紙切れと愛、音なき言葉
「…………」
『いかがですか?』
私が紙に書いて尋ねると、それを見たご主人様は、私に向かって優しく微笑んでくださいました。
本日のランチはたっぷりの野菜と程よい量のお肉、チーズ、そして私の愛情を挟んだサンドイッチ。ご主人様が好きなメニューです。
『今回のは少しアレンジを施してみました』
そう紙に書いて渡すと、ご主人様はその裏に返事を書き綴ります。
『うん、チーズがモッツァレラじゃなくてクリュイエールが挟んであったね。あのチーズは酸味が少し強いから』
ご主人様はグルメな方で、例えば私が隠し味を入れたりすると一口で分かってしまう舌をお持ちなのです。
『正解です。流石ですわ』
『今日も美味しかったよ、ごちそうさま』
そう紙に綴って、ご主人様は立ち上がり部屋へ向かいました。
そろそろお気づきかと思います。
私のご主人様は……耳が聞こえず、筆談でしか話すことが出来ないのです。
私、キキーモラのエルシアがご主人様と出会ったのは3年前。
当時、私は一生を捧げるご主人様を探し求めて旅をしていました。
村から村へ、
町から町へ、
国から国へ。
行く先々で宿代わりとして、民家に家政婦として居候させてもらったりして過ごしました。旅の最中に出会う人との会話や触れ合いはいい思い出です。
幾多の国を歩き、自分の生まれ故郷を忘れてしまうほどに長い間、私は旅をしました。
ある時、私は自他ともに認めるうっかりやさんな性格だったので、誤って反魔物国家の領地に入ってしまったことがありました。
当然私は捕まってしまい、地下の薄暗い牢に閉じ込められました。ただ生かす為の最低限の僅かな食事が提供されるだけの、本当に窮屈で退屈な時間を強いられました。
私には、ただじっと釈放の時を待つしかありませんでした。
しかしキキーモラの本能だけはどうしても抑えられず、私は獄卒様から箒を借り、毎日の日課として掃除をすることにしました。
牢がピカピカになってしばらくした、ある日のことでございます。
私の知らない間に魔王軍が攻め込んだようで、私は軍所属のワーラビットのルシャ様に助けられたのです。
閉じ込められていた地下から地上に出ると、活気づいていたハズのどこか懐かしい街並みは姿を変え、凄惨たる残骸の山と化していました。所々で黒い煙が上がり、人間の嘆きが悲しく響いていました。
『私思うんだー』
高台から街を見つめていたルシャ様が言いました。
『こんな仕事、早く無くならないかなーって』
ルシャ様は哀しそうでした。私には悲哀な感情を、気軽な口振りで隠しているように感じてなりませんでした。
それはそうでしょう。
嬉々として戦争をしたがる魔物なんて、いませんもの。
ルシャ様と別れ、壊れきってしまった街並みを見ながら歩いていると、1人の人間の男の子に会いました。
『どうかなさいました?』
私は笑顔で男の子に尋ねました。
しかし男の子は私を見るなり、血相を変えて逃げ出しました。
おそらく、この戦争のせいで、魔物に恐怖心を抱いているのでしょう。無理もありません。
夕方に時間が進むにつれ空が暗くなり、やがて静かに雨が降り出しました。私は傘を差して休める場所を探しました。
損壊の軽い家を見つけ、私は家に入れてもらえる交渉のためにトントンとノックしました。ゆっくり扉が開くと、家の中には昼間の男の子がいました。
男の子は再び私から距離を取り、果物ナイフを構えました。
殺してやる、という目をして。
『 』
男の子は何かを叫んだように見えました。
しかし私には聞こえませんでした。
なぜなら、男の子は声を発していなかったのです。
『 …… !』
私が一歩進むたび、男の子は一層ナイフを強く握り構えます。
刃先を震わせ、顔を憎悪と恐怖に歪める男の子。
『大丈夫。私は貴方を殺したりしませんよ』
『 …… ! !!』
男の子の声が聞こえません。
何かを叫んでいるはずなのに。
何かを訴えているはずなのに。
『……もしかして』
私はテーブルにあった鉛筆と紙を借り、紙に言葉を書きました。
「もしかして喋れないのですか?」
男の子は強張った顔を緩めました。男の子は私から紙を取り、裏に返事を綴りました。
「お前、魔王軍の兵じゃないのか?」
「違います。誤解を免れないのは仕方のないことですが」
私は紙を渡し、首を横に振りました。
男の子はナイフを床に落とし、安堵を覚え細い腕で私を抱き締めました。そして静かに泣き始めたです。
「ご両親様は……お亡くなりになってしまわれたのですか?」
――うん。
男の子は頷きます。
「寂しかったのですね?悲しかったのですね?しかしそれを押し殺す他に無かった。誰にも頼れなかったうえに、頼り方を知らなかったから」
――うん。
『…………』
これ以上、紙も言葉も必要ありません。
やっと――見つかった。
男の子の小さな頭を撫でて、私は確信を持ちました。
この男の子が、私の、一生をかけて全てを支える、ご主人様だと。
それからこの国は勝利国との条約によって完全な終戦を迎え、直ちに復興活動が始まりました。魔物と人間がぎこちなさを残しながらも手を組み、戦争前の街並みを取り戻しました。
ご主人様は一生の使用人として、私を己の傍に置くことを快諾しました。これ以上になく、嬉しかったです。
「ねぇ、エルシア」
「何でしょうか、ご主人様」
「僕の隣に、いてくれる?」
「……ええ。勿論、貴方のお隣には、必ず私が付き添い致しますわ」
ご主人様は私に抱擁をしてくださいました。
私たちの愛は、一枚の小さな紙から始まったのです。
あれ以来。
私はご主人様の耳となり声となり、ご主人様の暮らしを最優先に努めてまいりました。
夜伽はまだですけどね。
「ふん、ふふん、ふん……♪」
私は鼻歌を歌いながら、箒を片手にご主人様の部屋へと向かいます。
扉に着いて、私はそばにあったボタンを押します。このボタンはノックの代わりで、押すと部屋の中のランプが点灯する仕組みなのです。
「ご主人様。失礼いたします」
声が聞こえなくても、一声掛けることは忘れません。
扉を開けると、ご主人様は机に向かい本を読んでいました。
『今から、このお部屋を掃除いたしますね』
『頼むよ』
私は部屋の窓を開け、箒を動かし始めました。
声が聞けないという独特の寂しさもありますが、私にはご主人様という存在があるだけで、充分幸せです。
掃除を終えたとき、ご主人様が私に顔を向けました。目を合わせると、ニコリと笑みを見せてくださいました。
私は微笑みと会釈で返します。
『エルシア』
『はい?』
紙を返すと、ご主人様は私の目をじっと見つめ、顔をほんのり赤く染めて気恥ずかしそうに読書に戻りました。
何が言いたかったのでしょう。
しかし私はキキーモラ、心に決めたご主人様の心が仕草や表情だけで分かります。そして聞こえるのです――
――愛してる。
美しい、音なき言葉が。
『いかがですか?』
私が紙に書いて尋ねると、それを見たご主人様は、私に向かって優しく微笑んでくださいました。
本日のランチはたっぷりの野菜と程よい量のお肉、チーズ、そして私の愛情を挟んだサンドイッチ。ご主人様が好きなメニューです。
『今回のは少しアレンジを施してみました』
そう紙に書いて渡すと、ご主人様はその裏に返事を書き綴ります。
『うん、チーズがモッツァレラじゃなくてクリュイエールが挟んであったね。あのチーズは酸味が少し強いから』
ご主人様はグルメな方で、例えば私が隠し味を入れたりすると一口で分かってしまう舌をお持ちなのです。
『正解です。流石ですわ』
『今日も美味しかったよ、ごちそうさま』
そう紙に綴って、ご主人様は立ち上がり部屋へ向かいました。
そろそろお気づきかと思います。
私のご主人様は……耳が聞こえず、筆談でしか話すことが出来ないのです。
私、キキーモラのエルシアがご主人様と出会ったのは3年前。
当時、私は一生を捧げるご主人様を探し求めて旅をしていました。
村から村へ、
町から町へ、
国から国へ。
行く先々で宿代わりとして、民家に家政婦として居候させてもらったりして過ごしました。旅の最中に出会う人との会話や触れ合いはいい思い出です。
幾多の国を歩き、自分の生まれ故郷を忘れてしまうほどに長い間、私は旅をしました。
ある時、私は自他ともに認めるうっかりやさんな性格だったので、誤って反魔物国家の領地に入ってしまったことがありました。
当然私は捕まってしまい、地下の薄暗い牢に閉じ込められました。ただ生かす為の最低限の僅かな食事が提供されるだけの、本当に窮屈で退屈な時間を強いられました。
私には、ただじっと釈放の時を待つしかありませんでした。
しかしキキーモラの本能だけはどうしても抑えられず、私は獄卒様から箒を借り、毎日の日課として掃除をすることにしました。
牢がピカピカになってしばらくした、ある日のことでございます。
私の知らない間に魔王軍が攻め込んだようで、私は軍所属のワーラビットのルシャ様に助けられたのです。
閉じ込められていた地下から地上に出ると、活気づいていたハズのどこか懐かしい街並みは姿を変え、凄惨たる残骸の山と化していました。所々で黒い煙が上がり、人間の嘆きが悲しく響いていました。
『私思うんだー』
高台から街を見つめていたルシャ様が言いました。
『こんな仕事、早く無くならないかなーって』
ルシャ様は哀しそうでした。私には悲哀な感情を、気軽な口振りで隠しているように感じてなりませんでした。
それはそうでしょう。
嬉々として戦争をしたがる魔物なんて、いませんもの。
ルシャ様と別れ、壊れきってしまった街並みを見ながら歩いていると、1人の人間の男の子に会いました。
『どうかなさいました?』
私は笑顔で男の子に尋ねました。
しかし男の子は私を見るなり、血相を変えて逃げ出しました。
おそらく、この戦争のせいで、魔物に恐怖心を抱いているのでしょう。無理もありません。
夕方に時間が進むにつれ空が暗くなり、やがて静かに雨が降り出しました。私は傘を差して休める場所を探しました。
損壊の軽い家を見つけ、私は家に入れてもらえる交渉のためにトントンとノックしました。ゆっくり扉が開くと、家の中には昼間の男の子がいました。
男の子は再び私から距離を取り、果物ナイフを構えました。
殺してやる、という目をして。
『 』
男の子は何かを叫んだように見えました。
しかし私には聞こえませんでした。
なぜなら、男の子は声を発していなかったのです。
『 …… !』
私が一歩進むたび、男の子は一層ナイフを強く握り構えます。
刃先を震わせ、顔を憎悪と恐怖に歪める男の子。
『大丈夫。私は貴方を殺したりしませんよ』
『 …… ! !!』
男の子の声が聞こえません。
何かを叫んでいるはずなのに。
何かを訴えているはずなのに。
『……もしかして』
私はテーブルにあった鉛筆と紙を借り、紙に言葉を書きました。
「もしかして喋れないのですか?」
男の子は強張った顔を緩めました。男の子は私から紙を取り、裏に返事を綴りました。
「お前、魔王軍の兵じゃないのか?」
「違います。誤解を免れないのは仕方のないことですが」
私は紙を渡し、首を横に振りました。
男の子はナイフを床に落とし、安堵を覚え細い腕で私を抱き締めました。そして静かに泣き始めたです。
「ご両親様は……お亡くなりになってしまわれたのですか?」
――うん。
男の子は頷きます。
「寂しかったのですね?悲しかったのですね?しかしそれを押し殺す他に無かった。誰にも頼れなかったうえに、頼り方を知らなかったから」
――うん。
『…………』
これ以上、紙も言葉も必要ありません。
やっと――見つかった。
男の子の小さな頭を撫でて、私は確信を持ちました。
この男の子が、私の、一生をかけて全てを支える、ご主人様だと。
それからこの国は勝利国との条約によって完全な終戦を迎え、直ちに復興活動が始まりました。魔物と人間がぎこちなさを残しながらも手を組み、戦争前の街並みを取り戻しました。
ご主人様は一生の使用人として、私を己の傍に置くことを快諾しました。これ以上になく、嬉しかったです。
「ねぇ、エルシア」
「何でしょうか、ご主人様」
「僕の隣に、いてくれる?」
「……ええ。勿論、貴方のお隣には、必ず私が付き添い致しますわ」
ご主人様は私に抱擁をしてくださいました。
私たちの愛は、一枚の小さな紙から始まったのです。
あれ以来。
私はご主人様の耳となり声となり、ご主人様の暮らしを最優先に努めてまいりました。
夜伽はまだですけどね。
「ふん、ふふん、ふん……♪」
私は鼻歌を歌いながら、箒を片手にご主人様の部屋へと向かいます。
扉に着いて、私はそばにあったボタンを押します。このボタンはノックの代わりで、押すと部屋の中のランプが点灯する仕組みなのです。
「ご主人様。失礼いたします」
声が聞こえなくても、一声掛けることは忘れません。
扉を開けると、ご主人様は机に向かい本を読んでいました。
『今から、このお部屋を掃除いたしますね』
『頼むよ』
私は部屋の窓を開け、箒を動かし始めました。
声が聞けないという独特の寂しさもありますが、私にはご主人様という存在があるだけで、充分幸せです。
掃除を終えたとき、ご主人様が私に顔を向けました。目を合わせると、ニコリと笑みを見せてくださいました。
私は微笑みと会釈で返します。
『エルシア』
『はい?』
紙を返すと、ご主人様は私の目をじっと見つめ、顔をほんのり赤く染めて気恥ずかしそうに読書に戻りました。
何が言いたかったのでしょう。
しかし私はキキーモラ、心に決めたご主人様の心が仕草や表情だけで分かります。そして聞こえるのです――
――愛してる。
美しい、音なき言葉が。
14/02/24 21:27更新 / 祝詞