。 ―
― また、海域に取り残された山城だが、丁度海域で演習を行っている友軍が助けに行ったので心配はない。以上だ ―
甘味処間宮は格納庫の反対側、艦娘寮の近くにある。提督の奇策により、人知れず一人の艦娘が抜錨したことには誰も気付きもしなかった。
「満身創痍ってヤツかしらね・・・」
敵の編成はフラグシップの雷巡チ級が二隻に軽巡ト級フラグシップが一隻。そして駆逐艦ハ級フラグシップが二隻。
なんとか隼鷹の天山がト級を葬ったが、直後にチ級の魚雷を喰らってしまった。満潮もハ級を一隻落としたがそれでも彼女には荷が重かったのだろう、生き残ったハ級からの砲撃で大破することになってしまい、中破だった五十鈴に二人を曳航させて海域を離脱させた。
私は中破で踏みとどまっていたが、元より低速の戦艦だ。一緒に撤退したらいい的になるにがオチだ。
今の私にできることは一分でも長くチ級を釘付けにすることだ。だが・・・それもお終い。先ほど喰らった魚雷で機関部が大破してしまった。航行はできるが鎮守府には戻れないだろう。後はじわじわと嬲り殺しにされるだけだ。
ギィィィィ!
金属の擦れる様な叫び声が聞こえる。恐らく、私をどう料理するか話し合っているのだろう。だが、私も艦娘だ。死ぬにしても一人でも多く道連れにしてやる。幸い、私の懐には満潮が装備していた爆雷がある。アイツらチ級は魚雷の塊だ。私が突撃して自爆すれば一人くらいは道連れに出来るだろう。
前を見る。幸いにも懐に隠した爆雷に奴らは気付いていない。
「扶桑姉様・・・あちらの世界でも、ご一緒に・・・・・」
私が奴らに組み付こうとした瞬間、何者かが私を後方に弾き飛ばした。その衝撃で懐から爆雷が転げ落ちてしまう。
「山城・・・大丈夫?」
白地に桜吹雪を思わせる赤い染め模様、白い鉢巻き。
私の目の前には「改二」となった扶桑姉様が立っていた。
これはきっと夢なのだろう、だって姉様はあの日あの海で・・・。
「山城!しっかりなさい!!」
「敵は・・・?」
「流石に戦艦二隻の相手は難しいとみて撤退していったわ」
「助かったの・・・?」
「取り合えず、はね」
言いたいことも、聞きたいこともあった。だが、今はその時ではないことを感じていた。
「・・・・・山城。真実を知りたいのなら今夜11時に執務室に来て」
私は無言で頷くしかなかった。
深夜の鎮守府。
日々戦いに明け暮れる艦娘たちが真の意味で羽根を休められる一時だ。
コツ―ン・・・コツ―ン・・
思いつめた表情で戦艦山城は鎮守府の廊下を歩く。
提督が裏で手を回していたのだろう、いつもなら夜戦夜戦と五月蠅い軽巡三姉妹の川内が今夜に限って静かにしている。
コンコン!
「戦艦山城、入ります」
ギィ・・・
軋みを立てながら重々しい執務室のドアが開く。
「待っていたわ山城」
「よく来てくれた」
執務室には扶桑と提督が待っていた。
「ッ!?」
執務室には微かな情事の香りがした。
「単刀直入に聞きます。扶桑は姉様か?」
「そうであるともいえるが・・・そうではないともいえるな」
私の中で何かが弾けた。
「テメェ!!いい加減にしろよ!!!なんだよそれは!!!」
アタシは無意識に執務机に近づき、その胸倉を掴んでいた。
「気が済んだか山城?」
その瞳には怒りの火は見えなかった。そう・・・あの日私が提督を詰った時と同じだ。
「山城・・・真実を教えてあげるわ・・・でも覚悟しなさい。目を背けることは許さない」
扶桑は目を伏せた。
ゆっくりと健康的な肌色は白く青ざめ、その艶やかな髪は色を失い月光のような銀色の髪へと変わった。
「これが本当の姿よ、山城」
「深海棲艦・・・・?」
「違うわ。ワイトという魔物娘よ」
「何よ・・・・魔物娘って・・・」
「それは・・・」
提督と山城が口ごもった。
― 私が教えてあげるわ ―
一瞬、執務室の闇が濃くなった。山城の本能が告げる、逃げろと。
ダッ!
内なる声に命じられるまま彼女は走りだした。しかし、二メートルの離れていないはずのドアにたどり着くことはできなかった。
「捕まえた」
白い髪をした悪魔が彼女を捕まえていたのだ・・・。
「落ち着いたかしら?山城さん」
今山城は執務室の上等なソファーに座っている。否、座らされているというべきだろう。
「あいにくと私は縄で縛られて憩えるほどイカれちゃいないんでね」
「貴方らしいわね」
「名前くらい名乗ったら?この変態コスプレ女!!」
「これは失礼。魔王の娘リリムが一人、ラヴィベルよ」
「魔王とか魔物娘とか、頭が湧いてんじゃね?」
「そうかも・・・ね!」
ラヴィベルが指を鳴らした瞬間だ。山城を拘束する縄が大蛇へと変わる。
「ヒィ!!や・・やめろ!!!」
大蛇は山城の衣服に潜りこむ。その冷たくぬめる感触に山城とて悲鳴を上げた。
「さてと、お仕置きはそこまでにして・・・」
彼女が再び指を鳴らすと蛇は消えうせた。
「愛する姉様に何が起きたのか知りたいのでしょ?」
山城は静かに頷いた。
目の前の深海棲艦 ― 本人はリリムと名乗っていたが ― が話す話は山城の理解を超えていた。
サキュバスに統治された愛に溢れた世界?
馬鹿げてる、そう否定するのは簡単だ
しかし、現実に扶桑姉様や目の前の変態コスプレ女がいる以上は山城とて信じざるを得ない。
「だが、それと目の前の状況がどう関係するんだ?」
「貴方はさっき言ったわよね?なぜ深海棲艦がここにいるかと・・・・」
「ああ、そうだが?」
「・・・・深海棲艦を生み出してしまったのは私達なのよ」
「?!」
「母上が魔王に即位して魔物は人を愛するようになった。でも人間が以前の魔物から受けた痛みや苦しみは消えることなく澱み続けた。そして、それは一つの形をとった・・・」
そこまで話すとラヴィベルは目を閉じた。
「イーヴィルオーブ、厄災の種よ。私達がその存在に気付いた時には既に遅かった。オーブは自らの意識で絶望と苦しむに溢れたこの世界に現れた後だったの・・・」
「・・・・結局はアンタらの尻拭いってワケか」
「心苦しく思っているわ・・・・。だからこそ、私は貴方達を守るためにこの世界に留まっている」
「守る?」
「オーブは力を持つ者、絶望した者に憑りついて変異させる。貴方も姫級を倒した時に見慣れない艦娘が発見される事があることを知っているわね?イーヴィルオーブは人間が魔物に対する恐怖、そのものが焼き付いている、だからこそオーブが寄り付いた艦娘が素体になった深海棲艦は私達魔物娘と同じ姿をしているのよ。絶望の記憶を撒き散らすために。ケッコン指輪は知っているわよね?」
「ソレが?悪趣味な名前だと思ったけどな」
「艦娘は言うなれば船霊という魔力を纏って戦っているわ。だからこそ常人以上にオーブの影響を受けやすい。ケッコン指輪は任意の男性と艦娘とに精神的な繋がりを持たせオーブの浸食に対する予防を担っているわ。それに・・・」
ラヴィベルが扶桑と提督を見る。
「あの二人のように、運命の軛によって引き裂かれようとした恋人を助けるためにも役立つわ」
ザザァ―
空は何処までも蒼く、海も深海棲艦の姿すらなく穏やかだった。
結局のところ、私は何処まで行っても山城で・・・・世界の命運を握るにはあまりにも非力だ。しかし、私には不幸と嘆く暇などない。
誰一人欠けることなく深海棲艦を打ち倒す、それしかイーヴィルオーブを消滅させる手段はない。
「山城・・・大丈夫?」
姉様は帰ってきてくれた。
「ええ大丈夫です!姉様!!」
大切な人が戻ってきてくれた。
今はそれだけでいい。
二隻の戦艦は大海原を征く。
愛しき扶桑姉様と暁の水平線に勝利を刻むために・・・・。
18/03/24 21:20更新 / 法螺男