02:魔法使いとの邂逅
ヒッチハイクのように馬車を乗り継ぎ、僕は少しずつサルマリア魔法学園へと向かっていた。数十キロの距離など都会人の交通手段、あるいはそこそこの魔導士であればどうということの無い距離だろうが、のどかな田舎に住んでる人間からすれば長旅なのだ。目的地の方角に進む馬車を捕まえて進むしかない。大都会であるサルマリアに向かう馬車などそうそう無いので乗り継いで少しずつしか進めない上に、夜になると馬を休ませるため馬車が使えないのでさらに到着が遅くなる。
出発して2日くらい経った。馬車も4台乗り継いだ。畑の方は村の親しい人に頼んでいる。僕は夜の森という闇の中、片腕の無い馬車主の老人と焚き火を囲んでいた。
「君は、サルマリアに向かうと……言っていたね」
老人は言う。
「どんな理由かは訊かないが、かなりの距離を旅しているのだろう?」
「ええ……まぁ」
「察するに君は……魔導士ではないか?用があるのは、サルマリアの学園」
僕は老人と目を合わせた。老人の瞳はとても綺麗だった。
「そうか。君が服を替えている時、背中の……左肩甲骨のところに紋章のようなモノがあったのが見えたんだ。ただのタトゥーにも見えたが、君のような好青年が彫るとは考えづらいからな」
僕は反射的に、言われた部位を手で押さえた。
反射的に、というより、思わず。
気がつかなかった。カルナからそんな説明は聞いてない。
「すまない、警戒させるつもりは無いんだ。ただ、私も昔……君と同じくらい若い頃に、召喚士をしていたことがある」
「召喚士……?」
「そこまで誇れる実力は、無かったがね」
老人は火に細い枯れ枝を投げ入れる。
「私の右腕は、私が未熟だったがゆえに無くなったんだよ。当時の私はサルマリア魔法学園の一人の生徒だった。あの時私は力を持とうと必死だった。『魔導士は基礎が命だ』と口を酸っぱくして言っていた師の言葉を聞かず、扱えもしないというのに強大な力を求めた。そして……召喚した怪物に、私の右腕は食われてしまった」
「…………」
「3日ほど生死をさまよい、目覚めたのは医務室のベッドの上だった。そばには深刻そうな顔をした師が黙って座っていたよ。私は覚悟した……ここまで愚かな魔導士をきっと師は許さないだろう、と。だが師は私にこう言ったんだ。『生きていてよかった』。私はただただ涙を流した。そして大いに後悔した。本当に後悔したよ。腕を失い意味を持たなくなった右肩をさすりながらね……」
「それから、どうしたんですか」
「自主退学したよ。引き留めてようとしてくれた師には感謝したが、私はこれ以上の愚かな行為を繰り返さないように、魔法から離れたんだ」
他人事、なんて思わなかった。
動機が違うとはいえ、もしかしたら僕はこの人と同じ状態になってたかもしれなかったのだ。
歪なバケモノに、持っていかれていたかもしれない。
最悪の場合、命を。
「こんな話は無限の将来を控えた若者にするべきではないのだろうが、魔導士を……それも召喚士の道をいくならば、肝に銘じておきなさい……魔導士は基礎が命。そして、基礎が無ければ死ぬことすらあるのだと」
「説教くさいおじいさんねぇ」
老人が眠った頃、カルナは突然現れて炎に枝を放り投げながら言う。
「アタシってば嫌いなのよ。カタクルシイお話って」
「言葉を選んで喋ってよ。すごく失礼だ」
「要は自業自得な失敗経験談を話してお前もこうならないようにしろ、ってことでしょ?それが嫌いなのよ。確かに手を伸ばしてはいけない事なんて山ほどあるわ。でも逆に、その領域にまで踏み込まないと分からないことだって山ほどある。他人の可能性を削ぎ落とすほど、不利益なことって無いんじゃない?」
「極端だなぁ。それは、人の生き方それぞれでいいじゃないか。危険の先に発見があるならそれを欲する人間にやらせればいい。あの人はあくまで忠告しただけだ。僕は、そんなことをする人生を生きようとなんて思ってない」
「説得力ゼロ」
確かにそうだ。
「ところで、どうして重要なことを話さなかったんだよ」
「紋章?ごめんごめん、アンタ、紋章のことを知りたそうにしてないから」
「説明してくれ」
「はいはい。口頭は面倒だから、書いていくわよ」
だるそうに、カルナは指先に魔力の光を灯し、つらつらと文章を空中に書いていく。
『紋章とは、間に召喚士と召喚士が召喚した対象(以下、使い魔)との正式な契約が結ばれた際に、召喚士の体に浮かび上がるマークである。紋章は使い魔ごと、個体ごとに様々な模様が存在するが、全てに共通するのは、一筆ならぬ三筆で描ける程度の簡易な模様であること』
「ちなみにアンタに浮かび上がった紋章は、矢印が三本、それが六角形の対角線のようになってる。アスタリスク、と言えばイメージしやすいかしら」
「ただのマーキングと同じか……」
「紋章にはまだまた色々あるけど……ま、それは後々ね」
話をするのに飽きたのか、僕が寝るために用意した布の上に、大胆にも大の字で寝そべるカルナ。そのまま目を閉じて眠ってしまったのを見て、偉そうな使い魔だと僕は思った。
僕は考える。
魔導士の一生。
今までの農村暮らしに比べれば、間違いなく危険は増すし面倒事ばかりだろう。平穏な人生を望んでいる僕には不釣り合いに決まってる。
でも、どうなんだろう。
井の中の蛙として生き続けるより、違う世界も見てみるべきなんだろうか……?
「……チキン。チェリー。鈍感」
唐突にカルナはそう罵って、消えた。
襲われたかったのかよ。
「やっと着いた……」
片腕の老人が親切にもサルマリアまで乗せてくれることになったお陰で、予想していたよりも1日早く着くことができた。
3日ほどの長旅をようやく終え、カルナは隣で大きく背伸びする。相変わらず露出の激しい服装のままでいるカルナに注意するが、聞いてもらえなかった。アイデンティティ、だそうだ。
それにしても、サルマリア。農村とは違って石で出来た頑丈そうな建物ばかり。地面もしっかり舗装されて歩きやすい。
人がここまで多くいる環境。人間ほどではないけど、魔物が往来している環境。あらゆる所で魔法が使われて、商売がすごく盛んな環境。何もかもが新鮮で、僕は無意識に色々なところに目が行ってしまう。
「ホントに人や魔物が多いんだなぁ都会って」
「これでもまだまだ小さい方よ。アタシが暮らしていたとある大都市では、リリムが最も影響力を持って統治していたある都会では、この街が2つすっぽり入るくらい大きかったわよ。魔物と人間との対比だって、ずっと魔物の方が多いわ」
「へぇ。……ところで、前に話してた牛乳でのよくない思い出って?」
「ああ、あれは何十年くらい前かしら……まだ魔王が代替わりしていない頃よ。昔の主神信仰者たちはサキュバスに襲われまいと、小皿一杯の牛乳を枕元に置いていたのよ。精液と間違えて持っていくと信じていたから」
「小皿の牛乳って……まさか昔のサキュバスたちは思考が単純で、そんな単純な小物に騙されるような魔物だったっていうのか?」
カルナは僕の頭をはたいた。気に障ったのだろう。
「確かに昔は今ほど立場が良いってわけじゃないわよ。低級の魔物として扱われてた。人を大量に殺せるような力は無いし、精々、人間を堕落させるくらいしか出来ることは無かった。でもね、さすがにあんな小細工に騙されるようなバカじゃなかったわよ。騙されたフリをしてた。ちゃんとヤることヤって、完璧に後処理して、牛乳を啜って帰る。プロだもの」
プロっていうのはどうなのか、と僕は思う。
そのとき、カルナとの会話に気をとられて通行人と正面からぶつかってしまった。反射的に僕は「すいません」と謝りぶつかってしまった相手を確認する……が。
「あ、あれ?」
不思議なことに相手はどこにもいなかった。確かにあのぶつかった感触は人間か、あるいは魔物だろう。人ごみの中であるなら見失うことはあっても、ちょうど歩いていたこの場所は人の密度の薄い広場。見失うことなどあるはずは……
そんなとき、僕は右手に何かを握っていたことに気付く。確認して二度、僕は困惑した。僕は女性用のパンツを強く握っていたのだ。
「ぱ、パン……!」
思わずそう叫びそうになったとき、僕は見えない何かの力によってパンツを握る手首を掴まれ、ものすごい速さで引きずられる。普通の人間の力じゃないことはすぐに分かった。正体不明の現象から逃れようと必死に踏ん張るが、結局、僕は抵抗も空しく建物の陰へ。
「な、な、はぁ!?」
「しーっ。声が大きいぞ、私の存在がバレる」
制止されるが、しかし制止してくる声の主はどこにも見当たらない。すぐ近くにいるはずなのに、気配はあるはずなのに……
何かに巻き込まれたと思って助けを求めようとカルナを探すが、さっきまでいたのにどこにもいない。本当に気まぐれなヤツ。
「早くそれを私に返せ。それは私のモノだ」
声の主は透明な布から出てくるように、僕の目の前に、すぅ、と現れた。
相手は人間ではなく、アヌビスだった。
黒いローブを身にまとった、アヌビスの姿が現れた。
彼女は僕に侮蔑のような目線を突き刺してくる。なんだ、僕は一体何を……もしや僕は盗人かなにかだと思われているのだろうか?だとしたらかなりマズい事態だ。濡れ衣だ。いや、濡れ衣は違うか……
「メルキュラ・ベクラ。私の名であり」
魔法使い。
メルキュラさんはそう付け足した。
出発して2日くらい経った。馬車も4台乗り継いだ。畑の方は村の親しい人に頼んでいる。僕は夜の森という闇の中、片腕の無い馬車主の老人と焚き火を囲んでいた。
「君は、サルマリアに向かうと……言っていたね」
老人は言う。
「どんな理由かは訊かないが、かなりの距離を旅しているのだろう?」
「ええ……まぁ」
「察するに君は……魔導士ではないか?用があるのは、サルマリアの学園」
僕は老人と目を合わせた。老人の瞳はとても綺麗だった。
「そうか。君が服を替えている時、背中の……左肩甲骨のところに紋章のようなモノがあったのが見えたんだ。ただのタトゥーにも見えたが、君のような好青年が彫るとは考えづらいからな」
僕は反射的に、言われた部位を手で押さえた。
反射的に、というより、思わず。
気がつかなかった。カルナからそんな説明は聞いてない。
「すまない、警戒させるつもりは無いんだ。ただ、私も昔……君と同じくらい若い頃に、召喚士をしていたことがある」
「召喚士……?」
「そこまで誇れる実力は、無かったがね」
老人は火に細い枯れ枝を投げ入れる。
「私の右腕は、私が未熟だったがゆえに無くなったんだよ。当時の私はサルマリア魔法学園の一人の生徒だった。あの時私は力を持とうと必死だった。『魔導士は基礎が命だ』と口を酸っぱくして言っていた師の言葉を聞かず、扱えもしないというのに強大な力を求めた。そして……召喚した怪物に、私の右腕は食われてしまった」
「…………」
「3日ほど生死をさまよい、目覚めたのは医務室のベッドの上だった。そばには深刻そうな顔をした師が黙って座っていたよ。私は覚悟した……ここまで愚かな魔導士をきっと師は許さないだろう、と。だが師は私にこう言ったんだ。『生きていてよかった』。私はただただ涙を流した。そして大いに後悔した。本当に後悔したよ。腕を失い意味を持たなくなった右肩をさすりながらね……」
「それから、どうしたんですか」
「自主退学したよ。引き留めてようとしてくれた師には感謝したが、私はこれ以上の愚かな行為を繰り返さないように、魔法から離れたんだ」
他人事、なんて思わなかった。
動機が違うとはいえ、もしかしたら僕はこの人と同じ状態になってたかもしれなかったのだ。
歪なバケモノに、持っていかれていたかもしれない。
最悪の場合、命を。
「こんな話は無限の将来を控えた若者にするべきではないのだろうが、魔導士を……それも召喚士の道をいくならば、肝に銘じておきなさい……魔導士は基礎が命。そして、基礎が無ければ死ぬことすらあるのだと」
「説教くさいおじいさんねぇ」
老人が眠った頃、カルナは突然現れて炎に枝を放り投げながら言う。
「アタシってば嫌いなのよ。カタクルシイお話って」
「言葉を選んで喋ってよ。すごく失礼だ」
「要は自業自得な失敗経験談を話してお前もこうならないようにしろ、ってことでしょ?それが嫌いなのよ。確かに手を伸ばしてはいけない事なんて山ほどあるわ。でも逆に、その領域にまで踏み込まないと分からないことだって山ほどある。他人の可能性を削ぎ落とすほど、不利益なことって無いんじゃない?」
「極端だなぁ。それは、人の生き方それぞれでいいじゃないか。危険の先に発見があるならそれを欲する人間にやらせればいい。あの人はあくまで忠告しただけだ。僕は、そんなことをする人生を生きようとなんて思ってない」
「説得力ゼロ」
確かにそうだ。
「ところで、どうして重要なことを話さなかったんだよ」
「紋章?ごめんごめん、アンタ、紋章のことを知りたそうにしてないから」
「説明してくれ」
「はいはい。口頭は面倒だから、書いていくわよ」
だるそうに、カルナは指先に魔力の光を灯し、つらつらと文章を空中に書いていく。
『紋章とは、間に召喚士と召喚士が召喚した対象(以下、使い魔)との正式な契約が結ばれた際に、召喚士の体に浮かび上がるマークである。紋章は使い魔ごと、個体ごとに様々な模様が存在するが、全てに共通するのは、一筆ならぬ三筆で描ける程度の簡易な模様であること』
「ちなみにアンタに浮かび上がった紋章は、矢印が三本、それが六角形の対角線のようになってる。アスタリスク、と言えばイメージしやすいかしら」
「ただのマーキングと同じか……」
「紋章にはまだまた色々あるけど……ま、それは後々ね」
話をするのに飽きたのか、僕が寝るために用意した布の上に、大胆にも大の字で寝そべるカルナ。そのまま目を閉じて眠ってしまったのを見て、偉そうな使い魔だと僕は思った。
僕は考える。
魔導士の一生。
今までの農村暮らしに比べれば、間違いなく危険は増すし面倒事ばかりだろう。平穏な人生を望んでいる僕には不釣り合いに決まってる。
でも、どうなんだろう。
井の中の蛙として生き続けるより、違う世界も見てみるべきなんだろうか……?
「……チキン。チェリー。鈍感」
唐突にカルナはそう罵って、消えた。
襲われたかったのかよ。
「やっと着いた……」
片腕の老人が親切にもサルマリアまで乗せてくれることになったお陰で、予想していたよりも1日早く着くことができた。
3日ほどの長旅をようやく終え、カルナは隣で大きく背伸びする。相変わらず露出の激しい服装のままでいるカルナに注意するが、聞いてもらえなかった。アイデンティティ、だそうだ。
それにしても、サルマリア。農村とは違って石で出来た頑丈そうな建物ばかり。地面もしっかり舗装されて歩きやすい。
人がここまで多くいる環境。人間ほどではないけど、魔物が往来している環境。あらゆる所で魔法が使われて、商売がすごく盛んな環境。何もかもが新鮮で、僕は無意識に色々なところに目が行ってしまう。
「ホントに人や魔物が多いんだなぁ都会って」
「これでもまだまだ小さい方よ。アタシが暮らしていたとある大都市では、リリムが最も影響力を持って統治していたある都会では、この街が2つすっぽり入るくらい大きかったわよ。魔物と人間との対比だって、ずっと魔物の方が多いわ」
「へぇ。……ところで、前に話してた牛乳でのよくない思い出って?」
「ああ、あれは何十年くらい前かしら……まだ魔王が代替わりしていない頃よ。昔の主神信仰者たちはサキュバスに襲われまいと、小皿一杯の牛乳を枕元に置いていたのよ。精液と間違えて持っていくと信じていたから」
「小皿の牛乳って……まさか昔のサキュバスたちは思考が単純で、そんな単純な小物に騙されるような魔物だったっていうのか?」
カルナは僕の頭をはたいた。気に障ったのだろう。
「確かに昔は今ほど立場が良いってわけじゃないわよ。低級の魔物として扱われてた。人を大量に殺せるような力は無いし、精々、人間を堕落させるくらいしか出来ることは無かった。でもね、さすがにあんな小細工に騙されるようなバカじゃなかったわよ。騙されたフリをしてた。ちゃんとヤることヤって、完璧に後処理して、牛乳を啜って帰る。プロだもの」
プロっていうのはどうなのか、と僕は思う。
そのとき、カルナとの会話に気をとられて通行人と正面からぶつかってしまった。反射的に僕は「すいません」と謝りぶつかってしまった相手を確認する……が。
「あ、あれ?」
不思議なことに相手はどこにもいなかった。確かにあのぶつかった感触は人間か、あるいは魔物だろう。人ごみの中であるなら見失うことはあっても、ちょうど歩いていたこの場所は人の密度の薄い広場。見失うことなどあるはずは……
そんなとき、僕は右手に何かを握っていたことに気付く。確認して二度、僕は困惑した。僕は女性用のパンツを強く握っていたのだ。
「ぱ、パン……!」
思わずそう叫びそうになったとき、僕は見えない何かの力によってパンツを握る手首を掴まれ、ものすごい速さで引きずられる。普通の人間の力じゃないことはすぐに分かった。正体不明の現象から逃れようと必死に踏ん張るが、結局、僕は抵抗も空しく建物の陰へ。
「な、な、はぁ!?」
「しーっ。声が大きいぞ、私の存在がバレる」
制止されるが、しかし制止してくる声の主はどこにも見当たらない。すぐ近くにいるはずなのに、気配はあるはずなのに……
何かに巻き込まれたと思って助けを求めようとカルナを探すが、さっきまでいたのにどこにもいない。本当に気まぐれなヤツ。
「早くそれを私に返せ。それは私のモノだ」
声の主は透明な布から出てくるように、僕の目の前に、すぅ、と現れた。
相手は人間ではなく、アヌビスだった。
黒いローブを身にまとった、アヌビスの姿が現れた。
彼女は僕に侮蔑のような目線を突き刺してくる。なんだ、僕は一体何を……もしや僕は盗人かなにかだと思われているのだろうか?だとしたらかなりマズい事態だ。濡れ衣だ。いや、濡れ衣は違うか……
「メルキュラ・ベクラ。私の名であり」
魔法使い。
メルキュラさんはそう付け足した。
15/11/15 12:22更新 / 祝詞
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