血気盛んなアンデッド

 春の陽気にあてられた小鳥の囀りを聞きながら、瞼を擦って身体を起こす。
欠伸と伸び、それから青空を窓に見て頭を揺すった後、俺は10秒遅れで鳴り始めた目覚まし時計の頭を叩いた。

ああなんと新しき、希望の朝かな。

何も起こらない平穏な朝とは、かくも素晴らしいものなのか、感動が込み上がる。
日頃からトラブル続きなのかと問われると、実際そうでもないと答えるが、厄介事がないかと問われると、解決できるのなら何だってすると答えるだろう。
そんな日常を送るうち、何でもないようなことが幸せだったと思うようになったのは言うまでもない。

しかしそう感じるのも束の間、肌掛け布団の異様なふくらみに気づく。

ああダメか。今日もダメだ。

そんな"何も起こっていない"なんて期待を少しでもしていた自分が馬鹿だった。
世の中そんなに甘くない。二度とは戻れないのが実状なのだ。


「首根っこを捕まれて何か言うことはあるか?」
「ああ、なんと新しき希望のあざがな」

少しばかり厳密に言えば、世の中にも甘い部分はある。
例えばこうして完璧にヘッドロックが決まっていてもコイツがこのまま死んでしまうことはないし、どころか愉悦の表情に浸っているのもその一部と言えようか。
見ればご丁寧に着替えを済ませている。
一体家を出るまでの残りの時間を何に使うつもりだったのか、想像したくもない。
手を放したところで咳払いのひとつもしない。もう慣れたけれど。

「勘違いしないでください兄さん」
「ああ、俺も出来ればこの予想が勘違いで済んで欲しいもんだ」

中途半端に黒染めした銀色の髪が、胡乱な咳払いで小さく揺れる。

「いいですか、私が求めているのは性行為などによる純粋な快楽ではありません。私は知識という、人類の叡智を研究の対象にしているのです。それによる快楽は、たかが肉体的快楽では辿り着くことのない、正しく至高の愉悦なのです」

こちらの腹部から首元までを指で這わせながら語る持論にはなんともまあ説得力がある。
顎に到達した時点で、その身体はずいと目の前まで詰められていた。

「……俺の布団の中にいた理由は?」
「私には、知ろうにも知り尽くせないものがひとつだけあります。それは自身たる私です。私は物心ついた時から、兄さんの背中を追い続けていました。今でも私は兄さんの背中を見ると、時折激しい情欲にかられることがあります」
「え、ちょっとまって、昔からお前俺の背中見て欲情してたの」
「私には、私が分からなくなる時があります。それはいつも決まって兄さんを見ている時……」
「ヒトの話聞いてる?」
「私はそこで思ったのです。私自身を研究する、そのための研究としてまず兄さんを研究すべきであると」
「ちょ、待って何この力」

彼女が俺を抱きしめようとするのを手四つで応戦するが、華奢な身体からは想像もつかない程に力強い。
あと獲物に狙いを定めたような目付きが怖い。

「友人は私に教えてくれました。相互の理解其れ乃ち交わりであると。肉体的快楽と知識欲を満たすことによる快楽の融合……その配合こそが真の悦びだと」
「お前の友人絶対そこまで深い事考えてないぞ。なあ人の話聞いてる?」
「これはつまり事前交渉なのです。兄さんと私では果たしてその配合が可能なのかという」
「人のナニに交渉するつもりだよお前は!」
「惜しかったですね。締結寸前でしたのに」
「な、」

ひょいと結んでいた手を引かれ、その体は正しく彼女の胸の中へと飛び込んだ。
我が子を愛でるように俺の頭を抱きかかえながら、彼女は嘲笑するように言う。
高圧的でないが、しかし冷たい声で。

「冗談です。朝ご飯が出来てますから、さっさと着替えて降りてきて下さいね」
「……頼むから普通に起こしてくれ」

自分の頭を抱え伏せている俺に、裏切りの妹は首を横に振って拒絶した。
ああ、何たることか。嘆かわしい。

「これは私の楽しみの一つでもありますし、兄さんの色んなところを知りたいですから。ああ、それと」
「何だよ」

不満げな表情で妹を睨み付ける。
その、視線が交わされる一瞬。
色素の抜けた薄紫色の唇の端が僅かに上がったように見えた。
光の関係なのかもしれないが、俺にはそう見えた。

「積極的な兄さんも好きですが、やっぱり奥手な兄さんの方が好きですよ」
「そりゃあ、どうも」
「はい、では」

……。

熱い。
顔に熱が昇っているのが嫌でも分かる。
アンデッドだからなのか本人は飄々としていて、まるで挨拶のようにそんな事を言ってのける。
こっちが平静を装うのにどれだけ苦労してるのかも知らないで。

目を覚ますように、思考を遮るように頬をパンと叩いて、俺はベッドから立ち上がる。
俺は一度、思わせぶりで積極的な決起溢れるアンデッドの存在を頭から消し去って身支度をするこ
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