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報告書「ベルゼブブ」(2)

 水車で窒息死寸前まで追い詰められ、意味のない暴行を受け続けたベルゼブブのヴィベルは疲れ果てていた。体中で痛くないところがないほどだった。

「…ヤダ………外に行きたい……空飛んで、風切って………」

 意思のない瞳、半開きの口、力なく投げ出された体。現実逃避するしか絶えることができない。

 ―――カシャン、カシャン。

 スケルトンのミリアがやってきたらしい。足音を聞いてヴィベルは目に光を戻した。

「あああう」

「……ミリアちゃん」

 いくら子供のようなヴィベルでも、ミリアが味方ではないことは解っている。それでも、痛い事は何一つしないことを知っている。だから安心できる。

 怪我の治療をし、食事を運び、ベッドのシーツを換えてくれる。それだけで感謝できた。いや、頼れるものがそれ以外に何もないと言ったほうが正しいかもしれない。

「あーぅ」

 ミリアはいつも通りにヴィベルのけがの様子を見て、必要が有れば治療する。それからベッドのシーツを取り換える。

「あ、ありがとう」

「あいお」

 砕かれた指の骨はまだまだ治る気配がない。不定期に激痛が走るのが悩みの種だった。

「ミリアちゃん、その服カワイイ」

「うー?」

 ミリアが着ているのは淡い緑のワンピースだ。袖口や首元に花柄の刺繍がされ、上品な感じがしている。残念なのは、フラフラ歩くので肘や肩が少し汚れていることだ。

「いいなあ、お洋服」

 ヴィベルは服を持っていない。最初ここに来た時の服はボロボロでとてもじゃないが着ることができない。アッシュに懇願して大きめの布切れ1枚をもらっただけだ。それを被っている。

「う〜……あ! いえおえうう」

「なあに?」

 ミリアは牢屋を出て行き、(彼女にしては)急ぎ足でどこかへ行ってしまう。今日の会話は終了だと思い、ヴィベルは残念そうに横になった。

「お仕事かな? ………寂しいな、うん、今日もいじめられるかな? 怖い」

 1人になるとすぐに独り言を始める。耳に声がするだけで少しだけ安心できるのだ。それがたとえ自分の声だとしても。

 ヴィベルは羽を広げて狭い牢屋の中を飛び、天井付近の通気口を覗き込んだ。

 そこから見える光景は雑草だけだ。けれど、時々犬が覗いている時がある。

「犬さん、触りたい」

 優しいモノに飢えていた。どうしようもなく飢えていた。

 人でも魔物でも動物でもいい。ただ優しく抱きしめられたかった。

 こみ上げてくるものを我慢できずにメソメソと泣き始めてしまう。

「……ヒック…グス………誰かぁ………あぁ!」

 空中に留まるように飛んでいたのが、泣いたせいで不安定になって天井にぶつかってしまった。そのまま地面へと落ちてしまう。

「痛い! ぁ………うぅ」

 肩を強くぶつけてしまい、それに伴って砕かれた指にも激痛が走る。

 ここにきて知ったことは、痛過ぎると声が出ないということだ。それと今まで生きていて痛いと思ったことは、ここの生活に比べれば大したことがないということ。

 情けなくて、寂しくて、痛くて、勝手に涙が出てくる。

「…ああああああ〜」

 泣き声ではない。ただ静かなのが嫌で声を出す。

「ああああああああああああ〜」

 精神が壊れる寸前なのは誰が見てもわかる。

 もともと彼女は精神が強くない。そんな彼女がここまで耐えられたのは、アッシュがそれを見極めているからだ。

 死にたいけど死なせない。壊れたいけど壊させない。

 正に、生かさず殺さずを実行しているのだ。

 アッシュは捕獲する前、ベルゼブブを奴隷にする予定だった。だが、見つけてみればただの子供。奴隷にする価値がないと、拷問のリハビリに使おうと決めてしまった。

 城に住んでいる魔物たちは皆アッシュの奴隷だ。調教対象としてこの城にやってきて、そのままアッシュの所有物になった。

 教会から直接依頼され、処刑を見届けるときは自分のものにできない。前回のヴァンパイアがそれにあたる。

「あー♪」

「……え?」

 呼ばれるまま振り向くと、ミリアが戻ってきた。ミリアは両手いっぱいに洋服を持っていた。中にはボンテージなど使う用途が少ないものも混じっている。

「うあ」

「私のために持って来てくれたの?」

「あい」

「あ、ありがとう」

 また泣いてしまう。今度のはうれし泣きだ。

 だが、体のサイズが違うので何1つとして着られるものがない。そう気がつくのに時間はかからなかった。

「あ〜ぅ」

「服、おっきすぎるよ」

「あ〜ぅ」

 ヴィベルが着ているのはミリアと同じワンピース。その色違いだった。淡いオレンジで、2人並ぶとよりショボク見える。ミリアは呑気に笑っている。どうやらこの恰好が似合うと思っているのかもしれない。

「無いよりいいか。もらっていいの?」

「あい!」

 それからヴィベルはつかの間の安息と幸せを感じていた。






「……起きろ」

「っひ!」

 声を聞いた瞬間、深い眠りから覚醒した。

 目を覚ますとすぐ目の前にアッシュがいる。まだ日が昇り始めたばかりだというのに、突然やってきたのだ。

「ミリアから服を盗んだらしいな」

「ち、違う!」

 必死になって否定する。その目はアッシュの持っている鞭に釘付けだ。叩かれたくなくて一生懸命だ。

「盗んだんだろ?」

 ヒュン、バシィィンン!

「あーーーーーー!」

「どうだ?」

「…ち、……違いますぅ」

「嘘をついたから追加だな」

 まるで魔女裁判だった。何を言おうとも重い刑罰が待っている。

 何を言ってもやられることは変わらない。

「きゃあああああー!!!」

 バシィィンン! バシィィンン! バシィィンン! バシィィンン!

 何度も繰り返される鞭。

「もう一度だけ聞くぞ?」

 アッシュは懐からナイフを取り出した。

「だずげで……ごめんなざい……」

「盗んだか?」

 ナイフの先を首筋に突き刺す。

「……したぁ」

「聞こえんぞ?」

 ほんの少し、深く刺す。

「……ぬ、盗みましたぁ!」

「そうか」

 あっさりとナイフ退く。この行動に安心したが…


 ……ザク


 何をされたか理解できなかった。

「え?」

 ヴィベルは自分の太ももを眺める。

 自分の足からナイフの柄だけ見える。

「今回はこれで許してやる。俺は寝るぞ」

 出ていくアッシュ、太ももから血が滲んで、遅れてやってきた痛み……


「ぎ、ぎ、ぎゃああああああああああああああああああああああ」


 鞭で叩かれ、血がにじんだ程度とは比べ物にならない。刺された場所から火が噴きあがったかと思った。

 激痛、などという言葉では生ぬるい。

「ああああ、ああ、あ、ああああああああああああああああああああああああ!」

 どうしたらいいか全く分からない。

 ただ痛くて、混乱して。

「痛い…痛いよお! あああああああ!」

 叫ぶことしかできない。

 それでも何とかナイフを引き抜いた。抜いたせいで大量の血が流れていく。

「死んじゃう……死んじゃうよぉ!」

 手で押さえたくらいでは出血は止まらない。

 溢れて床を汚していく。

「痛い、死にたくない!」

 ベッドのシーツを細くちぎり、足の付け根から縛る。腕が片方使えないので、口を使って縛った。

「ミリアが、…来てくれれば、治してくれる……いたぃ」

 ミリアが来てくれることを祈り、何度も太陽が昇ってこないか確認する。だが、まるで時が止まったように感じる。さっきから太陽の位置が変わっていない。

 もちろんそれは錯覚だ。時間は過ぎているし、徐々に太陽は昇ってきている。ヴィベルが数秒に1回、何度も確認しているから時間が進んでいないように感じるのだ。

 辛く、苦しい時間は過ぎるのが遅い。

「っふ、ぅぅ……ぐぐ」

 息を荒くし、意識が朦朧としてきたところで誰かの気配を感じた。

「ミリアちゃん?」

「残念ハズレ」

「………誰?」

 牢屋に入ってきたのは、今まで見たことがない魔物だった。

 種族はワーウルフ。黒井毛並みに眠たげな目、ショートヘアーだった。

「カーミル。主人に言われて来た」

「アッシュ?」

「そう、ヤツ」

 短く、最低限にモノを伝える。ヴィベルに干渉する必要性がないとばかりに治療キッドを取り出した。

 それをヴィベルに投げる。

「え?」

「自分でやれ」

 針、糸、薬草、包帯。

 どうすればいいかは分かるが、自分の足を縫う度胸がなかった。

「こ、怖い」

「……なら死ぬといい」

 冷たく言い切って牢屋から出て行く。

「待って!」

「なに?」

 酷く面倒な顔をして振り向く。

「ミリアちゃんは?」

「姐御はしばらくここに来ない」

「何で?」

 姐御、という単語に違和感を覚えたが、それよりも来ないという言葉に絶望した。

「知らない。主人に直接聞け」

 話は終わりらしかった。そのまま早足に地下から出ていく。


 死にたくない。
 
 こんな状況でも、どんなことがあっても死にたくなかった。

「い、たい」

シーツを丸め、口に咥える。片腕で針に糸を通すことは難しかった。

 何度も深呼吸し、覚悟を決めて針を自分の太ももに通して行く。
 
「もう、…やだぁ」



 ―――――――まだ死ぬことは許されない

10/05/10 00:32更新 / Action
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■作者メッセージ
もう少しだけベルゼブブの話が続きます。

アマゾネスまで追い付いたら、同時進行していこうと思っています。

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