03:カルナ
お初にお目にかかる。
私はシアン・アルガンシア。
今のところは、物語の前説の立ち位置にいる。
諸君が私の正体を何と捉えるだろう。人間か?だとすれば男か?それとも女か?違うとすれば魔物か?あるいはインキュバスか?それらどれとも括られない別生物か?はたまた事前に録られた録音装置から発せられる台詞か?
何だっていいだろう。
さて、私はこれから諸君にこれまでの物語を説明する役割を遂げねばならない。
のどかで小さな農村で暮らすネーテル・ログフォーツは、ある日落ちていた魔導書を拾い、彼の持つ好奇心のままに魔導書の内容を再現する。どんな魔物を喚ぼうか特に考えもせず術を発動させた結果、パートナーとなるサキュバスのカルナを喚び出したわけだ。
諸君らは考えたろう……《なぜ農村に暮らす村人Aだった彼は必要も無いのに使い魔候補を召喚しようなどと考えたのか?》《なぜ彼は魔導書を拾ったのか?》そしてそもそも、《なぜのどかで小さな農村に召喚魔導書が落ちていたのか?》。
答えになっていないと言われてしまうだろうが、答えは、いずれ分かる。なぜなら私は前説だから。答えを言うことは許されない。
続いてネーテル・ログフォーツという青年についてだ。
年齢は16。身長は163センチ。体重48キロ。誕生日は6月14日。両親健在だが遠く離れたところに暮らしている。兄弟姉妹はいない一人っ子。魔法の才能は小さい頃から光っていたわけではなく、むしろ無能といってもいい。それを除いて能力は全て平々凡々。唯一飛び抜けていたのは好奇心のみで、その好奇心によってトラブルが起きることしばしば。性格は素直で月並みの善人。新魔王の時代に産まれているため魔物に対する警戒心・恐怖心は無し。恋人、特に無し。
要約すると普通ということだ。物語の主人公なんてこんなものだろう。
では、そろそろ私は引っ込んで本編を始めるとしよう。私の平坦でつまらない話を終わらそう。
閑話休題。
そうそう。私の正体についてだが……
ま、いずれ分かるということだ。
「メルキュラ・ベクラ。私の名であり、魔法使い」
サルマリア魔法学園生徒会長メルキュラ・ベクラ。僕はその名を知っている。僕がここサルマリアに来ることにした理由である一通の手紙、そこに書いてあった《種族アヌビス、生徒会長メルキュラ・ベクラが学園へとご案内致します》という一文。
そうか、この人が……
「クソ……学園長が呼んだネーテル・ログフォーツなる人間は、一体いつになったら来るというんだか……予定では昨日に着くはずなのだが、ただでさえ予定が狂ってイラついていたというのに、待ってる合間に研究資料を集めていたら知らん人間にぶつかって……踏んだり蹴ったりだ」
「あの、ボソボソ文句言ってるとこ悪いんですけど……」
「では、さらばだ青年。私は用事があって忙しいのだ」
「あ、じゃあ……じゃなくて!ちょっと待って!」
僕は焦って彼女の覆う黒いローブを引っ張った。
バサッ。
「あ……」
留め具が取れて、ローブはヒラリと落ちた。
裏返って落ちた。
ローブの裏にはびっしりと、色とりどり素材とりどり、男性用も女性用も関係なく、魚の鱗のように下着がくっついていた。
「…………」
「…………」
「…………」
「……下着泥ぼ」
「研究資料だ!貴様、二度と私の資料収集の行為を《下着泥棒》などと下劣な行為と一緒くたにするな!もし次言ったらタダでは済まんぞ。貴様に10分間鼻毛を引っこ抜いた時の痛みを味わわせてやる 」
「よく分からないけど凄く嫌だ!もう言いません!」
「いたぞ!」
ぞろぞろと怒りを浮かべた表情の男たちが現れて、僕ら二人をを取り囲む。武器を持ってる男も中にはいた。
「やっと見つけたぞ……女房の下着を何度も盗んでいきやがって……!」
「俺の下着もだ!」
「とっとと返せ!」
「おお、落ち着け貴様ら。私は別に盗んでいるわけではないぞ?ただ私の研究に必要な資料を集めていただけで……」
「黙れ!下着泥棒の常習犯が!」
反論もさせてもらえないメルキュラは顔がかなり引き吊っていた。しかし一瞬でそれは、臨界した怒りの表情に変貌する。
「……もう怒ったぞ。私のことをどいつもこいつも下着泥棒と呼びやがって……《暗転》!」
そう叫ぶと、取り囲んでいた男たちが一斉に目を抑えてうずくまった。
「な、何だ!?視界が暗くなった!」
「何も見えねえぞ……!」
「真っ暗で動けねえ……っ!」
突然の出来事に僕が呆けていると、ローブを纏い直したメルキュラさんは再び僕の手首を掴んで走り出す。次々と住宅の角を複雑に曲がり、ただ追跡者を撒くための逃走。魔物特有の身体能力から来る脚の速さに必死についていきながら、「何をしたんですか!?」と尋ねた。
「奴らの目を潰したんだ。具体的には、奴らの眼に光を入れないようにした」
「は!?」
「私の持つ《魔法体質(ユニークスキル)》は光の反射・屈折を操る。人間の眼球は3層の構造で、外側から『強膜』『ブドウ膜』『網膜』と呼ばれ、それらを保護するためにさらに強膜の外側を『角膜』が覆っている。私は奴ら全員の角膜に、『角膜に当たる全ての光を反射させる』仕掛けをしたわけだ」
「ユ……魔法体質って!?」
「それは後で話すとしよう。そろそろ効果が切れる頃だ」
それが合図となったかのように、復活した男たちが全速力でこちらを追ってきた。どうやらこの複雑な逃走ルートは何度も使われているらしい。
「まったくタフな男どもだな。《インビジブル》――このまま撒くぞ!」
振り返ると、今まで追っていた男たちがどよめきながら失速していく。このまま僕たちは走り、大通りに出て、人にぶつからないようすり抜けて、メルキュラさんは見事に撒いてみせた。
「はぁ……はぁ……さっきの《インビジブル》も魔法なんですか……?」
「私たちが浴びる光を完全に透過させ、姿を見えなくした」
「全反射ってやつですか?」
「ただの透過だ。生物が捉える色は物体の反射による……全反射すると物体は白く、逆に全て反射しないと真っ黒になる。そうならぬよう、反射させずに光を私たちの体に貫通させ、完全に風景に溶け込んだのだ」
お互い息を整え、僕はメルキュラさんに自分がネーテル・ログフォーツだということを伝えた。少し動揺したように見えたが、メルキュラさんは納得したように頷いた。
「そうか、ならばこのまま私に付いてこい。学園へと案内しよう」
取り出したのは、学園の校章と思わしきデザインのバッジ。それを真上……空へと掲げた。
「…………?」
「知らないのか?サルマリアの学園は空にあるんだぞ」
「空!?」
「そうだ。魔法学園らしいだろう?」
体に違和感。気がつくと、地面から数センチ足が浮いていた。まるで無重力のように浮かんで、どんどん地面から体が離れていく……
「わ、わ、わ……!」
「落ち着けネーテル。舌を噛む」
メルキュラさんはリラックスするように目を閉じた。
「飛ぶぞ」
真上にあった厚い雲を突き抜け、目の前にサルマリア魔法学園の全貌が見えた。
サルマリア魔法学園は城のような風貌だった。
鳥の飛ぶ高度よりさらに上、雲と肩が並ぶような高さに巨大な学園は地面ごと浮いていた。まるで島が浮いているかのようだった。学園を中心に大小それぞれの地面が浮かび、一つ一つに建物が建ち、それらは学園と橋で繋がっている。非常に幻想的な風景だった。
学園のゲート前に僕たちは着地し、僕は大きく息を吸う。かなりの高地だというのに、息苦しさはまったくない。ただただ空気が美味しいと感じた。
「長旅、御苦労様ですネーテル・ログフォーツさん。教師のペルトネル・クリマーと申しますぅ」
背が150も満たない、見た目が年齢一桁の(もしかすると本当に一桁かもしれない)小さな少女が、ぽやんぽやんした雰囲気を纏って僕を出迎える。
「メルキュラさん、案内お疲れさまでしたぁ。あとは私が学園長の元へと案内しますからぁ」
「了解した。では、失礼する」
メルキュラさんは一礼して、どこかへと歩いていった。僕は静かにペルトネル先生の後ろを付いていく。
黒いローブを纏った人間や魔物が至るところにたくさんいる。どうやらローブは学生服のようだ。皆が、ローブを着用していない僕を物珍しそうに見てくる。ヒソヒソと何かを話し出す人もいる。あまり良い気分ではない。
「気にしなくて大丈夫ですよぉ。珍しがってるだけですからぁ」
「あ、はぁ」
校舎の中、階段を上がっていくときにペルトネル先生は訊いてきた。
「どうして召喚なんて行ったんですかぁ?」
「え?あ、いや……特に深い考えは無いんですけど……落ちていた魔導書に書いていたことをやってみたくて……」
「だとしたら不思議ですよねぇ……」
「はい?」
くるりと先生は半回転して僕に体を向ける。
「ネーテルさん、どうして魔導書が読めたのでしょうかぁ……普通はですねぇ、魔導書は暗号で記すのが常識なんですよぉ?それを解読できるのはぁ、書いた者より実力が勝るかぁ、あるいは同等でなければならないんですよぉ。でなければ読むことはおろかぁ、文字そのものが判別できないはずなんですぅ」
先生の言葉がその通りなら、僕は世界にある魔導書の9割以上も読めない事になる。魔法の知識がそもそも無いからだ。魔法のまの字も扱えない僕に、召喚魔法の魔導書なんて読めるはずがない。
ではなぜ、あのとき僕は全てを読むことが出来たのだろう。
文字を判別することが出来たのだろう。
「着きましたよぉ。ここが学園長の部屋ですぅ」
考え事をしているうちに学園の最深部、奥の奥へとたどり着く。目の前には古い木造の扉。ペルトネル先生は僕に頭を下げて、部屋の前を後にした。
「ここに、アタシたちを呼び出した張本人がいるわけね」
「カルナ……どこに行ってたんだよ。お陰で大変な目に……」
「まぁいいじゃない。私にもプライベートはあんの。さ、入っちゃいましょ」
カルナは勢いよく扉を開け放ち――
「「!?」」
開けた瞬間、僕らは強い引力に引っ張られるかのように扉の先に吸い込まれる。二人とも突然のことで踏ん張ることができず、呆気なく吸い込まれた。
「カルナ、なにこれ!?」
「分からないわよ!」
長い廊下、ずっと僕とカルナは空中に浮いて引力に流されている。真横に流されているはずなのに、落下している感覚。カルナはサキュバスの翼を大きく広げるが、上手くバランスが取れずにいた。
やがて廊下の終わりが見えてきた。開けた扉と同じ扉がある。ぶつかると思った僕らは身構えると、扉はバンと、ひとりでに開いて僕らを通過させた。しばらくすると、また同じ扉……
「まさか、これって幻覚……!」
3周ほどしたところで、カルナは左手親指の腹の皮膚を、噛みちぎって出血させる。するとカルナの姿はふっと消え、僕だけが巨大な引力の流れに取り残された。
「同じことをすればどうにかなるかも……」
カルナがしたように、僕も左手親指の腹の皮を噛みちぎってみる。
「いっつ……!」
痛みで思わず目をつぶる。視界は真っ暗、直後にドンと自分の背中が何かの面とぶつかる感覚。目を開けると、高い天井が見える。僕は開けた扉の前でなぜか寝転がっていた。
「カルナ?」
カルナがどこにもいない。
仕方なく警戒しながら、再び扉を開けようとする……が、内側から鍵が掛かっているのか全く開かない。どころかピクリともしない。
ノックしても、全く反応はない。
体当たりしても。
「どうなってんだよ……!開け!開け!」
僕は何発か体当たりするが、扉は全く開かなかった。僕はただ飲み込めない状況に悩みながら、扉の前でうろたえる他に無かった。
「はじめまして、黒幕さんたち」
扉の奥には幻覚で見たような長い廊下は無く、学園長と思われる老いた白髭の男が椅子に座り、その斜め後ろに立つ秘書と思われるサンダーバードが待ち構えていた。
「薄々、感じていたわよ。たかだか魔物を召喚しただけで、ついこの間まで一般人だった平々凡々の人間がこんなエリート学校にお呼びが掛かるはずがない。とすればアンタたちの目的は、消去法的にアタシよね。だから幻覚に嵌めた隙に結界でがんじ絡めのこの部屋にアタシだけを隔離した。御主人様から遠ざけてアタシの力を封じるためにこの部屋ごと、別次元に隔離した」
カルナは二人を睨みつけた。
「何が目的?」
「……確かに、私はネーテル君よりも……カルナ君。君に興味がある」
学園長は立ち上がる。
「答えが知りたかった。なぜ魔物である君が、進んで人間と使役の関係を築くのか、という疑問の答えをずっとね」
カルナが召喚士と契約を交わしたのはネーテルだけではない。彼を含めて、今まで6人と契約を交わしてきた。
旧魔王時代まではよくある話であった。人間は願望の為に魔物を使役し、利口な魔物もまた何かしらのリターンを求めて人間に仕える。殺し合いの関係の中で、わずかではあったが、利害の関係が成立していた。
しかし魔王も替われば事情も変わる。
現魔王が魔界を統治するようになり、魔物の活動原則は『攻撃』から『情愛』へと変わり、利害や隷従の関係はほとんど無くなり夫婦へと変化した。したがって召喚士は魔物と契約を交わすことが無くなり、存在意義をほぼ失った召喚士たちは召喚魔法のスキルを生かして時空間魔術士を名乗っている。
カルナはそんな時代の流れに逆らい続けたたった一人の魔物であり、召喚士の界隈だけに留まらず世界中の魔法使いの間で有名だった。
「アタシの勝手よ。特に理由なんてない。男とくっつきたい欲は当然魔物だからあるけど、まだ夫婦の関係は必要ない。アタシが召喚士と使役の関係を築くのはね、召喚士(ひと)を通じて世界が見たいだけなの。異端と呼ばれようとね。お母さんの命令でひとつの魔界に籠り続けるなんて、想像しただけで嫌気が差すわ――――!」
バン!
カルナは大きく翼を広げ、力いっぱい床に掌を叩きつける。その衝撃と共に、掌を中心として直径1メートルの、紫の光を放つ魔方陣が展開される。
警戒した秘書は半歩前に出て、サンダーバードの翼を広げてカルナの出方を窺う。
「別次元に空間を隔離して召喚士とのペアリングを弱めた。見事な対策だと思うわ。でもテンプレート過ぎんのよ。ステップバイステップにも程がある。サキュバスだからってみんな同じ実力だと思わないことね!」
ペアリング。
使い魔が発揮できる実力は、主である召喚士の状態に極端に左右される。人間界に存在できるのは召喚士の魔力(精)の有無が絶対条件であり、そして使い魔が魔法を使う際の魔力の半分以上は召喚士の魔力(精)から消費される。つまり、ペアリングの弱化はほとんどの使い魔にとって致命的と言ってもよい。
ほとんどは。
しかしカルナは違う。
自分の魔力で存在を維持できる、使い魔として規格外のカルナは――――
「――――《逆召喚》!!」
彼女の目の前に突然、激しく輝く光の柱が出現する。その中から出てきたのは、呆気に取られるネーテル・ログフォーツであった。
「別次元に隔離しようと、時空間系の魔法はその効果が左右されることはないわ。そしてこの《逆召喚》は、アタシだからこそ出来る魔法」
「か、カルナ……!?」
「はいはい寂しかったなんて言わないの。カルナお姉ちゃんが御主人様を護りまちゅからね〜」
困惑するネーテルを適当になだめ、再び学園長と対峙する。
「お待たせしました学園長。私の答え、喜んでいただけたかしら?今度はこっちがサプライズを……見せる番よ」
私はシアン・アルガンシア。
今のところは、物語の前説の立ち位置にいる。
諸君が私の正体を何と捉えるだろう。人間か?だとすれば男か?それとも女か?違うとすれば魔物か?あるいはインキュバスか?それらどれとも括られない別生物か?はたまた事前に録られた録音装置から発せられる台詞か?
何だっていいだろう。
さて、私はこれから諸君にこれまでの物語を説明する役割を遂げねばならない。
のどかで小さな農村で暮らすネーテル・ログフォーツは、ある日落ちていた魔導書を拾い、彼の持つ好奇心のままに魔導書の内容を再現する。どんな魔物を喚ぼうか特に考えもせず術を発動させた結果、パートナーとなるサキュバスのカルナを喚び出したわけだ。
諸君らは考えたろう……《なぜ農村に暮らす村人Aだった彼は必要も無いのに使い魔候補を召喚しようなどと考えたのか?》《なぜ彼は魔導書を拾ったのか?》そしてそもそも、《なぜのどかで小さな農村に召喚魔導書が落ちていたのか?》。
答えになっていないと言われてしまうだろうが、答えは、いずれ分かる。なぜなら私は前説だから。答えを言うことは許されない。
続いてネーテル・ログフォーツという青年についてだ。
年齢は16。身長は163センチ。体重48キロ。誕生日は6月14日。両親健在だが遠く離れたところに暮らしている。兄弟姉妹はいない一人っ子。魔法の才能は小さい頃から光っていたわけではなく、むしろ無能といってもいい。それを除いて能力は全て平々凡々。唯一飛び抜けていたのは好奇心のみで、その好奇心によってトラブルが起きることしばしば。性格は素直で月並みの善人。新魔王の時代に産まれているため魔物に対する警戒心・恐怖心は無し。恋人、特に無し。
要約すると普通ということだ。物語の主人公なんてこんなものだろう。
では、そろそろ私は引っ込んで本編を始めるとしよう。私の平坦でつまらない話を終わらそう。
閑話休題。
そうそう。私の正体についてだが……
ま、いずれ分かるということだ。
「メルキュラ・ベクラ。私の名であり、魔法使い」
サルマリア魔法学園生徒会長メルキュラ・ベクラ。僕はその名を知っている。僕がここサルマリアに来ることにした理由である一通の手紙、そこに書いてあった《種族アヌビス、生徒会長メルキュラ・ベクラが学園へとご案内致します》という一文。
そうか、この人が……
「クソ……学園長が呼んだネーテル・ログフォーツなる人間は、一体いつになったら来るというんだか……予定では昨日に着くはずなのだが、ただでさえ予定が狂ってイラついていたというのに、待ってる合間に研究資料を集めていたら知らん人間にぶつかって……踏んだり蹴ったりだ」
「あの、ボソボソ文句言ってるとこ悪いんですけど……」
「では、さらばだ青年。私は用事があって忙しいのだ」
「あ、じゃあ……じゃなくて!ちょっと待って!」
僕は焦って彼女の覆う黒いローブを引っ張った。
バサッ。
「あ……」
留め具が取れて、ローブはヒラリと落ちた。
裏返って落ちた。
ローブの裏にはびっしりと、色とりどり素材とりどり、男性用も女性用も関係なく、魚の鱗のように下着がくっついていた。
「…………」
「…………」
「…………」
「……下着泥ぼ」
「研究資料だ!貴様、二度と私の資料収集の行為を《下着泥棒》などと下劣な行為と一緒くたにするな!もし次言ったらタダでは済まんぞ。貴様に10分間鼻毛を引っこ抜いた時の痛みを味わわせてやる 」
「よく分からないけど凄く嫌だ!もう言いません!」
「いたぞ!」
ぞろぞろと怒りを浮かべた表情の男たちが現れて、僕ら二人をを取り囲む。武器を持ってる男も中にはいた。
「やっと見つけたぞ……女房の下着を何度も盗んでいきやがって……!」
「俺の下着もだ!」
「とっとと返せ!」
「おお、落ち着け貴様ら。私は別に盗んでいるわけではないぞ?ただ私の研究に必要な資料を集めていただけで……」
「黙れ!下着泥棒の常習犯が!」
反論もさせてもらえないメルキュラは顔がかなり引き吊っていた。しかし一瞬でそれは、臨界した怒りの表情に変貌する。
「……もう怒ったぞ。私のことをどいつもこいつも下着泥棒と呼びやがって……《暗転》!」
そう叫ぶと、取り囲んでいた男たちが一斉に目を抑えてうずくまった。
「な、何だ!?視界が暗くなった!」
「何も見えねえぞ……!」
「真っ暗で動けねえ……っ!」
突然の出来事に僕が呆けていると、ローブを纏い直したメルキュラさんは再び僕の手首を掴んで走り出す。次々と住宅の角を複雑に曲がり、ただ追跡者を撒くための逃走。魔物特有の身体能力から来る脚の速さに必死についていきながら、「何をしたんですか!?」と尋ねた。
「奴らの目を潰したんだ。具体的には、奴らの眼に光を入れないようにした」
「は!?」
「私の持つ《魔法体質(ユニークスキル)》は光の反射・屈折を操る。人間の眼球は3層の構造で、外側から『強膜』『ブドウ膜』『網膜』と呼ばれ、それらを保護するためにさらに強膜の外側を『角膜』が覆っている。私は奴ら全員の角膜に、『角膜に当たる全ての光を反射させる』仕掛けをしたわけだ」
「ユ……魔法体質って!?」
「それは後で話すとしよう。そろそろ効果が切れる頃だ」
それが合図となったかのように、復活した男たちが全速力でこちらを追ってきた。どうやらこの複雑な逃走ルートは何度も使われているらしい。
「まったくタフな男どもだな。《インビジブル》――このまま撒くぞ!」
振り返ると、今まで追っていた男たちがどよめきながら失速していく。このまま僕たちは走り、大通りに出て、人にぶつからないようすり抜けて、メルキュラさんは見事に撒いてみせた。
「はぁ……はぁ……さっきの《インビジブル》も魔法なんですか……?」
「私たちが浴びる光を完全に透過させ、姿を見えなくした」
「全反射ってやつですか?」
「ただの透過だ。生物が捉える色は物体の反射による……全反射すると物体は白く、逆に全て反射しないと真っ黒になる。そうならぬよう、反射させずに光を私たちの体に貫通させ、完全に風景に溶け込んだのだ」
お互い息を整え、僕はメルキュラさんに自分がネーテル・ログフォーツだということを伝えた。少し動揺したように見えたが、メルキュラさんは納得したように頷いた。
「そうか、ならばこのまま私に付いてこい。学園へと案内しよう」
取り出したのは、学園の校章と思わしきデザインのバッジ。それを真上……空へと掲げた。
「…………?」
「知らないのか?サルマリアの学園は空にあるんだぞ」
「空!?」
「そうだ。魔法学園らしいだろう?」
体に違和感。気がつくと、地面から数センチ足が浮いていた。まるで無重力のように浮かんで、どんどん地面から体が離れていく……
「わ、わ、わ……!」
「落ち着けネーテル。舌を噛む」
メルキュラさんはリラックスするように目を閉じた。
「飛ぶぞ」
真上にあった厚い雲を突き抜け、目の前にサルマリア魔法学園の全貌が見えた。
サルマリア魔法学園は城のような風貌だった。
鳥の飛ぶ高度よりさらに上、雲と肩が並ぶような高さに巨大な学園は地面ごと浮いていた。まるで島が浮いているかのようだった。学園を中心に大小それぞれの地面が浮かび、一つ一つに建物が建ち、それらは学園と橋で繋がっている。非常に幻想的な風景だった。
学園のゲート前に僕たちは着地し、僕は大きく息を吸う。かなりの高地だというのに、息苦しさはまったくない。ただただ空気が美味しいと感じた。
「長旅、御苦労様ですネーテル・ログフォーツさん。教師のペルトネル・クリマーと申しますぅ」
背が150も満たない、見た目が年齢一桁の(もしかすると本当に一桁かもしれない)小さな少女が、ぽやんぽやんした雰囲気を纏って僕を出迎える。
「メルキュラさん、案内お疲れさまでしたぁ。あとは私が学園長の元へと案内しますからぁ」
「了解した。では、失礼する」
メルキュラさんは一礼して、どこかへと歩いていった。僕は静かにペルトネル先生の後ろを付いていく。
黒いローブを纏った人間や魔物が至るところにたくさんいる。どうやらローブは学生服のようだ。皆が、ローブを着用していない僕を物珍しそうに見てくる。ヒソヒソと何かを話し出す人もいる。あまり良い気分ではない。
「気にしなくて大丈夫ですよぉ。珍しがってるだけですからぁ」
「あ、はぁ」
校舎の中、階段を上がっていくときにペルトネル先生は訊いてきた。
「どうして召喚なんて行ったんですかぁ?」
「え?あ、いや……特に深い考えは無いんですけど……落ちていた魔導書に書いていたことをやってみたくて……」
「だとしたら不思議ですよねぇ……」
「はい?」
くるりと先生は半回転して僕に体を向ける。
「ネーテルさん、どうして魔導書が読めたのでしょうかぁ……普通はですねぇ、魔導書は暗号で記すのが常識なんですよぉ?それを解読できるのはぁ、書いた者より実力が勝るかぁ、あるいは同等でなければならないんですよぉ。でなければ読むことはおろかぁ、文字そのものが判別できないはずなんですぅ」
先生の言葉がその通りなら、僕は世界にある魔導書の9割以上も読めない事になる。魔法の知識がそもそも無いからだ。魔法のまの字も扱えない僕に、召喚魔法の魔導書なんて読めるはずがない。
ではなぜ、あのとき僕は全てを読むことが出来たのだろう。
文字を判別することが出来たのだろう。
「着きましたよぉ。ここが学園長の部屋ですぅ」
考え事をしているうちに学園の最深部、奥の奥へとたどり着く。目の前には古い木造の扉。ペルトネル先生は僕に頭を下げて、部屋の前を後にした。
「ここに、アタシたちを呼び出した張本人がいるわけね」
「カルナ……どこに行ってたんだよ。お陰で大変な目に……」
「まぁいいじゃない。私にもプライベートはあんの。さ、入っちゃいましょ」
カルナは勢いよく扉を開け放ち――
「「!?」」
開けた瞬間、僕らは強い引力に引っ張られるかのように扉の先に吸い込まれる。二人とも突然のことで踏ん張ることができず、呆気なく吸い込まれた。
「カルナ、なにこれ!?」
「分からないわよ!」
長い廊下、ずっと僕とカルナは空中に浮いて引力に流されている。真横に流されているはずなのに、落下している感覚。カルナはサキュバスの翼を大きく広げるが、上手くバランスが取れずにいた。
やがて廊下の終わりが見えてきた。開けた扉と同じ扉がある。ぶつかると思った僕らは身構えると、扉はバンと、ひとりでに開いて僕らを通過させた。しばらくすると、また同じ扉……
「まさか、これって幻覚……!」
3周ほどしたところで、カルナは左手親指の腹の皮膚を、噛みちぎって出血させる。するとカルナの姿はふっと消え、僕だけが巨大な引力の流れに取り残された。
「同じことをすればどうにかなるかも……」
カルナがしたように、僕も左手親指の腹の皮を噛みちぎってみる。
「いっつ……!」
痛みで思わず目をつぶる。視界は真っ暗、直後にドンと自分の背中が何かの面とぶつかる感覚。目を開けると、高い天井が見える。僕は開けた扉の前でなぜか寝転がっていた。
「カルナ?」
カルナがどこにもいない。
仕方なく警戒しながら、再び扉を開けようとする……が、内側から鍵が掛かっているのか全く開かない。どころかピクリともしない。
ノックしても、全く反応はない。
体当たりしても。
「どうなってんだよ……!開け!開け!」
僕は何発か体当たりするが、扉は全く開かなかった。僕はただ飲み込めない状況に悩みながら、扉の前でうろたえる他に無かった。
「はじめまして、黒幕さんたち」
扉の奥には幻覚で見たような長い廊下は無く、学園長と思われる老いた白髭の男が椅子に座り、その斜め後ろに立つ秘書と思われるサンダーバードが待ち構えていた。
「薄々、感じていたわよ。たかだか魔物を召喚しただけで、ついこの間まで一般人だった平々凡々の人間がこんなエリート学校にお呼びが掛かるはずがない。とすればアンタたちの目的は、消去法的にアタシよね。だから幻覚に嵌めた隙に結界でがんじ絡めのこの部屋にアタシだけを隔離した。御主人様から遠ざけてアタシの力を封じるためにこの部屋ごと、別次元に隔離した」
カルナは二人を睨みつけた。
「何が目的?」
「……確かに、私はネーテル君よりも……カルナ君。君に興味がある」
学園長は立ち上がる。
「答えが知りたかった。なぜ魔物である君が、進んで人間と使役の関係を築くのか、という疑問の答えをずっとね」
カルナが召喚士と契約を交わしたのはネーテルだけではない。彼を含めて、今まで6人と契約を交わしてきた。
旧魔王時代まではよくある話であった。人間は願望の為に魔物を使役し、利口な魔物もまた何かしらのリターンを求めて人間に仕える。殺し合いの関係の中で、わずかではあったが、利害の関係が成立していた。
しかし魔王も替われば事情も変わる。
現魔王が魔界を統治するようになり、魔物の活動原則は『攻撃』から『情愛』へと変わり、利害や隷従の関係はほとんど無くなり夫婦へと変化した。したがって召喚士は魔物と契約を交わすことが無くなり、存在意義をほぼ失った召喚士たちは召喚魔法のスキルを生かして時空間魔術士を名乗っている。
カルナはそんな時代の流れに逆らい続けたたった一人の魔物であり、召喚士の界隈だけに留まらず世界中の魔法使いの間で有名だった。
「アタシの勝手よ。特に理由なんてない。男とくっつきたい欲は当然魔物だからあるけど、まだ夫婦の関係は必要ない。アタシが召喚士と使役の関係を築くのはね、召喚士(ひと)を通じて世界が見たいだけなの。異端と呼ばれようとね。お母さんの命令でひとつの魔界に籠り続けるなんて、想像しただけで嫌気が差すわ――――!」
バン!
カルナは大きく翼を広げ、力いっぱい床に掌を叩きつける。その衝撃と共に、掌を中心として直径1メートルの、紫の光を放つ魔方陣が展開される。
警戒した秘書は半歩前に出て、サンダーバードの翼を広げてカルナの出方を窺う。
「別次元に空間を隔離して召喚士とのペアリングを弱めた。見事な対策だと思うわ。でもテンプレート過ぎんのよ。ステップバイステップにも程がある。サキュバスだからってみんな同じ実力だと思わないことね!」
ペアリング。
使い魔が発揮できる実力は、主である召喚士の状態に極端に左右される。人間界に存在できるのは召喚士の魔力(精)の有無が絶対条件であり、そして使い魔が魔法を使う際の魔力の半分以上は召喚士の魔力(精)から消費される。つまり、ペアリングの弱化はほとんどの使い魔にとって致命的と言ってもよい。
ほとんどは。
しかしカルナは違う。
自分の魔力で存在を維持できる、使い魔として規格外のカルナは――――
「――――《逆召喚》!!」
彼女の目の前に突然、激しく輝く光の柱が出現する。その中から出てきたのは、呆気に取られるネーテル・ログフォーツであった。
「別次元に隔離しようと、時空間系の魔法はその効果が左右されることはないわ。そしてこの《逆召喚》は、アタシだからこそ出来る魔法」
「か、カルナ……!?」
「はいはい寂しかったなんて言わないの。カルナお姉ちゃんが御主人様を護りまちゅからね〜」
困惑するネーテルを適当になだめ、再び学園長と対峙する。
「お待たせしました学園長。私の答え、喜んでいただけたかしら?今度はこっちがサプライズを……見せる番よ」
15/11/15 21:58更新 / 祝詞
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