この手を離さないで ― 久遠の時の中で ―
カシャッ!
「お疲れ様でした」
いつものようにタイムカードを打刻して勤務している印刷会社を出る。
今日は10月31日、つまりはハロウィンだ。
街を見るといつもはあまり見かけないスケルトンやゾンビなども仮装して通りを練り歩いている。
「動く骸骨」や「ゾンビ」そのものである彼女達が仮装する意味があるのかと思うが、当人たちが楽しそうなのでそれはそれでいいのかもしれない。
よく見ると異形の群れの中に、男性の姿もチラホラ見かける。恐らくは彼女達の恋人か伴侶なのだろう。
スマートフォンを見ると18時になろうとしていた。
「ナユが待ってるから早く帰らないとな」
― 草月那由子 ―
僕の妻だ。経済的な事情で結婚式はまだ挙げていないが一緒に住んで一年経っている。
孤児院で育ち特殊浴場のコンパニオン、つまりはソープランドの泡姫だったがそんな過去を感じさせないほど彼女は明るい。
無論、親に結婚を反対されて今では勘当されているけど、彼女と一緒なら問題はない。
それほどまでに僕は彼女を愛している。
「ただいま」
部屋の中が暗い。
いつもなら聞こえるナユの声すら聞こえない。
〜 何かがおかしい 〜
僕は声を殺し、ゆっくりとダイニングに入る。
見ると暗闇の中、誰かがゆっくりとこちらに歩いてくる。
「ナユ・・・・・!」
ボロボロの衣服、青ざめた肌そして虚ろな瞳。
魔物「ゾンビ」がそこにいた。
「ア・・・ア・・ア・ナ・・・・タ・・」
「なんだいるんじゃないかナユ」
「どう!驚いたでしょ!」
「びっくりしたよ!もう」
ナユはよくこうした遊びをすることがある。
去年のハロウィンでは巨大なカボチャ提灯から全裸のナユが飛び出すといった仮装をしたこともある。
「さあパーティにしましょう。腕によりをかけて作ったんだから!」
「僕は買い置きのアスティ・スプマンテを準備するよ。ナユも好きだろ?」
「ええ」
結婚のときに購入したペアのシャンパングラスを持つとナユのいるダイニングへと向かった。
「いや〜喰った喰った。料理の腕を上げたんじゃないかナユ?」
「・・・・タケちゃんと一生の思い出になる一日にしたかったから」
ナユの表情に影が差す。
「どうしたんだいナユ。暗い顔をしてって、ゾンビの仮装しているから当然か!」
「仮装じゃないの・・・」
「え・・・・・?」
「だから仮装じゃないのよ!」
そう言うとナユが俺の手を掴み自らの胸に押し付ける。
「ヒッ!」
氷のように冷たい。生きている人間なら感じるべき心臓の鼓動すらなかった。
「ね・・・わかったでしょ。私はもう生きてないって・・・・」
「どうして・・・どうしてこんなことになったんだよ!」
「私ね・・・今日事故に遭ったの」
午後、私はパーティの為に買い出しに出たの
いつもの肉屋さんで頼んでいたローストビーフを受け取って、お菓子屋さんでケーキを買って・・・
いつも通りだった。
私が渡った時、信号機は青だった・・・青だったのよ
。
でも、いきなり突っ込んできたトラックに跳ね飛ばされた
。
手や足は折れて曲がっていて、私の首の骨も砕けて皮で繋がっている状態だった。
強すぎる痛みを感じると人間って何も感じなくなるのね。
私はハッキリとした意識の中で、死ぬのを待っているだけだった。
その時ある人が助けてくれたのよ。
ダイヤモンドみたいに輝く黒髪で黒いドレスを着た女の人。
目が赤かったから魔物の女の人だと思う。でもどんな魔物かはわからなかった。
その人が私に語り掛けたの・・・・。
― 今から救助を呼んでも貴方は助けられないわ。・・・聞こえるかしら? ―
声を出そうとしても首の骨が折れている私には呻き声さえ出せない。
― 無理しなくてもいいわ。心で思ってくれるだけでわかるから。貴方・・・・人であることを辞めても生きたいかしら? ―
〜 生きたい!生きて・・・生きて会いたい人がいるの!!! 〜
― 判ったわ・・・ ―
女の人は懐から灰色の液体に満たされた試験管を取り出したわ。
― これはアンデッドハイイロナゲキダケのエキスよ。貴方を人間のまま助けることは無理だけどアンデッドに転生させるのは可能よ。貴方の傷の具合からして恐らくはゾンビに転生するわ。でも・・・・ ―
〜 でも・・・・? 〜
― ゾンビに転生して命が助かっても今の意識が保持されるのは10時間くらい。やがては意識が魔物へと変わっていくわ ―
〜 それって私が私でなくなるの? 〜
黒い服の女の人は頷いた。
― でも、貴方の逢いたい人が変わり果てた貴方を本当に愛し続けてくれるのなら・・・きっとまた貴方は愛する人とまた会えるわ。約束する ―
「私はその液体を飲んだ。もっとも首すら動かせなかったからその人に飲ませてもらったんだけどね」
僕は彼女の告白を静かに聞いていた。
見れば見るほど目の前のナユはいつも変わらない。
そうだ、きっと氷か何かで身体を冷やしてゾンビのふりをしているんだ。
「冗談だろ・・・・?」
縋るようにナユを見る。
でも彼女の表情は変わらない。
「・・・・時間切れなの。もう意識がぼぅとして考えが何もまとまらないの・・・」
ナユの瞳から理性の光が消えつつあった。
「ナユっ!!」
彼女を抱きしても「彼女」を引き留めることなんてできない、そうわかっている。でも僕はそうせずにはいられなかった。
「・・・・・タケちゃん・・・ゴ・・・メ・・・ナ・・・サイ」
「ナユ・・・・?」
ナユの両手が僕の肩を掴み・・・冷たい床へと引き倒した。
彼女が引き倒された僕に馬乗りになる。
「サムイ・・・・オトコ・・・アタタカイ」
彼女の氷のような手が僕のシャツを引き裂く。
顔にポタリポタリと冷たい雫が滴る。
「ナユ・・・・?」
彼女は泣いていた。
魔物に堕ちても彼女は人間であることを捨ててはなかった。
僕は彼女を引き寄せ、その冷たく青紫色に変色した唇に唇を重ねた。
「どんなに変わってもナユはナユだよ・・・・」
僕は手を広げ彼女を受け入れた。
「・・・・」
僕は目の前のディスプレーに表示されている文章に目を走らす。
― 魔物娘図鑑 ―
政府が無料で公開している魔物の種族が記載されたホームページだ。
ナユの種族は「ゾンビ」。彼女が摂取したアンデッドハイイロナゲキダケというのは摂取した女性をアンデッド系の魔物へと変えるキノコで、ナユのような手の施しようのない怪我を負った人間に投与されるものらしい。
彼女は僕の隣で静かに寝息を立てている。
あの後、僕は彼女の求めるまま愛し合った。
冷たい身体には嫌悪感もあった。
でも辛いのは彼女自身だ。僕は彼女を受け入れると決めた。
だから僕らは月が傾くまでその情念のまま交わったのだ。
今僕がこのホームページを見ているのは、彼女が「女の人」から聞いた「愛し合えばいずれ会える」という言葉の意味だ。
「このことか・・・・!」
その膨大な説明書きの中の一文を目にした瞬間僕は全てを理解した。
「ようこそ不死者の国へ。草月様でよろしいでしょうか?」
重々しい扉の前、上質なマホガニーでできたカウンターに立つスケルトンの女性が僕らに声をかける。
スケルトンは白骨死体に魂が憑依した存在で、意思がはっきりとしていないことが多いが伴侶と愛し合っているのだろう、彼女は一度も言いよどむことなく話していた。
「ええ。僕が夫の丈三で、こちらが妻の那由子です」
「居住区は蝙蝠通りのアパルトマン。その三階となっております。移住歓迎しますわ」
そう言うと彼女は僕に部屋の鍵を渡してくれた。短く彼女に謝意を告げた。
手に掴んだスーツケースをじっと見る。これには札束が詰まっている。総額1000万円。処分できる財産全てを金に換えたものだ。
進むべき道を見つけた僕の行動は早かった。
再び「彼女」に出会うためなら惜しくはない。
― ゾンビは愛する者の精を受け続けると知恵をつけていき進化する ―
ナユをゾンビにした魔物が言う「愛し続ければ再び会える」とはこのことだった。
通常の交わりでは何年かかるか分からない。
では「通常よりも魔力が満ちている異世界」ではどうか?
「不死者の国への移住」
彼女と再び出会うために僕は生まれ育った世界を捨てた。
未だに魔物に対する差別や偏見に満ちたあの世界ではゾンビとして生きる彼女には辛すぎる。
それに「外地」、それもアンデッドの集う「不死者の国」なら空気中に魔力が漂っているためより進化しやすいと考えたからだ。
永遠に夜明けの来ない常夜の国。
不安もある。でもナユがいるのなら乗り越えていける。
僕はナユを抱きしめ、彼女の唇にキスした。
不死者の国へ移住して一年経った。
僕はこの国でコミュニティー紙の発行人兼記者をしていて忙しい日々を送っている。
初期投資は結構かかったが、死の国にこういったモノがなかったおかげで裕福ではないがそれなりの生活を送れている。
「貴方、お仕事まだ終わらないの・・・・?」
「ああナユ。もうすぐだから」
仕事が忙しくなったが、ナユとの生活は大事にしている。
何度となく交わったからか、ナユは生前の記憶と意識を取り戻している。
今ではコミュニティー紙の看板記者として活動していて、その歯に着せぬ論評で人気があり彼女の担当するコーナーへの投書は群を抜く。
「ところであの夜に聞けなかったんだけど、ナユをゾンビにして助けてくれた魔物ってどんな名前の人だったんだ?」
「私も聞いたのよ。でもその人は教えてくれなかったわ」
― ただの通りすがりのお節介なサキュバスよ。グランマとでも呼んで ―
「彼女はそう言って去ったわ・・・・」
一度、里帰りして「グランマ」と名乗る恩人を探してみたいが、今はそれどころじゃない。
「ねぇ貴方。この子私のお腹を蹴っているわ。早くパパに会いたいって」
ナユは妊娠した。
ゾンビの「父親」になるにはそれなりに葛藤と覚悟が必要だったが、たとえゾンビであってもナユと僕の子だ。愛せないはずがない。
「この子が元気に生まれてくれる様にいつものおまじないをお願いね」
「ああ、でも書斎ではよしてくれよ」
「じゃあベッドルームで待ってるわね。パパ?」
人間にとって妊娠中のセックスは禁忌だ。しかしそれは人間の場合だ。魔物と、そしてその伴侶であるインキュバスとなった僕にそれは当てはまらない。
むしろ、魔物娘にとって妊娠中のセックスはより元気な子を産むために必要なこととされる。
「・・・・これでよし」
最後のピリオドを打ち。僕は椅子から立ち上がった。
「ゾンビの妻と暮らして ― 出産編 ― 」
来月号分の文章に目を通して、パソコンの電源を落とす。
校正は明日でもいい。
今は愛する妻の元で愛を交わしたかった。
永遠に夜明けの来ない常夜の国「死の国」
しかし煌煌と燃え上がる愛の炎は確かにここにあった。
― 大好きよ貴方・・・たとえ死んでも・・・ ―
「お疲れ様でした」
いつものようにタイムカードを打刻して勤務している印刷会社を出る。
今日は10月31日、つまりはハロウィンだ。
街を見るといつもはあまり見かけないスケルトンやゾンビなども仮装して通りを練り歩いている。
「動く骸骨」や「ゾンビ」そのものである彼女達が仮装する意味があるのかと思うが、当人たちが楽しそうなのでそれはそれでいいのかもしれない。
よく見ると異形の群れの中に、男性の姿もチラホラ見かける。恐らくは彼女達の恋人か伴侶なのだろう。
スマートフォンを見ると18時になろうとしていた。
「ナユが待ってるから早く帰らないとな」
― 草月那由子 ―
僕の妻だ。経済的な事情で結婚式はまだ挙げていないが一緒に住んで一年経っている。
孤児院で育ち特殊浴場のコンパニオン、つまりはソープランドの泡姫だったがそんな過去を感じさせないほど彼女は明るい。
無論、親に結婚を反対されて今では勘当されているけど、彼女と一緒なら問題はない。
それほどまでに僕は彼女を愛している。
「ただいま」
部屋の中が暗い。
いつもなら聞こえるナユの声すら聞こえない。
〜 何かがおかしい 〜
僕は声を殺し、ゆっくりとダイニングに入る。
見ると暗闇の中、誰かがゆっくりとこちらに歩いてくる。
「ナユ・・・・・!」
ボロボロの衣服、青ざめた肌そして虚ろな瞳。
魔物「ゾンビ」がそこにいた。
「ア・・・ア・・ア・ナ・・・・タ・・」
「なんだいるんじゃないかナユ」
「どう!驚いたでしょ!」
「びっくりしたよ!もう」
ナユはよくこうした遊びをすることがある。
去年のハロウィンでは巨大なカボチャ提灯から全裸のナユが飛び出すといった仮装をしたこともある。
「さあパーティにしましょう。腕によりをかけて作ったんだから!」
「僕は買い置きのアスティ・スプマンテを準備するよ。ナユも好きだろ?」
「ええ」
結婚のときに購入したペアのシャンパングラスを持つとナユのいるダイニングへと向かった。
「いや〜喰った喰った。料理の腕を上げたんじゃないかナユ?」
「・・・・タケちゃんと一生の思い出になる一日にしたかったから」
ナユの表情に影が差す。
「どうしたんだいナユ。暗い顔をしてって、ゾンビの仮装しているから当然か!」
「仮装じゃないの・・・」
「え・・・・・?」
「だから仮装じゃないのよ!」
そう言うとナユが俺の手を掴み自らの胸に押し付ける。
「ヒッ!」
氷のように冷たい。生きている人間なら感じるべき心臓の鼓動すらなかった。
「ね・・・わかったでしょ。私はもう生きてないって・・・・」
「どうして・・・どうしてこんなことになったんだよ!」
「私ね・・・今日事故に遭ったの」
午後、私はパーティの為に買い出しに出たの
いつもの肉屋さんで頼んでいたローストビーフを受け取って、お菓子屋さんでケーキを買って・・・
いつも通りだった。
私が渡った時、信号機は青だった・・・青だったのよ
。
でも、いきなり突っ込んできたトラックに跳ね飛ばされた
。
手や足は折れて曲がっていて、私の首の骨も砕けて皮で繋がっている状態だった。
強すぎる痛みを感じると人間って何も感じなくなるのね。
私はハッキリとした意識の中で、死ぬのを待っているだけだった。
その時ある人が助けてくれたのよ。
ダイヤモンドみたいに輝く黒髪で黒いドレスを着た女の人。
目が赤かったから魔物の女の人だと思う。でもどんな魔物かはわからなかった。
その人が私に語り掛けたの・・・・。
― 今から救助を呼んでも貴方は助けられないわ。・・・聞こえるかしら? ―
声を出そうとしても首の骨が折れている私には呻き声さえ出せない。
― 無理しなくてもいいわ。心で思ってくれるだけでわかるから。貴方・・・・人であることを辞めても生きたいかしら? ―
〜 生きたい!生きて・・・生きて会いたい人がいるの!!! 〜
― 判ったわ・・・ ―
女の人は懐から灰色の液体に満たされた試験管を取り出したわ。
― これはアンデッドハイイロナゲキダケのエキスよ。貴方を人間のまま助けることは無理だけどアンデッドに転生させるのは可能よ。貴方の傷の具合からして恐らくはゾンビに転生するわ。でも・・・・ ―
〜 でも・・・・? 〜
― ゾンビに転生して命が助かっても今の意識が保持されるのは10時間くらい。やがては意識が魔物へと変わっていくわ ―
〜 それって私が私でなくなるの? 〜
黒い服の女の人は頷いた。
― でも、貴方の逢いたい人が変わり果てた貴方を本当に愛し続けてくれるのなら・・・きっとまた貴方は愛する人とまた会えるわ。約束する ―
「私はその液体を飲んだ。もっとも首すら動かせなかったからその人に飲ませてもらったんだけどね」
僕は彼女の告白を静かに聞いていた。
見れば見るほど目の前のナユはいつも変わらない。
そうだ、きっと氷か何かで身体を冷やしてゾンビのふりをしているんだ。
「冗談だろ・・・・?」
縋るようにナユを見る。
でも彼女の表情は変わらない。
「・・・・時間切れなの。もう意識がぼぅとして考えが何もまとまらないの・・・」
ナユの瞳から理性の光が消えつつあった。
「ナユっ!!」
彼女を抱きしても「彼女」を引き留めることなんてできない、そうわかっている。でも僕はそうせずにはいられなかった。
「・・・・・タケちゃん・・・ゴ・・・メ・・・ナ・・・サイ」
「ナユ・・・・?」
ナユの両手が僕の肩を掴み・・・冷たい床へと引き倒した。
彼女が引き倒された僕に馬乗りになる。
「サムイ・・・・オトコ・・・アタタカイ」
彼女の氷のような手が僕のシャツを引き裂く。
顔にポタリポタリと冷たい雫が滴る。
「ナユ・・・・?」
彼女は泣いていた。
魔物に堕ちても彼女は人間であることを捨ててはなかった。
僕は彼女を引き寄せ、その冷たく青紫色に変色した唇に唇を重ねた。
「どんなに変わってもナユはナユだよ・・・・」
僕は手を広げ彼女を受け入れた。
「・・・・」
僕は目の前のディスプレーに表示されている文章に目を走らす。
― 魔物娘図鑑 ―
政府が無料で公開している魔物の種族が記載されたホームページだ。
ナユの種族は「ゾンビ」。彼女が摂取したアンデッドハイイロナゲキダケというのは摂取した女性をアンデッド系の魔物へと変えるキノコで、ナユのような手の施しようのない怪我を負った人間に投与されるものらしい。
彼女は僕の隣で静かに寝息を立てている。
あの後、僕は彼女の求めるまま愛し合った。
冷たい身体には嫌悪感もあった。
でも辛いのは彼女自身だ。僕は彼女を受け入れると決めた。
だから僕らは月が傾くまでその情念のまま交わったのだ。
今僕がこのホームページを見ているのは、彼女が「女の人」から聞いた「愛し合えばいずれ会える」という言葉の意味だ。
「このことか・・・・!」
その膨大な説明書きの中の一文を目にした瞬間僕は全てを理解した。
「ようこそ不死者の国へ。草月様でよろしいでしょうか?」
重々しい扉の前、上質なマホガニーでできたカウンターに立つスケルトンの女性が僕らに声をかける。
スケルトンは白骨死体に魂が憑依した存在で、意思がはっきりとしていないことが多いが伴侶と愛し合っているのだろう、彼女は一度も言いよどむことなく話していた。
「ええ。僕が夫の丈三で、こちらが妻の那由子です」
「居住区は蝙蝠通りのアパルトマン。その三階となっております。移住歓迎しますわ」
そう言うと彼女は僕に部屋の鍵を渡してくれた。短く彼女に謝意を告げた。
手に掴んだスーツケースをじっと見る。これには札束が詰まっている。総額1000万円。処分できる財産全てを金に換えたものだ。
進むべき道を見つけた僕の行動は早かった。
再び「彼女」に出会うためなら惜しくはない。
― ゾンビは愛する者の精を受け続けると知恵をつけていき進化する ―
ナユをゾンビにした魔物が言う「愛し続ければ再び会える」とはこのことだった。
通常の交わりでは何年かかるか分からない。
では「通常よりも魔力が満ちている異世界」ではどうか?
「不死者の国への移住」
彼女と再び出会うために僕は生まれ育った世界を捨てた。
未だに魔物に対する差別や偏見に満ちたあの世界ではゾンビとして生きる彼女には辛すぎる。
それに「外地」、それもアンデッドの集う「不死者の国」なら空気中に魔力が漂っているためより進化しやすいと考えたからだ。
永遠に夜明けの来ない常夜の国。
不安もある。でもナユがいるのなら乗り越えていける。
僕はナユを抱きしめ、彼女の唇にキスした。
不死者の国へ移住して一年経った。
僕はこの国でコミュニティー紙の発行人兼記者をしていて忙しい日々を送っている。
初期投資は結構かかったが、死の国にこういったモノがなかったおかげで裕福ではないがそれなりの生活を送れている。
「貴方、お仕事まだ終わらないの・・・・?」
「ああナユ。もうすぐだから」
仕事が忙しくなったが、ナユとの生活は大事にしている。
何度となく交わったからか、ナユは生前の記憶と意識を取り戻している。
今ではコミュニティー紙の看板記者として活動していて、その歯に着せぬ論評で人気があり彼女の担当するコーナーへの投書は群を抜く。
「ところであの夜に聞けなかったんだけど、ナユをゾンビにして助けてくれた魔物ってどんな名前の人だったんだ?」
「私も聞いたのよ。でもその人は教えてくれなかったわ」
― ただの通りすがりのお節介なサキュバスよ。グランマとでも呼んで ―
「彼女はそう言って去ったわ・・・・」
一度、里帰りして「グランマ」と名乗る恩人を探してみたいが、今はそれどころじゃない。
「ねぇ貴方。この子私のお腹を蹴っているわ。早くパパに会いたいって」
ナユは妊娠した。
ゾンビの「父親」になるにはそれなりに葛藤と覚悟が必要だったが、たとえゾンビであってもナユと僕の子だ。愛せないはずがない。
「この子が元気に生まれてくれる様にいつものおまじないをお願いね」
「ああ、でも書斎ではよしてくれよ」
「じゃあベッドルームで待ってるわね。パパ?」
人間にとって妊娠中のセックスは禁忌だ。しかしそれは人間の場合だ。魔物と、そしてその伴侶であるインキュバスとなった僕にそれは当てはまらない。
むしろ、魔物娘にとって妊娠中のセックスはより元気な子を産むために必要なこととされる。
「・・・・これでよし」
最後のピリオドを打ち。僕は椅子から立ち上がった。
「ゾンビの妻と暮らして ― 出産編 ― 」
来月号分の文章に目を通して、パソコンの電源を落とす。
校正は明日でもいい。
今は愛する妻の元で愛を交わしたかった。
永遠に夜明けの来ない常夜の国「死の国」
しかし煌煌と燃え上がる愛の炎は確かにここにあった。
― 大好きよ貴方・・・たとえ死んでも・・・ ―
17/10/31 21:59更新 / 法螺男