僕と科白の息が、お互いの顔にかかり合う。
三つの瞳で出来た三角形が小さくなっていく。
唇と唇が触れるかどうかの瞬間だった―――
「お、チューすんのか? おっぱじめるのか? こんな楽屋で? あっ?」
「おわっ!」
「ひぃっ!」
突如聞こえてきたのは、ドスの利いた柄の悪い声。
その主は扉の隙間から、顔だけをニュッと覗かせる悠希だった。
「ゆゆ、悠希さん……何で、の、覗いて……?」
声をかける科白の声はバイブレーションのように震えている。
必死に困惑しつつも、僅かな平静を保とうとしているようだった。
悠希は扉と壁の間にギッチリと顔の横を挟み、歯をむき出し、ドヤ顔で答える。
「何って、そりゃ……見守りというか、ギャラリー的な? お客様だよっ!」
「いやアンタ従業員だろ」
そういうキャラじゃないのに、思わず言ってしまった。
某雪山ホテルのホラー映画か。普通に怖いわ。
しかし残念なことに、悠希の渾身のおふざけを歓迎する者は、この楽屋にはいない。
かく言う科白も、悠希の言っている言葉の意味すら分からないようで、ポカンとした顔をしている。
「ちっ……反応いまいちだな、まぁいいけど」
悠希は不服そうに扉を開けて、当然のように室内へと入ってくる。野暮なんぞ知ったことか、とでも言いたげな態度だ。
あとそのネタ、知っているからこそスルーしていることに気付いて欲しい。
「で、痴話喧嘩は終わったのかい?」
困惑する僕らをよそに、悠希は聞き捨てならないことを尋ねてくる。
「ち、痴話って……」
科白は慌てて僕の両手から離れて、その四肢をバタつかせる。
青い肌でも紅潮するのかと思いきや、その肌は青から明るい水色へとその色を変えていく。照れる科白を初めて見るせいか、その独特な肌の変化は新鮮だった。
「いやいや……仕事しか出来ずに、家のことを疎かにするダメ職人、それに嫌気が差して叱咤する家政夫。誰がどうみたって痴話喧嘩じゃねぇ?」
「ゆ、悠希さん! 私達、まだそういう関係じゃ……」
「ほーう? "まだ"か」
「え、あっ! 違っ! その……」
悠希の挑発じみた発言の連打で、科白はすっかりパニックになっていた。
科白は両手と瞳を上下左右に振り回し、空中を泳いでいる。いや、溺れていると言った方が正しいだろうか。
科白の奇行を横目で見ていると、逆に僕の方が少しずつ冷静になってくる。
おかしい。
悠希のこの態度の急変の仕方、どう考えたっておかしい。
悠希の言動には、多少の不機嫌さは残っているものの、決して心から嫌悪をしているといった雰囲気は感じ取れない。
むしろ一度退室する前とは打って変わって、親しみやすく振る舞っている。
外に出た短時間で、悠希に何があったのだろうか?
まるで、さっきまでのギスギスした空気が、嘘みたいだった。
……嘘?
「……まさか」
丁度、悠希が開けた扉の後ろから、こそこそとバツが悪そうに部屋の中に入って来る人物がいた。
深月だった。
「おい……」
「……すみません。もう少し待ちましょうって、悠希さんにもそう言ったのですが……ご覧の有様で」
深月は、本当に顔向けできないというように謝罪をしてくる。
土下座でもしそうな勢いの深月に、僕は猜疑心をたっぷり込めて質問する。
「一体、これはどういうことだ?」
「まぁ……つまり、ですね。"さっきまでの私たち"は、お芝居だったんです」
申し訳なさそうに深月はそう言うと、また深々と頭を下げてくる。
僕は一瞬考えた後、科白の方を勢いよく向き直る。
しかし、科白は何も知らないというように、素早く首を横に振っている。
「祈里ちゃんは何も関係ありませんよ。あくまで"私と悠希さん"の芝居です。祈里ちゃんに関連する情報にも、一切の偽りはありませんので、安心してください」
僕の口からものすごい量のため息がでる。
やられた。文句を言う代わりに、僕は過去最高のしかめっ面を披露する。
さっき部屋を出る前に、深月が科白の手を握った時だ。
あの時点で、既に深月は科白に鍵を渡していたのだ。
あの激励じみたやりとりは、この展開を予想してのことだったのか。
くそ、普通ここまでするか?
「最初から全部、僕はアンタらの掌の上ってわけかい?」
僕は濡れた目をゴシゴシと擦りながら、定番の質問をする。
「ええ。或森さんが来店した瞬間から、この防音室で祈里ちゃんと二人になる状況を狙っていました。退職を促したのは、お二人を追い込むための奥の手でした」
深月の発言に続けて、横から悠希が言葉を繋ぐ。
「正直ほとんどアドリブで、最後は一か八かの賭けだったんだけどな。だがどうにかして、お前らに一度、腹
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