第4話

「それは……」

 店長の声が、ぐっと言い淀む。
 だけどシュロさんの言葉にたじろいでしまっているのは、私も同じだった。

 (今、店がつぶれるって……)

 中途半端に片手を伸ばしかけたまま、石像のようにピクリとも動けなかった。

「……ごめんなさい、言い過ぎたわ」
「いや、大丈夫だ。いつかはそうなるかもしれないと、分かっていて始めたことだからな」

 さっきの自分の発言を気にしてか、シュロさんの声色はひどく意気消沈している。
 店長もそれを理解しているらしい。返されたその声に咎めるような印象は受けなかった。

「俺も考えてはいたんだ。このまま現状維持が無理なら、せめて彼女たちの望むことをしてあげた方が良いと思う」
「……貴方がそれを望むのなら」

 付け加えるような彼女の口調からは、賛同の意が含まれていないことが分かる。
 そして、それを機に扉の向こうからは声が聞こえなくなった。
 しかし扉越しからでも、諦念のこもった空気がじんわりと冷たく伝わってくる。
 
 沈黙が続いて、何十秒かが経過した。
 さっきから自分の身体が固まったまま、退くことも進むこともできない。 
 足下で狼の尻尾が支えを求めて所在なげに揺れ動く。

 店長とシュロさんが話すこと自体は珍しいことじゃない。
 シュロさんはここのバイトリーダー的存在だ。
 シフト調整や経費の計算、バイトの魔物娘たちの教育指導、導入するキャンペーンや新メニューの開発など、店長とは普段からかなり食い込んだ話をしているのは店の誰もが知っている。 
 シュロさんがここで別格とされているのは、そういった理由も含まれている。
 
 そのシュロさんが、いつもなら堂々と構えているはずのシュロさんが。
 誰に聞かれるかも分からない昼間の控え室で、誰かを不安にさせることを口走るなんて、『らしくない』ことだった。

(これ以上無いってくらいのタイミングね)

 しかし自分の運のなさを恨んでいる場合じゃない。
 たとえ不可抗力だとしても、一介のバイトがこれ以上の聞き耳を立てるわけにはいかない。
 今はこの場を一刻も早く離れるべき。 
 そう思うと、次第にガチガチに固まっていた手足が再稼働を始める。
 音を立てないように意識を巡らせ、右手と右足、左手と左足をセットにして、ゆっくりとドアの前から引きづり戻す。



 ―――しかし、それも少しばかり遅すぎた。

「それじゃあ、また後でね」

 一際低いシュロさんの声とともに、控え室の扉が開かれた。
 
「あっ……」
「っ!」 
 
 突然、飛び出てきたシュロさんと見つめ合ってしまった。
 急な邂逅に対応しきれず、私の全身の毛がビリリと垂直に立ち上がる。
 両脇が締まり、肘がキュッと閉じ、尻尾がまっすぐに天を突く。
 カマキリみたいな妙ちくりんの格好のまま、再び私の身体は固まってしまう。 

「どうしたのナベちゃん、ホールは?」

 シュロさんはそう言いつつ、後ろ手で静かにドアを閉める。
 その声は妙に穏やかで。
 それなのに、鋭く細められた瞳は私から片時も離れようとしない。
 
「あの、その、お手洗いで偶然通りかかって……」

 まずい。
 額にじわりと、小さな汗が浮かぶ。
 互いに冷静でいられるわけもなかった。
 どうしよう? いきなり見つかった、しかも最悪のシチュエーションで。

「聞こえていたの?」
 
 シュロさんが質問を重ねる。
 その声色にはさきほどよりも、警戒心が多めに含まれている。

「あの、本当に偶然でその……」
「私と店長の話、聞いていたんでしょ?」
「う……」

 ぴしゃりと告げるその一声で、喉が詰まったみたいに声が出なくなってしまう。
 シュロさんの視線は俄然鋭く、何人も何事も寄せつけない静かな敵意が放たれている。
 その重圧に耐えられるわけもなく、ましてや誤魔化すことなどできるはずもなかった。

「……すみません、でした。聞くつもりはなかったんです」

 深く、床に頭をぶつけるくらいに深く頭を下げる。
 それしかなった。ああ、今日は本当についていないわ。
 
「……いえ、人目につくところで話していた私も悪いわ」

 だけども、床を見つめながら罪状を待つ私に下りてきたのは、存外に穏やかな内容だった。
 
「大丈夫なんですか?」
「いずれ皆が知ることだし、それにここでナベちゃんを咎めたところで、何かが変わるわけじゃないもの」

 シュロさんは片手で髪を梳くと、「あっ」と短く声を上げる。

「でもまだ決まったわけでもないから。他の子には言わないでね?」

 シュロさんの手が私の頬に添えられる。
 そのまま、私の下がっていた顔をぐっと持ち上げる。

「えっ?」

 気がつくと目の前には、丸みを帯びた朗らかな目つきの、シュロさんの顔があ
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