連載小説
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非道(ひどう)
三人が出立してから数日が経過したある日。
城で待つ身の定国は悶々とした日々を過ごしていた。
何事も無ければ八百乃と正信はそろそろ目的の城に着いており、
南龍はまだ船の上で揺られている頃合であった。

二人は兎も角、南龍が城中から消えていることはとっくにばれているであろう。
だが五郎左衛門は何も言ってこない。それが定国にとっては逆に不気味であった。
気にはなるが、だからといって自分から問うことも出来ず。
定国はただ飢饉への対策の進行状況を聞きつつ適時指示を出す。
他は例の趣味としての調べ物、歴史の隠蔽について調査などをする日々である。

最近、該当する時代の人口の推移を記した書物が出てきており、
それからある仮説を定国は思いついたところであった。
まだ裏を取るための調査はしていない、
しかしそれには新たな書を八百乃に取り寄せてもらう必要がある。
全ては今回の事が済んだ後になるであろう。

そんなある日のこと、定国は五郎左衛門に呼ばれ彼の仕事部屋へと赴いていた。
がらんとした部屋で相対する両者。五郎左衛門はすました顔で座っている。
そして定国の前には桐の箱が置かれていた。壷でも入っていそうな大きさだ。

「五郎左衛門、何だこれは?」
「贈り物でございますよ。勤勉に公務に勤められる殿への。私からの・・・」
「ここで開けても?」
「どうぞ。気に入っていただけるとうれしいのですが。」

桐の箱には香を焚いた香りがついているのか木と不可思議な香りが鼻をつく。
定国は一応の用心をしながらゆっくりと箱を開ける。
紐を解きふたを開けると何やらすえた匂いが漂う。

(どこかで嗅いだことのある匂い、何処であったか。)
その匂いが導く感情は不安であった。定国はその香りが何であったかを思い出す前に、
それが不吉なものであったことを無意識のうちに察していた。
止まぬ胸騒ぎを感じつつも定国はゆっくりと蓋を開け中のモノを見た。

驚愕、恐怖、慙愧、憤怒。
短時間の間に、普段は飄々とした定国の顔に様々な色の感情が浮んでいく。
それを見た五郎左衛門は我が意を得たりとその顔を歪め笑う。

「どうやらとても気に入っていただけた御様子。苦労して用意した甲斐があるというもの。
もっとも苦労した所は匂いです。匂いすぎては開ける前に中身が解ってしまいますゆえ。」
「おのれ・・・おのれぇぇえええええ!!」
「ふふふ、その様に激昂されるのは何時以来でしょうな。
そうそう、北辰が不幸に会われた時が最後でしたか。
流石は親子、今度も大いに効果があったご様子で。
ああ鼻と耳ですか・・・箱に収めるには邪魔でしたので取らせていただきました。」

奇妙な光景が広がる、仏頂面で笑わぬ老人が愉快そうに語り続け。
飄々と笑みを絶やさぬ男が怒りに目を血走らせる。
何時もとは真逆の光景、死臭が漂う一室で対峙する二人。
定国は悔しそうに手を握り締め、上目使いで五郎左衛門を睨み続ける。

「ああそれと、気になっているでしょうからお教えします。
小娘は無事ですよ。仕留め損ねました。ただ・・・
正信は死にました。こちらの放った刺客と相打ちだったようですが。
これはだいぶ予想外でした。どうせなら同じようにもう一つ用意したかったのですが、
川に流されてしまったようですので、しかしまあ目的は達したのですからよしとしましょう。」

勝者の余裕、五郎左衛門は何時も以上に軽い口をまわし畳み掛ける。
「それにしても、私は貴方様を買被っていたようです。
今の手札ではこうなることは目に見えていたはず、
何故に今仕掛けられた。妖怪を味方につけ目が曇りましたかな?」
「・・・解らぬわ。」
「・・・・・・は?」
「御主に私の心は、永遠にな・・・」
「どういう意味でしょう。」
「好いた女子一人守れず、何が城主か何が名君か。そういうことじゃ・・・」
「・・・まさか、あの妖怪のためだけに勝算も無きがごとき戦を?」
「・・・・・・・・・」

肯定の沈黙、それを聞いた五郎左衛門はしばしあっけに取られていたが、
フッ と鼻で笑うと笑いを噛み殺しきれずに告げた。

「そ・・・それが真なら・・・確かに理解できませぬなぁw
此処まで愚かであったとは、家臣の一人として悲しゅうございます。」
「・・・逆に聞きたい。貴様は何故こんな非道を行う。
何を思い、何を目指してそのように振舞っておるのだ。」
「ふむ、非道、主君に背きその知己や親代わりの重臣を手に掛ける。
まさに非道ですな。ですがそれがどうしたというのです?
士道、下りませぬなあ。私から言わせればその様な物に縛られる全てが愚かです。
使える男ではありますが、武太夫など愚かの極みと言えましょう。」
「・・・なら、お前は何に己の魂を置いている。
信の置けぬ愚か者と優秀だが極めつけの愚か者を従えながら、
愛も武士のありようも全てを嘲り下らぬと切って捨てる。
お前の心の指針とは何だ?」

搾り出すように発せられる定国の言。
それを聞きながら五郎左衛門は笑止といった感じで応える。

「知りませぬな。欲するがまま、求めるがまま、生きてきたらこうなった。
それだけでございますよ。腹が減り、飯を食べたいと感じる欲求に理由や理屈が必要ですか?
私はこの年までそうやって生きて来ました。そのために必要なら誰でも殺したし、
利用できるものは何でも利用しました。卑怯や非道などというものは負け犬の理屈です。
過程や方法などどうでも良いのですよ。勝てば後からそれらしい理が付いてきますから。」

「・・・まるで飛蝗、あの虫共と変わらんな。
誰も愛さず、何も信じず。ただ欲し、ただ喰らう。
そんなことを続けても何も残らんぞ。死後を考えれば空しくはならんのか?
貴様とて老い先をとうに考える齢であろうに。」

「知りませぬな。己が死ねばそれでお終いですよ。
それ以外のことなどただの自分に都合の良い妄想でしかない。
ただ、老い先短いのは事実ですな。そして私の業は、魂はまだ欲しております。
足りぬ足りぬと欲しておりますれば・・・」

五郎左衛門は懐から何やら小瓶を取り出す。
それを訝しげに見ていた定国だが、はっとして五郎左衛門の顔を見る。

「流石に察しがよろしいですな。そう、人魚の血ですよ。
こちらと違い、あちらはそれなりに数が出回っているようで、容易に入手出来ました。
貴方様が禁制の書物を仕入れる傍ら、私もこのような物を手に入れていたのです。」
「人を越える長寿を手に入れると申すか。」
「人という器に拘るのもまた下らぬことですよ。我が欲の成就に優先するものなど何もありませぬ。
それに貴方様もいずれはそうなるつもりだったのでしょう?
多少形は違えど妖怪を側室に迎えるとはそういうことのはず。」
「貴様と一緒にするな。長生きしとうて迎えるのではないわ。」
「やはり理解に苦しみますな。何が違うのか私には解りかねます。
まあ兎に角、これにて私の寿命は飛躍的に延びます。幾百歳(いくももとせ)先まで生き。
そうですなあ、表向きは死んだことにでもして、
ご隠居として影からこの地を支配し続けて見せましょう。
飽いたらあなたに返して差し上げてもよろしいですよ。何時かとは申せませぬが。」

慇懃無礼に言い放つ五郎左衛門、手負いの獣のような表情の定国が吠える。

「このままで済むと思うてか? こうなったら将軍様に余自らが直訴するまで。
参勤交代でいやでもいずれ会う機会はある。貴様にそれを邪魔立てすることは出来ぬ。
余自身に手出し出来ぬ以上な。そして八百乃は実家にでも匿って貰えば
いかな貴様でも手出し出来まい。
絶対に許さぬ、どれ程時間がたとうとも貴様に引導を渡してくれる。」

「勇ましい限りですな。ただ、そんなことを私が解っていないとお思いですか?
それに対し手立てを用意していないとでも? だとしたらあなたは私を見くびりすぎです。」

パンパンッ と五郎左衛門は拍手を打って、
部屋の外に待たせていたある人物を室内に招き入れた。
それは定国にとってあまりに意外な人物であった。

「な・・・何故御主が此処にいる? ・・・御紺!」
「御紺様の滞在費はこちらもちでございましょう? 我が藩の窮状を上様に訴えましてな、
事態が落ち着くまでの間、特例として御紺様を御実家に戻して頂けるように計らって頂きました。
いやあ、上様は本当に話の解る御方ですなぁ。名君と言われるだけのことはある柔軟性です。」

「・・・どうするつもりだ?」

「どうもしませぬよ? あなたが粛々と公務に励んでいただければね。
勿論跡取りを作っていただくことも含めてね。
これ以上、自分のわがままで大切な誰かが傷つくところは見たくないでしょう?」

「御紺とて大切な身だぞ? 手出しするつもりか?」
「ふむ、まだ立場を解っていただけない御様子・・・でしたら仕方ありませぬな。」

五郎左衛門は立ち上がるとつかつかと御紺の傍らまで近づいていく。

「ご・・・五郎左衛門様。い・・・一体・・・・・・ひっ?!」
「安心せい。父と母の面倒くらいは見てやるゆえな。」

突如として腰の物を抜いて、その刃を御紺に向けた。
「馬鹿な! よせ!!」
「これは道具です。貴方様の血を引いた御子を授かるためのね。
代えは幾らでもいますし、正直この者の子宮はあまりよろしくないようで。
代え時とは思っておりました。良い機会です。
貴方様に立場を教え、女房も新しくなる。一石二鳥という奴ですよ。」

何の衒いも逡巡も無く振り下ろされる五郎左衛門の無情の刃。
それは恐怖で竦む御紺の体に確かに当たる軌道を画いていた。
間にそれが差し込まれさえしなければ・・・

「ぅあ・・・ああぁ・・・ああああ!!・・・」
「むぅ?!」

五郎左衛門が切り裂いたのは御紺ではなく、
咄嗟に二人の間に割り込んできた定国の背なであった。
三寸斬りこめば人は死ぬのだ。その言に従うなら、定国の傷は見紛う事なき致命傷であった。

「すまぬな御紺、お前を幸せにしてやれぬで。すまぬ・・・みな・・・」
しだいに呼気が荒くなり定国は声を発することさえままならなくなる。

(せめて・・・人生五十年・・・そういきたかったものだが・・・ここまでか・・・
無念・・・八百乃・・・どうか・・・ぶ・・・)

とうに暗転する視界の中で、耳も聞こえなくなり魂の呟きさえもその静寂に飲まれ。
城主 定国、その人として命のともし火は潰えるのであった。





「ぬぅ・・・ここまで・・・ここまで愚かとは。面倒なことになったわ。」
「あ・・・さ・・・定国様・・・定国様ぁあぁああああああ!!」

こと切れた城主の遺骸の前で、口を歪める五郎左衛門。
そして絹の裂けるような悲鳴を上げる御紺。
その悲鳴に反応し、室内に飛び込んでくる男が一人。
五郎左衛門から部屋の警備を任されていた武太夫である。
彼は室内の様子と立ち位置、定国の背中が切り裂かれていることを見て。
おおよそ室内で何が起きたのかを察する。

「馬鹿な! 五郎左衛門様、この藩を滅ぼすおつもりか?!
説き伏せてお終いだと言っておられたではないですか!!」

「本気で馬鹿な男よ。女など御家同士を繋ぐ政争の道具。
そんなモノを身を挺して守るとは。流石に読みきれ何だわ。」

それを聞いて武太夫はその身に下げた刀を抜き放った。
「そこに直れぃ! もう何もかもがお終いだ。
であれば、主君の仇を討つが武士としての私の最後の勤めであろう。」

二人の技量の差は歴然、だが五郎左衛門は涼しい顔で武太夫を見る。
哀れみさせ含んだ冷笑をもって・・・
「斬るか? このわしを・・・無理だなあ。
それが出来る御主であれば、わしは御主を自分の傍らなどには置かぬよw」
「何だと?」
「いいな武太夫、家を守れ、ご先祖様たちに恥じぬよう。
いいな武太夫、何時如何なる時も武士であれ、武士として恥じぬ行動と生き方をせよ。」

五郎左衛門の口から放たれたのは、
生前、武太夫の父が耳にたこが出来るほど彼に言い聞かせていた言葉であった。
それを聞き武太夫の顔色が変わる。
彼の心の臓が早鐘の様に鳴り始める。
突然重くなる彼の腕、刀を振り上げようとしてもまるで岩のように動かない。
彼には見えていた。自分の腕を掴み上げ、鬼の様な形相で見下ろす彼の死んだ父親が。
恐怖、染み付いたそれが彼の行動の全てを阻害し、心の根をへし折ってしまう。

動かなくなった彼を見て、五郎左衛門はその傍に身を寄せて耳打ちした。
「御主の父は真よき教育者であったな。これ程人を飼いならした例をわしは他に知らぬw
さて、安心せよ武太夫。御主は全て終わりといったがそうではない。
幸い飢饉で混乱のさなか、定国が城下に姿を現さずともしばらくは人々も不信がるまい。
刻限は春、次の参勤交代、その時までに何としてもこの女に子を産ませる。
そしてその者を定国の子と偽り次代の藩主に据え、わしはその後見人として君臨する。
少々予定と違うが、それで何も問題は無い。」

そう言って五郎左衛門は御紺をぎろりと見る。
「なあに、見目だけは麗しい女子。言えば抱きたがる者は後を絶つまい。
命令だから仕方ない。そう言いつつ喜々として励む馬鹿共の面が見えるようだわい。
これから毎日、朝昼晩と励んでもらうぞ御紺よ。」
「そ・・・そんな・・・いやでございます。私は! あぁ!!」

全てを言い終える前に御紺の面を叩いて黙らせる五郎左衛門。
「囀るな。意見を申せた立場か。そもそも貴様が早々に子を産んでおれば、
かように面倒なことにはならずに済んだのだぞ。」

そう言い捨て。五郎左衛門は部屋を去っていった。
その場には青い顔をした武太夫と御紺が、ただ崩れ落ちるように座り。
動けずに床を見つめているだけであった。


※※※


「こりゃあ一大事っす!!」
城のある山中のとある木の頂上。
其処にウロブサより命じられて城を見張っていた形部狸が一匹いた。
彼女は幻術で姿を隠すと同時に、変化で耳を巨大に変化させ。
彼女達の元々優れた聴覚をさらに研ぎ澄まして城内の様子を音で探っていた。

当然先程の騒ぎの顛末も彼女の知るところとなり、
彼女は予てからウロブサに命じられていたように、
城内で起きたことについてヤオノとウロブサに報せるべく。
城下で内容を文にしたため、片方を自分の分身の狸に持たせて走らせ。
もう一方へは自身で報せるべく走り去っていった。




12/08/27 00:08更新 / 430
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■作者メッセージ
おおさだくに、しんでしまうとはなさけない。

五郎左衛門も最初のプロットではただの上士にあらねば人にあらず。
みたいな古い価値観を持っただけのキャラだったんですが。

敵としてそれだけじゃうすぃーんじゃねえかと考え直し。
練り直したらこんなおにちくな奴になってしまいました。

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