後編

 善行を積め。欲望を重ねよ。

 その街は堕落していた。教団の物差しで表現するなら、そう。堕落こそがこの街の表現に相応しい。けれど、通りを行き交う声は朗らかで、楽しげで。多くは寒村を巡っていた僕にとって、この街はとても「明るく」見えた。数年前に訪れたときよりも、ずっと魔物が多いし、ずっと発展している。この活気は、僕が世界にあり続けてほしいと願うもののひとつだ。

「レグルア」

 天使の青い瞳が、その街を一望する。彼女はやはり表情ひとつ変えずにその営みを見つめていた。けれど、やはりラリエルは変わった天使で、

「良い街ですね」

 主神の使いとして、あり得ない評価をくだした。魔の渦中において、その姿は全く損なわれず清らかで、純白で。だからこそ彼女の言葉に僕は内心で少しだけほっとした。

「うん。楽しげだよね。明るくてさ。ラリエルも見習うといいよ」
「その言葉、そっくりお返しします」
「ぼ、僕は結構楽しくやってるように見えると思うんだけどなあ」
「笑わせますね」
「笑ってないけどね、ラリエル」
「やかましいですよ」

 心なしか、会話も弾む気がする。ラリエルの機嫌も悪くはなさそうだった。ここへ向けて旅立つことを決めてから、怒ることも辛そうにすることも減った。とても良いことだと思う。

「それで、レグルア。この街で媚薬の類を手に入れるとのことでしたが」
「うん。あてはあるし、外れてもここならきっとどこにでも売っているから心配は――」
「レグルアくん!?」

 目的の話をしていると、急に大声をかけられた。振り返ると、このあたりでは珍しいジパングの装いをした魔物が目に入った。刑部狸だ。隣には柔和そうな面立ちに少しばかりの驚愕を浮かべた男性を伴っている。僕にとっては、懐かしいお二人だ。

「こんにちは。お久しぶりです、レグルアです」

 ぺこりと頭を下げると、ラリエルもそれに倣った。

「お久しぶりって……何年も手紙のひとつも寄越さずに! 結婚式にだって呼ぼうと思ってたのに!」
「あはは……ごめんなさい。なかなか旅路が過酷でして。でも、結ばれたんですね。おめでとうございます」

 太い尻尾をぶんと一度振って、刑部狸さんは喜び半分怒り半分といった様子だった。まあまあ、と隣で夫さんがそれを宥めている。

「レグルアくん。あのときは妻共々、本当にお世話になったね。それに、随分と背も伸びた。そろそろ大人といっても良い頃合いだね」
「おかげさまで。貴方は……変わりませんね、あのときから」
「はは。ぼくはまあ、あれになったからねえ」

 魔物と交わればそういうことになる。僕の道連れを配慮して言葉を濁してくれたのだろう。ラリエルはやはり気にした様子はない。

「紹介が遅れました。お二人とも、こちらはラリエル。僕の旅に同行くださっている天使様です。ラリエル、こちらの二人は僕が昔お世話になったご夫婦だよ」

 相互を紹介すると、刑部狸さんは怒りから一転してにんまりと彼女らしい計算高そうな笑顔を浮かべて、一言。

「恋人さん?」
「まさか、畏れ多いですよ」
「こんなことを口走る未熟者なのです、未だに」
「はは。変わらないねえレグルアくんは!」

 刑部狸さんとは違って、心の底からほんわりとした笑顔を浮かべていらっしゃる旦那さんには癒やされる思いがする。

「でも、ふーん。レグルアくんのところに、エンジェルかあ。ま、君みたいな子は報われないと駄目だからね。よかった、よかった」
「いえ。よくありません。レグルアは本当に頑固者で、全く己を省みるということをしません」
「あちゃあ。それは残念」

 頭上の葉っぱをぺしんと叩く刑部狸さんに、ラリエルは全くです、と大きく頷く。僕は彼女の言葉を引き継いで、本題に入った。探していた人がこちらを見つけてくれたのは僥倖だった。

「ラリエルも、全然自分のことを大事にしないから。お互い、欲というものに向き合ってみようという話になりまして」
「欲! レグルアくんの口から!」

 刑部狸さんは高下駄で器用に跳ねてみせた。何故だろう、滅茶苦茶嬉しそうだった。やはり商売人だから、だろうか。

「やっぱりお金!? それとも財宝!? 土地とか狙っちゃう!? 全然手伝うよ!!」

 ぐいぐい迫ってくる刑部狸さん。旦那さんもあはは、と笑いつつ止めない。僕が欲望を燃やすとそんなに良いのだろうか。

「いえ。やはりどうあってもそういった欲は沸いてこないので……無理矢理火をつけてみようと思いまして。その、色欲に」
「ーっ!!!」

 刑部狸さんは何やら感極まったらしく、僕の右手を両手で握ってぶんぶん上下した。

「そっか! そっか!! あのレグルアくんがついに!! うんうん!! そういうことでここに来てくれたんだね。それじゃあ、うん。あげよう、これも
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