連載小説
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帰還(きかん)
ある日のこと、午前の執務も手早く片付け、
天守から城下を見下ろしながらお茶を啜る正信とヤオノ。
そこから見える景色は、まだこの部屋にもう少し人がいた頃とは、
だいぶ様変わりをしていた。

瓦が道也に整然として並び、年を経たこげ茶の木目と、
漆喰の白がモザイクのように覗く景色だったそれは、
今や様々な色が其処に混じる様相を呈していた。

あの飢饉と勝者無きお家騒動から十年。
ジパングは少しずつだが変革の兆しを見せていた。

幕府は全国に一斉に御触れを出した。
この国の隠されていた歴史の真実を公開し、
侍が取り仕切っていた政治を改めるという内容であった。
幕府という体制も、数十年というスパンで少しずつ解体し、
妖怪と人とが共同で統治する新しい政府を設立する。
そういう内容の触れ込みであった。

事前に妖怪と付き合いがあったり、
正信達のようにこっそり身内に妖怪がいる。
そういう藩もいくつかあり、
その反動は思ったほど大きくはならなかった。

勿論、そうでない藩も少なからずあり、
旧態以前とした彼らは、
倒幕という思想で結託し、
自分たちが新たな侍中心の国づくりをするのだと息をまいた。
それらの藩の藩民や周辺の国々はまた内紛か、
と戦々恐々としていたが、幸いにも大きな武力衝突は起きなかった。

時代の流れを読む商人達は、
彼らに兵糧やもう売れなくなるであろう武器を売りつける一方、
幕府側により深く結びつき、彼らの動向を流していた。
反乱や決起が置きそうな兆候を察知すると、
何故か中心的な人物が妖怪もいいよね、
と寝返ったり行方をくらましてしまうことが相次いだ。

そうして倒幕の動きは内部で燻り立ち消えるか、
全国で散発的に烏合の衆が少し騒ぐが、
人と妖怪混成である幕府側の使者にすぐ鎮圧される。
そのような流れで順調に火消しされていった。

そうして倒幕思想のまともな志士はいなくなり、
長いものにはとりあえず反対の事を口走り、
年末に集まり騒ぐはねっかえりのDQNの集まり、
反妖怪、反幕府の実情はそのような無害なものへと変化していった。

国外との貿易や国交も、
幕府の検閲と許可を得れば各藩がそれぞれ行えるようになった。
そうしてこのジパングは、独自の文化を残しつつも、
国外の様々な食や文化が入り乱れる変換期へといたる。

藩が違えば別の国、そう言って良い程景色も文化も法も違う。
この国は長らく鎖国によって推し留められていた流れを、
今一気に取り込んで蛹から蝶へと変る最中なのだ。
蛹の中はどろどろと溶けて混沌としており、
それが新たに蝶という形へと昇華されるにはまだしばし時を用する。

和洋が入り乱れる城下の景色は、
そんな国の縮図とも言えた。
それを見下ろしつつ二人はお茶を啜る。

「着ちゃったねえ、此処まで。」
「何よ急に?」
「思ったよりもずっと早く定国様の描いた夢が形になりそうだなってさ。」
「・・・そうね、魔王様が男子を御出産なされるっていうことがなければ、
こうトントン拍子にはいかなかったでしょう。」
「感慨深いなあ・・・なんてね。」
「爺臭いわよ正信。でもそうね、ずっと必死にやってきたけど、
ここらで一息つきたくなる気持もわかるわ。
ようやく大きな問題も片付いて、藩の行政や財政も軌道にのった。
銀主達から借りた金子も少しずつ返し始められてるわ。
まだまだ小さな問題は山積みだけど、
それでも人心地ついて立ち止まるにはいい頃合だわ。」

二人はそっとどちらともなく手を重ねると、
目を閉じて思い出す。
此れまでの道程を、
そしてポツリポツリと語り始める。

「定国様に会って、南龍様に会って、
この城の勘定方になって、八百乃さんと知り合った。」
「定国様といっしょにお風呂に入ったり、
正信をつまみぐったり、今思うとだいぶはしたなかったわね。
日々一緒に仕事をして、城下でこの髪飾りを買ってもらった。」

ヤオノはべっ甲の玉が二つ並んだそれを触りながら言う。

「そしてある日、定国様に呼ばれてその夢を聞かされた。」
「うれしかったわ。この人に御仕え出来て幸せだと思った。」
「僕はぶっとんだ方だとは思ったけど、
此処までだとわって面喰らってたよ。」
「うふふ、そうね、あの時の貴方の顔ったら。」
「もう、そうこうしているうちに飢饉が起きた。」
「・・・そうね、全てが動き出してしまった。
まだまだみんなで平和に楽しい日々を過していく、
そう思っていた日常がガラリと変ってしまった。」

二人はキュッ握る手の圧力を上げ、
体も少し寄せて寄り添う。
体格の小さいヤオノが正信の肩に頭を預ける格好だ。

「藩民のために八百乃さんが正体をばらしてまで、
この城の御米をみなに振舞ったてくれたよね。」
「騙してた私を誰一人攻めなかったわよね。本当にうれしかったわ。
今でもあの時を思い出すと少しほろりとしてしまうわね。」
「そして・・・五郎左衛門の謀略で皆が城を発って別れ別れになった。」
「あの日が皆で会った最後の日だったわね。それぞれに刺客を送られた。」
「無事に帰ったのは八百乃さんだけだったね。僕は相打ちになって行方しれず。
南龍様は討たれて帰らぬ人となった。そして定国様が五郎左衛門に・・・」
「それを聞いたとき、目の前が真っ暗になった。
世界が終わると聞かされたのと変らない程、いえ、それ以上に絶望したわ。
その感情に押しつぶされた私は、復讐の鬼となることで自分を何とか保ってた。」

思い出して震えているヤオノの頭を、正信は安心させるように撫ぜる。

「せめて僕の存命が耳に入れられれば良かったんだけどね。」
「仕方ないわ、ええと河童に助けてもらったのよね。」
「うん、あの人は兄に嫁いでめでたく家の一員になったよ。
兄が毎日床で相撲を取らされて大変だって惚気てた。
色々忙しすぎて結婚式に顔を出せなかったのは今でも悔やんでる。
母曰く、河岸で裃着た兄上と白無垢着た花嫁が相撲を取ったらしい。
そんで着崩した衣装そのままに駅弁スタイルで繋がったまま練り歩いたらしいよ。
それを見た母は河童の風習は変わってるのね・・・だそうだ。
父は流石に見てらんなくなって目をそらしてたらしいけどね。」
「あら河童の方の流儀で婚儀を行ったのね。
私も伝聞だけで本物は見たことないのよねえ。」
「兄が実家に挨拶しにいったら相手方がそれだけは譲れないとかで、
頑として河童側の方式で執り行うって言い張ってたらしいよ。
いやまあ、どうせ二人の痴態を肴にしたかっただけだろうけど。」
「うふふ、あまり挨拶出来てないけど、私も義母様とは仲良くやってけそう。」
「うん、おおらかな人だしきっと大丈夫だよ。」
「正信の命の恩人なのに私もきちんと挨拶出来てないから、
そのうち正信のご実家にはお邪魔しないとね。」
「うん、きっとみんな喜んでくれるよ。」

「そして、私は復讐に取り付かれて城に攻め込んだ。」
「武太夫様達を破ったけど、皮一枚で物部さんに負けたんだよね。」
「・・・・・・まあ・・・ね。」
「あっ、やっぱくやしいんだ。」
「悪い?」
「いや、かわいいなと思って。」
「んな?! あ・・・貴方のポイントが何処にあるか時々判らないわ。」
「いいよ別に、まだ判らないことがあるってのはさ、
これからもっと仲良くなれるってことなんだから。」
「ふう、まあくやしさはあるけど、今となっては止めて貰って感謝してるわよ。」
「僕もだよ、あんな奴の血で八百乃さんの手を汚すなんていやだったしね。」

「その後、五郎左衛門は好き勝手やろうとしたところ、
定国様の正室だった御紺様に刺されてあっけなく死んだ。
そう聞かされて私はおかしくなってしまった。
色々な感情の持って行き所が判らなくなって、
自分の心と現実から逃避して、
緩慢な自殺をしようとしていたわ。」
「僕は物部さんと合流して、本部で蘭さんの試験をクリアして、
義母様に会って其処でこの国の歴史の真実を知らされ、
八百乃さんを救って欲しいと頼まれました。」
「そしてまどろみの中で餓死寸前の私を、正信は救ってくれた。
心身ともにギリギリだった私を・・・一生忘れないわ。あのときの事は。」
「僕だってそうですよ。体に刻み込まれましたから、忘れようもありません。」
「何度だって刻み込んであげるわよ? 忘れて無くてもね。」

二人はしばし見つめ合うと互いに瞳を潤ませる。
その沈黙に耐え兼ねたのか正信から話を振る。

「そう言えば、あの後皆はどうなったんです?」
「あら、今のは照れくさかったかしら正信、露骨に話を逸らしちゃって。」
「・・・・・・違いますよ。」
「お返し。そうね確かにこれはかわいいわ。」
「一応僕も男の端くれなんですが、それを言いますか。」
「あらいいじゃない。私の耳や尻尾をモフモフしたくてプルプルしてる正信も、
私の体に溺れて縋りつく正信も、私の中で嬌声を上げてくれる正信も、
みんなみんなかわいくて私は大好きだわ。
何だったらタンスの中にしまって置きたいくらいよ。」
「仕事が無ければ本当にやりそうだぞこの人。」
「それくらい愛してるってことよ。」
「愛って言えば何しても許されると思ってません?」
「あら、違うの?」
「違います。」
「いけず。」

話が思いっきり脱線してることに気づいたのか、
二人は惚気を中断して仕切りなおした。

「そうそう、皆のその後の事よね。
飢饉が一段落した後は、皆もとの生活に戻っていったわよ。
ランは全国行脚の小芝居一座の花形をやってる。
何でも私たちをモデルにしたお話をやってるらしいわ。
シュカは王魔界での戦いの後、
地元のお寺の住職にねだって魔界旅行したくらいかしら。
それに比べて変化があったと言えばアマヅメね。」
「確か狸会談で会った一番小さかった八百乃さんの後輩ですよね。」
「ええ、私が抜けた後の組合の事務を母と取り仕切ってた優秀な子よ。
何でもあの狸会談で物部様に見初められたらしくてね。
店まで押しかけられて熱烈にプロポーズされたらしいわ。」

「判ります。かわいいですよね甘爪さん。
って耳を噛まないでくださいよ。
勿論一番は八百乃さんですから。」
「判ってるけど、目の前で他の子を褒められるといい気はしないのよ。」
「以後気をつけます。それはそれとして、お二人はその後付き合ってるので?」
「ええ、いきなり告白されてパニックになったアマヅメは変化して逃げちゃったらしいけどね。
それにもめげずに術を駆使して、彼女を見つけてもう一回改めてプロポーズしたんですって。」
「情熱的ですね。」
「そうね、もう少し淡白なイメージだったけど、惚れこむと一直線みたい。
仕事が忙しくて中々好きなように一緒にいられない、
そうアマヅメが愚痴混じりの便りを送ってきたわ。」
「他人事とは思えないね。」
「ほんとにね、それにしても物部様のいざなぎ流だっけ?
何でもあれを産まれた娘に仕込んで後を継がせるって息巻いてるらしいわよ。」
「狸の術とどっちも使えるようになるのか・・・何それ怖い。」
「将来、母やシュカと並んで武闘派の筆頭になるかもしれないわね。」
「でも教団ってやつはもう負けたんだろ?
今後そう大戦になるとも思えないけどね。」
「追い詰められた側は何をするか判らないし、油断は禁物よ。
でもそうね、そうすぐに何か起きたりはしないとは思うわ。」

この会話より百年以上後、分裂した教団側の過激派が大陸の端に追われ、
ジパングの北側より南下、越冬する物資を得るため必要な不凍港を確保すべく、
大陸とジパングを繋ぐ要所の半島への侵攻を開始した。

妖怪と人が樹立した新政権は、その半島からの救援要請に従い、
海を渡ってこの教団の残党と一戦を交える。
その際、アマヅメと物部の娘が活躍した記録も残っているそうだ。
他にも、刑部狸達は雪中でも目立つ赤い軍服を着てこの戦に従軍したという記録がある。
彼女達は撃ってもしなない不死身の部隊として敵に恐れられたと言う。

その真相は、わざと目立つ服装で敵の目を引き、
幻術で位置をずらした彼女達を撃たせることで、
味方の損害を減らすと言う狸達の作戦によるものだとか。
あと、何故か彼女達の軍服の背中には、
白抜きで大きく○と喜の漢字が描かれていたらしい。

その服を提供した眼鏡の似合うふくよかな狸曰く、
「世界中の市場は開拓されつくそうとしとります。
これからは教団や反妖怪の方々にも、
名前を売って将来のために種をまいとかないけまへん。
悪名でもまずは名前を売ることです。
なあに、長い眼で見れば一時の悪評などおそるるに足らずですわ。」
とのことで、実際その文字を暖簾に掲げた店は、
その時戦った者達の子孫が住む地域で高いシェアを誇る事となった。

とまあそれはまた別のお話である。
今は二人の話に戻すとしよう。

「あら?」
「どうしたの八百乃さん。」
「碧さんと・・・武太夫様もいっしょね。」

その言葉に正信が応えるよりも早く、
座る二人の前に二つの影が降り立つ。

「やはり此処か、不躾にすまぬ。だが火急の事ゆえ許されよ。」
「一体・・・どうされたのです武太夫様。
奥方の脚を借りてまでの急ぎの用とは?」
「帰ってこられたのだ。行方の知れなかった御紺様が・・・
それだけではないが、それ以降は会って御主達が自身で確かめて欲しい。」

これ程の動揺を見せる武太夫は珍しい。心なしか目も腫れぼったい。
その剣幕に圧され、詳しい事情を聞けぬまま。
二人は先程話しに出たばかりの女性に会うため、
天守から階下に降りていった。


※※※


それは暗く冷たい場所でもがいていた。
体の感覚は無く、動かそうと思ってもそれに応えるものは何も無い。

何かに突き動かされるように募る思い、
その正体すら判らずに、
ただただ焼かれるような苦しみだけだがある。

此処は何処だ。 余は何だ。
何故かようにも苦しい。 
帰る。 帰る。 帰る。 余は帰るのだ。

何処へ? 何のために? 
確かにそれはあったはずだ。
誰に奪われた? 何故今は無い?

黒い雪がしんしんと積もるように、
それの取っ掛かりは闇の中に消え、
あったという確信だけだ残される。
それはとても眩しい何かであったような・・・

苦しい・・・
炎さえも凍てついた孤独の中、
それは何も判らぬままにただ足掻いていた。

時間の感覚も判らぬまま、
それは魂だけで叫び続けた。

ザクリッ ・・・っ?!

何も無かった世界に産まれた音・・・
それと同時にもたらされる確かな手応え。

ザクリザクリザクリ・・・モフッ・・・
何かを突き破った。
何が? 今までどれ程足掻こうとちくりともしなかった感覚があった。
忘れそうですらあった五体の感覚が其処にはあった。

腕がある 脚がある 首も 頭も
冷たさを感じる皮膚の感覚も、
濡れた土臭さを嗅げる嗅覚も、
真っ暗で何も見えないが恐らく視覚も・・・

突如として沸くように肉体と感覚が復活する。
訳が判らぬまま、彼は本能に従い四肢を動かし、
突き破ったその先へ先へと体をにじり出した。

頭が土中より突き出し、眩しい月明かりが彼の瞳を焼いた。
煌々とした月明かりに眩いばかりの星の空。
月・・・星・・・そういうものに対する記憶は残っているようだ。

しかし彼は自分の手足を見るが、
それが少しも自分の物とは思われなかった。
何やら青白く細い腕だ。まるで骨のようではないか。

耳に小川のせせらぎが聞こえ、
彼はとりあえずその音に導かれるまま歩く。
森を抜け1km程歩いた先には予想通りに小川がある。

彼は渇いていた。喉が? いや、それとは何か違う感覚だ。
だが、彼はそれが何を指す飢えなのか理解できずに、
おぼろげな記憶に従い水場を目指した。

だが彼は気づかない。
森を挟み1kmも遠くの小川のせせらぎを、
自分の耳が捉えていたことに。

そして小川を何となしに覗き込み、
月明かりに反射する己の容姿を見て彼は首を捻る。

「はて? こんなであったかな・・・余は。
というか・・・女人であったか・・・」

彼・・・いや彼女は・・・おぼろげな思考と曖昧な記憶を絞り、
何とか現状と此処までの経緯を繋げようと試みるが、
その試みはとんとうまくいかないようであった。

そうこうしているうちに、彼女の覚えの無い感覚が何かを捉える。
(・・・なんじゃこの感じ、何かが近づいてくる?)

本能的に確信はあるが、それが何であるのかは判らないままだ。
とりあえずその感覚を信じ、彼女は接近してくる何かが来る方を向いた。

森の木々を飛ぶように割いて現れたそれは、
男女の二人組みであった。
女の方はボロイ着物を羽織り、長い髪を垂らしている。
その額には二本の角が生えていた。
その顔には何か引っかかるものを感じた。

そして男の方は女に抱えられるようにしており、
その顔は怯えきっていた。
こちらの姿を見るとその怯えは一層深くなったようだ。
小屋の隅に固まっている兎より怯えている感じだ。

「ひいいいい、また一匹増えた。堪忍してくれぇ。
おら何か喰ってもうまくねえだ。後生だから・・・」
「・・・何度も申したように、危害を加えるつもりは無い。
食べるというのは・・・まああながち間違いではないが、
別に御主が想像しておるようなことにはならぬ。」
「だ・・・騙されねえだ。
死体を漁って喰う鬼がいるって話、おらは聞いた事があるだ。
ついに我慢できなくて生きてる人間を喰おうってはらだべ。」

怯えきった男に対し、
彼を無理矢理連れて来たであろう鬼の女性はため息をついた。
「風評被害も甚だしい。我らは人の肉など食わぬし、
大方、飢饉で食い詰めた女性達が死体をおいはぎしたり、
やむに止まれずそれを食したところを見られ、
それが我らの所為だなどと嘯いた連中の言葉を、
みなが信じただけのことであろう。
自分たちの同族がそんなことをするわけが無い。
これはあいつらの仕業に違いない。
そのような自分たちにとって都合のいい願望故に、
広がってしまったのでしょう。
まあ、昔は鬼も悪さをしたとのこと、
その因果とも言えましょうが・・・」

その声、その顔、彼女の中の曖昧な何かが、
目の前で嘆く鬼の女性に対し引っかかりを覚えていた。
「誰か? 御主は・・・何処かで・・・思い出せぬ。」

そんな彼女に対し、
鬼の女性はとても親しげに、そして懐かしげに語りかける。
「御久しゅう御座います。互いにすっかり変わり果てましたが、
お会いできてとてもとても、うれしゅうございます。」
「御主は、余を知っておるのか?」
「ええ、よく存じ上げております。
ですがそちらはその様子では、
まだ何が何やら思い出せずにいるのでしょう?
いいですわ。ゆるりと思い出してゆけば、
今は何に付けお腹も空きましたでしょうし、
とりあえずそこ等へんから男を一人攫ってまいりました。
口に合うかは判りませぬが、ご賞味してくださいまし。」

「やっぱおらを喰う気でねえが、この鬼! 人でなし!!」
「鬼ですが何か?」
「・・・お腹へった。」

男の非難も虚しく、
他に人気の無い山奥に、彼の鳴き声が一晩中響く事となった。


※※※


階下へと降りた二人を出迎えたのは二つの人影であった。

「二人とも妖怪ね。」
クンと鼻を鳴らしながらヤオノが言う。

「御久しゅう御座います御紺様。
だいぶ御苦労されたようですが、壮健なようで何よりです。」

二人のうち片方は正信も面識のある顔であった。
五郎左衛門を刺してこの城から逃げた定国の正室であった御紺である。
だが、その容貌には大きな変化が見られた。
額からは二本の立派な角が生え、皮膚の色は青白く変色していた。
一目でアオオニという事がわかる。

「ええ、久しぶりですね正信殿。
知っての通りあの後、私は逃げました。
怖くて怖くて、全てが怖くて逃げました。
もし捕まったらどのような目に合わされるか判りませんし、
五郎左衛門の手が何処まで及んでいるのかも判りませんでしたから。
我武者羅に逃げて逃げて逃げ続けました。
でも、世間知らずの私が逃げられる距離などタカが知れてます。
五郎左衛門が死んで城内が混乱してなければ、
私もすぐ捕まっていたでしょう。」

「でもそうはならなかった。」
「そうです。私は野山で途方にくれていた所を、
偶然通りかかった鬼に拾って貰い、
鬼の方達が集まってる廃寺に匿って貰っていたのです。
全てを知ったのはだいぶ後のことでした。」
「匿って貰ってるうちに鬼の魔力やらで御紺様も鬼に?」
「そのようです。同じ物を飲み食いして同じ場所で暮らす内に・・・
気づいたら角が生えてきていました。
もう家には顔を出せないなと寂しく思っていましたが、
それ程経たずに御上が妖怪との和解を打ち出し、
その心配も杞憂に終わりました。」
「では何故今まで姿をお隠しになられていたのです?
あの事件からすでに十年、幕府の御触れから数えても数年立っていますが。」
「待っていたのです。
心身ともに落ち着いて、この藩が妖怪を受け入れる立場を取り、
両親に無事を知らせるために帰ろうとした私は、
墓参りをしてあることに気づきました。
だから待ったのです。その時が来るまでずっと・・・」

そう言うと、御紺はもう一人の方を向いた。
「それでは積もる話もございましょう。後はごゆるりと。」
「うむ、まこと大儀であったな・・・御紺。」

尊大な口調で喋るもう一人の妖怪が二人に近づいてくる。
そして二人の前に来ると、正信に対していきなり抱き付いてきた。
「えっ?!」
「んな?!」
「よくぞ此処まで・・・余は誇りに思うぞ。」

全身の毛をぶわっと逆立てて文字通り怒髪天を突きそうなヤオノ、
しかし相手は正信を放すと、今度はそんなヤオノに抱き付いてきた。
「元気そうじゃな。お前たち。」

飄々とした風が吹いた。声は高く別物だが、二人は知っていた。
そして我々もこの妖怪を知っている。
いや、この飄々とした雰囲気と言葉遣いを知っている。

「まさか・・・そんな。」
「貴方様は・・・」
「はは・・・二人ともいい顔だ。
黄泉路より帰ってきた甲斐もあろうというもの。
思えば久しいな。皆でまた逢えたのはまっこと重畳。」
「・・・南龍様がおられませんが。」
「うむ・・・だが、我らは進まねばならん。
去って行ってしまった者達のためにもな。」
「はい・・・・・・」

応えないヤオノを正信は振り返る。
彼女は口に手を当てたまま、ぽろぽろと大粒の涙をこぼしていた。
頬の動きから声を発しようとしているようだが、
胸が詰まっているのか、その口から声は発せられないようであった。

「本当にすまぬな八百乃。正信もよう務めてくれた。」
「・・・・・・お帰りなさいませ、定国様。」

首を垂れる正信の横で風が巻き起こる。
隣を見るとヤオノの姿がない。
周囲を見回すと、彼女の姿は少々遠くにあった。
定国の姿と一緒にである。
感極まった彼女の妖怪じみた抱き付きが、
定国と彼女の体をヒビ割れた壁まで運んでいた。

「城主失格じゃな。愛する家臣を泣かせてしまうとは・・・」
「お・・・お帰りなさい・・・ませ。」

定国、彼の遺骨は武太夫により霊山に手厚く葬られた。
その骨に染みついた彼の無念と霊山の魔力が、
彼をスケルトンへと転生させていた。

その骨ばった体がヤオノの突進でバラバラになっていた。
「おおう、誰か。余の体と骨を持て・・・このままでは動けぬ。」

泣くヤオノに抱きしめられた頭(しゃれこうべ)から声がする。
8つ程に散らばったパーツを集め組み立てなおされる定国。

「この体を得て、記憶も元に戻るのにしばし時間がかかってな。
待たせてしまったことすまなく思う。それとも・・・御邪魔じゃったかな?
お主達がそのような仲になったこと、余はとてもうれしく思うぞ。」

顔を見合わせる正信とヤオノ。
「御冗談を・・・」
「怒りますよ?」
「はっはっは、許せ、またバラバラにされてはかなわぬ。
それより、道すがら見せてもらったぞ。お主達が作り上げたこの城下を。
改めて礼を言わせて欲しい。生きて・・・いや死んでおるがな。
この目でこの光景を見られようとはな、まるで奇跡のようじゃ。
人と妖怪、命と命が集まって作られた賑やかな景色の輪郭。
同じ空の下にいる余の胸に、今込み上げるものが止まぬ。」
「貴方様が作った道が、貴方様が吹かせた風が繋げたのです。」
「この場所に・・・この今に・・・」
「そうか・・・まことに大儀であった。」

今度は三人で、肩を抱き合うように抱き合った。
長く・・・とても長く・・・

その後、定国は城主に返り咲き、
今まであった全てを藩民に話した。
定国の人望と代理を務めていた二人の功績を知っていたため、
事情を知らなかった者も皆納得して事実を受け入れた。

二人は定国のはからいで暇を出された。
仕事に追われたり正体を隠さねばならなかったりで、
随分と二人の時間を奪ってしまってすまない。
定国はそう二人に低頭して詫びた。
妖怪と化したことにより、そっちへの理解がだいぶ深くなったようだ。

因みに勘定方の仕事を引き継いだのはヤオノに化けていたの後輩の狸である。
もうお役御免っすね。それじゃああっしはこのへんで・・・
と帰ろうとしたその子の襟を掴んで、ヤオノはひそひそと何事か言い含める。
まだ帰れぬと知って悲鳴をあげ逃げそうになった彼女だが、

「正体隠す必要もないんだし、いっそ此処で相手を探しなよ。
八百乃さんの後輩って触れ込みなら覚えも通りも良いんじゃない?」
という正信の言を聞いて何とか踏みとどまったようだ。

そうして二人は仕事漬けで貯め込んだ財を使って、
郊外の田舎に二人で万屋を始めた。
赤い幟と暖簾には白抜きで○と喜の文字がはためき、皆の目を引いている。

「いやあ、出来たばっかりでやることが山積みだねえ。
二人でこの店をまわすのは結構ことだよ。
誰か雇う必要があるかもね、どうする八百乃さん?」
「ふふふ、その必要はないわ。」
「何そのドヤ顔。」
「我に秘策ありよ。任せておいて、
優秀なうえにタダで使える人手にあてがあるから。」
「そりゃすごい。」
「そうなれば・・・四六時中・・・うふふ。」
「エロい事考えてる時は顔と尻尾に出るからほんと判りやすいわこの姉さん。」
「でゅふふ・・・ん? なあに正信。」
「何でもないよ。いい天気だなと思ってさ。」
「そうね、天下泰平、世は事も無くて平和だわ。」
「・・・・・・お茶にしようか。」
「ええ。」





14/04/04 11:28更新 / 430
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■作者メッセージ
この藩のお話はこれで御終い。
初連載ということもあり、色々と反省点の多い今作です。
具体的にはもう少し構成をまとめてコンパクトにしたい所存。
今後、二作の連載でだいぶ広げてしまった風呂敷を少しずつ畳んでいくつもりです。

思いついたネタを後先考えずにぶっこむ悪癖は治るのか微妙ですが・・・

次回、エピローグ2 誕生(たんじょう)

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