吸血貴族と奴隷青年
『夜の都会のど真ん中でヴァンパイアに襲われた』なんて言ったら、お前らは信じるか?多分信じないだろうな。きっと嘘だなんだとあざ笑うだろう。だがもしも、首筋に2つ穴を空けている人が現れて、『ヴァンパイアに襲われた』と言ったらどうだろう。多少は信じる人は現れると思う。
血が滴る怪物、ヴァンパイア。
凶悪で冷血、妖艶で醜悪。
夜の都会のど真ん中でヴァンパイアに襲われた男、それが俺、勝山亨だ。
彼女は唐突に目の前に現れた。そして何も言わず近づき、俺の首筋に喰らいついた。ただ栄養を摂取するように、俺の身体を巡る血液という血液を一滴残さず飲み、啜り、舐め、絞り、吸い尽くした。
彼女が食事を終え開放されたとき、わずかな意識で俺は見た。背筋が凍るような、凄惨な笑みを。
そこからは記憶が無い。
気が付いたら、俺は彼女の首筋に喰らいついていた。失った分を取り戻すかのように、彼女の血を飲んでいた。
それから、俺は彼女の奴隷となった。
日が昇っている間、俺は普通の高校生を演じている。都立宮城原高校1年3組勝山亨として、人間世界を歩いている。
「よっ!」
軽快な挨拶をするクラスメイト。
「なんだなんだ?亨。今日も気分が優れないようだけど?うん?まあ最近暑くなってきたからなぁ」
「放っておいてくれ」
気分が優れるはずが無い。人間世界に溶け込んでいてもヴァンパイアの魔力を宿しているため、日の光が苦手。浴び続けると倒れてしまう。今日の授業に体育が無かったのは幸いだった。
俺はインキュバスだ。
ヴァンパイアのインキュバスだ。
主人のそばで一生を過ごし、身の回りの世話をする。
まさに、使い魔のように。
使役させられる、精霊のように。
俺は普通の時間には帰らない。帰るときは決まって日没後の薄暗い時間。これは日光を避けるためであり、俺の行動を目撃されないようにするためである。
「来たぞ」
高校近くに小さな森があり、浅いところでは自然を体験する授業が行われている。俺が向かうのは奥深く、月の光が届かないくらい鬱蒼と木が生い茂る場所に建つ一軒の洋館。外壁は植物のツタに覆われ、中も床が抜けてたり家具が壊れていたりと散々なボロさである。昔からあるらしく人々は幽霊屋敷と呼んでいるそうだが、それは俺にとっては過小な表現だった。
なぜなら。
「ふん。やっと来たか我が奴隷よ」
そこには幽霊よりも何十段も怪物が棲んでいるのだから。
ヴァンパイア。
ヴァンパイアは、頬杖をついてロビーの真ん中に置かれた椅子に座っていた。
銀髪の長い髪をいじりながら、退屈そうに。
「仕方ないだろう。夏が近づいているから昼の時間が長いんだ。これでもかなり急いだんだぞ」
「言い訳など聞きたくないぞ奴隷。要は結果なのだ」
「お厳しいこった」
「では早速」
舌なめずりをしながらこちらに近づくヴァンパイア。
「そういえば、私は貴様に名乗ってなかったな」
「別にいいだろそんなの。俺だって名乗ってないんだ」
「互いの名を知らぬと何かと不便だと思ったのだが?」
身体を密着させ、俺の首筋に舌を這わす。
たっぷりと、唾液を塗る。
「私は不便だと感じている。貴様の名は別にいらん」
「そうかよ」
「私はデルフィニウムという。長いなら特別デルで構わん」
そう言って、デルは俺の首筋に牙を突き刺した。
肉が抉られる痛みを、不快だとは思わない。むしろ安らぎを覚えるくらいだ。
安心感。
安堵感。
「こうして貴様の血を啜ると、恐怖に歪んだ貴様の顔を思い出す」
「俺はあの時のデルの笑みを思い出すがな」
「しかし、納得いかんな」
デルが俺から牙を抜き、言う。
「我々ヴァンパイアにとって人間など取るに足らない下等な存在だ。だが我々が生きていくには人間の存在が必要不可欠。結果我々は人間を激しく見下せない。私はそれが、気に入らない」
「……デル」
「何も言うな。何も言うなよ奴隷。貴様一人が何千年何万年もの間守られてきた暗黙のルールを変えられるというのか?貴様の舌先一つで、一体何人の人間を動かせるというのだ?力も無いくせにでしゃばるな。貴様が何を言ったところで世界は変わらんよ」
「………………」
言い返せない。何千年もの歳月を生きてきたヴァンパイアに、非力な16歳の若造が楯突けるなど、恐れ多いにも程がある。デルの言っていることは正論だ。
「デル、いいか?」
「ああ、構わんぞ」
首筋を晒すデル。週に一度、俺はデルの血を飲まなければならない。ヴァンパイアのインキュバスだからか吸血衝動に駆られることがある。一週間に一度飲まなければ、衝動のままに俺は多分人間を襲ってしまう。
不自然に伸びた八重歯をデルの首筋に突き立てる。
「滑稽なものだな。ヴァンパイアに吸血されるヴァンパイアとは」
「俺はそうは思わない。俺はヴァンパイアじゃない。ヴァンパイアの魔力を宿したただのインキュバスだから」
そうか、とデルは身をゆだねるように目を閉じた。
数分後、血液を飲み終えた俺は彼女から離れる。
「俺は家に帰る」
「何だ?昨日やおとといのようにこの洋館に泊まらんのか?」
「風呂に入らせろ」
洋館を出ようとドアに向かおうとしたとき。
「ん……おっと」
ふらふらする。そうか、血を飲ませすぎたか。デルと出会ってこれで8回目だが、未だにちょうどいい塩梅が分からない。だが、貧血に似た症状は持ち前の治癒力ですぐ治る。
「じゃあな」
洋館を出る。
目の前が昼のようにはっきり見える。ヴァンパイアの眼は暗闇でもはっきり見えるのだ。さすがは闇の世界の住人か。
すなわち、この俺も。
俺がヴァンパイアのインキュバスになった経緯を話そうと思う。今思えば笑い話のような、どうでもいいことだ。
八日前、俺は両親と進路についての話で対立し、俺はむしゃくしゃして家を飛び出した。
本当にしょうもないことだ。
俺は真夜中の街を走った。行く場所も、なんの為かもなく、ただ走った。
俺は大通りの車道の真ん中に座り、息を整える。夜の街は気持ちが悪いくらい誰もいなかった。
そして立ち上がって走ろうとしたとき……いた。
当時、中高生の間で密かにささやかれていた噂があった。内容を聞いてみれば信憑性などこれっぽっちも感じない噂だった。笑い飛ばせる類の、オカルトな噂。
その内容はこうだ。
『夜を舞う銀の吸血鬼がこの都会に潜んでいる』
そして今、夜を舞う銀の吸血鬼は俺の前にいた。
『煙のように消えた』という比喩があるのならば、彼女の場合は全くの逆。
彼女は竜巻のように、いきなりその姿を現した。
吸血鬼は血に飢えていた。獲物を狙う猛禽類のような目で俺を見ていた。
襲われる。
喰われる.
そう、思うしか、なかった。
身体も思考も固定されていた。
彼女の口元には鋭い牙が覗いていて、異様の証を提示しているようだった。
感情に身をゆだねて家を飛び出した俺にもちろん手持ちはない。抵抗する手段がない、絶望的な状況。聖水やらニンニクやら十字架やら毒やら、期待する方がどうかしている。
そして、俺は食われた。否、ようやっと食われたといったほうが正しいかもしれない。極度の緊張に晒されていた俺の精神状態は、自殺志願者と同じだった。もし手に刃物があったら、俺は間違いなく吸血鬼の前で頚動脈を切っていただろう。
首筋の鋭い痛みが、やがて強い脱力感に変わる。彼女は一心不乱に俺の血液を食していく。
彼女が食事を済ませる時間は5分とかからなかった。意識が朦朧としていたが、彼女が牙を抜く感覚は分かった。いまさら彼女に対して敵意などなかった。むしろ逆だ。目の前に家族がいるかのような、特殊な安堵感を覚えた。
そして俺を、強烈な飢餓感が襲う。我慢できないような、強い飢えと渇き。
だから、かもしれない。
そう。
俺は彼女の首筋に、不自然に伸びた牙とも言うべき八重歯を突き刺した。
ぐちゃり、と生々しい音を立てて、俺の歯は彼女の白い肌を突き破っていく。
もはやそれは、カニバリズムなんてものじゃなかった。
異形同士の喰らい合い。
異常同士の奪い合い。
そして思った。彼女の血液は、自分が傷を負って舐めたときの血液よりも、何千倍も美味かった。
そして彼女は手を差し伸べて言ったのだ。
「私の奴隷にならないか?」
この言葉に、俺はこう答えた。
「好きにしろ」
次の日、俺は高校を中退した。自主退学だ。
「やっと決心したのか。私の一生の奴隷になる、と」
「ああもちろんだ」
そう。
あくまで俺は彼女の奴隷であり、あくまで彼女は俺というインキュバスの管理人。
それでも。
ちぐはぐな世界と完全一致の世界は、魂で繋がっている。
継ぎ接ぎな世界と正規的世界を、お互い理解している。
世界そのものが、俺と彼女
二人のヴァンパイアは……共にある。
血が滴る怪物、ヴァンパイア。
凶悪で冷血、妖艶で醜悪。
夜の都会のど真ん中でヴァンパイアに襲われた男、それが俺、勝山亨だ。
彼女は唐突に目の前に現れた。そして何も言わず近づき、俺の首筋に喰らいついた。ただ栄養を摂取するように、俺の身体を巡る血液という血液を一滴残さず飲み、啜り、舐め、絞り、吸い尽くした。
彼女が食事を終え開放されたとき、わずかな意識で俺は見た。背筋が凍るような、凄惨な笑みを。
そこからは記憶が無い。
気が付いたら、俺は彼女の首筋に喰らいついていた。失った分を取り戻すかのように、彼女の血を飲んでいた。
それから、俺は彼女の奴隷となった。
日が昇っている間、俺は普通の高校生を演じている。都立宮城原高校1年3組勝山亨として、人間世界を歩いている。
「よっ!」
軽快な挨拶をするクラスメイト。
「なんだなんだ?亨。今日も気分が優れないようだけど?うん?まあ最近暑くなってきたからなぁ」
「放っておいてくれ」
気分が優れるはずが無い。人間世界に溶け込んでいてもヴァンパイアの魔力を宿しているため、日の光が苦手。浴び続けると倒れてしまう。今日の授業に体育が無かったのは幸いだった。
俺はインキュバスだ。
ヴァンパイアのインキュバスだ。
主人のそばで一生を過ごし、身の回りの世話をする。
まさに、使い魔のように。
使役させられる、精霊のように。
俺は普通の時間には帰らない。帰るときは決まって日没後の薄暗い時間。これは日光を避けるためであり、俺の行動を目撃されないようにするためである。
「来たぞ」
高校近くに小さな森があり、浅いところでは自然を体験する授業が行われている。俺が向かうのは奥深く、月の光が届かないくらい鬱蒼と木が生い茂る場所に建つ一軒の洋館。外壁は植物のツタに覆われ、中も床が抜けてたり家具が壊れていたりと散々なボロさである。昔からあるらしく人々は幽霊屋敷と呼んでいるそうだが、それは俺にとっては過小な表現だった。
なぜなら。
「ふん。やっと来たか我が奴隷よ」
そこには幽霊よりも何十段も怪物が棲んでいるのだから。
ヴァンパイア。
ヴァンパイアは、頬杖をついてロビーの真ん中に置かれた椅子に座っていた。
銀髪の長い髪をいじりながら、退屈そうに。
「仕方ないだろう。夏が近づいているから昼の時間が長いんだ。これでもかなり急いだんだぞ」
「言い訳など聞きたくないぞ奴隷。要は結果なのだ」
「お厳しいこった」
「では早速」
舌なめずりをしながらこちらに近づくヴァンパイア。
「そういえば、私は貴様に名乗ってなかったな」
「別にいいだろそんなの。俺だって名乗ってないんだ」
「互いの名を知らぬと何かと不便だと思ったのだが?」
身体を密着させ、俺の首筋に舌を這わす。
たっぷりと、唾液を塗る。
「私は不便だと感じている。貴様の名は別にいらん」
「そうかよ」
「私はデルフィニウムという。長いなら特別デルで構わん」
そう言って、デルは俺の首筋に牙を突き刺した。
肉が抉られる痛みを、不快だとは思わない。むしろ安らぎを覚えるくらいだ。
安心感。
安堵感。
「こうして貴様の血を啜ると、恐怖に歪んだ貴様の顔を思い出す」
「俺はあの時のデルの笑みを思い出すがな」
「しかし、納得いかんな」
デルが俺から牙を抜き、言う。
「我々ヴァンパイアにとって人間など取るに足らない下等な存在だ。だが我々が生きていくには人間の存在が必要不可欠。結果我々は人間を激しく見下せない。私はそれが、気に入らない」
「……デル」
「何も言うな。何も言うなよ奴隷。貴様一人が何千年何万年もの間守られてきた暗黙のルールを変えられるというのか?貴様の舌先一つで、一体何人の人間を動かせるというのだ?力も無いくせにでしゃばるな。貴様が何を言ったところで世界は変わらんよ」
「………………」
言い返せない。何千年もの歳月を生きてきたヴァンパイアに、非力な16歳の若造が楯突けるなど、恐れ多いにも程がある。デルの言っていることは正論だ。
「デル、いいか?」
「ああ、構わんぞ」
首筋を晒すデル。週に一度、俺はデルの血を飲まなければならない。ヴァンパイアのインキュバスだからか吸血衝動に駆られることがある。一週間に一度飲まなければ、衝動のままに俺は多分人間を襲ってしまう。
不自然に伸びた八重歯をデルの首筋に突き立てる。
「滑稽なものだな。ヴァンパイアに吸血されるヴァンパイアとは」
「俺はそうは思わない。俺はヴァンパイアじゃない。ヴァンパイアの魔力を宿したただのインキュバスだから」
そうか、とデルは身をゆだねるように目を閉じた。
数分後、血液を飲み終えた俺は彼女から離れる。
「俺は家に帰る」
「何だ?昨日やおとといのようにこの洋館に泊まらんのか?」
「風呂に入らせろ」
洋館を出ようとドアに向かおうとしたとき。
「ん……おっと」
ふらふらする。そうか、血を飲ませすぎたか。デルと出会ってこれで8回目だが、未だにちょうどいい塩梅が分からない。だが、貧血に似た症状は持ち前の治癒力ですぐ治る。
「じゃあな」
洋館を出る。
目の前が昼のようにはっきり見える。ヴァンパイアの眼は暗闇でもはっきり見えるのだ。さすがは闇の世界の住人か。
すなわち、この俺も。
俺がヴァンパイアのインキュバスになった経緯を話そうと思う。今思えば笑い話のような、どうでもいいことだ。
八日前、俺は両親と進路についての話で対立し、俺はむしゃくしゃして家を飛び出した。
本当にしょうもないことだ。
俺は真夜中の街を走った。行く場所も、なんの為かもなく、ただ走った。
俺は大通りの車道の真ん中に座り、息を整える。夜の街は気持ちが悪いくらい誰もいなかった。
そして立ち上がって走ろうとしたとき……いた。
当時、中高生の間で密かにささやかれていた噂があった。内容を聞いてみれば信憑性などこれっぽっちも感じない噂だった。笑い飛ばせる類の、オカルトな噂。
その内容はこうだ。
『夜を舞う銀の吸血鬼がこの都会に潜んでいる』
そして今、夜を舞う銀の吸血鬼は俺の前にいた。
『煙のように消えた』という比喩があるのならば、彼女の場合は全くの逆。
彼女は竜巻のように、いきなりその姿を現した。
吸血鬼は血に飢えていた。獲物を狙う猛禽類のような目で俺を見ていた。
襲われる。
喰われる.
そう、思うしか、なかった。
身体も思考も固定されていた。
彼女の口元には鋭い牙が覗いていて、異様の証を提示しているようだった。
感情に身をゆだねて家を飛び出した俺にもちろん手持ちはない。抵抗する手段がない、絶望的な状況。聖水やらニンニクやら十字架やら毒やら、期待する方がどうかしている。
そして、俺は食われた。否、ようやっと食われたといったほうが正しいかもしれない。極度の緊張に晒されていた俺の精神状態は、自殺志願者と同じだった。もし手に刃物があったら、俺は間違いなく吸血鬼の前で頚動脈を切っていただろう。
首筋の鋭い痛みが、やがて強い脱力感に変わる。彼女は一心不乱に俺の血液を食していく。
彼女が食事を済ませる時間は5分とかからなかった。意識が朦朧としていたが、彼女が牙を抜く感覚は分かった。いまさら彼女に対して敵意などなかった。むしろ逆だ。目の前に家族がいるかのような、特殊な安堵感を覚えた。
そして俺を、強烈な飢餓感が襲う。我慢できないような、強い飢えと渇き。
だから、かもしれない。
そう。
俺は彼女の首筋に、不自然に伸びた牙とも言うべき八重歯を突き刺した。
ぐちゃり、と生々しい音を立てて、俺の歯は彼女の白い肌を突き破っていく。
もはやそれは、カニバリズムなんてものじゃなかった。
異形同士の喰らい合い。
異常同士の奪い合い。
そして思った。彼女の血液は、自分が傷を負って舐めたときの血液よりも、何千倍も美味かった。
そして彼女は手を差し伸べて言ったのだ。
「私の奴隷にならないか?」
この言葉に、俺はこう答えた。
「好きにしろ」
次の日、俺は高校を中退した。自主退学だ。
「やっと決心したのか。私の一生の奴隷になる、と」
「ああもちろんだ」
そう。
あくまで俺は彼女の奴隷であり、あくまで彼女は俺というインキュバスの管理人。
それでも。
ちぐはぐな世界と完全一致の世界は、魂で繋がっている。
継ぎ接ぎな世界と正規的世界を、お互い理解している。
世界そのものが、俺と彼女
二人のヴァンパイアは……共にある。
12/12/19 17:01更新 / 祝詞