読切小説
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傘売りの傘と
「傘屋……?」



 永井研一は顎に手を当てて、摩訶不思議なモノを見るような怪訝な顔をしていた。

 街を歩いていると、ビルとビルの隙間にかなり風化した木製の立て看板が倒れていていた。その看板には《傘屋》とだけ書かれていて、しかも字はペンではなく、刃物で刻んだように細く荒い。

 立て看板を起こして裏を見ると、どうやら傘屋のと思われる住所がマジックで書かれていた。



「この街に傘の専門店なんかあったかな……」



 そう考えてはいたものの、もしかすると傘屋というのは名前で、本当は雑貨屋かもしれない、いや古本屋かもしれない。

 そんな疑問を浮かべながら住所を訪ねてみると、木造二階建ての古風な家が構えていた。表札には《傘屋》とあり間違いはないようだが、どうやら休みのようで人の気配はしなかった。

 疑問が解決しないことに不満を感じていると、近所に住んでいると思われる小さな女の子がこちらに歩いてくる。



「そこのお店に用があるの?」

「うん。気になっていてね」

「そのお店ね、傘を売ってるんだー。だから傘屋なんだよ」

「へえ……そうなんだ。今日はお休み?」

「開いてるの、雨の日だけだよ」



 しばらく聞き込みをしていくと、傘屋について色々と分かってきた。

 傘屋はごく最近に店を構えたらしいが、雨の日だけ営業する、という変わったルールのお陰が認知度がそこそこ高かった。売っているのは傘だけで、しかし品揃えは良いという。安いビニール傘から高級な番傘まで揃えているらしい。しかも店主は中学生くらいの女の子らしい。

 研一は強く興味を持ち、しばらく雨の日が来ないか心待ちにした。しかし梅雨開けということもあって一向に雨は降らず、研一の頭から《傘屋》という単語が消えかけていった。

 やがて忘れきった頃に、外に出掛けていた研一は激しい天気雨に遭った。快晴だった空にどこからともなく雲が現れた矢先、積乱雲となって大雨を降らせ始めたのだ。



「くっそ、何でいきなり降ってくるかな……!」



 とりあえずカバンを頭に、全速力で雨の中を走る。

 必死に走っていると、前方に小さな店が見える。それは木造二階建ての古風な一戸建てで、小さな表札には《傘屋》と書かれていた。しかし彼は表札を見ずにそのままの足で店に入る。



「ハァ……ハァ……」



 しばらく荒い呼吸をした後、店内を見渡す。店内は多種大量の傘が売り物として展示されていた。



「いらっしゃいませ」



 声のした店の奥から現れたのは中学生くらいの少女だった。頭には番傘のような帽子を被り、リボンの帯が巻き付いてに両脚を束ねている。服装は寝間着のように薄く、短いスカートからスラリと伸びた脚が細く美しい。



「大雨に遭ったんですね。このタオルを」

「あ、親切にどうも……」



 受け取ったタオルで体の水分を拭っていると、ふと頭に《傘屋》という単語が研一の頭に浮かぶ。

 そういえば走ってきた道を思い返していくと、そうだ、二週間以上も前に訪れた店だ。



「ここは傘屋ですか?えっと、雨の日だけ店を開けるっていう……」

「そうですよ。私たち傘は……雨でしか役に立ちませんから」

「私たち?」

「私たち、です」



 少女は唇の端をつり上げた。



「私は傘に宿った命。作った人間や使う人間に愛されたかった道具たちが、時間と想いを積み重ねて……こうやって命を宿すんですよ」



 研一の近くに寄り、彼の右手を己の胸に添え当てる少女。



「私……先月まではただの唐傘でした。知ってます?憑喪神は怨念で妖異となり、愛情によって人となるのです……私は傘の姿である数十年前から、妖異に堕ちた道具たちを見てきました。それはそれは愚かしい姿になった、道具たちを……」

「…………」

「だから私は……人を、選んだんです」



 人を愛したいから。

 人に愛されたいから。

 胸に当てられた研一の右手は、彼女の鼓動を感じ取っている。

 彼女の、愛の脈動。



「気味の悪い話ですよね」

「……いいえ、むしろ、素敵な話ですよ」

「優しい人ですね、あなたは」



     





 少女との会話はしばらく続き、気がつけば雨がすっかり止んでいて、雲の隙間から星の光がちらついている。



「ありがとうございました」

「またどうぞ、いらしてください」

「次は、傘を買いにきますから」



 研一の姿が見えなくなると、少女は店の暖簾を畳み、店の出入り口の鍵を掛ける。



『はなせた、はなせた』

『おとこの、わかいひと』

『かっこよかったね』

『よかった。よかった』



 少女1人の空間に、色んなか細い声が発生する。



「みんな、ありがとう。おかげで話せたよ……いっぱい、楽しい話」

『あめふり、あまごい』

『わたしたち、あつまればできるよ。いっぱい』



 幸せそうな笑顔を傘に見せる少女。

 彼女自身が憑喪神だけあって、道具に宿っている魂と会話ができるのである。研一を襲った大雨はこの魂の魔力によるものだったのだ。



「使ってくれるかな……私のこと……♪」


 少女はそんな夢を見て、眠りにつく。

 そして次の日。

 少女が目覚め外を覗くと、しとしと、と本物の雨が降っていた。少女は歓喜に震え、弾けるような笑顔を見せる。



「雨、降ってくれた……また来てくれるかな……?



 暖簾を掛け、鼻歌を歌いながら店の奥に戻る少女。



『あめ、うれしい?』

「うん!」



 少女は胸を躍らせながら、椅子に腰かけ、研一の来店を待った。

 一方。



「雨……か」



 ゴウンゴウンと洗濯機を回しながら、退屈そうに窓の外を眺める研一。



「洗濯物は部屋干しして、あとは……」


 傘屋。

 真っ先に、あの少女の顔が研一の頭に浮かぶ。



「傘……買いに行こうか」



 研一は雨が嫌いだった。

 濡れるのが嫌だし、傘によって手が塞がるのも嫌だからだ。

 しかし、今は雨を、なぜか悪くないと思えてしまう。



「……なに浮かれてんだか。初恋ってわけじゃなかろうに」



 自分に呆れながら、傘を差して店を目指す。店が見えてくると、研一の足は自然と速くなった。

 店に着き、傘の水分をある程度払って店に入ると、



「いらっしゃいませ」



 と、慎ましやかに少女は頭を下げる。



「約束通り、傘を買いに来ました。モノのいい傘を、選んでもらえませんか?」

「は……はい」



 少女は店の奥に行き、ほどなくして長い箱を抱えて少女は戻ってきた。



「これが私の店にある一番の傘です。番傘、ですけど……」



 箱を開けると中には彼女の言う通り番傘が入っていた。しかし他とは違う独特の高級感が、触らなくても感じ取れた。

 パリパリと音を立てて傘を開く。



「いい傘だ……持ったときの重さ、張りの良さもいい」

「はい。当店自慢の傘です」

「ただ、雨を避けるのには勿体ないですね」



 研一が他の傘をじっくり見ている中、少女の視線は研一に固定されていた。

 顔を赤くして、けれども真っすぐな目で。



『いえる?』

『ふんいき、いい』

『いうなら、いまだよ?』



 傘の魂が少女の背中を押そうとする。

 だが、少女は口を閉じて、ただ立ち尽くしている。



「言えないよ……」

「ん?何か言いました?」

「へっ!?」



 突然の研一の反応に驚く少女。



「店員さん、顔が赤いですよ?」

「な、何でもありませんから……え、えっと、お気に召した傘はありましたか?」

「そうですね……この西洋傘も悪くないです」

「オススメですよ」

「あ、じゃあ頂きます。幾らですか?」



 少女はレジを打ち、値段を提示する。研一はそれを見て納得して頷く。

 値段と同額を出して研一は受け取ろうとする。しかし少女は俯いて傘を持ったまま手を離そうとしない。



「あの、店員さん?」

「……イヤ」

「……?」

「イヤ!」



 机に傘を置いて、急に雨の降る外に走って出ていく少女。



「えっと、あぁ……て、店員さん!?」



 突然の行動にあたふたと慌てる研一。

 追いかけるべきか……いや、追いかけるべきだろう。

 だが店はどうする?

 閉めようにも閉め方が分からない。



『でてった。でてっちゃった』



 謎の小さな声が、研一を冷静にする。



『びっくりした』

『あんなふうになるんだね』

『きゃぱ、おーばー?』

「……はぁ?」



 幾つも声がするが、全く発生源が特定できない。



『おにーさん』

『あのこ』

『もしかしたら、いったかも?』

『じんじゃ。すぎのき、おっきい』



 杉の木のある、大きな神社?



「中根の……愛宕神社か」



 研一は走る。

 傘を差さずに。





      





「飛び出してきちゃった……」



 体育座りでうずくまりながら、少女は神社の境内にポツリといた。

 頭の傘で濡れてはいないが、どことなく寂しそうに、また寒そうにしている。

 中根愛宕神社は無人の神社である。昔、少女はここで憑喪神として……魔物としての生を受けた。悩み事や悲しいことが起きると、決まって少女はここに来る。

 誤魔化すため。

 放置され続けた歴史に比べれば、他の事は軽い。そう無理やり自分を納得させるのである。



「でも……だめ」



 自分を使ってほしい。

 あんな傘ではなく、傘としての自分を。



「嫌われるのは嫌……棄てられるのは嫌……もう嫌なのに、あんな事はもう……でもなんで言えないんだろう。繰り返したくないのに……」

「それは心が綺麗だからですよ。告白なんて、言いにくいのは当たり前です」



 少し頭を上げると、スニーカーが見える。

 研一が息を切らし、ずぶ濡れで立っていた。



「ごめんなさい。店を飛び出してしまって……でも、どうしてここが?」

「誰のものか分からない声が教えてくれたんです」



 研一は少女の前に、向かい合ってしゃがむ。



「帰りましょう、店員さん。風邪をひきますよ?」

「……ふふ。風邪をひくのは、お客様ですよ」



 ふわりと浮かんで、研一の肩に座る少女。

 体重は感じない。

 研一は立ち上がり、境内を出て、ゆっくりと店に歩みを進める。




「僕は永井研一と言うんですが、店員さんの名前を教えてくれませんか?」

「私……名前が無いんです。放っておかれて何十年、人と深い関わりを持っていなかったもので」

「そうですね……店員さんは雨も晴れも似合いますから、陽雨なんてどうです?」

「ひめ……ですか?」



 キョトンとする少女。




「太陽の『陽』に『雨』で、陽雨」

「すごくいい名前ですね」

「じゃあ、苗字はどうしましょうか……」

「永井」

「え……?」

「永井がいいです」

「……さいですか」

「さいですよ」



 陽雨は笑う。

 気がつくと、雨はすっかり止んでいて、2人を祝福するように虹ができていた。
14/08/17 16:20更新 / 祝詞

■作者メッセージ
 コミケット帰りで投稿しました

 なんと言うかいいですよね、こういうもどかしいコイバナ

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