第3話

 その顔を見た途端、自分でも分かるくらいに眉が皺だらけになる。
 今日ばかりは見ることはないと思っていたのに。

「よぉ、葵っ!」
「なっ……」

 舌打ちが漏れないように、必死になって奥歯を噛みしめる。



 昨夜の一件の後、私はまたいつも通りにブルーバードに出勤していた。
 初対面であれだけ気の滅入ることを言われたとはいえ、仕事は休めなかった。 
 いえ、本当は休めなかった訳じゃない。
 昨日だってシュロさんに無理をしないように言われていた。
 それでも、あの悠希のせいで仕事に穴を空けるというのが、どうしても癪で仕方がなかったのだ。

 なのに。
 弱った精神に鞭を打って出勤してきた私に、この仕打ちはなんなの?

 私の目の前にいる魔物娘は、先ほど突如として来店してきたばかりだ。
 彼女はその飄々とした態度でカウンター席に座り。
 メニュー表を開いて。
 わざとらしく感心するような態度をとり。
 そして、オーダーにわざわざ私を指名してきたのだ。

 自分の名前―――サンダーバードの榎本悠希だと言えば分かると宣って。
 
「……なんで来たんですか?」

 私は周りに聞こえないように小声で呟く。
 しかし悠希は、そんな遠慮など知らぬとばかりに天井に顎を突き上げ、声高に言葉を放つ。

「おいおい、お嬢様のお帰りだぜ? 例の挨拶はどうした、ほれほれ」
「……ぐ」

 なんて性格の悪いやつなのかしら。
 私は苦虫を噛み潰したみたいに口元を歪める。
 しかし、そう思ったのもつかの間、すぐさま取り繕う。

「お、おかえりなさいませ……お嬢様。メニューはお決まりでしょうかぁ?」
「おう、決まっているぜっ!」
 
 肩をプルプルと震わせながらも、何とかにこやかな笑顔を作り直してメイドを装う。
 屈託のない笑顔を返してくる悠希が実に腹立たしい。
 
 だけど、今は仕事中。
 さすがに抑えないとダメだ。
 私はぎこちなくも、手に持ったお冷やを掴む。
 そしてそのまま悠希に向かってぶちまけることなく差し出すことに成功する。
 誰か誉めて欲しいくらいだったけど、そんな母性的存在など居るわけもなく。
 目の前にいるのは、さっきの意地の悪いやり取りなどとっくに忘れて、メニュー表を楽しげに捲る悠希だけだった。

「えーと、この『しあわせのとりさんパンケーキ』ってやつな」
「……かしこまりましたぁ」

 私は極めて冷静にポケットから注文用紙を取り出すと、彼女のオーダーを指先で殴り書く。
 しかし脳内では、悠希に対するあらんかぎりの猜疑と罵倒が飛び回っていた。

 どうして? なんで来たの?
 昨日あんなひどいことを言ったはずでしょう?
 あと少しで怪我をする寸前だったでしょう?
 それなのに、なんでその"翌日"に会いに来るのよ。
 何考えているの? このハリネズミ頭は……。

「別に、アタシは昨日のことを聞きに来たわけじゃないぜ」
 
 メニューから一切目を離さずに、不意に悠希が告げる。
 その声のトーンはさっきのふざけた時よりも明らかに低い。
 しかしその言葉の意味をすぐに理解できず、私は黙ったまま顎を引く。

「あれだよ。うちのバーで働かないかって話さ」

 私の怪訝な様子を察知したのか。さらに悠希は言葉を継ぎ足してきた。
 ああ、そういえば隣町に勤めているって言っていたわね。
 一瞬納得した顔をしそうになるけど、すぐにムッと眉をひそめる。
 
「イエス、とでも言うと思っているんですか?」

 私も低く声を絞り、皮肉を込めて回答する。
 
「まぁそうだろうな。よく知りもせずにあんだけアンタを否定しちまったわけだし、第一印象は最低だろうな」

 実に平坦な声色で、悠希はそう言ってのけた。

「だから今日は、詫びにきたんだ。昨日は不躾なことを言って悪かった」

 そして悠希はこちらに向き直り、鳥脚を大きく股開き、深く頭を下げる。
 私は無言を貫く。
 無論、そんな形だけの行為なんて信用してないからだ。
 謝罪自体は最もだと思う。でも時として、理屈は感情に負ける。

「……でもな。あんなこと言った手前だが、アンタのことは嫌いじゃないんだ」

 しかし悠希はケロッと面を上げたかと思うと、そう切り出す。
 彼女の頭の中では、もう次の話題に移っているようだ。
 どうやら謝罪に時間をかける気はないらしい。
 確かに店で長々と謝られても困るし、そこは構わない。
 けど、それでイラッとしないかどうかは別だ。

「もう少し、誠意ってものを見せて欲しいんですけど」
「すまねぇな。興味がある奴には積極的にアタックするタイプでね。頭を下げてる暇があったら、葵と話したいんだ」
「何ですか、その言い訳……」

 悠希は実に楽しそうにニカリと笑っている。
 私はその浮ついた視線を避
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