バッドエンドはいかんぞ、非生産的な
嫌な予感がして事実その通りの事が起きるのはいい気分ではない。メイソンはビーチから吹いてくる風がいつもと少し違う様に感じていた。それに今朝のカイマナの態度も妙なものだった。
夜になり、そろそろワシントンから遊びに来る姉を空港へ迎えに行くべきだろうが、悪い予感は依然彼の心を乱している。頭を掻いて焦りを鎮めようと努め、1つ気付いた。カイマナがいない。彼女にも携帯を持たせておくべきだったかと悔いながらも、メイソンは何となく更に嫌な予感を覚えた。予感に従いスマートフォンのメール送信ボックスを閲覧したメイソンは、ホラー映画のキャラクターの様に目を見開く羽目となる。
「何て事を!」
確かに彼は驚いた。人生で最も衝撃的な事態に遭遇しつつも、しかし彼は強い意志を持つタイプの男であり、今見たものを現実として受け止めて即座に行動に移す事が出来た。急いで家を出たメイソンが、ポケットにしまったスマートフォンの画面にはこう表示されていた。
「姉さん、じゃあ今回はカメハメハ大王像で待ち合わせよう」
「ちょっと!? そんなもの振り回したら危ないわよ!」
一般的な傷害事件の例と比較すれば、セリーナ・コールの生存時間はかなり長い方ではないだろうか。と言っても、そういう事件は大抵一撃目で死ぬ場合が多いが。今現在、大王像の周辺で行われているこのハンティングにおいて、生粋のハンターからセリーナは実によく逃げ延びていると言える。
ハンターはセリーナの言葉に何も言い返そうとせず、ひたすら無表情のまま刃を握り締め、セリーナを貫こうと迫る。だがもしハンターと親しい者がこの場にいれば、その微妙な表情の変化から彼女の考えを読み取れたかも知れない。ハンターは今、嫉妬に駆られて「悪い虫」を駆除しようとしていたのだ。少なくとも彼女の視点ではセリーナが害虫に見えていた、比喩と直喩の両方の意味で。
このままでは追いつかれると感じたセリーナはひとまず大王像の方へと逃げる。何の足しになるのか、それはわからないが。一応障害物の近くに逃れる事は、この絶望的状況においては上策な方だろう。無いよりマシとは、本当に何も無いよりは遥かに救いがある。
「カイマナ! 今すぐ止まって武器を捨てろ!」
だが救い以上のものがカメハメハ大王像の裏でセリーナを待っていた。セリーナが大王像の横を通過すると同時に、その陰からメイソンは銃を構えて飛び出す。彼の動きには乱れや無駄が無く、その洗練された動きが彼の信念を語っているかのようでもあった。メイソンとしてもこのような事態は到底受け入れがたいものではあったが、それでもこうして行動を起こさなければ自分の大切な姉を恋人に殺されていた事だろう。
「…退いて、その害虫を殺さなきゃ」
予期せぬメイソンの乱入にはさすがにカイマナも驚いたが、その表情の変化はセリーナには読み取れず、メイソンだけが読み取れた。メイソンが立っている大王像の側から5mのところでカイマナは足を止めているが、依然槍のようなものを構えたままで彼らを伺っている。この緊迫した空気の中で、セリーナは像の影からヒョコッと顔を出して場違いな態度と言葉を発した。
「昔っからあなたって女の趣味が悪いと思ってたけど、こりゃやりすぎじゃないの?」
「姉さん、静かにしてくれ!」
よくあるパターンとしては、ここで気が逸れて隙を突かれるのだが、その点メイソンはしっかりしており、このような状況下においても相変わらずなノリの姉に返答しながらも、視線はカイマナの挙動に注視したままであった。ホノルルの治安はアメリカの基準で言えば楽園と言ってもいいが、それでも何かしらの事件が起きないわけではない。刑事として勤務してきたメイソンは、この街の安全を守る事を使命とし、その為の向上心や意志力も人並み外れて高かった。
「彼女は俺の姉だ! だから君が嫉妬する理由なんか無い!」
「…関係、ない」
まるで炎と水の様に対照的なカップルではあったが、それでもメイソンとカイマナの仲はとても良かった。それがまさかこんな事態になってしまったのは、どこの神の気まぐれだろうか。少なくともハワイの神々は、ここまで残酷な運命を用意しないのではないだろうか?
「俺は本気だぞカイマナ! 今すぐ武器を地面に置いて手を頭の後ろに回せ!」
メイソンとて本当は最愛の人に銃を向ける様な真似などしたくはない。だが、彼の正義感は目の前で起きている非道を見過ごせるはずがなかったのだ。決して彼は受け身で振り回される弱者ではない、それ故にこうせざるを得なかった。
「…それは出来ない」
一瞬カイマナの姿勢が低くなり力んだ風に見えた、そうメイソンが認識して処理している間にカイマナは2.5m進んでいた。極度の緊張状態に陥った時、人は周囲がスローモーションで見えるという。メイソンの目は、自分から2mの位置でこちらへと突進するカイマナの姿をしっかりと捉えていた。月明かりと街灯が照らすハンターの姿は昼と大差無い。黒く美しい長髪。頭部両側と両手足にある青くて硬質で、それでいて美しい鰭。そして丸みを帯びてどことなく女性的な魚の尾は、凶器と狂気を纏っている以外の点ではメイソンが愛する普段のカイマナと寸分の違いも無かった。しかしメイソンには何故か彼女が何かを懇願しているかの様に見えて仕方がなかった。
広場に大きな音が鳴り響いた後、何かが倒れた音が鳴り響いた。
「カイマナ!」
俯せに倒れたカイマナを、駆け寄ったメイソンが仰向けにして介抱する。彼はせめて弾が貫通して欲しいと願っていたが、人間より頑丈なサハギンの肉体がそれを阻止した。そして更なる不運はメイソンに起因するものであった。45ACP弾を使用していた事が恐らくこの結果をもたらした要因の1つだろう。もし9mmパラべラム弾であれば結果は変わったのだろうか…しかし残酷にも「現在」に「もしも」は無い。結果としてカイマナの小さな心臓を、メイソンの撃った弾丸が貫通する事なく蹂躙するという、残酷な結果をもたらしてしまった。
「…もう、わた、し…は、駄目」
「しっかりしろ!」
愛する者を自分で撃って平気でいられる者がいようはずがない。メイソンがいくら覚悟していても、こうして現実は彼に悲劇を直面させる。彼の手は、比喩と直喩の両方の意味で、愛する者の血で染まってしまったのだ。
「…自分の…性質を…抑え、られなかった。だか、ら…ありがとう、メイソン…私を止め、てくれて」
「すまない、カイマナ! 君にこんな最低な事を…」
彼らはこんな時まで対照的なカップルであった。広場にはメイソンの感情がこもった大きな声と、カイマナの感情に乏しい小さな声以外は無音で、2人の別れへ敬意を払っているかの様にさえ見える。
「…いい、の、あなたは正義を遂行…しただけ。私達が出会った日の事、覚えて、る?」
現実主義的な考えを持つメイソンには、カイマナが今どういう状況なのかはもうわかっており、故に「喋るな」とありきたりな台詞を吐こうとはしなかった。
「…ああ、覚えてる。君には名前が無かったから、俺がカイマナという名前を」
無情にも失われゆく命が、メイソンには感じ取れた。だからこそ彼にはこうしてカイマナと最期まで話してあげるべきだと、それが彼女への最大の敬意になると思った。
「…嬉し、かった。綺麗で…素敵な、なま…え。さ…よな…ら、メイソン」
男は正義と愛の狭間で悩み、正義を取る事を選んだ。少女はそれに感謝しながら逝った。綺麗な結末? そんな事は冗談でも言ってはいけまい…
「カイマナ? カイマナ!? …ごめんな」
何故このような残酷な結末を迎えてしまったのだろうか? メイソンとカイマナが、何か悪い事をしたのだろうか? しかし…案外答えは酷く滑稽なものだ。
「メイソンよ、そなたは重大な勘違いをしておる」
カメハメハ大王像に軍神クーが宿り、メイソンとセリーナに語りかける。
「これはただの夢だ」
「えっ」
メイソンの意識が現実へと引き戻される直前、彼はまるでかわいそうな人を見るかの様な目で姉が自分を見つめている事に気付いた。
「カイマナァァァァァァァッ!」
目が覚めたメイソンは、夢が最後の最後でどうなったかを少し忘れてしまっていた。人間は何故かついさっき見ていた夢の内容さえ、碌に思い出せない事がある。
「…うるさい」
メイソンはコツン、と頭部に軽い衝撃を受けた。物理的にはコツン程度であったが、精神的な衝撃はその程度では済まなかった。さっき自分で射殺してしまったはずの恋人が、こうして当たり前の様に生きていたのだから。そこまで理解した時点でメイソンは自分がさっきまで夢を見ていた事に気付く事が出来たが、カイマナの方は、何故メイソンがいきなり自分の名前を叫びながら飛び起きたのか、さっぱりわからなかった。
「カイマナ!? …あ、夢だった、のか」
段々と覚醒してきた意識でメイソンは状況を整理してゆく。ベッドで仰向けになって寝ている自分の腹の辺りに跨ってこちらをジッと見つめる最愛の人、そしてベッドの脇には姉が立っていた。もう色々と泣きそうになったが、とりあえずメイソンは深呼吸をしながら息を整える。
「…どんな夢を、見た?」
メイソンはカイマナとセリーナにさっき見た夢の内容を話した。黙ってそれを聞いていたカイマナは話を聞き終えると、パソコンの方を指差した。メイソンは疑問に思いながらそちらを見やり、そしてこんな馬鹿馬鹿しい夢を見た原因を知ってしまった。
パソコンの近くには、昨晩見た「シュリ」と「パリより愛をこめて」のケースが置いてあった。
「あなた本当に馬鹿ねー」
「…映画被れ」
「あまり責めないでくれ…俺は本当に辛い思いをしたんだ」
夢の中とは違う理由でメイソンは沈んだ。2人の尋問者は答えが得られて満足した様でもあったが、同時に彼のアホ臭い夢オチには大層呆れている。というか幼女が俺に現在進行形で跨ってる事については姉さんもスルーなんだろうか、と不要な事を考える余裕がメイソンに出てきたところで、その姉が彼に追い打ちをかけてきた。
「でもそれって心の奥底でカイマナたんを信じてなかったって事じゃない?」
「…知りたくない真実を知ってしまった」
「本当にすまん…」
メイソンには寝室から足早に退出して顔を洗いに行くのが限界だった。2人はそんなメイソンを非難するかの様な目で見つめていた。洗面所で顔を洗い、髭を剃っていると段々彼は気分が落ち着いてきたのを感じた。もう大丈夫だろう、そう思って寝室に戻ってきたメイソンだが、開けっ放しになった寝室のドアからカイマナとセリーナの会話が聞こえてしまった。盗み聞きはよくないと正義感の強い彼は理性で理解していたが、起きてまだあまり時間が経っていないせいもあり、まあいいかとついつい聞いてしまう。
「あの子は昔っから意志が強くて、やると決めたらやる! な子だったわ。いきなりワシントン飛び出してハワイの大学に行っちゃうし、そしたら今度は卒業後は刑事になりたいだなんて言い出しちゃって。ウチって結構裕福だったから学費も生活費も大丈夫だったんだけど、あの子ったら生活費は自分で稼ぐんだ、って言い出して」
よく映画で主人公がやる様にメイソンは顔を少しだけ出して中の様子を伺った。部屋の中ではセリーナがベッドの横へ腰かけて、膝の上に小柄なカイマナを乗せていた。その様子はまるで親子か姉妹に見える程であった、セリーナの全体的に波打つ金髪と対照的なカイマナのストレートな黒髪の相違に目を瞑れば。
「…知ってる。彼はいつもそう。でもそんなところも好き」
「アハハ、私今メイソンの母親みたいな気分だわ。あの子がこんな素敵な彼女さんと巡り合えるなんてねー」
「…恥ずかしい」
夢の中とはまるで違う現実。メイソンの見た夢はあくまで夢に過ぎず、現実はこうも素晴らしかった。2人が仲違いする要素など、どこにも無かったのだから。彼女達は本当に血の繋がった家族の様に打ち解けているではないか。
「ねぇ、カイマナたん」
「…何?」
この時メイソンにとっては、カイマナが答えてそれにセリーナが続けるまでの時間がとても長く感じられた。不安が彼を苛む。セリーナが何を言うのか? 考え始めたら止まらなかった。故にメイソンは気合でそれらを払拭する事を選んだ。どんな現実であろうと、必ず受け止めて見せると。そうやってメイソンが部屋の外で勝手に覚悟を決めている間にセリーナが口を開く。
「メイソンを、よろしくね」
ハッとするメイソンを余所に、カイマナはセリーナの頼みに答えた。
「…命に代えても、守る」
メイソンは己の弱さを改めて知る事になった。自分という生き物が、自分で思っていた以上に弱かった事に気付いたのだ。信じる者は救われる、それは楽観論かも知れないが、今回に関して言えば彼女達が仲良くやってくれると最初から信じていればいいだけの事だったのだ。昨晩セリーナが遊びに来た時から、心のどこかで初対面の彼女達が上手くいくだろうかと、危惧していたのだろう。
「あんまり気負っちゃだーめ。その分、メイソンにも守ってもらってね」
「…わかった」
さっきメイソンは下らない夢を見た事に対して、2人から向けられる呆れから逃れる為に部屋を出た。今度は申し訳なさやありがたさが色々混ざった感情の為に、いてもたってもいられなくなった。
「カイマナ、姉さん。ちょっと近くのサブウェイに行ってくるよ。2人は何が食べたい?」
家を出たメイソンはアラモアナ・ショッピングセンターに行く途中で、ふと近くのベンチへと座って往来を見始めた。1分程そうした後で、彼は人目を気にする事もなく泣き始めた。
夜になり、そろそろワシントンから遊びに来る姉を空港へ迎えに行くべきだろうが、悪い予感は依然彼の心を乱している。頭を掻いて焦りを鎮めようと努め、1つ気付いた。カイマナがいない。彼女にも携帯を持たせておくべきだったかと悔いながらも、メイソンは何となく更に嫌な予感を覚えた。予感に従いスマートフォンのメール送信ボックスを閲覧したメイソンは、ホラー映画のキャラクターの様に目を見開く羽目となる。
「何て事を!」
確かに彼は驚いた。人生で最も衝撃的な事態に遭遇しつつも、しかし彼は強い意志を持つタイプの男であり、今見たものを現実として受け止めて即座に行動に移す事が出来た。急いで家を出たメイソンが、ポケットにしまったスマートフォンの画面にはこう表示されていた。
「姉さん、じゃあ今回はカメハメハ大王像で待ち合わせよう」
「ちょっと!? そんなもの振り回したら危ないわよ!」
一般的な傷害事件の例と比較すれば、セリーナ・コールの生存時間はかなり長い方ではないだろうか。と言っても、そういう事件は大抵一撃目で死ぬ場合が多いが。今現在、大王像の周辺で行われているこのハンティングにおいて、生粋のハンターからセリーナは実によく逃げ延びていると言える。
ハンターはセリーナの言葉に何も言い返そうとせず、ひたすら無表情のまま刃を握り締め、セリーナを貫こうと迫る。だがもしハンターと親しい者がこの場にいれば、その微妙な表情の変化から彼女の考えを読み取れたかも知れない。ハンターは今、嫉妬に駆られて「悪い虫」を駆除しようとしていたのだ。少なくとも彼女の視点ではセリーナが害虫に見えていた、比喩と直喩の両方の意味で。
このままでは追いつかれると感じたセリーナはひとまず大王像の方へと逃げる。何の足しになるのか、それはわからないが。一応障害物の近くに逃れる事は、この絶望的状況においては上策な方だろう。無いよりマシとは、本当に何も無いよりは遥かに救いがある。
「カイマナ! 今すぐ止まって武器を捨てろ!」
だが救い以上のものがカメハメハ大王像の裏でセリーナを待っていた。セリーナが大王像の横を通過すると同時に、その陰からメイソンは銃を構えて飛び出す。彼の動きには乱れや無駄が無く、その洗練された動きが彼の信念を語っているかのようでもあった。メイソンとしてもこのような事態は到底受け入れがたいものではあったが、それでもこうして行動を起こさなければ自分の大切な姉を恋人に殺されていた事だろう。
「…退いて、その害虫を殺さなきゃ」
予期せぬメイソンの乱入にはさすがにカイマナも驚いたが、その表情の変化はセリーナには読み取れず、メイソンだけが読み取れた。メイソンが立っている大王像の側から5mのところでカイマナは足を止めているが、依然槍のようなものを構えたままで彼らを伺っている。この緊迫した空気の中で、セリーナは像の影からヒョコッと顔を出して場違いな態度と言葉を発した。
「昔っからあなたって女の趣味が悪いと思ってたけど、こりゃやりすぎじゃないの?」
「姉さん、静かにしてくれ!」
よくあるパターンとしては、ここで気が逸れて隙を突かれるのだが、その点メイソンはしっかりしており、このような状況下においても相変わらずなノリの姉に返答しながらも、視線はカイマナの挙動に注視したままであった。ホノルルの治安はアメリカの基準で言えば楽園と言ってもいいが、それでも何かしらの事件が起きないわけではない。刑事として勤務してきたメイソンは、この街の安全を守る事を使命とし、その為の向上心や意志力も人並み外れて高かった。
「彼女は俺の姉だ! だから君が嫉妬する理由なんか無い!」
「…関係、ない」
まるで炎と水の様に対照的なカップルではあったが、それでもメイソンとカイマナの仲はとても良かった。それがまさかこんな事態になってしまったのは、どこの神の気まぐれだろうか。少なくともハワイの神々は、ここまで残酷な運命を用意しないのではないだろうか?
「俺は本気だぞカイマナ! 今すぐ武器を地面に置いて手を頭の後ろに回せ!」
メイソンとて本当は最愛の人に銃を向ける様な真似などしたくはない。だが、彼の正義感は目の前で起きている非道を見過ごせるはずがなかったのだ。決して彼は受け身で振り回される弱者ではない、それ故にこうせざるを得なかった。
「…それは出来ない」
一瞬カイマナの姿勢が低くなり力んだ風に見えた、そうメイソンが認識して処理している間にカイマナは2.5m進んでいた。極度の緊張状態に陥った時、人は周囲がスローモーションで見えるという。メイソンの目は、自分から2mの位置でこちらへと突進するカイマナの姿をしっかりと捉えていた。月明かりと街灯が照らすハンターの姿は昼と大差無い。黒く美しい長髪。頭部両側と両手足にある青くて硬質で、それでいて美しい鰭。そして丸みを帯びてどことなく女性的な魚の尾は、凶器と狂気を纏っている以外の点ではメイソンが愛する普段のカイマナと寸分の違いも無かった。しかしメイソンには何故か彼女が何かを懇願しているかの様に見えて仕方がなかった。
広場に大きな音が鳴り響いた後、何かが倒れた音が鳴り響いた。
「カイマナ!」
俯せに倒れたカイマナを、駆け寄ったメイソンが仰向けにして介抱する。彼はせめて弾が貫通して欲しいと願っていたが、人間より頑丈なサハギンの肉体がそれを阻止した。そして更なる不運はメイソンに起因するものであった。45ACP弾を使用していた事が恐らくこの結果をもたらした要因の1つだろう。もし9mmパラべラム弾であれば結果は変わったのだろうか…しかし残酷にも「現在」に「もしも」は無い。結果としてカイマナの小さな心臓を、メイソンの撃った弾丸が貫通する事なく蹂躙するという、残酷な結果をもたらしてしまった。
「…もう、わた、し…は、駄目」
「しっかりしろ!」
愛する者を自分で撃って平気でいられる者がいようはずがない。メイソンがいくら覚悟していても、こうして現実は彼に悲劇を直面させる。彼の手は、比喩と直喩の両方の意味で、愛する者の血で染まってしまったのだ。
「…自分の…性質を…抑え、られなかった。だか、ら…ありがとう、メイソン…私を止め、てくれて」
「すまない、カイマナ! 君にこんな最低な事を…」
彼らはこんな時まで対照的なカップルであった。広場にはメイソンの感情がこもった大きな声と、カイマナの感情に乏しい小さな声以外は無音で、2人の別れへ敬意を払っているかの様にさえ見える。
「…いい、の、あなたは正義を遂行…しただけ。私達が出会った日の事、覚えて、る?」
現実主義的な考えを持つメイソンには、カイマナが今どういう状況なのかはもうわかっており、故に「喋るな」とありきたりな台詞を吐こうとはしなかった。
「…ああ、覚えてる。君には名前が無かったから、俺がカイマナという名前を」
無情にも失われゆく命が、メイソンには感じ取れた。だからこそ彼にはこうしてカイマナと最期まで話してあげるべきだと、それが彼女への最大の敬意になると思った。
「…嬉し、かった。綺麗で…素敵な、なま…え。さ…よな…ら、メイソン」
男は正義と愛の狭間で悩み、正義を取る事を選んだ。少女はそれに感謝しながら逝った。綺麗な結末? そんな事は冗談でも言ってはいけまい…
「カイマナ? カイマナ!? …ごめんな」
何故このような残酷な結末を迎えてしまったのだろうか? メイソンとカイマナが、何か悪い事をしたのだろうか? しかし…案外答えは酷く滑稽なものだ。
「メイソンよ、そなたは重大な勘違いをしておる」
カメハメハ大王像に軍神クーが宿り、メイソンとセリーナに語りかける。
「これはただの夢だ」
「えっ」
メイソンの意識が現実へと引き戻される直前、彼はまるでかわいそうな人を見るかの様な目で姉が自分を見つめている事に気付いた。
「カイマナァァァァァァァッ!」
目が覚めたメイソンは、夢が最後の最後でどうなったかを少し忘れてしまっていた。人間は何故かついさっき見ていた夢の内容さえ、碌に思い出せない事がある。
「…うるさい」
メイソンはコツン、と頭部に軽い衝撃を受けた。物理的にはコツン程度であったが、精神的な衝撃はその程度では済まなかった。さっき自分で射殺してしまったはずの恋人が、こうして当たり前の様に生きていたのだから。そこまで理解した時点でメイソンは自分がさっきまで夢を見ていた事に気付く事が出来たが、カイマナの方は、何故メイソンがいきなり自分の名前を叫びながら飛び起きたのか、さっぱりわからなかった。
「カイマナ!? …あ、夢だった、のか」
段々と覚醒してきた意識でメイソンは状況を整理してゆく。ベッドで仰向けになって寝ている自分の腹の辺りに跨ってこちらをジッと見つめる最愛の人、そしてベッドの脇には姉が立っていた。もう色々と泣きそうになったが、とりあえずメイソンは深呼吸をしながら息を整える。
「…どんな夢を、見た?」
メイソンはカイマナとセリーナにさっき見た夢の内容を話した。黙ってそれを聞いていたカイマナは話を聞き終えると、パソコンの方を指差した。メイソンは疑問に思いながらそちらを見やり、そしてこんな馬鹿馬鹿しい夢を見た原因を知ってしまった。
パソコンの近くには、昨晩見た「シュリ」と「パリより愛をこめて」のケースが置いてあった。
「あなた本当に馬鹿ねー」
「…映画被れ」
「あまり責めないでくれ…俺は本当に辛い思いをしたんだ」
夢の中とは違う理由でメイソンは沈んだ。2人の尋問者は答えが得られて満足した様でもあったが、同時に彼のアホ臭い夢オチには大層呆れている。というか幼女が俺に現在進行形で跨ってる事については姉さんもスルーなんだろうか、と不要な事を考える余裕がメイソンに出てきたところで、その姉が彼に追い打ちをかけてきた。
「でもそれって心の奥底でカイマナたんを信じてなかったって事じゃない?」
「…知りたくない真実を知ってしまった」
「本当にすまん…」
メイソンには寝室から足早に退出して顔を洗いに行くのが限界だった。2人はそんなメイソンを非難するかの様な目で見つめていた。洗面所で顔を洗い、髭を剃っていると段々彼は気分が落ち着いてきたのを感じた。もう大丈夫だろう、そう思って寝室に戻ってきたメイソンだが、開けっ放しになった寝室のドアからカイマナとセリーナの会話が聞こえてしまった。盗み聞きはよくないと正義感の強い彼は理性で理解していたが、起きてまだあまり時間が経っていないせいもあり、まあいいかとついつい聞いてしまう。
「あの子は昔っから意志が強くて、やると決めたらやる! な子だったわ。いきなりワシントン飛び出してハワイの大学に行っちゃうし、そしたら今度は卒業後は刑事になりたいだなんて言い出しちゃって。ウチって結構裕福だったから学費も生活費も大丈夫だったんだけど、あの子ったら生活費は自分で稼ぐんだ、って言い出して」
よく映画で主人公がやる様にメイソンは顔を少しだけ出して中の様子を伺った。部屋の中ではセリーナがベッドの横へ腰かけて、膝の上に小柄なカイマナを乗せていた。その様子はまるで親子か姉妹に見える程であった、セリーナの全体的に波打つ金髪と対照的なカイマナのストレートな黒髪の相違に目を瞑れば。
「…知ってる。彼はいつもそう。でもそんなところも好き」
「アハハ、私今メイソンの母親みたいな気分だわ。あの子がこんな素敵な彼女さんと巡り合えるなんてねー」
「…恥ずかしい」
夢の中とはまるで違う現実。メイソンの見た夢はあくまで夢に過ぎず、現実はこうも素晴らしかった。2人が仲違いする要素など、どこにも無かったのだから。彼女達は本当に血の繋がった家族の様に打ち解けているではないか。
「ねぇ、カイマナたん」
「…何?」
この時メイソンにとっては、カイマナが答えてそれにセリーナが続けるまでの時間がとても長く感じられた。不安が彼を苛む。セリーナが何を言うのか? 考え始めたら止まらなかった。故にメイソンは気合でそれらを払拭する事を選んだ。どんな現実であろうと、必ず受け止めて見せると。そうやってメイソンが部屋の外で勝手に覚悟を決めている間にセリーナが口を開く。
「メイソンを、よろしくね」
ハッとするメイソンを余所に、カイマナはセリーナの頼みに答えた。
「…命に代えても、守る」
メイソンは己の弱さを改めて知る事になった。自分という生き物が、自分で思っていた以上に弱かった事に気付いたのだ。信じる者は救われる、それは楽観論かも知れないが、今回に関して言えば彼女達が仲良くやってくれると最初から信じていればいいだけの事だったのだ。昨晩セリーナが遊びに来た時から、心のどこかで初対面の彼女達が上手くいくだろうかと、危惧していたのだろう。
「あんまり気負っちゃだーめ。その分、メイソンにも守ってもらってね」
「…わかった」
さっきメイソンは下らない夢を見た事に対して、2人から向けられる呆れから逃れる為に部屋を出た。今度は申し訳なさやありがたさが色々混ざった感情の為に、いてもたってもいられなくなった。
「カイマナ、姉さん。ちょっと近くのサブウェイに行ってくるよ。2人は何が食べたい?」
家を出たメイソンはアラモアナ・ショッピングセンターに行く途中で、ふと近くのベンチへと座って往来を見始めた。1分程そうした後で、彼は人目を気にする事もなく泣き始めた。
12/07/03 03:21更新 / しすてむずあらいあんす