「もうっ、邪魔っ!」
背の高い草が、まるでそれ自体が魔物であるように絡みつく。
乗馬ブーツで強引に踏み潰して、また走る。
ドドッドドッと子馬の馬蹄のような足音が無数、背中から鳴る。
ひいっと恐怖の声が引き結んだ歯の間から洩れる。
それが何なのか私はほんの数分前に知ってしまっていたから。
腰のサーベルで威嚇することも、「失せなさい下賎の獣!」とか怒鳴る余裕もない。それが無意味な相手だとわかってしまっている。
オオオオオオ――――ン
夕刻の黄昏に響く遠吠え。
まるで安い戯曲のワンシーンのよう。だけどあの声は舞台裏の黒子なんかじゃない。
本物の狼より尚恐ろしい――――ワーウルフの群れ。
「こないでって言ってるでしょっ! 群れごと皆殺しにするわよ!」
私の言葉をそもそも理解しているのかもわからない。そんな怒声が貴重な体力を奪うことにまた気付いてしまい、自分の馬鹿さを恥じる。
どうして私は魔物に追われる中で自分を省みているんだろう。
私が今考えるべきは逃げること。この草原を抜けて街道まで出れば……!
無数の足音が更に近付く。振り返るのも怖い。その瞬間に脚を止めてしまいそうで。
そうなれば私は無数のワーウルフになぶられ、彼らの肉となるだろう。
「うううああああああっ!」
声を上げ、自らを奮い立たせる。臆病に絡みつかれないように。
追いつかれれば死ぬ! めちゃくちゃに噛み付かれて死んじゃう……!
ウオオオオオオ――――ン
四度目の遠吠え。今度は幾重も響く。
それが何か、集団的な狩りの合図――獲物を追い詰めたとかそんなのかもしれない。
「はしれぇっ!」
思考も何もかも後回し。神に祈ることも剣士の誓いをそらんじることもなくひたすら走る。
騒ぐ心が静まり、恐ろしいほどの黄昏の静寂とそれを裂く足音が耳にダイレクトに入るようになる。
ようやく、恐怖に打ち勝った……! 後は街道まで走れば……!
「つかまえたっ♪」
その軽い少女の声は、死神の囁きだったのかもしれない。
爪が肩へめりこみ、人外の膂力に勢いを殺される。
まるで透過するようにあっけなく、首に鋭利な牙が深く突き刺さる。
「いっ――――!」
自分の体が草原に倒れこむ音が耳をたたき、人間と酷似した外見の、青い髪の獣人たちが視界に何匹も映る。
私にひと噛み与えたワーウルフは、勝ち誇った笑みで私を見下ろしていた。
私は死ぬ。
正騎士になることも、家に富も名誉ももたらせず、自分がここにいる理由もわからずに死ぬんだ。
「はぁっ…………」
口から出てくるのは怒りではなく諦めとむなしさだった。
「さあ。殺しなさいよ化け物ども。腹を裂くなり腕を持っていくなり好きにしなさいよ」
私は腰に佩いたサーベルから手を離す。
もうここまで追い詰められて、近接格闘でワーウルフに勝てるわけがない。知性は低いがワーウルフは非常に力が強く、そして素早い。鈍重なオーガよりも相手しづらい凶悪な魔物だ。
ワーウルフたちは私を見て、にやにやと笑うだけで牙をたてようとしない。
何がそんなに可笑しいのかわからないし、墓への土産でもワーウルフの文化なんて知りたくもない。
「どうしたのよ。殺しなさいよ。さあ! 早く!」
そういえば首を噛まれたから、私が自然に死ぬのを待っているのかもしれない。
医術の心得がなくても、あんなに深く噛まれれば死ぬなんてわかっている。
痛みはない。でもそれは痛みをこえた致命の域にまで達しているからだ。
「なんなの? 私がキレイな状態のまま死なせたいの? それとも騎士へのせめての名誉?」
「……ふふっ」
嗤った。
私を噛んだものとは違う、顔つきからして私と同年代――つまり二十歳かそれほどの女と見えるワーウルフが嗤った。
「すぐにわかるわよ。あんたにも」
それはありえないことに、私にも理解できる言葉だった。
少し語尾に南部訛りがあるが、『聖都』でも十分通じうる人間の言葉だった。
「な、なぜ、ヒトの言葉を……」
頭の上から、何かが生えた。
「わっ!?」
致命傷を受けたはずだったのに腕が動き、それを確認する。
まるで毛皮のような、細長い何か。
「わ、あ、う……ウ」
喉から私の声とは違う、低い獣の唸りのような――悪魔が憑いたかのごとき声が生じる。口を押さえると、手がぶるぶると震え、篭手の隙間から青い毛皮のようなものがはみ出ている。
まるで虫が手の上を這っているような不快感に私は篭手を投げ捨てる。
「あ、あ……!」
長く伸びた爪、蒼い肉が組み合わさって疾走を可能とした肉球
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