最初の科白の一声からずっと、室内はシンと静まり返っている。
科白はドアノブを握ったまま、立ち尽くしている。
「祈里ちゃん……」
心配そうに声をかける深月の声で、ようやく科白は動き出し、静かに出入口の扉を閉める。
「……すみません、深月さん……い、色々……考えた、ん、ですけど、これは自分で話して、自分で決めなくては、と思ったんです」
科白の息は荒れていて、いつも以上にその声は途切れてしまっていた。おそらく思い立ってすぐに駆けつけたのだろう。彼女なりに精一杯の声を出しているのが分かる。
「いのっち、少し待ってろ! すぐにこのクズを追い出してやるから……」
少し慌てた様子で悠希はそう言うと、その大きな鳥の脚で僕の頭に掴みかかってくる。
しかし手錠で繋がれているせいで、僕の腕が椅子から離れない。
「いてて! ……おい! もう少し手心を」
「っせぇな! いいから来い!」
悠希が叫んだ瞬間、ひどい騒音を立てながら、僕の身体が倒れて床に転がされる。ろくに腕が使えないので、受け身をとることもできなかった。
そのまま僕の身体は繋がれた椅子ごと、悠希によって無理矢理どこかへと引きづられていく。逃げるために暴れようとするも、僕の頭を掴む悠希の足爪が、耳や首筋近くにまで伸びてきている。
下手に動けば致命傷になりかねない。そう思うだけで、つい身体が躊躇ってしまう。
「ま、待って! 離してあげてください!」
慌てた様子で、科白が悠希の強行を咎める。
悠希は数秒動きを止めると、ため息をついて、投げ出すように僕の頭を解放する。
「つっ……」
地面に着く瞬間、臀部を強く打った。
本当にこの悠希ってやつは、いつか本当に人を病院送りにしかねないな。
「……すみません。彼と、二人にしてもらえ……ますか?」
科白は小さな口と喉を震わせて必死に絞り出す。
悠希と深月はじっとお互いに、顔を見合わせている。
手錠付きとはいえ、強姦の前科持ちとその被害者を二人きりにさせるのは苦渋の決断だろう。
だがようやく、その踏ん切りがついたのか、やがて深月が重々しく口を開く。
「……分かりました。祈里ちゃんがそう決めたのなら、それで良いと思います」
そういうと、深月は科白の青い両手を握る。
科白は少し驚いた表情をするが、やがて決意を示すかのように強く頷く。深月もどういう意味なのかは分からないが、何も言わずに科白をじっと見つめている。
「じゃあ、扉の外にいますからね」
「あっ……はい」
深月の言葉に恭しく科白は頭を下げる。
手を握り合う科白の後ろから、悠希が近づく。そして肩を組むようにして、科白に覆いかぶさる。その大きな翼は、科白の上半身をすっぽりと隠してしまう。
「ちょっとでも何かされたら、すぐに叫べよ! アタシが守ってやるから!」
なんて頼りがいのある台詞だろうか。その辺の男なんかよりも、悠希の方が格好良く見える。
独特な挨拶を終えると悠希が、僕の方をチラリとだけ見る。
その視線には、変な真似をしたら容赦をしないという、明白な敵意が込められていた。
もちろん僕が何かしようにも、手錠をかけられた腕では何もしようがないのだが。あえて、僕は何も言わなかった。
深月の方も、僕とこれ以上会話する気はないらしい。
深月と悠希はそのまま速やかにドアの方へと向かうと、静かに部屋を出る。
ギィという扉の閉まる音ともに、この楽屋から外界の雑音が全て消失する。
真白い楽屋には僕と科白のみが、ポツンと残された。
あの騒がしさの権化のような悠希がいないと、こうも静かになるものなのか。
別に、そのことで悠希を咎めるつもりはない。何だったらさっきの乱暴だって、ひとまず置いておいたっていい。
だが一つ言わせてもらうのならば、倒れた僕のことを起こしていって欲しかったということだろうか。
今の僕はうつ伏せに倒れている状態だ。背中の上には椅子が三脚ほど、まとめてのし掛かっている。
何とかして体勢を整えようにも、まず腕が動かない。背中と椅子の間に挟み込まれて、完全に固定されているせいだ。おまけに椅子は予想に反してズシリと重たく、僕の腰の動きも邪魔をしている。
「くそっ……」
何とかして下半身だけでジタバタともがいていると、科白が僕の後ろに立つ。
すると、嫌に軽々と、その椅子達を持ち上げる。なんて馬鹿力だ。
「……どうも」
「……いえ」
素直に礼を言うのが憚られて、つい雑な言い方になってしまう。
僕が身体を起こして胡座をかくと、その動きに合わせて、科白がゆっくりと椅子を床に下ろす。
「えっと……私がここに、いるって、よく……ご存じですね?」
いきなり予想の斜め下のことを言い出す科白に、
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