連載小説
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城にすむ動物「アニー」

 ある朝、アッシュは目を覚ますと庭に出た。曇り空、冷たい空気。彼にとっては心地よい日だった。

「あ、ダーリン起きとる!」

 静かだった雰囲気をぶち壊したのはホルスタウロスのメイ。本気で慌てているのか、珍しく走ってきた。走るたびに揺れる乳が邪魔で走りにくそうだった。

「朝から五月蠅い。何の用だ?」

 メイはアッシュの手を取り、引っ張っていく。言い表せる言葉がないのか、半泣きだ。さすがに悪い気がして、引かれるまま付いていった。

 そこは、老犬アニーの犬小屋だった。犬小屋といっても、メイのいる小屋を増築し、そこに藁を詰めただけの寝どこだ。

 そこに、口を半開きにして、荒い息をついているアニーがいた。

「あ、ぁぁ、朝起きたらこうなってたんや! アニーはどないしたん?」

 アニーに近づき、頭を軽くなでる。すると、僅かに尻尾を振り、目を細めた。それから撫でている手を舐めた。

 それが限界だったのか、すぐに元の状態に戻り、荒い息を続けた。

「……寿命だろう。とにかく、藁を集めてこい。それから、部屋の暖をとるんだ」

「そ、それで、アニーは?」

「急げ!」

 メイは慌てて出て行った。おそらく、ストーブを取りに行ったのだろう。メイがいなくなると、アッシュはアニーを抱き上げた。

「クゥン」

「そうか、抱き上げたことなんて、あんまりなかったな。驚いたのか?」

 今まで藁の上にいたはずなのに、体はとても冷たい。アッシュはきていた上着を掛ける。そうして表に出た。

 アニーに負担がかからないように、ゆっくりと歩いて行く。体が弱った状態で外に出すのがよくないことは分かっていた。それでも連れて行きたい場所があった。

「ここだ。わかるか?」

 そこは、小さな墓地。隠れるように作られた、ここで死んでいった者たちの墓場。

 古ぼけた写真が貼ってある小さな壺。その一つを手に取る。すると、それが何なのか気がついたのか、アニーの体が震えた。

「ワフ!」

 小さく吠えた。威嚇ではない、嬉しくて鳴いたのだ。その壺の中には、小さくたたまれた、布が入っていた。

「分るか、そうか。これはな、お前の大好きな……そう、ラフィがきていたドレスの一部だ。匂いでも残っていたのかな」

 アッシュはその布を持つと、アニーと共に小屋へ帰っていった。



「ダーリン! どこいってたんや!」

 騒いでいるメイの他に、城の魔物全員がそろっていた。メイ、カーミル、ヴィベル、イム、トト。

「……お前らに言っておく、アニーは寿命だ。もうすぐ死ぬ」

 隠してもしょうがない。だからこそ、短く明確に言った。その言葉に泣き出したのはベルゼブブのヴィベルだった。彼女が拒食症に陥っていた時、それを救ったのはアニーだった。それだけに思い入れが強いのだろう。

 それと、ボロボロ泣いているのはメイ。こっちは流れていく涙を拭こうともしない。さっきまで騒いでいた口を閉じ、アニーの横に座って体を擦っていた。

 サイクロプスのイム、ゴーストのトトは小さく頷いて部屋から出て行った。世話もせず、遊んでもいない2人にはここにいる必要がないと判断したのだろう。

 カーミルは涙こそ流さないが、悲しんでいるのがわかった。

「主人、どうしようもないのか?」

「あぁ、アニーがどれだけこの状態で持ってくれるかだな。長くて一週間だろう」

「そうか……それで、亡骸の壺を持ってきたのか」

 カーミルが亡骸の壺と呼んだのは、今まで拷問の末、処刑までした魔物の遺品を仕舞っておく壺だ。いつから集めていたかはわからない。気がついたら集めていた。

「あぁ、アニーの、アレだ。ヴァンパイアの、……」

「ラフィ」

「そうだ。ラフィの遺品が入っていたからな。こんな時に役立つとは思わなかった」

 藁を集め、暖をとっている藁に静かに寝かせる。

「クゥーン」

 アニーは小さく鳴いた。ヴィベルはすぐに横に座って体をさする。

「あ、アニー。苦しいの? 大丈夫?」

「ダーリン、薬とかで治せないん? もう、どうしようもないんか?」

「どんな秘薬があろうとも、寿命が尽きる者に効く薬はない。たとえエリクサーでも無理だ」

 それだけ言うと、アッシュは自分の部屋に向かっていく。

「ダーリンのアホォ!」

 城での仕事もある。ヴィベルはぐずりながら仕事に戻る。メイがその場に残り、アニーの様子を見る。

 カーミルはアッシュの書類の手伝いをしていた。

「主人は、アニーのそばにいないのか?」

「一緒に仕事をしている時期がある。その時間だけで十分だ」

「泣きそうになるから?」

「そんなことはない」

「でも悲しい」

「…………そうだな」

 日に日にやせ細っていくアニー。それは昔のやせ細っていくヴィベルを見ているようだった。決定的に違うのはこのまま死んでしまうことくらいだろう。

 トトはなるべく食べやすいように調理したものを作るが、アニーがそれを食べることはほとんどない。今のところはメイとヴィベルが交代で面倒をみている。

 アッシュも時間が空いたとき、1日に1度は様子を見に来る。

「アニー……起きてるの?」

 ヴィベルはアニーの体をさする事を止めていた。何故ならさすったところから毛が抜けて行ってしまうからだ。

 代わりに話しかけ、口元や鼻を乾かさないように湿った布を当てるようにしている。

 城での仕事をなるべく早く終わらせ、アニーの看病をする。

「様子はどうだ?」

 アッシュがやってきた。最初の言葉はいつもおなじ。中で看病している人に様子が変わっていないか聞くのだ。

「ずっと苦しそうなの……どうしたらいいの?」

 それは答えを期待しての質問ではない。ただ思ったことを言ってしまっただけだ。それをアッシュもわかっている。だから答えない。

 餌も水も減っている様子はなく、肋骨が浮き出ていた。

 このままでは死ぬのが先か、餓死するのが先かという状態だった。

「ッヒュ……ヒュー」

 擦れた様な呼吸、痙攣するように震える。

「アニー、アニー! しっかりして、がんばって!」

 アッシュが外を見ると、雪が降り始めている。冷え込むだろうと思ったのでストーブの火を少し強くした。

 今まで寝ていたメイが起き上がる。夜通し看病しているのでヴィベルが看病しているうちに寝ているたのだ。

「アニーがどうかしたん!?」

「いきなり苦しそうにしてるの…」

「今晩が峠だろう。メイ、他の連中を呼ぶんだ」

「…り、了解や!」

「ヴィベル、お前はストーブの燃料を取ってこい」

「はい!」

 2人が外に出ると、アッシュはアニーの横に座った。

「そうか、もう限界なのか……アニー、このまま苦しむよりもいっそのこと………いや、やめよう。最後までお前を信じることにしよう。しっかりしろよ」

 冷たい頭をなでる。それに少し反応したように見えたのは気のせいか。

「持ってきました!」「呼んで来たで!」

 これで城の魔物がそろった。だが、そろってもやることはない。ただ声をかけ、回復することを祈るばかり。

 容体は良くなったり悪くなったり、全員食事もとらずにそばにいる。

 雪は積もり始めている。月は寒さを強調するように輝く。



 突然だった。

 アニーはなんでもないように起き上った。

 周りをキョロキョロと見渡し、餌箱に入っているものを平らげ、水を飲む。

 皆唖然として声が出ない。

 そんな様子を気にせず、アニーはボールを咥えてきた。ヴィベルに渡す。

「大丈夫なの?」

 アニーはその言葉を無視するようにドアに向かう。器用に前足でドアを開けて外に出てしまった。

 足跡1つ付いていない雪がうれしいのか、軽く走り回っている。

 それから獲物をとらえるときのように姿勢を低くしてボールが投げられるのを待つ。

「ワン!」

 ヴィベルはアニーが元気になったと喜んだ。とてもやりたかったアニーとのボール遊び。勢いよく投げる。

 まるで全盛期のアニーを見ているようだった。

 弧を描き飛んでいくボールに難なく追いつき、ヴィベルにボールを渡した。

「私もやる」

 カーミルがヴィベルより少し遠くにボールを投げる。それも軽く追いつき、すぐさま持ってきた。

 メイ、トト、イム、それぞれが投げたボールをキャッチして持ってくる。

 誰も言っていないのにみんな順番でボールを投げる。次はアッシュの番だった。

「……アニー、”構え!”」

 アッシュの本気の声に反応したのか、アニーは姿勢を深くして命令を待つ。本当に実践のようだった。

「”捕えろ!”」

 アッシュは本気でボールを投げた。

 ヴィベルより、カーミルより遠くに。それはまるで大砲のように飛んでいく。そしてボールを追いかけ風のように走っていくアニー。

 とても遠くに投げたはずのボールは1バウンドしただけでアニーは捕えられた。自慢げに戻ってくるアニー。アッシュは抱きしめ、頭をなでた。

 とてもうれしそうにしている。

「また投げるね、アニー!」

 ヴィベルは無邪気にボールを構える。

「ワフ」

 投げたボールは軽くキャッチされる。が、そこでアニーの様子がおかしくなった。

 着地した際にふら付いたのだ。だがすぐに持ち直して走り出す。半分ほどの距離を戻ったところで倒れる。すぐに起き上がり走る。

 また起き上がる。次は走れない、ヨタヨタと歩く。

「アニー!」

 駆け出そうとするヴィベルをアッシュが抑える。

「待て」

「でも、アニーが!」

「最後の仕事になるかもしれない、最後までやらせてやってくれ……」

 アニーは何度も倒れこみながら少ずつ近づいてくる。

「がんばれアニー! こっち、あと少し!」

「リキ入れろや、アニー!」

「もう少し」

 1歩1歩確かめるような足取り。ヴィベルはその場から動かない。そして、アニーは長い時間をかけてボールを届けた。

『アニー!』

 皆がアニーを囲む。ボールを届けるだけで限界だったのか、アニーは力なく横たわる。

 幸せそうな顔だった。

 苦しみは無い様だった。

 アッシュはアニーを膝に乗せ、優しく頭をなでた。

「御苦労、ゆっくり休め……アニー」

 最後に小さく鳴いた。

**************************


 ボクの名前はアニー。

 とっても気に入ってるんだ。この名前。

 大好きなご主人様につけてもらった名前。それを誇りにしてる。でも、ご主人様は死んじゃったんだ。とっても悲しいことだ。

 僕は鳴き続けた。

 それからご主人様をいじめていた人が僕に近付いてきた。

 ボクは必死でかみついた。まだ力が強くないけど、ご主人様の敵を討ちたくて頑張ったんだ。

 この人はボクがかみつくのを避けようともしないし、痛みに動じている様子もない。ただ、最初から悲しそうな顔でボクを見ていた。

 それでわかった。この人もボクのご主人様をいじめたくなかったんだって。

 ボクはこの人をボスだと決めた。ボクが敵わないのも理由の一つだけど、それいじょうにご主人様のことを思って悲しい顔をしているってわかったから。

 かみついてしまった場所をなめて謝ることにした。怒られるかと思ったけど、ボスは少しだけ微笑んでボクの頭をなでてくれた。

 ご主人様に比べると少し乱暴な撫で方だったけど、それでも気持ちは伝わってきた。

「これからよろしくな」

「ワン!」

 ボクは大きな声で返事をした。

 ご主人様はもういない。でも、ボスがいてくれるなら大丈夫な気がした。

 今まで狭い場所しか知らなかったけど、広々としたところで走り回るのは楽しい。

 すぐ後ろから追いかけてくるのは眠そうな顔をした人だ。この人はオオカミの匂いがしてちょっと苦手。でもやさしいのを知っている。

 狩猟の基本を教えてくれるのだ。

 逃げ回り、反撃する方法。逆に追いかけて獲物をしとめる方法。大変だったけどいろんなことを覚えるたびにほめてくれるのがうれしかった。

 ボスも時々見に来る。ボスは滅多なことではボクを褒めてくれない。でも、すごいこととか、立派なことをするとあの大きな手でなでてくれる。

 ボスのためにボクは必死になっていった。


「そろそろ大丈夫か」

 ボスが一緒に散歩に出てくれた。それがうれしくて尻尾が動いてしまう。

 そこらへんの同種と違ってボクは綱なんか無くったってボスのそばにいる。

「ワフ!」

「待て…………よし、”捕えろ”」

「ワン!」

 ボスの命令通り、獲物に向かって走る。

 獲物はボクに気が付いたみたいだった。でももう遅い。これはちょっとした自慢だけど、直線を走るだけならオオカミの人よりボクは早い。

 僕は獲物を上から押さえつけて、首に歯をあてた。

 噛んじゃいけない。でも少しだけ食い込ませる。

「イヤァ! 食べないで!」

 暴れたら少しだけ強くかむ。おとなしくなったら緩める。そうしているうちに獲物はおとなしくなった。

「よくやった、アニー」

 後からボスがやってきて僕の頭を撫でてくれる。とっても嬉しい。

 獲物は縄で縛られて運ばれて行った。僕も後から付いていく。

 そんな感じでボクはボスのお仕事をたくさん手伝った。そうすればボスは褒めてくれる。




 そのうち、”私”は自分の体が老いて行くのが感じられるようになった。

 昔ほど長く走れない。瞬間的になら昔のような速さで走ることができる。だが、それを維持するのが困難になってきたのだ。

 ボスの仕事、その最中に私は初めての失敗をしてしまった。叱られてしまうかもしれないと、私は頭を下げてボスの前に歩いて行く。

 ボスは少し残念な顔をして私の頭に手を乗せた。

「もう限界か。アニー、今までよく頑張ったな」

 その言葉でわかってしまった。私にボスの手伝いをすることができないと。

「キュゥン」

 ボスと一緒に家に帰る。その間。ボスは何度も私の頭を撫でた。今まで仕事を成功させた時にしかもらえなかった、最高の賛辞。それが酷く空しく感じた。

「これからは余生をゆっくりと過ごすんだ」

 私は自分の寝床に戻る。そこには牛の人が寝ころんでいる。いつもは彼女の所に行って少し戯れるのだが、今はそんなこともできないほどに疲れていた。

 仕事だけではない。ボスと一緒にもう仕事ができないのが悲しかった。

「アニー、ご機嫌斜めやねえ。ダーリンに怒られたん?」

「わふ」


 それからしばらく落ち着かない日々が続いた。朝早くに起きようとも、走り回ろうともそれは解消されなかった。

 ただ自分の体が錆びていくのだけが理解できた。自分で思っていた以上に私の体は限界だったのだ。走れば足の付け根に痛みが走り、長く立ち上がっていると腰に違和感を感じた。

 ボスはそれをわかっていたのかもしれない。

 だから、ボスの思いを無駄にしたくない。私はゆっくりと生活することに徐々に慣れていった。

 今までたまにしかやってもらったことのないブラッシングは気持ちがよかった。昼間に走り回らず、日のあたる温かな場所でまどろむのもよかった。

 さらに私にとって救いになったのが、ボスが来てくれることだった。

 捨てられ、もう2度と会えないかもと思っていたボスに会えた時はうれしかった。その時ばかりは体を考えずに飛び回った。

 困ったような顔になったボスの表情は新鮮だった。


 ある日、私はオオカミの人に連れられ、羽根の人に出会う。彼女は非常に痩せこけてて弱そうだった。衰えた私でも仕留められそうだった。

「…犬」

 羽根の人は私に抱きついてくる。少し苦しかったが、彼女が泣いているようだったので好きにさせた。それと元気づけるために顔をなめた。

「ワフ」

 彼女は私にとっても良くしてくれた。適当にしかブラッシングをしてくれない牛の人と違って、オオカミの人のように丁寧にしてくれる。

 時々ボールで遊びたいようだったが、私の足はかなり悪くなっているので追いかけることができない。なので、アクビをして興味がないふりをする。ついでに顔を下げて寝た振りをする。

 彼女は残念な顔になった。少し心が痛んだが、私の足は歩くことで精いっぱいなのだ。

 夏が来て、秋が来て、冬が来て、春が来る。季節は穏やかに過ぎていき、彼女はいまでは元気いっぱいだ。時間の流れはだれにでも平等に来る。彼女にも、私にも。

 日がな寝ていることが多くなった。体を起こすのもおっくうになってきた。

 ボスは定期的に私に会いに来てくれる。

 春は暖かさを運んだ。風が体を撫でるのが心地よい。春を運ぶ妖精のいたずらか、歩いている内によろけてしまう様になった。

 夏は草の匂いを運んだ。おそらくこれが最後の夏になるだろうと皆の匂いを刻み付ける様に嗅いだ。鼻がほとんど効かなくなった。

 秋は静けさを運んだ。もう落ち葉を踏みしめる事は無くなってしまうかもしれない。多めに散歩をして城の周りを見渡した。右目が見えなくなった。

 そして、冬は……私に死を運んできたようだった。

 いくら息を吸っても足りない。

 まるで全力疾走をしているようだった。

 顔をあげるとボスが頭を撫でてくれる。嬉しさを伝えるために舐める。それだけでも私にとっては重労働だ。顔を横たえる。

 ボスが私を抱き上げてくれる。あまりにも予想外。そしてとてもうれしいことだ。ボスの上着に身を包むと、少しだけ暖かかった。

 連れて行かれた先にとても懐かしい匂いを感じた。

 そう、これはご主人様の匂い。

 だいぶ薄くなってしまっているが、私が間違えるはずもない。

 本当は飛びまわりたい気分だ。しかしそれは叶わず、ボスは私の小屋に運んでくれる。戻るとストーブが置いてあり、部屋が暖かくなっていた。

「アニー、アニー……」

 羽根の人は泣きながら私の体をさすってくれる。それだけで少しは良くなる気がした。

 私は意識を保つのが難しくなり、そのまま、まどろみに身をゆだねた。

 次に目を覚ますと、牛の人が私を抱きしめながら寝ていた。柔らかな体に抱いてもらうのは気持ちが良い。

 目の前にある餌箱に首をのばして水を補給する。それから少しだけ無理をして餌を食べる。吐きそうになってしまったが、無理やり飲み込んだ。


 それから意識が戻ったり無くなったりを繰り返した。目が覚めると必ず誰かがそばにいてくれるのを感じた。それだけで安心できた。

 このまま死んでしまうのかも知れないと、私は少しだけ達観したように思った。だけど最後にボール遊びをしたがっていた彼女と遊んであげたかった。

 それだけが残念に思えた。




 起きた。

 本当に何でもないかのように立ち上がることができた。

 珍しく全員が私の様子を見に来ている時だった。皆驚き、喜んでいるようだった。

 餌箱に入っている物を平らげ、水を飲む。本当に何だが調子がいい。

 私は少しほこりをかぶっているボールを咥えて羽根の人に渡した。彼女は私とこれで遊びたがっているのを思い出したからだ。

「大丈夫なの?」

 私は答えないで自ら表に出た。

 真っ白な雪が積もっている。やせてしまった体は少し冷える。だが、走っていればすぐに暖かくなるだろう。

 それに雪の上に自分の足跡がつくのが楽しい。

「ワン!」

 急かすように吠える。彼女はうれしそうだった。私もうれしい。

 ボールを投げてもらい、取りに行く。久しぶりに風を切る体、とても気持ちが良い。

 次にオオカミの人、牛の人、幽霊の人、一つ目の人。

 そしてボス。

「”構え!”」

 私は震えるほど感動した。

 ”仕事”だ。今まで夢にまで見たボスとの仕事。

 私は深く構えて指示を待つ。

 この緊張感

 凍える寒さも、雪の冷たさもなくなる。

 ただそこにはボスの指示を待つ自分だけの世界。

「”捕えろ!”」

 ほぼ同時に走り出す。

 とんでもなく遠くに行く”獲物”。だけど、今の私からは何物も逃れられない。

 さらに早く、速く、疾く……

 うねりを上げる後ろ足。その力を伝える背骨、次のためにスピードを殺さずに踏みしめる前足。

 その瞬間、私は風になったのだ。

 投げられたボールと同じくらいの速さで走る。そしてボールが2回目に弾む前にキャッチした。

 これをボスに届けなければ。久しぶりの、本当に久しぶりの仕事だったのだ。自分でもほれぼれするほどの走りだった。

 ボスは私のことを抱きしめ、頭をなでてくれる。尻尾が勢いよく動く。嬉しかった。

 また羽根の人がボールを投げる。

 私は追って軽くキャッチする。

 少しだけ足が落ちた

 振り向いて走り出し

 眩暈がする。

 私は倒れてしまう。

 恥ずかしいことだ。すぐに起き上がって走り出す。

 …足が震える。

 あと少しなのに……足が動かない。

 けど、これを届けたい……

 何回もコケながら

 私は、彼女にボールを、届けることが、できた。

 皆が私を囲んで撫でてくれる。

 少し離れた場所から、ボスがほほ笑む。

 まるで暖炉の前、火のあたる場所にいるようだ。

 とても眠い。体が浮かんでいるようだ。

 ボスが膝の上に載せてくれる。

「御苦労、ゆっくり休め……アニー」

 




 ―――そこで私は死んだ。

 死んでしまったからと言って、嘆くことはない。

 とても満ち足りた生き方をしたから。

「アニー!!」

 私は驚いて振り返る。聞き覚えのある声だった。

 いや、間違えるはずがない。

 そこには私のご主人様がいたのだ。

「ご主人様!!」

 走り出す。

 その勢いのまま胸に飛び込んだ。

 抱きしめてくれる体は大好きなご主人様の香りでいっぱいだ。

「アニー、やっと来てくれたわね。待っていたのよ?」

「お待たせしてすいません、でも…」

 私は…

「えぇ、これからはずっと一緒にいられるわね」

「……はい!」

 私はご主人様に再び巡り合えたのだ!



**************************

 その日、火葬したアニーが入っている骨壷に、ラフィの遺品をつめて、小さな墓を作った。

 みな涙を流し、祈りをささげた。

「顔があれだけ穏やかだったんだ。きっと幸せだっただろう。だからあまり泣いてやるな、アニーがゆっくり眠れないだろう?」

 グズっているヴィベルにアッシュは優しく語りかける。

「うん、でも……」

「……主人も、こんなのがいい?」

 ふいに、カーミルがつぶやく。その声はアッシュまでは届かない、蚊の鳴くような声だった。

「ん?」

「……なんでもない」

 アニーの墓は日のあたる暖かい場所にあった。

 こうして日向でのんびりするのが好きだったから、ここで日向ぼっこができるように。


11/11/24 23:00更新 / Action
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■作者メッセージ
アニーが死んでしまうのはヴィベルと出会ったときから決まっていました。

最初に老犬という表現を使ったのはこの話のためでした。

寒くなってくると暖かい話か、悲しい話を書きたくなるのは私の癖のようなものです。


さて、話は変わりますが、もしよろしければエロ魔物図鑑でイチャイチャラブラブな小説を教えてもらえると嬉しいです。

時間的な余裕があまりなく頻繁にサイトを覗けないからです。もしよろしければお願いします。

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