君が思い出になる前に

 人間、どんなに嫌なことがあっても腹だけは空くものだ。

 母さんといた部屋を出て、船の中心部であるエントランスホールに向かっていくと、そこにはすでに新しい客が乗りこんでいた。
 その大体の人間は、そのまま雑魚寝式の2等席に続く廊下へと、ぞろぞろと流れこんでいく。息が詰まるほどの人だかりを掻き分けて進んだその先に、目的地である小さなフードコーナーがあった。
 椅子とテーブルはよくあるパイプとスチール製で、一般的なデパートの軽食店のそれとほぼ同じといっていい。

 だけど、せっかく苦労してたどり着いたはいいが、全く食欲がわかない。
 
 母さんとのあのしんどい会話の後で、それは仕方がない話ではある。
 だけどいくら口を開くのが億劫だとしても、この空腹自体がなくなるわけではない。
 そういえば朝ご飯も、タガネとの一件を引きづってちゃんと食べていなった。煩わしいが、今は何でもいいから食べないといけない。
 さんざん悩んだあげく、僕が選んだのは自販機で売られている小さな2個セットの焼きおにぎり。
 それだけを持って、座る席を探すために今度はフードコーナ―を見まわす。
 
 お盆の季節のせいか、フードコーナ―は2等席の雑魚寝にすら座れない人達であぶれていた。皆せめて座るところだけでも確保しようと集まっているのだろう。
 おかげで僕のような本来の食事が目的である人が、それに巻き込まれて食べ物を持ったままウロウロとする羽目になっている。

 ……まぁ最悪、立ってでも食べられるからいいか。
 そう思い、席探しを諦めようとした時。
 フードコーナーの隅の方にある机にいたブロンドの髪の女子と、視線が合った。

「……楓香」

「あ、今から?」

 そこにいたのは僕の幼馴染……だった糸井楓香が食事をしていた。手元のテーブルには食べかけの醤油ラーメンが置かれている。

「あー……ここ、空いてるからいいよ、座っても。」

 おそらくワザと大きな声で、楓香は僕に呼びかけてくる。
そしてその細い足で、机の向かいにある椅子をトントンと軽く蹴る。その仕草からは、どちらかというと『座れ』と強要をしているようでもある。
 でも、冗談はよしてくれ。
 他の時ならともかく、今は勘弁してほしい。
とてもじゃないが喋りたくない。
 だが僕が席につく気がないのを察したのか。
 楓香はむくれながら椅子を両足首で挟み、ガタガタと揺らして耳障りな音を立ててくる。観光客たちの発する声で喧しいフードコーナー内でも、その音は嫌に大きく響く。

 ……仕方がないか。
 非常に、非常に気まずいが、楓香を邪険にするのは正直気が引ける。
 居心地の悪い視線が集まる前に、僕は渋々と彼女の示す席へと座った。
僕がちゃんと座ったのを確認した後、満足そうに楓香はラーメンの残りをすすり始める。

「僕って結構、考えが顔に出やすいかな?」
「はっきりいってダダ漏れね。というかお昼それで足りるの?少なくない?」
 そうだったのか……知らなかった。
 自分では感情を隠してるつもりだったんだけどな。
 楓香の恰好を見てみると、鬼のお面や装飾などの細かい部分は外しているが、基本的には鬼太鼓の装束を身に着けたままだった。その上から更に汚れが付かないように赤い色のジャージを羽織っている。

「今……食欲がなくてさ」

 僕は斜め下を見ながら答える。
多少面倒な雰囲気が出てしまったかもしれない。
表情は変えないが、楓香は密かに下唇を噛んでいる。

「ねぇ扶美さん、と部屋にいたらしいじゃない。もしかして……糸井の家の話を聞いた?」

 一瞬切り出しにくそうな素振りだったが、彼女は勢いを込めて言葉を一気に繋ぐ。
 その発言に僕はパッと顔を正面に向けかけるが、彼女と視線が合うギリギリで、若干視線を下ろす。
  
「うん、ダンピールのことも聞いた。」

 僕は冷たく淡々と言葉を吐き、彼女の口元のあたりだけを見る。
その口の端は変に歪んだりすることはなく、楓香はそう、とだけ小さく相づちを打つ。
 やはり、そうなのか。
 ダンピールという言葉に対しても、やけに薄いリアクションの彼女の様子に、何となく僕は彼女の言いたいことを理解できた。
そして、おそらく予想通りのその疑問の答え合わせをする。



「楓香も、ダンピールなんでしょ?」

 糸井家はダンピールの家系であり、吸血行為などの興奮状態の際に目が赤くなるという。
 幼い頃のぼやけた記憶に残る楓香。
彼女の自室で見たその目も、確かに赤く染まっていた。

「そっか……うん。まぁ、扶美さんから聞いたなら、流石に分かっちゃうよね」

 楓香は何ともなさげに器の中を掻きまわして、残った麺と具を探し出す。最初の一度以外、僕らの視線は交わっていなかった。

「そうだよ。私もダンピール。……普
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