メッセシアの街は、『聖都』から約50マイル離れたところにある交易の街です。
主要産業は、土精霊の祝福を受けた土壌で育つ美味しい野菜。『聖都』でもかなり高額で取引されており、教皇様や貴族の方が召し上がると、母から聞かされたことがあります。
メッセシアの街を治めるベッカー家は、私の仕える由緒正しき首長の家です。
街の人たちからの支持も厚く、『聖都』への献上も欠かしたことはありません。
高い城壁がありますから、魔物の脅威におびえることもありません。
教会もありますし、ベッカー家の雇った傭兵がいますから、魔物が街に入り込んだことなど、本当に数えるほどしかないそうです。
「……ふっ、わぁぁっ」
私があくびをしていいのは、メイド用に割り当てられた廊下に並ぶ私の部屋の中のみです。
つまりは、私が家から持ってきた、擦り切れた寝巻きに身を包んでいる時のみなのです。
「……ええと、今日は庭の手入れと洗濯、でしたね」
私は壁にかけられた鉄製のボードと、頭の中の記憶を照らし合わせます。
このボードはご主人様のアイデアで、翌日の仕事に対応した色の札をかけておくものです。今日は『掃除』の赤い札と、『ご予定』の白い札がかかっていました。
臨時のお仕事がないことをまず確認し、安堵します。
私は立ち上がり、廊下の手洗い場で顔を洗います。あたりはまだ静かです。早起きだけが取り得と昔から言われている身ですから、メイド長のテレサさんよりも早起きなのです。とはいえ、ほんの五分か、その程度の差なのですが。
水精霊の入った硝子の容器を叩くと、精霊が石に開いた穴から水を出します。清浄な水に一度感謝を捧げ、顔にばしゃりとかけます。
「……?」
そこで私は、両手に違和感をおぼえました。なんだかぐっしょりと、濡れた布を巻いたような感触です。
両手を広げると、あかぎれの酷い手の下、手首が灰色の毛皮のようなもので覆われていました。そこが濡れていたのです。
「こんな飾りをつけた覚えはないのですけど……」
ギイッとベッドが軋む音が耳にはいって、私は慌ててもう一度顔を洗いました。
テレサさんが起きようとしている。本心で言えば、あまり鉢合わせしたくはないのです。
手早く顔を洗って部屋に戻り、寝巻きを脱いで着替えます。すぽんと上下を脱ぐと、なんだか、ツンとするにおいがします。
汗のにおい、と似ていますが違います。
「……今日、洗っておきましょう」
メイドの洗濯物は、家の方々とは当然別です。くしゃくしゃと寝巻きを部屋の隅にまとめて置いて、壁にかかったメイド服を取ります。胸についた三本の鉤の紋章が、誇り高きベッカー家の家紋です。
ベッカー家の紋章がついたものを、私のようなメイドすら着用を許されるというのは、ひとえにご主人様や当主様のご理解の賜物です。
いつもでしたら、一度この紋へと感謝を捧げるのですが、本日は違いました。
「は、外れない……?」
ごわごわとした獣のような毛は、私の腕全体と足元、そして腰周りを覆っていました。引っ張るとなんだか皮膚まで引っ張られているような気がします。
それを外そうと苦闘したのはほんの数十秒でした。私は構わずメイド服を纏い、髪を整えます。
朝はとても忙しいのです。当主様やご主人様の起床時間の前に、すべてを終えなければなりません。庭の掃除も例外ではないのです。当主様は朝起きてすぐ、庭を散歩されるのですから。
あたふた、わたわたと身なりを整え、廊下に出ます。テレサさんがぱたぱたと走っていくのが見えます。少し遅れたようです。
私は掃除のための用具をとって、庭へと走りました。
体のあちこちがごわごわとして、とても痒かったです。
私――エリス=トーランドットは、貧民です。
もう今はないテスの村で生まれ、家族のためこの街まで来たのですが、何もかも要領が悪く、仕事はままなりませんでした。
特に動物が苦手で、農業などもってのほかでした。
そんな私を拾ってくださったベッカー家の方には本当に、命にかえても足りぬほどの恩を感じています。
一生懸命に仕事を覚え、言葉を覚え、文字を覚え、ようやくメイドの一人として認められ、畏れ多くもご主人様――ベッカー家次期当主である、現当主のご令息――の身の回りのお世話を任されるようにまでなりました。
生来のおっちょこちょいもようやく治ってきたとは、思ったのですが……
「わ、ひゃぁっ!?」
どすーん、と音をたてて庭で転んでしまいました。立ち上がるとき、何かを踏んづけたのです。なぜかお尻のあたりがとても痛いです。
「い、いた、いたいっ……」
そこをさすると――なんだかごわごわとした毛皮があります。
痛みが一
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