ワームの世界

 手元に本がないと、どうにも落ち着かない。眠る時さえ手放すことも惜しい――。

 それが私、セラ=ロッジの癖だ。

 まだ自分と他人の区別さえ曖昧な幼少の頃から本に触れ、本と共に過ごした私には無理もない癖なのだろう。



 だから私は今――手元に本がないことに気付き、あたりはまだ薄暗いというのに目を覚ましていた。

 「……今、何時だ?」

 なにやら周囲の景色が違う。確か司書室で寝ていたはずだから、古めかしい木目の天井が見えるべきなのだが、私が寝呆けているのでなければ、周りはどう見ても屋外だった。
 暗い闇に覆われた空、それを遮る木々の葉。森の窪地か何かか……?

 「……ふぁっ」

 一度あくびをして、手を大きく伸ばす。意識が鮮明になり、私はすぐに違和感に気付く。

 「…………嘘だろ?」

 とぐろを巻いた深緑色の蛇。びっしりと鱗に覆われたそれが私の腹部までつながり、腹部から胸部にかけても同色の鱗が連なる。二の腕と首筋だけが僅かに、人間の肌を露出させている。


 「…………そうか」

 私は、魔物になったようだ。



 長い蛇身に鱗とくれば、旅人を襲うラミアではないかと推測したが……。ラミアにしては上半身に鱗が多すぎる。
 私は文献で見た程度だが、ラミアは旅人に警戒心を与えないため上半身は只の人間の姿だという。この姿はどう見ても人間ではない。
 両腕も巨大な鉤状の爪が付いた、装甲化したものへ転じている。

 爬虫類型魔物のリザードマンではないかとも考えたが、脚がない。これも違う。

 ならば……。


 「……なるほど。ドラゴンか」

 天を覆う巨影。都市ひとつを焼き尽くす、魔物の中でも最上位に位置する存在。
 おそらくその一種の魔物だろう。

 「ちっ……ペンはなしか」

 服も当然なく、全裸ということに気付いてかあっと頭に血が昇る。蛇身を無意識的にくねらせ、林の中に身を隠した。
 おそるおそる顔を傷つけないよう爪の手で顔を触るが、眼鏡もなくなっている。それでも視界にこれといって差がない。

 「魔物になって視力改善?」

 ふっと冷笑が洩れた。馬鹿馬鹿しい。
 いつも仮眠室でそうするように体を地面に横たえると、自然と蛇身がゆるやかなとぐろを巻く。自分の脚の感覚が自分の足先に当たるという奇妙な体験だ。



 私は枢密院の開架図書館の司書だ。つまりは枢密院に勤める神官やその他職員向けの書物を管理する役職だな。
 当然、司書である以上様々な分野の書物は読み漁ったし、魔物に関する書物ももちろん触れたことはある。私の権限で読めるもののみだが、いずれは閉架図書館の司書へ繰り上がり出世する身――焦ることはないとかまえていた。

 「……まさかここで魔物化とはな」

 魔物化。詳細なメカニズムまでは解明されていないが、確認されている百ほどの魔物のうち、人間の女性へ魔力を注ぎ込み、自身と同じ種族の魔物へ変異させる性質を持つものがいる。
 女性の一人旅は厳禁、男女ペアでの旅も自治体の許可が必要という処置も、これを警戒してのことだ。

 なぜ警戒するか? 魔物化した人間は、その記憶を受け継いだまま魔物となるという。つまり人間側が秘匿している情報――結界の発生源や教団の新兵器なども漏洩してしまうということだ。


 正直、人間の知識を受け継ぐなど半信半疑だったが、皮肉なことに私自身が魔物となったことで確信した。

 こんな下賎な姿になろうと、私の知識は変わらない。今もう一度司書試験を受けろと言われれば、容易に合格することも可能であろう。

 「ふ、ふふっ……」

 この姿で試験を受けているさまを想像し、思わず笑いが洩れる。

 私は思いのほか絶望していない。この身が変わろうと、私の飽くなき知識への探究心と書物への愛は変わらないのだ。

 「さて……。ここがどこかを把握するのが先決か」


 羞恥心を振り切り、全裸同然の姿で森の窪地にもう一度蛇身をくねらせる。絶えず脚を擦っているような感覚だが、そこに不快感はない。

 「感覚も魔物化するということか?」

 面白い。どこかでノートを見つけ、この様子を記録していこう。




 日が昇るまで私は、近くの泉でまず己の姿を確かめた。
 長く伸びた角に、鋭利な牙。ドラゴン属の魔物の特徴が顕著に出ている。顔や短めの髪だけが人間の時の面影を残しているのも面白い。

 ドラゴンとは、魔物であるにかかわらず非常に高い知性を持ち、会話すら出来ると聞いた。東方の地ジパングでは亜種ドラゴンが水神として祀られているという……。私にふさわしいではないか。


 「それに……。なかなかの美人になったな。私も」

 どうしても机仕事で徹夜することも多い身。女としての魅力が僅かながら消えていることを自覚はしていたが
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