僕がまだ少年だった頃、つまり丁度6年ほど前の頃だろうか。
まだ世界がどう回っているかなど知らず、ただ繰り返されるだけ日々を無意味に楽しんで過ごしていた、そんな頃だ。
僕は、隣に住んでいた同じくらいの歳の女の子とよく遊んでいた。
これだけなら、聞こえはいいだろう。
もちろんこの言葉に嘘偽りがあるワケではないし、女の子も可愛かったと思う。
だが彼女が、僕の純真無垢に終わるはずだった少年時代を崩壊させたのだ。
今でもその時のビジョンは、鮮明に脳裏に焼き着いて離れないでいる。
蝉がそこらかしこで泣き喚き、必死で一週間を生きようとするそんな季節。
太陽の熱線がこれでもかと言わんばかりに降り注ぎ、身体にシャツが張り付いてひどく気持ちが悪い。
やっとの思いで家までたどり着き、玄関のドアを開け一息ついて、僕は結んである靴紐を解いた。
足がそれとなく圧迫から解放され、ある種の安堵感を感じる。
それほど強く結んでいたワケではないので、やはりこれは感じ方の違いなのだろうけれど。
両足の靴の腰革を掴んで玄関に並べようとしたところで、この家にあるには少し不自然な可愛らしいサンダルが目にとまった。
…このサンダルは…。
その瞬間、流れ出していた汗は引き、それに代わるように冷汗が流れ出す。
またここに…いるのか…。
玄関に誰かがやってくる様子はなかったが、リビングが何やら騒がしいので母さんはいるらしい。
「――――どう?」
「―あ―――かしら」
「ハッハッハ―――」
誰かと言葉を交わしているのだろうか。
上機嫌なのか、相当酔い潰れているのか、随分と楽しそうな口ぶりだ。
あれと接触すべきではない。
僕は動悸が激しくなっているのを感じながら、そのままリビングを通り過ぎて自分の部屋へ向かわんと進み始めた。
気づかれなければどうという事はない。
リビングのドアには、ぼかしの利いたガラスが嵌め込まれているので、どちら側からも輪郭を捉えるのは難しい。
抜き足差し足でゆっくりと、かつ着実にリビングの戸を横切って行く。
ガシッ、と何かに襟が掴まれたような気がした。
「え…」
瞬間、足が地から離れ体が宙に浮き、誘われるかようにリビングの中へと吸い込まれていく。
足掻いても、足が宙に浮いている以上どうすることもできなかった。
涼しい冷気に包み込まれて、思わず抵抗が弱まる。
ぶぅん、と体が音を立てて揺れたかと思うと空高く舞い上がり、僕を見上げる2つの顔が目にとまった。
そのままドサッと床へと落下し、真に遺憾な僕を見ながらけらけらと笑っているらしい声が聞こえる。
「ヒノちゃんがいくら可愛いからって、別に逃げる事ないじゃないっ」
ケラケラは僕の髪をわざとらしくクシャクシャに遊んで、笑いながら先ほどまで座っていたらしいリビングテーブルの椅子に腰掛けた。
実の息子にこんな事ができる母親なんて他にいるだろうか?
こんな愚行が許されるなんて…!
結構良いところもあって憎めないのが実に悔しいところである。
「別に…、ただ今日は自分の部屋で涼みたいなと思ってただけだよ」
「またまた照れちゃってぇ、いっちゃん可愛い〜」
「違うって!」
「んまぁ、そゆことにしておきます〜。って、もうこんな時間…!ヒノちゃん、いっちゃんの面倒よろしく!」
「はーい」
母さんはそう言うと椅子から立ち上がり、ソファの鞄を持ってリビングから出ていった。
そしてすぐ、ガチャリと玄関のドアの開くのが聞こえた。
「ふー…」
息が詰まりそうだ。
我が家は一体いつから、こうまで落ち着かない場所になってしまったのか。
或いは、いつからここまで緊迫した空気を醸し出すような空間になってしまったのか。
そんな雰囲気を感じながら、僕は少女の方に目を遣った。
白いワンピース、三つ編みにされた濃紺の長髪、恐らく被ってきたのであろう麦藁帽子がテーブルの上においてある。
髪の色と同じ、綺麗な紺色の瞳が一体どこに向いているか、僕には分からなかった。
華奢な体躯は、その存在が弱々しいような錯覚を感じさせる。
見るからに大人しそうで、清楚で可憐な少女…というのが第一印象だった事を曖昧ながらも覚えている。
僕は彼女の淡い桃色の唇を横目に、投げた鞄を乗せたソファへ腰を下ろした。
何気なくテレビをつけて、特に興味も無い番組に焦点を合わせる。
番組の内容は全く持って頭に入ってこない。
それもそのはずだ。
僕の意識はテレビでないどこか別の方向へ一心に集中しているからだ。
時折聞こえてくる型に嵌ったような笑い声も、全く耳には入らなかった。
決して、この剣呑な状況に畏怖しているワケではないが…、どことなく足が地につかないでいる。
「それにしてもほんとに今日は暑いよね〜…」
ソファの縁で俯せになった少女は、そのままこちらへ
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