ホームルームも終わり荷物をまとめていたところに、ねえと声をかけられた。
ここは教室で、ましてやクラスメイトもまだ大勢残っている。
話しかけられるのは何も珍しいことではないのだけれど、声のする方へ向き直ったところで、私の思考は針の一振りの間ほど停止した。
豊満な身体には似合わない病的なまでの肌の血色は、私のそれとよく似ている。
「昼間のアレ、随分と派手にやっていたわねぇ」
「……最近、リッチとしての力が増してきているような気がします」
「あら、それはとても喜ばしいことね」
カツカツとヒールの音を教室に響かせながら、女性は私の周りを回る。
深いスリットの入れられたドレスがこの場で浮かないはずがないのに、辺りのクラスメイト達はそれに関心を示さない。
彼女は口元を緩ませているものの、その目は鋭くこちらを視界に捉えている。
「でも可哀想。苦しくて――いえ、切なくて堪らないでしょう?」
「別にそんなことは……」
机を跨いだ丁度対面で足を止めた彼女が、机に寄りかかってぐいと顔を近づける。
瞳孔の開いた瞳が、こちらと交差した。
「精の香りはするけれど、まるで搾りカスね。それに、混じり気がある」
「こうしていれば、兄さんに迷惑をかけることもありませんから」
不思議そうな顔をしていた彼女が、合点がいったように小さく頷いて、その身を起こした。
「本当にそうかしら?」
彼女は、少しばかり怪訝そうな笑みを浮かべて顎に手をおいている。
そのまま首を傾げる動きには、いじらしさも感じられる。
「一体何が――」
私の言葉を遮るように、彼女の背後から黒煙が舞い上がった。
光の有無に関わらず立体感を喪失させるように黒いそれは、意思をもったかのように彼女を包み込み始める。
「貴女自身は、良い香りがするわ」
踵を返した彼女は、目を細めてこちらを一瞥した。
煙のせいで表情はほとんど窺い知れないが、その目には確かに、笑っていた。
それも先とは違う魔物的な笑みで。
「そんなものを毎日嗅いで、彼はいつまで保つのかしらね」
最後に彼女はそれだけ告げて、煙の中へと姿を消した。
元がどこにあったのか、煙は瞬く間に薄れ霞んでいく。
私はそれを眺めながら、昼間のことを思い返していた。
端的に言えばその香りとは、男を引き寄せる魔性の香りということになる。
もしや自分は大きな勘違いをしていたのではないかと、止まっているはずの心臓が炸裂した。
私の一番の望みは、兄さんとの爛れた関係などでは断じてない。
訂正しておくと、それが叶うとしたら魔物としての私の幸せは頂にまで達することだろう。
でもそれを、普通の人としての常識をもつ兄さんが受け入れてくれるかどうかはまた別の話だ。
色香で惑わすという手段を使えない私には、ただ側にいて放出される精気を少しだけもらうことが最善に決まっている。
と、昨日までの自分は考えていた。
思い返せば私自身いささか視野が狭かった。
リッチになってから、日を増すごとに"異性を巻き込んだ問題"が度重なるようになっていたことに気がつかなかった。
兄さんばかり見ていたせいで、異性が自分をどう見ているのかを疎かにしていた。
結んでいた口元が緩み、笑みが零れそうになる。
どうして早く気がつかなかったのか。
どうしてこんなに切ない思いをして気持ちを抑えていなければならなかったのか。
きつく締めた経箱の中に仕舞い込んだ感情が、身体を火照らせるのを感じる。
それはほんの僅かに零れ落ちたココロだったけれど、利他的な自分を壊して退廃的な欲望への架け橋を渡すには事足りうる量だった。
兄さん……。
つづく
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