事の発端のその日、僕はとある墓地に家族と一緒に出掛けていた。
墓地といっても都会のようなコンクリートの地面はなく、辺りは何十mもの高さの杉の木が覆い茂っていてほとんど山の中といってもいい。祖母の家から車で10分もかからないところだが、祖母の腰が悪くなければ歩いてでもいけなくはない距離だ。
申し訳程度に木の幹で舗装された山道への入り口を抜けた先に、20畳ほど開けた草の絨毯がある。
そこには凸という漢字の形の墓が草の地面の上に直接ドンと乗せられたような状態で列をなしている。その中の一つの墓の前で僕ら家族は集まっていた。
「継(けい)、供え物ここにおきな」
「わかってる」
母に教えてもらうまでもなく、僕は墓の前にしゃがみ込むと、地面に置かれた蓮の葉の上に赤飯の入った桶からシャモジで盛り付けていく。何年もやってきた作業だ。言われなくても分かっている。
目の前では父と叔父、そして祖父の3人が手分けして墓の回りの掃除をしていた。祖母はその下にある丸い石で数珠の入った小箱を抱えて祖父たちの準備が終わるのを呆けながら座って待っている。
その墓には「佐島」という僕たちの名字が刻まれていた。
そう、つまるところこれは僕らのご先祖様の墓参りなのだ。
うちの家族は毎年のお盆の恒例行事として、こうやって祖母の家の近くのご先祖様の墓を訪れては周りの掃除とお供え物をすることになっている。
僕の住む都会からこの離島まで移動には半日以上かかる。都会から離島近くの漁港まで何時間も車で移動し、さらに数時間船に乗り込む。
まさにド田舎だ。
そんな移動だけで面倒な僻地に、父母と共に必ず集まるのだった。
漁港の近くに住む叔父も例外ではない。ボケがはじまっている祖母でさえ、毎年このお盆のことは忘れずに思い出すくらいだ。
父親に言わせれば「お盆に家族が集まるのは当然だ」ということらしい。
そこまでしてこのお参りが大事なのだろうか?
うちの家族がそんなに仏教に熱心だったかどうかはよくわからない。
幼い頃からこの儀式めいたものに付き合っているとはいえ、宗教に関してはまるっきり興味がなかった。だからそのあたりのことを深く追及する気にはならなかった。
加えて、まともに歩けない祖母をここまで連れてきたり供え物を運ぶ、盛り付ける作業につぐ作業―――ハッキリ言って面倒な行事を手伝わないといけない。
祖父一人に任せるには少々荷が重いということで手伝いをすることになるとはいえ、こちとらもう18歳である。受験とか色々不安な時期にこんなことしててもいいのかという僕の気持ちも察してほしい、というのが今のところの僕の心境なのである。
「おう、たわしこっちにくれ」
そういった父に叔父がたわしを手渡すと、父は墓の後ろ側に身体を曲げて乗り出すと丁寧に土を掻きだしながらこすっていく。
その後もたわしや水の入った杓子が父たちの間で交互にいきわたると、土で汚れた墓が次第に綺麗になっていくのが分かる。
その作業を流し目で見ながら、僕は赤飯の横にさらにサイコロ状に切り刻んだ茄子や胡瓜をのせていく。緑色の蓮の器に薄い赤紫、白と黒、そして黄緑といったサイコロ状の食材が蓮の葉の皿を彩る。
「こんなところか?」
「ん、十分、ありがと」
母のOKをもらったところで僕の役目はようやく一通り終わりだ。
墓の掃除の方も終わったようで叔父と父と一緒に墓から少し離れる。
墓の前に残った祖父は菊や百合などの花束と竹製の野花立てを取り出した。市販のプラスチック製ではなく、毎年わざわざ祖父が新しく鉈で手作りしているものだ。
竹の筒の底から伸びる切り残された竹の部分を杭のように地面に突き立てたそれに祖父は丁寧に花を分けては活けていく。
老体ながらいかつい身体の祖父に似合わない作業を見ながら俺は一人の人物を注視していた。
…動きが怪しい、そろそろかもな。
桶を地面に置き、僕は視線を外さないように肘を上げて伸びをする。
本来なら面倒な墓参りの手伝いを真面目にしているのも理由がある。
さっきまで掃除をしていた人物…そう、叔父の後をつけるためだ。
理由はわからないが、叔父はお盆の墓参りの最中に突然失踪する。
失踪といっても何日もいなくなるわけではない。ほんの30分もかからないがこの儀式の準備の最中、どこかにふっといなくなってしまうのだ。
そして僕らが帰るころになると何事もなかったかのようにどこからともなく表れて合流するのである。
両親に何度か聞いてみたところ「車を移動しに行ってる」とか「家に忘れ物を取りにいってもらってる」といった返答が返ってきた。
だがなんとなくわかる、両親の顔やまるで取り繕うような態度、そして毎度毎度黙っていなくな
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