恥ずかしながら、この頃芸術的な才能が開花しつつある。
例えば何の気なしにノートに綴られた黒板の文字は最早、字としての価値を飛び越えかつての古代文明を思わせる芸術的造型へと姿を変貌させている。
意味するところ、俺には文字をそのまま芸術へと昇華させてしまうほどの才能があるということに他ならない。
恥ずかしながら、あまりに集中し過ぎていたために時間の経過さえも忘れていたほどだ。
恥ずかしながら、将来は偉大な芸術家になるに違いないと自負しながら、俺は口元の涎を拭った。
視界の焦点を合わせるように時計に目を向け、分針が既に始業の鐘を鳴らす手前であることに気がついた。
寝ぼけていた意識が嘘のように、すぅっと、またはぴりぴりと思考回路を走り転げる。
――しまった。
息の抜けるような声でその言葉を吐き出してから、慌てて席を立ち、下駄箱の方へと駆け出した。
廊下を走ってはいけないが、緊急時にはこの限りではない。
脚に血を回しながら、少し軽くなった頭の中で都合の良い言い訳を考える。
あーだこーだと、頭の中の分身がセリフを読み上げ続けてくれたがどれも状況を十二分に変えてくれるものは無さそうだった。
「……っ!」
いくら"魔物の瘴気"に当てられているとはいえ、人間界で言えば俺はまだ人寄りだ。
だから決して、窓から見える妹の所へ飛び降りることも出来なければ、その周りを囲む柄の悪そうな男達を前に、鉄拳を一発お見舞いしてやれるほどの筋力も無い。
場面転換。
「あぁ?」
ああダメだ。これはまずい。
予定では、華麗に登場鉄拳制裁完全調伏勧善懲悪。
間に割って入ったはいいもの、この後の対策を何一つ練っていない。
「もう一度だけ言いますけど、妹にちょっかい出すのやめてもらっていいですかね……?」
分の悪そうに間延びした声で、金色に髪を染め上げた長身の男―おそらくこのグループのリーダーであろう―に言ってみせる。
実際それは、若干ながら震える口から飛び出た唯一の警告だった。
いや、ならばもっと良い言い方があっただろう。
しかし彼は納得のいったようなように口角を吊り上げる。
「ああ!コイツがお前の言ってたシスコン兄貴かァ?」
男のゲス臭い笑声に、他の男達も嘲るように声を上げる。
―ああ、これは大変だ。
命の危機を直観した俺は、その笑い声を遮るように声を張る。
声色に、焦りと不安を乗せて。
「これ以上怒らせるなよ…!」
「……」
それは妹を守るための虚勢ではなく、取り返しのつかない事が起こるかもしれないという危惧と焦燥から飛び出た怒号だった。
ぱっと、一帯が葉をざわつかせる風の音に包まれる。
その不満げな表情に、俺は更に言葉を加速させた。
「これはあんたら――」
一体何を言おうとしたのか。
思考が追いつくよりもまず先に、身体が飛んだ。
ぱちぱちと視界が回転と暗転を繰り返しながら、どこかに転がり落ちる。
一瞬、ほんの一瞬全ての感覚がゼロに限りなく近づいた。
何が起きたのかと信号を走らせるよりも先に、頭の中に信号が送り込まれる。
ここで俺はようやく、自分が土の上に倒れていることを自覚した。
それに遅れて、ズキズキと痛む頬と切れた口内から流れる鉄の味にようやく状況を理解した。
「おいおい弱すぎんだろおにいちゃーん?」
殴られ、飛ばされた。飛び交う笑声がつくづく耳に障る。
しかし状況を理解した時には既に、状況は変わり始めていた。
殴られた痛みを忘れてしまうほどに、人知を超えた何かに足を踏み入れてしまったかのように、身体が硬直して動かない。
「許さナい」
邪気の、殺意の籠もった声に、へらへらと笑っていたはずの不良達が静かにそちらに振り返る。
髪の毛は灰のように白く染まり、肌も血色が悪いどころではない病気的なまでの青さを見せている。
しかしその顔立ちも体躯も先ほどとさして変化は無く、可憐な美しささえも感じさせる
。
そこにあったのはあまりにもシンプルな、不気味さのみであった。
彼らの目に写ったのは正しく、先ほど自分たちが取って食おうとした可憐な少女とは似て懸け離れた、天使と悪魔の両面を併せ持つ化け物のような存在だった。
灰のような髪の隙間から覗く視線に、1人は顔を真っ青にして卒倒する。
「兄さン、ニイさん、兄サん」
壊れたレコードのように、そればかりを譫言のように発しながら、妹は猫背になりながらふらふらとこちらへ歩み寄る。
その途中にあるのは、腰が抜けて動けなくなった不良たちのバリケードである。
唯一地に足をつけて立っている先の金髪も、既に戦意を喪失し、唇を真っ青に染めて歯をカチカチと振わせていた。
そして妹を凝視する余り、その背後に現れた異形の存在に気がつかないでいる。
カタカタカタカタカタカタ
それは笑う。
無機質に
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