南海狸会談 その4
「以上で私の話しはお終い。
此処数年は藩主として藩の建て直しで忙しくってね。
ようやく報告出来るくらいには落ち着いてきたってわけ。」
火を囲む皆の前で続いていたヤオノの話しはそこで一段落ついたようだ。
「そんなことがあったんか。
あんさんがヤオノを助けてくれた色男っちゅうわけやな?」
正信は狸達の視線を集めているのが解ると挨拶した。
「どうも、正信です。
今はヤオノさんの側近として藩のあれやこれを取り仕切ってます。」
「あれやこれて・・・」
正信のざっくりした紹介にナジムも苦笑する。
だがそれに対しヤオノがフォローを入れた。
「人手不足が深刻なのよ。旧五郎左衛門一派には重要な所は任せられないし。」
「武太夫様とその門下の方々には本当に助けられています。」
「なに、これからの時代、武官といえど武一辺倒ではいかん。
これも良い修行というもの、一辺倒の代表みたいな私が言うのもなんだがな。」
大飢饉による領民の大量餓死を無事乗り切った後、
二人は藩の体制を大きく改革し始めた。
旧五郎左衛門一派を減俸し、
役職名はそのままに実際は雑用などの仕事をやらせる形で飼い殺し。
藩の政治には一切口を出させぬようにした。
飼い殺すための資金は余分に掛かるが、
不正の温床であった以前に比べれば、
むしろ掛かる資金は浮いているくらいであった。
そして藩の要職の実務は武太夫門下や、
ヤオノが定国に化けている事情を知っている城下の人々から、
協力を仰ぐ形で行う事となった。
出来て間もない歪な体制ではあるが、ヤオノと正信の手腕もあり、
此処数年で無事飢饉の前と変らぬ位には藩の財政は回復していた。
「まあ、人も死なんかったしヤオノはんにも男が出来た。
ええ事尽くめですわ。ねえウロブサ様。はよう孫の顔が見たいんちゃいますか?」
「まあのう、じゃがワシからして随分掛かったしの。
とりあえず飢饉のどたばたで結婚式あげとらんしそっちが先かのう。」
などと酒を酌み交わす二人の傍らで、シュカは鳩が豆鉄砲食らったような顔をしていた。
「なあラン。」
「何かしら?」
「孫って言ったか? 今。」
「ええ、そりゃあだってヤオノはウロブサ様の娘だし。御相手が見つかったとなればね。」
「えっ?!」
「えっ?」
「知らない! 初めて聞いたよ私。娘?」
「・・・・・・ああ〜〜〜」
ランは気まずそうにあさって方を向き、ウロブサは横から突っ込んだ。
「なんじゃラン。言っとらんかったんか。」
「あれ・・・あれ〜〜〜」
「ちょっと、同期で私だけハブってこと?! し、しどい。」
すっかりいじけモードに入ってしまったシュカに対し、
ランが懸命に謝罪をするも、地面には土を操作して同時に数千ののの字が書かれていく。
そんなランとシュカを呆れ顔で見つつウロブサは酒を呷る。
「なにやっとるんじゃまったく。」
「お久しぶりです御義母さま。」
「おおう、婿殿。ほんに久しぶりじゃのう。」
そういってウロブサは正信に跳び付くようにハグをした。
「どうじゃ? あの子とはよろしくやっとるかの。」
「どうにも忙しくて、夫としては失格かもしれません。」
「ふむ、そんな存分に取れぬ時間を割いてまで、
今日集まった理由をそろそろ聞かせてもらおうかの。」
「その前に離れてくださいなウロブサ様。人の夫に何時までくっ付いてるつもりです。」
後ろから現れたヤオノ、顔は笑っているが声音はだいぶ硬い。
そんなヤオノに対し、ウロブサは余裕綽々といった感じで返す。
「んん〜、何か問題が? 婿殿とはもはや家族、
久しぶりに会った家族と親睦を深めるためにスキンシップしとる。
ただそれだけじゃよヤ・オ・ノ。」
一層深く、ウロブサは正信の胸に顔を埋めると、
匂いをすりつけるようにすりすりする。
それに対し顔は笑顔のままだが、無言で目の下をひくひく動かすヤオノ。
「どうじゃ婿殿、御主にはヤオノの事で並々ならぬ恩もある。
忙しくて溜まっておるならわしが手ずから御礼をしてもよいのじゃが・・・」
「てめえ、このババア!! いい歳こいて息子相手に盛ってんじゃないわよ。」
「おほっ、きれたきれた。鬼嫁こ〜わ〜い〜。」
「待たんかい!!」
きゃっきゃと跳ね回って逃げるウロブサと、それを追うヤオノは暗い夜の森に消えた。
一人取り残された正信は二人が消えた森を見ながら微笑している。
そこに酒を持ったナジムが現れ、空になった正信の御猪口に酒を注ぐ。
「まったく、ウロブサ様もしゃあないなあ。」
「ありがとうございます。まあ構いたくて仕方ないって感じですか?」
「そや、ヤオノはんは手の掛からんええ子やったからな。
その分親子喧嘩とかもあんましとらんはずや、
ウロブサ様的には、あんさんっつう挑発するええネタが出来たっちゅうこっちゃ。」
「まあいいです。今日集まった目的は本来あなたに会うためでしたし。」
「ほう、わいに用っちゅうことは金でっか?」
「ええ、しかもとても多くいります。」
「ふむ、よっしゃまかせとき。わいの顔で集められるだけ金貸しを集めますさかい。
ただしわいは集めるだけや。借りるのはあんさんの役目でっせ。」
「ええ、解ってます。後もう一つお願いがあります。」
「伺いましょか。」
「金貸しの元締め衆とは別に、ある方に渡りを付けて頂きたいのです。」
「誰でっか? それを聞かんことには返答しかねますな。」
「上様です。」
「ほ? 葵の将軍様に? 今は藩主の右腕なんでっから・・・」
「参勤交代関係なく。今御会いしたいのです。」
※※※
「苦しゅうない。面を上げよ。」
「ははぁ。」
飢饉の際に幕府に大きく資金援助をしたナジム、
その計らいで今、正信は将軍の面前で相対していた。
「して、今日は余に何用か。」
「まずこれをお読み下さい。」
正信は定国が生前認めた日記、それを将軍に手渡した。
将軍は黙ってそれを読み進める。
「成る程、定国め聡いとは思っていたが、自力で辿り着くとは大したものよ。」
読み終わった将軍は感嘆の息をもらしてそう述べた。
「菜慈霧(なじむ)様からの紹介とその日記で察しがつくでしょうが、
我が藩は妖怪と親交が少なからずあります。」
「この国の成り立ちについて全て聞いておるのだな?」
「はい、そしてその上で御願いがございます。」
「申せ。」
「我が藩に於いて妖怪を領民として扱う事をお許しいただきたいのです。」
「この国に御上のお墨付きの親魔物領を作ろうてか。」
「はい。何故武家社会が生まれたのか。それを知った上で尚お願いしたく。」
「ならん。判っておろう。御主ら一つならまだよい。
だが全ての藩がそうなれば、またこの国は男が生まれない国になってしまい滅びかねん。」
「実を申せば、その日記を書いた定国様はもう亡くなられております。」
「なんと?! では今おるのは影武者か。」
「はい、飢饉の最中、逆臣の凶刃に倒れました。
影武者を立てねば政の混乱は必至、そして混乱は民草の餓死に繋がる状況でしたので、
今日まで謀ることになってしまった事は深くお詫び申し上げます。」
「・・・もしやその影武者は。」
「はい、刑部狸の八百乃というものです。私の妻でもあります。」
「うーむ潔く打ち明ける心意気や良し、じゃがな、
やはり余は武家の代表としてはそれを許すわけには参らん。」
「しかし、我が藩があの飢饉を乗り越えられたのは妖怪の助力無しではありえません。
幕府にしても妖怪からの助力は受けていたはずです。
これだけ支え、尽くされ、その上で共に歩めぬというのは武士としても、
一人の人間としても納得がいきかねます。」
無理な願いだとは百も承知である。
だがこちらの訴えにも道理はある。
彼は妖怪に対し知識もあり、名君と言われる将軍の良識に掛けた。
「ふむ。」
将軍は動かなかった。個人としては認めてやりたい。
だが武士として認められない。その狭間で揺れているようであった。
場を沈黙が支配し、畳と袴の擦れる音すら響く。
そしてそれは思わぬところからの声に打ち破られた。
「何やら面白い話しをしてるわね。」
「失礼いたします。」
突如として正信が謁見していた広間に二つの気配が現れた。
正信は驚きを隠しきれぬようであったが、
将軍の方は嘆息しつつ現れた二人に苦言を呈す。
「如何いたした。約束の時までまだだいぶあるが。」
「あら・・・ああそうか、ごめんなさい。
時差というものをうっかり忘れてたわ。」
「しかし早く来てしまったのも無駄ではなかったかもしれませんね。」
「それはどういうことか?」
置き去りにされてる感のある正信は、
気を取り直して場に現れた二人の魔物を観察した。
(最初に話したのは蛇のような胴体に色っぽい女性の上半身、ラミアかエキドナだろう。
二人目は判り易い、白銀を繊維にしたような美しく長い髪。
それと同じ色をした羽と尻尾を持ち、瞳は血を宝石にしたように紅い。
だいぶ丈の短いものの、黒色に金のハートをあしらった和服を着ている。
覗く肌は雪の様に白くまた艶かしい。間違いなくリリム、魔王の息女の一人。)
そんなことを考えているとリリムが正信の方を向いた。
「ふふ、殿方に熱い視線を贈られるのは嫌いではありませんが、
駄目ですよ。あなたはもう御相手のある身です。」
「いやいやイスナーニ、あんたらに色目を使わない男はそういないけどさ。
今の視線はこっちを冷静に観察、あわよくば利用できないかっていう策略家の目さね。」
「あらあら、そうなのですか? ええと・・・」
「正信と申します。半分半分どっちも正解ですかね。
あなたに男として目を奪われていたのも、
魔王の息女なら何か利用出来ないかと考えていたのも事実です。」
「ははは、潔いな。気に入った。私はナハル、エキドナのナハルだ。」
「ふふふ、イスナーニです。ご利用お待ちしておりますわ。
でもたぶんその必要は無いと思います。」
イスナーニと名乗ったリリムの言葉に、正信も将軍も疑問符を顔に浮かべる。
「この国における武家の役目、それがもう終わりを告げようとしていますわ。
これをお読みくださいませ。父と母からの密書です。」
静かにそれを読む将軍。
読み終わると微笑して正信の方に向いた。
「正信よ、先ほどの話し。許可いたそう。
御主の藩にて妖怪を領民として扱う事をな。」
「上様、それはいったい?」
「戦じゃ、西方の彼方。魔王が本拠を構える王魔界の魔王城。
其処で近々歴史上類を見ぬ程の戦が起きる。
そしてその戦への助力を嘆願する内容じゃ。
このジパング、そして異界へ飛ばした元ジパング。
其処に住まう強力な妖怪達を借りたいという内容じゃな。
この内容なら直接乙姫や各妖怪の頭目の所へ持ってゆけば良いものを。」
「裏ジパングの管理者である乙姫様にはもう書を送っております。
で表のジパングを仕切る貴方様にもこうしてお持ちしたしだいですわ。
何事にも手順は大事ですし。」
「ちょ、ちょっと待ってください。戦? 何故急にそれほどの戦があると。」
「幾月か後、長時間の日食が起きます。
その気に乗じてある儀式が執り行われます。そして儀式がなった暁には母が出産します。
私(わたくし)達に弟が出来るのです。その意味あなたなら解りますよね?」
その言葉の持つ意味の重大さに正信は思わず目を開いて押し黙る。
「結構、その反応は理解しているようだな。
で、当然主神側も黙っちゃいないわけ。
どれだけの犠牲を払おうとも断固阻止するつもりだろう。
間違いなく総力戦になる。なりふり構わずに攻めて来るだろう。
現状の布陣でも負けるつもりは毛頭ないが、戦力は有れば有るほど良い。
その方が双方に出る犠牲も少なく済むしな。で将軍様、返答は?」
「是非も無し。微力ながら余と幕府に繋がりのある妖怪を全て集め。
力と戦意を共に持つ者達を集めよう。心配せずとも血の気の多い者は多い。
大天狗の崇徳(すとく)、鬼の総大将酒呑(しゅてん)は言うに及ばず。
九尾の稲荷の玉藻前(たまものまえ)や龍の乙姫辺りは手を貸してくれよう。
九尾の妖狐の妲己(だっき)は正直怪しいがな。
正信、刑部狸の方はどうか?」
「戦ごとなら武闘派の朱華(しゅか)様、
私の義理の母である虚武鎖(うろぶさ)様は出ていただけるかと。」
それを聞いてイスナーニとナハルは笑顔になる。
「即決の上にそのような色好い御返事。ありがとうございます。」
「それではこちらも忙しい身故、無作法ではあるがこれで帰らせて頂きます。」
ナハルは何事か呟きながら地面に手を置く。
すると畳の上に見る見る光る線が弧を描き、複雑な模様の陣を形成する。
それが光を発した直後、二人は影も形も無くなっていた。
呆気に取られている正信を尻目に、将軍は感慨深げに呟いた。
「ついに動くか、時代が。」
此処数年は藩主として藩の建て直しで忙しくってね。
ようやく報告出来るくらいには落ち着いてきたってわけ。」
火を囲む皆の前で続いていたヤオノの話しはそこで一段落ついたようだ。
「そんなことがあったんか。
あんさんがヤオノを助けてくれた色男っちゅうわけやな?」
正信は狸達の視線を集めているのが解ると挨拶した。
「どうも、正信です。
今はヤオノさんの側近として藩のあれやこれを取り仕切ってます。」
「あれやこれて・・・」
正信のざっくりした紹介にナジムも苦笑する。
だがそれに対しヤオノがフォローを入れた。
「人手不足が深刻なのよ。旧五郎左衛門一派には重要な所は任せられないし。」
「武太夫様とその門下の方々には本当に助けられています。」
「なに、これからの時代、武官といえど武一辺倒ではいかん。
これも良い修行というもの、一辺倒の代表みたいな私が言うのもなんだがな。」
大飢饉による領民の大量餓死を無事乗り切った後、
二人は藩の体制を大きく改革し始めた。
旧五郎左衛門一派を減俸し、
役職名はそのままに実際は雑用などの仕事をやらせる形で飼い殺し。
藩の政治には一切口を出させぬようにした。
飼い殺すための資金は余分に掛かるが、
不正の温床であった以前に比べれば、
むしろ掛かる資金は浮いているくらいであった。
そして藩の要職の実務は武太夫門下や、
ヤオノが定国に化けている事情を知っている城下の人々から、
協力を仰ぐ形で行う事となった。
出来て間もない歪な体制ではあるが、ヤオノと正信の手腕もあり、
此処数年で無事飢饉の前と変らぬ位には藩の財政は回復していた。
「まあ、人も死なんかったしヤオノはんにも男が出来た。
ええ事尽くめですわ。ねえウロブサ様。はよう孫の顔が見たいんちゃいますか?」
「まあのう、じゃがワシからして随分掛かったしの。
とりあえず飢饉のどたばたで結婚式あげとらんしそっちが先かのう。」
などと酒を酌み交わす二人の傍らで、シュカは鳩が豆鉄砲食らったような顔をしていた。
「なあラン。」
「何かしら?」
「孫って言ったか? 今。」
「ええ、そりゃあだってヤオノはウロブサ様の娘だし。御相手が見つかったとなればね。」
「えっ?!」
「えっ?」
「知らない! 初めて聞いたよ私。娘?」
「・・・・・・ああ〜〜〜」
ランは気まずそうにあさって方を向き、ウロブサは横から突っ込んだ。
「なんじゃラン。言っとらんかったんか。」
「あれ・・・あれ〜〜〜」
「ちょっと、同期で私だけハブってこと?! し、しどい。」
すっかりいじけモードに入ってしまったシュカに対し、
ランが懸命に謝罪をするも、地面には土を操作して同時に数千ののの字が書かれていく。
そんなランとシュカを呆れ顔で見つつウロブサは酒を呷る。
「なにやっとるんじゃまったく。」
「お久しぶりです御義母さま。」
「おおう、婿殿。ほんに久しぶりじゃのう。」
そういってウロブサは正信に跳び付くようにハグをした。
「どうじゃ? あの子とはよろしくやっとるかの。」
「どうにも忙しくて、夫としては失格かもしれません。」
「ふむ、そんな存分に取れぬ時間を割いてまで、
今日集まった理由をそろそろ聞かせてもらおうかの。」
「その前に離れてくださいなウロブサ様。人の夫に何時までくっ付いてるつもりです。」
後ろから現れたヤオノ、顔は笑っているが声音はだいぶ硬い。
そんなヤオノに対し、ウロブサは余裕綽々といった感じで返す。
「んん〜、何か問題が? 婿殿とはもはや家族、
久しぶりに会った家族と親睦を深めるためにスキンシップしとる。
ただそれだけじゃよヤ・オ・ノ。」
一層深く、ウロブサは正信の胸に顔を埋めると、
匂いをすりつけるようにすりすりする。
それに対し顔は笑顔のままだが、無言で目の下をひくひく動かすヤオノ。
「どうじゃ婿殿、御主にはヤオノの事で並々ならぬ恩もある。
忙しくて溜まっておるならわしが手ずから御礼をしてもよいのじゃが・・・」
「てめえ、このババア!! いい歳こいて息子相手に盛ってんじゃないわよ。」
「おほっ、きれたきれた。鬼嫁こ〜わ〜い〜。」
「待たんかい!!」
きゃっきゃと跳ね回って逃げるウロブサと、それを追うヤオノは暗い夜の森に消えた。
一人取り残された正信は二人が消えた森を見ながら微笑している。
そこに酒を持ったナジムが現れ、空になった正信の御猪口に酒を注ぐ。
「まったく、ウロブサ様もしゃあないなあ。」
「ありがとうございます。まあ構いたくて仕方ないって感じですか?」
「そや、ヤオノはんは手の掛からんええ子やったからな。
その分親子喧嘩とかもあんましとらんはずや、
ウロブサ様的には、あんさんっつう挑発するええネタが出来たっちゅうこっちゃ。」
「まあいいです。今日集まった目的は本来あなたに会うためでしたし。」
「ほう、わいに用っちゅうことは金でっか?」
「ええ、しかもとても多くいります。」
「ふむ、よっしゃまかせとき。わいの顔で集められるだけ金貸しを集めますさかい。
ただしわいは集めるだけや。借りるのはあんさんの役目でっせ。」
「ええ、解ってます。後もう一つお願いがあります。」
「伺いましょか。」
「金貸しの元締め衆とは別に、ある方に渡りを付けて頂きたいのです。」
「誰でっか? それを聞かんことには返答しかねますな。」
「上様です。」
「ほ? 葵の将軍様に? 今は藩主の右腕なんでっから・・・」
「参勤交代関係なく。今御会いしたいのです。」
※※※
「苦しゅうない。面を上げよ。」
「ははぁ。」
飢饉の際に幕府に大きく資金援助をしたナジム、
その計らいで今、正信は将軍の面前で相対していた。
「して、今日は余に何用か。」
「まずこれをお読み下さい。」
正信は定国が生前認めた日記、それを将軍に手渡した。
将軍は黙ってそれを読み進める。
「成る程、定国め聡いとは思っていたが、自力で辿り着くとは大したものよ。」
読み終わった将軍は感嘆の息をもらしてそう述べた。
「菜慈霧(なじむ)様からの紹介とその日記で察しがつくでしょうが、
我が藩は妖怪と親交が少なからずあります。」
「この国の成り立ちについて全て聞いておるのだな?」
「はい、そしてその上で御願いがございます。」
「申せ。」
「我が藩に於いて妖怪を領民として扱う事をお許しいただきたいのです。」
「この国に御上のお墨付きの親魔物領を作ろうてか。」
「はい。何故武家社会が生まれたのか。それを知った上で尚お願いしたく。」
「ならん。判っておろう。御主ら一つならまだよい。
だが全ての藩がそうなれば、またこの国は男が生まれない国になってしまい滅びかねん。」
「実を申せば、その日記を書いた定国様はもう亡くなられております。」
「なんと?! では今おるのは影武者か。」
「はい、飢饉の最中、逆臣の凶刃に倒れました。
影武者を立てねば政の混乱は必至、そして混乱は民草の餓死に繋がる状況でしたので、
今日まで謀ることになってしまった事は深くお詫び申し上げます。」
「・・・もしやその影武者は。」
「はい、刑部狸の八百乃というものです。私の妻でもあります。」
「うーむ潔く打ち明ける心意気や良し、じゃがな、
やはり余は武家の代表としてはそれを許すわけには参らん。」
「しかし、我が藩があの飢饉を乗り越えられたのは妖怪の助力無しではありえません。
幕府にしても妖怪からの助力は受けていたはずです。
これだけ支え、尽くされ、その上で共に歩めぬというのは武士としても、
一人の人間としても納得がいきかねます。」
無理な願いだとは百も承知である。
だがこちらの訴えにも道理はある。
彼は妖怪に対し知識もあり、名君と言われる将軍の良識に掛けた。
「ふむ。」
将軍は動かなかった。個人としては認めてやりたい。
だが武士として認められない。その狭間で揺れているようであった。
場を沈黙が支配し、畳と袴の擦れる音すら響く。
そしてそれは思わぬところからの声に打ち破られた。
「何やら面白い話しをしてるわね。」
「失礼いたします。」
突如として正信が謁見していた広間に二つの気配が現れた。
正信は驚きを隠しきれぬようであったが、
将軍の方は嘆息しつつ現れた二人に苦言を呈す。
「如何いたした。約束の時までまだだいぶあるが。」
「あら・・・ああそうか、ごめんなさい。
時差というものをうっかり忘れてたわ。」
「しかし早く来てしまったのも無駄ではなかったかもしれませんね。」
「それはどういうことか?」
置き去りにされてる感のある正信は、
気を取り直して場に現れた二人の魔物を観察した。
(最初に話したのは蛇のような胴体に色っぽい女性の上半身、ラミアかエキドナだろう。
二人目は判り易い、白銀を繊維にしたような美しく長い髪。
それと同じ色をした羽と尻尾を持ち、瞳は血を宝石にしたように紅い。
だいぶ丈の短いものの、黒色に金のハートをあしらった和服を着ている。
覗く肌は雪の様に白くまた艶かしい。間違いなくリリム、魔王の息女の一人。)
そんなことを考えているとリリムが正信の方を向いた。
「ふふ、殿方に熱い視線を贈られるのは嫌いではありませんが、
駄目ですよ。あなたはもう御相手のある身です。」
「いやいやイスナーニ、あんたらに色目を使わない男はそういないけどさ。
今の視線はこっちを冷静に観察、あわよくば利用できないかっていう策略家の目さね。」
「あらあら、そうなのですか? ええと・・・」
「正信と申します。半分半分どっちも正解ですかね。
あなたに男として目を奪われていたのも、
魔王の息女なら何か利用出来ないかと考えていたのも事実です。」
「ははは、潔いな。気に入った。私はナハル、エキドナのナハルだ。」
「ふふふ、イスナーニです。ご利用お待ちしておりますわ。
でもたぶんその必要は無いと思います。」
イスナーニと名乗ったリリムの言葉に、正信も将軍も疑問符を顔に浮かべる。
「この国における武家の役目、それがもう終わりを告げようとしていますわ。
これをお読みくださいませ。父と母からの密書です。」
静かにそれを読む将軍。
読み終わると微笑して正信の方に向いた。
「正信よ、先ほどの話し。許可いたそう。
御主の藩にて妖怪を領民として扱う事をな。」
「上様、それはいったい?」
「戦じゃ、西方の彼方。魔王が本拠を構える王魔界の魔王城。
其処で近々歴史上類を見ぬ程の戦が起きる。
そしてその戦への助力を嘆願する内容じゃ。
このジパング、そして異界へ飛ばした元ジパング。
其処に住まう強力な妖怪達を借りたいという内容じゃな。
この内容なら直接乙姫や各妖怪の頭目の所へ持ってゆけば良いものを。」
「裏ジパングの管理者である乙姫様にはもう書を送っております。
で表のジパングを仕切る貴方様にもこうしてお持ちしたしだいですわ。
何事にも手順は大事ですし。」
「ちょ、ちょっと待ってください。戦? 何故急にそれほどの戦があると。」
「幾月か後、長時間の日食が起きます。
その気に乗じてある儀式が執り行われます。そして儀式がなった暁には母が出産します。
私(わたくし)達に弟が出来るのです。その意味あなたなら解りますよね?」
その言葉の持つ意味の重大さに正信は思わず目を開いて押し黙る。
「結構、その反応は理解しているようだな。
で、当然主神側も黙っちゃいないわけ。
どれだけの犠牲を払おうとも断固阻止するつもりだろう。
間違いなく総力戦になる。なりふり構わずに攻めて来るだろう。
現状の布陣でも負けるつもりは毛頭ないが、戦力は有れば有るほど良い。
その方が双方に出る犠牲も少なく済むしな。で将軍様、返答は?」
「是非も無し。微力ながら余と幕府に繋がりのある妖怪を全て集め。
力と戦意を共に持つ者達を集めよう。心配せずとも血の気の多い者は多い。
大天狗の崇徳(すとく)、鬼の総大将酒呑(しゅてん)は言うに及ばず。
九尾の稲荷の玉藻前(たまものまえ)や龍の乙姫辺りは手を貸してくれよう。
九尾の妖狐の妲己(だっき)は正直怪しいがな。
正信、刑部狸の方はどうか?」
「戦ごとなら武闘派の朱華(しゅか)様、
私の義理の母である虚武鎖(うろぶさ)様は出ていただけるかと。」
それを聞いてイスナーニとナハルは笑顔になる。
「即決の上にそのような色好い御返事。ありがとうございます。」
「それではこちらも忙しい身故、無作法ではあるがこれで帰らせて頂きます。」
ナハルは何事か呟きながら地面に手を置く。
すると畳の上に見る見る光る線が弧を描き、複雑な模様の陣を形成する。
それが光を発した直後、二人は影も形も無くなっていた。
呆気に取られている正信を尻目に、将軍は感慨深げに呟いた。
「ついに動くか、時代が。」
13/01/24 15:58更新 / 430
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