それはアッサ村一と言われたマラー姉さんの頭から、獣の耳が生えていたことから始まった。
僕の腹違いの姉さん。歳は二十二。いつも街に行っては色んなおいしいものを買ってきてくれる、マイペースでほわほわした、優しい姉さん。
そんな姉さんが笑顔で帰ってきて、僕が出迎えると、姉さんの頭には獣の耳が、姉さんの腰からは獣の尻尾が生えていた。
「えへへ。ルー君ごめんねー。お姉ちゃん、ワーウルフになっちゃった」
僕は生涯出したことがないようなものすごい叫び声を上げた。
姉さんがすごく焦っていることも気付かずに。
それがきっかけで、姉さんはどこかへ消えてしまった。
どこへ消えたかは知らない。僕がその次に目を覚ましたのは翌日の朝だったからだ。
母さんにも父さんにも、姉さんのことは言っちゃダメとすごく怖い顔で言われた。
たまにやってくる教団のシスターの人が言ってる。魔物の中には、人間を魔物に変えてしまう魔物もいるって。
魔物になった人間は魔物のように動き、魔物と同じ考えで人間を襲って食べてしまうって。
だから僕は、母さんや父さん、村のみんなにも黙っている。
僕の妹テスラが、ワーウルフになったことを。
テスラは病弱で、お医者さんでも治せない病気だった。原因不明の病気は、魔物の証だって考えた人も多くて、生まれたときは『禍子』(まがご)とか陰口を叩かれるたびにお父さんは怒って、村長さんまで出てきて、なんとかおさまった。
テスラはずうっと外を見ていた。体がうまく動かなくて、外に出られないテスラ。
僕はお父さんと違って狩りもまだ出来ないし、お母さんみたいに料理も出来ないから、離れにあるテスラの部屋によく行っていた。
どうしてテスラはこんな離れた場所に一人いるのだろう。お父さんに訊くと、僕に病気を移さないためだって言われた。
でも僕は、テスラの部屋に通い続けて、毎日色んな本を読んであげた。
「ありがとう、お兄ちゃん」
白い顔で笑うテスラの笑顔が可愛くて。
それが今は。
「わうぅ、お兄ちゃん、今日もきてくれた」
ベッドから半身を起こして、ぱたぱた耳を動かしながらテスラが言った。
僕は毎日寝る前にテスラの部屋へ行って、テスラが寝付くまで本を読んであげる。
テスラがワーウルフになったことに気付いたのは、お姉ちゃんがいなくなった次の日の夜。
魔物、ワーウルフになってから、なんだかよく笑うようになったし、寝たきりではなくて、たまにベッドに腰掛けていることもあった。テスラの真っ白な足がまぶしかった。
僕はテスラにいなくなってほしくない。
いつものベッドの横の椅子に座ると、テスラはぐっと僕の顔に近づいてきた。ツンとした草木のような香りがする。
「わぅ、お兄ちゃん、カレー食べた?」
「う、うん。よくわかったね」
ちゃんと歯も磨いたんだけどなぁ。
「わたし、わかるもん。狼だから、ばっちり鼻がきくの」
「……そっかぁ」
テスラは自分のことを狼だとよく言う。シスターさんの言ったとおり、魔物みたいなことを言う。
でも僕を食べようとしたことはない。
よくわからないな。どういうことなんだろう。
「お兄ちゃん、本読んで。きょうはどんな本なの?」
「今日はね、ずっとずっと山の向こうにある、希望の国の話だよ」
レスカティエという国のおはなし。たくさんの強い強い勇者さまと、神の子どもの聖騎士さまがいて、わるい魔物を倒すため、毎日訓練をしてる。
そこには綺麗なお城や、色んな外国の船があって、まだ若い王女さまが毎日賛美歌を歌っている。王女さまも勇者さまも聖騎士さまも、そこで神の愛を受けて、幸せに暮らしてた。
とってもわるい魔物が襲ってきたけど、勇敢な勇者さまと王女さまは剣と歌でたたかった。
「――聖騎士さまにはどんなじゃあくな魔法もききませんでした。聖騎士さまの剣が、白い羽の生えた悪魔にささりました。悪魔は人間をうらむ言葉をはきながら消えていきました。
こうしてまた、魔物は消えて世界に平和が戻りました。レスカティエには今日も、王女さまの美しい歌がながれていました。めでたしめでたし」
ぱちぱちぱち、とテスラが拍手をした。
あれ、テスラの爪、もう伸びてる。ちょっとまえ切ったはずなんだけどなぁ。
「わううう……わたしも行ってみたいなぁ」
テスラが最近ちょっと黄色っぽくなった目をほそめて言った。
「うん。そうだね」
馬車で何十日かかるのかわからないけど、いつか連れて行ってあげたい。テスラの病気が治れば。
「お兄ちゃん、わたし、外に出たい。あの山をおもいっきり走りたい」
テスラは両足をばたばたさせた。足、動くの……?
「だめだよテスラ。病気が悪くなるから」
わぅぅ、と不満げに
[3]
次へ
ページ移動[1
2 3 4 5 6 7]
[7]
TOP[0]
投票 [*]
感想