「葵……お前、一体何を言ってんだ?」
目の前のサンダーバードは、私の肩をその雄々しい翼で押さえつけるように掴んでいる。その羽根の一枚一枚がこすれるたびに静電気が小さく弾けて、私へとチリチリと流れ込んでくる。
「ですから、私は貴方のことなんて……」
だけど、私は最後まで言葉を繋げることはできなった。
悲壮に塗りつぶされたサンダーバードの顔を見た途端、喉元の筋肉がきゅうと締まって塞き止めてしまったからだ。
「悠希さん。ナベちゃんは今、体調が悪いんだ。仕事も復帰したばかりで……」
ただならぬ気配を感じたのか、仲裁のために俊介ご主人様が割って入る。
「俊介。何なんだこれは?」
でもその彼に対して送られた悠希の視線は、恐ろしく鋭く、背筋まで貫かれかねないほどの冷ややかな刃物のようだった。
「お前がいて、このざまは何だって聞いてんだよ」
「……面目ない」
「てめぇのクソも拭けねぇ便所の紙以下の謝罪なんかいらねぇよ」
「返す言葉もない」
俊介ご主人様は、悠希の口汚い罵倒を甘んじて受け入れるように、何度も何度も頷いていた。
一通りの罵倒を嘔吐した後、悠希は軽く舌打ちをして、せり上がる感情を無理矢理飲み込むように派手に首を前後させる。
「なぁ葵……本当にアタシのこと、覚えていないのか?」
悠希が天井を見上げたまま、まるで独り言みたいに声をかけてくる。
「それは……」
覚えていない。と、時が経つごとに即答できなくなる。
どこかであったかもしれない。
何かを話したかもしれない。
でも私の頭の中からは、どうしてもその記憶を掘り起こすことが出来なかった。だからといって、彼女の言葉の一つ一つを嘘と断定し、無視することもまた同様に難しかった。
「俊介のことは、覚えているのか?」
「一応、この店での私のご主人様ですから。俊介ご主人様のお知り合いの方、ですよね?」
そう返答をした途端、目の前の二人の眉間と口端に一層深いしわが刻まされる。
「本当にごめん。俺も知らなかったんだ」
消えそうな声で俊介ご主人様がそう呟いた後、悠希も俊介ご主人様も、衝動的な感情をぎりぎりで飲み込むように口元を押さえつけていた。
それきり、いつまで経っても一向に紡がれない会話に、居心地の悪さが私の喉奥に絡みつく。
あぁ、私はまた余計なことを言ってしまったのかもしれない。
自責の念が私の足元を掴み、私を私の中に閉じ込めようとしてくる。
目の前が暗く、遠く、彩りを失っていく。
どう応えればよかったのだろうか。
どう言えば、彼女らに嫌な思いをさせなかったのだろうか。
あぁ、面倒だ。何もかも。
こんなに面倒ならば意識なんて、意志なんて持たなければ良かったのに。
「葵。聞いてほしいことがある」
嘆願の声と共に、私の肩に静電気が走る。
上げた目線の視界、その両端には柔らかく弾け揺れる悠希の翼があった。
「は、はい。なんでしょう?」
「アタシと、外に行こう」
「えっ?」
突然の外出のお誘いに唖然としてしまうも、言っている悠希は紛れもなく真剣な態度だ。
「……すみません。言っている意味がよく」
「今のお前にとっちゃ、アタシは初対面なんだろ? こんなアタシが何を言ったところで、何一つも信用ならんのは分かる。だけど、これだけは確実に言える。お前は、ここに居ちゃダメだ」
はっきりとした現状の否定。
何もをもってそう判断しているのかは分からないけど、悠希の言葉には得も言われぬ決意が満ちていた。
「葵に会えない間に、アタシは色んなことを調べてきた。そして一つの可能性を見つけた。今の葵の状態を見て、それは確信になった。今まで多くの身体の不調があったな? それもそのはずだ。こんな状態じゃまともでいられる方がおかしい」
悠希の言葉が紡がれる度に、皮膚の内側から何かを無理やり引きづり出されるような居心地の悪い感覚に侵される。
確信とは何? 彼女はいったい何を言っている?
「そんなの……で、でたらめじゃ……」
「何がでたらめかなんて、確かめなきゃ分からないだろ?」
言いかけた抵抗も、悠希の圧にぴしゃりとはねのけられる。文字通り有無を言わせなかった。
「葵。アタシはお前を助けたい。今すぐここを出て、アタシとある場所に来て欲しいんだ」
「貴方は、私の何を知っているんですか……?」
「ここじゃ言えないようなことをだ。だから葵、外へ行こう?」
なんておかしなやりとりなんだろうか。
この三十分程度の間で、私は俊介ご主人様をデートに誘い、突如現れたサンダーバードは私を逆に連れ出そうとしている。
偶然なのかは分からない。
悠希のことを覚えていないことも、本当のことだ。
なのに、私自身は何一つと
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