01:オー・マイ・サキュバス
真夜中、倉庫として使われている掘っ立て小屋の中から物音がする。そこには一人の若い召喚士候補の青年がいた。青年は白いチョークでびっしりと書きこまれた陣を前に胡座をかいている。彼の組んだ脚の上には分厚い召喚魔導書があった。
召喚士というのは魔導士のタイプの1つである。様々な使い魔を臨機応変に使役して戦い方を変える。力の持った使い魔を従わせるには相応の実力が必要であり、戦場で活躍している召喚士のほとんどは、上級魔導士たちの中でも一握りである。そもそも召喚士の定義は『使い魔を使役している魔導士』であるゆえに、力がなくても召喚さえできれば召喚士にはなれるが、しかし力を持たぬ人間が易々と使い魔候補を召喚しようとすればどうなるか想像に難くはないだろう。
追記しておくと、彼は上級魔導士どころか魔法の知識を微塵程度にしか持たない一般の村人だった。偶然拾った魔導書に記されたことを、何の深い考え無しに行っているだけである。
「これで……喚べるんだよな……?」
しばらくして、魔導書はバラバラとめくれ、陣は発光を始めた。どんなヤツが来るのか、青年は込み上げてくる期待を押し殺して詠唱を開始した。
我が右手には見えざる鎖
左手には万物の境
たゆたう夢は餞別の標
対価は力
闇は大いなる扉の元へ還る
汝の前に答えはあるか
参れ 我が声を以て
言い切った瞬間に凄まじい突風が吹き荒れ、掘っ立て小屋は容易く崩壊した。青年も柱や屋根と一緒に吹き飛んで地面を転がった。
「いったた……まさか、成功したのか!?」
走る。
農具やらが散らばっている中、辛うじて小屋の柱だけが残っている場所に、人のものと思わしき影があった。しかし少し違うのは、蝙蝠のような翼が月を背に大きく広げている。
「お前が、俺の使い魔……か?」
影はそっと近づいてくる。
「んー、使い魔っていうか……win-win?」
青年と密着しそうなほど接近したところで、月の光によってようやくその姿を確認することができた。
「ハーイ!みんなのセフレ、サキュバスちゃんですよぉ〜 ♡」
きゃぴるーん☆な効果音が響きそうな気さくな使い魔に、青年は呆然としたまま言った。
「…………チェンジ」
「ちょっとぉ、喚んでおいてチェンジってのはないんじゃないの?」
「そりゃあさ……まさかあんなゴリゴリの呪文でこんなのが出るなんて思わないだろ」
「こんなの!?」
「分かった、分かったから!朝飯を口に含みながら怒鳴るなよ……」
翌朝。
とりあえず召喚してしまった以上、契約が成立してしまったので同居することになってしまった。
僕はネーテル・ログフォーツ。新米召喚士です。昨日まではただの村人Aでした。
「ねえ、アタシを召喚してくれたのは嬉しいんだけど、一体どんなヤツを呼びたかったの?」
「え?」
僕はキョトンとした。そういえば、召喚方法や呪文を学んだだけで具体的に何を喚ぼうか考えていなかった。サキュバスは僕の顔を見て、呆れたような顔をした。
「あーやっぱりそうなの。知識もないのに喚ぼうとしたわけね。いい?召喚には確かなイメージを持って適正な魔力と召喚呪文がなきゃならないの。どんな魔物を喚ぼうとしたかは知らないけど、自業自得ね」
サキュバスは注いだ珈琲を飲もうとマグカップに手を伸ばす。
「あら時間切れ。スタミナないのねぇ、ご主人様は」
見ると、サキュバスの右手首から先が半透明になっていた。
自分の精が尽きかけているのだと、僕は察する。
「もうすぐ消えちゃうから説明しておくけど、アタシと貴方が契約の関係になった以上、強く念じれば儀式や呪文を無視してアタシを喚び出せるわ。助けが欲しいときは喚んで。戦いは嫌いじゃないけど、出来ればベッドの上で喚んでほしいかな♡……なーんてね。あ、アタシの名前はカルナよ。よろしくさん」
そう言い残してサキュバスは光の粒になって消えた。
騒がしい使い魔を持ったもんだと、僕は眉間に皺を寄せながら紅茶を啜った。
「やぁネーテルくん」
隣(とは言っても600メートル離れている)に住むクォルテスさん。五十代後半なのに毎日早朝から畜産業を営んでいる。ホルミルクをベースにかなり儲かっているらしい。そんなクォルテスさんは3日に1度、荷車に積んだミルク缶を1つくれるのだ。
「いつもありがとうございます。クォルテスさん」
「なに、君にはいつも美味しい野菜を分けてくれるからね。お陰さまで、今日も健康で良いミルクが得られた。これが私たちの生きる資金になる。君の作物のおかげで私と妻はお腹いっぱいご飯を食べれるし快適な生活を送れるわけだ」
「ベタベタ感謝するのやめてくださいよ。くすぐったいです……」
僕の視界の端っこでたぷんたぷんと巨大な胸を揺らしながら、たぽんたぽんと音を立ててミルク缶を運んでくるのはクォルテスさんの奥さん、ホルスタウロスのアルカミラさん。「んっしょ、んっしょ」と動く度にバウンドしたり揺れまくったりするアルカミラさんの胸部につい目が奪われてしまう僕を見て、クォルテスさんは愉快そうに笑った。
「はっはっは、男の子だもんなぁ」
「う……」
「そんなに恥ずかしがることはない。見たいならバストくらいお安い御用だぞ?なぁアルカミラ」
「だ、誰が見せるもんですか!ただの乳牛じゃないんですよ、もう!」
「冗談だよ、冗談。はっはっは」
このようにクォルテスさんはダンディな印象の割に下品な話に非常にオープンである。
「ねぇ、ご主人様ぁ」
「どうした?溜まってきたのか?」
「そ、そうじゃありませんよぅ……もう帰りません?あまり、ここにいたくないというか……」
「うん?」
いたくない?
僕が何かしただろうか?
「アルカミラ。どんな理由があるかは知らないけど、他人の家に来て『帰りたい』なんて……」
「も、もう我慢できませーん!」
アルカミラさんはクォルテスさんの腕を掴んで、荷車を置いて走り去ってしまった。
僕がしばらく唖然としていると、どこかから人の声が聞こえた。
「ん〜!やっぱりホルミルクはいいわねぇ♪甘くてほどよく濃くて、体がフレッシュになる感覚ってやつ?牛乳ってあんまりいい思い出ないけど、美味しいものはやっぱり美味しいわぁ〜。ていうか、あのホルスタウロスも失礼よねー。私がサキュバスだからって取られることを恐れるなんて風評被害よー」
「……勝手に飲まないでくれる?」
振り向けば、カルナが高級じみたティーカップで缶のミルクを掬って飲んでいた。
「というか、喚んでもないんだけど……」
「アタシくらいになると自分の魔力で賄えるから大丈夫なのよ」
「なんだか損した気分だなぁ」
「あ、そうそう。あなたにこんな手紙が届いてたわよ」
カルナから手渡された手紙には、とても丁寧な文字で『サルマリア魔法学園よりネーテル・ログフォーツ殿へ』と書かれていた。
サルマリア魔法学園。僕の住む農村から数十キロも離れた都会にあるエリートの学校ということ程度しか知らない。
一体、何の用なんだろうか。僕は手紙の封を開けた。
「本当に合ってるのぉ?ナーラぁ。あんな感じのフツーな農民青年が召喚士ぃ?私全く信じらんないなぁ」
「ペルトネル殿は魔力の探知が下手なのだねー」
ネーテルとクォルテスが会話を交わしていたとき、ネーテルの家の郵便受けに手紙を入れた二人の女の子。一方は身長150も満たない、ペルトネルと呼ばれた、カバンを背負う非常に小柄な少女。もう一方は身長160くらいの、木で作られた杖を肩に担いだ少女。
「ナーラと違ってぇ、私は魔力の扱いが繊細じゃないんだから分からないわよぉ。ていうかぁ、ナーラの魔力探知は学園一だしぃ」
「我に言わせてもらえば、我の持つ探知は長年ちょくちょく使ってたからこその突出した能力なのだ。ペルトネル殿も頑張れば我のようになるのだ」
「長年って16歳じゃないのよぉ。何にそんなに使ったわけぇ?」
「イタズラ見つからないように」
「泣きたくなるわぁ」
それにしてもぉ、とペルトネルは言う。
「ネーテル・ログフォーツぅ……彼が本当に彼女の召喚に成功したとしてぇ、なんでそれだけで学園長は超難関校に誘うのかしらねぇ?」
「さぁね。我はあくまで彼女の魔力痕を追っただけなのだもん。全ては、学園長のみぞ知るのだ」
ナーラは振り返り、暢気そうに会話するネーテルを見てにやけた。
「何も知らないって、罪なのだねぇ」
召喚士というのは魔導士のタイプの1つである。様々な使い魔を臨機応変に使役して戦い方を変える。力の持った使い魔を従わせるには相応の実力が必要であり、戦場で活躍している召喚士のほとんどは、上級魔導士たちの中でも一握りである。そもそも召喚士の定義は『使い魔を使役している魔導士』であるゆえに、力がなくても召喚さえできれば召喚士にはなれるが、しかし力を持たぬ人間が易々と使い魔候補を召喚しようとすればどうなるか想像に難くはないだろう。
追記しておくと、彼は上級魔導士どころか魔法の知識を微塵程度にしか持たない一般の村人だった。偶然拾った魔導書に記されたことを、何の深い考え無しに行っているだけである。
「これで……喚べるんだよな……?」
しばらくして、魔導書はバラバラとめくれ、陣は発光を始めた。どんなヤツが来るのか、青年は込み上げてくる期待を押し殺して詠唱を開始した。
我が右手には見えざる鎖
左手には万物の境
たゆたう夢は餞別の標
対価は力
闇は大いなる扉の元へ還る
汝の前に答えはあるか
参れ 我が声を以て
言い切った瞬間に凄まじい突風が吹き荒れ、掘っ立て小屋は容易く崩壊した。青年も柱や屋根と一緒に吹き飛んで地面を転がった。
「いったた……まさか、成功したのか!?」
走る。
農具やらが散らばっている中、辛うじて小屋の柱だけが残っている場所に、人のものと思わしき影があった。しかし少し違うのは、蝙蝠のような翼が月を背に大きく広げている。
「お前が、俺の使い魔……か?」
影はそっと近づいてくる。
「んー、使い魔っていうか……win-win?」
青年と密着しそうなほど接近したところで、月の光によってようやくその姿を確認することができた。
「ハーイ!みんなのセフレ、サキュバスちゃんですよぉ〜 ♡」
きゃぴるーん☆な効果音が響きそうな気さくな使い魔に、青年は呆然としたまま言った。
「…………チェンジ」
「ちょっとぉ、喚んでおいてチェンジってのはないんじゃないの?」
「そりゃあさ……まさかあんなゴリゴリの呪文でこんなのが出るなんて思わないだろ」
「こんなの!?」
「分かった、分かったから!朝飯を口に含みながら怒鳴るなよ……」
翌朝。
とりあえず召喚してしまった以上、契約が成立してしまったので同居することになってしまった。
僕はネーテル・ログフォーツ。新米召喚士です。昨日まではただの村人Aでした。
「ねえ、アタシを召喚してくれたのは嬉しいんだけど、一体どんなヤツを呼びたかったの?」
「え?」
僕はキョトンとした。そういえば、召喚方法や呪文を学んだだけで具体的に何を喚ぼうか考えていなかった。サキュバスは僕の顔を見て、呆れたような顔をした。
「あーやっぱりそうなの。知識もないのに喚ぼうとしたわけね。いい?召喚には確かなイメージを持って適正な魔力と召喚呪文がなきゃならないの。どんな魔物を喚ぼうとしたかは知らないけど、自業自得ね」
サキュバスは注いだ珈琲を飲もうとマグカップに手を伸ばす。
「あら時間切れ。スタミナないのねぇ、ご主人様は」
見ると、サキュバスの右手首から先が半透明になっていた。
自分の精が尽きかけているのだと、僕は察する。
「もうすぐ消えちゃうから説明しておくけど、アタシと貴方が契約の関係になった以上、強く念じれば儀式や呪文を無視してアタシを喚び出せるわ。助けが欲しいときは喚んで。戦いは嫌いじゃないけど、出来ればベッドの上で喚んでほしいかな♡……なーんてね。あ、アタシの名前はカルナよ。よろしくさん」
そう言い残してサキュバスは光の粒になって消えた。
騒がしい使い魔を持ったもんだと、僕は眉間に皺を寄せながら紅茶を啜った。
「やぁネーテルくん」
隣(とは言っても600メートル離れている)に住むクォルテスさん。五十代後半なのに毎日早朝から畜産業を営んでいる。ホルミルクをベースにかなり儲かっているらしい。そんなクォルテスさんは3日に1度、荷車に積んだミルク缶を1つくれるのだ。
「いつもありがとうございます。クォルテスさん」
「なに、君にはいつも美味しい野菜を分けてくれるからね。お陰さまで、今日も健康で良いミルクが得られた。これが私たちの生きる資金になる。君の作物のおかげで私と妻はお腹いっぱいご飯を食べれるし快適な生活を送れるわけだ」
「ベタベタ感謝するのやめてくださいよ。くすぐったいです……」
僕の視界の端っこでたぷんたぷんと巨大な胸を揺らしながら、たぽんたぽんと音を立ててミルク缶を運んでくるのはクォルテスさんの奥さん、ホルスタウロスのアルカミラさん。「んっしょ、んっしょ」と動く度にバウンドしたり揺れまくったりするアルカミラさんの胸部につい目が奪われてしまう僕を見て、クォルテスさんは愉快そうに笑った。
「はっはっは、男の子だもんなぁ」
「う……」
「そんなに恥ずかしがることはない。見たいならバストくらいお安い御用だぞ?なぁアルカミラ」
「だ、誰が見せるもんですか!ただの乳牛じゃないんですよ、もう!」
「冗談だよ、冗談。はっはっは」
このようにクォルテスさんはダンディな印象の割に下品な話に非常にオープンである。
「ねぇ、ご主人様ぁ」
「どうした?溜まってきたのか?」
「そ、そうじゃありませんよぅ……もう帰りません?あまり、ここにいたくないというか……」
「うん?」
いたくない?
僕が何かしただろうか?
「アルカミラ。どんな理由があるかは知らないけど、他人の家に来て『帰りたい』なんて……」
「も、もう我慢できませーん!」
アルカミラさんはクォルテスさんの腕を掴んで、荷車を置いて走り去ってしまった。
僕がしばらく唖然としていると、どこかから人の声が聞こえた。
「ん〜!やっぱりホルミルクはいいわねぇ♪甘くてほどよく濃くて、体がフレッシュになる感覚ってやつ?牛乳ってあんまりいい思い出ないけど、美味しいものはやっぱり美味しいわぁ〜。ていうか、あのホルスタウロスも失礼よねー。私がサキュバスだからって取られることを恐れるなんて風評被害よー」
「……勝手に飲まないでくれる?」
振り向けば、カルナが高級じみたティーカップで缶のミルクを掬って飲んでいた。
「というか、喚んでもないんだけど……」
「アタシくらいになると自分の魔力で賄えるから大丈夫なのよ」
「なんだか損した気分だなぁ」
「あ、そうそう。あなたにこんな手紙が届いてたわよ」
カルナから手渡された手紙には、とても丁寧な文字で『サルマリア魔法学園よりネーテル・ログフォーツ殿へ』と書かれていた。
サルマリア魔法学園。僕の住む農村から数十キロも離れた都会にあるエリートの学校ということ程度しか知らない。
一体、何の用なんだろうか。僕は手紙の封を開けた。
「本当に合ってるのぉ?ナーラぁ。あんな感じのフツーな農民青年が召喚士ぃ?私全く信じらんないなぁ」
「ペルトネル殿は魔力の探知が下手なのだねー」
ネーテルとクォルテスが会話を交わしていたとき、ネーテルの家の郵便受けに手紙を入れた二人の女の子。一方は身長150も満たない、ペルトネルと呼ばれた、カバンを背負う非常に小柄な少女。もう一方は身長160くらいの、木で作られた杖を肩に担いだ少女。
「ナーラと違ってぇ、私は魔力の扱いが繊細じゃないんだから分からないわよぉ。ていうかぁ、ナーラの魔力探知は学園一だしぃ」
「我に言わせてもらえば、我の持つ探知は長年ちょくちょく使ってたからこその突出した能力なのだ。ペルトネル殿も頑張れば我のようになるのだ」
「長年って16歳じゃないのよぉ。何にそんなに使ったわけぇ?」
「イタズラ見つからないように」
「泣きたくなるわぁ」
それにしてもぉ、とペルトネルは言う。
「ネーテル・ログフォーツぅ……彼が本当に彼女の召喚に成功したとしてぇ、なんでそれだけで学園長は超難関校に誘うのかしらねぇ?」
「さぁね。我はあくまで彼女の魔力痕を追っただけなのだもん。全ては、学園長のみぞ知るのだ」
ナーラは振り返り、暢気そうに会話するネーテルを見てにやけた。
「何も知らないって、罪なのだねぇ」
15/10/11 22:30更新 / 祝詞
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