「兄上、止めぬか? 私は兄上と拳を交えるような真似はしたくは無いのじゃが……」
「ああ、愛しい我が妹よ、それは私も同じこと。お前に手を挙げるなど、私だってしたくはない」
とある魔界都市の外れにある広大な屋敷。そこにはとある兄妹がいた。
「じゃったら、引き下がるべきじゃろう、兄上。このままでは無益な争いはおさまらぬ」
「愚問だな妹よ。お前が引き下がるべきだ」
食客として屋敷に招かれているこの兄妹は、研究者であり……
「……どうしても、引き下がらぬと?」
「仕方あるまい、戦士としての意地がある」
そして武人でもあった。
―――
兄には武の頂点に立つという野望があった。そのために必要なものはたゆまぬ鍛練と退かぬ心、そして自らの身体を良く知ることと考えた。
例えば棒切れのように痩せ細った老人が大男を投げ飛ばすような奇術めいた武術、例えば少ない力で相手を組伏せる間接技、例えば細い綱の上を平然と歩いてのける軽業師の平衡感覚、そういったものの仕組みを解き明かし、時として鍛練に組み込み、時として技を編みだし、その名を轟かせていった。
一方の妹は魔界の軍を指揮する軍師だった。人間を滅ぼすなどというものが古い考えとなった時代を生きる軍師だった。
いかに人間を傷付けず、五体満足で捕虜とするかに重きを置かれる世界である。
そんな彼女が人の身体について学ぶようになったのは必然だった。
非力な女子供にすら打たれれば悶絶してしまう人体の急所、人間の体力や回復力の限界、人体の耐久性、その知識を軍に役立てることによって、彼女の軍は侵略を効率化していった。
そんな人体に精通している二人が出会ったらどうなるか。
お互いの知識を共有し、さらなる研鑽を積む。研究に没頭するうちに惹かれあうのに時間はいらなかった。
二人は兄妹の契りを結び、結果最強の兄妹が誕生したというわけだ。
兄は妹から身体強化の魔法を学び、今では人間最強の名声を欲しいままにしている。
妹は兄から身体の使い方を学び、単純な戦闘力ならバフォメットのなかでも随一と言われるまでの使い手となった。
しかし、この兄妹の飽くなき探求心は留まるところを知らない。名声の中にいても鍛練と研究を欠かすことは無かった。
―――
『覆水盆に返らず』。ジパングにはそんなことわざがある。一度溢してしまった水は元の容れ物には戻せないということらしい。
それは言葉にも言えることだ。どんな些細な物だとしても、一度発してしまった言葉は取り消すことは出来ないのである。
この兄妹の一触即発の雰囲気には、このことわざがぴったりだ。
「つまりだ……」
「つまりじゃ……」
……それは決して言ってはいけない言葉だった。それを耳にした瞬間、二人は目にも止まらぬ速さで距離をとりにらみ合う。
「仕方ないのう、兄上」
妹が兄から目を離さず中空に手を伸ばすと、彼女の身の丈程もありそうな鎌が握られていた。
「すまないな、妹よ」
対する兄の闘気が膨れ上がり、押し潰されてしまいそうなプレッシャーが部屋を満たす。
……一瞬の視線の交錯ののち、先に動いたのは妹だった。
妹が腰を落として上体を前に倒す。 兄も妹を迎え撃たんと腰を落として構える。
ダン、と大きな音を残して踏み込んだ妹の身体は兄とは反対の方向へと飛んでいく。
飛び込んでくるものと思い込んでいた兄は一瞬目を見開き驚くが、すぐにその思惑に気付いた。
妹の後ろには開いた窓、つまり外へと出るつもりだ。
自らの判断ミスに内心舌打ちをしながらも妹を追い掛けようと前へ踏み込む。しかし次の瞬間男の視界いっぱいに炎の壁が広がった。
『ファイアウォール』と呼ばれる前方に炎の壁を張る魔法技術。
並の人間相手であればその炎と熱に阻まれ足止めをくらい、無理に突っ込めば一気に火攻めにされてしまう。
肉弾戦が不得手である魔術士が、相手を寄せ付けないための魔法である。
しかし、この兄には通用しない。魔力で皮膚の耐熱性と耐燃性を強化した体は炎を物ともせずに突っ切る。
「はあっ!」
気合いのこもった一撃は炎を吹き飛ばして、炎壁の一部に穴を開ける。そのまま炎の元を断つように踏み潰して、妹を追って走り出す……つもりだった。
「っ!?」
左側面からのプレッシャーにとっさに足を踏ん張り右へと跳躍すると、今まで兄がいた場所に鎌の刃が打ち込まれる。
妹の本命はこちらだった。炎の壁は目眩まし。自らの動きを兄から隠すためのもの。
「……殺す気か」
「この程度で死ぬ兄上ではあるまい。そも兄上ならば受け止めることも出来たのではないか?」
「負けると分かるような真似をするものか」
確かにこの兄ならば今の一撃を片手で止めるだろう。魔力で肌を強化し、切り傷さえ作らずに刃を握りつぶせるだろう
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