【ハイドマン・トーク】
前を開かれたアルスターコートが揺れる。重々しい生地の下、シャツにスラックス姿の胸元には巨大な鉄の塊が革のホルスターでぶら下げられていた。大柄な身体と、背中から発される存在感による威圧から、まるで天まで聳える巨人が目の前に立ち塞がっているような錯覚に魔術師は息を呑む。
「法規警邏官《ハイドマン》だ。手を挙げる、挙げないは任せる」
小国の乱立する諸王領の中、司法領には世界にその手を伸ばす巨大な組織がある。その名を法規警邏組織『イアルの手』。略称を規警と呼ばれる彼等は、どんな領地も越えて法の名の下に罪人の捕縛や処罰を行う権利を有する。今まで王権を除き、知られていなかった大いなる権限、『法律』と呼ばれる統合的な理を広めていた。
人は裁かれる。それは王でもなければ階級でもない。定められた権利によって。
そこに、魔物を始めとしたいかなる種族についても例外はない。
「時間、場所、種族を問わず、我々は法の名を知らしめる。略式で悪いが、抵抗は無駄だ」
そして、法の使者こそが『法規警邏官《ハイドマン》』。雷管と火薬によって弾丸を撃ち出す拳銃を帯び、魔に抗い、聖すら裁く。
正義ではない。ましてや、善人などではありえない存在。
「銀であれ鉛であれ、弾丸というものは痛いぞ」
腰にはブロードソード、胸元に拳銃。
巨躯の男、ノクト・ラーマ・グロックオーこと俺は、今日もまた規警の証、銀の逆五芒星のエンブレムを掲げ、罪人へ拳銃を向けようとしていた。
この事件さえ終われば、久しぶりの酒が呑めそうだと笑いながら。
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そうだな。酒の肴として面白くもなんともないが、聞きたいと言われれば話そう。俺に残る最初の記憶は、石を額に受けた場面だ。村のクソ餓鬼どもが、同じ歳の俺にぶつけてきやがった。その時の台詞はいつもこうだ。「獣臭い」の一言。ワーウルフと人間の混血は、餓鬼の輪にも混じれず寂しい時代を送るハメになっていたとさ。運悪く、そこは反魔を掲げ、魔物を嫌う場所だったのも最悪な思い出だ。
母親は早くに病死、父もそう長くは生きていなかった。元々は学者だったという父の言葉に従い、俺は親魔物領であった司法領まで旅をしてきた。公国領から錬金術師の一団の馬車に相乗りさせてもらい、その道すがらに話を聞いたのは面白かったな。確か、アンダラという爺さんだったが、偏屈な癖に面倒見は良くて、別れる時は大泣きした。笑うな。まだ十年も生きていなかった頃の話だ。
爺さんの紹介で、司法領内の学院へ十歳の時に編入させてもらった。『イアルの手』への勤務を前提にした司法庁付属学院で六年。終わった頃には、16になっていた。色々あったが、まぁいい思い出と言っておこう。ハイドマン見習いとして首都保安部に配属され、街の中を駈けずりまわっては倒れるように眠る日々。三食に不自由しないだけで極楽ではあるが、残念ながら未だに恩人には挨拶に行けないまま時間は過ぎていった。
それから五年。21になった俺は、諸王領全てを対象とした広域警邏組織、領外公安一課へ配属された。人員の不足から、鼻の鋭さで騒がれていた俺がスカウトという形でな。お前も知っているだろうが、その頃に発生していた南海領と南方領の戦争に加担しようとした諸王領の一部の所為で、国家間の摩擦が広がっていた頃の話だ。領外一課は、戦乱の巻き添えとなって某国の罪人集団をとり逃し、結果、所属していた人員の四割を失う。
更に三年後、戦争は一時的な停戦によって終結を見たものの、本格的な休戦には至らなかった。つい二ヶ月前に発表された南海領側からの交渉によって南方領側に有利な形で休戦になるなど、あの頃は想像もできなかった。まさか、狂戦士一人が司令官を倒すとは世界も広かったな。
話が逸れたが、21歳の時から三年が過ぎ、俺が24の時。あの殺人鬼が現れた。
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始末書と報告書を書き上げ、空のデスクへ落としていく。上司はとっくに帰っていたし、領外一課には誰もいなかった。支給されてから使い続けている黒いアルスターコートを羽織ると、凍える空気の中、冬の空の下に俺は出た。司法庁は司法領の中心、巨大なクフ湖の南端に浮かんでいる。湖と、湖に繋がる水路によって形成された司法領の首都において、街の北に位置する湖側には、歴史のある建物や重要な施設が並んでいるのは周知の事。
冷えた朝には、湖から流れてくる霧によって街は眠るように包まれていく。この光景には未だに慣れない。
石畳を革靴の踵が叩き、コツコツと乾いた音を響かせる。初冬の夜、暗い夜空を照らすガス灯が揺れる。ガラスの中の輝きを見上げ、今日は呑んで帰る
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