渡志

「南妙法蓮華経、南無妙法蓮華経…」

 祖母の念仏が木々の中でこだまする。それほど大きな声ではないが、祖母と蝉以外は全員が口を紡いでいるので、やたらと耳の奥まで届いてきた。

 あれから家族と向かった先の墓場で二日前と変わらない手順で供え物の準備を終えていた。そして、一昨日と全く同じように僕はやることがなくなっているのだった。

 前にも使ったあの杓文字を手もとでこねくり回しては、僕は苔のついた足元の石の床を眺めていた。爺ちゃん曰く、これは大事な杓文字らしいので見つかったことは結果的には感謝した方がいいのかもしれない。
 
 僕の祖父母の家は山の中だが、今日来ているこの墓場は海辺の近くの林の中にある。墓の場所によっては林から海を眺めることもできる。
 
 だが墓場の場所は違っても、墓の見た目や作業そのものにそう大きな違いがあるわけではない。強いて言えば今回の場所の方が、使われている石の高さが統一されているので若干整頓されているように見えることくらいだ。

 そもそも、昨日の墓と違ってこの墓はうちの家系の墓ではない。いうなればボランティアというやつである。

 このボランティアというこの事実が、貴重な時間の無駄遣いだという気持ちを一番助長しているように思える。
 この島は大きさはある割に人口は少なく、高齢者が多いので墓参りに行ける体力が無い家が多いのだ。場所によってはもう何年も墓の手入れをしていない家庭もある。

 うちの家族は辛うじて動けるので、祖父母のご近所さんの墓を代わりにこうして掃除に来ている。
 だが、祖父母にとってはご近所づきあいの「お互い様」であっても、僕自身にとっては知らない人へのただのボランティアに過ぎず、きっとこれからもご近所さんに興味が持てないだろう。



 今の僕の頭にあるのは、タガネに会うこと。

この1つのみだ。

 
 だが、今日はこの作業が終わってから帰った後もいくつかの作業がある。

 この墓参りが終わって帰る頃にはきっと夕方近くになるだろう。
お盆の片づけをすましてから、そこから出かけるとなるとその頃にはだいぶ暗くなっているかもしれない。

 夏場とはいえ、日が沈んだ後の田舎の道の暗さは都会の比ではない。電灯もない中で、山道を星の光と懐中電灯のみで一人出歩くなんてことはあまりにも危険なのである。行きはどうにかなっても帰りがまずい。
 

 つまりタガネに会いに行く機会がほとんどないことに僕は気づいてしまったのだ。

 僕はどうにかして帰りがけに何とか抜け出せないか、片付けをサボれないかをずっと考えていた。




 ふと、僕は考えながら横にいる叔父さんの方をちらりと眺める。

 叔父さんの黄緑の半袖ポロシャツは袖と腕の隙間がやけに目立つし、ジーパンも随分と幅に余裕がありそうな感じだ。
 港の近くに住んではいるけれども、漁業や船での運搬の作業の仕事をしているわけではないので、叔父さんの腕や足は平均男性よりだいぶ細めだ。

 叔父さんは旅行会社に勤めている。観光スポットをどう回るか、どこに泊まるか等を企画にしてツアーという商品の形にしてお客に売る仕事らしい。

 実際に仕事場を見たことはないが、かなり気配りのいる仕事であるらしかった。企画の内容次第では集客に大きな差が出るから大変だよという話をちょっとだけ叔父さんから聞いている。

 叔父さんはこちらの視線に気づくとニコリと微笑む。

「熱いねぇ、毎年のことながら叔父さんには応えるよ。継は平気かい?」

 ボソボソと小さな声で叔父が話しかけてきた。
その声は落ち着きがあり、柔らかな雰囲気を漂わせていた。

「う…うん、でもそうだね、早く帰りたいよ」

 僕も同じように微笑みながら返事をする。
できることならこの会話も早く終わってほしい、と心の隅で思ってしまった。

「そっか、一応ペットボトルは持っているから何かあったらいってね。継は今年受験なんだから夏場に身体を壊しちゃあ大変だ」

叔父さんはそういいながら、腰にあるフックのついたペットボトルを揺らす。

「うん、ありがとう」

 僕は叔父さんに礼を言うと、僕は視線を外して足元の赤飯の桶に落とす。

 叔父さんは昔から人に気づかいのできる人間だ。
結果として自分が損をすることになっても、躊躇なく相手に譲ってしまうような懐の深さをもっている。僕も叔父さんのそういう部分をとても良く思っていた。

 そんな叔父さんの過去には強姦という歪な2文字が存在する。

それだけのことをされていて、こうも人に優しく朗らかでいられるのがすごいと思える半面、どうしてそこまでできるのかと不思議に思う。

 だけど、そのことについて何かを聞こうと思う気にはなれなかった。 
結果としてだが、遊び半分で関わったせいで叔父さん
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